2015年01月25日
基礎があれば創作できる
世の中にあるコミュニケーション技術の大部分は
料理でいうならレシピに対応するものです。
手順に沿っていれば、1つの献立を作れるようになります。
多くのインストラクターは、テレビの料理番組のように
レシピと作り方を教えてくれます。
もうちょっと親身に伝えるトレーナーとなると
料理教室のようなスタンスになります。
実際にその人のやり方を見て、コツを教えてくれる。
あるいはステップに分けて、皆がついてこれるようにする。
料理番組を見て再現しようと思ったら
メモを見ながら、やり方を思い出して
自分で流れを作り出す必要があります。
一方、料理教室であれば全員が同じような流れで
素材を切る段階、下ごしらえの段階、火を入れる段階、味を調節する段階…
と、誰も置いていかれることなく、確実に完成まで導いてくれます。
料理番組のようなコミュニケーション・セミナーに慣れた人には
1つの料理を皆と一緒に完成させてくれる料理教室のようなトレーナーは
「自分でも一品を完成させられた」と実感できる機会として
とてもありがたい存在なのだろうと思われます。
それでも多くは、1つの料理のレシピを元に
その一品を作れるようにするところに焦点が当たっています。
確かに、それをいつも作れれば、その一品でおもてなしすることもできますし
何品か覚えれば、そのバリエーションで毎日の食事にも対応できるでしょう。
ただ、料理の腕前ということに関していえば
そこにはレシピには表れない技術やコツが存在します。
食材の目利き、包丁の技術、加熱のポイント、鍋の動かし方…
そういった基本スキルが、同じ品物を作ったときの出来上がりを左右します。
コミュニケーションでいえば、それらは、観察力やペーシング、
声のトーンやリズム、身体の姿勢によるリーディング、言葉がけのタイミング、
オープンでリラックスした身体の使い方、流れの読み方、自分の状態への自覚…
といったことに対応するといえます。
僕の講座の趣旨は、大部分がそちらです。
土台の技術を磨くほう。
このことを、まさに料理に喩えて説明してくれた人もいました。
趣旨が伝わっているだけでもトレーナーとしては感慨深いものですが、
それ以上に、実際の技術が上達していくのには驚きさえ覚えます。
自分で課題を設定して、心がけながら取り組んでいる様子が見て取れます。
相手への関わり方だけでなく、自分の内面を的確に捉えるセンスも
同時に磨かれていくようです。
ですから、トレーナーとして課題を曖昧に伝えるだけで
趣旨を汲み取りながら実習が効果的に進んでいくようにさえ見えます。
極論をすれば、こちらが頭の中でイメージしながら言葉で補足すれば
その頭の中のイメージを共有して、それを再現してくれるような印象。
料理の喩えに戻るなら
「今日のテーマは○○。〜な感じの方向性で作ってみてください」
と伝えると、
個性にあふれながらも、趣旨がピッタリ一致した料理が
オリジナルレシピで仕上がってくるような感じでしょうか。
まるで料理の鉄人を見ているかのようです。
その人自身の『才能』が絡み合っているのは間違いありませんが
人と関わる技術が磨かれていく様は、不思議とさえ思えます。
個別のレシピなんて忘れてしまっても
料理の基礎技術を磨いていけば
自在に創作料理を作れるようになる。
そういうことなのかもしれません。
まぁ、その方向性を目指したいと思い、
それ相応の努力を続けようとするベースがあるか、
というのは問われるのでしょうけれど。
料理でいうならレシピに対応するものです。
手順に沿っていれば、1つの献立を作れるようになります。
多くのインストラクターは、テレビの料理番組のように
レシピと作り方を教えてくれます。
もうちょっと親身に伝えるトレーナーとなると
料理教室のようなスタンスになります。
実際にその人のやり方を見て、コツを教えてくれる。
あるいはステップに分けて、皆がついてこれるようにする。
料理番組を見て再現しようと思ったら
メモを見ながら、やり方を思い出して
自分で流れを作り出す必要があります。
一方、料理教室であれば全員が同じような流れで
素材を切る段階、下ごしらえの段階、火を入れる段階、味を調節する段階…
と、誰も置いていかれることなく、確実に完成まで導いてくれます。
料理番組のようなコミュニケーション・セミナーに慣れた人には
1つの料理を皆と一緒に完成させてくれる料理教室のようなトレーナーは
「自分でも一品を完成させられた」と実感できる機会として
とてもありがたい存在なのだろうと思われます。
それでも多くは、1つの料理のレシピを元に
その一品を作れるようにするところに焦点が当たっています。
確かに、それをいつも作れれば、その一品でおもてなしすることもできますし
何品か覚えれば、そのバリエーションで毎日の食事にも対応できるでしょう。
ただ、料理の腕前ということに関していえば
そこにはレシピには表れない技術やコツが存在します。
食材の目利き、包丁の技術、加熱のポイント、鍋の動かし方…
そういった基本スキルが、同じ品物を作ったときの出来上がりを左右します。
コミュニケーションでいえば、それらは、観察力やペーシング、
声のトーンやリズム、身体の姿勢によるリーディング、言葉がけのタイミング、
オープンでリラックスした身体の使い方、流れの読み方、自分の状態への自覚…
といったことに対応するといえます。
僕の講座の趣旨は、大部分がそちらです。
土台の技術を磨くほう。
このことを、まさに料理に喩えて説明してくれた人もいました。
趣旨が伝わっているだけでもトレーナーとしては感慨深いものですが、
それ以上に、実際の技術が上達していくのには驚きさえ覚えます。
自分で課題を設定して、心がけながら取り組んでいる様子が見て取れます。
相手への関わり方だけでなく、自分の内面を的確に捉えるセンスも
同時に磨かれていくようです。
ですから、トレーナーとして課題を曖昧に伝えるだけで
趣旨を汲み取りながら実習が効果的に進んでいくようにさえ見えます。
極論をすれば、こちらが頭の中でイメージしながら言葉で補足すれば
その頭の中のイメージを共有して、それを再現してくれるような印象。
料理の喩えに戻るなら
「今日のテーマは○○。〜な感じの方向性で作ってみてください」
と伝えると、
個性にあふれながらも、趣旨がピッタリ一致した料理が
オリジナルレシピで仕上がってくるような感じでしょうか。
まるで料理の鉄人を見ているかのようです。
その人自身の『才能』が絡み合っているのは間違いありませんが
人と関わる技術が磨かれていく様は、不思議とさえ思えます。
個別のレシピなんて忘れてしまっても
料理の基礎技術を磨いていけば
自在に創作料理を作れるようになる。
そういうことなのかもしれません。
まぁ、その方向性を目指したいと思い、
それ相応の努力を続けようとするベースがあるか、
というのは問われるのでしょうけれど。