2015年01月21日
2015作品
今年の独立書展も終了したようです。
今回のは、こんな感じ。

木簡の草書を基調としたものです。
リズムと全体の雰囲気を重視して書いてみました。
だいぶ「かすれ」もコントロールできるようになりましたが
もうちょっと最初の4、5文字目あたりにも「かすれ」を入れても良かったかも。
自分としては納得できる範囲のものを提出しましたし、
作品解説会では「踊りを見ているようだ」とのコメントを頂きました。
何よりも、写真になったものを自分で見直してみて
ガッカリしないというのは大きいと感じます。
もちろん「もっとこうすれば…」という修正点は
あとからいくらでも見つかってきますし、
数年して見直せば、さらに見つかると予想されます。
それでも、「もっとこうしたら良かったけど、まぁまぁかな」と
自分で思えるぐらいの仕上がりにできるかどうかは
自分の中で重要な基準になっているようです。
最近、『心が思い通りになる技術』が3刷になるとのことで
改めて修正点を探すために一通り読み返しましたが、
やはり時間が経ってから見直すと、直したい部分は多々見つかります。
それは全体を良くするための校正のレベルになってしまうので
誤字の修正といった範囲を超えてしまいますから
あくまでも気がついて修正したい気分になる程度の話でした。
やはり客観的な視点で振り返ったり、
英文でのライティングのトレーニングを受けた経験が引き出されたりすると、
「もっとこうしたら良いのに」というアイデアは浮かんでくるものです。
それでも自分で納得できる範囲になっているのは一安心です。
世間に対してアウトプットしたものが、後から振り返ったときに
自分にとって恥ずかしいレベルだったとしたら
それはちょっと居心地が悪いだろうと思えますから。
その意味で、今年の書道の作品は納得感のあるレベルとして
1つの基準を満たせるものだったんだと感じます。
今回のは、こんな感じ。

木簡の草書を基調としたものです。
リズムと全体の雰囲気を重視して書いてみました。
だいぶ「かすれ」もコントロールできるようになりましたが
もうちょっと最初の4、5文字目あたりにも「かすれ」を入れても良かったかも。
自分としては納得できる範囲のものを提出しましたし、
作品解説会では「踊りを見ているようだ」とのコメントを頂きました。
何よりも、写真になったものを自分で見直してみて
ガッカリしないというのは大きいと感じます。
もちろん「もっとこうすれば…」という修正点は
あとからいくらでも見つかってきますし、
数年して見直せば、さらに見つかると予想されます。
それでも、「もっとこうしたら良かったけど、まぁまぁかな」と
自分で思えるぐらいの仕上がりにできるかどうかは
自分の中で重要な基準になっているようです。
最近、『心が思い通りになる技術』が3刷になるとのことで
改めて修正点を探すために一通り読み返しましたが、
やはり時間が経ってから見直すと、直したい部分は多々見つかります。
それは全体を良くするための校正のレベルになってしまうので
誤字の修正といった範囲を超えてしまいますから
あくまでも気がついて修正したい気分になる程度の話でした。
やはり客観的な視点で振り返ったり、
英文でのライティングのトレーニングを受けた経験が引き出されたりすると、
「もっとこうしたら良いのに」というアイデアは浮かんでくるものです。
それでも自分で納得できる範囲になっているのは一安心です。
世間に対してアウトプットしたものが、後から振り返ったときに
自分にとって恥ずかしいレベルだったとしたら
それはちょっと居心地が悪いだろうと思えますから。
その意味で、今年の書道の作品は納得感のあるレベルとして
1つの基準を満たせるものだったんだと感じます。