2018年10月21日
渡米予定(10/31-11/8)
11月の頭にアメリカに行ってきます。
今度はコロラド。
NLPコンプリヘンシブの本拠地とでもいいましょうか。
セミナーを受けに行ってきます。
できればスティーブ・アンドレアスのお墓も
お参りしたいと思っているんですが、
可能かどうかは分かりません。
それでもアメリカ式のお墓参りの作法ぐらいは調べておくつもりです。
スティーブ・アンドレアスといえば、NLPの手法の多くを開発し
NLPの骨格を作ったような人だと僕は考えています。
元々、化学を専攻していて(カリフォルニア工科大)、
それからマズローの元で心理学修士を取ったそうです。
実際にエンジニアとして働いていたこともあるんだとか。
そしてパールズからゲシュタルト両方を学び、NLPと出会う。
スティーブが書いている本も、開発したワークの多くも
心の構造、プログラムの仕組みを、特に
サブモダリティの観点で扱ったものが多いんです。
僕も応用化学専攻で、研究者として働いていましたから
その点でも共通点があるというか、共鳴するところがあるんでしょう。
心の構造やプログラムを、その構成要素から理解するあたり
いかにも化学っぽい発想だと思われます。
ロバート・ディルツが開発したスライト・オブ・マウスについても
開発した本人が14パターンにしていたものを
「これは大体3つぐらいに分類できてしまう」と
もっとシンプルにまとめた記事なんかも書いています。
僕も個人的に賛同することろが大きいですが、
「それを言っちゃあ凄そうな雰囲気がなくなってしまう…」
という思いから僕は一応そこまでは言いません。
スティーブには、そのあたりでも
本質へのアプローチに妥協がなかったんでしょう。
箇条書きの14パターンは、
特徴や構成要素ごとに物事を分類する化学的発想と
マッチしないんだと思われます。
なので「結局、やっていることは3種類でしょ?」となる。
あとは例えば、時間の要素を過去にしたり、未来にしたり、とか
そういうマイナーなバリエーションでしかない。
つまり、仮に時間の観点に注目して視点を変えるとしたら
「時間を扱う」という着眼点の下に、サブカテゴリ―として
「未来に目を向ける」と「過去に目を向ける」が含まれる…
という風に分類整理したくなるようです。
並列の箇条書きで物事を整理しない。
常に図解で捉える感じとでも言えばいいでしょうか。
こういう理解の仕方においても、
僕はスティーブの観点に馴染みがありました。
ただし、忍耐強くコツコツと手法の開発を続け
着実な成果を積み重ねてきたところは、
僕には届きようのない部分です。
そのように同類に対しての親しみも含め、
NLPの第一人者としての尊敬を抱く、
僕にとって特別な対象だったのがスティーブ・アンドレアスなんです。
この人が今年の9月7日にお亡くなりになりました。
僕がコロラドに行く頃には四十九日も過ぎていますし
(仏教の法要としての意味合いではなく
残された人たちの心が落ち着くまでの最低期間として)、
できることならお墓に行きたいと思っています。
本当は今回の渡米で会えたらなぁと願っていたんですが。
参加する予定のワークショップは復習的な内容のはずですから
講座として予定されているワークもある程度は把握しています。
その中に、心の隙間を埋める手法があります。
たぶん、やることになるはずです。
そのとき、僕の中に少しだけポッカリしている
スティーブの部分を、ワークとして扱ってみようかと思っています。
自分でもできますけど、せっかくならコロラドで、と。
今度はコロラド。
NLPコンプリヘンシブの本拠地とでもいいましょうか。
セミナーを受けに行ってきます。
できればスティーブ・アンドレアスのお墓も
お参りしたいと思っているんですが、
可能かどうかは分かりません。
それでもアメリカ式のお墓参りの作法ぐらいは調べておくつもりです。
スティーブ・アンドレアスといえば、NLPの手法の多くを開発し
NLPの骨格を作ったような人だと僕は考えています。
元々、化学を専攻していて(カリフォルニア工科大)、
それからマズローの元で心理学修士を取ったそうです。
実際にエンジニアとして働いていたこともあるんだとか。
そしてパールズからゲシュタルト両方を学び、NLPと出会う。
スティーブが書いている本も、開発したワークの多くも
心の構造、プログラムの仕組みを、特に
サブモダリティの観点で扱ったものが多いんです。
僕も応用化学専攻で、研究者として働いていましたから
その点でも共通点があるというか、共鳴するところがあるんでしょう。
心の構造やプログラムを、その構成要素から理解するあたり
いかにも化学っぽい発想だと思われます。
ロバート・ディルツが開発したスライト・オブ・マウスについても
開発した本人が14パターンにしていたものを
「これは大体3つぐらいに分類できてしまう」と
もっとシンプルにまとめた記事なんかも書いています。
僕も個人的に賛同することろが大きいですが、
「それを言っちゃあ凄そうな雰囲気がなくなってしまう…」
という思いから僕は一応そこまでは言いません。
スティーブには、そのあたりでも
本質へのアプローチに妥協がなかったんでしょう。
箇条書きの14パターンは、
特徴や構成要素ごとに物事を分類する化学的発想と
マッチしないんだと思われます。
なので「結局、やっていることは3種類でしょ?」となる。
あとは例えば、時間の要素を過去にしたり、未来にしたり、とか
そういうマイナーなバリエーションでしかない。
つまり、仮に時間の観点に注目して視点を変えるとしたら
「時間を扱う」という着眼点の下に、サブカテゴリ―として
「未来に目を向ける」と「過去に目を向ける」が含まれる…
という風に分類整理したくなるようです。
並列の箇条書きで物事を整理しない。
常に図解で捉える感じとでも言えばいいでしょうか。
こういう理解の仕方においても、
僕はスティーブの観点に馴染みがありました。
ただし、忍耐強くコツコツと手法の開発を続け
着実な成果を積み重ねてきたところは、
僕には届きようのない部分です。
そのように同類に対しての親しみも含め、
NLPの第一人者としての尊敬を抱く、
僕にとって特別な対象だったのがスティーブ・アンドレアスなんです。
この人が今年の9月7日にお亡くなりになりました。
僕がコロラドに行く頃には四十九日も過ぎていますし
(仏教の法要としての意味合いではなく
残された人たちの心が落ち着くまでの最低期間として)、
できることならお墓に行きたいと思っています。
本当は今回の渡米で会えたらなぁと願っていたんですが。
参加する予定のワークショップは復習的な内容のはずですから
講座として予定されているワークもある程度は把握しています。
その中に、心の隙間を埋める手法があります。
たぶん、やることになるはずです。
そのとき、僕の中に少しだけポッカリしている
スティーブの部分を、ワークとして扱ってみようかと思っています。
自分でもできますけど、せっかくならコロラドで、と。