2012年07月24日

効果的にトレーニングをするために

夏学期が終わりました。

期末試験の翌日には、もう成績が発表されるシステム。
ネットを活用して個人情報が管理されるからこそ
色々なことが便利になってスピードも上がっているんでしょう。

夏学期は2ヶ月ちょっとで終わります。
ただ、授業の内容と単位数は他の学期と同じですから
授業時間も詰め込まれている感じになります。
大体1.5倍ぐらい。

それと週一回のカウンセリング講座を取って
仕事も重なっていたので、結構忙しい感じの生活になっていました。

授業は少人数のクラスだったこともあって質問がしやすく
教授自体からも教育に対する想いが感じられて楽しく受けられました。

宿題の量が多く、テストも頻繁にありましたから
その点は大変だったものの、それとて採点が甘かったですから
救済処置として取られていたように感じられます。

…といっても、他の学生には厳しいコースだったみたいですが。

内容的には心理学の基礎の部分なので知っていることも多く
情報を整理しながら記憶をキッチリさせたという印象でしょうか。

それからテストが選択式の問題に加えて、
短い書き問題を含んでいたので、良いトレーニングになった気がします。


思えば、大学生のときはこうやってテストを中心に勉強をして
その単純作業の繰り返しによって、多くの能力をトレーニングしていたのでしょう。

当時は何のことか分からずに、とにかく「やらなければいけないこと」を
言われるがままにやっていただけですが、大きな意味があったんだと実感します。

間違いなく、僕の日本語力と物事を考える力は、学生時代に訓練されていました。

僕の所属していた学科は、理工学部の中でも1,2を争うぐらい忙しいと噂され
(自分の学科が一番大変だと思いたい学生は、「一番大変だ」と言っていましたが)
実際に、実験とレポートの数は他よりも多かったみたいです。

本当にレポートばっかり書いていました。

実験の前にはプレ・レポートのように下調べをしておく必要がありましたから
実験関係でのみ予習をしていた記憶があります。
ですが、他の科目では予習も復習もしていなかったと思います。

たまに小テストがある授業で、テスト前に勉強するぐらい。

場合によっては、つまらない授業の最中に、他の科目のレポートを書いていたり
当然、寝てばっかりで聞いていなかった授業なんかもありました。

聞いていても分からない授業もいくつかありましたが…。
数学を多用されるとパンクしそうになっていたものです。

それだって、その前の数学の基本知識を練習していなかったせいで
数式を感覚的にイメージできるレベルになっていなかっただけのこと。

必要なトレーニングを飛ばしていたもので大変な思いをしていたか、
そもそも授業を聞きたいとも思っていなかったから寝ていたか、
どちらかだったような気がします。

物理や数学なんて、やり直してみると面白い気づきがあったりしましたから。
今の自分の中に、どれだけ「効果的な学習法」が身についているか、
ということが感じられます。

振り返ると、勿体ない事をしていたなぁ、と。

のんきにサークルに顔を出していた日もありましたし、
高校の同級生と遊びに行ったり、家庭教師のバイトをしたり
ゴルフ練習場でバイトをしたり、お笑いのライブを見に行ったり…。

世間一般の大学生のイメージよりは、課題をやらされて
”勉強”っぽいことにも時間をかけていたとは思いますが、
こうして比較してみると、それでも日本の大学はヌルいのが実感できました。

もちろん、遊びたい盛りに遊ぶのも結構なことだと思います。
何に価値を置いて生きるかは、人それぞれですし。

ただ僕は、”効果的な学び方”を学んで、それを自分なりに考えてきましたから
そのベースで新たに学びの環境に身を置くと、感じ方が違ってくる
…そういう話なだけだと思います。

それに、自分の学生時代を振り返って、「あのときに、もっとこうしていれば…」
なんて考えてみても、結果が上手くいくことを想像するほど、虚しくなります。

おそらく、ストイックに頑張って、効率的に取り組んで、
結果も出るようになるでしょうし、面白さも感じながらやれるんでしょう。
そして、その結果が大して意味を持たないことも分かってしまう。

そこも含めて考えると、やっぱり学校というのは
そこで学ぶ内容そのものよりも、繰り返しのトレーニングの場として
重要な機能が沢山あったんだろうという印象が強まります。

そして僕は、おかげさまで良いトレーニングを積ませてもらったようです。


こうやって以前にやっていたことと近いプロセスを繰り返すと、
比較しながら少し高い視点で体験を理解することができるので
得られるものが大きいと実感しています。

同時に、だからこそ既存のやり方に改善点も沢山見えてくる。

当たり前といえば、当たり前ですね。

僕みたいに比較しながら調べる人は滅多にいないでしょうから。
多くの人は、その道の専門家であって、専門の知識を重ねるばかり。

外から見たり、違った知識を元にゼロから見直し始めることで
気づけるようになるものも沢山あると感じます。

僕は生物化学系の研究職として働いていた時期があって、
生活面としては大企業の中のライフスタイルを知ることができましたし
東京から離れた地域密着型の職場環境を見ることもできました。
学会へもマメに参加することで、アカデミックな領域も身近に体験できました。

一方で、会社を辞めてからは、コミュニケーションや心理療法を学び、
そのトレーニングと実践を仕事にしてきました。

理系の研究職から、コミュニケーションのトレーナーへ。
それだけでも対極のイメージを持つ人は多いようです。
ですが、研究的な視点で学んだからこそ、
効率的に身につけられたものが沢山ありましたし、
その分野での常識に囚われない視点で理解してきたつもりでいます。

また、個人で仕事をする面では、大企業のサラリーマンとしての立場と
大きな違いを知ることができました。
経営者の知り合いも増え、ビジネス対する考え方も変わりました。

トレーナーとして様々な業種の人と接する機会がありましたし、
カウンセリングを通じて、色々な人生に触れました。
大きな組織で働く人が抱えるストレスも見てきましたし、
小規模なビジネスの中身も間近に体験してきました。

それは大学教授や専門性の高いアカデミックな世界とは
随分と違った種類のものだったと感じます。

大学を出て、そのままアカデミックな世界に身を置き
そこで専門性の高い分野の第一人者になる。
そういう生き方の人が体験していないものを
僕は社会との接点の中で見てこられたと思います。


そして今、自分の言語活動を日本語だけのものから
新たに英語を習得しようという流れの中にいます。

それは当然、日本語だけのときとは大きく違います。
文化の差も感じられるし、言語の仕組みの差も感じられる。
もっといえば、言語というものを客観的に理解するのにも役立っています。

これだって最初からバイリンガルだったら実感できなかったものでしょう。
大人になってから外国語を習得しようとしているからこそ
その習得のプロセスを分析することもできる気がします。

そこで見えてくるのも、英語教育で当たり前とされることへの疑問です。

僕に断言できるのは、
「今の僕には外国人相手の日本語教師は、絶対にできない」
ということです。

日本語の間違いを修正したり、ボキャブラリーを教えることはできます。
会話のトレーニングの相手をすることもできます。
文法を説明したり、文章の書き方を指導することもできるでしょう。
発音の修正もできます。

ですが、どうやったら日本語が身につくのかは分かりません。

もしかすると、「英語を身につけた」と言えるレベルになったときには
どういう風にすると日本語を習得できるかも教えられるかもしれませんが。

逆に、僕自身が、どうやったら英語を上達させられるかは
ネイティブの英語教師よりも分かっている自信があります。

間違いをチェックしてもらうことは重要ですが
間違いをチェックするだけで言語を習得できるわけではないと思います。

端的に言えば、効果的なトレーニングが必要なんです。

それは闇雲に会話をしていれば良いわけでもないし
新しい言い回しを覚えていくだけのことでもないでしょう。

チンパンジーやボノボでも簡単な手話を使ってコミュニケーションができたり、
入りくんだ文法構造の違いを理解できるという報告はあります。
手話を覚えたチンパンジー同士は、手話でコミュニケーションをすることもあるそうです。

しかし、それが本当に言語を運用しているかというと
そこには大きな疑問が残ります。

言語の重要な特徴の1つは、生成的であることです。
知らない文章も理解できるし、初めて使う文章も作れるようになるのが
言語を習得しているということです。

言い回しを増やしていくのも重要ですが、
言いたいことを自然に言えるようにすることも重要なわけです。

そのためのトレーニング法はネイティブには分からないでしょう。
僕は、「日本語で言いたいことを表現するには、どうしたらいいか?」と聞かれても
その方法を的確に説明できる自信がありません。

何より、僕の日本語は片寄っています。
僕は、僕の言いたいことを”大体”日本語で言えますが、
僕が使わない日本語の表現なんて無数にあります。

僕にとって必要な英語のレベルは、自分の日本語のレベルなんです。
もしかすると頑張れば英語を日本語以上にできる可能性もあるでしょう。

今、僕が受講しているカウンセリング講座の講師は、そのタイプです。
英語のほうが上手い。

言語能力なんて母国語でも個人差がありますし、
言葉の使い方にも人それぞれの特徴があるものです。

そこまで踏まえて外国語の能力を上げることを想定すると
外国語教育として効果的な手段にも色々な工夫ができると思うんです。

僕は大手の英会話教室にいくつか通ったことがありますが
共通して見受けられるスタイルがありました。

それはきっと言語教育のスタンダードなんでしょう。

すごく不満があります。
悪くないし、やって無駄にはならない。
でも効率的じゃないと思います。

そういう不満が沸いてくるのは、僕が英語教育の専門家ではないからでしょう。

自分の言語能力を、日本語の上達と比較しながら分析できる形で
大人になってからトレーニングしようとしているからだと考えられます。

英語をやるまで、自分がどうやって日本語を上達させたかなんて
考えたことがありませんでした。

ですが、違った種類の物に取り組むと、両方の特徴が見えてくるようです。

どうも僕にはそういう側面が多い気がします。
反対側からアプローチするというか。
反対側も知っておくことで、視野を広げようとするというか。

アウトサイダーなんでしょうかね。

今度は、外国人のための日本語学習の本でも読んでみることにします。

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード