2017年01月15日
2017作品
今年も展覧会に出品しています。
筆遣いのスムーズさや線質については
長く続けるうちに上達してきている実感はあります。
が、展覧会場に並ぶ2000点ほどの作品の中で
僕の書いたものと同じような傾向の作品は見当たりません。
良くいえば目立つということでしょうが、実態はむしろ
その分野が求めるものと方向性が違う、という意味のような気がします。
しかしながら求められる方向性の基準を見つけるのは大変です。
芸術家なら自分がやりたい表現だけをしていれば良いのでしょうが
僕のやっている程度の書道は芸術にはなっていません。
技術を磨くのが主目的。
その意味で今回の展覧会では大きな収穫がありました。
それは団体の創始者本人(もう亡くなっています)の作品を
一度に10点近く見られたこと。
団体のどの重鎮も辿り着けていない(らしい)最終形ともいえる書家が
どんな作品を書いていたのか?
そこから共通点として見出せる特徴こそが、
この分野で「美」とされる基準だろうと考えられます。
僕は今まで、自分が習っている先生の書きぶりだけを参考にしてきました。
さらに抽象度の高い、書芸術としての基準を知るには
最高峰とされるものを見ておくのが重要だろうと感じます。
そして技術的な観点でも役に立ちそうだったのが
その創始者が実際に書いている様子のDVDが放送されていたこと。
どうやって書いているのかを見られたわけです。
ここにも技術として、筆遣いとして、線質としてのポイントが
集約されているだろうと思われます。
心理業界でいうと、ミルトン・エリクソンの記録を読み、
催眠の動画を見られたような体験です。
ポイントを抽出する作業はこれから長くかかるのでしょうが
必要なポイントが含まれているはずのものを見られたのは
インプットとして重要な意味を持っていると思われます。
筆遣いのスムーズさや線質については
長く続けるうちに上達してきている実感はあります。
が、展覧会場に並ぶ2000点ほどの作品の中で
僕の書いたものと同じような傾向の作品は見当たりません。
良くいえば目立つということでしょうが、実態はむしろ
その分野が求めるものと方向性が違う、という意味のような気がします。
しかしながら求められる方向性の基準を見つけるのは大変です。
芸術家なら自分がやりたい表現だけをしていれば良いのでしょうが
僕のやっている程度の書道は芸術にはなっていません。
技術を磨くのが主目的。
その意味で今回の展覧会では大きな収穫がありました。
それは団体の創始者本人(もう亡くなっています)の作品を
一度に10点近く見られたこと。
団体のどの重鎮も辿り着けていない(らしい)最終形ともいえる書家が
どんな作品を書いていたのか?
そこから共通点として見出せる特徴こそが、
この分野で「美」とされる基準だろうと考えられます。
僕は今まで、自分が習っている先生の書きぶりだけを参考にしてきました。
さらに抽象度の高い、書芸術としての基準を知るには
最高峰とされるものを見ておくのが重要だろうと感じます。
そして技術的な観点でも役に立ちそうだったのが
その創始者が実際に書いている様子のDVDが放送されていたこと。
どうやって書いているのかを見られたわけです。
ここにも技術として、筆遣いとして、線質としてのポイントが
集約されているだろうと思われます。
心理業界でいうと、ミルトン・エリクソンの記録を読み、
催眠の動画を見られたような体験です。
ポイントを抽出する作業はこれから長くかかるのでしょうが
必要なポイントが含まれているはずのものを見られたのは
インプットとして重要な意味を持っていると思われます。