2011年11月13日

逃げていたもの

誰しも好き嫌いがあるのは当然ですが、
 「なぜ、それが好きか」
 「なぜ、それが嫌いか」
というのはハッキリ答えにくいものだと思います。

環境要因で影響を受けることは多々あるでしょうが、
同じ環境にいても、それを好きにならない人だっているかもしれません。

例えば、僕の場合、祖父が害虫駆除の研究をしていたので
一時期、それなりに虫を取るのが好きだったことがあります。

同じく、祖父は切手集めを趣味にしていたので、
僕も切手に興味を持ったことがありました。

それには、当時の小学生の多くが興味を持った対象だった、という
別の環境要因も関係していると思います。

一方、同級生には電車が好きだった子も沢山いましたが
僕は全くと言っていいほど興味がありませんでした。

この辺りの違いは、その対象に触れる時間の差に関係しそうです。

祖父との関わりのおかげで、虫や切手は身近にあったけれども
我が家では電車との接点が少なかったということでしょう。


しかしながら、切手集めも昆虫採集も、僕にとって
長続きする興味の対象ではなかったようです。

環境要因だけでは、強い思い入れまでは結びつかないんだろうと思います。

実際、僕の父はカメラマンですから、我が家では写真が日常的でした。
母が書道の先生をしていた時期もあるので、墨の匂いも日常的。

しかし、僕の個人的な趣向に合ったのは、書道のほうだったようです。
今でも、写真よりは絵画のほうが好きですし、小さい頃から絵を描くのは好きでした。

これなどは、環境要因だけでは説明がつかないところでしょう。

なんとなく好きになるものや、嫌いになるものというのがある。

それが素養とか個性とか才能とか、
そういった個人的な生まれつきの特徴だとも考えられそうです。

思えば、環境的にはマンガに触れる機会は少なかったはずなのに
僕は今でもマンガは好きなほうだと思います。

理由は分からないけれども好きなもの。
ここに、その人らしさが強く表れているはずです。


で、個人的に最近感じ始めているのは、
嫌いなものにも何らかの個性が関係していそうだということです。

もちろん、嫌いな理由が「価値観に反するから」というケースも多々あります。

僕の場合は、社会問題を専門にするジャーナリストに嫌悪感を覚えることが多く、
その理由は、
「外野から問題を指摘するだけで、解決策を提案することも行動することもない」
という無責任な批判の姿勢が、僕の価値観に反するからだと思われます。

ここでは、ハッキリと理由があるんです。

人によっては理由があるか、ないかを自覚するのが難しいと思うかもしれませんが
「何かが大切にされていない」感じを伴った「嫌い」には、
自分自身の価値観が関係しているはずです。

その一方で、「なんとなく好き」に近い雰囲気で「なんとなく嫌い」というのもあります。

これが興味深いんです。

世の中には沢山の物事があります。
大半は、特定の個人にとって「どうでもいい」ことでしょう。
好きでも嫌いでもない。

僕にとってサッカーのワールドカップは興味ありませんし、
株や為替にも興味がありません。
ダンスにも興味がないし、小説にも興味がない。

写真も「好き」でも「嫌い」でもありません。

写真に関しては、幼少期から外出するたびに撮られていた上に
なんだかんだと撮影に注文が多かったために、
写真を撮られることは今でも苦手意識があります。

どうやら僕は、体質として一般よりも強い光に弱いらしく
まぶしいところで目を開けるのが非常に苦手なんです。

にもかかわらず、小さいころから写真撮影は太陽のほうを向いて
まぶしさを我慢しなければいけない苦痛の体験でした。
逆光で撮るなんてのは、我が家の記念撮影ではあり得なかったんです。

そういう苦い思いがあって、撮られるほうには苦手意識があっても
決して「嫌い」にはなっていません。
依然として、興味がないままです。

  (ちなみに、興味がないことを列挙するのは大変ですね。
   普段、意識をしていないだけに思いつきません。)

これらは決して嫌いなわけではないんです。
「好きでも嫌いでも、どちらでもない」ものです。

最近、ニュースになった「人間の脳の神経細胞は遺伝子改変されている」
という話題は、僕にとっては興味がありますが、
興味のない人にとっては意識にも上がらない話だったかもしれません。

世の中の大半は、興味を持つことすらないものだということです。

なのに、なぜか「嫌い」なものがある。
少なくとも、意識に上がるものだということです。
なぜか「嫌い」だということは、注意が向くものなわけです。


ここ最近、自分の過去を振り返ってみて、
 以前は「嫌い」だったり、避けようとしていたものを
 後になってから積極的に取り組む時期があった
ということを実感しています。

結構、そういうことが多いんです。

最近で一番顕著なのは英語です。

学校の授業として苦手だったわけではありません。
しかし、研究のために論文を読んだり、論文を書いたりするのに英語を使うのは
自分の中で大きな抵抗のある部分でした。

英語の学会に出席して発表を聞くことはあっても、
自分が英語で学会発表するというのは避けようとしていました。

うすうす「必要かも…」とは感じながらも、やらないようにしていた。

それに向き合うことを避けていたんです。
嫌いだったんです。

しかし、今、かなり力を入れて取り組もうとしています。

もう少し軽いところでも、幼稚園から小学校の頃に嫌いだったものを
自分から集中してやった時期があります。

小さい頃、僕はスイミングスクールに通わされていて、これが本当に嫌いでした。
泣きながら行くぐらい嫌いだったようです。

なのに、大学のある時期、毎日のようにプールで泳いだことがあります。

小学校、中学校、高校と、長距離走が大嫌いでした。
マラソン大会なんて地獄のようだったものです。

それが、大学のある時期から、毎晩走るようになりました。
スピードは速くなかったものの、絶対に嫌がっていた時間を走っていたんです。

小・中学校で嫌いだった音楽の授業も
社会人になってからピアノを買って練習したりするようになりました。
(苦手ではなかったんですが嫌いでした)

中学で嫌々やっていた野球も、大学の研究室でやったときは
楽しみで仕方ないほどに熱中していました。
毎晩マスコットバットを振って、スニーカーの靴底に穴が開いたぐらいです。


もっと大事なところでは、
人前で目立つことをするのが泣くほど嫌いだったのに
今ではセミナー講師の仕事をしていたり、
人と深く関わりたくなくて友達の少ない高校時代を送ったのに
今ではカウンセリングで人の人生に深く関与するようになったりもしています。

避けようとするほど嫌いだったものを、後になって自分からやっているみたいです。
これは僕だけの個人的な傾向かもしれません。

何かの準備ができたり、時期が来たりすると、向きあい始めるような感じがします。

しかも、避けようとしたり、嫌いだった度合いの高いものほど真剣さが高くなるようで。

音楽や野球は、嫌いの度合いが小さかったんですが、熱中した時期も短かった。
英語は徹底的に避けようとしていましたから、その分
今の動機づけは切実になっているように感じられます。

その意味で言うと、水泳は嫌いな度合いと、向きあった時期のバランスが悪い。
おそらく、またいつか、集中的に取り組む時がくるんじゃないかと予想しています。

また、常日頃から親に勧められていた格闘技は避けていたものの代表的な1つです。
中学校の柔道も、高校の剣道も、本当に嫌いでした。
そして、その後は二度としていません。

なのに、僕の晩年には格闘技をやりそうな予感がしています。
人間のことが色々と分かってきた頃に、心身の鍛練としてやりそうな雰囲気でしょうか。


なんていうことを考えていると、今、僕が避けようとしていることの中には
将来的に向き合う時が来るものもあるんじゃないかという気がしてきます。

ビジネス的な方向に進むときも来るかもしれません。

もしかすると、政治と関わるときも…。

法律や特許、会計などには興味がないのに、政治は嫌いなんです。
だからこそ、ひょっとすると…なんて。

まぁ、政治が嫌いなところには価値観が関わっている感じもあるので
その辺は定かではありませんが。

それにしても、嫌いだったことに面白さを見つけられるようになる経験そのものは
なかなか楽しいものじゃないでしょうか。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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