2015年01月29日
本当に傾聴ができる人
ロジャースのClient-centered Therapy(来談者中心療法)と
その技法的側面としての傾聴やカウンセリングについて
最大の課題は
カール・ロジャース本人以外に誰か一人でも「できた」のか?
ということじゃないでしょうか?
いわゆる三要件
・genuineness (純粋性、一致)
・unconditional positive regard (無条件の肯定的配慮)
・empathy (共感)
を
完全に満たした関わり方なんて、簡単なことではないはずです。
ある意味で理想論であり、
究極的な関わり方であり、
少なくとも
技術的なトレーニングで到達できる領域ではないと思えます。
本当にそういう関わり方をしてもらったとき、
人はきっと文字通りに「癒される」んでしょう。
よく使われる「癒された気分になる」という意味とは違って、
ブッダとかイエスとかが「癒した」というレベルで。
そこまで辿り着く人がロジャース以外にいたのか?
そもそも、ロジャース本人は辿り着いたのか?
個人的な印象としては、
晩年のロジャースの顔写真から見受けられるものには
その到達点を伺わせるところを感じます。
また、後年のロジャースが presence (そこに「いる」こと)を強調したり、
手法的な側面が強調されて伝わってしまったことから
「パーソン・センタード・アプローチ」という呼び名に変更したりしたことも、
本質的な関わり方の部分で大きな実感があっただろうと想像させてくれます。
だとしたら、その本質はどれだけ後続へと伝わったのでしょうか?
個人として100%一致して統合されている。
完全に無条件に人へ100%の関心を向けられる。
感情移入や同情ではなく、相手の感情をそのまま全て
自分が自分の感情に気づいているのと同じように、意識に上げる。
そのような「純粋性」と「無条件の肯定的配慮」と「共感」をもって
目の前のクライアントのために「そこにいる」ことが人を助ける、と。
なかなかハードルが高い気がします。
僕がロジャース派のトレーニングを受けたときのトレーナーは、
アメリカの大学院でカウンセリング心理学をやって
ロジャース派のインターンを経てカウンセラーの資格を取った人でしたが、
それでも「精神力動的アプローチを併用して効果を出している」と話していました。
そんな状態で関われることは滅多になかったようです。
実際、長年のプロとしてのカウンセリング経験を通じて
「ほんの何回かだけ、そういう状態になれたことがある」
と語っていました。
それは、随分と時間をかけたクライアントと
ある日、何がキッカケだったかも分からないけれど
ふとした瞬間に起こった不思議な体験だった、といいます。
まさに心が繋がったとしかいえないような状態で、感動的であって、
その瞬間からクライアントに劇的な変化が起き始めたそうです。
相当な量のトレーニングと、自己研鑽と、プロとしての実践を積んで
それでもなお、数えるほどしか経験できていない、という話でした。
体験さえすれば、「これのことか!」と実感できるほどのことであり、
かつ、一度体験してしまったら、「それ」ではない状態は
ハッキリ違ったものとして区別されるようになってしまうようです。
経験していないときには、立ち返るべき心構えとしての指標に過ぎなかったものが
一度実感したあとには、具体的な到達目標として設定されるようになる。
だからこそ、その状態がロジャース派の目指すところで
ロジャース自身が最も強調したところだったのだろうと思えます。
ロジャースもそうした体験の頻度が上がっていったのか、あるいは
常日頃から実感するようになっていたのか、その辺は分かりませんが、
グループとの関わりを優先するようになっていったという経緯を考慮すると
ロジャース本人は「そこを通過していた」のではないかと思えます。
僕も個人的に、ロジャースの説いた要件は実現可能なものであって
単なる理想論や精神論、心構えなどではないと感じます。
人はそれだけで癒される。
そのことを実感したことがないと、どうしても
何かしら別の手法で工夫したくなるのかもしれません。
あるいは、傾聴の手法的側面を強調して、その技法を信頼し、
ロジャースの説いた本質については、あくまで心構えとして捉えて
「ありがたい話」か知識として頭に留めておくことになる、か。
おそらくギャップが大き過ぎるんでしょう。
傾聴という手法の見た目上の分かりやすさと
実際の到達目標の高いハードルとの間で。
表面上はシンプルに見えて、手法としては分かりやすそうでありながら
実際に目指すべき関わり方の本質は、実感を必要とするものになっている。
その見た目上の分かりやすさと
体験レベルの到達点の高さとの差が
あまりにも大きくて、伝わりにくいように思えます。
ロジャースの説いた要件を実現しようとして取り組み続ける人は稀で
むしろ手法を身につけた後は、それらを実現可能なものとして目指さなくなる
…なんてことさえ起きる可能性がありそうです。
いったいこれまでに、どれだけの人が
ロジャースの言っていたことを実践してきたのでしょうか?
まぁ、開発者や達人、創始者がやっていたことは
どれだけ伝えようと頑張ったとしても、
同じレベルで伝わっていくわけではないものでしょう。
むしろ、創始者や達人が指導したとしても
そのレベルまで辿りつく後進のほうが少数派のようです。
ミルトン・エリクソンの弟子で
エリクソンと同じことができるようになった人はいないように見えます。
きっとどの世界でも同じようなものだろうと思います。
ロジャースのやり方は、一見すると誰にでもできそうに見えた。
だから手法として広まって、一般化された技法として定着した。
どこでもありがちな「誰も創始者に追いつけない」という事態があったけれど
手法として分かりやすかったがために、そのことへは気づかれなかった。
そんな経緯があったのではないかと想像しています。
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その技法的側面としての傾聴やカウンセリングについて
最大の課題は
カール・ロジャース本人以外に誰か一人でも「できた」のか?
ということじゃないでしょうか?
いわゆる三要件
・genuineness (純粋性、一致)
・unconditional positive regard (無条件の肯定的配慮)
・empathy (共感)
を
完全に満たした関わり方なんて、簡単なことではないはずです。
ある意味で理想論であり、
究極的な関わり方であり、
少なくとも
技術的なトレーニングで到達できる領域ではないと思えます。
本当にそういう関わり方をしてもらったとき、
人はきっと文字通りに「癒される」んでしょう。
よく使われる「癒された気分になる」という意味とは違って、
ブッダとかイエスとかが「癒した」というレベルで。
そこまで辿り着く人がロジャース以外にいたのか?
そもそも、ロジャース本人は辿り着いたのか?
個人的な印象としては、
晩年のロジャースの顔写真から見受けられるものには
その到達点を伺わせるところを感じます。
また、後年のロジャースが presence (そこに「いる」こと)を強調したり、
手法的な側面が強調されて伝わってしまったことから
「パーソン・センタード・アプローチ」という呼び名に変更したりしたことも、
本質的な関わり方の部分で大きな実感があっただろうと想像させてくれます。
だとしたら、その本質はどれだけ後続へと伝わったのでしょうか?
個人として100%一致して統合されている。
完全に無条件に人へ100%の関心を向けられる。
感情移入や同情ではなく、相手の感情をそのまま全て
自分が自分の感情に気づいているのと同じように、意識に上げる。
そのような「純粋性」と「無条件の肯定的配慮」と「共感」をもって
目の前のクライアントのために「そこにいる」ことが人を助ける、と。
なかなかハードルが高い気がします。
僕がロジャース派のトレーニングを受けたときのトレーナーは、
アメリカの大学院でカウンセリング心理学をやって
ロジャース派のインターンを経てカウンセラーの資格を取った人でしたが、
それでも「精神力動的アプローチを併用して効果を出している」と話していました。
そんな状態で関われることは滅多になかったようです。
実際、長年のプロとしてのカウンセリング経験を通じて
「ほんの何回かだけ、そういう状態になれたことがある」
と語っていました。
それは、随分と時間をかけたクライアントと
ある日、何がキッカケだったかも分からないけれど
ふとした瞬間に起こった不思議な体験だった、といいます。
まさに心が繋がったとしかいえないような状態で、感動的であって、
その瞬間からクライアントに劇的な変化が起き始めたそうです。
相当な量のトレーニングと、自己研鑽と、プロとしての実践を積んで
それでもなお、数えるほどしか経験できていない、という話でした。
体験さえすれば、「これのことか!」と実感できるほどのことであり、
かつ、一度体験してしまったら、「それ」ではない状態は
ハッキリ違ったものとして区別されるようになってしまうようです。
経験していないときには、立ち返るべき心構えとしての指標に過ぎなかったものが
一度実感したあとには、具体的な到達目標として設定されるようになる。
だからこそ、その状態がロジャース派の目指すところで
ロジャース自身が最も強調したところだったのだろうと思えます。
ロジャースもそうした体験の頻度が上がっていったのか、あるいは
常日頃から実感するようになっていたのか、その辺は分かりませんが、
グループとの関わりを優先するようになっていったという経緯を考慮すると
ロジャース本人は「そこを通過していた」のではないかと思えます。
僕も個人的に、ロジャースの説いた要件は実現可能なものであって
単なる理想論や精神論、心構えなどではないと感じます。
人はそれだけで癒される。
そのことを実感したことがないと、どうしても
何かしら別の手法で工夫したくなるのかもしれません。
あるいは、傾聴の手法的側面を強調して、その技法を信頼し、
ロジャースの説いた本質については、あくまで心構えとして捉えて
「ありがたい話」か知識として頭に留めておくことになる、か。
おそらくギャップが大き過ぎるんでしょう。
傾聴という手法の見た目上の分かりやすさと
実際の到達目標の高いハードルとの間で。
表面上はシンプルに見えて、手法としては分かりやすそうでありながら
実際に目指すべき関わり方の本質は、実感を必要とするものになっている。
その見た目上の分かりやすさと
体験レベルの到達点の高さとの差が
あまりにも大きくて、伝わりにくいように思えます。
ロジャースの説いた要件を実現しようとして取り組み続ける人は稀で
むしろ手法を身につけた後は、それらを実現可能なものとして目指さなくなる
…なんてことさえ起きる可能性がありそうです。
いったいこれまでに、どれだけの人が
ロジャースの言っていたことを実践してきたのでしょうか?
まぁ、開発者や達人、創始者がやっていたことは
どれだけ伝えようと頑張ったとしても、
同じレベルで伝わっていくわけではないものでしょう。
むしろ、創始者や達人が指導したとしても
そのレベルまで辿りつく後進のほうが少数派のようです。
ミルトン・エリクソンの弟子で
エリクソンと同じことができるようになった人はいないように見えます。
きっとどの世界でも同じようなものだろうと思います。
ロジャースのやり方は、一見すると誰にでもできそうに見えた。
だから手法として広まって、一般化された技法として定着した。
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