2016年06月10日
小さくなるには?
やっぱり気になって、『アントマン』のDVDを借りて見てしまいました。
以前にも書きましたが、どうにも僕の考え方の癖として
アントマンの設定だけは過剰に気になってしまうんです。
同じマーベルのシリーズでも、アベンジャーの系統だとかX−MENであれば
設定のあり得なさは無視して楽しめるんです。
アイアンマンなんて手の平と足の裏から出るジェット噴射で空を飛ぼうとしたら
空中の姿勢が制御できないだろうとは思います。
それでも、そんなこと以上にあり得ない科学技術が満載ですから
もう架空の話として割り切れるんでしょう。
ハルクなんて仕組みを気にしても仕方ないレベルですし、
スパイダーマンの設定は「夢があるなぁ」ぐらいなものです。
遺伝子組み換えを使った研究をしていた僕からすると
「突然変異によって特殊能力を獲得」という設定はメチャクチャに感じますが、
スパイダーマンにせよ、もっと思い切った能力が出てくるX-MENにせよ、
”超能力”という架空の設定だと割り切れるだけの大胆さがあると思うんです。
何より、アベンジャーにも登場するマイティー・ソーは
キリスト教が一般的なアメリカなのに神様の一人として描かれています。
絶対神としてのGod と矛盾しても気にしないぐらいの大袈裟な設定こそが
アメリカンコミックのヒーローを楽しむうえのポイントなのかもしれません。
言い換えると、「この映画の世界は、こんな設定の架空の世界です」となれば
その設定を前提として見られるので違和感がない、ということです。
「こういう設定の世界ですよ」と架空の世界観を設定してもらえれば
あとはその世界の中での話として、”こっちの世界”の知識は抜きにして
ファンタジーを楽しめるようです。
それなら宇宙で戦争があっても、エイリアンが出てきても、死神が出てきても、
特殊能力を使うヒーローがいても、タイムトラベルをしても、
「そういう設定のお話」として割り切ることができます。
ところが『アントマン』は微妙なリアルさを感じてしまうんです。
舞台となる世界はアベンジャーズと共通するらしく
一部の人物が重複して出てきたりもしていますから、
アイアンマンやハルクやソーと同じぐらい架空のものとして理解しつつ
単純に「小さくなれるヒーロー」として楽しめばいいんでしょう。
それを許してくれないのが
主人公の能力で小さくなるわけではなく
画期的な科学技術を使った特殊なスーツを着ると誰でも小さくなれる
という設定です。
ここにどうも科学の視点を引っぱり出されるトリガーがあるみたいです。
つい「科学的にどういうことか」を考えたくなってしまいます。
そのうえ、おそらくユーモラスな作品にするためだと思われますが
妙なリアリティを表現してくるんです。
「普通の大きさの世界から小さな世界を見たら…」という視点が
単純なヒーローの戦闘シーンにはあり得ない、コミカルさを生み出しています。
あんなにカッコよく戦っているのに、普通の人の目線から見たら
物凄くスケールの小さい戦いをしている。
その様子を一般人からの客観的な視点で表現したりしています。
だからこそ笑える要素なんですが、その客観性が
架空の世界の設定という暗黙の了解を減らしてしまうのでしょう。
これは描かれている世界が日常的であるほど
そこに自分を投影しやすく、リアルに感じられるという性質だと考えられます。
ホラー映画が日常的な世界で展開するのと同様です。
宇宙戦争で人が死んでも怖さはないのに、
街に表れた殺人鬼に殺されると怖い。
世界が日常に近いほど「架空の世界」という設定の印象が薄れて
「現実にこんなことがあったらどうしよう…」という恐怖を生みやすいといえます。
予告編にもありましたが、アントマンには、コミカルな雰囲気を出すために
一般家庭の子供の部屋が戦闘場面になるようなシーンが描かれています。
この日常への近さが「架空の世界」という印象を弱めるため、
”こっちの世界”の科学のルールを適用して見たくなってしまうんだと思われます。
そして実際にアントマンを見てみたら、気になるところは更に増えてしまいました。
アントマンの世界では「原子間の距離を短くする素粒子」が発見されて、
その働きで物質を小さくすることができる、という設定だったんです。
いよいよ化学から素粒子物理の範疇です。
原子間の距離が小さくなるということは、原子半径が小さくなるわけですから
原子核と電子の距離が短くなることだと考えられます。
アントマンではアリに乗れるぐらいまで小さくなっていますから、
1、 2mmにまで縮んだとして、サイズは1/1000ぐらいです。
原子核から電子までの距離が平均的に1/1000になるには
どんな変化が必要なんでしょうか?
久しぶりにシュレディンガーの波動方程式とかを調べて
色々と考えを巡らせてみました。
その一方で重要なのが、
アントマンは小さくなったときに体重が軽くなっている
という設定なんです。
アリにも乗れますし、人の肩に乗ってもも気づかれません。
原子間の距離を縮めるのと同時に
原子量も小さくすることができる…?
もう分かりません。
質量が軽くなったら電子の軌道は遠ざかりそうな気もしますし…。
なんとか説明がつくんだろうか?と、2,3日の間
チョコチョコと調べながら考える時間が続きました。
結局ダメだったんですが。
まぁ、ある意味では、映画2時間以上に
だいぶ長い間楽しめる作品だったということかもしれません。
以前にも書きましたが、どうにも僕の考え方の癖として
アントマンの設定だけは過剰に気になってしまうんです。
同じマーベルのシリーズでも、アベンジャーの系統だとかX−MENであれば
設定のあり得なさは無視して楽しめるんです。
アイアンマンなんて手の平と足の裏から出るジェット噴射で空を飛ぼうとしたら
空中の姿勢が制御できないだろうとは思います。
それでも、そんなこと以上にあり得ない科学技術が満載ですから
もう架空の話として割り切れるんでしょう。
ハルクなんて仕組みを気にしても仕方ないレベルですし、
スパイダーマンの設定は「夢があるなぁ」ぐらいなものです。
遺伝子組み換えを使った研究をしていた僕からすると
「突然変異によって特殊能力を獲得」という設定はメチャクチャに感じますが、
スパイダーマンにせよ、もっと思い切った能力が出てくるX-MENにせよ、
”超能力”という架空の設定だと割り切れるだけの大胆さがあると思うんです。
何より、アベンジャーにも登場するマイティー・ソーは
キリスト教が一般的なアメリカなのに神様の一人として描かれています。
絶対神としてのGod と矛盾しても気にしないぐらいの大袈裟な設定こそが
アメリカンコミックのヒーローを楽しむうえのポイントなのかもしれません。
言い換えると、「この映画の世界は、こんな設定の架空の世界です」となれば
その設定を前提として見られるので違和感がない、ということです。
「こういう設定の世界ですよ」と架空の世界観を設定してもらえれば
あとはその世界の中での話として、”こっちの世界”の知識は抜きにして
ファンタジーを楽しめるようです。
それなら宇宙で戦争があっても、エイリアンが出てきても、死神が出てきても、
特殊能力を使うヒーローがいても、タイムトラベルをしても、
「そういう設定のお話」として割り切ることができます。
ところが『アントマン』は微妙なリアルさを感じてしまうんです。
舞台となる世界はアベンジャーズと共通するらしく
一部の人物が重複して出てきたりもしていますから、
アイアンマンやハルクやソーと同じぐらい架空のものとして理解しつつ
単純に「小さくなれるヒーロー」として楽しめばいいんでしょう。
それを許してくれないのが
主人公の能力で小さくなるわけではなく
画期的な科学技術を使った特殊なスーツを着ると誰でも小さくなれる
という設定です。
ここにどうも科学の視点を引っぱり出されるトリガーがあるみたいです。
つい「科学的にどういうことか」を考えたくなってしまいます。
そのうえ、おそらくユーモラスな作品にするためだと思われますが
妙なリアリティを表現してくるんです。
「普通の大きさの世界から小さな世界を見たら…」という視点が
単純なヒーローの戦闘シーンにはあり得ない、コミカルさを生み出しています。
あんなにカッコよく戦っているのに、普通の人の目線から見たら
物凄くスケールの小さい戦いをしている。
その様子を一般人からの客観的な視点で表現したりしています。
だからこそ笑える要素なんですが、その客観性が
架空の世界の設定という暗黙の了解を減らしてしまうのでしょう。
これは描かれている世界が日常的であるほど
そこに自分を投影しやすく、リアルに感じられるという性質だと考えられます。
ホラー映画が日常的な世界で展開するのと同様です。
宇宙戦争で人が死んでも怖さはないのに、
街に表れた殺人鬼に殺されると怖い。
世界が日常に近いほど「架空の世界」という設定の印象が薄れて
「現実にこんなことがあったらどうしよう…」という恐怖を生みやすいといえます。
予告編にもありましたが、アントマンには、コミカルな雰囲気を出すために
一般家庭の子供の部屋が戦闘場面になるようなシーンが描かれています。
この日常への近さが「架空の世界」という印象を弱めるため、
”こっちの世界”の科学のルールを適用して見たくなってしまうんだと思われます。
そして実際にアントマンを見てみたら、気になるところは更に増えてしまいました。
アントマンの世界では「原子間の距離を短くする素粒子」が発見されて、
その働きで物質を小さくすることができる、という設定だったんです。
いよいよ化学から素粒子物理の範疇です。
原子間の距離が小さくなるということは、原子半径が小さくなるわけですから
原子核と電子の距離が短くなることだと考えられます。
アントマンではアリに乗れるぐらいまで小さくなっていますから、
1、 2mmにまで縮んだとして、サイズは1/1000ぐらいです。
原子核から電子までの距離が平均的に1/1000になるには
どんな変化が必要なんでしょうか?
久しぶりにシュレディンガーの波動方程式とかを調べて
色々と考えを巡らせてみました。
その一方で重要なのが、
アントマンは小さくなったときに体重が軽くなっている
という設定なんです。
アリにも乗れますし、人の肩に乗ってもも気づかれません。
原子間の距離を縮めるのと同時に
原子量も小さくすることができる…?
もう分かりません。
質量が軽くなったら電子の軌道は遠ざかりそうな気もしますし…。
なんとか説明がつくんだろうか?と、2,3日の間
チョコチョコと調べながら考える時間が続きました。
結局ダメだったんですが。
まぁ、ある意味では、映画2時間以上に
だいぶ長い間楽しめる作品だったということかもしれません。