2012年05月04日

利用的アプローチ

催眠療法家、ミルトン・エリクソンの業績は数多く知られていますが、
弟子たちによると、主要な業績として2つの技術があるそうです。

1つは『ちりばめ技法』。
もう1つは『ユーティライゼーション』。

『ユーティライゼーション』とは、”利用”という意味。
相手が出している反応は何でも”利用”しよう、ということだと説明されます。

『ちりばめ技法』のほうは、クライアントから引き出したい状態を
関連するキーワードとして言葉の中に”ちりばめ”ていく方法です。

『ちりばめ技法』は、まぁ、特定の状態を効果的に引き出して、
クライアントの通常の場面や、問題の状況に織り込んでいく意図でしょうから
特に誤解が生まれたりはしにくいところだろうと思います。

一方、『ユーティライゼーション』のほうは、
まず、そもそもエリクソン自身が、この呼び方をしていたかどうかさえ
僕には分かりません。

つまり、1つの可能性として、エリクソンは何かを『利用』しようなんて
考えていたわけではなく、ただクライアントに合わせていただけで、
それを周りから見ていた人たちが「見事に”利用”している」と解釈した…
そういうところもあるかもしれません。

というのは、僕が知っているエリクソンの有名な『ユーティライゼーション』の話は
僕から見ると「ただ、クライアントの色々な側面にペーシングしているだけ」
とも感じられるからです。

また、『ユーティライゼーション』という発想をエリクソン自身が語っていたとしても、
エリクソンが「何のために」それを”利用”していたかは
あまり明言されていないと思うんです。

そのあたりに混同されやすい部分があるんじゃないか、と。


懸念される『ユーティライゼーション』の捉え方は、
 ”自分”の期待する方向へ相手が進んでくれるように
 相手の反応を「利用」して方向づけをする、
というものです。

言い換えるなら、
 相手の進む方向を”自分”がコントロールしようとする前提があって、
 場合によっては相手がそれに”抵抗”を示すので、その”抵抗”の力を「利用」する、
とも説明できます。

つまり、相手の反応の仕方を上手く「利用」してやれば、
自分の期待するほうへ導いていくことができる、コントロールできる、
という発想です。

確かに、エリクソンは相手の反応を利用して
それをエリクソンの期待するほうへ導くための力にしていたと言えます。

ただし、エリクソンとクライアントとの関係性には重要な前提があります。
クライアントは、「良くなる」ためにエリクソンのところに来ているんです。
エリクソンもクライアントを「良くする」ことを期待してセラピーをする。

両者の最終的なゴールは一致しているんです。
最終的に向かっていく方向性は同じなんです。

しかしながら、セラピーの場面では、クライアントがそのままストレートに
良くなっていく方向に進んでいくということは少ないものです。
だから問題を抱えているとも言えます。

クライアントの気持ちの中には、良くなりたい部分もあるし、
同時に、今までの現状に留まっていた部分もある。
大雑把には、「進みたい」側と、「進みたくない」側があるわけです。

催眠療法を受けに来ているのですから、
「トランスに入ることを受け入れている」部分もある。
同時に、今までの症状の状態を続けて、「トランスに入ろうとしない」部分もある。

例えば、強迫的な発想があって、一般的な催眠誘導のプロセスを
受けいれたがらないクライアントの話が出てきます。

そこで、「催眠とは、こうやってやるものだ」という発想のもと、
セラピスト側の都合で、決まったやり方を強制しようとすれば、
クライアントは当然、それに従わないことになります。

自分のコダワリのやり方を続けたい側の気持ちが強いからです。

で、これを分析する立場から見れば、「クライアントが”抵抗”している」と捉えられる、と。

それに対してエリクソンは、相手の強迫的な発想を”利用”します。
相手のやりたいことを続けさせるように指示をしながら、
それを続けていると徐々にトランスに入っていくように働きかけるわけです。

このプロセスが、「クライアントの”抵抗”を”利用”してトランスに入れた」と解釈されます。

ですが、本質的には、クライアントの中に
エリクソンのセッションを受けたい側の気持ちもあるはずです。

ただ、その気持ちが前面に表れて、その方向に安心して進めるようになるまでに、
まず先に「自分のコダワリを続けたい」側の気持ちが優先していた。

だから、そっちの気持ちにペースを合わせてやって、
それから「トランスに入って、良くなっていきたい」側に導いていった。

そういう風にも説明できると思うんです。

つまり、『ユーティライゼーション』がどうとかではなくて、
クライアントの中にある色々な気持ちに全てペーシングしていただけ、
という理解の仕方です。


もしかすると「結果的に同じになるなら、どういう説明でも構わない」
という考え方もあるかもしれません。

ですが、解釈が変わると、それを使おうとする人の行動には
違った結果が生まれることになります。

”結果的に同じ”じゃないんです。

そのポイントが、
 エリクソンは、クライアントの望む方向に導いていた
というところです。

エリクソンが”自分”で期待している方向と、
クライアントの気持ちの一部が期待している方向が
一致しているんです。

その方向に進みたがらないように見える部分があったとしても、
セラピーの文脈では、最終的に期待される方向は一致しているわけです。

クライアントは良くなりたいし、エリクソンも良くなるほうに導きたい、と。

特に、エリクソンの人間観には、「人として生きるなら、これが望ましい」といった
一般論としての望ましい方向もあったようですから、
明らかにクライアントに対して介入的に導くこともあったはずです。

それでも、人間として(生物として)の本能的な欲求のレベルでは
クライアントの一部が望んでいる方向だとは言えるでしょう。

ですから、エリクソンはクライアントの望む方向に導いていたと考えられるわけです。

言い換えるなら、エリクソンは何も自分の好き勝手に
クライアントをコントロールしていたのではない、ということです。


一方、そうしたエリクソンの対応を『ユーティライゼーション』という言葉で理解すると、
その言葉尻のイメージや、事例の解釈の仕方によっては、
「エリクソンがクライアントを見事に導いていた」という部分に光が当たってしまいます。

結果として、
 相手の反応を”利用”すれば、相手を導くことができる
という考え方だけが採用されることになりかねません。

そこには、「どの方向へ」導くか、という重要な要素が抜け落ちてしまっているわけです。

すると、相手をコントロールしようとする人にも
『ユーティライゼーション』の考え方は、格好の材料になるでしょう。

「クライアントの”抵抗”」という発想の裏にも、
相手を変えようとする『コントロール』の欲求が覗えます。

変えようとする。コントロールしようとする。
でも相手が、それに従わない。
「これは”抵抗”だ。相手が”抵抗”しているんだ。」と考える。
…そんな流れです。

そして、そこに『ユーティライゼーション』が繋がりかねないんです。

変えようとする。
相手が従わない。
「これは”抵抗”だ!」
「そうだ、これを”ユーティライゼーション”しよう」
 (そうすれば、こちらの望む方向にコントロールできる)
…という具合に。

クライアントが望んでいない変化を、セラピスト側の判断基準で強制する。
その傾向とも『ユーティライゼーション』の考え方そのものは
共存できてしまうかもしれません。

そこには危ないところが多々ある気がします。


まぁ、そうは言っても、セラピーをしようという人は
ベースとして「良かれと思って」やっているところがあるはずです。
結果的にクライアントを苦しめることになったとしても。

僕は、セラピストの思慮不足でクライアントが必要以上に苦しむのは大嫌いですから、
今もこうやって『ユーティライゼーション』という偉大な手法に対してさえ
用心深く理解しておこうとしています。

それでも、回り道をして余計な苦しみを負わせた場合にも
「良かれと思って」のところがあるのは見ているつもりです。

ところが、です。

『ユーティライゼーション』の発想自体は、セラピーの文脈から離れて
あらゆる状況で使える技術のように一人歩きしかねないんです。

例えば、セールスマンが自分の商品を買ってもらおうというときとか、
部下を思い通りに動かそうというときとか、
気になるあの人の気を引こうというときとか。

相手の期待している方向とは無関係に、
”自分”の期待している方向に相手を導くために
『ユーティライゼーション』を使おうとするケースもあり得るわけです。

相手が望んでいない方向に、自分の都合でコントロールして進めようとする。
当然、相手は進みたくないですから”抵抗”します。
そこで、その”抵抗”を『ユーティライゼーション』する、と。

「相手の反応を”利用して”、期待する方向へ進める」だけの理解だと、
このように相手を操作するような『ユーティライゼーション』も生まれてしまうでしょう。

これはエリクソンのやっていたことと違います。

エリクソンは、”自分も、相手も”期待している、同じ方向に進めていた。
『ユーティライゼーション』という言葉から理解されるものには、
この部分が抜け落ちてしまうリスクがあると思うんです。

『ユーティライゼーション』という理解の仕方で眺めている人たちの中には、
”抵抗”や”操作”、”コントロール”、”〜させる(使役動詞)”…などの発想を
『ユーティライゼーション』の周りに関連づける場合があるような気がします。

”利用”と言っても、”ユーティライゼーション”と言っても、
どこか「自分目線」の印象が含まれるように感じられます。

自分が主体で、相手の反応を見て、それを扱っていく。
中心には自分がいる感じがします。

それに対して、「ペーシング」と言った場合には、
相手が何を体験しているか、相手が何を感じているかが主体になる。

その辺りにも違いがあると思います。

その意味では、
『相手の全ての気持ちにペーシングする』
と呼んだほうが、安全なんじゃないでしょうか。

クライアントの気持ちの色々な部分に合わせていって、
最終的には、クライアントの本質的な動機、つまり「良くなりたい」という気持ちに
ペースを合わせながら進めていく。
…それが「クライアントの反応を”利用”している」ように見えたんじゃないかと思うんです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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