2014年05月17日
鳥
道を歩いていて、
目の前に傷ついた鳥が落ちてきたら
ただなんとなく、自分にできることをしようとする。
そんなスタンスで人と関わると
カウンセリングやセラピーが上手くいきやすいようです。
そこには
「傷ついた鳥を救うことが自分の天命だ」
なんていう使命感もないし、
「どうすれば傷ついた鳥が沢山落ちてくるか?」
といった集客の悩みもない。
ただ傷ついた鳥に気持ちを向けられることそのものが
関わりの結果に大きな違いを生むようです。
技術は「自分にできること」の幅を広げる意味で大事ですが、
気持ちの向け方がズレると空回りする印象があります。
助けたいという悲壮感や
関わることへの好奇心は
だから出発点に過ぎないんでしょう。
鳥の存在にさえ気づかないなら
まずは好奇心が役立つかもしれませんが、
傷ついた鳥に向く気持ちは
好奇心とは別のもののような気がします。
目の前に傷ついた鳥が落ちてきたら
ただなんとなく、自分にできることをしようとする。
そんなスタンスで人と関わると
カウンセリングやセラピーが上手くいきやすいようです。
そこには
「傷ついた鳥を救うことが自分の天命だ」
なんていう使命感もないし、
「どうすれば傷ついた鳥が沢山落ちてくるか?」
といった集客の悩みもない。
ただ傷ついた鳥に気持ちを向けられることそのものが
関わりの結果に大きな違いを生むようです。
技術は「自分にできること」の幅を広げる意味で大事ですが、
気持ちの向け方がズレると空回りする印象があります。
助けたいという悲壮感や
関わることへの好奇心は
だから出発点に過ぎないんでしょう。
鳥の存在にさえ気づかないなら
まずは好奇心が役立つかもしれませんが、
傷ついた鳥に向く気持ちは
好奇心とは別のもののような気がします。