2012年06月09日
文化と価値観
コーチングや自己啓発系で使われることが多いんですが、
『人生の輪』というのをやったことのある方は、どれぐらいいるでしょうか?
人生を8つの領域に分けて
・仕事・キャリア
・お金・経済
・健康
・家族・パートナー・恋人
・人間関係・友人・知人
・学び・自己啓発
・遊び・余暇
・物理的環境
のそれぞれに対して、自己採点をする、と。
それで、その点数を見ながら自分の人生について考えてみましょう
というわけです。
人によっては、その点数を見ながら現状に感謝するでしょうし、
人によっては、もっと点数を上げたいと意欲が沸くところもあるでしょう。
また、場合によっては、「ここは、ないがしろにしていたなぁ」なんて
反省して気持ちに変化があるかもしれません。
そういう自分を整理するための観点として、8つの項目を使うわけです。
ちなみに、円を8等分して、それぞれ軸上に8つの項目を書いて
点数に相当する位置を線で結んでいくことでレーダーグラフができます。
その歪んだ円形が『人生の輪』と呼ばれる所以なんでしょう。
ですが、おそらく、この発想もアメリカからの輸入製品だと思います。
この8つが人生で重要だなんて誰が決めたのか?
一般的にアメリカ人は大事だと考える分野なんでしょう。
別に「遊び、余暇」とか「物理的環境」なんてどうでもいい、
という人だっているかもしれません。
例えば、日本には伝統工芸の職人で人間国宝のような人もいますが、
そういう人たちにとって、この8つの分野は、そもそも同じ重要度ではないはずです。
仕事に対する比率が高い可能性があります。
また、主婦として家事や子育てに忙しい人にとって
「仕事・キャリア」という項目は、手放すことを選択した分野かもしれませんし、
別の人にとっては、そもそも気にしてすらいない分野かもしれないわけです。
確かに、一般的に人生の局面を広げてみていけば
この8つの分野は大切に捉えられることの多い分野でしょう。
占いであれば、悩みの分野は「仕事」、「夢」、「健康」、「人間関係」
のどれかに当てはまるなんて、コールドリーディングでは考えますから。
推測ですが、アメリカの自己啓発に来るような人たちは
この分野を全部高めたい欲求があるんじゃないでしょうか。
あくまで傾向として、ですが。
例えば、アメリカ文化では、どんなに仕事が上手くいっていても、
家庭が上手くいっていなければ問題があると考える価値観があるようです。
職場に家族の写真が置いてあるとか、定時に家に帰って
家族と一緒の時間を大切にするとか、週末は家族と過ごす、とか。
日本に来ている野球選手が、オフシーズンは家族のために過ごす
という話はスポーツニュースなどで良く耳にします。
遊びや余暇で楽しみを見つけると良い、というのも、
文化に根づいた価値観の1つじゃないでしょうか。
友人と楽しい時間を過ごす、なんていうのも
過剰に外向的であることを求めているアメリカ文化の一側面だと思います。
場合によっては、一人で楽しむ趣味を持っているのだとしたら、
趣味を充実させるほど、友人や知人との交流は薄れるかもしれません。
この8分野を1つの基準としていることが、そもそも
文化に根づいた特定の価値観のヒエラルキーを反映していると思うんです。
つまり、アメリカ文化においては、
「人生の幅広い側面において充実していることが”成功”だ」
というような意味です。
あまり片寄っていることが良しとされない文化的価値観があるように感じます。
例えば、大学の入試基準でも日本のように試験成績だけでは決まらない、とか。
スポーツやボランティア、社会・文化活動、人間性、社交性など、学業成績以外も
バランス良く”優秀”とされる人が、入試で選抜されるらしいですから。
日本は、試験や職業ですら、むしろ逆です。
テストの点数だけで、他人の人生に大きく影響する職種の資格が判別されたり、
大学であれば「一芸入試」なんていうのさえあります。
「一芸に秀でていて、その道では超一流」というのが
日本では高く評価されるような文化背景があるように思えます。
そうした背景の差を考慮することなく
『8つの人生の側面で満足度を測る』という発想を
そのまま取り入れるのは、僕には疑問があります。
もし、そうした吟味をしたいのであれば
もっと無作為に選べるように価値観の項目を沢山用意しておいて、
まず、そこから10個ぐらい重要度の順位づけをして、
次に、それぞれに対する満足度を評価していく
というのが良いんじゃないかと思います。
まぁ、それでも実際には、評価は主観的になされますから、
「何パーセント満足か?」という質問に対する答え自体に
その人の価値基準が反映されているとも言えます。
なので、そもそも重視していない分野は、他人と比べたら低く評価されそうでも
本人の中では高い満足度をつける可能性があります。
だから、それほどリスクは大きくなく、
個人個人が自分に都合よくアレンジしながら解釈してくれる
というのが実情でしょう。
ツールがどうこう…よりも、本人が自分に都合よく使ってくれているので
文化的背景の違いが、それほど気にならないで済んでいる、ということです。
例えば、
「毎日なんの痛みも不快感も無く、体調万全で快適な体の状態が100%」
という人もいれば、
「あのときの苦しかった状態に比べたら、こうやって生活ができているだけで100%」
という人もいる。
「自分にとっては仕事が全てだから、遊びの時間がなくても気にならない。
だから、「遊び・余暇」は実際には何もないけど100点」
そんな風に言える人もいるかもしれません。
だから、そもそも重視していない分野に関しては
評価のための基準が低くなっていて、あまり意識に上がらない可能性もある、と。
そういう許容範囲があることで、誰がやっても、あまり問題なく使えている気がします。
ですが、それは同時に、やっている本人が気づかないうちに
「そうか…、遊びや環境も大事だよなぁ…」
なんて価値観の優先順位に影響を与えている可能性もあります。
はたして、それは無自覚なままでやって良いことなのでしょうか?
僕には抵抗があります。
むしろ個人的には、
『どういう風に生きてきたから、この価値観を重視しているのか?』
という形で自分を見つめていくほうが
ずっと、自分にとって本当に大事なことに気づけると思います。
世の中には、役に立つ手法が沢山あります。
しかし、「どのように役に立っているのか」というメカニズムを理解せずに
闇雲に使っていくのは、危険場合もあるかもしれません。
誰かに役に立つ方法が、別の人にも役立つとは限らないわけですから。
『人生の輪』というのをやったことのある方は、どれぐらいいるでしょうか?
人生を8つの領域に分けて
・仕事・キャリア
・お金・経済
・健康
・家族・パートナー・恋人
・人間関係・友人・知人
・学び・自己啓発
・遊び・余暇
・物理的環境
のそれぞれに対して、自己採点をする、と。
それで、その点数を見ながら自分の人生について考えてみましょう
というわけです。
人によっては、その点数を見ながら現状に感謝するでしょうし、
人によっては、もっと点数を上げたいと意欲が沸くところもあるでしょう。
また、場合によっては、「ここは、ないがしろにしていたなぁ」なんて
反省して気持ちに変化があるかもしれません。
そういう自分を整理するための観点として、8つの項目を使うわけです。
ちなみに、円を8等分して、それぞれ軸上に8つの項目を書いて
点数に相当する位置を線で結んでいくことでレーダーグラフができます。
その歪んだ円形が『人生の輪』と呼ばれる所以なんでしょう。
ですが、おそらく、この発想もアメリカからの輸入製品だと思います。
この8つが人生で重要だなんて誰が決めたのか?
一般的にアメリカ人は大事だと考える分野なんでしょう。
別に「遊び、余暇」とか「物理的環境」なんてどうでもいい、
という人だっているかもしれません。
例えば、日本には伝統工芸の職人で人間国宝のような人もいますが、
そういう人たちにとって、この8つの分野は、そもそも同じ重要度ではないはずです。
仕事に対する比率が高い可能性があります。
また、主婦として家事や子育てに忙しい人にとって
「仕事・キャリア」という項目は、手放すことを選択した分野かもしれませんし、
別の人にとっては、そもそも気にしてすらいない分野かもしれないわけです。
確かに、一般的に人生の局面を広げてみていけば
この8つの分野は大切に捉えられることの多い分野でしょう。
占いであれば、悩みの分野は「仕事」、「夢」、「健康」、「人間関係」
のどれかに当てはまるなんて、コールドリーディングでは考えますから。
推測ですが、アメリカの自己啓発に来るような人たちは
この分野を全部高めたい欲求があるんじゃないでしょうか。
あくまで傾向として、ですが。
例えば、アメリカ文化では、どんなに仕事が上手くいっていても、
家庭が上手くいっていなければ問題があると考える価値観があるようです。
職場に家族の写真が置いてあるとか、定時に家に帰って
家族と一緒の時間を大切にするとか、週末は家族と過ごす、とか。
日本に来ている野球選手が、オフシーズンは家族のために過ごす
という話はスポーツニュースなどで良く耳にします。
遊びや余暇で楽しみを見つけると良い、というのも、
文化に根づいた価値観の1つじゃないでしょうか。
友人と楽しい時間を過ごす、なんていうのも
過剰に外向的であることを求めているアメリカ文化の一側面だと思います。
場合によっては、一人で楽しむ趣味を持っているのだとしたら、
趣味を充実させるほど、友人や知人との交流は薄れるかもしれません。
この8分野を1つの基準としていることが、そもそも
文化に根づいた特定の価値観のヒエラルキーを反映していると思うんです。
つまり、アメリカ文化においては、
「人生の幅広い側面において充実していることが”成功”だ」
というような意味です。
あまり片寄っていることが良しとされない文化的価値観があるように感じます。
例えば、大学の入試基準でも日本のように試験成績だけでは決まらない、とか。
スポーツやボランティア、社会・文化活動、人間性、社交性など、学業成績以外も
バランス良く”優秀”とされる人が、入試で選抜されるらしいですから。
日本は、試験や職業ですら、むしろ逆です。
テストの点数だけで、他人の人生に大きく影響する職種の資格が判別されたり、
大学であれば「一芸入試」なんていうのさえあります。
「一芸に秀でていて、その道では超一流」というのが
日本では高く評価されるような文化背景があるように思えます。
そうした背景の差を考慮することなく
『8つの人生の側面で満足度を測る』という発想を
そのまま取り入れるのは、僕には疑問があります。
もし、そうした吟味をしたいのであれば
もっと無作為に選べるように価値観の項目を沢山用意しておいて、
まず、そこから10個ぐらい重要度の順位づけをして、
次に、それぞれに対する満足度を評価していく
というのが良いんじゃないかと思います。
まぁ、それでも実際には、評価は主観的になされますから、
「何パーセント満足か?」という質問に対する答え自体に
その人の価値基準が反映されているとも言えます。
なので、そもそも重視していない分野は、他人と比べたら低く評価されそうでも
本人の中では高い満足度をつける可能性があります。
だから、それほどリスクは大きくなく、
個人個人が自分に都合よくアレンジしながら解釈してくれる
というのが実情でしょう。
ツールがどうこう…よりも、本人が自分に都合よく使ってくれているので
文化的背景の違いが、それほど気にならないで済んでいる、ということです。
例えば、
「毎日なんの痛みも不快感も無く、体調万全で快適な体の状態が100%」
という人もいれば、
「あのときの苦しかった状態に比べたら、こうやって生活ができているだけで100%」
という人もいる。
「自分にとっては仕事が全てだから、遊びの時間がなくても気にならない。
だから、「遊び・余暇」は実際には何もないけど100点」
そんな風に言える人もいるかもしれません。
だから、そもそも重視していない分野に関しては
評価のための基準が低くなっていて、あまり意識に上がらない可能性もある、と。
そういう許容範囲があることで、誰がやっても、あまり問題なく使えている気がします。
ですが、それは同時に、やっている本人が気づかないうちに
「そうか…、遊びや環境も大事だよなぁ…」
なんて価値観の優先順位に影響を与えている可能性もあります。
はたして、それは無自覚なままでやって良いことなのでしょうか?
僕には抵抗があります。
むしろ個人的には、
『どういう風に生きてきたから、この価値観を重視しているのか?』
という形で自分を見つめていくほうが
ずっと、自分にとって本当に大事なことに気づけると思います。
世の中には、役に立つ手法が沢山あります。
しかし、「どのように役に立っているのか」というメカニズムを理解せずに
闇雲に使っていくのは、危険場合もあるかもしれません。
誰かに役に立つ方法が、別の人にも役立つとは限らないわけですから。