2016年05月25日

師匠と呼ばれる人、師匠になりたい人

世の中には教える立場の人が沢山います。

教育に関わる人や、専門技術を指導する人、
コンサルタントのようにアドバイスの形で教える人もいます。

教えるのが仕事ではなくても、先輩として指導するとか
同僚からパソコンの使い方を質問されて教えるとか、
とにかく教える機会は数え切れないほどあるものでしょう。

そうして教えるとき「どんな立場をとるか」というのが
結構、個人差の大きいところのような印象を受けます。

例えば、
 教えることそのものが仕事なのか
という着眼点も、
教える際の立場を区別する1つの視点だといえます。

他にも
 ・言葉で説明するか、見本を見せるか
 ・教える側が説明をずっと続ける(情報発信的)か、相互交流的か
 ・一対一か、一対多数か
 ・論理的に説明するか、感情に働きかけるか
 ・講義型か体験型か
 ・詳しく説明して納得してもらうか、本人に気づいてもらうか
 ・先にポイントを説明するか、後からポイントをまとめるか
 ・決めた通りに進めるか、その場に応じて対応するか
…などと、性質を見ていけば相当な特徴が挙げられそうです。


そうした性質の1つで僕が気になるのが
 「師匠になるかどうか」
です。

結果的に「師」と仰がれるかどうかではなく、
教える側が「弟子をとる」スタンスかどうかの話です。

例えば、心理療法やカウンセリング、NLPの分野でも
「○○に師事」などと書いてあるプロフィールを目撃することがありますが
本人が師と仰いでいるだけで、セミナーに参加しただけという場合もあるようです。

その指導者が「弟子」と呼べるような親密な教え方の方針をとっていなくて
ニュートラルにセミナーやトレーニングをやっているつもりであっても、
教わっている側が「師」と捉えることもありえるわけです。

ただし、この場合は”教わる側”からの目線であって、
”教える側”が「師匠になろうとしているか(弟子をとろうとしているか)
とは無関係です。

反対に、”教わる側”が「弟子入りしたい」と願っているかどうかとは関係なく、
”教える側”が生徒や受講生、クライアントを弟子のように捉えるケースもある。

例えば、何百人、何千人単位のセミナーをやっていながら
参加者を「自分の弟子」のように捉える、とかです。

別に言葉で「弟子」とは言わないかもしれませんが、
師匠として尊重される立場から教えたい傾向は見て取れるものでしょう。


「師匠的な立場で教える人だ」という印象を僕が感じとる人には
共通した言葉の傾向が見受けられます。
(※その言葉から「師匠的」だと判断するのではなく、
 全体的な振る舞いから「師匠的」な雰囲気のある人に
 共通する言葉がある、ということです)

その言葉が
 「うち」
です。

一人称としての「ウチ」ではなく、
「うちの人」、「うちの受講生」、「うちに来る人」などの形で登場する「うち」。

「自分のところの」、「私のグループの」という趣旨で使われる言葉だと考えられます。

うちの会社、うちの家族、うちの両親、うちの上司、うちの新人、うちの犬…。
立場の上下とは無関係に、「自分の所属するグループの」という意味が含まれます。

「うちの受講生」、「うちの人たち」などには
そういった所属意識、仲間意識の強さが表れているのではないでしょうか。

教える立場の人が、所属意識や仲間意識を強く持っていると
生徒や受講生に対して、『自分の』グループという連帯感を持ちやすいようです。

親身になって指導をするし、心の距離が近くて一体感もある一方、
「うち」ではない人たちとの区別をハッキリさせ、
「うちの人たち」を自分の範囲に入れておくような認識もあると思われます。

責任感の強い指導と、介入的な教育との境目が曖昧になりやすいようだ、と。


もちろん世の中には、師弟関係をベースとした指導の形も定着しています。
日本の伝統的な指導スタイルは、師弟関係が多そうです。

僕は書道をやっていますが、実際、その世界にも「師匠筋」の意識が見られます。

僕が教わっている先生は、書道界の平均よりは師匠意識が低く、
生徒が他の先生のところにも通っていたとして、それを気にはしません。

反面、「○○さん(先生)のところの人」のような表現が多く使われることからも
グループ意識、所属意識が強い分野だというのはうかがえます。

特に先生の実力や評判が高いと、「○○先生に習いたい」という希望が高まります。
「近所でやっているから」ではなく、「○○先生だから」が動機になるわけです。
僕が通っている教室にも、遠方から何時間もかけて通う人が何人もいます。

そして書道の指導は原則的にマンツーマンです。
指導の様子は皆で見学できますが、個人指導を一人ずつにするスタイルなので
生徒一人と先生との関係も密なものになります。

セミナーのように参加するたびに受講料を払うのではなく、
月謝制になっているのも、関係を表しているでしょう。

その月に一度も教室に行けなくても、月謝は払う決まりごとです。
教室(会派)に所属していることに月謝が発生するわけです。

そういう意味では「師弟関係」という教え方にも納得ができます。

やはり、僕の書道の先生も「うち」という単語を使っていますし。
「うちの社中」、「うちからは何人」、「うちの入賞率」とかです。


ですが、師匠的に教えるスタンスを好むようになるのは
必ずしもその分野の伝統からだけではないようなんです。

僕が目にすることの多い、心理やコミュニケーションの分野でも
「うち」という言葉を使う人がいます。

この場合、月謝制ということではないと思います。
マンツーマンでもないでしょうし、グループ単位で活動するわけでもないでしょう。
他の先生のセミナーに参加するのだってザラですし、
他のグループの人と対抗戦をするわけでもありません。

教える側の好みなんだと思います。

ただ正直なところ、僕には師匠の立場をとりたい気持ちが分かりません。
想像しようとしても、今ひとつピンとこないんです。

僕も教える仕事をしていますが、そもそも僕は教育者にもなれません。
「これが良い」、「これが正しい」と信じられるものがないからです。

僕はいつも、質問に答えているだけです。
直接言葉で質問されなくても、目の前の人が質問したそうなことに答える。
伝えたいことがあるわけではありません。

おそらく僕の教えるスタンスは、師匠型の教え方と比べると
介入の度合いが低めなんだと思います。

そしてもう1つ、僕は継続を前提に教えようとは思っていません。
だから月謝制とか徒弟制度にはならない。

継続的に関わっているクライアントさんもいますし、
講座に長く参加してくださる方もいますが、
僕の側のスタンスは「これが最後かもしれない」という発想に基づきます。

「師匠型」ではなくて、「一期一会型」とでも言いましょうか。

「次はもう会えないかもしれない」と思っているわけですから、
当然「うちの人」という言葉遣いは出にくいみたいです。


こういうスタンスの違いがどこから生まれてくるのか?
…そんなことを考えてみるのも面白いかもしれません。

cozyharada at 23:13│clip!NLP | コミュニケーション
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード