2012年02月27日

2種類のフレームとリフレーミング

「物事の考え方・受け取り方を変えましょう」という発想が
『リフレーミング』と呼ばれます。

物事の受け取り方を『フレーム』と呼んで、
そのフレームを変えるという意味で『リフレーミング』と。

こういう言い方をすると、何でもリフレーミングできると思う人もいるかもしれません。

実際には、技術を向上させれば何でもリフレーミングできますが、
どうしたらリフレーミングが上手くいくかという話は解説されにくいようです。

慣れればパッと思いつくようになるとか、相手のことを思っていれば降ってくるとか、
上手いリフレーミングのストックを集めておけばいいとか、色々言われますが
結局のところ、リフレーミングのメカニズムに触れていないので
何を狙えばいいかまでが説明されにくいわけです。

ちなみに、ストックを集めておくのだけはオススメです。
技術的に上手くできるということと、すぐに思いつけるというのは
依然として大きな隔たりがありますから。

『なぞかけ』でお馴染みの”ねづっち”も、上手過ぎるヤツは
過去に考えてストックされていたものだと思いますし、
練習を重ねていれば、ランダムなお題でも過去にやっていた可能性が上がります。
ストックがあるのは、そういう意味でも役立つわけです。


では、そのフレームをどう変えていくか、という話ですが
これはフレームを2種類に分類すると整理しやすいと思います。

リフレーミングを
 「内容のリフレーミング」と「状況のリフレーミング」
に分けるのとは違います。

フレームそのものが2回あると仮定すると、狙いやすくなります。

1つは今この瞬間、何かを体験するときに自動的に使われるフレーム。
パソコンを見れば「パソコン」と認識する。
「”パソコン”と書かれた文字」を見れば、「パ・ソ・コ・ン」の文字を認識し
同時に「パソコン」という単語を塊で認識し、その意味を呼び起こす。

猫を見れば「猫」として認識し、犬を見れば「犬」として認識する。

これは、ほぼ自動化されたプロセスになっているでしょう。

そして、その自動化は経験の頻度、つまり慣れによって決まります。
何度も経験して良く知っているものは、瞬間的・自動的に認識されるわけです。

それが慣れていないと、
「あれ、これは何だっけ?見たことあるけどなぁ…。何に使うんだっけか?」
といった感じになります。

それで思い出せれば「ああ、あれだ」と認識されますが
全く知らないものであれば見過ごされる場合すらあります。

例えば、僕は学生時代の分析化学の実験のときや、
研究職としてアミノ酸の濃度を正確に把握するときに
”メスフラスコ”を使っていました。
(メスフラスコが気になる方は検索してみてください。)

良く知っているものですから、見た瞬間に「あ、メスフラスコだ」と認識できます。
しかも、今どこかの机の上にメスフラスコがあるのを見たら
「あ、メスフラスコだ。なんでこんな場所にあるんだ?でも懐かしいなぁ」
なんて、当時の記憶を色々と思いだすことでしょう。

そんな風に、特定の認識には、それに関する記憶が沢山結びついているわけです。

ですから、その目的や仕組み、性質なども当然のこととして認識されます。

メスフラスコは、液体の体積を正確に合わせるためのガラス器具で
100mlだったら、100mlしか測れないように作られています。
その代わり、線まで液体を入れると、もっとも正確に100mlになるとされています。

そこに正確に10mlの液体を入れて、100mlの線まで水を足せば
正確に10倍希釈ができるわけです。

そういうガラス器具。

なので、絶対にブラシでゴシゴシと中を洗ってはいけないんです。
ガラスが削れて中の体積が変わってしまうから。
かといって洗浄が不十分だと、ガラスの内壁に水滴が残ってしまって
これも正確に使うことができなくなる。

メスフラスコを見れば、そんな知識も当然のこととして認識されます。

ですから、仮に誰かがメスフラスコをブラシでゴシゴシ洗っていたら
「いやいや!ちょっと待って!ダメだって、ブラシで洗っちゃ。」
という気持ちが沸いてくるでしょう。

自動的に、です。

そして、メスフラスコが置かれているべき場所も
化学の実験室のようなところを想像しますから、
仮にキッチンにでも置いてあったら「なんで、こんな場所にメスフラスコが?」
という気持ちも沸いてくるでしょう。

ところが、化学にあまり詳しくない人の場合は、違った反応になるはずです。

仮に、専門は物理だったけど学校では基礎実験として化学も少しやった、ぐらいなら
どこかの実験室にメスフラスコが置いてあるのを見ると
「あ、あれ学生時代に見たことあるなぁ。化学で使うんだっけ。名前は…何だっけか?
 なんか水を入れてシャカシャカ振ったのを覚えているけど…。」
みたいな反応になるかもしれません。

それで詳しい人に、
「あれはメスフラスコですよ。正確に希釈するときに使うヤツです」
なんて説明されると
「ああ、そうだった、そうだった。なんか神経質に水を入れたよ。メス…なんとかね。」
ぐらいには認識されるでしょう。

一方、これが化学とは馴染みのない人で、使ったこともない人であれば
メスフラスコを見ても、単なる「変わった形のガラス瓶」ぐらいにしか見えないでしょう。

正確に測れることも分かりませんし、その高額な値段も想像できないと思います。

メスフラスコがキッチンに置いてあったりしたら、
お酢やオリーブオイルを入れるオシャレな瓶か何かかと思うかもしれません。

つまり、
・経験によって馴染みがある物事は、体験した瞬間に自動的に認識され、
・経験したことはあっても馴染みが薄い場合には、認識に意識的な作業が求められ、
・経験したこともない場合には、そのものとして認識することもできない、
というわけです。


こうした認識に使われているものが『フレーム』です。

体験の典型的な内容が整理されていて、それに当てはまるかどうかで分類するんです。

馴染みがある場合には、目や耳に少しでも入った瞬間に
そのフレームが引っ張り出されて使われ、”そのもの”として認識される、と。
だから自動的なんです。

また、それには状況も依存します。
同じメスフラスコでも、実験室にあるのとキッチンにあるのでは
認識のされ方が変わる場合がある、ということです。

馴染みの薄い人でも、実験室でメスフラスコを見かければ
「ああ、化学の実験で使ったヤツだ」と思いやすいでしょうが、
キッチンで見れば「オシャレな瓶だなぁ」と思うかもしれません。

状況から使われやすいフレームを予測しつつ、
当てはまりそうな”もの”が出てきたら、自動的に、そのフレームを引っ張り出して
その”もの”として認識するわけです。

ですから、犬が恐い人であれば、道を歩いているときには常に
「犬と出会う」可能性を予測しつつ、犬が目に入った瞬間に「犬のフレーム」を使い
「犬だ」と認識して恐怖感を呼び起こすことになります。

あるいは、「道にはお金が落ちている」と思っている人は
街中を歩いているときには、「地面にお金がある」可能性を予測しています。
その結果、お金と似たものに対しても「お金のフレーム」を使って
「お金だ」と認識することになり、結果的に
ビール瓶のフタを100円玉と勘違いするかもしれません。

使われやすいフレームがあって、そのフレームが立ち上がる瞬間は
本人の意思とは無関係に、自動的に起こるんです。

ですから、犬が恐い人の「犬のフレーム」は
本人の意思とは関係なく、常に出てきやすい状態になっていると言えます。

しかも、その犬のフレームが使われた瞬間に、それが実際には犬でなかったとしても
犬にまつわる恐怖の体験の記憶が呼び起こされ、恐怖感を味わってしまうわけです。

ここには本人の意識的な努力が介入できる余地は少ないんです。


さらに、フレームによる意味づけは、過去の体験によって歪められています。

ニュートラルな印象の体験しかしていないものは歪みが少ないですが、
ポジティブな体験を重ねてきた対象のフレームはポジティブに強調され
ネガティブな体験を重ねてきた対象のフレームはネガティブに歪むんです。

例えば、ネズミが嫌いな人は
汚らしくて暗闇で目が光っているようなイメージを典型的なネズミとして捉え
実際のネズミを見たときにも、そのフレームに当てはめて「ネズミ」を認識するでしょう。

その結果、ネズミに対してネガティブな印象を、自動的に体験してしまいます。

逆に、ハムスターを飼っていたとかで、ネズミにも可愛らしい印象を持つ人は
チョロチョロと動いて、フサフサした毛並みの明るいイメージを典型的なネズミと捉え、
庭先でネズミを見かけたときでも、そのフレームに当てはめて「ネズミ」と認識する。

ポジティブな印象を同時に感じるために準備されたフレームがある、というわけです。

このように歪んだフレームを既に持ってしまっていて、
しかも、それが自動的に使われるようになっている。
…これが「受け取り方」の違いそのものだと言えます。

人それぞれの歪んだフレームが自動的に使われる癖がついているのですから、
このフレームを変える作業は、本人が意識的にやるのは簡単ではありません。

つまり発想を変えるだけでは、こうした物事の捉え方は
リフレーミングするのが難しい、ということです。


これが1つ目のフレーム。
物事を認識するときに自動的に使われるフレームです。

これをリフレーミングするのには、技術が求められます。
その技術を上達させられれば、地道にチョットずつ馴らしていくようなことをしなくても
苦手なものを違った受け取り方にできるようになります。

ですが、そこには技術が求められるので、単純に
「物の考え方のせいで問題になっているから、考えを変えれば良いんだ」
なんて言える話ではありません。

ですから、
「犬が嫌いなの?あんなにカワイイのに?怖いと思うから犬も警戒するんだよ。
 考え方次第だって。犬が寄ってくるのは、襲おうとしているんじゃないんだよ。
 可愛がってもらいたいから、近寄ってくるんだってば。
 そう考えれば怖くないでしょ?考え方を変えてごらんよ」
なんてリフレーミングを試みても、まず上手くいかないでしょう。

ネガティブな印象に歪んだイメージのフレームに当てはめるのが
自動的になってしまっているわけですから。

一方で、もう1つのフレームとして
「体験の仕方に対する受け取り方」があります。

こちらはメタレベルの認識といっても良いでしょう。

リアルタイムに起きている体験の内容ではなくて、
その体験をしている(もしくは、その体験をした)自分を客観的に捉えて
それに意味づけをするときに使われるフレームです。

例えば、「私は犬を見ると、逃げ出したくなる」というのは
自分が繰り返している体験のパターンです。
この時点では、その体験パターンに特定の意味づけはしていません。

これを
「犬が苦手なんて、そんなことでは社会人失格だ」
と捉えたら、その人にとって問題になります。

逆に
「犬が苦手なんて、自分にも人間らしい欠点があるもんだ。
 イメージのギャップがあるのも、また魅力かもしれない」
と捉えたら、もはや問題ではなく、

また特定の1つの出来事に対しても、意味づけがなされます。

「今朝、犬にオシッコをかけられた」という出来事があったときに
「うわぁ、最悪だよ。ついてないなぁ。クリーニングに出さなきゃ…」
と解釈すれば、嫌な体験として認識されます。

ですが、同じ「犬にオシッコをかけられた」体験も
「えー!ホントに、こんなことってあるんだ!マンガの話じゃないんだ。
 今度、これ、飲み会で皆に話そう!ネタが1つ出来たぞ。」
と解釈すれば、笑い話として認識されます。

いずれにせよ、その体験をしている最中のリアルタイムな体験そのものではなく、
その体験を自分自身で客観的に評価するときの視点ということです。

このように、自分の体験を自分自身で眺めて、それに意味を与えていく作業は
客観的な度合いが高いのと同時に、「自分が考えている」度合いが高い分、
考え方や気分の持ちようで、意識的に変えていくことがしやすいと言えます。

言い換えれば、意図的にリフレーミングしやすいんです。

もちろん、こうした体験への意味づけのフレームも、
自動的に使いやすくなっていることがありますが、
こちらのほうが「受け取り方を変えよう」と意識することでコントロールしやすいはずです。

なので、一般に良く使われるリフレーミングは
こちらのパターンになっていると思われます。


1つ目のフレームにアプローチするリフレーミングは、
問題となる行動や反応のパターンを生み出す「物事の歪んだ受け取り方」を
別の歪みに変えたり、歪みを減らしたりする方法となります。

その結果、問題となっていた行動や反応のパターンが無くなります。
解決されるわけです。

2つ目のフレーム、つまり「体験に対する解釈としての受け取り方」を
リフレーミングしていく場合には、1つ目のフレームは変わらず残りますから
問題となる行動や反応のパターンには(あまり)変化がありません。

ですが、結果としては「問題が気にならなくなる」ことが起きます。

起きる結果が違うんですから、狙いも違う必要があります。

アプローチしているフレームが2種類あることを分かっていれば
どちらに対してアプローチするかが区別できます。

それぞれのフレームに対するアプローチは方法も違いますから、
工夫の仕方も違ってくるわけです。

すると、1つ目のフレームに対してリフレーミングしようとして
2つ目のフレームに効果的な方法を使ってしまうようなことは起こりません。

やってみたけど効果が無かった、ということが減らせるんです。

これは単純に、自分の能力だけの問題ではありません。

効果的でないリフレーミングをされた側の気持ちにも影響します。

十分に共感してもらったと感じていれば
リフレーミングに効果が無かったとしても
「この人は自分のためを思って色々と考えてくれた」と感じられるでしょうが、
共感も不十分なままで、納得できないリフレーミングでもされようものなら
「この人は自分の気持ちなんて分かってくれない」と思ってしまうでしょう。

使い分けができるようになれば、技術を磨いて対処できることも増えます。

しかし、その前の段階として
技術の使い方を勘違いして、ゴッチャにしてしまって
相手を不快にさせることも減らせるんです。

思い悩み、苦しんでいる人を
わざわざ更に不快にする必要はないと思います。

整理して理解することのメリットには
相手を必要以上に傷つけないという部分も含まれているはずなんです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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