2016年06月28日
なぜ眉毛があるのか?
現代社会というか西洋文明の特徴なのかもしれませんが、
物事に『目的』を見ようとする傾向が強いような気がします。
言い換えると、「何に役立つか?」という発想。
とくに進化論的な見方をする場合には
「○○は何に必要だったのか?」と考えることが多いようです。
「生存に有利だから残ってきた」と説明するスタンスからすると
今の生物が持っているものが、まるで全て
何かの役に立っているかのように見えるのかもしれません。
しかし遺伝子の突然変異を分子のレベルで見ていくと変異はランダムであって、
有利な変異というものはないと考えられます。
(分子進化の中立説:木村資生)
例えば人間はビタミンを必要として、不足すると病気になりますが
これは遺伝子の変異によって、体内でビタミンを作る機能が失われているからです。
人類の祖先において、どこかの段階で
ビタミンを作るのに必要な遺伝子に突然変異があった。
ただ、食物からビタミンを取れていたため、ビタミンを作れなくなることが
生存に悪影響を及ぼさなかった。
だからビタミンが作れないという変異が残ることになった。
そういう事例が沢山あります。
有利だから残ってきたわけではなく、
問題がなかったから残ってきたに過ぎない、と。
逆に、その環境で不利に働く突然変異は淘汰されたと考えられます。
もちろん相対的には片方が不利なので、
残ったほうは有利だと見ることもできるでしょうが、
「積極的に有利に働く」という見方はしないわけです。
「問題があったか、問題がなかったか」の話であって
「有利だったかどうか」の話ではない、という考え方。
そういう発想で見ていくと、
必要以上に目的論的に物事を解釈しないこともできるんじゃないでしょうか。
例えば、眉毛。
子供の頃か学生の頃か忘れましたが、随分前に
「眉毛は汗から目を守るためにある」
といった”目的”の説を聞いたことがあります。
たしかに、そのように「役立っている」可能性はあるでしょう。
ただ「結果的に役立っている」ことと、
「最初からその目的で、そのような形になった」こととは違います。
実際、他の動物を見てみても、眉毛に相当する毛は見てとれるようです。
犬は全身が毛におおわれていますが、毛の長さは部位によって異なるものです。
特に長毛種では、その長さの差が顕著に見られます。
毛の長い犬では、目の上の部分、眉毛部分に長い毛があります。
一方、顔のうち目の下あたりから鼻の周りは毛が短い(歳をとると白髪になる部分)。
仮に全身の毛が短くなっていったと仮定すると、
毛が長かった場所では、短くなりながらも毛が見てとれる長さで残りそうです。
そして人間が体毛を残している部位は、犬の毛が長い部位と合っているみたいです。
元々毛が長かった場所だから眉毛が残っている。
そのように考えることだってできるのではないでしょうか。
全身が毛に覆われていても眉毛に相当する毛があるのですから
その眉毛には「汗から目を守る」目的は無さそうに思えます。
(全身が毛に覆われていれば汗が顔を流れることは少なく、
眉毛だけが汗をせき止める役割にはなりえない。)
他の動物との関係をみると、人間が持っている体の仕組みでも
そこに人間特有の目的を説明しようとするのには
無理が出てくることが多いように感じられます。
遺伝や進化で説明される体の性質にせよ、
もっといえば遺伝子に書かれるとは考えにくい心の性質にせよ、
目的や必然性を説明したくなるのは何なのでしょう?
納得できる説明があると安心するのかもしれませんし、
理由づけをして理解することで「工夫すれば対処できるはずだ」という
コントロール感を持ちたいのかもしれません。
裏を返すと、完全にランダムなものだとしたら自分の存在意義が不安定になり、
自分にはどうすることもできない世界を諦めなければいけなくなります。
世の中を思い通りにして、自分が存在する意味を見出したい…そんな欲求が
物事を目的論的に説明したい気持ちには関係しているような気もします。
たしかに現代社会は、人間が環境を思い通りにしようと工夫してきた集大成でしょう。
思い通りにコントロールできることを増やしてきたといえます。
思い通りにできることが増え、そのことに慣れてきたからこそ
思い通りにならないことへの不満が高まっているのかもしれません。
そして人間にはコントロールできないランダムなことに抵抗を感じる…。
そんな傾向がありそうな印象を受けています。
物事に『目的』を見ようとする傾向が強いような気がします。
言い換えると、「何に役立つか?」という発想。
とくに進化論的な見方をする場合には
「○○は何に必要だったのか?」と考えることが多いようです。
「生存に有利だから残ってきた」と説明するスタンスからすると
今の生物が持っているものが、まるで全て
何かの役に立っているかのように見えるのかもしれません。
しかし遺伝子の突然変異を分子のレベルで見ていくと変異はランダムであって、
有利な変異というものはないと考えられます。
(分子進化の中立説:木村資生)
例えば人間はビタミンを必要として、不足すると病気になりますが
これは遺伝子の変異によって、体内でビタミンを作る機能が失われているからです。
人類の祖先において、どこかの段階で
ビタミンを作るのに必要な遺伝子に突然変異があった。
ただ、食物からビタミンを取れていたため、ビタミンを作れなくなることが
生存に悪影響を及ぼさなかった。
だからビタミンが作れないという変異が残ることになった。
そういう事例が沢山あります。
有利だから残ってきたわけではなく、
問題がなかったから残ってきたに過ぎない、と。
逆に、その環境で不利に働く突然変異は淘汰されたと考えられます。
もちろん相対的には片方が不利なので、
残ったほうは有利だと見ることもできるでしょうが、
「積極的に有利に働く」という見方はしないわけです。
「問題があったか、問題がなかったか」の話であって
「有利だったかどうか」の話ではない、という考え方。
そういう発想で見ていくと、
必要以上に目的論的に物事を解釈しないこともできるんじゃないでしょうか。
例えば、眉毛。
子供の頃か学生の頃か忘れましたが、随分前に
「眉毛は汗から目を守るためにある」
といった”目的”の説を聞いたことがあります。
たしかに、そのように「役立っている」可能性はあるでしょう。
ただ「結果的に役立っている」ことと、
「最初からその目的で、そのような形になった」こととは違います。
実際、他の動物を見てみても、眉毛に相当する毛は見てとれるようです。
犬は全身が毛におおわれていますが、毛の長さは部位によって異なるものです。
特に長毛種では、その長さの差が顕著に見られます。
毛の長い犬では、目の上の部分、眉毛部分に長い毛があります。
一方、顔のうち目の下あたりから鼻の周りは毛が短い(歳をとると白髪になる部分)。
仮に全身の毛が短くなっていったと仮定すると、
毛が長かった場所では、短くなりながらも毛が見てとれる長さで残りそうです。
そして人間が体毛を残している部位は、犬の毛が長い部位と合っているみたいです。
元々毛が長かった場所だから眉毛が残っている。
そのように考えることだってできるのではないでしょうか。
全身が毛に覆われていても眉毛に相当する毛があるのですから
その眉毛には「汗から目を守る」目的は無さそうに思えます。
(全身が毛に覆われていれば汗が顔を流れることは少なく、
眉毛だけが汗をせき止める役割にはなりえない。)
他の動物との関係をみると、人間が持っている体の仕組みでも
そこに人間特有の目的を説明しようとするのには
無理が出てくることが多いように感じられます。
遺伝や進化で説明される体の性質にせよ、
もっといえば遺伝子に書かれるとは考えにくい心の性質にせよ、
目的や必然性を説明したくなるのは何なのでしょう?
納得できる説明があると安心するのかもしれませんし、
理由づけをして理解することで「工夫すれば対処できるはずだ」という
コントロール感を持ちたいのかもしれません。
裏を返すと、完全にランダムなものだとしたら自分の存在意義が不安定になり、
自分にはどうすることもできない世界を諦めなければいけなくなります。
世の中を思い通りにして、自分が存在する意味を見出したい…そんな欲求が
物事を目的論的に説明したい気持ちには関係しているような気もします。
たしかに現代社会は、人間が環境を思い通りにしようと工夫してきた集大成でしょう。
思い通りにコントロールできることを増やしてきたといえます。
思い通りにできることが増え、そのことに慣れてきたからこそ
思い通りにならないことへの不満が高まっているのかもしれません。
そして人間にはコントロールできないランダムなことに抵抗を感じる…。
そんな傾向がありそうな印象を受けています。