2017年12月22日
お面が怖い
好き嫌いの大部分は、慣れによるところが大きいと考えられます。
食べ物の好みなどは典型的です。
多くの場合、子供の頃から慣れ親しんだ味を求めますし、
逆に初めは嫌だったものでも慣れていくと
美味しく感じてきたりもします。
寝るときの部屋の明るさや、落ち着く環境なんかも
幼少期からの慣れによる部分が大きいでしょう。
例えばザワザワした話し声があるほうが集中できるとか
音楽をかけながらのほうが集中しやすいとか
完全に静かじゃないとダメだとか。
寝るときに部屋の明かりを完全に消すのか、
薄明りぐらいを残しておくのかは、
育った環境の名残りが特に表れがちではないでしょうか。
僕の実家は豆電球(?小さい白熱電球)をつけていました。
ずっとそれが当たり前だと思っていましたが
完全に暗くする人がいるというのも大人になって知りました。
僕は今でも少しは光が入ってくる状況で寝るのが習慣になっています。
その分、明るくても寝られます。
真っ暗でも寝られはしますが、なんとなく心配な感じもしてしまいます。
出張でホテルに泊まるときもフットライトをつけておいたりして
完全な暗闇ではないようにしているのは、大部分が習慣のせいでしょう。
真っ暗だと次の日に起きられるか心配でもありますし。
(暗い方が眠りが深いという意味かもしれませんが)
一方、五感レベルの体験の仕方においても
刺激に対する好みが分かれる場合があります。
これは慣れのように学習されたものというよりも、
生き物としての身体のリズムのように生得的に近いものや、
意識の配分の仕方のように幼少期から変わりにくい癖のようなものが
影響していると考えられます。
例えば話すスピードとか、動作のスピードなど
その人にとって自然なリズムがありますが、
環境にそれとは違ったリズムの音があれば違和感が出やすいようです。
リズムを感じないランダムな音であれば気にならないのに、
一定の周期で鳴る音の場合には妙に気になってしまう、とか。
特にテンポの速さは影響する気がします。
換気扇の音や洗濯機の音、電車の騒音は気にならないけれど
他人のキーボード入力の音や、道路工事の音は気になったり。
僕の場合、建築関係だと、機械の騒音は比較的大丈夫ながら
大工さんが金槌で釘を打つ音は苦手です。
自分とのリズムの違いが際立ってしまうからだと思われます。
またリズムは振動や揺れとしても影響します。
電車や飛行機の揺れがあっても気にせずにパソコンを使える人もいれば
揺れによって全く集中できないなんて人もいるようです。
僕は電車でも新幹線でもパソコン作業の効率は落ちます。
飛行機は比較的大丈夫なんですが。
貧乏ゆすりをしている人がいると、自分のリズムと大きく違うので
物凄く邪魔されたような感じがしてしまいます。
電車で隣の席の人と肩がくっついていると
呼吸のリズムの違いが感じられてしまうので、これも苦手です。
こういった生き物としてのリズムの違いや
五感レベルの刺激に対する反応性などは、
もしかすると色やデザインのパターンについての好みなどにも
関係しているのかもしれません。
それから、上記の2つでも説明がつかないような
「なぜかよくわからないけれど苦手なもの/好きなもの」
というのもあるようです。
僕はなぜか小さい頃から、お面が苦手でした。
お祭りで売っているようなプラスチックのもの(仮面ライダーとか)
なら全く気になりません。
木製や金属製のものが苦手です。
今もです。
金属製のものは兜とか「仮面」に近い捉え方になって
これはこれで怖さを感じるんですが、木製のお面にはもう
1つ別の要素が加わっていることに最近気づきました。
それは「土着」の文化の雰囲気です。
とりわけアジアとか、高温多湿で
植物がグチャグチャに絡み合いながら繁殖している地域に見られがちな
自然と神や悪魔を結びつけた感じの信仰。
あの雰囲気そのものが少し怖いみたいです。
それが東南アジアなどでは、お面に表れている感じがして
余計に怖さを増加させているんだと発見しました。
歴史的な知識もありませんし、
文化や社会の側面から意見を持っているわけでもありません。
ただもう見た目として目に焼き付いて離れない怖さだけがあります。
理由はさっぱり分からないんですが
なぜかよくわからない好みというのもあるんでしょう。
どれだけ頑張って人の心を説明しようとしても
理解できないところもあるものなのかもしれません。
食べ物の好みなどは典型的です。
多くの場合、子供の頃から慣れ親しんだ味を求めますし、
逆に初めは嫌だったものでも慣れていくと
美味しく感じてきたりもします。
寝るときの部屋の明るさや、落ち着く環境なんかも
幼少期からの慣れによる部分が大きいでしょう。
例えばザワザワした話し声があるほうが集中できるとか
音楽をかけながらのほうが集中しやすいとか
完全に静かじゃないとダメだとか。
寝るときに部屋の明かりを完全に消すのか、
薄明りぐらいを残しておくのかは、
育った環境の名残りが特に表れがちではないでしょうか。
僕の実家は豆電球(?小さい白熱電球)をつけていました。
ずっとそれが当たり前だと思っていましたが
完全に暗くする人がいるというのも大人になって知りました。
僕は今でも少しは光が入ってくる状況で寝るのが習慣になっています。
その分、明るくても寝られます。
真っ暗でも寝られはしますが、なんとなく心配な感じもしてしまいます。
出張でホテルに泊まるときもフットライトをつけておいたりして
完全な暗闇ではないようにしているのは、大部分が習慣のせいでしょう。
真っ暗だと次の日に起きられるか心配でもありますし。
(暗い方が眠りが深いという意味かもしれませんが)
一方、五感レベルの体験の仕方においても
刺激に対する好みが分かれる場合があります。
これは慣れのように学習されたものというよりも、
生き物としての身体のリズムのように生得的に近いものや、
意識の配分の仕方のように幼少期から変わりにくい癖のようなものが
影響していると考えられます。
例えば話すスピードとか、動作のスピードなど
その人にとって自然なリズムがありますが、
環境にそれとは違ったリズムの音があれば違和感が出やすいようです。
リズムを感じないランダムな音であれば気にならないのに、
一定の周期で鳴る音の場合には妙に気になってしまう、とか。
特にテンポの速さは影響する気がします。
換気扇の音や洗濯機の音、電車の騒音は気にならないけれど
他人のキーボード入力の音や、道路工事の音は気になったり。
僕の場合、建築関係だと、機械の騒音は比較的大丈夫ながら
大工さんが金槌で釘を打つ音は苦手です。
自分とのリズムの違いが際立ってしまうからだと思われます。
またリズムは振動や揺れとしても影響します。
電車や飛行機の揺れがあっても気にせずにパソコンを使える人もいれば
揺れによって全く集中できないなんて人もいるようです。
僕は電車でも新幹線でもパソコン作業の効率は落ちます。
飛行機は比較的大丈夫なんですが。
貧乏ゆすりをしている人がいると、自分のリズムと大きく違うので
物凄く邪魔されたような感じがしてしまいます。
電車で隣の席の人と肩がくっついていると
呼吸のリズムの違いが感じられてしまうので、これも苦手です。
こういった生き物としてのリズムの違いや
五感レベルの刺激に対する反応性などは、
もしかすると色やデザインのパターンについての好みなどにも
関係しているのかもしれません。
それから、上記の2つでも説明がつかないような
「なぜかよくわからないけれど苦手なもの/好きなもの」
というのもあるようです。
僕はなぜか小さい頃から、お面が苦手でした。
お祭りで売っているようなプラスチックのもの(仮面ライダーとか)
なら全く気になりません。
木製や金属製のものが苦手です。
今もです。
金属製のものは兜とか「仮面」に近い捉え方になって
これはこれで怖さを感じるんですが、木製のお面にはもう
1つ別の要素が加わっていることに最近気づきました。
それは「土着」の文化の雰囲気です。
とりわけアジアとか、高温多湿で
植物がグチャグチャに絡み合いながら繁殖している地域に見られがちな
自然と神や悪魔を結びつけた感じの信仰。
あの雰囲気そのものが少し怖いみたいです。
それが東南アジアなどでは、お面に表れている感じがして
余計に怖さを増加させているんだと発見しました。
歴史的な知識もありませんし、
文化や社会の側面から意見を持っているわけでもありません。
ただもう見た目として目に焼き付いて離れない怖さだけがあります。
理由はさっぱり分からないんですが
なぜかよくわからない好みというのもあるんでしょう。
どれだけ頑張って人の心を説明しようとしても
理解できないところもあるものなのかもしれません。