2011年08月18日

原因と理由と理論

何か問題があったとき、「原因志向」と「解決志向」が
対極のように説明されることが多いようです。

原因志向というのは、問題が『起きた』原因を探って
その原因を取り除くことで問題を解決しよう、という方向性でしょうか。

それに対して解決志向では、どうして問題が起きているかは抜きにして、
解決するためにはどうしたらいいか、どうやったら楽になるか、
ということを探っていきます。


解決志向は実利的に非常に有効だと思います。
困ったことがあったときに、それがどうしたら楽になるかを考える。
原則としてシンプルな発想で取り組めます。

特に易しい考え方としては、「どういうときに上手くいっていたか」
「どういうときには、ひどくならないか」を探って、
それをやってみる、という流れです。

例えば、ついつい甘いものを食べてしまうのが悩みだったとします。
その場合、甘いものを食べないで済んだのは、どんなときだったかを
自分の経験から思い出してみるわけです。

仮に、友人と長電話をした日には、食べるのを忘れてしまったとしたら、
意識的にそれをやってみて、どうなるかを調べてみます。
それで、同じように甘いものを食べずに済んだのなら続ける、と。

この「解決志向」のやり方は、悩みや問題が明確で、
「それさえ解決できれば他のことは大丈夫」とか
「何よりも、この問題を解決しないことにはどうにもならない」など、
1つの問題に意識が強く向いているときに、特に有効です。

なぜなら、どんなやり方であっても、
その問題が解決するように進めていくからです。

しかし、逆に考えれば、その問題が解決したところで、
生きていれば他に困ったことが起きるのは当然。

甘いものを食べるのをやめるために長電話をして
電話代や友人関係が悩みの種になる可能性はあるわけです。

もしかすると、長電話以外の簡単な方法で、
甘いものを食べる習慣が変えられて、食べたくなくなるかもしれない。

その方法が上手く見つかる場合もありますが、
とにかく解決だけを目指していくと、ベストな手段を見つけるまでには
かなりの時間がかかることが想像できます。

まぁ、生きていれば時期によって、環境によって
色々なことが降りかかってきますし、生活そのものも変わってきますから、
「そのときに困っていることを解決する」というスタンスであっても
十分に有効だとは思います。


一方、原因志向の場合、「問題が起きた原因を追究する」ことから
最終的に原因を解消して、問題解決に繋げようとします。

ここで難しいのが、「原因」とは何かが曖昧なところです。

原因なんて1つに絞れるわけがない。
個人の問題だって、社会的な問題だって、地球規模の問題だって、
何が原因か?と答えを1つに決めるのは不可能でしょう。

問題には色々な要素が絡み合っているわけです。

ただ、原因志向といったときには
「問題が生まれるキッカケとなった一番最初の出来事」
を原因として捉える場合もあるようです。

過去にさかのぼって、一番の発端を原因とする。
因果の関係を直線的に考えるとしたら、原因は過去にあることになります。

個人の問題を考えるときには、人生をさかのぼっていくことで
問題が生まれるキッカケとなった時点が明確になりそうな印象があるんでしょう。

カウンセリングやセラピーの場合には、個人の問題を取り扱いますから、
「あのときに受けた心の傷が…」、「あのときに満たされなかった感情が…」
などと過去と結び付けて原因を解釈することがあります。

それは当たり前でもあるんです。

因果が直線的に繋がっている、つまり
「あれがあったから、こうなった。だから、その結果こうなった。それが原因で…」
と、「原因があって結果があり、その結果が原因となって次の結果が起きる」
という具合に考えていけば、原因はどこまでも戻っていけます。

個人の人生で原因を探って因果の連鎖を辿っていけば
過去の出来事に繋がっていくのは自然な解釈でしょう。

しかし、なんでもかんでも過去の体験に原因を見出すのが良いのかと
違和感を抱く人が出てきたり、
ある種のやり方で記憶から原因を探っていくと、記憶の曖昧さから
実際には無かったトラウマの記憶が原因となってしまったり、
原因に目を向ける発想そのものが疑われてきたようです。

その結果、解決志向と対比されるような形で、
「原因を探っても意味がない」とまで極論に進む人まで出てくるようになる。


ここには、「原因」という言葉の持つ意味が関係すると考えられます。
「原因」は「理由」と近い意味だと捉えられるはずです。

「ああなっているから、こうなる」という形は理由を説明しているときにも
原因を説明している時にも使われます。

「原因」というほうがネガティブな印象がある気がしますから、
「問題が起きてしまった理由」=「原因」といったところでしょうか。

「理由」には良し悪しは無いと思います。

例えば、最近流行りの太陽光発電を考えたとき、
ソーラーパネルが光を受けて発電できるのには理由があります。
しかし、それを原因とは言わない。

なので、「理由」を考えたり、「理由」を説明したりするのは
普通に行われている行為で悪いことではなく、むしろ
理由を知ることで更に改良していける可能性も秘めているはずです。

つまり、「理由」を説明するためには、「理論」が必要なわけです。

ところが個人の問題を考えるときに、
「原因を探っても意味がない」と主張する人の中には
「理由」を考えることさえ「原因志向」のように捉える人がいるようです。

確かに「解決志向」は一切の理由を考えません。
何が起きて問題が解決されたのかは関係ないんです。
問題を解決することだけを志向する。

この場合、先にも触れましたが、
ベストな解決策が得られるとは限りません。

しかし、ここで、ある「理論」に当てはめて問題を解釈し、
その理論において問題が起こる「理由」を説明することができれば、
理論にのっとってベストな解決策へ導ける可能性があります。

例えば、甘いものを食べてしまうという問題であれば、
その問題を1つの理論で説明する。

ここで「全ての行動には肯定的意図がある」という理論を使うと、
甘いものを食べることで得られているメリットがあると考えるわけです。
「心の奥底で求めていることがあり、
それを満たすために甘いものを食べている」と理由づけをする。

その求めているものが「自己承認」だったとしたら、
承認してもらえるような機会を増やすことで
甘いものを食べたい気持ちが減っていくだろう、と解決策へ導きます。

この理論では、「友人と長電話をした日には食べたくならなかった」
という結果に対しても、「電話で承認の気持ちが満たされたから」と
理由を説明できるようになります。

甘いものでも電話でも満たされる承認が必要なのであれば、
最も本人の生活にとって望ましい手段で、それを満たせばいい。

つまり、理論や理由があるほうが、解決だけを志向するよりも
望ましい結果が得られる場合もある、ということです。

理由を考えることには、大きな利点があるわけです。
これを「原因志向」と一緒にするのは危険じゃないでしょうか。


カウンセリングやセラピーの分野で「原因」と言った場合、
「過去の記憶の中にある心に傷を負った体験」を指すことが多いようです。

僕自身の好みとしていえば、なんでもかんでも過去に結び付けるのは
あまり好きではありません。
過去の大切な部分まで同時に問題視してしまう可能性がありますから。

それに、問題の因果を辿っていけば、究極的には
「自分が生まれてきたこと」が全ての問題に共通する原因になってしまう。
それは残念に感じます。

そして本来、意識しておいたほうがいいだろうと思うのは、
「過去の心の傷が原因」という発想は、「原因志向」と呼ばれるべきものでなく、
数多い問題の理由を説明するための「理論」の1つに過ぎない、

ということです。

1つの問題には様々な要素が関係していますから、
色々な角度で理由を説明することができるものです。

甘いものを食べ過ぎてしまうのだって、その理由を
・幼少期に好きなお菓子を我慢して抑圧していた欲求が出てくる
・仕事でストレスを受けると好きなことをして発散したくなる
・疲れて血糖値が下がり、甘いものが食べたくなる
・甘いものを食べることで満たされない価値観を満たしている(肯定的意図)
・甘いものを食べて得られた快の情動が、視覚情報と結び付いている
…などと、様々な理論で説明ができます。

過去の体験と結び付けるのは、数多い理由の解釈のうちの1つなんです。

別の例を挙げれば、肩コリだって、
ストレスで解釈することもできるし、姿勢で説明もできるし、
筋力や柔軟性でも、歯並びや噛みあわせでも説明できる。
運動不足による血行不良で説明もできれば、
食生活の影響で老廃物が滞っているという人もいます。
意識の向け方とも、緊張しやすい性格のためとも説明でき、
それぞれを過去の成育歴と関係づけることもできるでしょう。

1つの問題を、どのような理論で解釈して、どのような解決策を導くか。
これは、専門性によるところが一番大きいでしょう。
専門家が自分の専門分野の理論で解釈して、専門分野の解決策を提供する。

どの観点から問題を捉えても、解決に繋げることは可能でしょう。
ただ、どの解決策が最も効果的かという判断は難しいはずです。

様々な理論で説明ができるようになっている人が
あらゆる角度から問題を解釈して、最も効果的なポイントを見つける。
それには、膨大な知識量と判断力が必要です。

理想は、相手にとって最も効果的なポイントを見つけて対処することでしょう。

しかし、あらゆることを知っているというのは現実的ではないので
専門性の範囲でベストな方法を探すことになる。

複数の専門性があれば、その着眼点や対処の幅が広がるため
より効果的な援助が可能になると考えられます。

その意味でいうと、カウンセリングやセラピーにおける
「原因志向」と呼ばれる発想は、1つの理論に過ぎないということです。

カウンセリングやセラピーということ自体が狭い専門性の範囲です。
心の問題という観点でしか見ていない。

その狭い専門性の中で、更に専門性を絞って
「過去の心の傷を解消する」という理論だけで問題を理解していくのは
かなり限定的な手法じゃないかと思えてしまいます。


様々なレベルの理論で問題を説明できることが重要だと思います。

様々な流派の技術を身につけることが重要なのではありません。
技術は、解決のための手段です。

どうしてその手法を選ぶのか?
他の手段ではなく、それを選ぶ根拠は何なのか?

それを判断するためには、問題の理解に対する理由づけから
問題解決のための手段が効果を発揮する理論までを
土台として持っておく必要があるでしょう。

「恐怖症だから、この手法を使う」という技術の使い方でも
効果が得られることは十分にあると思います。

ただ、それは「解決志向」のやり方で
やってみながら上手くいくものを探すのに似ています。

どの方法が最も効果的かを判断できるということは
それだけ問題に苦しむ時間を短縮できる可能性がありますし、
余計なリスクを排除できるとも考えられます。

効果を最大限にするためには「原因志向」や「解決志向」以外にも
様々な理論を身につけておく必要があるんじゃないでしょうか。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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