2011年09月21日

直接の指導

書道を始めて2年以上が経ちました。

厳密にいえば、子供のころにやっていたので「再開」なわけですが、
まぁ、幼少期の経験は、あまり重要ではなかった気がします。

数年前(書道教室に通い始める前)の年賀状が出てきて、その中にあった
宛先不明で戻ってきた自分の書いた年賀状を見たときは
筆ペンで書かれたその文字にビックリしたものです。

…あまりにも無残だったので。


そう思うと、この2年と少しの間に、随分と技術がついてきたんだと実感します。

それは数年前のノートやメモ書きを見ても思います。
こっちは鉛筆やボールペンの字ですが、やはりバランスの取り方が違う。

サラサラッと殴り書きにしているので汚い文字であるのは同様なんですが、
その汚さの奥にある線の動きの流れや、全体の形には差があります。

書道は練習の積み重ねとしてやってきたものですから、
その成果は短期間の違いとして見にくいようですが
ある程度の時間をまとめて振り返ってみると変化に気づけるようです。


僕の習っている先生は、古典の臨書を徹底的にやらせます。

中には別の団体で師範を持っていたり、学校で書道を教える人もいるようですが、
どんな人でも練習の内容は同じです。

ある程度、「習字」をやってから、「書道」に移ります。

先生は、どうも「習字」と「書道」を使い分けている様子。
「習字」は、ただ形のバランスを整えるだけの綺麗な文字を書く練習。
「書道」は、線質にこだわり、紙の上で表現される白と黒の美しさを追求するもの。

そんな感じでしょうか。

「習字」の段階では、使う筆も紙も違います。
摩擦の量が少ない組み合わせを使うので、動作の主目的は
筆先の動きを安定させることになるように見えます。

なので、シンプルな動きが多い。
手首の高さを変えず、腕で平行移動させるようにして安定させる感じです。
まぁ、いわゆる「習字」の時間で習うようなイメージのままです。

全ての生徒は、最初の数カ月、この「習字」をやります。
「いろは」48文字を一通り練習するんですが、この時に書かれるお手本は
先生の中で「習字」モードになっているはずです。

とはいえ、当時の自分にとっては非常に難しく、しかも
小学校のときにやっていた方法と大きく違う書き方に戸惑っていたものですが。

そして、一通りの「習字」期間を終えると、徐々に「書道」モードに以降します。

先生のお手本は、古典的名作の臨書になると、完全に「書道」モードです。
色々と、生徒に合わせて細かい技術をお手本に込めてくれるようですが、
基本的には、先生の書き方の基準は「書道」レベルで統一されます。

(ちなみに、臨書の段階に入ると、生徒が苦手な筆運びを指導するために
 わざと、その部分を強調した形でお手本を書き、
 自然と苦手な筆使いを練習できるように工夫しているという話でした)

先生が臨書のお手本を「書道」で書いていたとしても、
それを練習する生徒が、いきなり「書道」になれるわけではありません。

筆運びに慣れてきた頃合いを見計らって、「習字」用の筆と紙の組み合わせから
徐々に「書道」用の道具へとオススメがなされます。

筆と紙のコミュニケーションが、より鋭敏に感じられる道具へとシフトするわけです。

そして、書き方のレベルで「書道」の筆使いを学んでいきます。
古典の臨書からは、この筆使いを学ぶことが重要だと言われます。

筆使いが上達してくると、表現できる線質にも幅が出てきます。
美しい線が書けるようになる。

といっても、どの線が美しいのかどうかを判別できるようになるためにも
ある程度の経験が必要になるわけですが。

で、色々なバリエーションで美しい線を追求し、筆使いを学ぶ段階に入っていくと
今度は更に、筆と紙、墨の組み合わせにも指示が出るようになる。

筆使いを学ぶために適切な道具から、「書道」の表現ができるようになるための
道具の組み合わせに移っていくわけです。

その後も、教室に通い続ける以上は、ずっと臨書を続けます。
練習は全て、先生のお手本を見て書くという形。
そこに込められた全てが学ぶ対象になります。


僕はといえば、職業的にも、個人的な特徴としても、
とにかく細かく注意を向ける性質がありますから
書道の学び方も詳細を追求してきました。

たぶん、他のどの生徒よりも細かい自信があります。

元々、僕が書道を始めた理由は『モデリング』を実践するためでしたから
始めたころから妥協なく模倣に励んできました。

書道は、紙の上に書かれた文字という結果を追求します。
お手本を元に学ぶとすると、その文字を模倣しようとするわけです。

ここで、どれぐらい細かく見られるかが差を生みます。

なんのことはありません、モノマネだと思ってもらえれば。
モノマネがどれぐらい似ているか、贋作が真作とどれだけ見分けがつかないか、
というのと同様に、模倣の作業においては細かさが重要です。

細かくないと、真似たつもりになっているだけで
自分が真似できていない部分に気づかなくなってしまう可能性があります。

それで自分だけが楽しめれば良いなら、細かい必要はありません。
しかし、世の中には違いに気づける人がいます。
その人たちの目は、ごまかせません。

見る目がある人たちからは、
「なんとなく違うんだよなぁ」と全体的な印象で違うことを指摘されるか
「ここが、元のものと、こんな風に違う」と詳細に指摘されることになるでしょう。

少なくとも、その道で活躍している人たちには、全体的な印象として
「名作」を見極められる眼力が養われているはずです。

上達するということは、その審美眼の中に結果を出していけるということ。

そのために、先生がいるんだと思います。

先生なしでも名品と自分のパフォーマンスとの違いに気づける人はいい。
そうでない場合には、違いを指導してもらい、修正していく必要があるわけです。

書道教室では、その添削が先生の腕として表れるんでしょう。
そして、自然と修正されていくような手本を書くのも、また腕の見せ所。

その意味でも、毎回の教室での先生のお手本書きは学びになります。


僕は、もちろん先生の動作を見ることに集中しています。

紙の上に書かれた文字を模倣するためには、
紙の上を進む筆の毛の動きを模倣する必要がある。

筆の毛の動きを模倣するためには、筆全体の動きを模倣する。
筆全体の動きを模倣するには、筆の動かし方を模倣する。
筆の動かし方を模倣するには、体の使い方を模倣する必要がある。

お手本を書いている姿を見られるのは、文字という結果だけでなく、
そこにいたる全てのプロセスを観察できる意味で、非常に勉強になるんです。

そして、コミュニケーションの専門家としての視点から先生の能力を見ると、
先生が書くときの状態には、周囲を巻き込む影響力があります。

影響力というのは、例えば、泣いている人がいると
その場の空気が全体的に悲しい感じになるようなものです。

その人が泣き始めると、全体が涙の渦に飲まれていくような
それだけの周囲への影響力を持った人というのがいるんです。

それは近くにいる側の感受性だけの問題ではありません。
感受性の高い人は、泣いている人が誰でも影響を受けて、涙を流します。

影響力が大きい人は、普段だったら泣いている人を見ても泣くことのないような
周りからの影響を受けにくい人でさえ、涙の渦に巻き込めるわけです。

なぜか、あの人がいるだけで、その場が明るくなるとか、
大観衆を引き付けるようなカリスマ性があるとか、
そういったものと近いと言えるでしょう。

で、先生の「書道」モードには、そういう影響力があるようです。

多分、他のどの生徒も気づいていないと思いますし、僕も指摘はしませんが、
先生の影響に生徒が巻き込まれていると解釈できるようなケースが多いんです。

先生はタバコを吸いますし、声が低い。
そのためかどうかは別にして、非常に多くの生徒が
先生にお手本を書いてもらっている間、隣に立っていると、咳きこみます。

不思議なぐらいです。
それまで一度も咳をしていなかった人が、先生の隣に来ると咳をし始める。
僕も、他の場所では咳をしていなかったのに、急に咳が止まらなくなったり。

もう1つは、腸の動き。
先生の近くに立つと、多くの生徒が空腹時の音を出します。
「ぐぅ〜、きゅるるるー」という音です。

離れて立ってる人からは聞こえません。
先生の近くに行くと、多くの人が空腹を感じるみたいです。

僕は、空腹であっても腸が動いて音をだすことは少ないほうですが、
なぜか先生の近くでお手本書きを見ていると、腸が動き始めるのが分かります。

不自然なぐらい誰もが、腸の活発な動きと、咳こむような喉の苦しさを感じる。
そんな空間があるんです。

それだけの影響力を持って書道をしている場に身を置くと、
筆の使い方や体の意識の向け方、動作の癖なども自然とうつるようです。

トランス状態だと学習が速やかになったり、癖が移りやすかったりするのと同様。

そこにもまた上達を促進させることのできる指導者としての才能があると思います。
直接習っているという経験そのものが学習を促進してくれるわけですから。


面白いと思ったのは、そうした中で、自分が自然に真似していた動作があったこと。

別の生徒のために、先生が筆の使い方を細かく解説していたことがありました。
それは僕が今まで聞いたことのない説明。

どうやら、その生徒が苦手な筆使いだったようで、
細かく解説する必要があったんでしょう。

僕にとっても、その説明は驚きでした。
「そうやってやるんだ!」と感心したのを覚えています。

「なんだ、教えてくれれば良いのに…」と少し損した気分とともに
次の練習のときに意識をしてみることにしました。

で、実際にその筆使いをやってみようと注意をむけたところ
全く意識することなく、筆は先生の解説通りに動いていました。

できるだけ先生の筆使いに関わる全ての動作を見ていたつもりでしたが、
その筆の動かし方の解説は、ちょうど見過ごしていた部分だったんです。
だから、言葉で説明されると新しい説明に思えた。

ところが、動作に注意がいかず見逃してしまっていた部分であっても、
その結果となる文字の線質を細かく模倣しようと努力していたことで
どうやら自然とその筆使いを身につけていたようなんです。

先生が解説をしなかったのは、僕の書いたものを見る限り
その筆使いができていると判断したからかもしれません。

最終結果として紙の上に書かれる文字。
その模倣を徹底的に追及していくことと、
達人の影響力が及ぶ空間で直接の指導を受けることを続けると、
意識的に模倣する以上に多くのことが学べるようです。


ビデオや動画には、何度でも繰り返して見られるメリットがあります。
スカイプを使えば、遠く離れた人から教わることもできます。

しかし、同じ空間の近い場所に身を置いて、直接指導を受けることには
一度きりの経験からでも多くの学びがなされていると実感します。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
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