2012年06月14日
傾聴の技術
最近、週に一回、2時間のカウンセリング講座に参加しています。
「 Basic Counseling Skill 」と題した講座で、
内容としてはロジャース派のカウンセリングを丁寧に扱う形。
大学の生涯学習プログラムか何かのヤツなので
英語でカウンセリングの練習をする感じです。
受講生の半分はネイティブで、ビジネスとしても学びとしても意欲的な人たちなので
かなり素直に受講生気分を味わって楽しんでいます。
講座の内容そのものは知識的・技術的には知っているものですし
これまでにトレーニングを積んできた範囲のものです。
ですが、それが外国人相手になると少し事情が違うようです。
もちろん、言語的なレベルでの”もどかしさ”もありますが、
それ以上に、日本人とは違った感情の表れ方があるようで
新鮮な体験ができます。
悲しみや怒りといったシンプルな反応は共通点が多いと感じますが
その生理反応に対する処理の仕方には、日本人と違いがある印象を受けています。
客観的に観察をする分には読みとれる反応が
ペーシングとしては感じにくいところがあったり。
まぁ、言語的に自分が努力をしなければいけない度合いが高いために
ペーシングが難しくなっている可能性もありますが。
それでロジャース派のカウンセリングをトレーニングしているわけですが、
おそらく僕が知っている日本のロジャース派のトレーニングとは趣旨が違います。
表面的な技術は重視しません。
もちろん、形としては「話の内容をオウム返しする」という点で同様です。
ただ、それはあくまで形として設定するだけ。
その形を通して、いかにクライアントと結びつきを深めていくか。
この「クライアントとの結びつき」が非常に強調されています。
いかに心を深いレベルで通わせて、信頼関係を築くかがテーマのようです。
それは一緒にいて心地良いとか安心感があるといったレベルのラポールではありません。
また、カウンセリングを進めるにあたって必要なレベルのラポールを維持しながら
問題解決のプロセスに進んでいくというスタイルとも違います。
クライアント自身が問題を解決することを望んでいるのであれば
カウンセリングやセラピーの1つのゴールは、その解決の手伝いとなります。
ただ、その解決のための手順に移るまでに
力づけのためのケアが求められる場合があります。
その際にはラポールを築きながら、質問をして内容を把握して、
適切な言葉がけで、相手に力づけをするわけです。
そうやって問題解決の準備をして、実際に解決のプロセスに進む。
そして、解決のための取り組みをして、問題解決をゴールとする。
1つには、こういうスタイルがあります。
この場合、ラポールや信頼関係そのもの、クライアントとの結びつきは、
そのものが目的なわけではありません。
問題解決に必要なレベルの関係性と、クライアントの気持ちのケアは求められますが
ポイントは、クライアント自身が問題解決に取り組める状態を生み出すことです。
その意味では、「仲が良い」必要はないんです。
セラピストやカウンセラーが、好かれる必要はないんです。
クライアントの人間関係の中で、大切な人ランキングの上位に入る必要はありません。
むしろ、入らないようにしながら、クライアントの自立を促す側面さえあります。
一方、今習っているロジャース派のカウンセリングは
「来談者(クライアント)中心療法」というよりも
ロジャースが晩年に志向した「パーソン・センタード・アプローチ」なんでしょう。
ですから、関係性そのものがカウンセリングの目的になるようです。
カウンセラーが、クライアントにとっての重要な人物になります。
深い絆を作ります。
映画『グッド・ウィル・ハンティング』のマット・デイモンとロビン・ウィリアムスのように
契約関係を超えた、人と人との繋がりを目指すスタイル。
それは、ある種の問題を抱えた人たちにとっては何よりも重要な要素でしょう。
つまり、表面的な症状や、行動レベルの問題ではなく、
ストレスや、人間関係の衝突から生まれるような気分障害でもなく、
生まれてからほとんど、満足に人の温かみに触れられなかったことで
ずっと心に苦しみを抱え続けているようなケースでこそ、
最も求められる部分じゃないか、と。
人との深い絆や繋がりを十分に感じられていないことが
問題そのものとなっている場合には、
関係性そのものを目的としてカウンセリングをすることが重要になると考えられます。
ロジャースの理論によると、
「無条件の肯定的関わりが不足していることが、心の問題を生む」
といった考え方のようですから、
その意味では、カウンセリングを通じて、時間をかけて、
無条件の肯定的関わりを積み重ねていくことそのものが
セラピーのプロセスになっていると言えます。
表面的な問題行動や症状に対処するのが目的ではないわけです。
また、家族療法のように、その繋がりや絆を家族で強められるようにするのでもない、と。
カウンセラー自身が、その強い繋がりの体験を提供するスタイルなんでしょう。
本当に、そのレベルの関わりをカウンセラーが提供する必要があるケースは
日本にどれぐらいあるのかは分かりません。
僕自身は、カウンセラーがその役目をするのは
最後の手段じゃないかとも考えています。
エリクソンは、そういうレベルの繋がりが必要なクライアントに対して
家族やパートナーを作る方向で介入をしていたように、僕には思えます。
すきっ歯から水を飛ばす練習をさせた女性のケースは
完全にそういう目的だと思います。
自殺をしようとしていた女性に、歯の隙間から水を飛ばす練習をさせて、
その女性に気があったと思われる同僚の男性に水をかけさせる。
その”イタズラ”をキッカケに恋人ができて、強い繋がりを実感できた。
…そんな話じゃないでしょうか。
ただ、学生を相手にする場合には重要な可能性があります。
「両親にも分かってもらえない、先生にも分かってもらえない」
といった気持ちを抱えて心を閉ざしている子供であれば、
人生の一時期に、そうした信頼できる大人と接する経験は重要な気がします。
その意味で、スクールカウンセラーにとっては、ロジャース派も効果的だと思います。
特に、言語的に自分の気持ちを整理するのが上手くない時期には
質問で何かを引き出して、”気づかせよう”とするアプローチよりも、
ただ何でも話を聞いてくれるカウンセラーのほうが良いのかもしれません。
場合によっては、何も話さなくても、ただ傍にいてくれることが
支えになることもあるでしょう。
その場合、「オウム返し」は、それによって話を促したり、確認したり、
話を聞いていることを示すための技術ではないんです。
「私からは会話をリードしませんよ。でも聞いていますよ。
この時間は、あなたの好きにしていいんですよ。ここはそういう場ですから。
あなたがどうあっても、私はあなたのために、あなたと一緒にいます。」
そんな『無条件の肯定的関わり』のメッセージを届けるための手段が、
表面的には、オウム返しに表れているだけじゃないでしょうか。
それを求めている子供が、学校にはいるような気がします。
あとは、どれぐらい、そのような”絆づくり”そのものを目的としたカウンセリング
(パーソン・センタード・アプローチ)の技術的なトレーニングを、
日本で受けられるのかどうか、というところ。
それは表面的な技術のトレーニングとは違うはずです。
もっとミッチリと、トレーナーから個別指導を受けていくようなものだと考えられます。
多分、「クライアント中心療法」の技術とは違うレベルのトレーニングのはずです。
日本の現状は、どんな状態なんでしょうか?
「 Basic Counseling Skill 」と題した講座で、
内容としてはロジャース派のカウンセリングを丁寧に扱う形。
大学の生涯学習プログラムか何かのヤツなので
英語でカウンセリングの練習をする感じです。
受講生の半分はネイティブで、ビジネスとしても学びとしても意欲的な人たちなので
かなり素直に受講生気分を味わって楽しんでいます。
講座の内容そのものは知識的・技術的には知っているものですし
これまでにトレーニングを積んできた範囲のものです。
ですが、それが外国人相手になると少し事情が違うようです。
もちろん、言語的なレベルでの”もどかしさ”もありますが、
それ以上に、日本人とは違った感情の表れ方があるようで
新鮮な体験ができます。
悲しみや怒りといったシンプルな反応は共通点が多いと感じますが
その生理反応に対する処理の仕方には、日本人と違いがある印象を受けています。
客観的に観察をする分には読みとれる反応が
ペーシングとしては感じにくいところがあったり。
まぁ、言語的に自分が努力をしなければいけない度合いが高いために
ペーシングが難しくなっている可能性もありますが。
それでロジャース派のカウンセリングをトレーニングしているわけですが、
おそらく僕が知っている日本のロジャース派のトレーニングとは趣旨が違います。
表面的な技術は重視しません。
もちろん、形としては「話の内容をオウム返しする」という点で同様です。
ただ、それはあくまで形として設定するだけ。
その形を通して、いかにクライアントと結びつきを深めていくか。
この「クライアントとの結びつき」が非常に強調されています。
いかに心を深いレベルで通わせて、信頼関係を築くかがテーマのようです。
それは一緒にいて心地良いとか安心感があるといったレベルのラポールではありません。
また、カウンセリングを進めるにあたって必要なレベルのラポールを維持しながら
問題解決のプロセスに進んでいくというスタイルとも違います。
クライアント自身が問題を解決することを望んでいるのであれば
カウンセリングやセラピーの1つのゴールは、その解決の手伝いとなります。
ただ、その解決のための手順に移るまでに
力づけのためのケアが求められる場合があります。
その際にはラポールを築きながら、質問をして内容を把握して、
適切な言葉がけで、相手に力づけをするわけです。
そうやって問題解決の準備をして、実際に解決のプロセスに進む。
そして、解決のための取り組みをして、問題解決をゴールとする。
1つには、こういうスタイルがあります。
この場合、ラポールや信頼関係そのもの、クライアントとの結びつきは、
そのものが目的なわけではありません。
問題解決に必要なレベルの関係性と、クライアントの気持ちのケアは求められますが
ポイントは、クライアント自身が問題解決に取り組める状態を生み出すことです。
その意味では、「仲が良い」必要はないんです。
セラピストやカウンセラーが、好かれる必要はないんです。
クライアントの人間関係の中で、大切な人ランキングの上位に入る必要はありません。
むしろ、入らないようにしながら、クライアントの自立を促す側面さえあります。
一方、今習っているロジャース派のカウンセリングは
「来談者(クライアント)中心療法」というよりも
ロジャースが晩年に志向した「パーソン・センタード・アプローチ」なんでしょう。
ですから、関係性そのものがカウンセリングの目的になるようです。
カウンセラーが、クライアントにとっての重要な人物になります。
深い絆を作ります。
映画『グッド・ウィル・ハンティング』のマット・デイモンとロビン・ウィリアムスのように
契約関係を超えた、人と人との繋がりを目指すスタイル。
それは、ある種の問題を抱えた人たちにとっては何よりも重要な要素でしょう。
つまり、表面的な症状や、行動レベルの問題ではなく、
ストレスや、人間関係の衝突から生まれるような気分障害でもなく、
生まれてからほとんど、満足に人の温かみに触れられなかったことで
ずっと心に苦しみを抱え続けているようなケースでこそ、
最も求められる部分じゃないか、と。
人との深い絆や繋がりを十分に感じられていないことが
問題そのものとなっている場合には、
関係性そのものを目的としてカウンセリングをすることが重要になると考えられます。
ロジャースの理論によると、
「無条件の肯定的関わりが不足していることが、心の問題を生む」
といった考え方のようですから、
その意味では、カウンセリングを通じて、時間をかけて、
無条件の肯定的関わりを積み重ねていくことそのものが
セラピーのプロセスになっていると言えます。
表面的な問題行動や症状に対処するのが目的ではないわけです。
また、家族療法のように、その繋がりや絆を家族で強められるようにするのでもない、と。
カウンセラー自身が、その強い繋がりの体験を提供するスタイルなんでしょう。
本当に、そのレベルの関わりをカウンセラーが提供する必要があるケースは
日本にどれぐらいあるのかは分かりません。
僕自身は、カウンセラーがその役目をするのは
最後の手段じゃないかとも考えています。
エリクソンは、そういうレベルの繋がりが必要なクライアントに対して
家族やパートナーを作る方向で介入をしていたように、僕には思えます。
すきっ歯から水を飛ばす練習をさせた女性のケースは
完全にそういう目的だと思います。
自殺をしようとしていた女性に、歯の隙間から水を飛ばす練習をさせて、
その女性に気があったと思われる同僚の男性に水をかけさせる。
その”イタズラ”をキッカケに恋人ができて、強い繋がりを実感できた。
…そんな話じゃないでしょうか。
ただ、学生を相手にする場合には重要な可能性があります。
「両親にも分かってもらえない、先生にも分かってもらえない」
といった気持ちを抱えて心を閉ざしている子供であれば、
人生の一時期に、そうした信頼できる大人と接する経験は重要な気がします。
その意味で、スクールカウンセラーにとっては、ロジャース派も効果的だと思います。
特に、言語的に自分の気持ちを整理するのが上手くない時期には
質問で何かを引き出して、”気づかせよう”とするアプローチよりも、
ただ何でも話を聞いてくれるカウンセラーのほうが良いのかもしれません。
場合によっては、何も話さなくても、ただ傍にいてくれることが
支えになることもあるでしょう。
その場合、「オウム返し」は、それによって話を促したり、確認したり、
話を聞いていることを示すための技術ではないんです。
「私からは会話をリードしませんよ。でも聞いていますよ。
この時間は、あなたの好きにしていいんですよ。ここはそういう場ですから。
あなたがどうあっても、私はあなたのために、あなたと一緒にいます。」
そんな『無条件の肯定的関わり』のメッセージを届けるための手段が、
表面的には、オウム返しに表れているだけじゃないでしょうか。
それを求めている子供が、学校にはいるような気がします。
あとは、どれぐらい、そのような”絆づくり”そのものを目的としたカウンセリング
(パーソン・センタード・アプローチ)の技術的なトレーニングを、
日本で受けられるのかどうか、というところ。
それは表面的な技術のトレーニングとは違うはずです。
もっとミッチリと、トレーナーから個別指導を受けていくようなものだと考えられます。
多分、「クライアント中心療法」の技術とは違うレベルのトレーニングのはずです。
日本の現状は、どんな状態なんでしょうか?