2015年05月25日

歴史の難しさ

最近ふと、歴史に関する本を読んでみましたが
考えさせられることの多さに驚きました。

僕は大学が理系でしたので、歴史を勉強したのは高校生までです。
暗記科目として項目を覚えることに必死なだけで
ハッキリ言って、ほとんど何も頭に残っていません。

僕の歴史知識は中学校で止まっていると思います。
(そこから忘れていますから、きっと中学生には敵いません)

年号や人名、出来事の名前を覚えるのがやっとで
どういう内容の出来事だったのかとなると相当あやしかったものです。

まぁ、それでもテストの点数は取れるようにしてましたから、
裏を返せば、中学校レベルの歴史の勉強というもの自体が
人類史の「あらすじ」程度だということなのかもしれません。

仮に、世界で起きてきたことを一本の映画に喩えるとしたら
歴史というのは、語る人の着眼点によって物語となりそうです。

出来事は同じだったとしても、その物語をどのように切り取るかは
まさに同じようなテーマを描いた映画が色々あるようなものでしょう。

日本の中学校で勉強する歴史は1つの映画のダイジェスト
といったところのように思えます。
いや、ダイジェストにも満たない「予告編」ぐらいでしょうか。


ともあれ僕にとって歴史というのは、その程度の情報量しかないんです。

その理由のうち最も大きいのは、おそらく情報の処理力でしょう。
中学生が処理できる情報量は決して多くありません。

文章を読解する力もトレーニング中なわけですから
教科書は少ない文字数で幅広い期間を網羅しないといけないわけです。

当然、情報量は減ります。
予告編ぐらいになってしまうのも当然だと感じます。

そんな教科書を読み、内容を覚えるのが精一杯だったんだと思います。

そもそも情報量が少ないので、「いつ何が起きた」という話しかできない。
「誰に、どういう事情があって、それがどのように絡み合って
 結果的にどのような経緯で、その出来事に至ったのか?」
というところまでは情報が追いつかないと考えられます。

もしかすると大学生ぐらいになって歴史を勉強すると
そういう詳しいところまで理解できるようになっているのかもしれません。

大学で歴史学を研究するような人たちは、少なくとも
当時の事情を様々な角度から調べて、1つの物語を紡ぐように
色々な編纂をしているのだろうと想像します。

高校生ぐらいだとどうなんでしょう?
僕は歴史に関心がなかったので、授業の内容は
全くといっていいほど記憶にありません。

覚えているのは先生の顔ぐらいです。
授業中にやっていたのは先生の似顔絵描きがメインでしたから
それも無理のないところ。

毎日いろいろな科目の勉強があって、負担の大きい科目とか
進みたい方向性と関係する科目とかを考慮したら、
中学校時点で興味を失った歴史には力を入れるはずもなかったんです。

つまり僕は中学時点で、歴史に関する知識を諦めてしまったわけです。


ところが最近、歴史に関する本を読み直してみたら
得られる情報の質に大きな違いを感じました。

そもそも詳しいんです。
様々な事情が述べられています。

当時の人たちの生活スタイルなども書かれているからこそ
その頃に人々が何を求めていたのかも想像しやすい。

どんなテクノロジーがあって、どんな生活が可能だったのか?
どんな生活の不安定さがあり、何を懸念していたのか?

今では当たり前のことが、昔は全く違っていたはずで、
その当時の事情を把握することなしに
出来事が積み重なって作られる物語としての歴史は
理解のしようもなかったんだと感じられます。

そして最近の僕が、歴史を物語としてイメージしやすかったのは、
理系として勉強したこと、研究者として勉強したことが前提となって、
そのうえに人の心を扱ってきたことや心理学の知識を勉強したことが
加わっているからだろうと思えました。

当時の状況から想像できる心情を思い描きながら読み解くことで
歴史の本が、初めてストーリーになったんです。

やっと出来事が物語になりました。

何があって、何があって…という出来事の羅列ではなく
「どのような気持ちが、その出来事へ向かわせたのか?」
という動機をイメージしやすくなったんです。

同時に、当時の人々の常識や通念ともいえるような発想は知る由もなく、
それ無しに、気持ちを充分に想像することは困難でした。

その前の時代の背景も必要だろうと思えたんです。

いわば、出来事の歴史だけではなく、
人々の感情や考えの歴史も必要になる、という感じ。


ですから、僕が最近になってようやく感じられたのは、
 歴史を勉強するには、膨大な周辺情報が必要だろう
ということなんです。

当時の事情を想像できなければならず、
人々の気持ちを想像できなければならない。

中学・高校の自分には、とてもそんな作業はできなかったと思います。

歴史は大人になってからでないと学べないものなのかもしれない
とさえ感じるほどです。

…とはいえ、そう言いきってしまうと
歴史を勉強し始められるタイミングが限定されてしまいます。

学問の世界で歴史をやる人は、早いうちから興味を持つわけですから
中学校で歴史をやるのも、「歴史学の歴史」を継続させるうえでは
必要不可欠なところだとも思えます。

ただ個人的に、歴史は非常に難しく感じられます。

目の前にいる人の気持ちを想像するのだって大変なのに、
全く知るよしもない過去の人を想像しないといけないのですから。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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