2014年10月15日

ホウレンソウが効果的ではないとき

コミュニケーションにおいて「正しい」やり方というのは存在しません。

ある目的を達成するのに「上手くいきやすい」、「効果的な」やり方が
あるだけであって、それが正しいわけではないんです。

特にコミュニケーションの目的が、その場でコロコロと変わる
日常生活においては、効果的かどうかを判断することさえ難しいでしょう。

一見すると社会的な常識に反するようなやり方であっても
その人が目的に沿ったものとしてやっているとしたら
上手くいくやり方だという可能性もあります。

例えば、「人の話は最後まで聞く」というのは
常識的には正しそうな方法に思えるかもしれません。

しかし、その人が急いでいて、今は会話をする時間がないとしたら
相手の話を途中で遮って、「ごめんなさい、今、急いでいるので、また…」
と伝えて立ち去るのは1つの効果的な方法といえそうです。

他にも、飲み会の席で、一人がずっと話していて皆が聞き役に回り
そのことで面白くなさそうな表情を浮かべる人が増えてきたら、
誰かが話に割って入るのは、むしろ喜ばれることもあると思います。

家族カウンセリングであれば、関係性のバランスを調整するのに
あえて話を遮って、他の家族メンバーが話せる機会を作るのも
比較的、使われる手法の1つです。

ですから、コミュニケーションにおいては、その瞬間の目的を自覚して
そのために「上手くいきやすい」方法をとる、というのが限度であって
「正しい」やり方を規定するのは難しいんです。


道端で、母親の後をついて歩いていた子供が転んで泣き始めた…。
そんなときに話しかけるのか、放っておくのかだって、
・その母親と子供への影響を想像した上で
・自分の価値観を反映させ
・「自分が望む形」という目的を明確にしてから
・何をするかを決める
という流れを含みます。

「転んで泣いている子供がいたら、起こして慰めてあげるのが正しい」
という考えに沿って、目的を自覚せずに行動を起こすのは、
その人にとっては正しいことと思えるかもしれませんが、
目的が分かっていない以上、「目的のために効果的」な方法とはいえません。

その場で考えられる行動とその結果を想像して、
その中から自分の望むものを自覚して、その通りに行動をする
…というのであれば、「目的のために効果的」なことをしたといえそうです。

実際には、コミュニケーションの技術として、その目的のために
もっと効果的な方法がありながら、それを知らない人や
上手くできない人もいるものですから、トレーニングには意義があります。

例えば、例に挙げた「転んで泣いている子供のケース」で、仮に
母親は手を貸さずに遠くから「何やってんの!早くしなさい!」と言い、
子供は泣きながら自力で立ち上がろうとしているとします。

そこで子供に手を貸したら、母親は自分の教育方針との違いに腹を立てたり、
自分のやり方を間違っていると指摘されたように捉えて不快になったり、と
色々な可能性が想像できます。

その子供のほうも、泣きわめき続けて母親が来るのを待つパターンではなく、
自分から立ちあがって早く母親の元へ行こうとしている。

もしこのことで他者が関わって役に立ちそうな部分があるとしたら
子供が「なんでも一人で頑張らないといけない」というパターンを作ったり、
「自分は見捨てられる」という不安を感じたりする前に、
そうではなかったとリフレーミングすることぐらいかもしれません。

例としては
「お!自分で頑張れるんだね。
 ほら、お母さんも心配して、ちゃんと見ててくれているよ。」
と声をかけるとかでしょうか。

見捨てられているわけではない、ちゃんと心配してくれている
という意味づけを状況に付け加えることで
「見捨てられる」という不安を解消しようといった発想です。

また「困ったときにも、誰かは見ていてくれる」のような学びも起きるかもしれません。

まぁ、このぐらいであればマイルドな影響の範囲でサポートできそうです。

ただし、ここで重要なのは、
・母親の教育方針に反することはしたくない
・母親が不快になることは避けたい
・泣いている子供に応援をしたい
・この子供が将来、大人になったときの精神的安定感の土台として
 母親との繋がりを強く持っておいてもらいたい
・母親の対応の奥にある「優しさ」を子供に伝えたい
などという自分の望みを全て考慮してその場の目的が自覚され、
その目的のために効果的と思われる行動をする、ということ。

良いか悪いかは分かりません。
少なくとも、正しいやり方は存在しません。

後々そのことによって、その子供と母親にどんな影響が出るのか?
素通りしたら、それによってどんな影響が出るのか?
そんな想像を元に、その一瞬で「最善だろう」と”自分が”考える対応を考え
その目的意識にそって行動するしかない、ということなんでしょう。

ちなみに、こういった例であれば僕の場合、
具体的な行動としては何もせずに、ただその子供を
心の中で応援するぐらいなものです。

なんとかなるものだと思っているので
「その人(たち)のために何かをしたい」
といった発想は薄いんでしょう。


ということで、コミュニケーションは「何を目的とするか」が前提となって
その目的のために「効果的か」どうか、が決まるという話です。

コミュニケーションにおいて、笑顔は多くの場合に効果的です。
それは多くのコミュニケーションが円滑で親しみのある関係性を前提とし、
笑顔で接することに親しみや気軽さが得られやすいからだと考えられます。

ですが、親しみや気軽さが求められない場面、例えばお葬式であれば、
当然の話として笑顔は効果的ではないわけです。

それが文化的に規定されているという考え方もなくはないでしょうけれど
どんな文化であっても大切な人を失う悲しみの感情は共通といえますから、
「悲しみにくれる人に対してどのように関わりたいか」という目的意識を持てば
笑顔ではないやり方のほうが効果的だろうと想像できます。

仕事の場面で「報告・連絡・相談」が大切だとされるのも、
情報を正確に共有しておくことや、上司が責任を取れる状態にしておくこと、
組織の方針に沿った進め方を確実にすることなどの目的があるからです。

情報が正確に伝わっていること、お互いの考えを把握し合っていることは
そういったことが目的とされる場面だからこそ大切なんです。

ところが世の中には、コミュニケーションを意志疎通の問題と捉え
 とにかく情報交換・共有の量が多いほうが「正しい」
かのような風潮があるように見受けられます。

おそらくそれも、コミュニケーションの重要性が語られる場面が
仕事関係のところで多いからではないでしょうか。

しっかり伝わっているのが大切だ、と。

その発想で世の中のコミュニケーションを眺めると
その場面での目的を考えようとしなくなることが多いようです。

そこで何を求めているのか?という発想です。


実際、僕がNLPのセミナーなどをやっているとき、
昼休みのタイミングで、よく起きることがあります。

講座にはアシスタントとして参加してくださっている方がいるので
お昼休みには、その方々と食事に行ったりするんですが、
その際、トイレのタイミングなどで外に出るのがズレることがあるんです。

一人だけ一緒に出られず、別々になってしまう。

そういう場面を目撃した方から
「コミュニケーションの講座なのに、
 あまりコミュニケーションが取れていませんでしたね」
などと冗談を言われたりします。

この場合の「コミュニケーション」の目的は
暗黙のうちに「正確な情報伝達」のほうとされています。

ですが、別の見方をすると、
「お互いの信頼関係」と「自立した大人への敬意」を目的と考えれば、
別に一人で食事に行くことになったって問題はないはずです。

そこで逐一連絡を取り合って、
「バラバラになってしまったら大変だ」と心配するほうが
むしろその人の大人としての能力や
一人でも安心して過ごせるだけの心の安定感などを
低く見積もっていることになるかもしれません。

「あれ、はぐれちゃった。
 でも、あの人だから大丈夫だろう。」
という信頼関係を前提としているからこそ
「正確な情報伝達」が目的にならないんです。

はぐれてしまったことを根に持つ相手でもない、
「はぐれてしまって不安になっているのでは?」などと心配する相手でもない
という信頼感があって、
合流できなかったほうにも
「はぐれてしまって迷惑をかけたのでは…?」と気にするでもない
「もしかして心配させてしまったのでは…?」と申し訳なく思うのでもない
という信頼感がある。

そういうお互いの信頼関係を土台として
大人同士の尊重を維持していこうという目的が共有されていれば、
昼ごはんへ一緒に行くタイミングがズレることは、問題ではないはずです。

講座中での昼休みですから、むしろ皆の目的意識としては
お互いが心地良くリフレッシュできるほうにあるともいえます。

ですから、あえて一緒に行かない人がいても気にならない。

もちろんそれが初めての海外旅行の場面であれば話は別でしょう。
心配もするし、しっかりと情報交換しておくかもしれません。
安全のために「正確な情報伝達」が目的となる場合です。

その場の目的意識によって効果的なコミュニケーションは変わるということです。


「〜してはいけない」とか
「〜するのが正しい」とかいった教えは
その意味で慎重に受け取る必要があると思われます。

カウンセリングやコーチングの関係性で暗黙のうちに前提とされる目的は
日常のコミュニケーションでは求められていないこともあるんです。

にもかかわらず、コーチングやカウンセリング、○○心理学のようなもので
習った「正しいやり方」を普段から使うというのは
その場の目的に沿わない可能性もあるはずです。

正しいやり方を教えているものに関しては
「その教えが、どういう場面で、どんな目的を想定しているか?」
を考えてみるのが無難ではないでしょうか。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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