2017年04月27日

物の価値を判断するところ

パソコンを新しくしました。
メインのやつをです。

おそらくメモリが足りなくて
常にCPUが100%で動いていたため、
冷却が追い付かなくなっていました。

さすがにVISTAを使い続けるのも安全ではないでしょうから
まあ、ちょうどいいタイミングだったのではないかと思います。

持ち運びを想定はしていなかったので
キーボードとコストパフォーマンスを重視して、
初めて受注生産のやつを選んでみました。

先の問題点を踏まえてメモリを多めにしてみたおかげか、
パフォーマンスはいい感じです。

滞りもなく、ファンも動かないぐらい余裕があるようです。
これまではWebページを複数開くと広告の自動更新で
かなりの負担になっていた様子でしたが、今はそんなこともありません。

これぐらいスムーズだと写真加工のアプリケーションとかを入れて
書道作品の写真ぐらいはチョット調整してみたくもなります。

キー入力もさほど違和感ないですし、
あとは初期不良とか想定外のトラブルが起こらないことを期待しています。


しかしながら、きっとこういう日用的なものは
すぐに新鮮さを失って、当たり前に感じられてくるんでしょう。

今のところは比較としてスムーズさを感じているパフォーマンスも
これに慣れてきたころには「普通」の基準に移ってしまって、
むしろ別のPCを「遅い」と感じるようになるかもしれません。

性能や能力というのは、そんな風に
比較で認識されやすいもののようです。

一方、そうしたツールや装置を使って「体験する」内容のほうは
その都度、その内容そのものを味わえます。

例えば、このパソコンで検索してでてきた情報をインプットするとき、
「新しいものを知る楽しさ」や「好奇心が満たされる驚き」などを
毎回違った形で感じることができます。

インプットするものが変われば、毎回別の体験になるわけです。

僕の部屋にはシンプルなブルーレイディスクプレイヤーがありますが
これも何の映画やドラマを見るかによって、毎度の楽しみが得られます。

一方、そのブルーレイプレイヤーの性能に関しては
それほど気になりもしません。

確かに安価な分、作りは安っぽいですし、
センサーの範囲が狭く、リモコンの反応もよくありません。

ディスクを入れてから再生されるまでの時間も早くはない気もします。

しかし目的とする内容、つまり映画やドラマを見られる限り
僕の求めるものは得られているんだと思われます。

仮にもっと高性能であったとしても、
特別気にしないような気がします。

パソコンの性能気になっていたのは、僕にとっては
あくまで不具合が出ていたからに過ぎません。

突然パソコンの電源が落ちてしまったりすると
書いていたものが消えてしまいますし、
メモリ不足で反応が悪くなると
頭に浮かんだものを書き出す段階で待たないといけなくなります。

余計なものが挟まってくるわけです。

ここでは「パソコンで書く」という体験に、ある種の喜びが含まれます。
頭が整理されていく感じや、必要な資料や文書ができ上っていく感じ。

その喜びが損なわれるのが嫌だから
妨げられない程度の性能が必要になった、といえます。

つまり僕にとって性能の高さのほうでは、どれだけ高くても
いつか慣れてしまって分からなくなる(満足感がない)のに対し、
性能の低さのほうは不具合が起きたときに不満を感じる形で意識される
という話です。

基準を下回ると不満だけれど、
基準に達したら、それ以上高くても満足感には影響を与えない。
僕は性能に対して、そういうタイプの価値判断をしているようです。
(結構な人がそうではないかと思いますが)


一方、書くことに伴った喜びは、書く内容が毎回異なっている以上
当然、毎回別物として体験されますから、
慣れてしまって薄まっていくものではありません。

その都度、別の体験として新鮮さを伴いながら
「その瞬間に体験している」喜びに意識を向けるタイプの満足感なんです。

DVDで映画を見るのも、インターネットで新しい情報を得るのも、
本で勉強するのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも…、
多くの「内容」レベルの満足感がこちらのタイプでしょう。

その内容を妨げないようにするのが「性能」になりやすい気がします。

書籍であれば重さとか字の見やすさとかでしょうか。
電子書籍に求められる性能も、まさに
本を読む体験を妨げないものが中心じゃないかと思います。

料理の場合は、包丁の切れ味とかコンロの火力とかでしょうか。
ものすごく高性能だと、硬いものを切ってみたくなったり
素早くチャーハンを作ってみたくなったりするかもしれませんが、
実際にその性能が求められる機会は少ないものでしょう。

ちょうど高性能のパソコンを買ったけど、
そこまで負荷のかかる動画編集みたいな作業はしないようなものです。


そして「性能によって可能になる体験内容」とは別のところで
付加的な体験によっても満足を感じることがあります。

主に「美」と関連した体験です。

美しいとか、カッコイイとか、カワイイとか。
見た目でも音でも体験されるものですが、
これらもコダワリのある部分については毎瞬のように意識されます。

例えばパソコンでいえばデザインとか、素材とか、色とか
キーボードのバックライトとか、細かい作りの丁寧さとか。

包丁でも、形とか金属の光沢とか、仕上げの繊細さとかは
「美」と関連した体験で満足感を追加してくれます。

洋服とか鞄とか、身に着けるものの多くは
性能よりも美のほうが重視されているかもしれません。

車の場合、加速感とか、エンジン音とか、ボディのデザインとか。
逆にトランクの広さは「基準に満たないと不満な性能」のほうでしょう。

車のエンジン性能は、加速感に対して美的な印象を受けなければ
「坂道で遅いと困る」ような最低基準のある性能として認識されそうです。

性能として認識された場合、最低基準にさえ達していればいいので
そんなに高いものを求めることはなくなりがちです。

が、美的な観点から認識された場合、上に限度はありません。
そうすると、いわゆる『高級品』の方向性になると思われます。

よく言われる「付加価値」というのは、美と関連したことが多く
五感レベルで毎瞬の「体験」として味わえるものと考えられます。

比較でしか認識できない「性能」は慣れてしまって
基準を下回った時に不満として自覚されるだけですが、
美に近い体験として認識されるほうは
その感じに注意を向けるたびに毎回、満足感をもたらしてくれる。

道具や機械を、求める体験内容を得るための手段としてしか捉えないと
必要最低限の性能だけを気にしておけばよくなるんでしょう。
この種の性能はすぐに慣れてしまって満足感が薄れやすいですから。

一方、同じ道具や機械でも、そこに美に近い付加的な体験を求めれば
長い間、その美を保っている限り、繰り返し満足感が得られます。
(当然、それだけ値段も上がっていくわけですが)

僕はあまり、この「美」の側面を重視してきませんでしたが
そちらの満足感を意識したら、物へのコダワリも上がる気がします。

良いものを大切に手入れしながら長く使う…なんていう発想も
少しは理解できそうです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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