2012年08月24日

何を信じるか

例えば、目隠しをして、10枚の中から、丸の描かれた紙を当てるとします。

10枚の白紙を用意して、1枚にだけマジックで丸印を描く。
それで目隠しをして、他の人が紙をシャッフルして、
一枚ずつ、目隠しをした人の手元に紙を差し出す。

目隠しをしながら、紙の上に手をかざして、
その”感じ”から、どの紙に丸が書いてあったかを当てる、と。

そんなゲームがあったとします。

そのときに75%の確率で当てられる人がいたしたら、
それをどう説明するかという話です。


ある人は統計的に回数を測って、
これぐらいは偶然にあり得る範囲だと示そうとするかもしれません。
そのために、何度も回数をこなすように依頼するケースです。

その人は回数を重ねて、数学的に有意なことが示せたら
「この人物は75%の確率で、丸の描かれた紙を当てられる人です。
 ちゃんとエビデンスをとってあります。」
みたいな結論に至ることになるでしょう。


またある人は、「これはトリックだ」といって
どんなトリックを使っているかを調べようとするでしょう。
実は目隠しが透けて見えているとか、誰かが合図を送っているとか、
小型のセンサーが仕組まれていて分かるようになっているとか。

それで色々調べたけれど見つからなかったら、
「まだ見つかっていないけれど、巧妙な仕掛けがあるはずだ。
 もっと時間をかけて調べさせてくれれば見つけてみせます。」
なんていうかもしれません。


他の人の中には、「これは超能力だ」といって
その人の特殊能力に感動する人もいると思います。
「やっぱり科学では分かっていない人間の神秘が存在するんだ。」
と言うかもしれません。

そして、「もっと他にも超能力を見せて下さい。」
と頼んで、”念力”で物を動かしたり、”霊”の声を聞いたり…。


色々な反応の仕方があると思いますが、
『何かを信じているかどうか』というのは重要だと感じます。

超能力を信じているなら、不思議な現象は「超能力」として説明したほうが
納得のいくものに思えることでしょう。

「超能力なんてない」と、逆に言いうと
「自分が日常的に体験していること以外はありえない」と信じていれば、
自分にとってあり得そうな「トリック」として説明すると納得できるようになるでしょう。

どちらも目の前の現象を見ていない気がします。

目の前で起きていたのは、
 「かなりの高確率で、丸が描かれた紙を目隠しした状態で当てられた」
という出来事なんです。

そういうことは起きたんです。
一応、そう言える。

その上で、それを解釈するときに
超能力だと思うか、トリックだと思うか、の話だとしたら
どちらも限られた可能性でしか物事を見ていないといえます。

信じているんです。
疑っていないんです。
どの立場であっても、自分の立場を疑っていないんです。


もしかしたら、物凄く感覚体験を鋭敏にしていくと
かすかな光の反射の仕方の違いが生み出す熱の違いを
感じ分けられる人が出てくるかもしれません。

トリックだと信じていたら、トリック以外の可能性には気づけないでしょう。

分からないことが起きたときに、
「説明のつかないことは、あり得ない」と
説明できる方向に持っていくのは、
新たに何かを発見しようとはしていないように思えます。

今までの知識で説明がつかないことは「分からない」のであって、
「あり得ない」わけではないと思うんです。

「まだ分からないけど、そういうのもあるかもしれない。
 あるとしたら、どういうメカニズムが考えられるだろうか?」
という発想が新たな発見を生み出すんだと思います。


また、もし超能力だと信じていたら、他の超能力らしきものも
まとめて信じてしまいやすくなる危険性があります。

仮に、本当に手をかざすことで丸の描いた紙が識別できたとしましょう。
そういうことができる人だ、と。

それが意味するのは、あくまで
「その人には、手をかざして丸の描いた紙を当てることができる」
という範囲までなんです。

他に何ができるかは定かではありません。

しかし、「だから、この人は超能力者だ」と信じてしまうと
それに付随する周辺の内容も、一緒に信じてしまいやすいんです。

その人が手を触れずにペンを動かしたとしたら
「今度の超能力は”念力”だ!」と思い込みやすいわけです。

丸の描いた紙を当てるのはできたとしても、
手を触れずにペンを動かすのにはマジックの技術を使っているかもしれません。

超能力のある人が「あなたの後ろに先祖の霊が見えます」といったら
それも一緒に信じてしまう場合もあるんじゃないでしょうか。

同じように、目の前の人を見ているだけで、
その人の部屋の中が見える人がいたとします。
それでも、その人が芸能人の家の中が分かるとは限りません。
目の前にいる人と、離れたところにいる有名人とは、別の条件ですから。

つまり、出来事を見るようにすれば違いを区別できることが、
「超能力」という1つの説明の仕方に当てはめてしまうと、
それによって関係のないものまで一緒に信じてしまうリスクがある、ということです。

1つの説明の仕方を信じる場合には、そういう危険性もあるはずです。


今まで知っていた説明の仕方に当てはまらない体験があったとき、
それを「あり得ない」として切り捨てるようにしていたら
何か大事なものを見過ごしてしまうかもしれません。

その一方で、「ある」ことを前提に、新しい1つの説明の方法で理解すると
その説明の方法に関連する色々な内容も一緒に信じてしまうかもしれません。

超能力でもスピリチュアルな力でも呼び方は何でもいいですが、
その説明の仕組みが含んでいる1つの現象(例えば、透視)がありそうだとしても、
他の全ての説明まであり得るとは限らないわけです。

むしろ、「分からないけれど、こういうのもあるんだ」とだけ思っておいて
特別な名前や理論で理解しないようにするほうが安全で実用的な気がします。


1つの説明のモデルを信じると、
それに含まれる全ての部分を受け入れることになります。

同時に、別種の説明のモデルは
丸ごと受け入れないことになる場合もあります。

現状の科学を信じていて、超能力は受け入れない。
超能力を信じていて、科学に批判的になり、超能力全般を信じる。
どちらも何かを信じている点では共通しているようです。

こういうのは色々なところで見受けられる気がします。

「お金が大事だ」、「いや、心が大事だ」。
真逆に転じる人もいるみたいです。

マーケティングのテクニックを駆使してお客さんを集めるスタンスも、
お客さんを”引き寄せる”ように心構えを変えていくスタンスもあります。

一見すると、折衷案というか、「良いとこどり」が良さそうに思えるかもしれません。

しかし、「良いとこどり」は、本質的に1つを信じているのと大差ないと考えられます。
「良い」と判断する基準は自分の中にあって、その基準を信じているからです。
折衷案として、自分の経験から「良い」と感じられたものが既に存在していて
それを信じているから「良いとこどり」が可能になるということです。

ですから、僕が個人的に大事にしたいスタンスは
『全てを疑う』こと。

徹底的に批判する。
全てを批判して、残った中にこそ
辻褄が合って、これ以上批判しようのないものが得られる気がします。

何かを拒絶するのは、疑っていないし、批判していないはずです。
拒絶することで守ろうとしているほうを、信じているからです。

反対側を批判して、自分の好きなほうを批判していないときには
偏った信じ方になっているかもしれません。

自分が好きな説明にも疑いと批判の目を向ける。

もちろん、批判の結果として残ったものにも常に批判を続け、
自分の批判の仕方そのものも批判的に見ていく。

そうすれば、信じて盲目になる危険性は回避しやすいんじゃないでしょうか。


理論や技術なんて、いくら疑って批判したって、大したことはないと思います。

むしろ、そういう批判を続けて最後に残るのは
「人との触れ合いは良いものだ」とか
「信じたい人に出会えることが財産だ」とか
そういった主観的な体験談としての思い込みのようです。

誰かから習った理論の一部として同じ内容を信じているときと、
全てを疑った結果として残ったものとして感じているときとでは、
印象も違いそうです。

かなり際立って見えて、余計に感慨深いものに感じられますから。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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