2015年05月18日

「このブログを読むだけで…!」

世間には様々なCMがあります。

その多くは、とても消費者にとって都合の良いメッセージを含みます。

「〜するだけで…になれる!」とか
「わずか〜で…になれる!」とか。

少ない労力、
小さな精神的負担、
短い時間。
…このあたりがカギになるようです。

語学であれば、
「聞き流すだけで英語が話せるようになる」
といったものや
「一日わずか○○分のトレーニングを△△か月続けるだけで
 英語がペラペラになる」
といったもの。

ダイエットであれば
「一日一食分を○○に替えるだけで痩せられる」とか
「一日たった○○分のトレーニングで△△か月後には平均〜kg減」とか
「これを食事の前に取るだけで、カロリーの吸収を抑えてダイエット効果」とか。

健康面だと
「たったこれだけの体操で肩こりが治る」、
「腰痛は○○をほぐすだけで治る」、
「○○を食べるだけで病気にならない」、
…などでしょうか。

どうやら、
 自分の好きなものを我慢することもなく、
 きついトレーニングをするでもなく、
 そのために時間をかけるでもなく、
 ほんのチョット、普段の生活に追加するだけで効果が出る
という趣旨のものが多いようです。


こうした謳い文句に反応する消費者が多いからこそ
これらを広告に使った商品・サービスが沢山あると思われますが、
一方で、こういうメッセージに反発を覚える人たちもいます。

「たったそれだけのことで、そんな効果が出るわけがない」
「それだけで大丈夫だなんて言えるほど一般化はできない」
「結局、自分でどれだけ変えられるかが大事」
のように感じて、大袈裟で都合の良すぎる広告に不快感が起きる。

「本当は〜なのに!」という残念さ、
広告を真に受けて効果が出なかった場合を心配する気持ち
などがあると見受けられます。

こうした思いを抱くのは専門性の高い人が多く、
自らの専門技術を磨くことへのこだわりが大きくて
技術の到達点としても、サービスの効果としても
高いところを基準としている傾向があるようです。

業界の平均よりも分かっているから見えてしまう。
業界の平均よりも高い基準のものを目指すため
比べてガッカリしてしまう、ということでしょう。


しかしながら、こうした広告や謳い文句は実に効果的なのも実態。

広告を目にして興味を持ち、サービスや商品を購入してみる人たちが
どういう人たちなのかと考えてみると、それは少し納得できる気がします。

まず、広告の範囲が広いほど
あまりその分野に詳しくなく、初めてそれを知ることになるか
あるいは聞いたことはあって少しだけ興味があったぐらいの人たちが
対象になることが関係します。

もし、少しは詳しいとか、以前から少しやっていた(利用していた)とか
前から興味があって知識がそれなりにあるとか
そういった人たちだとしたら、そういう広告をあまり必要としないでしょう。

知識や経験がある人たちは、受け身で広告に反応するケースだけでなく
インターネットや本を通じて自ら情報収集すると考えられます。

ですから、元々興味や知識のある「少し分かっている人たち」を対象とするなら
広告の仕方としては、そうした人たちの目につきやすい手段となるはずです。

関係のある分野の雑誌広告に乗せるとか、
ネット検索の対応をするとか、でしょうか。

わざわざ大々的にテレビCMを流すとしたら、それは対象がそもそも
その分野について詳しくない人たちの目に触れるためだといえます。

かなり入門的な人たちに向けて、大きな広告は作られやすいということです。


ここの「入門的」という部分には、
「本当に初めて」という人が含まれるのはもちろん、
「以前に少しやってみたけど最近は離れてしまっている」人たちも含まれます。

特に、世間的な認知度がすでに高まっていて
世間的には重要だと設定されているもの(例えば、健康や英会話、ダイエットなど)
では、大事らしいことを知識として知っている人が多くいます。

「どうやら(皆が言うから)大事らしい」とは思っているし
興味が全くないわけではないけれど、どうも一歩が踏み出せない。
試しにやってみたこともあるけれど続かなかった。
…そんな人たちが多い分野もあります。

この場合、広告はとりわけ大袈裟になりやすいようです。

つまり、
存在は知っているし興味がないわけでもないけれど踏み出さない人たちに
やってみるための動機づけをする必要があるので、
より興味を引きやすいような工夫をしがちになる、と。

「これまでのものとは違う」
「効果が出やすい」
「負担が少ない」
そのあたりがアピールされやすいのは、
少し興味があるけれど踏み出すのに抵抗のある人たちに
「それだったらやってみようかな」と思ってもらうための工夫だと考えられます。

以前に少しやってみたことがあれば、ことさら
「以前のものとは違う」ことが重要になるでしょうし、
続けられずに断念した人たちや、大変そうだからやらなかった人たちには
「効果が出やすく」「負担が少ない」ことが大きなアピールポイントになります。

「〜するだけで」とか「たった○○で」といった大袈裟な表現は
そのような一歩を踏み出すための動機づけメッセージだということです。


ここのポイントは、そうやって「負担がなく」「短期間で」というアピールが
一歩を踏み出しきれない人の後押しをしている、という部分。

言い換えるなら
「そうでもしなければ、そこまで求めていない」
といった対象なんです。

世間的な認知度が高いものでは特に
「皆が大事だって言うから」という考えが興味を持たせていて
切実な思いで必要性を感じているわけではないケースが大半です。

そんなに必要性がないのですから、
動機がなく、それほど求めていないわけです。

元々それほど求めていない人たちに向けて商品やサービスを提供する。
そのためには大袈裟なアピールが求められる。
そうでもしないと一歩を踏み出さないから、です。

元々それだけ求めていないわけですから
効果としても、それほど切実な期待はないわけです。

ダイエットであれば、まぁ1、2キロでも痩せれば充分。
効果がなかったとしても、「今回ダメだった」となるだけ。

健康面であれば、「病気にならないよう健康に良いことをしている」という
何かをやっていることそのものが重要な場合だってあります。

体の負担であれば、完全に健康的で快適な状態を期待するのではなく
この辛い状態が少しでも戻ってくれれば…ぐらいの想定。

英会話なら、海外旅行で少し使えるぐらいなどでしょうか。

切実な必要性がない状況では、当然、目標とする到達点も不明瞭です。
より正確に表現すれば、到達点を想像することさえできないんです。

健康とは、そもそもどんな状態なのか?
英語がペラペラとは、どういう状態なのか?
予想もついていないものです。

実際には、切実に必要性を感じている人たちでも
到達点の予想はついていないのが自然です。
進んでいくうちに先が見えてきて、現状とのギャップが感じられ始める。
自分がいかに分かっていなかったかを痛感し出すのは、始めてからの話です。

その意味では、目標設定ということ自体が難しいんです。
目標設定で動機づけることがしずらいんです。

一方、切実な必要性を感じている人は、到達目標に動機づけられるのではなく
現状で困っている部分に動機づけられています。
「今のままじゃダメだ」と感じるからこそ切実になる。

切実な必要性がない人(別にそれほど困っていない人)は
おぼろげな良い感じのイメージや憧れの姿だけを頼りな上に、
その曖昧な目標さえも設定基準が低いことになります。

必要性がないということは、
 求める基準も低く
 その基準のことも想像できていない
状態だといえるんです。

そういう人たちを対象としてサービスや商品を提供していくとしたら
その期待の程度に合わせる必要性があるわけです。

期待を大幅に上回るような基準のサービスや商品は求められておらず、
むしろ「そこまでは別にいいんです…」と言われかねないほどでしょう。

その基準に沿った商品やサービスがあれば、満足できるんだと思われます。

体が少し楽になれば充分。
英会話のフレーズをいくつか覚えられれば充分。
知らなかった知識が増えて、「なるほど!」と思えれば充分。
前よりも少し上手くなれたら充分。

別に、専門家やエキスパート、プロになりたいわけじゃないんです。
プラスアルファの楽しみとか趣味のような形でやりたい人も大勢います。

それほど時間や頻度、負担や労力を費やすつもりはない。
切実ではないのですから、人生全般においての重要度も低いわけです。
そんなに一生懸命に取り組むつもりがないんです。

楽をしたいともいえそうです。
楽をして効果が出るならやる。
効果を出すのが大変なら別に必要ではない。

それぐらいの求め方なんです。

そして、そういう人たちが多い。
そちらが大部分です。

当然、そういう人たちを対象として商品・サービスを提供する人たちも多くなります。

バランスは取れているんでしょう。

「〜するだけで」とか「わずか〜で」などの大袈裟な広告は
そうした大部分の「あまり必要としていない」人たち向けなんだといえます。


このような広告に不快感を覚える人たちは、逆に
必要性を感じて、高い基準を求めている人たちへ
高い基準のサービスを提供したい側だろうと想像できます。

そのような広告に反応する人たちとは、期待している基準が異なっているはずです。

むしろチャンスだってあるのかもしれません。

ある程度の必要性を感じていたけれど、そこまでの動機はなかったという人が
一歩を踏み出してみて、「他のところにも行ってみようかな?」と思い始める…。

そうしたら、もっと違った基準の質でサービスを提供しているところに
目を向け始める可能性があります。

大袈裟な広告に反応して、やっぱり必要ではないから遠ざかる人もいます。
一歩を踏み出してみて、その基準で満足して楽しみ続ける人もいます。
一歩を踏み出してみて、それでは満足できず、他を求め始める人もいます。

一歩を踏み出すための広告は、随分と長く歩いてきた人からすると
不快に思えるものだろうとは思います。

しかし、そんな大袈裟な広告も
一歩を踏み出すキッカケの1つにはなる可能性はあります。

どういう動機の人たちに、どのように関わっていくか。
そのあたりの設定が重要なのかもしれません。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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