2012年06月20日
感情の表しかた
最近、学校の関係で麻布へ頻繁に行きますが、
六本木、麻布、広尾あたりは外国人の割合が高いですね。
僕の住まいの近所も比較的、外郭人比率が高いですがアジア系が中心です。
一方、麻布のあたりは西洋人が多い。
非常に頻繁にすれ違います。
それで先日、おそらくアメリカ人と思われる人のケンカを見ました。
カップルです。
あのケンカの仕方は日本人では見たことがありません。
逆に、海外ドラマや、テレビのバラエティ番組で見るようなシーン。
「本当に、ああやってケンカするんだ…」という感じでした。
片側3車線の道路を挟んで、反対側の歩道でケンカをしていたんですが、
僕を含めて、もう至る所から日本人がケンカに目を奪われていました。
僕は、まぁ、好奇心を持って眺めていましたが
大半の人は驚きを隠せない様子でした。
迫力が違いますから。
6車線分を挟んでも、女性の怒鳴り声が聞こえます。
その振る舞いと言葉の内容から、「アメリカ人」と判断したわけです。
何があったかは分かりませんが、女性の側が男性を一方的に責めているようでした。
何か気に障ることを言ったのか、許せないことをしたのか、
裏切りと取られるような隠し事がバレたのか…。
ですが、「責めている」なんていう生易しいものではありません。
暴行です。
全力で殴っていました。
フルスイングです。
男性は何も言わずに、とにかく顔を殴られないように身を守るばかり。
なんとか女性の腕を取って止めようとしますが、
止めようとするほど女性は暴れまわり、大声を発します。
そして、ひとしきり暴れた後、さらに大声で罵声を浴びせながら
女性は男性から少し離れていきました。
すると突然、その場に座り込み、
今度は大声で泣き始めます。
これまた全力です。
男性は離れたところから茫然と見ていました。
こちらも、ずっと見ているわけにはいかないので
その後どうなったかは分かりませんが、
推測としては仲直りでしょう。
本当に嫌なら、殴るだけ殴って立ち去るでしょうから。
座り込んで泣いたということは、孤独感を味わっている可能性が高いと思います。
とすると、男性が泣いているところへ近寄って、謝って、慰めると
それで大騒ぎが終わるんじゃないか、と。
感情の動きとして分かりやすいと感じました。
怒りは筋肉を使うと発散されます。
大声を出して、全力で殴って、疲れるまでやり切ると
シューっと体の中から力が抜けていきます。
すると悲しみが全身を満たします。
怒りの奥底にあった悲しみが前面に出てくるわけです。
怒りは力を生み出すエネルギーでもありますが、
それを出し切ると、力も抜けていくということです。
そこに、自分の存在感を損なわれたような孤独感があると
怒りや不満に目を向けることなく、悲しみだけを感じ始めます。
この状態だと、もう怒りは発散しきっていますから
怒りを向けていたはずの張本人であっても、許す準備ができてきていると言えます。
悲しみと孤独感を癒してくれる相手は、やはり、その相手に求めるでしょう。
もう怒りが体から無くなっていると、謝ってもらったときに、
それを受け入れやすくなります。
それで仲直りしやすいんじゃないか、ということです。
一方、これが日本人でよく見るケースだと、
怒りをそこまで発散しきることがありません。
そして、怒りを向けられたことに対しての不満も出てきますから、
言い返すか、黙り込むか、すぐに謝るか、その場を立ち去るか…
色々な手段をとりながら、間接的な攻撃(仕返し)が始まります。
怒りは溜まったままになりやすいわけです。
そして、怒りが残っている状態だと、謝られたとしても
それを受け入れようとしないことが多いものです。
相手の立場を考えるなんてことも厳しいでしょう。
悲しみに移ると、思考が働きやすくなりますから
自分の悲しみを感じながらも相手の立場に目が向いたり、
謝ってもらったときに、その言葉の内容に注目できるようになったりします。
ただ、悲しみに移るためには、その前に、怒りを発散しきる必要があるわけです。
より健全なやり方としては、相手に直接怒りをぶつけるのではなく、
自分で怒りの感情そのものを発散して、クールダウンする方法が考えられます。
どうやらアメリカ人の場合には、そこで相手に直接、怒りをぶつけて
体から怒りが無くなるまでアクションを続けることがあるようです。
このときに、相手の男性が途中で我慢の限界に達して
反撃をしたり、途中で逃げ出したりすると、”復旧”の目処は立たなくなりそうです。
怒りが発散するまで、やられ続けるのが大事なのかもしれません。
ある意味で分かりやすいコミュニケーションだと思いましたが、
過激だと感じましたし、なんだか「ズルい」ような気持ちにさえなってしまいました。
”無意識”のカタマリみたいな感じで…。
僕は、”意識”というのが、人間らしくて大切な気もしているんでしょう。
六本木、麻布、広尾あたりは外国人の割合が高いですね。
僕の住まいの近所も比較的、外郭人比率が高いですがアジア系が中心です。
一方、麻布のあたりは西洋人が多い。
非常に頻繁にすれ違います。
それで先日、おそらくアメリカ人と思われる人のケンカを見ました。
カップルです。
あのケンカの仕方は日本人では見たことがありません。
逆に、海外ドラマや、テレビのバラエティ番組で見るようなシーン。
「本当に、ああやってケンカするんだ…」という感じでした。
片側3車線の道路を挟んで、反対側の歩道でケンカをしていたんですが、
僕を含めて、もう至る所から日本人がケンカに目を奪われていました。
僕は、まぁ、好奇心を持って眺めていましたが
大半の人は驚きを隠せない様子でした。
迫力が違いますから。
6車線分を挟んでも、女性の怒鳴り声が聞こえます。
その振る舞いと言葉の内容から、「アメリカ人」と判断したわけです。
何があったかは分かりませんが、女性の側が男性を一方的に責めているようでした。
何か気に障ることを言ったのか、許せないことをしたのか、
裏切りと取られるような隠し事がバレたのか…。
ですが、「責めている」なんていう生易しいものではありません。
暴行です。
全力で殴っていました。
フルスイングです。
男性は何も言わずに、とにかく顔を殴られないように身を守るばかり。
なんとか女性の腕を取って止めようとしますが、
止めようとするほど女性は暴れまわり、大声を発します。
そして、ひとしきり暴れた後、さらに大声で罵声を浴びせながら
女性は男性から少し離れていきました。
すると突然、その場に座り込み、
今度は大声で泣き始めます。
これまた全力です。
男性は離れたところから茫然と見ていました。
こちらも、ずっと見ているわけにはいかないので
その後どうなったかは分かりませんが、
推測としては仲直りでしょう。
本当に嫌なら、殴るだけ殴って立ち去るでしょうから。
座り込んで泣いたということは、孤独感を味わっている可能性が高いと思います。
とすると、男性が泣いているところへ近寄って、謝って、慰めると
それで大騒ぎが終わるんじゃないか、と。
感情の動きとして分かりやすいと感じました。
怒りは筋肉を使うと発散されます。
大声を出して、全力で殴って、疲れるまでやり切ると
シューっと体の中から力が抜けていきます。
すると悲しみが全身を満たします。
怒りの奥底にあった悲しみが前面に出てくるわけです。
怒りは力を生み出すエネルギーでもありますが、
それを出し切ると、力も抜けていくということです。
そこに、自分の存在感を損なわれたような孤独感があると
怒りや不満に目を向けることなく、悲しみだけを感じ始めます。
この状態だと、もう怒りは発散しきっていますから
怒りを向けていたはずの張本人であっても、許す準備ができてきていると言えます。
悲しみと孤独感を癒してくれる相手は、やはり、その相手に求めるでしょう。
もう怒りが体から無くなっていると、謝ってもらったときに、
それを受け入れやすくなります。
それで仲直りしやすいんじゃないか、ということです。
一方、これが日本人でよく見るケースだと、
怒りをそこまで発散しきることがありません。
そして、怒りを向けられたことに対しての不満も出てきますから、
言い返すか、黙り込むか、すぐに謝るか、その場を立ち去るか…
色々な手段をとりながら、間接的な攻撃(仕返し)が始まります。
怒りは溜まったままになりやすいわけです。
そして、怒りが残っている状態だと、謝られたとしても
それを受け入れようとしないことが多いものです。
相手の立場を考えるなんてことも厳しいでしょう。
悲しみに移ると、思考が働きやすくなりますから
自分の悲しみを感じながらも相手の立場に目が向いたり、
謝ってもらったときに、その言葉の内容に注目できるようになったりします。
ただ、悲しみに移るためには、その前に、怒りを発散しきる必要があるわけです。
より健全なやり方としては、相手に直接怒りをぶつけるのではなく、
自分で怒りの感情そのものを発散して、クールダウンする方法が考えられます。
どうやらアメリカ人の場合には、そこで相手に直接、怒りをぶつけて
体から怒りが無くなるまでアクションを続けることがあるようです。
このときに、相手の男性が途中で我慢の限界に達して
反撃をしたり、途中で逃げ出したりすると、”復旧”の目処は立たなくなりそうです。
怒りが発散するまで、やられ続けるのが大事なのかもしれません。
ある意味で分かりやすいコミュニケーションだと思いましたが、
過激だと感じましたし、なんだか「ズルい」ような気持ちにさえなってしまいました。
”無意識”のカタマリみたいな感じで…。
僕は、”意識”というのが、人間らしくて大切な気もしているんでしょう。