2012年06月25日

分類の基準となる違い

学校で「 The color of fear 」という教育ビデオを見ました。

テーマは人種差別。
なかなか衝撃的な内容でした。

正直にいうと、アメリカで暮らしたことのない僕には
「本当に、そんなことが起きているのか」という部分で驚きで、
感情的に激しく動かされるほどではありません。

もちろん、そんなに難しい問題をここで口にするつもりもないですが。


僕が逆に印象に残ったのは、
 アメリカ人がどういう違いを意識しているのか
 自分がどういう違いを意識しているのか
というところです。

実際のビデオの内容は、8人のアメリカ国籍の男性が
自分の経験を元に自由な会話を進めていくようなものです。
テーマを人種差別の問題としているとは思います。

ですから、ちょっとエンカウンター的な雰囲気もある。
参加者はセラピストや、ダイバーシティ・トレーナーだそうですし。

それで、登場人物のカテゴリーとしては、
コーカサス系アメリカ人(いわゆる”白人”として扱われています。)
アフリカ系アメリカ人
ラテン系アメリカ人
アジア系アメリカ人
でした。

アジア系の人は、中国系と日系4世でしたが、
やっぱり日本人の僕としては、日系4世と言われると
その人の情報は少し多めに覚えてしまいます。

ただ、正直なところ僕には、こうした分類の違いが良く分かりませんでした。
頑張って区別しようとすると基準を探せる印象はありましたが、
自分にとって非常に慣れていない作業だというのが実感です。

ラテン系のうちの一人は黒髪で肌の色は白い。
中国系の人は、まあアジア人の顔立ちではありますが
むしろアジアっぽさを感じるのは、髪型とかの要素でした。

日系4世の人は、さすがに僕が日本人を見慣れているせいか
パッと見た印象として、日本人にいそうな”部分”もありましたし、
一方で、平均的な日本人には少なそうな部分も見えました。

そういう、いわゆる民族特有の違いを強く意識すると
確かに4つのグループなのかもしれないと思えてきますが、
今度は逆に、そのレベルの違いを意識すると全員が別に感じられます。

同じアジア系アメリカ人でも、日系と中国系の違いが分かるのはもちろん、
ラテン系でも全く別の民族のような顔立ちでしたし、
アフリカ系でも相当な違いがありました。

もっというと、コーカサス系として扱われている、いわゆる白人であっても
顔立ちの系統は別のようでした。

それはちょうど、ヨーロッパでも民族の違いが見て取れるようなレベルです。

ですから、違うといえば違うんです。
しかしながら、その違いを意識すると、僕には
もっと細かいグループ分けになってしまいます。

そして、グループ分けを意識せずに見てしまうと
僕には全員が「アメリカ人」に見えます。

全員が、アメリカで生まれ、アメリカ文化で育ち、アメリカで教育を受けている。
ですから、全員に共通したアメリカ人の雰囲気があるんです。

表情にしても、目つきにしても、ジェスチャーにしても、姿勢にしても。
英語を聞くまでもなく、雰囲気は全員アメリカ人です。

ルーツやアイデンティティとして繊細な部分もあるかもしれませんが、
単純に僕の判断基準だけの話でいえば、8人全員がアメリカ人に思えたわけです。

それは僕からすると、サッカーのハーフナー・マイクも、野球のダルビッシュも
芸能人のShellyやベッキーも日本人にしか見えないのと同じ感じでしょう。

文化や言語活動などのコミュニケーションを通じて作り上げられてきた
内側にあるものは、自然と”見た目”に表れているんだと思います。

どうやら僕は、何かしらの振る舞い方や、
内面的な状態を重視して見ているようです。

そこに共通点を見出して、その共通点で「らしさ」を判断する、と。


誤解のないように言っておきますが、
その「らしさ」は、あくまで沢山ある要素の1つのつもりで捉えています。

絵を描くのが好きな人には、その「らしさ」に対応した共通点がある気がします。
音楽を好きな人にも、そういった共通点があります。

肩コリのありそうな人にも、歯ぎしりのありそうな人にも、共通点があると感じます。
生臭い食べ物が苦手な人には、声の出し方に傾向があります。

僕は、そういう傾向を重ねる形で人を見ているようです。
もちろん、生臭い食べ物が嫌いだと知っても、それ以上の意味がないのと同様に
僕にとっては国籍や民族も重要ではないみたいです。

では偏見が全くないかというと、そんなこともありません。
そういう特徴の中に、いくつか、「それらしさ」を感じると抵抗が出るものがあります。

それが経験から作られた反応だろうというのは自覚がありますから、
その自分の中にある分類の仕方に気づき、その分類と結びついた反応を自覚して、
その反応が目の前の相手に対して感じているものではなく
過去の経験のイメージに向けているものだと区別をしながら接するのが大事な気がします。

出てしまう反応に関しては、プログラムのようなものでしょうから。
頭で分かっていても、出てしまうのもは出てしまう。

目の前の人を、過去の経験と区別するのは、意識的にできるところだと思います。


人は皆違う。

ただ、そのスタンスで自分が接しようとするだけでは不十分なのかもしれないと思いました。

なぜなら、
自分が「人は皆違う。一人ひとりに違った対応をする」ように心がけていることと、
他の人が、本人の中の分類に当てはめてイメージだけで対応する場合があることとは
別のことだからです。

もし相手が、何かしらの分類のために不当な対応を受けた経験があったのなら、
自分がどう対応するかとは無関係に、相手にはその経験があったからです。

自分が気にしていない部分でも、相手が経験を元に気にかけているのであれば
自分としてもそこに注意を向けられるだけの感受性は持っていたいものだと思います。


それにしても、こういうビデオを学校で見せるというのが
あまり日本では馴染みのないところだったので、文化の違いを感じました。

「知らなかった」と言えないだけの事情があるのかもしれません。

ちなみに、そのビデオはネットで検索すると見られます。

古いビデオで一本10万円ぐらいだったと言っていましたが、
今は、ネットで見れられてしまうんですね。

cozyharada at 23:26│Comments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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