2011年04月20日
「鈴木先生」ドラマ化
4月25日(月)夜10時から、連続ドラマで
「鈴木先生」
が始まるそうです。
原作のマンガについては、以前にもブログで触れたことがありますが
これが非常に面白いんです。
ストーリーもそうですが、描写の仕方に特徴のあるマンガです。
登場人物の心情や、その場に流れる雰囲気を
視覚情報として絵の中にサブモダリティで描き込んでいくスタイル。
一般的に絵で表現される方向性は、美しいほうへ行きやすいようです。
「さわやか」だったり、「あこがれ」だったり、「感動」だったり、
そういう心地良い心情変化を描こうとするケースが多い気がします。
不快な心情を表現するのは、
「ちびまる子ちゃん」の顔に浮かぶ縦の線とか、
頭周りに描かれる黒いモヤぐらいじゃないでしょうか。
その点、「鈴木先生」では、エグイぐらいの心情描写がなされます。
ドス黒く、うごめくような心の動きが、過剰な線で描きこまれる。
まぁ、一見すると汚らしいぐらいに絵が強調されるわけです。
そして、見ている側からすると、その絵の持つ印象が
文字に表現されるメッセージ以上に、ダイレクトに影響してくる。
なんというか、時々気持ち悪くなるほど、心が揺さぶられるんです。
もちろん、ストーリーを読みながらですから、
絵の力と合わさって面白さが感じられるとは思います。
ただ、そこに絵が作り出す独特の表現があって、
絵そのものが含むニュアンスが、言葉以上に伝わってくる。
ある意味では、当然のことでしょう。
実際には起こり得ないことが絵なら表現できますから。
それが見ている側の心に響くのは、
そんな風に現実にはあり得ないほどに強調された表現が
運んでくるメッセージがあるからでしょう。
現実にないほどに強調されているからこそ
その意味が強く感じられるわけです。
例えば、冷や汗をかく場面があったとしたら
現実にはないほど冷や汗をかいている絵があれば、
それは「冷や汗」の持つ意味を強調して伝えていることになります。
呼吸が速くなったり、表情筋が引きつったり、目が見開いたり、
そういったストレス時に起きるような生理変化が
強調されて絵の中に描きこまれているわけです。
眼が白くなる絵は、「鈴木先生」の特徴の1つでしょうが、
これなど現実にはあり得ません。
ですが、その眼の絵が運ぶ激しい感情の印象は
見ている側に怖いぐらいに伝わってきます。
こういう絵の加工ができるのは、当然、マンガだからです。
小説では、言葉巧みに表現しようとしますが、
マンガはダイレクトにできる。
マンガでは音響やBGMが使えないですが、
やろうと思えば、絵で見ている側の心を動かすことができるんです。
(それをやっているマンガは少ないようですが)
マンガ「鈴木先生」の魅力の1つは、間違いなくそこにあるはずです。
ストーリー性だけではない。
確かに、ストーリーも一般的な学校モノにないような展開ですから
ドラマとしても魅力的なものになるとは思います。
ですが、ストーリー展開によって引き起こされる各登場人物の心情と
その場で巻き起こっている雰囲気や空気感を描き込むことで
強烈な臨場感を与えている部分も重要なはずです。
そこが、ドラマ化にあたってどうなるか?
注目のポイントです。
ドラマや映画で許されるのは、ズームイン、ズームアウト、
カメラアングルなどの画面割、
光や明るさの調節、効果音やBGMぐらいでしょうか。
照明の当て方は、特に有効な機能をすると考えられます。
ただ、画面構成はマンガでも十分に考慮されている部分ですから
それ以上に強調してドラマの映像にするのは困難かもしれません。
素直に考えれば音響面が一番手を出しやすいところ。
そこを、どれだけ過剰にやれるかが見ものだと思っていますが、
原作漫画の過剰な表現の意味を理解していないと
ただストーリーをなぞるだけで終わってしまう恐れもありそうです。
あとは、演技指導で頑張って、それぞれの登場人物に
過剰な表現で演技をしてもらうか…ですが、
過剰な演技は不自然に見えたりするのも難しいところでしょう。
僕だったら、映像を歪めたり、カメラワークの動きに注目します。
マンガにできない映像要素は動画の部分ですから、
カメラの動きのスピードや画面展開のスピードは使える要素です。
撮影後の動画を加工する段階で、画面の中央や周囲、
人物の顔近辺や背景など、場所ごとに明るさ調整をするのも
印象を強調するのに使えると思います。
撮影の時点から屈折率の違うレンズをつけて
視野の変化を表現してみるのも面白そうです。
どれだけ心情描写を強烈に表現できるか?
その部分に注目してみると、面白いドラマかもしれません。
「鈴木先生」
が始まるそうです。
原作のマンガについては、以前にもブログで触れたことがありますが
これが非常に面白いんです。
ストーリーもそうですが、描写の仕方に特徴のあるマンガです。
登場人物の心情や、その場に流れる雰囲気を
視覚情報として絵の中にサブモダリティで描き込んでいくスタイル。
一般的に絵で表現される方向性は、美しいほうへ行きやすいようです。
「さわやか」だったり、「あこがれ」だったり、「感動」だったり、
そういう心地良い心情変化を描こうとするケースが多い気がします。
不快な心情を表現するのは、
「ちびまる子ちゃん」の顔に浮かぶ縦の線とか、
頭周りに描かれる黒いモヤぐらいじゃないでしょうか。
その点、「鈴木先生」では、エグイぐらいの心情描写がなされます。
ドス黒く、うごめくような心の動きが、過剰な線で描きこまれる。
まぁ、一見すると汚らしいぐらいに絵が強調されるわけです。
そして、見ている側からすると、その絵の持つ印象が
文字に表現されるメッセージ以上に、ダイレクトに影響してくる。
なんというか、時々気持ち悪くなるほど、心が揺さぶられるんです。
もちろん、ストーリーを読みながらですから、
絵の力と合わさって面白さが感じられるとは思います。
ただ、そこに絵が作り出す独特の表現があって、
絵そのものが含むニュアンスが、言葉以上に伝わってくる。
ある意味では、当然のことでしょう。
実際には起こり得ないことが絵なら表現できますから。
それが見ている側の心に響くのは、
そんな風に現実にはあり得ないほどに強調された表現が
運んでくるメッセージがあるからでしょう。
現実にないほどに強調されているからこそ
その意味が強く感じられるわけです。
例えば、冷や汗をかく場面があったとしたら
現実にはないほど冷や汗をかいている絵があれば、
それは「冷や汗」の持つ意味を強調して伝えていることになります。
呼吸が速くなったり、表情筋が引きつったり、目が見開いたり、
そういったストレス時に起きるような生理変化が
強調されて絵の中に描きこまれているわけです。
眼が白くなる絵は、「鈴木先生」の特徴の1つでしょうが、
これなど現実にはあり得ません。
ですが、その眼の絵が運ぶ激しい感情の印象は
見ている側に怖いぐらいに伝わってきます。
こういう絵の加工ができるのは、当然、マンガだからです。
小説では、言葉巧みに表現しようとしますが、
マンガはダイレクトにできる。
マンガでは音響やBGMが使えないですが、
やろうと思えば、絵で見ている側の心を動かすことができるんです。
(それをやっているマンガは少ないようですが)
マンガ「鈴木先生」の魅力の1つは、間違いなくそこにあるはずです。
ストーリー性だけではない。
確かに、ストーリーも一般的な学校モノにないような展開ですから
ドラマとしても魅力的なものになるとは思います。
ですが、ストーリー展開によって引き起こされる各登場人物の心情と
その場で巻き起こっている雰囲気や空気感を描き込むことで
強烈な臨場感を与えている部分も重要なはずです。
そこが、ドラマ化にあたってどうなるか?
注目のポイントです。
ドラマや映画で許されるのは、ズームイン、ズームアウト、
カメラアングルなどの画面割、
光や明るさの調節、効果音やBGMぐらいでしょうか。
照明の当て方は、特に有効な機能をすると考えられます。
ただ、画面構成はマンガでも十分に考慮されている部分ですから
それ以上に強調してドラマの映像にするのは困難かもしれません。
素直に考えれば音響面が一番手を出しやすいところ。
そこを、どれだけ過剰にやれるかが見ものだと思っていますが、
原作漫画の過剰な表現の意味を理解していないと
ただストーリーをなぞるだけで終わってしまう恐れもありそうです。
あとは、演技指導で頑張って、それぞれの登場人物に
過剰な表現で演技をしてもらうか…ですが、
過剰な演技は不自然に見えたりするのも難しいところでしょう。
僕だったら、映像を歪めたり、カメラワークの動きに注目します。
マンガにできない映像要素は動画の部分ですから、
カメラの動きのスピードや画面展開のスピードは使える要素です。
撮影後の動画を加工する段階で、画面の中央や周囲、
人物の顔近辺や背景など、場所ごとに明るさ調整をするのも
印象を強調するのに使えると思います。
撮影の時点から屈折率の違うレンズをつけて
視野の変化を表現してみるのも面白そうです。
どれだけ心情描写を強烈に表現できるか?
その部分に注目してみると、面白いドラマかもしれません。