2013年09月23日
好きだから見えなくなる
催眠療法家ミルトン・エリクソン。
縦横無尽なスタイルで圧倒的な成果を出したそのパフォーマンスは
伝説的に語り継がれ、多くのファンを持っているようです。
エリクソンから学ぼうとした人、今も学ぼうとしている人は
きっと沢山いることでしょう。
いったいエリクソンは何をやっていたのか?
直接エリクソンの生徒として学んだ人も、
エリクソンの手法を研究した人も、
ビデオや音声を調べている人も、
「エリクソンが何をやっているか?」を知ろうとする限り、
それを理解することはできないと思います。
多分、不可能です。
なぜか?
簡単な話です。
『エリクソンに興味を持ち過ぎているから』。
ミルトン・エリクソンという催眠療法家の最大の特徴が
柔軟なやり方で、他の誰も理解できないような不思議さを伴いながら
セラピーの結果を出していたということでしょう。
だから魔法のようだと評価される。
そして誰もが、その魔法の秘密に興味を持つ。
何をしているかを知ろうとするんです。
それでエリクソンの言語パターンを分析したり、
エリクソンの声の使い方や仕草の使い方を分析したり、
セラピーの構造を解析しようとしたりする。
沢山の事例を元に、エリクソンの特徴を調べようとするんでしょう。
だから見えなくなる。
クライアントが。
エリクソン自身がクライアントに合わせて対応を変えていたのは
エリクソンのことを崇拝する人だったら皆、知っているはずです。
柔軟に、様々なクライアントに対応していた、と。
もっといえば、その型にはまらない対応が
クライアントと見事に合っていたから、
魔法のようなパフォーマンスに見えたんじゃないでしょうか。
つまり、エリクソンがやっていたことは
クライアントに合わせて違っていた、ということ。
そう考えるなら、少なくともエリクソンのやり方を方法論として整理するには
クライアントの特徴を基準に調べていく必要があるでしょう。
でも、そういうスタンスの人は少なかったんだと思います。
もしいたとしたら、
「どのようにエリクソンは、クライアントを見立てていたか?」
という、セラピー技法以前の部分の論点が生まれていたと考えられます。
…もちろん、僕の知識が足りないだけで、いたのかもしれません。
いたとしても主流ではなかったのではないか、と。
自然なことでしょう。
だって、エリクソンに興味があるんですから。
エリクソンを尊敬していて、エリクソンを学びたいと思っているんですから。
エリクソンのセラピーに来た人たちの問題や
その人たちの心の内側に何が起きていたのか、
そもそも人の心とは、どのような仕組みになっているのか…
そういった観点への興味は、エリクソンへの興味を下回っていた。
だとしたら、クライアントに合わせようとしていたエリクソンのやり方を
どれだけ分析しても、断片的なものしか見つからないでしょう。
だからといって、
クライアントに合わせる
クライアントに寄り添う
その瞬間に起きていることを大切にする
といったポイントを説明したとしても、
心構えのレベルで終わってしまう。
「どのようにして、それをやるか?」がないんです。
どのようにクライアントに合わせたか、
どのようにクライアントに寄り添ったか、
どのように、その瞬間に起きていることを大切にしたか。
これらは、クライアントへ注目することなしに知りようがありません。
今となっては、エリクソンのクライアントについて情報を得ることも、
エリクソンの着眼点を知ることもできないのは残念なところ。
守秘義務があってクライアントの情報を議論できなかったとしても、
エリクソンの相手への合わせ方の原理であれば、
クライアント以外の人への対応を見て学べたはずです。
エリクソンを崇拝して、エリクソンに関心を持って、
その技術を学ぼうとする気持ちが強いほど、皮肉なことに、
クライアントへの興味が薄れてしまうんじゃないかと思えてなりません。
ミルトン・エリクソンの言語パターンだなんて、
目の前のクライアントに関心を向けていたエリクソンにとって
一体どれだけ大事なことだったんでしょうか?
そういう研究を耳にしたときのエリクソンの顔が見てみたい。
縦横無尽なスタイルで圧倒的な成果を出したそのパフォーマンスは
伝説的に語り継がれ、多くのファンを持っているようです。
エリクソンから学ぼうとした人、今も学ぼうとしている人は
きっと沢山いることでしょう。
いったいエリクソンは何をやっていたのか?
直接エリクソンの生徒として学んだ人も、
エリクソンの手法を研究した人も、
ビデオや音声を調べている人も、
「エリクソンが何をやっているか?」を知ろうとする限り、
それを理解することはできないと思います。
多分、不可能です。
なぜか?
簡単な話です。
『エリクソンに興味を持ち過ぎているから』。
ミルトン・エリクソンという催眠療法家の最大の特徴が
柔軟なやり方で、他の誰も理解できないような不思議さを伴いながら
セラピーの結果を出していたということでしょう。
だから魔法のようだと評価される。
そして誰もが、その魔法の秘密に興味を持つ。
何をしているかを知ろうとするんです。
それでエリクソンの言語パターンを分析したり、
エリクソンの声の使い方や仕草の使い方を分析したり、
セラピーの構造を解析しようとしたりする。
沢山の事例を元に、エリクソンの特徴を調べようとするんでしょう。
だから見えなくなる。
クライアントが。
エリクソン自身がクライアントに合わせて対応を変えていたのは
エリクソンのことを崇拝する人だったら皆、知っているはずです。
柔軟に、様々なクライアントに対応していた、と。
もっといえば、その型にはまらない対応が
クライアントと見事に合っていたから、
魔法のようなパフォーマンスに見えたんじゃないでしょうか。
つまり、エリクソンがやっていたことは
クライアントに合わせて違っていた、ということ。
そう考えるなら、少なくともエリクソンのやり方を方法論として整理するには
クライアントの特徴を基準に調べていく必要があるでしょう。
でも、そういうスタンスの人は少なかったんだと思います。
もしいたとしたら、
「どのようにエリクソンは、クライアントを見立てていたか?」
という、セラピー技法以前の部分の論点が生まれていたと考えられます。
…もちろん、僕の知識が足りないだけで、いたのかもしれません。
いたとしても主流ではなかったのではないか、と。
自然なことでしょう。
だって、エリクソンに興味があるんですから。
エリクソンを尊敬していて、エリクソンを学びたいと思っているんですから。
エリクソンのセラピーに来た人たちの問題や
その人たちの心の内側に何が起きていたのか、
そもそも人の心とは、どのような仕組みになっているのか…
そういった観点への興味は、エリクソンへの興味を下回っていた。
だとしたら、クライアントに合わせようとしていたエリクソンのやり方を
どれだけ分析しても、断片的なものしか見つからないでしょう。
だからといって、
クライアントに合わせる
クライアントに寄り添う
その瞬間に起きていることを大切にする
といったポイントを説明したとしても、
心構えのレベルで終わってしまう。
「どのようにして、それをやるか?」がないんです。
どのようにクライアントに合わせたか、
どのようにクライアントに寄り添ったか、
どのように、その瞬間に起きていることを大切にしたか。
これらは、クライアントへ注目することなしに知りようがありません。
今となっては、エリクソンのクライアントについて情報を得ることも、
エリクソンの着眼点を知ることもできないのは残念なところ。
守秘義務があってクライアントの情報を議論できなかったとしても、
エリクソンの相手への合わせ方の原理であれば、
クライアント以外の人への対応を見て学べたはずです。
エリクソンを崇拝して、エリクソンに関心を持って、
その技術を学ぼうとする気持ちが強いほど、皮肉なことに、
クライアントへの興味が薄れてしまうんじゃないかと思えてなりません。
ミルトン・エリクソンの言語パターンだなんて、
目の前のクライアントに関心を向けていたエリクソンにとって
一体どれだけ大事なことだったんでしょうか?
そういう研究を耳にしたときのエリクソンの顔が見てみたい。