2013年09月06日
ビリーフを変える
ビリーフが制限を生み出しているとか
ビリーフを変えれば人生が変わるとか
そういった考えに基づいている人は、
その考え自体がビリーフだと
どれくらい自覚しているのでしょうか?
そのビリーフを変えたら、どんなに可能性が広がるか。
場合によっては、
「私には、このビリーフがあるからダメなんだ」と
新たな制限を作っているかもしれません。
ひょっとすると、
「疑うことは良くない」
とでもいったようなビリーフを持っているのでは?
ビリーフチェンジのステップには
「疑ってみる」というのが含まれているんですけどね。
ビリーフを変えれば人生が変わるとか
そういった考えに基づいている人は、
その考え自体がビリーフだと
どれくらい自覚しているのでしょうか?
そのビリーフを変えたら、どんなに可能性が広がるか。
場合によっては、
「私には、このビリーフがあるからダメなんだ」と
新たな制限を作っているかもしれません。
ひょっとすると、
「疑うことは良くない」
とでもいったようなビリーフを持っているのでは?
ビリーフチェンジのステップには
「疑ってみる」というのが含まれているんですけどね。
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この記事へのコメント
1. Posted by 渡辺 由紀子 2013年09月06日 23:23
私の癖で話が飛躍したら申し訳ないのですが、NLPなどを学ぶ事が、今の自分を手放して新しい所にふみださなければならない、に直結するのでしたらそれはいかがな物かな、と思います。
世界的なセラピストが平穏な家庭を築けなくても、その人のセラピーを受けたい、という人がいてもそれはそれなんですが・・・「生の現場」で、あなたは自分の顧客とどれだけ良い関係を持ててるの、とか、自分の身内の気持ちを受け止められてるの、とか問い直された時に揺るがない自分で居たいな、と思います。
そこに寄与してもらえる方便だけが、信じるに足る、といった感じでしょうか。
世界的なセラピストが平穏な家庭を築けなくても、その人のセラピーを受けたい、という人がいてもそれはそれなんですが・・・「生の現場」で、あなたは自分の顧客とどれだけ良い関係を持ててるの、とか、自分の身内の気持ちを受け止められてるの、とか問い直された時に揺るがない自分で居たいな、と思います。
そこに寄与してもらえる方便だけが、信じるに足る、といった感じでしょうか。