2012年03月03日

心理学とサイエンス

なんとも、ますます心理学が嫌いになっていきます。
「受け入れがたい」なんていう言葉では相応しくない感じです。

不快感をマネジメントしながら心理学を勉強しているんですから
自分は一体、何をしているんだろう?という気もしなくはありません。

まぁ、逆にいえば、
 心理学の中でも嫌いな分野と、そうでない分野があるのが見えてきた
ということかもしれませんが。

やっぱり僕の中にはサイエンスに対する思い入れがあって
数字を使うことでサイエンスっぽさを出している感じが嫌なんだと思います。

もちろん、全てが嫌なわけではなくて、
実験や統計的調査をしているようにしながら
それが成り立っていないものを見るとガッカリするようです。

個人的には、統計的なデータで何かを理解しようとするより
人間の直観のほうが正確なことが沢山あると思っていますし。
特に、人を理解するときには、その傾向が高いと感じます。


特に、僕が”嫌い”なタイプの実験は
「人間とは、こういう性質のものだ」と仮説を立てて
それを実験と称した作業で当てはまる人数を数え、
「ほら、やっぱり!」みたいなことをするヤツです。

例えば、簡単な算数の問題を出して三択で答えを選ばせる。
それで一人だけで問題を解かせると、ほとんどの人が正解するのに、
サクラを大勢用意して、そのうちの8割ぐらいが不正解の答えを選ぶのを見ると
自分の答えを疑って、わざわざ集団と同じ不正解を選んでしまう。

…そういうのを実際に人を集めて、やらせてみて
どれぐらいの割合いの人が「周囲に影響されるか」を調べるようなヤツです。

で、7割ぐらいの人が不正解を選ぶようになったとしたら
「人間は、大多数の人が同じ選択をすると、
 自分の考えよりも、周りに合わせようとする」
みたいな結論を出すわけです。

知ってますよ、そんなの。
ほとんどの人が自分で経験していると思います。

ある人が「人間って、こういう傾向があるんじゃないか?」って思うことは
多くの人が、わざわざ言葉にしていないだけで、経験的には実感していることでしょう。

それを実際に調べて、数を数えて、心理学的データとして発表する。

それが好きな人は、ご自由にやったら良いと思いますが、
僕は好きではないし、意味がある気がしないので、やらないと思います。


そもそも、こういうタイプの調査というのは
何も説明していないんです。

「あるあるネタ」とまで言ったら失礼でしょうけど、
科学的に説明するということは、本来、別のレベルで記述して意味を持つものです。

物理は、運動や力などを数学で記述しています。
化学は、物質の性質や変化を化学式で記述しています。

そして、こうやって別のレベルで記述できるからこそ、
サイエンスの各分野には、お互いに重なり合う部分があって
サイエンス全体として矛盾を含まずに説明ができているわけです。

例えば、化学から原子をさらに細かく見ていくと、そこには量子力学が表れます。
量子力学は素粒子物理とも繋がりますし、何より
数学を使って力を説明している点で物理でもあるんです。
つまり、化学と物理の間は、粒子を細かく見たときに、量子力学で接点を持つんです。

また、細胞の中身を調べていけば、それは分子という化学の用語で記述できます。
分子生物学は、生物と化学の接点になっている、ということです。

金属やプラスチック、セラミックは素材として見れば化学の分野ですが
それを何かの材料として使うことを考えたときには力学で説明することになります。

サイエンスは、この世にある物を、どうやって説明するかの違いであって
1つの体系的な説明の仕方になっているわけです。

だからこそ、違うレベルで「そこにある仕組み」を説明することで
「何が起きているか」を説明したことになるんです。

「ダシの染み込んだ大根の”おでん”は美味しいですね」っていうことも
どうやって説明するかによって、化学にも物理にも生物にもなりえるんです。
それが説明のレベルの違い、ということです。


一方、先ほど例に挙げたような心理学の説明は
記述のレベルが変わっていません。
言い換えただけ。

仕組みに関しては、一切触れていません。
「 How 」が無いんです。

専門的にいうと、「定性的」な説明を、「定量的」な説明に言い換えただけ。

「定性的」というのは、性質を説明しているだけで、量には触れていないこと。
「定量的」というのは、きちんと量を測っていること。

「定性的」な説明を、「定量的」な説明にするというのは、
「ミカンが沢山あります」っていうのを「ミカンが100個あります」
って言い換えたのと大差ないんです。

「一人で考えれば簡単な問題なのに、
 周りの大勢が間違った答えを選ぶのを見ていると
 ほとんどの人は、間違った答えを選ぶようになる」
…ここには数字が無いですから、「定性的」。

これを実際に”実験”をして人数を数えると
「一人で考えれば98%が正解する問題なのに、
 30人の集団の中で、24人のサクラが間違った答えを選ぶのを見ていると
 70%の被験者が、サクラが選んだのと同じ間違った答えを選ぶ」
となります。
これが「定量的」に言ったということ。

経験的に知っていることは「定性的」な知識です。
それを実際に測って、「定量的」にしている作業なんです。

だから、「ミカンが沢山ある」っていうのを、実際に何個あるか数えてみて
「ミカンが100個ある」って言っているのと同じだ、というわけです。

まして、この説明から、さらに一般化して
「だから、人は周囲に影響されやすい」と結論づけるのは
もっと無理があります。

「人は周囲に影響されやすい」は、誰しもが体験的に知っていることですが、
”実験”のケースで調べた内容は、「人は周囲に影響されやすい」の一例に過ぎません。

例外だってあるかもしれないので、その一般化が正しいかどうかについては
全く検証がなされていないとも言えます。


また、定量的に説明すること自体に意味がある場合も、もちろんあります。

例えば、目で見て数えられないようなものは
計測できるように何かしらの装置を使うことになりますから、
そうした計測技術は重要になります。

例えば、最近話題の放射能は、目で見ても分かりませんから
放射線を測定する装置が意味を持つわけです。

もう1つは、定量的に測った結果を、何かに使う場面です。
測った数字そのものが、比較のために使えるから役に立つんです。

放射能を測りました。
何シーベルトです。
…だけでは意味がありません。

危険なレベルの放射線量が数値として分かっているから、
それと比較して「安全かどうか」を判断するのに使えるんです。

ミカンが100個ある、というのも
それが八百屋の在庫なのか、残りの全食料なのかによって意味が違います。

一年間でミカンを100個食べるとしても、
それを地域ごとに比較するとか、時代や年代によって比較するとか、
そういう形で数字そのものを比較材料に使うから、定量化に意味が生まれるわけです。

つまり、数字になるように測るのは、
「その数字の違いに、何かしらの意味を考えるため」
と言えると思います。

ですから、
「8割のサクラが間違った答えを選ぶのを見ると
 70%の被験者が、同じ答えを選んで間違える」
というのも、
5歳児と、20代と、70代とかで比較をしている場合には
その違いを生むものを考えるための”材料”として意味が出てきます。

ここまでくると
「ミカンが100個ありました。次の日には95個になっていました。」
っていう状態です。

この数字の違いを、何かに利用して初めて意味が出てくるんです。

どういう理由で減ったのかを説明しても良いでしょうし、
いつも一日で5個減るのであれば、何個用意する必要があるかを考えても良い。

数値化するのは、あくまで、それを使う目的があるからだと思います。


ただ数字になるように数えただけでは意味がないと僕は思うんです。
少なくとも、サイエンスでは、それはしないと思います。

別のレベルで記述できるようにしていくか、
その数字そのものを実際の場面に応用していくか。
そういう用途が出てくるはずです。

何かを調べるなら、その数字が応用できるだけの意味を持つか、
そこで何が起きているかを別のレベルで説明するか、
どちらかをやるのがサイエンスのスタンスじゃないかと僕は考えます。

「それでも良いんだ、現実に心理学は文系だから」
という見方もあるのかもしれません。

ですが、そこを開き直ってしまったら
いつまでたっても人の心はサイエンスで説明できないままです。

もちろん、人の心は科学で説明していいほど単純じゃないかもしれません。

そういう思いで人の心と向き合っていきたいのなら、
サイエンスのスタンスを捨てるのも1つの選択でしょう。

ただ、そこまで人の心を理解したいのであれば、
心理学を勉強するよりも、沢山の人と真剣に関わったほうが良いと思います。

僕は個人的に、
 人の心がサイエンスで説明できるようになって、
 だからこそ一人ひとりと真剣に向き合いたくなる
…そういう方向に進んで欲しいと願っています。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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