2015年06月19日

長いけれど大事な話

「ありのままの自分を認める」という方向性が
上手く機能する場合があります。

その多くは、これまで過剰に頑張って
沢山の成果を『手に入れる』ことを続けながら
それでも「まだ足りない」と頑張り続けてきたとき。

いわば、
 ひたすらビジネスを拡大して、収入を増やし、
 大富豪と呼ばれるようになって、
 それでもまだ「もっと、もっと」とお金を求めていた人が、
 ある日
 「そうか、人生はお金ではないんだ。
  日々に感謝することが大事なんだなぁ。」
 と気づく
ようなものです。

これまでに「お金」という方向で徹底的にやってきた人が
あるときに反対側の大事さに気づき、それ以来
「お金ではありませんよ。『ありがとう』と言いましょう。」
と伝えるようになる。

大きな気づきは、そのような振り幅の大きさを伴うんです。

逆にいえば、振り幅の大きな発想の転換が起きたとき
「大きな気づきだ!」という実感をする、ということです。

ですから
「ありのままの自分でいい」
と感じられて、
それで一気に楽になる場合には、
振り幅の大きさの根拠となるものとして
「こんな自分ではダメだ。もっと頑張らなくては!」
と必死にやってきたいることが多いんです。


しかしながら
「ありのままの自分を認める」
という表現は、一見すると優しいため
多くの人に喜ばれます。

より正確には、
 多くの人の心にある一部分にとって喜ばしい
といえます。

「このままの自分がいい」
「今の自分がいい」
と思いたい部分です。

もっと良い自分になろうとする人にも、
「今の自分はダメだ」と苦しんでいる人にも、
頑張っている気持ちの一方で
「このままがいい」と思いたい部分があるものです。

色々な気持ちが並列で存在しているんです。

ただし、その並列の気持ちを相反するものとして捉えていると
そこに葛藤が自覚されます。

頑張りたい自分と、このままでいたい自分が葛藤する。

葛藤していなければ苦しくはないんです。
バランスの問題とイメージしてもらえばいいでしょうか。


頑張りたい自分が99%、このままでいたい自分が1%だとしたら、
その人は葛藤を感じることなく、ひたすら頑張り続けるでしょう。

たくさん頑張り続けて、頑張っている自分が好きだと感じるはずです。
どこか満たされない部分(1%)が顔を出しても、
新たな目標を設定して頑張ることで満たそうとします。

そして頑張っていることそのものが自分を安心させることにもなる。


同じように頑張りが大きい人…例えば、
頑張りたいが90%、このままでいたいが10%とかだとすると、
10%の満たされない部分がもう少し自覚されやすくなるはずです。

そうすると、たくさん頑張り続け、頑張れば満たされるんじゃないかと
さらに頑張って、それでも満たされないことが薄々自覚されてきます。

それであるときにハッと気づく。
「そうか、このままでいいんだ!」と。

このままでいたい自分が意識に上がって、
それを受け入れたときに、すごく楽になります。

振り幅の大きさから大きな気づきが生まれるのは
このぐらいの状態だといえそうです。


ところが、頑張りたい自分と、このままでいたい自分との強さが
同じぐらいに近づいてくると、どっちに進んでいいか分からない感じになり
葛藤という印象はさらに強まってくるものです。

「頑張りたい、でも、頑張れない…。
 このままでいいんだろうか?でもやっぱり頑張って進みたい。
 いや、それは大変だから、本当はこのままでいいのかも…。
 でも、それじゃあダメだ…。」
といった感じ。

この状態だと苦しい時期が長く続きます。
見動きを取りにくいからです。

頑張るために行動しようとすれば、
このままでいたい思いが邪魔をして一歩が踏み出せない。
このままでいいのかと受け入れようとすれば、
頑張りたいほうが邪魔をして受け入れることができない。
そんな八方ふさがりの状態です。

社会的には、生活していくため、対価にともなる仕事としての責任のため、
「頑張る」ほうが「正しい」ことのような考え方が浸透していますから、
どちらかというと「頑張りたい」自分のほうが肯定的に評価されやすいようです。

そのため、「頑張りたい」自分は、
「頑張らなければいけない」のような考えとして自覚されることがあります。

50:50というよりは、頑張るのほうに比重が置かれやすい、ということです。
頑張りたいが55%、このままでいたいが45%のようなバランスでしょうか。


反対に、「このままでいたい」気持ちのほうが大きい場合もあります。

「このままでいたい」が大部分を占めているとしたら、
その人には頑張りたい気持ちが自覚されませんから
日々は大変なことばかりに感じられるかもしれません。

もちろん楽な気持ちで過ごせるときもあるでしょうが、
それほど頑張りたいわけではないために、周囲からの要求が負担になる。
ストレスはかかるわけです。

「このままでいたいのに、頑張ることを要求される。嫌だ。」
という感じ。
頑張ることを求められない環境に身をおけば楽になれるんでしょうが、
現代の社会では頑張ることが求められますから負担は大きいはずです。

その負担は他者や社会への不満として表現される可能性もあります。


「頑張りたい」の気持ちも少しあって、ただそれが自覚されていない
…例えば、「頑張りたい」が10%、「このままでいたい」が90%とかとすると、
気分としては楽になってくることが多いようです。

「このままでいい」、「ありのままでいい」と言いながら
日常に負荷をかけることなく、楽なスタンスで過ごす。

そして自分の生活を振り返って、
「『ありのままでいい』って思ったら、とても上手くいくようになりました」
と「よい上手くいくようになった『変化』」を喜んだり、
「前よりも大分、ありのままの自分を受け入れられるようになった」
と自分の『成長』を喜んだりする。

良くなっていることや成長を喜んでいるのは
「頑張りたい」ほうの自分だと考えられます。

「頑張りたい」自分がそれほど強くなく、かつ自覚していないときに
「このままでいい」自分を優先しながら、同時に
「頑張りたい」ほうの自分を、望ましい変化が得られることで
「頑張っている」喜びも味わえる、と。



こうした葛藤度合いの違いによって、
「ありのままの自分を認める」という考えを目にしたときの反応も様々です。


おそらく分かりやすそうなのは、
「このままでいたい」気持ちのほうが大きい場合でしょう。

「ありのままの自分を認める」という言い回しは
自分の考えを後押ししてもらっているように感じられると思われます。

「そうだ、そうだ」、「いいこと言う」などと感じながら
今までの自分のスタンスを続ける。

頑張ることを要求されるストレスを感じているとしたら
自分の正当性を保証してもらったことになりますから
気分が楽になる効果はありそうです。

「このままでいたい」気持ちが強い人たちにとっては
「ありのままの自分を認める」という考え方は人気が出やすいと考えられます。


逆に、
頑張りたい自分が99%、このままでいたい自分が1%のような人は
ひたすら頑張るのが好きなわけですから、
「ありのままの自分を認める」といった発想は響かないと思われます。

否定をしたり、無視したりすることもあるかもしれませんし、
あるいは、「ありのままの自分を認められるようになる」という『成長』に向け
さらに頑張るための指標に変えてしまうこともあるかもしれません。

「ありのままの自分を認める」という考えを目にして、
それで急に何かの影響が出るという可能性は低そうです。


同じように、頑張りたい気持ちが大きくても
このままでいたい気持ちがもう少し強い場合では
(例えば「頑張りたい」90%、「このままでいたい」10%、など)、
影響が劇的になることがあります。

ただし、あまりに劇的なため、徐々に影響が出るというよりも
大きな転換が起きるか、起きないか、という二択のようなイメージです。

頑張っても満たされなかった10%の「このままでいたい」自分が、
「ありのままの自分を認める」という考えを知ったとき
一気に顔を出してくることがあります。

気づきが生まれるキッカケになるわけです。
「そうか、自分はずっと頑張ろうとしていた。
 でも、このままでいいって思いたい気持ちがあったんだ!
 なーんだ、このままでいいんだ!」
と大きな転換が生まれる。

しかしながら、これは起きるか/起きないかというシンプルな転換ですから
その考えを知っても、すぐには何も起きない場合もあります。

それでも「頑張りたい」気持ちが大部分で、
「このままでいたい」気持ちが不満として自覚されていたような
(「頑張りたい」90%、「このままでいたい」10%ぐらいの)人は、
「ありのままの自分を認める」という考えが、どこか心に残るものです。

不満として感じられていた「このままでいたい自分」が動かされるからです。
表に上がりやすい状態になる。

そしてあるタイミングで、「ああ、そうか!」となります。

「頑張りたい」自分と、「このままでいたい」自分とのバランスが
これぐらいの人には、この考え方が大きな意味を持ちやすいといえます。

実際に、その気づきが得られたときにも振り幅の大きさから
とてもインパクトの大きな体験となりますし、
だからこそ、その大事さを他の人にも発信したくなるのも納得できます。

とはいえ、繰り返しになりますが、このインパクトの大きさは
「頑張りたい」90%、「このままでいたい」10%のようなギャップの大きさと
同時に、「このままでいたい」自分を自覚できるだけの不満の量が求められます。

その絶妙なバランスにいる人が、
「ありのままの自分を認める」という発想を取り入れるだけで
スパッと大きな転換を迎えられる、ということです。


一方、頑張りたい自分と、このままでいたい自分との強さが同じぐらい
(頑張りたいが55%、このままでいたいが45%のようなバランス)
の人にとっては、影響の表れ方が異なります。

「頑張りたい、でも、頑張れない。
 本当はこのままでいいのかも…。
 でも、それじゃあダメだ。」
といった身動きの取れない状態の人は、
「頑張りたい」自分も、「このままでいたい」自分も、
両方とも受け入れていないと考えられます。

これが苦しいんです。
どっちに転んでもダメなんですから。

ただし、世間は「頑張る」ほうを推してくる。
(だから「頑張りたい」55%、「このままでいたい」45%のようなバランス)

このチョットした偏りがあるからこそ、
「ありのままの自分を認める」という言葉が響きます。

「変わらなくていい」、「頑張らなくていい」という方向性の言葉として解釈される。

この解釈は「このままでいたい」自分の側のものです。
45%と劣勢に立たされていた側が応援されるんです。
「そっちが正しいよ」と言ってもらえて安心する。

一時的にバランスが逆転して
「頑張りたい」45%、「このままでいたい」55%
ぐらいになるかもしれません。

そうすると今度は「頑張りたい」が黙っていません。
「そうはいっても…」となる。

「だって、それじゃダメなんだ!」
「親は頑張れと言っていたし、頑張らなかったら認めてもらえない」
「頑張れば社会でだって評価してもらえるはずだ」
などという考えが浮かびやすくなります。

しかし、です。

このバランスだったということは、
頑張ろうとすれば、このままでいたい気持ちが押しかけてきて
頑張って行動を起こそうとするヤル気が削がれてしまっていたはずなんです。

「頑張らないと!」と思いながら、今ひとつ
本気で頑張った言える程には何かに取り組んだとは感じられていない。

実際に頑張ったかどうかではありません。
頑張ろうとしたときに葛藤が生まれ、頑張っている気持ちに集中できないため
本気で頑張ったという印象が残りにくいんです。

そのため「頑張った」という自己評価が得られにくい。

頑張りたいのに頑張れたと思っていないから、余計に苦しいといえます。

「ありのままの自分を認める」という考えにサポートされて
「このままでいたい」側を認めようとする心の動きが起きても、
「頑張りたいのに、頑張れたことがなかった」という反対側の不満がよぎります。

「ありのままの自分を認める」という考えで楽になれた人は
自分が頑張ってきたと感じていたため、
 頑張らなくても、ありのままの自分で認めてもらえる
という体験に気づきやすく、納得もしやすかったはずです。

それに対して、「頑張りたい」と「このままでいい」のバランスが近い葛藤では、
 頑張らなくても、ありのままの自分で認めてもらえる
という体験を過去や日常生活から探そうとても、気づきにくくなります。

なぜなら、「頑張らなくても認めてもらえている」と受け入れてしまうと、
反対側にある「頑張りたい」自分が拒絶されてしまうからです。

この拒絶が無自覚に起こると、
 探しても見つからない
 過去を振り返っても思い出せない
 自分の気持ちに気づけない
といった状態になります。

「ありのままの自分を認める」スタンスの流派では、
 頑張らなくても大丈夫
 ダメな自分をさらけ出しても受け入れてもらえる
といった体験を探す手法を使うことが多いですが、
5分5分に近いバランスで葛藤している人には、この手法が合いずらい。

「ありのままの自分を認める」流派の人からすると、
厄介なクライアントとして認識されてしまう可能性があります。

気の毒な話に思えます。

苦しみの質が異なり、対処の方向性も違っている。
ただそれだけのことでしょう。

本当に厄介なのは…、
 「ありのままの自分を認める」という発想が、
 45%と劣勢に立たされていた「このままでいたい」自分にとって魅力的で
 それゆえに、「この発想で苦しみから出られるのではないか?」
 と期待を抱いてしまいやすい
ということかもしれません。

その期待ゆえに、
「ありのままの自分を認めましょう」と主張する人に助けを求めてしまう。
手法が合わない可能性があるのに、です。


「頑張りたい」というのは、必ずしも「無理をして必死で」の意味を含みません。
「一生懸命にやる」、「手を抜かずにやる」、「全力を尽くす」
のような印象で捉えている場合もあるんです。

そして「一生懸命に全力でやる」のは充実感があって喜ばしい体験ですし、
「以前にできなかったことが、できるようになる」という成長の実感もまた
喜ばしいものとして味わわれます。

頑張りたい自分と、このままでいたい自分との強さが同じぐらいのケースでは
この「一生懸命」、「全力」、「成長」といった体験を求めていることが多いようです。
『真剣』に「頑張りたい」といっているわけです。

それに対して、
「ありのままの自分を認める」という考えで大きな転換を迎える人たちは
「頑張る」ということが「無理をかけて」、「限界を超えながら」になっていて、
場合によっては「頑張らないと認めてもらえない!」というほどの必死さを伴う。
こっちの「頑張る」は『深刻』なんです。

この差が結果に大きな違いを生み出します。

「ありのままの自分を認める」という考えを目にしたとき、
「頑張る」が『深刻さ』を意味するほど「頑張りたい」自分に偏っていた人は
「そうか!頑張らなくていいんだ」と大きな発想の転換を迎えることがある。

頑張るのをやめた後は、楽しいことをやるようになります。
一生懸命さを維持したまま。
好きだから、楽しいから一生懸命になれるんです。
『深刻さ』がなくなり、ただ『真剣に』向き合う喜びは残ります。

ところが、
「頑張りたいのに頑張れない」と悩むほど
「頑張りたい」自分と「このままでいたい」自分とのバランスが均衡している人は
「頑張る」を『真剣さ』と結びつけていて、
「真剣に取り組めない」と感じるのが辛いと考えられます。

『真剣に』向き合う喜びを体験したい、と願っているからこそ、
「頑張らなくていい」、「このままでいい」という発想と結びつきやすい
「ありのままの自分を認める」という考えが響かないんです。

「真剣になれることを見つけたい」というメッセージともいえるかもしれません。

この違いを知った上で、
「『真剣に』頑張りたい」気持ちと
「このままでいたい」気持ちと、
両方に折り合いをつけるのが効果的でしょう。

世の中の多くが頑張ることを求めていて、
「やりたいことを一生懸命にやれるのが素晴らしい」かのように語られる中で、
自分だけ真剣に頑張れていないように感じられるのは苦しいはずです。

すると自然に、対極的な考えとしての「ありのままの自分を認める」とか
「頑張らなくていい」といった教えが魅力的に感じられるものです。

そしてその教えに期待して、取り組んでみて、上手くいかないことに落ち込む。

合わない可能性を検討してみてもいいのではないでしょうか。

「頑張りたい」自分と、「このままでいたい」自分のバランスをチェックする。
「頑張る」の意味が『真剣さ』なのか、『深刻さ』なのかをチェックする。

それで取り組む方向性が選びやすくなると思います。



では、具体的にどう取り組むか?

方針はシンプルです。

「頑張りたい」と「このままでいたい」は矛盾しないと認識しなおすだけです。
ただ同時にあるだけ。

「今の自分ではダメだ」という気持ちと
「今の自分がいい」という気持ちが
相反すると考えるのは
言語的、論理的な思考に慣れているからでしかありません。

たしかに、その一瞬の行動を考えれば
一度には1つの決定しかできません。

「頑張りたい」自分と「このままでいたい」自分は
一瞬だけ存在するものではないんです。

常に一人の中に存在しているものです。

ある瞬間には「頑張りたい」を優先し、
別のときには「このままでいたい」を優先する。
それだけのことです。

そのときそのとき、状況に応じて都合の良いほうを選べます。

「カレーが好き」な自分と
「ラーメンが好き」な自分が葛藤しないのと同じです。

カレーにしようか、ラーメンにしようか?と迷うことはありますが、
『迷い』は『葛藤』ではありません。

そのときの気分で決めるだけ。

誰もが丁度いい具合に両立させています。
それと同じことです。

頑張りたい気持ちが上回ったときに真剣に頑張る。
このままでいたい気持ちが上回ったときは、そのままでいる。

その瞬間に
 どちらの気持ちに基づいた行動をとるか?
だけの話です。

そうなると、もう
 「頑張りたいけど、頑張れない」
 「このままでいたいけど、このままでは良くない」
 「頑張りたいけど、このままでもいたい」
という葛藤ではなくなります。

「頑張りたいし、このままでもいたい。」
「頑張りたいときもあるし、このままでいたいときもある。」
そうなると気持ちは楽になります。

「〜したい」という気持ちに従って行動できるようになるでしょう。

もしかしたら、いつかまた他の気づきが起こることもあるかしれません。
それはまた、そのときの話です。

まずは葛藤で苦しんでいるところから楽になってもいいような気がします。

頑張りたければ、頑張ってもいい。
そのままでいたければ、そのままでもいい。

だから「ありのままの自分」なんです。

本当の意味で「ありのままの自分を認める」というのは
 自分の心の中で対立しているように感じられる気持ちを
 両方とも大切にする
ということだとも言えそうです。

色々な気持ちが並列に共存している複雑な存在が
「ありのままの自分」なのではないでしょうか。

cozyharada at 23:43│Comments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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