2014年06月29日
NLPとは?
学問の1つの特徴は、
用語の定義を明確にしておく
ということでしょう。
だからこそ、専門家同士では共通の言葉を使って話ができる。
例えば心理学者は「感覚」のような単語に対しても
非常にハッキリとした定義をしたうえで、議論をするわけです。
日常会話で「感覚」といったときには、
「五感を通じたインプット」のような意味とか
「身体の感じ」のような意味とか
「なんとなくの印象」とか
「直感的に上手くできる才能」とか
様々な意味で使われます。
それぞれのニュアンスの違いは、話の流れで判断するのが一般的でしょう。
ところが心理学における「感覚」は
「五感に代表される身体の感覚器官において
外部刺激によって反応が引き出され、
それが脳へ向けて伝達されるプロセス」
のように説明されます。
意味づけを含んでいないという点で、「知覚」と区別されるんです。
このように言葉の使い方をハッキリさせておくことで
共通認識に基づいて議論を進めていくことができ、
知見を集約させていけることが学問の特徴でもあるといえます。
一方NLPでは、NLPの専門用語に関しては定義がされていますし、
NLPの手法において使われる単語も、それなりに明確にされています。
しかし、例えば『メタモデル』という質問の言語パターンに関するあたりでは
「メタモデル」が質問のパターン集のことを示しているのか
それとも、言語の性質のことを示しているのか
曖昧にされたままのことが多いように見受けられます。
さらにメタモデルについては、質問のパターンを3つに分類していますが
その分類の仕方に関しても流派によって違いがあったりもします。
『価値観』、『ビリーフ』、『クライテリア』などの用語も使われ方に差があります。
『メタプログラム』については、この概念が提唱された最初の段階で
明確な定義が示されなかったことによって、
次から次に追加されてきた「メタプログラム」が当初考えられていた意図とは
随分と違った方向に進んでしまったような印象さえ受けてしまいます。
定義をハッキリさせないで、かつ
多くの人が新たなものを追加するように提唱できる状態にしておくと、
元々の意味とは違った解釈から生まれたものが
混ざりこんできてしまう可能性があるわけです。
特にNLPの場合には、その実践者の多くに
批判的であることに対して問題視するような風潮もあるようで、
「それは違うだろう」といった議論によって知見を洗練させていくことは
あまり起きてこなかったみたいです。
もちろん個人の好みとして、項目が沢山に増えていくのが楽しい人もいれば
より本質的なところだけが残るように減らして洗練させたい人もいます。
ただ残念ながら、減らす方向は、その情報を提案した人からすると
自分の考えを否定されたように感じられるのか、受け入れ難いのでしょう。
おそらく、そんな事情もあって、NLPは時間の経過とともに
盛りだくさんになっていきながら、同時に曖昧なものが増えてきたようです。
このように、
ハッキリと定義しないままで新たなアイデアを追加し続けた
という点で、NLPは学問とはならず、
当然ながら「心理学」と呼ばれるものでもない、といえます。
心理学は学問として「心理学」という言葉についても
ハッキリとした定義を与えているのに対して、
NLPでは「NLPとは何か?」をハッキリと説明できていないように見えます。
言葉にはされているのかもしれませんが、
その説明が共通認識として明確になっていないのでしょうか。
そもそもNLPとは何か?
それをハッキリとした形で示しておかないと、
新しいものを追加するたびに
その人が「これもNLPでしょう?」と個人的に考えた内容が
次から次へと組み込まれていくことになりかねません。
これまでは歴史の短さから、
創始者たちが提唱したものを全てNLPとしておく
ような流れで済んでいたのかもしれませんが、
この先はそうもいかなくなるんじゃないかという気がします。
用語を整理して、何がNLPなのかを明確にしておく。
そうでないと時間が経つほどに、混乱が大きくなりそうに思えてしまいます。
用語の定義を明確にしておく
ということでしょう。
だからこそ、専門家同士では共通の言葉を使って話ができる。
例えば心理学者は「感覚」のような単語に対しても
非常にハッキリとした定義をしたうえで、議論をするわけです。
日常会話で「感覚」といったときには、
「五感を通じたインプット」のような意味とか
「身体の感じ」のような意味とか
「なんとなくの印象」とか
「直感的に上手くできる才能」とか
様々な意味で使われます。
それぞれのニュアンスの違いは、話の流れで判断するのが一般的でしょう。
ところが心理学における「感覚」は
「五感に代表される身体の感覚器官において
外部刺激によって反応が引き出され、
それが脳へ向けて伝達されるプロセス」
のように説明されます。
意味づけを含んでいないという点で、「知覚」と区別されるんです。
このように言葉の使い方をハッキリさせておくことで
共通認識に基づいて議論を進めていくことができ、
知見を集約させていけることが学問の特徴でもあるといえます。
一方NLPでは、NLPの専門用語に関しては定義がされていますし、
NLPの手法において使われる単語も、それなりに明確にされています。
しかし、例えば『メタモデル』という質問の言語パターンに関するあたりでは
「メタモデル」が質問のパターン集のことを示しているのか
それとも、言語の性質のことを示しているのか
曖昧にされたままのことが多いように見受けられます。
さらにメタモデルについては、質問のパターンを3つに分類していますが
その分類の仕方に関しても流派によって違いがあったりもします。
『価値観』、『ビリーフ』、『クライテリア』などの用語も使われ方に差があります。
『メタプログラム』については、この概念が提唱された最初の段階で
明確な定義が示されなかったことによって、
次から次に追加されてきた「メタプログラム」が当初考えられていた意図とは
随分と違った方向に進んでしまったような印象さえ受けてしまいます。
定義をハッキリさせないで、かつ
多くの人が新たなものを追加するように提唱できる状態にしておくと、
元々の意味とは違った解釈から生まれたものが
混ざりこんできてしまう可能性があるわけです。
特にNLPの場合には、その実践者の多くに
批判的であることに対して問題視するような風潮もあるようで、
「それは違うだろう」といった議論によって知見を洗練させていくことは
あまり起きてこなかったみたいです。
もちろん個人の好みとして、項目が沢山に増えていくのが楽しい人もいれば
より本質的なところだけが残るように減らして洗練させたい人もいます。
ただ残念ながら、減らす方向は、その情報を提案した人からすると
自分の考えを否定されたように感じられるのか、受け入れ難いのでしょう。
おそらく、そんな事情もあって、NLPは時間の経過とともに
盛りだくさんになっていきながら、同時に曖昧なものが増えてきたようです。
このように、
ハッキリと定義しないままで新たなアイデアを追加し続けた
という点で、NLPは学問とはならず、
当然ながら「心理学」と呼ばれるものでもない、といえます。
心理学は学問として「心理学」という言葉についても
ハッキリとした定義を与えているのに対して、
NLPでは「NLPとは何か?」をハッキリと説明できていないように見えます。
言葉にはされているのかもしれませんが、
その説明が共通認識として明確になっていないのでしょうか。
そもそもNLPとは何か?
それをハッキリとした形で示しておかないと、
新しいものを追加するたびに
その人が「これもNLPでしょう?」と個人的に考えた内容が
次から次へと組み込まれていくことになりかねません。
これまでは歴史の短さから、
創始者たちが提唱したものを全てNLPとしておく
ような流れで済んでいたのかもしれませんが、
この先はそうもいかなくなるんじゃないかという気がします。
用語を整理して、何がNLPなのかを明確にしておく。
そうでないと時間が経つほどに、混乱が大きくなりそうに思えてしまいます。