2017年10月16日
伝える工夫にはキリがない
セミナーの仕事をする以上、人前で話すことは多いものですが
実際の難しさでいうと、人前でない情報発信のほうが
本来は工夫が求められるものなのかもしれません。
人前というと緊張しがちなイメージを持たれる一方、
目の前に反応してくれる人がいるのはメリットでもあります。
伝わっていないようであれば表情や姿勢で教えてくれますし、
どういう説明をすると分かってもらいやすいのかも
その場にいる人に合わせる形で進められます。
質問が出やすい雰囲気にさえなっていれば、
説明が漏れたり、説明が早かったり、表現が複雑だったりしても
質問をしてもらえるので言い換えたり補足したりできます。
その意味で最初からキッチリと表現できていなくても
現実的な問題は起こりにくいわけです。
もちろん、目の前の聴衆とコミュニケーションをするときでも
工夫のしどころは沢山あるとはいえます。
が、どれほど工夫しても全員に届く説明は困難でもあります。
隣の部屋から騒音がしてきて集中力が途切れたり、
メモを取っている間に説明を聞き漏らしたり、
あまりにも個人的な事情に当てはまるケースのために
自分の過去を振り返って感じ入っている間に話が進んでしまったり、
…何かしらの要因で話を聴きそびれることはあるものでしょう。
だからこそセミナーでは繰り返し、言い方を変えて話したり、
別のタイミングで同じ内容に触れてみたり、
冗長になってでも説明の量を増やしたり、
事例を追加したりしながら、伝わるための確実性を上げていけます。
つまり「必要最小限の情報で確実に届ける」というのは
現実的に厳しくもあり、逆にそうしなくても大丈夫なことが多い
ともいえそうなんです。
それに比べると記録された媒体での伝達、
人前ではない場面での情報伝達、
…例えば書いた文章とか録画・録音した教材とか…は、
もっと制約が多いように感じられます。
冗長になっても進みの遅さを感じさせかねないし、
かといってシンプルにまとめ過ぎたら
情報量が少なくて理解しきれないこともある。
例が多いと分かりやすい人もいれば、
自分に関係のない例は不要に感じる人もいる。
分かるかどうかの話だけではなく、
筋が通っていると感じてもらうには
論理の飛躍がないように情報提供する必要がありますが、
それだって行間を汲み取る人にとっては余剰に思えるようです。
そのインプットの行為(読んだり、聞いたり)を
どれぐらいの積極性で取り組んでいるかも個人差があります。
積極性が十分でなければ、前向きになってもらうような
話の組み立ても必要になるかもしれません。
そうした様々な条件を踏まえながら
過不足なく纏め上げるのは簡単なことではないだろう、と。
少なくともリアルタイムに対応できる人前での説明より
工夫することが多くなると思われます。
例えば、1つの技法の手順を説明するとします。
営業とか説得とか、そういう技法。
技術ですから、
使うべき場面・状況があって、
何のためにするか?という目的があります。
目的は「こういう結果を得るため」という
技術を使った影響としての結末と結びつきます。
そしてその結末に辿り着くために手順がある。
「まず〇〇して、次に△△して…」というステップ。
同じことを話すにしても、どういう順番で話すかによって
聞く人の理解の仕方は異なってくるはずです。
場面・状況を出発点にしたら
「技法の使い方・how to」としての意味合いが強まりそうです。
「こういうときには、この技法を使います。
まず〇〇します。次に△△します。それから…。
すると〜な結果が得られます。
…なメリットがあるということです。」といった具合。
ところが同じことでも、技術の目的、重要性を強調するなら
予想される結末から話した方が都合がいいかもしれません。
「この技法を使う目的は…なところにあります(メリット)。
〜な結果を得るために使う、ということです。
その結果のためには、こういうことが求められます。
そのためには△△が必要なんです。
だからこそ、まず最初に〇〇をするわけです。」といった具合。
同じ内容でも、手順のように説明することも出来れば
目的や重要性の説明として話すこともできます。
そのときにどちらを強調したいのか?
受け取り手がどういう状態のときの説明なのか?
そんなところで説明の順番さえ工夫のしどころがある、と。
そんな風に可能な工夫を挙げていったらキリがなさそうです。
妥協しなければ沢山やれそう。
双方向性の低い伝達、リアルタイムではない伝達のほうが
工夫する余地が多いのではないか、ということです。
そう考えると人前で話すのは、
むしろ楽な部類なのかもしれません。
実際の難しさでいうと、人前でない情報発信のほうが
本来は工夫が求められるものなのかもしれません。
人前というと緊張しがちなイメージを持たれる一方、
目の前に反応してくれる人がいるのはメリットでもあります。
伝わっていないようであれば表情や姿勢で教えてくれますし、
どういう説明をすると分かってもらいやすいのかも
その場にいる人に合わせる形で進められます。
質問が出やすい雰囲気にさえなっていれば、
説明が漏れたり、説明が早かったり、表現が複雑だったりしても
質問をしてもらえるので言い換えたり補足したりできます。
その意味で最初からキッチリと表現できていなくても
現実的な問題は起こりにくいわけです。
もちろん、目の前の聴衆とコミュニケーションをするときでも
工夫のしどころは沢山あるとはいえます。
が、どれほど工夫しても全員に届く説明は困難でもあります。
隣の部屋から騒音がしてきて集中力が途切れたり、
メモを取っている間に説明を聞き漏らしたり、
あまりにも個人的な事情に当てはまるケースのために
自分の過去を振り返って感じ入っている間に話が進んでしまったり、
…何かしらの要因で話を聴きそびれることはあるものでしょう。
だからこそセミナーでは繰り返し、言い方を変えて話したり、
別のタイミングで同じ内容に触れてみたり、
冗長になってでも説明の量を増やしたり、
事例を追加したりしながら、伝わるための確実性を上げていけます。
つまり「必要最小限の情報で確実に届ける」というのは
現実的に厳しくもあり、逆にそうしなくても大丈夫なことが多い
ともいえそうなんです。
それに比べると記録された媒体での伝達、
人前ではない場面での情報伝達、
…例えば書いた文章とか録画・録音した教材とか…は、
もっと制約が多いように感じられます。
冗長になっても進みの遅さを感じさせかねないし、
かといってシンプルにまとめ過ぎたら
情報量が少なくて理解しきれないこともある。
例が多いと分かりやすい人もいれば、
自分に関係のない例は不要に感じる人もいる。
分かるかどうかの話だけではなく、
筋が通っていると感じてもらうには
論理の飛躍がないように情報提供する必要がありますが、
それだって行間を汲み取る人にとっては余剰に思えるようです。
そのインプットの行為(読んだり、聞いたり)を
どれぐらいの積極性で取り組んでいるかも個人差があります。
積極性が十分でなければ、前向きになってもらうような
話の組み立ても必要になるかもしれません。
そうした様々な条件を踏まえながら
過不足なく纏め上げるのは簡単なことではないだろう、と。
少なくともリアルタイムに対応できる人前での説明より
工夫することが多くなると思われます。
例えば、1つの技法の手順を説明するとします。
営業とか説得とか、そういう技法。
技術ですから、
使うべき場面・状況があって、
何のためにするか?という目的があります。
目的は「こういう結果を得るため」という
技術を使った影響としての結末と結びつきます。
そしてその結末に辿り着くために手順がある。
「まず〇〇して、次に△△して…」というステップ。
同じことを話すにしても、どういう順番で話すかによって
聞く人の理解の仕方は異なってくるはずです。
場面・状況を出発点にしたら
「技法の使い方・how to」としての意味合いが強まりそうです。
「こういうときには、この技法を使います。
まず〇〇します。次に△△します。それから…。
すると〜な結果が得られます。
…なメリットがあるということです。」といった具合。
ところが同じことでも、技術の目的、重要性を強調するなら
予想される結末から話した方が都合がいいかもしれません。
「この技法を使う目的は…なところにあります(メリット)。
〜な結果を得るために使う、ということです。
その結果のためには、こういうことが求められます。
そのためには△△が必要なんです。
だからこそ、まず最初に〇〇をするわけです。」といった具合。
同じ内容でも、手順のように説明することも出来れば
目的や重要性の説明として話すこともできます。
そのときにどちらを強調したいのか?
受け取り手がどういう状態のときの説明なのか?
そんなところで説明の順番さえ工夫のしどころがある、と。
そんな風に可能な工夫を挙げていったらキリがなさそうです。
妥協しなければ沢山やれそう。
双方向性の低い伝達、リアルタイムではない伝達のほうが
工夫する余地が多いのではないか、ということです。
そう考えると人前で話すのは、
むしろ楽な部類なのかもしれません。