2012年07月13日
久しぶりの感じ
英語でプレゼンをしました。
といっても授業の一環なので、論文の内容を紹介する程度。
10分ぐらいなものです。
久しぶりに原稿を音読しました。
10年以上、原稿を作っていなかったことを思い出しました。
研究職のときのプレゼンはパワーポイントを使っていましたし
セミナーをするようになってからは、準備に対する発想自体が変わりましたから。
とても、もどかしい感じがしました。
自分が日本語でできることと比較してしまうんでしょうね。
高校の時、初めて生物の授業で前に出て発表をする機会があって
その次が大学で研究室に配属された一番最初の発表でした。
そのときは丁寧に原稿を作って、音読するだけだったようなものですが
その頃に戻ったような気分です。
まぁ、その頃よりはマシな部分が多かったとは思いますけど…。
あの頃から通ってきたプロセスを同じように過ごせば
今、日本語でできることと同じようにできるようになるんでしょうか。
当時の状態と比較できないので、何が英語力そのものの問題で、
何が自分の意識の向け方の問題なのかが区別できていません。
大学のときや研究職のときにやっていたように
スライドを見ながら話してしまえば、当時と近い状態にはなりそうです。
それは1つの手段だと思います。
そうしたプレゼンを何回やったんでしょうか。
学生時代で数十回、研究職時代は平均すると月に何回かありましたから、
内容だけを伝えるためのパワーポイントを使ったプレゼンでさえ、
結構な回数をやっていたみたいです。
慣れるはずです。
そのぐらいやれば英語でも、もうちょっとマシなプレゼンになるかもしれません。
一方で、パワーポイントを使った「説明」のプレゼンとは違う
「伝える」プレゼンを意識するようになった頃、
やはり最初は大変だった記憶があります。
当時を思い返すと、沢山のことを意識的にやろうとしていた気がします。
伝える内容を覚えておいて、工夫するところを覚えておいて、
「やる」という意識が沢山あった感じがあります。
一方、今は「やる」の部分が減っていて、
「やろう」と思えば、あとは自動的に振る舞いが出てきて
それを意識的にモニターしてコントロールする感じです。
その意味では、車の運転に近いかもしれません。
免許をとりたての頃は、全ての動作を「やる」方向で意識する。
慣れてくると、自然にできるようになる。
慣れでできるようになったことを吟味して意識化することで
精度を高める方向にコントロールしていく。
繰り返しによって自動化して、一方でさらに意識的な努力を繰り返す。
そうすることで自動的にできる量を増やしていく感じなんでしょう。
そうやって自動化したら、制御するための努力をしていく、と。
そんな流れがあったようです。
すると、今の状態は意識的にやろうとしていることが多過ぎるようですから、
全てを意識しようとするのをやめて、慣れさせていくだけのほうが良いんでしょう。
慣れてきて、淡々とできるようになってきた頃に
意識的な作業を追加していくようなプロセスが必要そうです。
セミナーを仕事でするようになって、何回ぐらいやったんでしょうか。
ずっと話しっぱなしではないものの朝から夕方までのセミナーを
多いときは一年で200日ぐらいやっていましたから。
研究発表のプレゼンの何倍もやっていたみたいです。
その中で色々と技術を追加してきて今の状態がある。
と考えると、今、日本語でできることと英語でできることを比べるのは
あまりに違いが大き過ぎるかもしれません。
同じ時間、同じ回数が必要だとは思いませんが、
同じ過程を通ってくるのは効果的な方法な気がしてきました。
あとは途中経過として自分のできることを自覚しておいて
課題を追加していけば良いわけですから。
そうすると英語でプレゼンできる場があると手っ取り早そうです。
といっても授業の一環なので、論文の内容を紹介する程度。
10分ぐらいなものです。
久しぶりに原稿を音読しました。
10年以上、原稿を作っていなかったことを思い出しました。
研究職のときのプレゼンはパワーポイントを使っていましたし
セミナーをするようになってからは、準備に対する発想自体が変わりましたから。
とても、もどかしい感じがしました。
自分が日本語でできることと比較してしまうんでしょうね。
高校の時、初めて生物の授業で前に出て発表をする機会があって
その次が大学で研究室に配属された一番最初の発表でした。
そのときは丁寧に原稿を作って、音読するだけだったようなものですが
その頃に戻ったような気分です。
まぁ、その頃よりはマシな部分が多かったとは思いますけど…。
あの頃から通ってきたプロセスを同じように過ごせば
今、日本語でできることと同じようにできるようになるんでしょうか。
当時の状態と比較できないので、何が英語力そのものの問題で、
何が自分の意識の向け方の問題なのかが区別できていません。
大学のときや研究職のときにやっていたように
スライドを見ながら話してしまえば、当時と近い状態にはなりそうです。
それは1つの手段だと思います。
そうしたプレゼンを何回やったんでしょうか。
学生時代で数十回、研究職時代は平均すると月に何回かありましたから、
内容だけを伝えるためのパワーポイントを使ったプレゼンでさえ、
結構な回数をやっていたみたいです。
慣れるはずです。
そのぐらいやれば英語でも、もうちょっとマシなプレゼンになるかもしれません。
一方で、パワーポイントを使った「説明」のプレゼンとは違う
「伝える」プレゼンを意識するようになった頃、
やはり最初は大変だった記憶があります。
当時を思い返すと、沢山のことを意識的にやろうとしていた気がします。
伝える内容を覚えておいて、工夫するところを覚えておいて、
「やる」という意識が沢山あった感じがあります。
一方、今は「やる」の部分が減っていて、
「やろう」と思えば、あとは自動的に振る舞いが出てきて
それを意識的にモニターしてコントロールする感じです。
その意味では、車の運転に近いかもしれません。
免許をとりたての頃は、全ての動作を「やる」方向で意識する。
慣れてくると、自然にできるようになる。
慣れでできるようになったことを吟味して意識化することで
精度を高める方向にコントロールしていく。
繰り返しによって自動化して、一方でさらに意識的な努力を繰り返す。
そうすることで自動的にできる量を増やしていく感じなんでしょう。
そうやって自動化したら、制御するための努力をしていく、と。
そんな流れがあったようです。
すると、今の状態は意識的にやろうとしていることが多過ぎるようですから、
全てを意識しようとするのをやめて、慣れさせていくだけのほうが良いんでしょう。
慣れてきて、淡々とできるようになってきた頃に
意識的な作業を追加していくようなプロセスが必要そうです。
セミナーを仕事でするようになって、何回ぐらいやったんでしょうか。
ずっと話しっぱなしではないものの朝から夕方までのセミナーを
多いときは一年で200日ぐらいやっていましたから。
研究発表のプレゼンの何倍もやっていたみたいです。
その中で色々と技術を追加してきて今の状態がある。
と考えると、今、日本語でできることと英語でできることを比べるのは
あまりに違いが大き過ぎるかもしれません。
同じ時間、同じ回数が必要だとは思いませんが、
同じ過程を通ってくるのは効果的な方法な気がしてきました。
あとは途中経過として自分のできることを自覚しておいて
課題を追加していけば良いわけですから。
そうすると英語でプレゼンできる場があると手っ取り早そうです。