2011年08月12日
便利な品揃え
コンビニの本棚には雑誌コーナーとマンガ単行本のコーナーがあります。
そして、たまに文庫本サイズの本も置いてあります。
この文庫サイズの本、いわゆる「〜文庫」と呼ばれるのとは少し違い、
売れた本を廉価版として編集したようなものが多いようです。
それに加え、著者が不特定で、何かしらのチームが編集したような
簡単な読み物っぽい本も見かけます。
先日、コンビニの雑誌コーナーの前にぶら下がった棚に
そういう不特定著者の興味深い本がありました。
タイトルは正確に覚えてはいませんが、
『もうダメだと思ったときに読む本』
とかいう感じのものでした。
似たようなタイトルの本が他にもありますが、
これはコンビニ限定のような体裁で、中身は名言集になっているもの。
生きていて「もうダメだ!」と思ったときにも
コンビニでなんとかなるんだとしたら、便利な世の中ですね。
さすが「コンビニエンス」ストアだと思います。
で、パラパラと中身を見ていたら、
アンドレ・ジイドというフランス人作家の言葉が目に留まりました。
『幸福になる必要なんかありはしないと、
自分を説き伏せることに成功したあの日から、
幸福がぼくのなかに棲みはじめた。』(出展:『新しき糧』)
文脈が不明なので、本人がどういう意図で残したかは分かりません。
大きく分けると2通りの解釈ができるんじゃないかと思います。
1つは、
「幸福を追い求めるのをやめて、目の前の日常にある幸せに気づこう」
「足りないものに目を向けるのではなく、足りている部分に目を向けよう」
というようなニュアンス。
もう1つは、
「幸福に対する執着がなくなったときに、幸福はやってくる」
「幸福や幸運を引きよせるには、深刻になってはいけない」
というようなニュアンス。
前者が、「今ある幸せこそが幸せ」であって、
「幸せになるためには何も新しい結果はいらない」という解釈であって、
後者は、「新しい幸せを手に入れるためには」という方向の解釈。
今で十分と考えるか、新しくやってくると考えるかの違いです。
この作家の残した言葉には、他にも
『幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではなく、
努力そのもののうちに快楽を見出すことである。』
とか
『目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。』
というのが有名だそうですから、
この名言も同様に、「今ある幸せを知ることが幸福の鍵」といった
解釈が近いのかもしれません。
ただ、幸福を求めて動き出した人は、
得られるはずの幸福を知ってしまっている以上、
知る前の状態には戻れないわけです。
その意味では、
『幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せる』
のは、非常に難しいことだろうとも想像できます。
一方、「新しい幸福がやってくる」という方向の解釈も不可能ではない。
例えば、「自分にとってはコレが幸せなんだ!」と執着していると
目の前にやってきた素晴らしいチャンスや成果が目に入らない、
という可能性もあるからです。
気を楽にして、幸福の種類に執着するのをやめると、
新たな幸福の機会に気づけるようになる、とも考えられます。
どちらの方向で解釈をするにしても、
本人の生き方の好みが反映されるのでしょう。
ただ、やはり
『幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せる』
ことが簡単ではなさそうです。
そして、たまに文庫本サイズの本も置いてあります。
この文庫サイズの本、いわゆる「〜文庫」と呼ばれるのとは少し違い、
売れた本を廉価版として編集したようなものが多いようです。
それに加え、著者が不特定で、何かしらのチームが編集したような
簡単な読み物っぽい本も見かけます。
先日、コンビニの雑誌コーナーの前にぶら下がった棚に
そういう不特定著者の興味深い本がありました。
タイトルは正確に覚えてはいませんが、
『もうダメだと思ったときに読む本』
とかいう感じのものでした。
似たようなタイトルの本が他にもありますが、
これはコンビニ限定のような体裁で、中身は名言集になっているもの。
生きていて「もうダメだ!」と思ったときにも
コンビニでなんとかなるんだとしたら、便利な世の中ですね。
さすが「コンビニエンス」ストアだと思います。
で、パラパラと中身を見ていたら、
アンドレ・ジイドというフランス人作家の言葉が目に留まりました。
『幸福になる必要なんかありはしないと、
自分を説き伏せることに成功したあの日から、
幸福がぼくのなかに棲みはじめた。』(出展:『新しき糧』)
文脈が不明なので、本人がどういう意図で残したかは分かりません。
大きく分けると2通りの解釈ができるんじゃないかと思います。
1つは、
「幸福を追い求めるのをやめて、目の前の日常にある幸せに気づこう」
「足りないものに目を向けるのではなく、足りている部分に目を向けよう」
というようなニュアンス。
もう1つは、
「幸福に対する執着がなくなったときに、幸福はやってくる」
「幸福や幸運を引きよせるには、深刻になってはいけない」
というようなニュアンス。
前者が、「今ある幸せこそが幸せ」であって、
「幸せになるためには何も新しい結果はいらない」という解釈であって、
後者は、「新しい幸せを手に入れるためには」という方向の解釈。
今で十分と考えるか、新しくやってくると考えるかの違いです。
この作家の残した言葉には、他にも
『幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではなく、
努力そのもののうちに快楽を見出すことである。』
とか
『目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。』
というのが有名だそうですから、
この名言も同様に、「今ある幸せを知ることが幸福の鍵」といった
解釈が近いのかもしれません。
ただ、幸福を求めて動き出した人は、
得られるはずの幸福を知ってしまっている以上、
知る前の状態には戻れないわけです。
その意味では、
『幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せる』
のは、非常に難しいことだろうとも想像できます。
一方、「新しい幸福がやってくる」という方向の解釈も不可能ではない。
例えば、「自分にとってはコレが幸せなんだ!」と執着していると
目の前にやってきた素晴らしいチャンスや成果が目に入らない、
という可能性もあるからです。
気を楽にして、幸福の種類に執着するのをやめると、
新たな幸福の機会に気づけるようになる、とも考えられます。
どちらの方向で解釈をするにしても、
本人の生き方の好みが反映されるのでしょう。
ただ、やはり
『幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せる』
ことが簡単ではなさそうです。