2016年12月29日
基準が見えてこない
1月上旬に開催される書道展の審査結果が届きました。
今年も秀作。
何%かは忘れましたが、中の上ぐらいの評価といった印象でしょうか。
7回目の出品で、佳作1回、秀作5回、準特選1回となっています。
ここ3年は連続して秀作。
選抜展というのも一度出品しましたが、
こちらは全員分が展示されるのではなく選ばれた半数ぐらいが陳列される仕組み。
陳列された時点で秀作と同等の評価とされているらしいです。
なので計8回、平均するとピッタリ秀作となります。
ずっと中の上ぐらいということ。
別に、良い賞が欲しいわけではありません。
客観的な評価基準を自分の中に取り入れていくために
審査をしてもらってポイントを知りたいんです。
初めて出品したときからほぼ毎回秀作ということは
上手くなっていないんじゃないか?という気がしなくもありません。
厳密に言うと、自分としては上手くなっているつもりでも
自分が理解している「上手さ」、「上達」は
書道の基準からズレているという可能性はあり得ます。
評価のポイントと違うところで頑張っているんじゃないだろうか?と。
そこが気になりますし、もどかしくもあります。
芸術家として表現のために書をやるのであれば
他者からの評価は二の次かもしれません。
しかし書道の場合、大半は歴史的に積み上げられてきた美の基準があって
そこを土台として表現の幅を出していくことになるようです。
好き勝手にやっていいわけではない。
そこが他のアートと毛色が違うと感じます。
だからこそ基準となるポイントを身につけたいんです。
もちろん、賞としての評価が変わらなくても
少しずつ上達している可能性はあります。
大部分の人は継続的に出品していますから
全員が上達していて相対的な評価としての賞は同じぐらいに落ち着く。
そういうことかもしれません。
1つの賞でも受賞人数はそれなりにいます(数十人から数百人)。
仮に100人だとして、その中で変動があるのかもしれません。
例えば、中の中から、中の上ぐらいにはなっている、とか。
そんな実情までは分かりませんし、ある程度の偶然性もあるものでしょう。
一方で、二年連続で特選(一番上の賞)を取るような人もいます。
と考えると、やっぱり基準に合っているかどうかの影響は大きいはず。
おそらく僕の書きぶりは何かしらの癖があって
書芸術としての美の基準と沿わないところがあると思われます。
なかなかそこが掴めません。
練習の仕方、取り組み方を工夫する必要がありそうです。
今年も秀作。
何%かは忘れましたが、中の上ぐらいの評価といった印象でしょうか。
7回目の出品で、佳作1回、秀作5回、準特選1回となっています。
ここ3年は連続して秀作。
選抜展というのも一度出品しましたが、
こちらは全員分が展示されるのではなく選ばれた半数ぐらいが陳列される仕組み。
陳列された時点で秀作と同等の評価とされているらしいです。
なので計8回、平均するとピッタリ秀作となります。
ずっと中の上ぐらいということ。
別に、良い賞が欲しいわけではありません。
客観的な評価基準を自分の中に取り入れていくために
審査をしてもらってポイントを知りたいんです。
初めて出品したときからほぼ毎回秀作ということは
上手くなっていないんじゃないか?という気がしなくもありません。
厳密に言うと、自分としては上手くなっているつもりでも
自分が理解している「上手さ」、「上達」は
書道の基準からズレているという可能性はあり得ます。
評価のポイントと違うところで頑張っているんじゃないだろうか?と。
そこが気になりますし、もどかしくもあります。
芸術家として表現のために書をやるのであれば
他者からの評価は二の次かもしれません。
しかし書道の場合、大半は歴史的に積み上げられてきた美の基準があって
そこを土台として表現の幅を出していくことになるようです。
好き勝手にやっていいわけではない。
そこが他のアートと毛色が違うと感じます。
だからこそ基準となるポイントを身につけたいんです。
もちろん、賞としての評価が変わらなくても
少しずつ上達している可能性はあります。
大部分の人は継続的に出品していますから
全員が上達していて相対的な評価としての賞は同じぐらいに落ち着く。
そういうことかもしれません。
1つの賞でも受賞人数はそれなりにいます(数十人から数百人)。
仮に100人だとして、その中で変動があるのかもしれません。
例えば、中の中から、中の上ぐらいにはなっている、とか。
そんな実情までは分かりませんし、ある程度の偶然性もあるものでしょう。
一方で、二年連続で特選(一番上の賞)を取るような人もいます。
と考えると、やっぱり基準に合っているかどうかの影響は大きいはず。
おそらく僕の書きぶりは何かしらの癖があって
書芸術としての美の基準と沿わないところがあると思われます。
なかなかそこが掴めません。
練習の仕方、取り組み方を工夫する必要がありそうです。