2010年10月22日
あの頃に…
この間、ふと考えが浮かびました。
「過去に戻ることができたら…」
もう何年も、そんな考えを抱くことさえなく
誰かがそんな話をしているのが耳に入ってきた時も
気にとめない感じでいたんですが。
ここしばらくの間、そんな発想から遠ざかっていたのは、
今の自分があることに過去が影響していて
少しでも変わっていたら今のようには生きていないんじゃないか
ということを思っていたからだと感じます。
それが、ふと「過去に戻ることができたら…」なんて考えが浮かんだ。
というよりも、正確には、その言葉の裏に
「過去に戻れたら良いなぁ」という「戻りたい」に近い願望があった気がします。
だからといって、今の自分が嫌になったわけでは決してなく、
もっと単純に、元気な時期を長くしたいという感じです。
色々なことをしたいから、もっと時間が欲しい。
当然、「今の自分の経験と記憶を持ったまま戻る」のが前提です。
高校生ぐらいに戻ったとしたら、脳の発達が一応続いている段階と言われますから
どうなるのかは良く分かりません。
もっと前、小学生とかだとしたら、可塑性が高く、効率的な学習ができそうですが
今の自分の記憶や、今の自分が価値を置くものも
変化していってしまいそうなので、それは困るかもしれません。
安全に戻るんなら、大学生ぐらいでしょう。
もし、今の脳のままで戻れるなら小学生でも良いかもしれませんが、
体のフィードバックで脳のネットワークが変わることを考えると
大学生ぐらいが適当な気がしています。
(まぁ、あり得ない話をどれだけ正確に設定しても仕方ないんですが…)
ただ、大学生ぐらいだと取り返せる時間が決して長くないので
大学生ぐらいに戻るのを2,3回はやりたいなぁ、なんて思いました。
当然、時間が戻ったとしたら、今の自分の記憶のままで当時の自分になるわけですから
周りの人たちとは全くといっていいほど合わないと思います。
多少、流行を先取りするかもしれませんが、そんなのは僕にはどうでもいいこと。
無理矢理にでも気を遣うか、孤立しても構わないか。
小学生ぐらいに戻ったら大変でしょうね。
キャピキャピできるとは思いません。
「名探偵コナン」以上のギャップが出るわけです。
そんな風に孤立すると分かっていても、やってみたいことがある。
そう考えると、こんな気持ちが再び沸いてきたのも悪いことではなさそうな気がします。
残りの人生でどれぐらいのことができるのか。
そんな意識が高まっているのかもしれません。
「過去に戻ることができたら…」
もう何年も、そんな考えを抱くことさえなく
誰かがそんな話をしているのが耳に入ってきた時も
気にとめない感じでいたんですが。
ここしばらくの間、そんな発想から遠ざかっていたのは、
今の自分があることに過去が影響していて
少しでも変わっていたら今のようには生きていないんじゃないか
ということを思っていたからだと感じます。
それが、ふと「過去に戻ることができたら…」なんて考えが浮かんだ。
というよりも、正確には、その言葉の裏に
「過去に戻れたら良いなぁ」という「戻りたい」に近い願望があった気がします。
だからといって、今の自分が嫌になったわけでは決してなく、
もっと単純に、元気な時期を長くしたいという感じです。
色々なことをしたいから、もっと時間が欲しい。
当然、「今の自分の経験と記憶を持ったまま戻る」のが前提です。
高校生ぐらいに戻ったとしたら、脳の発達が一応続いている段階と言われますから
どうなるのかは良く分かりません。
もっと前、小学生とかだとしたら、可塑性が高く、効率的な学習ができそうですが
今の自分の記憶や、今の自分が価値を置くものも
変化していってしまいそうなので、それは困るかもしれません。
安全に戻るんなら、大学生ぐらいでしょう。
もし、今の脳のままで戻れるなら小学生でも良いかもしれませんが、
体のフィードバックで脳のネットワークが変わることを考えると
大学生ぐらいが適当な気がしています。
(まぁ、あり得ない話をどれだけ正確に設定しても仕方ないんですが…)
ただ、大学生ぐらいだと取り返せる時間が決して長くないので
大学生ぐらいに戻るのを2,3回はやりたいなぁ、なんて思いました。
当然、時間が戻ったとしたら、今の自分の記憶のままで当時の自分になるわけですから
周りの人たちとは全くといっていいほど合わないと思います。
多少、流行を先取りするかもしれませんが、そんなのは僕にはどうでもいいこと。
無理矢理にでも気を遣うか、孤立しても構わないか。
小学生ぐらいに戻ったら大変でしょうね。
キャピキャピできるとは思いません。
「名探偵コナン」以上のギャップが出るわけです。
そんな風に孤立すると分かっていても、やってみたいことがある。
そう考えると、こんな気持ちが再び沸いてきたのも悪いことではなさそうな気がします。
残りの人生でどれぐらいのことができるのか。
そんな意識が高まっているのかもしれません。