2014年06月16日

調べるのが難しい時代

分からないことがあったとき、僕は結構すぐに調べるほうです。

考えてから調べることもありますが、
調べないままにすることは少ないみたいです。

特に、携帯電話やスマートフォンで調べやすくなってからは
気になったことを放っておかないことが増えたように感じます。

世間一般を見ても、インターネットから様々な情報を入手することが
増えてきているような印象を受けます。

「あれ、これって何だっけ?
 分からない。
 じゃあ、ちょっと調べてみよう。」
といった感じ。


ただ、この『調べる』の場合、情報源が重要になります。
どういう根拠の情報なのか、と。

この情報源に関しても、大別すると
・個人の見解に由来するもの
・全体としての知識体系と一部となるもの
があるはずです。

この区別は必ずしも学問的かどうかの話ではありません。
言いだしっぺが特定できるかどうかでもありません。

「その情報は、これまでの他の知見と辻褄が合うか?」です。

例えば、フロイトの防衛機制や、マズローの自己実現理論は
心理学という学問の範囲内で語られますが、
その理論と関連づけられる他の科学の知見はありません。

統計を使って説明される心理学の発見も、
その観察結果が確からしいことを示すまでであって、
他の知見と結びつけることは困難です。

一方、化学や物理などのサイエンス分野では、
注目する現象の大きさをズームインしたりズームアウトしたりすると
相互に密接な繋がりが見えてきます。

一言でいえば、エネルギーの相互作用という観点に集約する。

数学は説明するための言語の1つといったところでしょうか。
測定データを元に、英語や日本語で説明をするのと同様に
数式そのもので議論を進めるやり方があるということです。

このように、
 「物事がどのように相互作用しているか」を
 専門的に定義された言語を使って説明して、
 得られている知見が全て辻褄の合うように知識を集約する
というのが、サイエンスの基本的なスタンスだと思われます。

それには全ての知見を集約させるためのルールが必要です。
そのルールの元で語られた情報が集約されて、
一人の人間では到底把握しきれないだけの膨大な知識となっている。

(だからルールに則らずに発表されたものは、どんなに斬新でも
 それはサイエンスには組み込まれず、
 ただの個人的見解として受け取られることになるわけですが…)

これまでサイエンスで調べられてきたその膨大な知識へ追加するように
1つの「分からなかった」現象を説明していくことで、
新たに1つ「分かる」ことが増えるといえる。

そういうスタンスで「分かる」を増やしていく方向性があります。
こっちは個人の見解ではなくて、人類の知識の集結なんです。

なお最近では心理学の知見も、脳機能と関連づけることで
脳という物質レベルの相互作用として説明されつつあって、
心のメカニズムをサイエンスに含めようとする流れも見られます。

ということで、
・個人的見解として語られる情報
・全体としての知識体系の一部となる情報
とがある、といった話です。


で、分からないことがあったときにインターネットやら本やらで調べると
この両方の種類の情報が、あまり区別されずに見つかってしまうんです。

学術論文の体裁をとっていても、必ずしも
1つの大きな知識体系の一部とはなっておらず、
個人の見解が発表されていることはよくあるものです。

特に、日本でいわゆる文系として扱われる分野の学術論文では
「○○がこう言った。それに対して△△はこう言った。
 両者には〜の視点が欠けている。
 私は〜を元に、…だと考える。」
といった論じ方が多いんです。

過去の見解に対する反論や付け加えで議論が進む。
これはこれで議論として面白いものでしょう。

ただ、サイエンスが1つの集合知識を作ろうとする方向性とは違う気がします。

人それぞれ意見があって、皆で意見を戦わせながら
議論の歴史を重ねていく感じに見えます。

もちろん、歴史的な資料が発見されて説得力が上がる意見もあるでしょうが、
『事実』というものが厳密に調べられない以上、
個人の見解に影響を受けることは避けられないと考えられます。

現実的には、そうした意見を数多く引用して、自分の経験と結びつけて
自分の生活や仕事に役立つ発想を利用できれば望ましいわけです。

ですから、誰の見解を採用しようが個人の自由だといえますし、
「最終的に自分に役だった」、「自分が納得できた」
ということが重要なんだと思います。

良し悪しではなく、サイエンスとは取り組みの方向性が違うだけのことです。

学術的であっても、学術的でなくても、個人の意見に由来する情報がある。
「私はこう思う」と言っているものでも、
「○○はこう言った」と説明しているものでも、
「〜の教えでは伝統的にこのように言われている」と伝授してくれるものでも、
出発点が個人的見解となっている。

サイエンスの方向性とは別の情報がある、と。

この区別をしているのは、調べた後の結果に違いが生まれるからです。

サイエンスとして1つの集合知識から調べた場合、
どこまで調べるかは詳しさの程度によって決まります。
言い換えると、周辺分野の情報をどれだけ必要とするか、ということです。

例えば、遺伝子が耳の形にどのように影響するかを調べたとしたら、
「〜という遺伝子が関係しています」で済ますのか、
「その遺伝子は何番染色体のどの部位にあるか」まで調べるのか、
「その遺伝子が発現するタンパク質が発生段階にどのように作用して
 耳の形を決定するか」まで調べるのか…、
色々なレベルで情報を集められます。

「そもそもDNAって何だ?」とか
「塩基同士の水素結合ってどういうこと?」とか
「分子が電気的に偏るって?」とか
「炭素の原子軌道って?」とか
1つの物事を詳しく説明するためのレベルには際限がありません。

遺伝子と耳の形の話であれば、
化学でも物理でも、様々な前提知識まで広げていけるわけです。

あとは、調べる本人がどこまで知りたいか、でしょう。
関連知識の詳しさによって調べる範囲も変わるはずです。

調べる情報量と関係するのは、
 「どれだけ詳細な理解をするか」
だといえます。

一方、個人的見解に由来する情報の場合、
調べる情報量と関係するのは
 「そのテーマについて、どれだけ見解のバリエーションを求めるか」
になるでしょう。

例えば、
「耳の形について、江戸時代の○○は〜といっている」
「東洋医学では耳の形には…との関係性が説明されている」
「〜の国では、…のような耳が美しいとされている」
などと、
情報の出所を広げていく形になります。

こちらも調べればキリがありません。

そして調べるほどに知見は広がっていきますが、
それぞれの見解同士が矛盾することがあるのも特徴でしょう。

だからこそ「○○は〜といった。私は…だと思う。」という議論が起きる。

調べながら意見の違いを比べたり、共通点を探したりして
情報量を増やしていくんだと思います。

もちろん、沢山の情報を集めて
「なるほど、色々な意見があるんだなぁ」
と感じて調べ物が終わることもあるはずですが、
人によっては、
「だとすると、自分の経験からしても、この意見に賛同するなぁ」
なんて結論に辿り着くこともあるようです。


こうした情報の種類の違いは、以上のように調べる量を増やすほどに
顕著な傾向として見えてくると考えられます。

詳しく専門的な情報が増えてくるのか、
発言者によって様々な意見の違いが見えてくるのか。

この傾向の違いで、調べた結果として得られるものが変わってくるわけです。

いわば、
 仕組みを詳しく知っていく方向性

 様々な意見を数多く知っていく方向性
がある、
ということです。

だからこそ、詳しく調べなかった場合に起きることも
違った結果となりがちです。

集合的知識として全体で辻褄があった情報の場合(サイエンス寄り)
調べる程度は「仕組みの詳しさ」ですから、
詳しく調べなかった場合には分かりやすくするための「ごまかし」によって
誤解をしてしまう可能性があります。

特に、詳しく調べていない知識を、他の現象の説明に利用しようとすると
矛盾が起きていることに気づかない、という結果が起きがちです。

一方、個人的見解を調べていく場合には
調べる方向性が「意見の種類」になりますから、
詳しく調べなかった場合には「見つかる意見の偏り」によって
入手できる見解が片寄ってしまう可能性があります。

政治的な話、文化・歴史的な話などは特に影響が出やすそうです。
視点によって引っ張り出す情報源も違ってくるでしょうから
様々な視点からの意見を均等に捉えるのは簡単ではないかもしれません。

ここにインターネットという媒体が加わりますから、
さらに事態はややこしくなる気がします。

検索したときに上位に出てくる情報が見られやすくなって
それがまるで正しいかのように思えてしまうこともあるでしょう。

分かりやすくするための大雑把な説明や、1つの視点からだけの意見が
インターネットの検索で上位を占めてしまえば、
調べものの結果として「勘違い」や「偏見」を抱く可能性さえ否定できない。

調べやすくなったからこそ、難しいところだと思われます。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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