2013年04月26日

「間違っている」ことに対して

世の中に100%正しいことはない。
全ては仮説だ。
…というのが僕の基本的なスタンスです。

でも「間違っている」ことはあります。

筋が通っていない、矛盾が含まれている…
などが「間違っている」の基準です。

なので、「間違っていなそう」なことか
「間違いが含まれている」ことか、
という違いで物事を捉えている気がします。


とはいえ、そういう日本語の使い方をしていると面倒臭いですし、
なかなか共通認識をしてもらえないので、
「間違いが含まれている」ことのほうを
「間違っている」という日本語で呼ぶことにしています。

そっちは一般的な認識とズレが少ないと思うので。

ですから、僕は「間違っている」という言葉を普通に使います。

ここで重要になるのが、
『良し悪し』や『善悪』との関係。

僕の中で、「間違っている」かどうか、と
「良いか悪いか」は無関係なんです。

「それは間違っている」と判断するときでも
「だから良くない(悪い)」という意味ではないんです。

間違っているから面白いこともあるし、
間違っているから可愛らしいこともある。
間違っているから役に立つことも、
間違っているから意義がある場合もある。

それは、「長いから良くて、短いから悪い」わけではないのと同じです。


そのため、カウンセリングの際に、クライアントの発言内容に矛盾があっても
それを「悪い」こととしては捉えていないつもりです。

むしろ、その矛盾にこそ、その人にとって大事な何かがあるんだろう、
と想像して、その裏にある想いを読みとろうする気持ちが沸いてきます。

一方、情報発信者の立場にある人が「間違っている」場合には
僕は不満を感じます。

そこには責任があると考えるからです。
その発言が受け取り手にたいして影響を及ぼすからです。

ただ個人的に嫌いなんです。

『良し悪し』の基準ではなく、『好き嫌い』の基準なんです。

僕は人工甘味料の入ったコーヒー飲料は『嫌い』なので飲みません。
「微糖」なんて表示されていると、かなり警戒します。

味の問題です。
僕の味覚の好みは、コーヒーと人工甘味料の組み合わせを
「マズイ」と判断します。

不快なものとして捉えるんです。
嫌いなんです。

でも、世の中には、同じ商品を好きな人もいる。
その人たちに「それはオカシイ!」なんて言うつもりがないのと一緒です。

好みの違いということです。

同様に、同じ種類の人工甘味料でも、
清涼飲料水や紅茶に入っている場合は大丈夫です。
むしろ積極的に、そちらを選ぶぐらい。

僕の味覚の好みは、そっちの組み合わせは『好き』と判断して
コーヒーとの組み合わせを『嫌い』と判断する。

それぐらいのことです。

僕は、情報発信者として責任ある立場の人が
「間違っている」ことを伝えている場合が『嫌い』なわけです。


最初から「この発信者は間違ったことを言う」と知ることができれば
そこに近づかなければ良いだけの話なんですが、
現実はそう簡単ではありません。

本人も間違っていることに気づいてないようですし、
わざわざ「私は間違っていることを言います」とも言わないでしょう。

ちなみに、僕は立場上、「間違っている」情報なのに
決められたカリキュラムだから伝えなければいけないことがあって、
そういう場合には「…と言われています」と語尾を変えて逃げていたものです。

で、そうなると、「間違っている」かどうかは聴いてみないと分かりません。

「間違っている」と判断するのは拒絶しているからではないんです。
ちゃんと理解しようとするプロセスを通したからこそ、
その中に「間違い」を発見できるんです。

頭ごなしに拒否するのでもなく、かといって無条件で鵜呑みにするのでもない。
受け入れるかどうかは別にして、理解しようとするから「間違い」に気づく。

それは「理解する」、「分かる」という状態そのものが
「筋が通っていて納得できる」ことを表現しているからだとも言えると思います。

僕は全ての情報に「筋が通っていて、矛盾がないか」どうかを気にしながら
相手の話を聞こうとする癖があるようです。

そして「筋が通っていて、矛盾がない」ときに、
「なるほど、そうだ」と納得する。
これが「理解した」とき。

つまり、「間違っている」ときというのは
「理解しようとして聞いていたのに、理解できなかった」ときでもあるんです。

そのときに、「間違っている」と感じる。

コーヒーの喩えに戻ると、
口に入れて味わってみたら「うわ、これ人工甘味料が入っているじゃん!」
って後から気づいてしまう感じです。

嫌いなものを間違えて口に入れてしまったようなものです。
場合によっては、無理やり口に入れられたように感じることもあります。

そんな不快感なんです。
嫌いだから。

自分が、自分自身の楽しみのために理解しようとしているからこそ
「間違っている」ことに気づくのが嫌なのかもしれません。

クライアントの話は、自分の楽しみのための理解ではありません。
目的が違います。

このあたりに重要な差があるようです。

クライアントの話が「間違っている」のは『好き』。
責任ある立場からの情報発信が「間違っている」のは『嫌い』。

そういう好み。

繰り返しになりますが、その『好み』は『良し悪し』じゃないんです。

ただの『好き嫌い』なんです。

お願いですから、僕のコーヒーの中へ勝手に人工甘味料を入れないで…
そんな感じ。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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