2015年01月15日
好きでもないのに
同じ間違いを何度も繰り返すのは、なんだかバカバカしいような気もしますし、
パターン化されたものを変えられるようにするのが
心理療法やNLPの目指すところでもあります。
とはいえ、「ダメかもしれない」と思いながら一応チャレンジしてみることも
新しい可能性を切り拓くのには大事なことでしょう。
僕にもそんな風に繰り返される間違いがあります。
今の住まいの最寄り駅の駅近郊は、それなりに栄えていて
なかでも飲食店の割合が高いように見受けられます。
宴会シーズンともなれば沢山の酔っ払いで溢れるほど。
そして「飲んだ後はラーメン」ということなのか、
ラーメン屋の数も多いようです。
激戦区とまではいかなくても、
それなりにラーメン屋の集まっているところなんだとか。
その中に一軒、開店して3、4年ぐらいの店があります。
駅から徒歩2分程度の立地です。
カウンターだけの小さい店で、ピーク時には行列もできたりしていますが
混雑時を除けば並ばずに入れるような店。
それでも時間を問わずコンスタントに人が入っていますから
かなり安定した売り上げで店を続けられているのでしょう。
その店のある場所は随分と前に一度ラーメン屋がオープンして、
それからしばらくして閉店、居抜きで別の店に改装、また閉店…
というのを繰り返していた不安定な立地だったようです。
そんな場所で安定して3、4年も続き、かつ今も安定した客入りとなると
そのラーメン店の質も想像できるのではないでしょうか。
で、僕はたまに、そこのラーメン屋へ行くんです。
何種類かラーメンのバリエーションがある中で
塩ラーメンを除けば、どれもとても美味しい。
(塩ラーメンも一般的な店なら看板メニューのクオリティだと思いますが
他の2種類のラーメンの完成度と比べると見劣りしてしまいます。)
つけ麺も人気なようで、多くの人がつけ麺を頼んでいるものの
僕は甘酸っぱい味付けをあまり好まないので
つけ麺は選択肢の中に入りません。
曜日限定で出されている「まぜそば」というのも、
僕はその店のスープに魅了されているため食べません。
まぁ、ラーメンという食べ物の原価を考えれば
スープに一番コストがかかるはずですし、特に
その店は上等なスープを作るために高級な素材を大量に使うらしいので
スープの消費量が少ないメニューは利益率が高いんでしょう。
「つけ麺」はスープ割りをしたとしてもラーメンよりスープ使用量が少なく
「まぜそば」ともなるとスープを使用しませんから、よりローコスト。
そういうところで利益を稼いでいる分、ラーメンの値段を低めに抑えて
コストパフォーマンスの良い品物を提供しているんだと思います。
ですから僕は経営努力に感謝をしながら
その店のハイクオリティなラーメンを堪能しています。
おそらく店長の料理センスが素晴らしいんです。
とりわけ味のバランスのとり方が絶妙。
様々な成分を立体的に組み合わせてバランスを取れる人なんだと感じます。
調理場をバイトが担当することもありますが
同じラーメンを作っているはずなのに店長とは味が違うんです。
醤油ダレやスープの配合バランスで味が変動する。
もちろん店長でも変動はありますが、その安定度にはレベルの差があります。
他の人が作ったのも充分に美味しいですし満足します。
それでも腕の違いは明白に見て取れるということです。
そして、店長の料理の腕前は、月に一度の「限定ラーメン」でも確認できます。
その店では月に1、2回らいのペースで創作メニューを出しています。
店長を含めた調理場担当の従業員が持ち回りでアイデアを練り
オリジナルのラーメンを作って販売する。
ここでセンスの違いが露骨に表れるんです。
他の人の創作メニューには当たり外れがありますが
(本当は当たった記憶がない…)
店長のは外さないんです。
どんな奇抜なことをやってきても、全体としてバランスを取れる。
すごく偏らせたラーメンであっても、ほんのチョットのダシの成分で
ギリギリのところでバランスを取ってくる。
あとチョット薄かったら…
あとチョット塩分が弱かったら…
みたいなラインを見極めて立体的なバランスを取るようです。
表面的に味を濃く集めるだけだったら簡単かもしれませんが
縦方向で味に厚みを出せる人は多くないのかと思えてしまいます。
ですから僕の中では、その「限定ラーメン」という創作料理が
店長のアイデアと工夫を楽しませてもらえる貴重な機会となっています。
「はー、そうきたか!」
「んー、ここでバランスを取っているんだなぁ…、いやー、お見事」
などと心の中で呟きながら食べる感じ。
もう僕としては、店長の腕前とセンスに対して大きな信頼があり、
同時に、予想もつかない味を期待させてもらえる部分もある。
驚きを期待しながら、ちゃんと驚かせてくれるわけです。
これはなかなかできることではないはずです。
「驚き」とは予想と違う体験で生まれるものです。
「予想を裏切ってもらえるだろう」と予想しているところで
それでもなお予想を上回って驚かせてくれるんですから並大抵ではない。
一流のマジックを見るときのような気分に近いかもしれません。
きっと料理人としても一流なんでしょう。
安定した客入りが長く続いているのも納得です。
こうして考えてみると、僕は明らかに
そのラーメン屋の店長の腕を信頼・尊敬していて、
その店長が作るラーメンが好きなんです。
いや、より正確には、その店長の料理が好きなんです。
たまたまその人がラーメンを作っているから僕はラーメンを食べに行くだけで
多分、ラーメンじゃなくても良かったんだと思います。
ただし、店長特有の「味を三次元で組み立てて絶妙なバランスを取る」能力は、
様々な素材を自在に組み合わせて新しい味を生み出してもいい料理として
ラーメンという特殊な分野だからこそフル活用できたともいえそうです。
ともあれ、僕の側からすると「ラーメンだから」という理由はない、ということです。
あくまで一回の食事に対しての全ての選択肢の中から
そこのラーメン屋が浮かび上がってくるだけのことなんです。
カレー、焼き肉、そば、ハンバーグ、焼き魚、パスタ、鍋…
といったジャンルの中に含まれる「ラーメン」ではないんです。
「今日は魚にしようかな、カレーもいいな、いやラーメンにしようかな」
というレベルで登場する「ラーメン」ではない。
もっといえば
「今日はラーメンが食べたい。どこのラーメンがいいかな?」
と考えてから
「駅の近くのあのラーメン屋にしよう」
と絞り込まれるものでもありません。
独立した1ジャンルとして思い浮かびます。
ラーメンを食べたいのではなくて、
その店の店長の料理が食べたくて、それが結果的にラーメンになる。
そういう順番みたいです。
にもかかわらず、です。
そこのラーメンが美味しいものだから、僕のイメージの中で
「ラーメンは美味しい」といった印象も出来上がってしまう。
なんとなく「美味しいラーメンが食べたいなぁ」と思うときがあるんです、たまに。
そして滅多にいかないのにラーメン屋に入って
期待しながら食べて
…そしてガッカリする。
そのたびに実感します。
「あー、やっぱりラーメンは好きじゃないんだ」と。
たぶん僕はラーメンという食べ物が好みではないんでしょう。
むしろ好きこのんで食べるほうではない。
一方で、子供のころ家族で食べていたラーメンと餃子の印象が強くて、
味そのものは全く覚えてもいないけれど、なんだか喜んでいた記憶はあって
思い出として「ラーメン」というのが美化されているのかもしれません。
そこへ近所の腕のいい店長が作るラーメンの印象が加わる。
あの丼に入った麺が美味しいものとしてイメージされてしまうんです。
頭では「店によって味は違う」と分かっています。
今までに何度もガッカリしたのも覚えています。
店に入るときに30%ぐらいの気持ちとして
「やっぱりここでも期待外れになるのかなぁ…」
と感じている部分もあります。
なのに、おいしい可能性に期待してしまう。
なんならチョットしたラーメン好きのような気持ちになっていたりもします。
そして案の定、食べた後に思い出すんです。
「やっぱりラーメンが好きなわけじゃないんだ」って。
僕は何度もこれを繰り返しています。
また間違いを繰り返すのだろうと思いながらも繰り返す。
「もしかして…」と思いながら。
のめり込んでいないから「可能性へのチャレンジ」で済んでいますが
これがムキになってきたら「ギャンブル」のレベルになりかねませんね。
パターン化されたものを変えられるようにするのが
心理療法やNLPの目指すところでもあります。
とはいえ、「ダメかもしれない」と思いながら一応チャレンジしてみることも
新しい可能性を切り拓くのには大事なことでしょう。
僕にもそんな風に繰り返される間違いがあります。
今の住まいの最寄り駅の駅近郊は、それなりに栄えていて
なかでも飲食店の割合が高いように見受けられます。
宴会シーズンともなれば沢山の酔っ払いで溢れるほど。
そして「飲んだ後はラーメン」ということなのか、
ラーメン屋の数も多いようです。
激戦区とまではいかなくても、
それなりにラーメン屋の集まっているところなんだとか。
その中に一軒、開店して3、4年ぐらいの店があります。
駅から徒歩2分程度の立地です。
カウンターだけの小さい店で、ピーク時には行列もできたりしていますが
混雑時を除けば並ばずに入れるような店。
それでも時間を問わずコンスタントに人が入っていますから
かなり安定した売り上げで店を続けられているのでしょう。
その店のある場所は随分と前に一度ラーメン屋がオープンして、
それからしばらくして閉店、居抜きで別の店に改装、また閉店…
というのを繰り返していた不安定な立地だったようです。
そんな場所で安定して3、4年も続き、かつ今も安定した客入りとなると
そのラーメン店の質も想像できるのではないでしょうか。
で、僕はたまに、そこのラーメン屋へ行くんです。
何種類かラーメンのバリエーションがある中で
塩ラーメンを除けば、どれもとても美味しい。
(塩ラーメンも一般的な店なら看板メニューのクオリティだと思いますが
他の2種類のラーメンの完成度と比べると見劣りしてしまいます。)
つけ麺も人気なようで、多くの人がつけ麺を頼んでいるものの
僕は甘酸っぱい味付けをあまり好まないので
つけ麺は選択肢の中に入りません。
曜日限定で出されている「まぜそば」というのも、
僕はその店のスープに魅了されているため食べません。
まぁ、ラーメンという食べ物の原価を考えれば
スープに一番コストがかかるはずですし、特に
その店は上等なスープを作るために高級な素材を大量に使うらしいので
スープの消費量が少ないメニューは利益率が高いんでしょう。
「つけ麺」はスープ割りをしたとしてもラーメンよりスープ使用量が少なく
「まぜそば」ともなるとスープを使用しませんから、よりローコスト。
そういうところで利益を稼いでいる分、ラーメンの値段を低めに抑えて
コストパフォーマンスの良い品物を提供しているんだと思います。
ですから僕は経営努力に感謝をしながら
その店のハイクオリティなラーメンを堪能しています。
おそらく店長の料理センスが素晴らしいんです。
とりわけ味のバランスのとり方が絶妙。
様々な成分を立体的に組み合わせてバランスを取れる人なんだと感じます。
調理場をバイトが担当することもありますが
同じラーメンを作っているはずなのに店長とは味が違うんです。
醤油ダレやスープの配合バランスで味が変動する。
もちろん店長でも変動はありますが、その安定度にはレベルの差があります。
他の人が作ったのも充分に美味しいですし満足します。
それでも腕の違いは明白に見て取れるということです。
そして、店長の料理の腕前は、月に一度の「限定ラーメン」でも確認できます。
その店では月に1、2回らいのペースで創作メニューを出しています。
店長を含めた調理場担当の従業員が持ち回りでアイデアを練り
オリジナルのラーメンを作って販売する。
ここでセンスの違いが露骨に表れるんです。
他の人の創作メニューには当たり外れがありますが
(本当は当たった記憶がない…)
店長のは外さないんです。
どんな奇抜なことをやってきても、全体としてバランスを取れる。
すごく偏らせたラーメンであっても、ほんのチョットのダシの成分で
ギリギリのところでバランスを取ってくる。
あとチョット薄かったら…
あとチョット塩分が弱かったら…
みたいなラインを見極めて立体的なバランスを取るようです。
表面的に味を濃く集めるだけだったら簡単かもしれませんが
縦方向で味に厚みを出せる人は多くないのかと思えてしまいます。
ですから僕の中では、その「限定ラーメン」という創作料理が
店長のアイデアと工夫を楽しませてもらえる貴重な機会となっています。
「はー、そうきたか!」
「んー、ここでバランスを取っているんだなぁ…、いやー、お見事」
などと心の中で呟きながら食べる感じ。
もう僕としては、店長の腕前とセンスに対して大きな信頼があり、
同時に、予想もつかない味を期待させてもらえる部分もある。
驚きを期待しながら、ちゃんと驚かせてくれるわけです。
これはなかなかできることではないはずです。
「驚き」とは予想と違う体験で生まれるものです。
「予想を裏切ってもらえるだろう」と予想しているところで
それでもなお予想を上回って驚かせてくれるんですから並大抵ではない。
一流のマジックを見るときのような気分に近いかもしれません。
きっと料理人としても一流なんでしょう。
安定した客入りが長く続いているのも納得です。
こうして考えてみると、僕は明らかに
そのラーメン屋の店長の腕を信頼・尊敬していて、
その店長が作るラーメンが好きなんです。
いや、より正確には、その店長の料理が好きなんです。
たまたまその人がラーメンを作っているから僕はラーメンを食べに行くだけで
多分、ラーメンじゃなくても良かったんだと思います。
ただし、店長特有の「味を三次元で組み立てて絶妙なバランスを取る」能力は、
様々な素材を自在に組み合わせて新しい味を生み出してもいい料理として
ラーメンという特殊な分野だからこそフル活用できたともいえそうです。
ともあれ、僕の側からすると「ラーメンだから」という理由はない、ということです。
あくまで一回の食事に対しての全ての選択肢の中から
そこのラーメン屋が浮かび上がってくるだけのことなんです。
カレー、焼き肉、そば、ハンバーグ、焼き魚、パスタ、鍋…
といったジャンルの中に含まれる「ラーメン」ではないんです。
「今日は魚にしようかな、カレーもいいな、いやラーメンにしようかな」
というレベルで登場する「ラーメン」ではない。
もっといえば
「今日はラーメンが食べたい。どこのラーメンがいいかな?」
と考えてから
「駅の近くのあのラーメン屋にしよう」
と絞り込まれるものでもありません。
独立した1ジャンルとして思い浮かびます。
ラーメンを食べたいのではなくて、
その店の店長の料理が食べたくて、それが結果的にラーメンになる。
そういう順番みたいです。
にもかかわらず、です。
そこのラーメンが美味しいものだから、僕のイメージの中で
「ラーメンは美味しい」といった印象も出来上がってしまう。
なんとなく「美味しいラーメンが食べたいなぁ」と思うときがあるんです、たまに。
そして滅多にいかないのにラーメン屋に入って
期待しながら食べて
…そしてガッカリする。
そのたびに実感します。
「あー、やっぱりラーメンは好きじゃないんだ」と。
たぶん僕はラーメンという食べ物が好みではないんでしょう。
むしろ好きこのんで食べるほうではない。
一方で、子供のころ家族で食べていたラーメンと餃子の印象が強くて、
味そのものは全く覚えてもいないけれど、なんだか喜んでいた記憶はあって
思い出として「ラーメン」というのが美化されているのかもしれません。
そこへ近所の腕のいい店長が作るラーメンの印象が加わる。
あの丼に入った麺が美味しいものとしてイメージされてしまうんです。
頭では「店によって味は違う」と分かっています。
今までに何度もガッカリしたのも覚えています。
店に入るときに30%ぐらいの気持ちとして
「やっぱりここでも期待外れになるのかなぁ…」
と感じている部分もあります。
なのに、おいしい可能性に期待してしまう。
なんならチョットしたラーメン好きのような気持ちになっていたりもします。
そして案の定、食べた後に思い出すんです。
「やっぱりラーメンが好きなわけじゃないんだ」って。
僕は何度もこれを繰り返しています。
また間違いを繰り返すのだろうと思いながらも繰り返す。
「もしかして…」と思いながら。
のめり込んでいないから「可能性へのチャレンジ」で済んでいますが
これがムキになってきたら「ギャンブル」のレベルになりかねませんね。