2010年10月18日
改善のための取り組み
この間の日曜日に開催したコミュニケーションのトレーニング。
基礎的な部分を練習ましたが、レベルの高い内容になったように感じています。
効果的なトレーニングというのは、どのような時期であっても意味があって
その時々で得られるものに差が出てくるものです。
そして、ある程度トレーニングを積んできているからこそ
少しの気づきや、小さなコツだけで、劇的に技術が向上するときがあります。
特に、苦手分野に気づき、そこを効果的にトレーニングできると
全体的なレベルが底上げされたように変化することが多いようです。
得意分野を活かしていくのは有効な手段です。
しかし、それに頼ってばかりでは限界が来てしまう。
得意分野がハッキリしているときこそ、苦手分野を少し向上させるだけで
対応できる幅が大きく広がるんです。
苦手な分野のほうが伸びる幅が大きいとも言えます。
たとえば中学校の授業で、数学が苦手だったとします。
5教科の合計点で受験をするのだとしたら、得意な社会で補うという手もある。
ところが数学を少し頑張って合計点を上げていく方法もあります。
どんなに得意とはいえ、問題の相性であったり、予想外のミスだったりで、
高得点を絶えず維持するのは大変な場合もありますが、
苦手な数学から簡単な部類の問題で着実に点が取れるようになると
より安定して合計点を上げられるようになるでしょう。
また将来的に言えば、得意な社会の方向で進んでいっても
場合によっては数学の知識が求められることもありますし、
数学ができるようになることで、理科の成績も良くなるかもしれません。
数学的な発想が身につけば、国語にさえ影響する可能性もあります。
苦手分野をトレーニングすることには、大きな意味があるわけです。
得意分野とも言える本人の持ち味を活かすこと。
苦手分野のトレーニングをして、幅を広げること。
両方を適切なタイミングで行えると、多くのことが上手くいくようになると思います。
そのように強みを見出し、苦手分野を短期間で向上させられれば
トレーニングとしての有効性は高いと言って良いと考えられます。
そうはいっても、苦手分野をトレーニングするのは簡単ではありません。
いや、トレーニングすること自体は簡単なんです。
トレーニングの成果を上げるのが簡単ではないんです。
1つの理由は「苦手分野なので、効果的な方法を知らない」ことです。
あまり効果的ではない方法が癖になってしまっていて
効果的な方法を、上手くこなせなくなっていることが多いわけです。
苦手であれば上手くいく経験も少ないわけですから
何をすると上手くいくかという情報も蓄積されていません。
もっといえば、上手くいったことを判断する基準さえも明確ではない。
上手くいく状況を経験してきていないのですから当然です。
やったことのないことは判断のしようもないんです。
なので、上手くいく方法も知らないし
上手くいっているかどうかも分からないので、
単純な試行錯誤を繰り返すだけでは、
何が効果的な方法だったかにも気づきにくくなります。
苦手分野を我流で克服するのはハードルが高めだということです。
その意味では、得意な人からの助言が役立ちます。
上手くいく方法を教わる。
上手くいっているときを教えてもらう。
効果的なやり方と、効果的なフィードバックの組み合わせで
上手くいく方法を自覚できるようにしていくわけです。
しかしながら、苦手分野に関しては好きでないことが多い。
自分でそれをするのも好きではないし、
それをしている自分を見られるのも好きではない。
例えば、情熱的に言葉を発して説得するのが苦手な人は、
情熱的に話す行為自体に抵抗を感じやすいでしょう。
この「苦手分野を改善するための努力に抵抗を感じる」というのが
トレーニングの困難さの理由の1つです。
改善へのモチベーションが低い、と言っても良いかもしれません。
それは苦手だからこそ、過去に痛みを感じた経験があったり、
やることで傷つく可能性を心配していたりすることとも関係します。
こうした「痛みを避けようとする」エネルギーは
行動の方向性を決める動機付けになっています。
なので、苦手分野で徹底的に傷ついたりすると
それを克服しようとして大きな決断に繋がることがあります。
痛みを避けようとする動機が、変化の原動力になる場合です。
しかし、そういう経験は決して頻繁にあるものではありません。
むしろ、そのような心の痛みを伴う経験をしたときに
「何が問題だったのか」「どうしたら解決できるのか」が分からない状態だと
一歩を踏み出すまでには繋がらず、心の傷だけが残ることになってしまいます。
「動機づけの可能性がある痛みの場面の多くでは、
どうしたら変えられるかが分からない」
これも苦手分野を克服するのが難しい理由の1つと考えられます。
苦手分野の場合…
・上手くいく方法を知らない
・それを教わっても、変えるためのモチベーションが高まらない
・モチベーションが高まるような痛い経験の場面では、改善策を見つけられない
ということが組み合わさっているわけです。
なので、トレーニングの場で、多少の痛みを伴いながらストレスをかけて
「避けようとするエネルギー」、つまりモチベーション、を高めます。
そして、その場ですぐに「改善策」を指導する。
これには得意な人からの意見が役立ちます。
自ら技術的なトレーニングに来るような人であれば
「避けようとするエネルギー」を、トレーニングそのものから避ける方向へは
使わない傾向があります。
そういうトレーニングだ、と外的な制約を加えて
ストレス状況の中に押し込むような負荷をかけるわけです。
逃げ場は、解決策の方向しかないように状況を作り上げる。
セラピーなどの場合は、この負荷の量を減らして小さな変化に限定しつつ、
確実に課題をこなすように確約することで対応しますが、
トレーニングレベルでは強めの負荷をかけても乗り越えられる可能性が高いものです。
(もちろん相手によって負荷の程度は考慮します)
トレーニングから逃げ場を失い、苦手分野の中でストレスをかけられると
唯一の逃げ道は、普段と違う新しい方法に取り組んでみることになります。
指導された内容をやってみる方向にプレッシャーをかけるわけです。
痛みとストレスによってモチベーションを上げながら行動変化を促すんです。
そして、実際に新しい効果的な方法に挑戦する。
そのあとには、確実なフィードバックが求められます。
上手くいったかどうかの基準も不明瞭なわけですし、
何よりストレスがかかっている状態なので状況判断能力も低下しています。
行動を起こしたことにフィードバックが得られる。
フィードバックの量は多いほうが良いでしょう。
技術的なレベルでのフィードバックに加え、
取り組む姿勢へもフィードバックがあれば、より印象は強まります。
とにかく、新しい方法をした結果にポジティブな印象を残すようにします。
上手くいく方法をしたことが記憶に残るように工夫するわけです。
具体的には、苦手分野に改善点としてのフィードバックをします。
それで痛みが伴う。
自覚があれば、なおさらでしょう。
その痛みから逃れようとするエネルギーに対して
外的な制約を加えてストレスをかけます。
改善のための意志を高めるんです。
そして実際に新しい方法に挑戦してもらう。
その結果には必ずフィードバックして、上手くいったことを自覚できるようにします。
できれば、本人が上手くいったかどうかが分かる基準も整理できると良いと思います。
このようなサイクルでトレーニングをすると、
苦手分野の改善が速やかになると考えられます。
そして、そのサイクル全体が楽しい雰囲気の中に組み込まれていると
楽しい経験の一部としての意味づけも追加されますから
学習の効果も強化されるでしょう。
先日開催したコミュニケーションのトレーニングでは
『紙を使ってタワーを作る』課題を利用して
このプロセスを組み込みました。
一度に色々なことに気づけるトレーニングではありますが、
その中に、気づきがあるか無いかに関わらず効果を生むプロセスを入れると
役立つことが多いはずです。
タワーを作る取り組み自体は、ゲーム感覚で仲良くなることもできますから
チームビルディングなどでも使われる方法ですし、
関係性を見るために家族を対象に行うこともあります。
入社面接で使えば、集団の中での振る舞い方が顕著に分かります。
取り組みの内容は同じでも、トレーニングの目的は変えられるんです。
オプションで付け加える指示内容が、トレーニングの方向性を決めます。
寸劇だってそうです。
寸劇を通じて得られる経験は沢山あります。
演じることそのものに意味のあるプロセスが含まれます。
しかし、その寸劇で何をトレーニングして、どんな効果を出すかは
全体構成の仕方で変わってくるんです。
何のワークをするかも大事ですが、
ワークをどのように進めるかも大事だと思います。
同じ内容のセミナーでも、進め方の工夫によって得られる効果が変わるということです。
ちなみに、こちらがワークで作った紙のタワー。
高さと美しさを求めて頂きました。
(1つのグループが最初に作った「紙のタワー」)

(そのグループが改善のための課題に取り組んだときに作った「タワー」)

(もう1つのグループが最初に作った「紙のタワー」)

(もう1つのグループが改善のための課題に取り組んだときに作った「タワー」)

美しさには、均一な美しさもあれば、絶妙なバランスの織りなす美しさもあります。
どれも味わい深いものですね。
ただ、各グループが改善のためのポイントに取り組んだ後のタワーのほうが、
どちらの場合でも洗練されたように見えるのは、先入観だけではないような気がします。
2ラウンド目ですから、慣れてきたというのもあるかもしれませんが、
使える道具や条件に制約を加え、制限時間も半分になっていますから
単なる慣れだけではない効果があったように感じます。
少なくとも、体験した方々の主観的な感想はポジティブな方向に進んだようですし、
見ていた側からしても、ちょっとした改善に取り組んだ後のほうが
効果的なコミュニケーションが起きていたように見えました。
改善の努力に対するフィードバックとして十分な結果だったと判断しています。
こちらで見ていても楽しい取り組みでした。
ちなみに個人的には、こういう創作系の作業は好きなので
見ていてウズウズしてしまいます。
基礎的な部分を練習ましたが、レベルの高い内容になったように感じています。
効果的なトレーニングというのは、どのような時期であっても意味があって
その時々で得られるものに差が出てくるものです。
そして、ある程度トレーニングを積んできているからこそ
少しの気づきや、小さなコツだけで、劇的に技術が向上するときがあります。
特に、苦手分野に気づき、そこを効果的にトレーニングできると
全体的なレベルが底上げされたように変化することが多いようです。
得意分野を活かしていくのは有効な手段です。
しかし、それに頼ってばかりでは限界が来てしまう。
得意分野がハッキリしているときこそ、苦手分野を少し向上させるだけで
対応できる幅が大きく広がるんです。
苦手な分野のほうが伸びる幅が大きいとも言えます。
たとえば中学校の授業で、数学が苦手だったとします。
5教科の合計点で受験をするのだとしたら、得意な社会で補うという手もある。
ところが数学を少し頑張って合計点を上げていく方法もあります。
どんなに得意とはいえ、問題の相性であったり、予想外のミスだったりで、
高得点を絶えず維持するのは大変な場合もありますが、
苦手な数学から簡単な部類の問題で着実に点が取れるようになると
より安定して合計点を上げられるようになるでしょう。
また将来的に言えば、得意な社会の方向で進んでいっても
場合によっては数学の知識が求められることもありますし、
数学ができるようになることで、理科の成績も良くなるかもしれません。
数学的な発想が身につけば、国語にさえ影響する可能性もあります。
苦手分野をトレーニングすることには、大きな意味があるわけです。
得意分野とも言える本人の持ち味を活かすこと。
苦手分野のトレーニングをして、幅を広げること。
両方を適切なタイミングで行えると、多くのことが上手くいくようになると思います。
そのように強みを見出し、苦手分野を短期間で向上させられれば
トレーニングとしての有効性は高いと言って良いと考えられます。
そうはいっても、苦手分野をトレーニングするのは簡単ではありません。
いや、トレーニングすること自体は簡単なんです。
トレーニングの成果を上げるのが簡単ではないんです。
1つの理由は「苦手分野なので、効果的な方法を知らない」ことです。
あまり効果的ではない方法が癖になってしまっていて
効果的な方法を、上手くこなせなくなっていることが多いわけです。
苦手であれば上手くいく経験も少ないわけですから
何をすると上手くいくかという情報も蓄積されていません。
もっといえば、上手くいったことを判断する基準さえも明確ではない。
上手くいく状況を経験してきていないのですから当然です。
やったことのないことは判断のしようもないんです。
なので、上手くいく方法も知らないし
上手くいっているかどうかも分からないので、
単純な試行錯誤を繰り返すだけでは、
何が効果的な方法だったかにも気づきにくくなります。
苦手分野を我流で克服するのはハードルが高めだということです。
その意味では、得意な人からの助言が役立ちます。
上手くいく方法を教わる。
上手くいっているときを教えてもらう。
効果的なやり方と、効果的なフィードバックの組み合わせで
上手くいく方法を自覚できるようにしていくわけです。
しかしながら、苦手分野に関しては好きでないことが多い。
自分でそれをするのも好きではないし、
それをしている自分を見られるのも好きではない。
例えば、情熱的に言葉を発して説得するのが苦手な人は、
情熱的に話す行為自体に抵抗を感じやすいでしょう。
この「苦手分野を改善するための努力に抵抗を感じる」というのが
トレーニングの困難さの理由の1つです。
改善へのモチベーションが低い、と言っても良いかもしれません。
それは苦手だからこそ、過去に痛みを感じた経験があったり、
やることで傷つく可能性を心配していたりすることとも関係します。
こうした「痛みを避けようとする」エネルギーは
行動の方向性を決める動機付けになっています。
なので、苦手分野で徹底的に傷ついたりすると
それを克服しようとして大きな決断に繋がることがあります。
痛みを避けようとする動機が、変化の原動力になる場合です。
しかし、そういう経験は決して頻繁にあるものではありません。
むしろ、そのような心の痛みを伴う経験をしたときに
「何が問題だったのか」「どうしたら解決できるのか」が分からない状態だと
一歩を踏み出すまでには繋がらず、心の傷だけが残ることになってしまいます。
「動機づけの可能性がある痛みの場面の多くでは、
どうしたら変えられるかが分からない」
これも苦手分野を克服するのが難しい理由の1つと考えられます。
苦手分野の場合…
・上手くいく方法を知らない
・それを教わっても、変えるためのモチベーションが高まらない
・モチベーションが高まるような痛い経験の場面では、改善策を見つけられない
ということが組み合わさっているわけです。
なので、トレーニングの場で、多少の痛みを伴いながらストレスをかけて
「避けようとするエネルギー」、つまりモチベーション、を高めます。
そして、その場ですぐに「改善策」を指導する。
これには得意な人からの意見が役立ちます。
自ら技術的なトレーニングに来るような人であれば
「避けようとするエネルギー」を、トレーニングそのものから避ける方向へは
使わない傾向があります。
そういうトレーニングだ、と外的な制約を加えて
ストレス状況の中に押し込むような負荷をかけるわけです。
逃げ場は、解決策の方向しかないように状況を作り上げる。
セラピーなどの場合は、この負荷の量を減らして小さな変化に限定しつつ、
確実に課題をこなすように確約することで対応しますが、
トレーニングレベルでは強めの負荷をかけても乗り越えられる可能性が高いものです。
(もちろん相手によって負荷の程度は考慮します)
トレーニングから逃げ場を失い、苦手分野の中でストレスをかけられると
唯一の逃げ道は、普段と違う新しい方法に取り組んでみることになります。
指導された内容をやってみる方向にプレッシャーをかけるわけです。
痛みとストレスによってモチベーションを上げながら行動変化を促すんです。
そして、実際に新しい効果的な方法に挑戦する。
そのあとには、確実なフィードバックが求められます。
上手くいったかどうかの基準も不明瞭なわけですし、
何よりストレスがかかっている状態なので状況判断能力も低下しています。
行動を起こしたことにフィードバックが得られる。
フィードバックの量は多いほうが良いでしょう。
技術的なレベルでのフィードバックに加え、
取り組む姿勢へもフィードバックがあれば、より印象は強まります。
とにかく、新しい方法をした結果にポジティブな印象を残すようにします。
上手くいく方法をしたことが記憶に残るように工夫するわけです。
具体的には、苦手分野に改善点としてのフィードバックをします。
それで痛みが伴う。
自覚があれば、なおさらでしょう。
その痛みから逃れようとするエネルギーに対して
外的な制約を加えてストレスをかけます。
改善のための意志を高めるんです。
そして実際に新しい方法に挑戦してもらう。
その結果には必ずフィードバックして、上手くいったことを自覚できるようにします。
できれば、本人が上手くいったかどうかが分かる基準も整理できると良いと思います。
このようなサイクルでトレーニングをすると、
苦手分野の改善が速やかになると考えられます。
そして、そのサイクル全体が楽しい雰囲気の中に組み込まれていると
楽しい経験の一部としての意味づけも追加されますから
学習の効果も強化されるでしょう。
先日開催したコミュニケーションのトレーニングでは
『紙を使ってタワーを作る』課題を利用して
このプロセスを組み込みました。
一度に色々なことに気づけるトレーニングではありますが、
その中に、気づきがあるか無いかに関わらず効果を生むプロセスを入れると
役立つことが多いはずです。
タワーを作る取り組み自体は、ゲーム感覚で仲良くなることもできますから
チームビルディングなどでも使われる方法ですし、
関係性を見るために家族を対象に行うこともあります。
入社面接で使えば、集団の中での振る舞い方が顕著に分かります。
取り組みの内容は同じでも、トレーニングの目的は変えられるんです。
オプションで付け加える指示内容が、トレーニングの方向性を決めます。
寸劇だってそうです。
寸劇を通じて得られる経験は沢山あります。
演じることそのものに意味のあるプロセスが含まれます。
しかし、その寸劇で何をトレーニングして、どんな効果を出すかは
全体構成の仕方で変わってくるんです。
何のワークをするかも大事ですが、
ワークをどのように進めるかも大事だと思います。
同じ内容のセミナーでも、進め方の工夫によって得られる効果が変わるということです。
ちなみに、こちらがワークで作った紙のタワー。
高さと美しさを求めて頂きました。
(1つのグループが最初に作った「紙のタワー」)

(そのグループが改善のための課題に取り組んだときに作った「タワー」)

(もう1つのグループが最初に作った「紙のタワー」)

(もう1つのグループが改善のための課題に取り組んだときに作った「タワー」)

美しさには、均一な美しさもあれば、絶妙なバランスの織りなす美しさもあります。
どれも味わい深いものですね。
ただ、各グループが改善のためのポイントに取り組んだ後のタワーのほうが、
どちらの場合でも洗練されたように見えるのは、先入観だけではないような気がします。
2ラウンド目ですから、慣れてきたというのもあるかもしれませんが、
使える道具や条件に制約を加え、制限時間も半分になっていますから
単なる慣れだけではない効果があったように感じます。
少なくとも、体験した方々の主観的な感想はポジティブな方向に進んだようですし、
見ていた側からしても、ちょっとした改善に取り組んだ後のほうが
効果的なコミュニケーションが起きていたように見えました。
改善の努力に対するフィードバックとして十分な結果だったと判断しています。
こちらで見ていても楽しい取り組みでした。
ちなみに個人的には、こういう創作系の作業は好きなので
見ていてウズウズしてしまいます。