2012年10月30日

見ている世界が違う

心を”理解する”ための発想として、心理学は
「観察可能」であることを重視したそうです。

それがサイエンスのスタンスだから、と。

ここでいう『観察』とは、必ずしも肉眼による観察だけのことではありません。
顕微鏡や望遠鏡、あるいは計測装置を使って『観察』することも含みます。

ですから、脳波を測ったり、fMRIの画像を見たり、血中濃度を調べたりするのも
サイエンスとして『観察』をしていることになるわけです。

これは哲学が、人の頭の中で進んでしまって
心という目に見えないものをサイエンスから遠ざけてしまったことへ
反論するような意味合いがあったためだと言われます。


にもかかわらず、僕からすると
心をサイエンスで捉えようとした人たちは
人間を全然観察していないように感じられます。

物事を分類するときの条件として「〜が見受けられること」
というのは良くあります(観察されるということ)が、
そもそも、その注目の仕方が大雑把なんです。

本来、サイエンスで機械を使って計測する目的は
人間が識別できる限界以下の情報を区別できるようにするためでしょう。

顕微鏡は肉眼では分からないほど小さな世界の違いを見せてくれます。
望遠鏡は肉眼では小さな点にしか見えないほど遠くにあるものを
拡大することで違いが分かるようにしたものです。

重さを測る「はかり」は、手で持っただけでは正確に言い表せない違いを
100グラムと101グラムの違いとして教えてくれます。

その細かな違いを把握できるように計測装置を使っているんです。
科学者は、そういう仕組みを作ってきたんです。

そうすることで、より細かな違いを『観察』できるようにするために。


一方で心理学で扱われる『観察』できる情報とは
大雑把なものになっていることが多いように感じられます。

つまり、『観察できる』ということが
「パッと見て、分かりやすいほどに、大きく違っている」
という意味になっているんじゃないか、と思えるんです。

例えば「無感情」と定義されるような状態があります。
統合失調症のサブタイプとして観察されると言われるものです。

ですが、僕がそういう「無感情」と呼ばれる症状をビデオで見ると
全く「無感情」とは捉えられません。

多くの場合、「蓄積された悲しみ」と「やりばのない怒り」、「嘆き」が見られます。
僕には、それが『観察』されるわけです。
一般的には「無感情」として、「感情が観察されない」とされるのに、です。

『観察』の仕方が大雑把なんでしょう。
仮に「笑っている」というのを捉えるとしたら
笑っていると判断するために必要な表情筋の変化量が大きいんです。
沢山動いたときにだけ、「変わった」と判断する。

100グラムと101グラムの違いは「変わらない」、
100グラムが200グラムになったら「変わった」と『観察される』感じ。

そういう大雑把な分類のほうが、物事を整理するときに
複雑になり過ぎないので便利だというメリットは分かります。

ただし、それは大多数の人を集合として見るときの観察の仕方であって、
目の前の一人を観察するときの見方ではない気がします。

そこは目的に応じて区別したほうが役に立つと思います。

他のサイエンス分野が計測手段を熱心に開発してきたのと同様に
心理学者自身も、心の内側を細かく識別できるようにする手段を
開発するように取り組んでも良いんじゃないでしょうか。

過去の流れに乗って研究を進めるのは
その分野に認めてもらうために必須なことかもしれませんが、
同時に、新しいことを始めるのも大切だと思うんです。

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 野島 雅   2012年11月02日 01:35
5  ブログを拝見しながら、最初原田先生が仰りたい内容がダイナミックレンジのことかな?と勝手に憶測しておりました。そうではなく、数値の線形性にそもそもが疑問があるものだと理解しました。よろしかったですか?僕に言わせれば、心理学の間違えは、そもそも物でないものを物質で収支する現象であると捉えたことにあると思っております。
2. Posted by 原田   2012年11月10日 13:10
野島さん

おっしゃる通りです。
気持ちとしては両方が含まれているようにも思いますが、
根底にあるのは、計測しようとしている対象そのものの定義に対する疑念です。

「心」が何であるかが曖昧なまま、
無理やりサイエンス寄りに進もうとした歴史を
今もまだ続けている印象は受けます。

個人的には、一人ひとりの著名な心理学者の着眼点には同意できるんです。
ただ、全員が人の活動の一側面を議論しているのに
後の研究者が別の側面に注目して反論するために、
不毛な会議のような事態になっているようで。


心や意識、注意や感情など、言語的・文化的に扱ってきたものを
実在する物のように仮定したまま議論するのをやめれば
もっと人の振る舞いの機微を把握する学問としてサイエンスに寄っていけるかもしれません。

そうすると「心」が対象とは呼べなくなってしまうんですが…。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード