2019年12月07日

進化と進歩

世の中には、進化論の好きな人たちが結構いるようです。

とりわけアメリカなんかだと、
ダーウィンは科学の代表のように見られることがあるようで
そこから出てきた進化論も重視されやすいんでしょう。

聖書における生命の誕生と、生物学的な進化の歴史は別物ですから
宗教的な内容とは異なる話を全面的に押し出したダーウィンの進化論は
信仰とは別物の「科学」というものの象徴にもなりえるんだと思われます。


一方、この「進化」という考え方はなかなか曖昧で、
科学的な分野の中でも解釈が分かれているフシがあります。

ましてや日常的な言葉の使われ方となると、その意味は更に広がって
「進化」と「進歩」を混同したりもされます。

そのあたりのことが起こるのは、おそらく
「進化」を表面的な現象(「形質」と呼ばれる「遺伝子がもたらす結果」)
として見ていて、
「遺伝子の変異」として見ていないことに関係する印象です。

つまり、遺伝子はタンパク質を決めるだけであって
タンパク質の機能として説明できないことは「遺伝」ではない、という話。

仮に歴史的に親から子へと代々受け継がれてきたものであっても
それがタンパク質の機能として説明できないものだとすると、
遺伝子によって引き継がれたものではなくて、むしろ
経験を通した学習によって伝えられてきた情報だと考えられます。

例えば、猿から人間に進化して、文明を持ち始める前の時代、
小さな群れで狩猟採集の生活をしていたころを想像すると、
男性が外で狩りをして、女性が子育てをするといった姿が描かれます。

こういう生活パターンがあったから、例えば男性には
「外で狩りをしていた名残で、現代社会でも家庭への関心が女性より低い」
「獲物を取ってくる習慣から、現代でも何かを勝ち取ろうとする」
「獲物を持ち帰るところまでが目的だったため、
 一度手に入れた獲物には関心がなくなる」
「獲物を手に入れる能力が高いほど必要とされていた名残で
 他の男性よりも秀でようとする競争意識が強い」…
などの”ストーリー”が生まれます。

進化論では基本的に『適者生存』という考えを採用します。
生き延びるのに有利な性質が引き継がれていく、と。

上記の例は、たしかに狩猟採集の時代を考えると説得力がありそうです。
食料を手に入れるのが不安定だったことを想像すれば、
「外で効率的に狩りができる」能力は有利な性質として引き継がれ
その結果として上に書いたようなパターンが蓄積していきそうに思えます。

ですが仮に、歴史的にそういうことが引き継がれてきたとしても、
その内容は遺伝子に乗るタイプのものと考えるのは困難でしょう。

遺伝子はタンパク質を決めるだけですから、せめて
身体的な能力の違いとか、ホルモンの量の違いとかが限界のはずです。

もちろんホルモンの量で気質的なこと、つまり
起こりやすい生理反応の特徴は決まる可能性があるとはいえ、
それが行動パターンを直接的には決定しません。

行動は生まれた後に学習してパターン化されるものですから
文化的・習慣的に継承されて特徴として際立ってきたと考えるほうが妥当。

ちなみに、習慣として学習されて伝えられてきた情報は、
遺伝子(gene:ジーン)と対比させて
「meme:ミーム」とも呼ばれたりもします。

語源はギリシャ語で「模倣する」という単語にあるそうですが
英語でも「mimic」という単語が「マネする」という意味なので
おそらく同じような言葉のルーツなんでしょう。

とにかく、引き継がれる情報の全てが遺伝なわけではない、という話です。


つまり進化論は大雑把にいうと
・遺伝のように性質が引き継がれる
・特に生存に有利な性質が優先的に引き継がれる
・その結果、時間がたつにつれて徐々に変化していく
といった感じの捉え方だといって良さそうです。

遺伝子を分子レベルで見ていくスタンスからすると、先ほども言った通り
進化はタンパク質の性質の変化としてしか起こりえません。

そして遺伝子の突然変異は、一世代では確率的に
ほんの少ししか起きえませんから、
 少しずつタンパク質の機能が変わって性質に変化が出る、
ぐらいの想定になります。

もともとあった性質が増えたり減ったりすることはあっても、
新たに性質が獲得されることは確率的に凄く低いわけです。

どちらかというと、今まであった機能が突然変異で失われる可能性のほうが高い。

ところが、進化論を表面的な性質として捉えていると
「進化の過程で生存に有利な性質が獲得されたから今に至る」
という発想になりやすいみたいです。

「獲得」とか「有利」とかいった捉え方は
『進化』を「向上」や「進歩」と結びついけやすいというか、
「人類の祖先が他の猿とは異なる”人間”へと進化した」といったような
優位性に似たニュアンスを含みやすい気がします。


例えば先日、こんな記事を読みました。

これによると
 人類の祖先にあたる類人猿の一種は、1000万年前に
 エタノール(お酒のアルコール分)を代謝できるようになり、
 そのおかげで過剰に熟した果物に含まれるアルコール分を分解できたため
 アルコールを代謝できない猿よりも生存に有利だった
という趣旨のことが書いてあります。

詳しく他の論文とかも調べてみると、科学的な発見としては、あくまで
 エタノール代謝の最初の段階に関わる酵素の遺伝子ADH4の配列を
 人間と近縁の猿の仲間で一通り調べ、その類似性から系統樹を作ると
 1000万年前ごろに枝分かれする時点から1つの変異が共通で見つかり、
 その変異がエタノール代謝の機能を大幅に高めている
ということのようです。

この変異を持たない他の種の猿は、
お酒のアルコール分を効率的に代謝できない。
つまり血中アルコール濃度が上がりやすい、と。

これは、そもそもアルコール代謝の酵素ADH4というのが既にあって、
その酵素のエタノール代謝の機能が上がった、という話なんです。

「獲得」というよりは「上がった」と。

エタノールというお酒のアルコール成分に対しては機能が上がっていますが、
逆に、ゲラニオールなどの他のアルコール分には代謝機能が下がるそうです。

研究者たちは、このエタノール代謝機能の上昇が有利だった、として
それが現代の人類にまで引き継がれているように解釈しています。

ただ、果たしてそうなのか、明確な根拠は見つけにくそうです。

もしかすると、
 ゲラニオールが分解できなくなったことで
 他の猿とは違う食料に依存しなければならなくなったけれど、
 たまたま他の食料が手に入る環境にいたため生き残ってこれた
という話だって考えられます。

他の猿にとっては、この変異は食性を変えてしまって致命的だった…
だから他の猿には見られない変異になっている、という可能性です。

色々な考察のしようがあるはずなんです。
なので、どれが正しい説か、ということを言いたいわけではありません。

ポイントは、
「人間はアルコールを分解できる」という特殊な性質に目を向けると、
 他の猿にはない”有利な”性質を”獲得した”
のような優位性の視点になりやすいのではないか?
といったところです。

解釈や考察の視点が”優位性”を土台にしたものになりやすそう。

もっとハッキリ言ってしまえば、人間には
「自分は他の存在と違って、こんなに価値がある」
という証明をしたがるところがあるんじゃないか?と。

何かしらの手段で
「自分は他の人より…」
「自分たちは他のグループより…」
「自分たちは他と違って…」
といった比較をしながら、
自己の存在意義を示そうとしがちな気がするんです。

先ほどの記事においても、途中の言い回しでは元論文に近く
「エタノール代謝がより効率的になった」と書いてありますが、
冒頭の文章には
African apes (who lived around 10 million years ago) evolved to metabolise ethanol
つまり「アフリカのエイプはエタノールを代謝するように進化した」とあります。

微妙なニュアンスの違いではあるものの、ともすると
「今までなかった機能が獲得された」かのような印象になりかねません。

この記事の著者はライターであって研究者自身ではありませんから
科学的な観点で厳密に区別しようとはしていないのでしょう。

だからこそ「進化」という部分に「獲得」の雰囲気や
優位性のようなものを関連付けていそうな印象を受けます。

何か特別な意味を探そうとしがちで、
「別に何の意味もない、ただの偶然」
というのはチョット残念な気がしてしまう。

そのあたりの根底に、そもそも
 自己という存在を特別な意味のあるものと捉えたい気持ち
みたいなのがあるんじゃないかと感じます。

ニュートラルに物事を捉えるのは、相当に難しいことなんでしょう。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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