2016年01月28日

あえて記録する

「書く」という行為は必ずしもアウトプットのためではありません。

確かに「書いている」プロセスそのものはアウトプットに分類されると思います。
が、その目的がアウトプットではないことがあるんです。

それは文章を「書く」だけに限らず、
書道で文字を「書く」ときや絵を「描く」ときにも当てはまります。

「書く・描く」を通じて、インプットする場合です。


人は物事をろくに見ていないんです。
ざっと目に入れて、「知っているもの」として処理する。

過去の経験で作った記憶の中のイメージに当てはめて認知して
実際に目の前にあるものを細かく捉える必要性を省くんです。
そのほうが効率的だから。

そして1つの意識体験を頭の中に作り上げます。
細部にまで注意払っていなくて、意識化できる記憶には残りずらいけれど
おぼろげに意識している範囲です。

注意を払っているかという点では「意識的」とはいえませんが
瞬間的に意識体験の中に入っている種類の情報です。

いわゆる”無意識”で処理していると呼ばれる範囲でしょうか。
(本当はこのあたりの定義が凄く曖昧なんですが)

整理すると、ここでしようとしている区別は二段階です。
概念(ものごと)として『認知』できるかどうかが1つ目。
認知したものに『注意』を払って『意識化する』(覚えておく)かどうかが2つ目。


例えば毎日しょっちゅう見ているはずの自分のスマートフォン。
画面には沢山のアイコンが並んでいるはずです。

この位置をどれぐらい覚えているでしょうか?

よく使うメールとか、フェイスブックとか、カメラとかは
なんとなく位置情報として覚えているかもしれません。
あるいは一番使うから左上の角に置いているものとか
特徴のあるものも思い出しやすいでしょう。

これが日頃から『注意』を払って『意識化される』ことが多くて
思い出しやすい種類の情報だということです。

「〜がある」という形で意識に上げている、と。

ところが意識にすら上げていない場合もあります。
滅多に使わないアイコンとか、自動的に使ってしまっているものなどは
記憶が曖昧になります。

「〜があったはずだ」というぐらいの意識化の程度であって
場所までは思い出せない。
それでも注意を払って意識化していた記憶はあります。

どれぐらい注意を向けて意識していたか?
それによって記憶への残りやすさ、思い出しやすさが変わり、
意識的な記憶と、無意識的な記憶とを分けることになります。

これが二段階目のほうです。


さらに「アイコンがある」、「この場所にアイコンがある」と
『知っていた』、『分かっていた』としても
そのアイコンの映像を完全に覚えているか?というと
これまた定かではないはずです。

見れば「あぁ、これがGmail のアイコンです」とは選べても
実際に再現できるかというと難しい。

場合によってはチョットずつデザインを変えた似たようなアイコンの中から
正解を1つ選ぶとしても、自信がなくなってしまうこともあるでしょう。

「○○のアイコン」という概念・ものごととして認知しているときには
その細部の情報には注意が向かなくなるわけです。

「何色の線が、どれぐらいの太さで、どういう角度で並んでいて…」
などのように認知しているわけではなく、
知っているパターンとして「○○のアイコン」という記憶を使って情報処理して
1つの概念、1つの情報量として処理できてしまう、ともいえます。

逆に、意味のあるまとまりとして捉えられないときには
あえて注意を向けない限り、認知さえされません。

日本人がアラビア語の文字を見たとしても、単なる模様ぐらいにしか見えず
目に入っていたとしても意識化されることさえないでしょう。

せいぜい「アラビア語の文字だ」ぐらいに認知されて
その中身の情報、つまり実際の文字の配列の違いを意識するのも難しい、と。

同様に、ハリウッド映画などで日本の景色らしきものが描かれたとき
中国語の看板が混ざっているのが日本人からすると変に思えても
「漢字」としてしか認知できないアメリカ人には細部を意識できないわけです。

ここが概念・ものごと(意味のある情報のまとまり)として認知できるか?
という1つ目の段階です。


概念として認知できないものは無視されるし、
概念として認知できるときには、できるだけ少ない情報量になるよう
大きな意味のまとまりとして捉えて、細部は無視されやすくなる。
(一段階目)

そして認知したものについても
注意を向けて意識に上げておく度合いに応じて
記憶の残りやすさが違う。
その瞬間の意識に上がっても、思い出せる記憶にはならないかもしれない。
(二段階目)

意味のあるものとして認知しなければ意識にさえ上がらず、
意識に上がったものでも注意を強く向けなければ意識的な記憶にならない
ということです。

その意味では、本当にごく僅かなものしか意識的に体験していないといえます。


「インプット」を、ただ素通りさせるだけではなく、
「入れて残しておく」ことだと考えるなら、
何気なく日常を過ごしていたら、ほとんどインプットが無いことになるでしょう。

だからこそ積極的にインプットしたいのであれば、
 細部に注意を向けて、記憶に当てはめながら認知せずに
 1つ1つの特徴ごとに強く注意を向けて意識化して
 そのものの特徴を徹底的に記憶に残すようにする必要がある
と考えられます。

そのために役立つのが「記述する」ということです。
「書く」とか「描く」とか。

細かく特徴を述べたり、絵に描いたりするためには
まず細かく見なくてはいけなくなります。

知っていることに気づいてしまったら、そこで記憶の中の概念に当てはめて
それ以上の細部に注意を向けることは非常に難しくなります。

見たつもり、観察したつもりになりがちなんです。

それを防ぐのに効果的なのが、「書く」、「描く」ということ。

観察したことを記録に残すのは、情報を残すことが目的とは限らないんです。
記録に残す情報を正確にしようとしたとき、初めてそこで
細かいところまで観察することが可能になる。

細部の特徴まで意識に上げて体験するために、
漠然と見たつもりにならないよう、あえて書いたり描いたりして
記録する作業を追加する場合があります。

書く・描くというプロセスを追加することで
細かいところまで意識できるように負荷をかけるわけです。

あとで見直すために記録するんじゃない。
今、丁寧に体験して意識するために記録の作業を挟む。

それが
 インプットのために書く・描く
ということです。


ワンパターンで流してしまったり、漠然とやってしまわないために
あえて記録してみるのは効果的な工夫でしょう。

今まで気づいていなかったことが見えてくる可能性が高いはずです。

cozyharada at 23:45│Comments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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