2015年10月10日

罪の意識と向き合う

「〜なんてことをしてはいけない」という発想や
「人として〜していなければいけない」という発想があると、
その基準を満たせていない時に罪悪感が生まれます。

そこに「正しさ」の基準があって、
「正しくなければいけない」という考えも前提にあるといえます。

例えば、
「一生懸命に頑張らないといけない」とか
「人生では我慢しなければいけないことがある」とか
「好きなことばかりやっていてはいけない」とか…、
そういった考えがある場合には
気軽に楽しく好き勝手に生活するようなスタイルは抵抗があるようです。

その一方で、好きなことばかりをして楽しそうにしている人もいますから
そういう人を見れば羨ましくもなるし、
自分に対して不満やもどかしさを感じることもあるかもしれません。

そして、好き勝手に楽しく生きるスタイルの人は
その素晴らしさを強調して、同じように楽しく生きるための教えを広めます。

「我慢なんてしなくていい。
 好きなことをすればいい。
 そのほうが幸せになれる。」
といった内容が多いでしょうか。

日々の生活の中で不満を抱えながらも頑張って、
人に迷惑をかけないように責任感を働かせていれば、
そんな風にノビノビとした幸せは魅力的に思えると想像できます。

しかも「正しくなくていい」という教えも含まれますから、
「正しくいなければならない」と暗黙に考えていた人には
許してもらえたような安心感もあるのでしょう。

教えの内容に魅力を感じつつ、
今まで無理して頑張っていたのを「頑張らなくていい」と許してもらう。
「あぁ、素晴らしい教えだなぁ」と感じるのも自然なことだと考えられます。

そして教えに傾倒するうちに
「自分も好きなことをして生きたい」なんて思い始める、と。


ところが「正しくなければならない」という考えがなくなるわけではありません。

そもそも心の中にあった
「そんなに正しくなくったっていいじゃないか」
と思いたい部分が、教えを喜んでいる状態です。

教えとして
「我慢なんてしなくていい。
 好きなことをすればいい。
 そのほうが幸せになれる。
 正しくないことをしてしまおう。」
と言われたとき、
心の中の一部は
「やっぱりそうだよね。
 そんなに正しくなくったっていいよね。」
と安心するわけです。

その一方で、今まで主に意識に上がっていた
「正しくなければならない」と思う部分については
「いやいや、やっぱり正しくないのはマズイでしょう。」
と反論を始めます。

教わった通りに好き勝手なことに取りかかって
今までだったら悪いと思っていたこともやってみて、
「正しくないことをしてしまうのが良いんだ」
と考えようとするときに、
心の一部が
「いやいや、マズイだろう」
と反発して罪悪感を生み出すんです。

そこで
「罪悪感なんて必要ない。
 正しくなくったって大丈夫だから。」
と、考えを変えるように努力をしていくスタンスのようです。

今まで「正しくない」、「問題だ」と捉えたいたことを続けることで
そのやり方に慣れていく。

慣れるうちに
「正しくないし、問題だろうと思っていたけれど、
 意外と大丈夫なものなんだな」
と感じられてきて、罪悪感もなくなっていく
…ということだと想像できます。


とはいえ、これは時間がかかりますし、
「なーんだ!大丈夫なんだ!」と発想が入れ換わるには
タイミングも重要かもしれません。

そのときを待っている間は、もどかしくてたまらないことでしょう。

であれば、逆転の発想というのも役立つような気がします。

つまり、
 あえて思いっきり罪悪感を強める
という方向性です。


徹底的に罪を意識するんです。

人は生きているだけで、他の生き物の命を奪っています。

家畜は人間の都合だけで飼育されて一生を終えますし、
雑草や害虫と呼ばれて駆除される生き物も沢山います。

人間が生態系を大きく変え、地球を改造します。
なかなか分解されることのない材料で製品を作って
ゴミを地面に埋めて見えなくします。

野生生物は生息域を追われ、なかには絶滅したものもいます。
農作物を守るために殺される動物もいます。

そんなにしてまで食料として確保した他の命を
美味しいだの美味しくないだのという理由で選別したり、
余った分を廃棄したりしているわけです。

もしかしたら人間なんて存在しないほうが
地球のためには良いのかもしれません。

それでも人は生きます。

人間の都合で
地球に対して、他の生き物に対して
ワガママを言っています。

ワガママだけど、快適な環境のほうが嬉しいんです。
ワガママだけど、美味しい食事のほうが満足感が大きいんです。
ワガママだけど、虫に刺されるのもイノシシに襲われるのも嫌なんです。

現代の人間は普通に生活しているだけで
誰でも物凄いワガママを他の生き物に押しつけている
ということです。

その罪深さを意識したとき、
人間社会の中だけで設定された「正しさ」を基準とする罪は
どれぐらいの程度に感じられるでしょうか?


「正しくない」ことをする罪悪感には
  自分だけが正しくないことをしてしまっている
という後ろめたさが含まれると思います。

他の人は「正しく」やっているのに、自分だけズルイんじゃないか
といった比較があるはずです。

だからこそ、人が本質的にもっている膨大な罪を意識すると
誰もが皆、とても罪深い存在なんだと感じられて、
自分だけが罪悪感を抱く必要がないと思えてくる気がします。


それでもやはり人間社会での比較ばかりが目についてしまうなら、
他の人たちについても罪を探していってもいいでしょう。

仮に「いつでも100%正しい」という人がいたとしたら、
その人には「他の人を窮屈に感じさせる」罪があるかもしれません。

責任感が強くて手を抜かない人がいたとしたら
「周りの人も気を遣い始めて、誰も休めない雰囲気を作ってしまう」罪や
「大事な作業を通じて成長する機会を他人から奪う」罪、
「信頼してもらう喜びを他人に与えない」罪
などがあるとも考えられます。

そうやって見ていくと、
自分が「正しくない」と思っていることだけでなく、
どんなことだって必ずしも正しいわけではないのが分かります。

「自分だけが正しくない」と捉えて罪悪感を持つのが
正しいことではないと思えてくるのではないでしょうか。

場合によっては
 自分が「正しい」と思っていたことが
 実は他人に迷惑をかけることだった
と気づくこともあるはずです。

そして
 誰もが「正しくない」なかで
 お互いに迷惑をかけながら
 なんとかバランスが取れている
と実感できたら、
自分に対しても他人に対しても寛容でいやすくなると思われます。

そうして「正しさ」に対する考えが緩んでくれば
無理なく自然に、楽な状態になれると期待できます。

罪悪感がどうしても無くならないときには、いっそのこと
丁寧に罪を意識してみてはいかがでしょうか。

cozyharada at 23:31│Comments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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