NLP

2017年07月22日

捻挫しました

ふとしたことで足首を捻挫しました。

階段を降りるときに数段分を勘違いして降りてしまって
足首を伸ばす形で着地してしまったようです。

で、右足首にグニッと体重がかかる。

とはいえ、痛みを感知した瞬間に体重を左足へ移し替え、
左前方に片足でジャンプするように移動したらしく、
そのまま右足首に体重をかけつつ転ぶまではいきませんでした。

そこはギリギリ堪えたところのようです。


しかし足首は腫れ、いわゆる捻挫の状態になった様子。

捻挫をしたのは小学校以来じゃないかと思います。

関節を捻ってしまうことぐらいはあっても
腫れるぐらいになったのは久しぶりです。

時間経過とともに回復はしてきている印象ですが
まだ多少の痛みはあります。

運悪く、捻挫の翌日から出張でセミナーの予定で
移動やら講座やらで負荷はかかったのかもしれません。

ひねってしまった当日は、体重をかけるのも怖い感じで
なんとなく足首が脆くなったような感じがしていました。

ちょっとでも横に重心が移るとピリッと鋭い痛みが出る感じ。

時間が経ったら痛みの程度が下がり、ジワジワと鈍い違和感、
ちょっと熱を帯びたような感じが続くようになりました。

足首の安定感は戻ってきているので快方かとは思われますが、
単純に一日のセミナーで負荷がかかった可能性もありそうです。

やはり安静にしておくのが大事なんでしょう。


以前、座禅会に参加したとき、準備体操で足首を回していて
自分の足首の動きが悪いことは自覚していました。

固さがあって、均一な動きにならない。
どこかで引っかかる感じがありました。

関節の固さ、支える筋肉・筋膜の固まり、
何よりも、足首を回す動作に対して意識が向いていないこと。

手首や指の動きと比較して、圧倒的に不器用な状態だったんです。

「これは日々のケアと運動で、
 足首を意識内に取り戻す必要がありそうだ」
と思っていたところでした。

そうは思いながら、取り立てて何もすることなく
(まぁ、ジムでエアロバイクぐらいは乗っていましたが)
相変わらずの生活を続けていたんです。

そんな矢先での足首の捻挫。
やっぱり未熟さの表れかと反省しました。

もっと足元も上手く操れるようになりたいものです。

痛みがなくなったら、リハビリと練習が大事になりそうなところ。

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2017年07月17日

ちょっとした縁

5月にアメリカでサイレントリトリートと呼ばれるものに参加して
ただ静かに座るというのをやってきました。

その先生は禅の流れをくむ人で、
そのまた師匠が日本人の禅僧だったそうです。


それとは別に僕は一年前、イギリスで
ホールネスプロセスという手法のワークショップに参加してきました。

開発者のコニリー・アンドレアスはNLPの開発に大きく関わった人で
コア・トランスフォーメーションを開発した人でもあります。

ワークショップ以降、ときどき連絡を取ったりしていたんですが、
つい先日に判明したんです。

僕が参加してきた座禅会のようなものの先生を
コニリーが良く知っている、と。


ホールネスプロセスと座禅の相性みたいな話の中で
そんな繋がりが見えてきました。

偶然と捉えるのか、狭い世界だと捉えるのか、
いずれにしても面白いものだと感じます。

長くやっていると同じような方向性に辿り着いていくのかもしれません。

またコニリーのワークショップにも行きたい気持ちになりました。

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2017年07月14日

ヘレンケラーのスピーチ

ヘレンケラーは視覚と聴覚の両方に障害があった人ですが、
手触りを通じてコミュニケーションをしていたそうです。

しかも、人の口と喉に手を当てることで言葉の発し方を勉強して
ある程度は自分でも話せるようにトレーニングしたんだとか。

その模様がこちらの動画で見られます。



だいぶ年齢を重ねた後、実際に話している様子も
動画として記録されています。
それがこちら。



1分50秒あたりぐらいからヘレンケラー本人の話声が聴けます。

僕には非常に難解です。
ときどき聞き取れる単語があるぐらい。

横にいる女性はサポートをしていた人なんでしょうか。
ヘレンが言葉にしたものを聞き取って、
より一般に聞きやすい言葉に言い直しています。

特徴を掴むと、言語として聞けるのでしょう。

ヘレンケラー自身も、そのサポートをしていた人たちも、
いったいどれだけの努力をしたのかと想像すると
驚きを隠せません。

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2017年07月08日

速く読む練習

いつの頃からか、本を読む量が減りました。
読みたいと思う本が減ったというのが実情でしょうか。

以前は心理系や自己啓発系のものであれば
片っ端から手に取って目を通して、気に入れば購入したり、
ビジネス書も役に立ちそうであれば後先考えずに買ったり、
語学の本も身につけられるスピード以上の量を買ったり、
とにかく本を買い込むことが多かったものです。

実際のところ、心理系の読み物や自己啓発系、ビジネス書などは
似たような内容のものが多いように感じていましたから、
斬新な考えを学習するというよりは、どちらかというと
繰り返し同じことを勉強することで記憶を定着させていた
というほうが適切かもしれません。

もしかしたら一冊を繰り返し読んで実践しても
同じぐらいのものが得られた可能性はあります。

それでも、似た内容を違う角度からの説明で理解していくと、
1つのことを色々な方法で説明する感じが掴めた気はします。

セミナー講師として様々な相手に合わせて説明の仕方を変える上で
こうした読書が役に立っていたとも言えそうです。

また、似たような本を何冊も読むことで、
同じ内容について別の事例を追加していくこともできました。

抽象概念は具体例と結びついて記憶されるようですから、
事例は多い方が記憶に残りやすいですし、
多くの事例に共通するパターンとして本質の部分を見出すのにも
料に触れておくのは大事だったと思われます。


それら以上に僕にとって本を沢山買っていたのが役立ったのは
単純に「読書」の量が増えたことです。

文字を読む量が増えた。

文章を読んで理解する。
そのプロセスそのものに慣れることができたと感じています。

読むスピードが上がり、読解力も上がった、ということです。

これはただの反復練習でしょう。
内容は重要ではなく、量が重要だったと思われます。

同じ本を繰り返し読んでいた場合には
ある程度の段階から覚えてしまうところも増えてきますから、
初見でスピードを上げて理解できるようにするトレーニングとしては
手あたり次第に色々な本を読んでいくのが効果的だったんでしょう。


そもそも僕が本を読み始めたのは大学生の頃だったと思います。
大学の一般教養の授業で「精神分析」を取って、
その教授・”加藤諦三”先生の本を読むようになりました。

それ以前はマンガばかりでしたから
決して活字が好きなほうではありませんでした。

その後、たまに心理読み物を読むようになったんです。
今ではかなり有名な”内藤誼人”氏も、第一作を出したころ。
ちょこちょこと興味本位で読んでいたものです。

それから会社に入って山口県に住んでいた間、
同僚が釣りやらキャンプやらパチンコやらやっているのの代わりに
僕は本を読みふけるようになっていきました。

このころから読書量は増えていきましたが
それでも読むスピードは決して速くなかったと思います。

そして東京に転勤になって、
当時はまだ研究職を続けるつもりでしたから
論文を早く読めるようになりたいと思って
速読教室に通い始めたんです。

これが僕にとって、お金を払って何かを勉強する第一歩でした。

で、速読のトレーニングの趣旨もあって
ビジネス書や自己啓発系、心理系などの本を
スピードを上げながら読む練習をしていったんです。

それから読書量とスピードが上がっていった気がします。

特別なトレーニング効果があったかというと
必ずしもそうではなかったのかもしれません。

本質的には、それ以前の僕が
 実際に読めるスピードよりも遅く読んでいた
というのが実態でしょう。

一瞥して意味を認識できる文字量を
どれぐらい広げていけるか。

そのために視野を広げたり、目の動かし方を訓練したり…
いわゆる速読のトレーニングが役に立ったんだと思います。

言い換えると、それ以前の僕にとっての本を読むプログラムが
 狭い範囲の文字に注意を集中して
 単語を心の中で読み上げてから次の単語に目を移す
という非効率的なものだったのを、
 目を先に進めてから、
 その前に見ていた範囲のフレーズを心の中で読み上げる
というプログラムに変えた形です。

目の動かし方と注意の範囲、認識のプロセスを
効率的なものに変換できたんだと思います。


ところが今、英語の本を読んでいて
自分の読み方が日本語の時と違うのを実感しています。

以前のゆっくりだったときの本の読み方そのもの。

英語でも速読のトレーニングが必要な気がしてきました。
視野を広げ、限界のスピードを心がける。

そのためには量のトレーニングが欠かせないんでしょう。

読みたい本があるわけではないですが、
トレーニング目的で読書量を増やしてみようかと思っています。

何より、僕が日本語を読んできた文字量と比べると
英語を読んできた量は圧倒的に少なすぎますから。

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2017年07月05日

文字から新しい

ロシア語に興味が出てきたので
この本を買ってみました。




このシリーズは概要をつかむのに読みやすくて良いんですが、
「スペイン語のしくみ」と比べると少し大変な部分がありました。

それは文字に関してです。

スペイン語はアルファベットなので
英語と同じ文字を使います。

さらにスペイン語の母音の発音はローマ字とほぼ同じです。
(厳密には音の違いがありそうに感じますが
 発音表記上は同じとして扱われるみたいです)

子音は英語と近く、r や c など英語と違ったパターンや
rr のように巻き舌の音があったりするものの、
それほど注意点が沢山ある感じはしません。

ですから簡単にまとめられた本の中で紹介される例文でも
とりあえず音としてイメージしながら読むことができるわけです。

一方、ロシア語ではキリル文字というのを使います。

これがもう大変です。
33の文字を新たに覚える必要があります。
そして対応する基本の音も覚えないといけない。

この本は超入門的な位置づけで、新書のような読み物扱いですから
あまり語学の基本として「文字を覚えるところから」
といったスタンスでは書かれていないんです。

「こんな文字を使うんですよ。面白いですね。」ぐらいの雰囲気で
少しずつ例文とともに紹介されていくスタイル。

なので一覧で文字と音の対応を把握できる本ではないようです。
それはむしろ一般的によくあるロシア語の入門書のほうが
奇麗にまとまっているみたいです。

ともあれ、日本語でロシア語の文法を概要として紹介している中で
例文の音をイメージしようと思ったとき、文字に馴染みがなさ過ぎて
「あれ、この単語は何ていう発音だったっけ?」と
立ち止まってしまうことがあるんです。

そういうときは最初に登場したページに戻ればいいんですが、
一覧ではなく例文の解説として順次に紹介される形式上、
どこに、その文字の読み方の解説があったかを探すのも一苦労。

やはり文字と音の対応ぐらいは最初に固めるほうが良いんでしょう。

日本人は英語に触れるキッカケとして、かなり早い時期から
アルファベットに親しんで生活をしています。

初めて英語を習うときでさえ、そこそこ知っているでしょう。
ローマ字としてアルファベットを使うときもありますし。

その後、ヨーロッパ言語に触れたときにも
アルファベットを使っている限り、
文字に馴染みがないという事態には遭遇しません。

ですが、外国語の中には文字体系が全く違うものも沢山あります。
ロシア語はそのうちの1つ。

新たに勉強しようとすると、まず出だしでハードルが高めに感じます。

言語としての全体像をつかむより先に、
文字そのものを覚える段階が求められるのかもしれません。

そういう意味では、超入門の本で勉強するのが良さそうです。

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2017年06月23日

7年ぶりの作品

今年も選抜書展に出品しました。

出品作品のすべてが展示されるわけではない仕組みなので
入選して展示されるだけでも名誉なことだそうです。

初めての出品が7年前。
そのときに選んだ「雁塔聖教序」という古典を
今回も再び選びました。

全く同じものを書いたわけではなく、長い石碑の文面のうち
別の部分を取り上げた形にはしてあります。

ただ、書体としては同じものにしてみたかったんです。
7年前との比較をしたかったからです。

初めての出品のときは技術もおぼつかず、
先生に言われるがまま、ただ一文字ずつ真似だけをして
失敗しないかどうかだけを気にして書いていたものです。

今にして思えば、ヨボヨボの線もあったし
全体の統一感も出せていなかった気がします。

それと比べると今回のほうが安心して筆を運べましたし、
「ここの線が上手くできない」という部分は無くなっていました。

もっと全体のバランスを意識しながら、
書体の特徴を楽しみながら書けるようになったと思います。

先生に指導されるがままではなく、
自分で組み立てたのも大きな違いでしょうか。

それなりに経験を積んできた成果は実感できたつもりです。

たまには出発点に立ち返ってみると、
それまでの過程と変化を見つけられて
なかなか感慨深いものだと感じます。

2017選抜

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2017年06月19日

エネルギーを回復するために

セミナーの終わった後、ジムで運動をするようになって
その日の夜から体が軽くなるのは毎回実感できます。

背中のハリも、肩の固まりも取れる。
全身の重苦しさも有酸素運動をするとスッキリしますし。

首だけはジムの運動では動かす機会がないせいか
首のコリは残りやすいですが。

とはいえ、まあそれも肩と背中が楽になっていると
姿勢が回復するタイミングが早まるので
首の負担も徐々に減っていくようではありますから、
間接的には効果があると言えそうです。


しかし。

身体の疲労と、感覚器官レベルの負担とは別なのかもしれません。

明らかに体の重さはないのに、頭だけボーッとする感じ、
五感をシャットアウトしようとする感じは、
相変わらず翌日に表れています。

月曜日はなんとなくボーッとしながら一日が終わる気がします。
ずっと眠いような状態。
静かに動かずに内側に籠っていたい気分です。

そうもいかない事情があって外に出ていくことも多いので
余計にパフォーマンスが低い印象を味わってしまいます。

身体に残る負荷が減ったり
バランスの再調整がしやすくなったりしたとしても、
エネルギーを消費したことには違いがないみたいです。

あくまで回復がスムーズになったというだけなんでしょうか。


むしろ身体に表れる痛みが減った分
回復のプロセスに意識が集中しやすくなって、
身体を休めたい欲求、眠りたい感じ、何もしたくない気分が
自然と自覚されやすくなっているようにも思えます。

それがボーッとした感じや眠気、ヤル気のなさと
関係しているんじゃないか、と。

となると、あとはいかに効率的にエネルギーを回復するか。

睡眠や食べ物、瞑想ぐらいは工夫できそうですが、
睡眠時間を増やすのはスケジュールにもよります。

少し栄養面を気にしてみても良いかもしれません。
色々と試してみようかと思います。

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2017年06月16日

5つの声質

ちょっと面白い動画を教えてもらいました。
声のトーンと、その影響・効果を説明しているものです。

プレゼンターはミュージシャンのようなので
声のトーンにはコダワリがあるんでしょう。

主観的な見解であって、学術的な背景があるわけではなさそうですが
直感的に多くの人が納得できそうな区別になっている気がします。

木・火・土・金・水の五行に対応させているのかと思いきや
木の代わりに空気(air)を使っています。

もうちょっと個人的な発想がベースなのかもしれませんし、
ネット情報によると「木の代わりに空気を使う場合もある」らしいので
それがベースなのかもしれません。

西洋の場合は、ギリシャの哲学で 4 elements(四元素)として
火・空気・水・土で考えた歴史があることを踏まえると
五行と四元素をミックスして、木の代わりに空気が入るのも
分からなくはないような気もします。


ともかく声質を、土、火、水、金、空気の5種類に分けて
それぞれの特徴を実演しながら説明しているわけです。

デモは動画の7分過ぎぐらいから始まります。
声のトーンだけでも聞いてみると面白いと思います。

彼女の説明を簡単にまとめると…、

土(地面・地球=earth)は、地に足がついた感じや権威的な雰囲気。

火(= fire)は、情熱やエネルギー。

水(= water)は、心と繋がったもの。
思いやりとか、主張とか、謝罪とか。

金(= metal)は、強調とか増幅。
聞き取りにくい状況で声を届かせるような効果。

空気(= air)は、インスピレーションを与えたり
物語を話したりするのに効果的。

ということだそうです。

確かに声を聴いてみると、納得できる印象を受けます。


もっと重要なのは、おそらく個人によって使う声質が定まっていて
こういう発想で使い分けることが少ないだろう
という部分かと感じました。

自分がどういう声を普段使っているのか、
それが状況や効果とマッチしているのか。

そのあたりのことを自覚して調整するには
こういう基準を想定しておくのも効果がありそうです。



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2017年06月13日

イングリッシュオンリー

先日参加してきた暗唱の講座では、そのスクールの流儀として
常に英語を使わなければならない決まりがありました。

一般的な英会話のスクールであれば
レベルに応じてクラス分けがあったりしますが、
暗唱をする上では大きな違いがないのか
英語力をベースにしたグループ分けなどはありませんでした。

内容としても、主に課題となるスピーチの決められた部分を
インストラクターからフィードバックを受けつつ
繰り返し練習するだけですから、
それほど「英語しか使えない」ことは問題になりません。

時折、練習の進め方やお互いのフィードバックなどの際に
英語でやり取りをする必要が出てくるぐらい。

あとは休憩中の会話程度でしょうか。


そのスクールも普段の授業では、レベルに応じて
内容を変えたものを扱う機会があるようですが、
メインとなる授業ではレベル分けがないみたいです。

そういう状況での「日本語禁止、英語のみで過ごす」ルールですから
人によっては英語だけでやり取りするのが大変な場合もあるようです。

もちろん、そうして英語漬けにすることで
英語力の向上を早めようという趣旨なんだろうとは思います。
留学していれば当然、英語のみになるわけですから
集中して学習時間を確保するには効率的かもしれません。

英語力にかかわらず英語でコミュニケーションしようとすれば
必要な情報のやり取りのために、必死で話すようになります。

そして伝わるのに必要なパターンを早く習得できるでしょう。

もどかしい思いをしながら辛うじて伝わった表現があれば
それを覚えて次回はスムーズに伝えられるようになる。

あるいは、他の人の表現を聞いて、
それを採用できることもあるはずです。

現状の英語力の範囲内で、アウトプットするスムーズさは
英語のみの環境に身を置くことで上がっていくと考えられます。


一方で、日本人ばかりの環境での「英語のみ」ルールには
デメリットもあるように感じられてしまいました。

それは、ほぼ全ての人が英語学習者だということに起因しそうです。

当たり前の話かもしれませんが、英語関連の試験で
高得点を取ったり、上の級に合格したりする人の割合は
点数が高くなるほど少なくなってくると思われます。

上達してきた後にいつまでも通い続けないかもしれませんし、
英語力が上がってきたからこそ
留学など次の環境を目指す人もいるかもしれません。

元々、単純な統計として日本人の平均的な英語力は
それほど高くないとされている上に、
上達してきた人がスクールから去る可能性を考慮すると、
スクール内の英語力の分布を見ても
いわゆる”上級者”の割合は小さいだろうと推測されます。

大部分の人たちは聞いて理解する力においても
自分の考えを言葉にする力においても
もどかしさを感じている可能性が高そうなんです。

その中で英語のみのコミュニケーションをする。
それもレベル分けをせずに皆で協力して取り組むような授業となれば
”上級者”の人たちも簡単な話し方になるよう工夫することでしょう。

結果として、共通言語としてやりとりされる英語のレベルが
かなり簡単なものに収まりやすいようです。

ときに文法的に成立していなくても、意味が伝わればOK。
発音にしたって何を言いたいかが分かれば問題視されません。

特に日本人は「相手の意見を汲み取る」ことに慣れています。
誰かが上手く英語で言い表せないときには、
聞いている方が理解しようとして汲み取ってくれます。

カタカナ発音だったとしても、日本語のカタカナを知っていれば
日本人特有の発音の癖に合わせて単語を変換して聞き取れる。

すると、文章が多少おかしくても、発音が英語のものでなくても
意思疎通の手段としては成立してきてしまうわけです。

厳密な意味でネイティブが話す「英語」とは全く異質であっても、
日本語以外のコミュニケーション言語として
独自のルールをもったものに性質を変えていく可能性があります。

方言のようなものに近いでしょうか。

ラテン語のように同じルーツを持ちながらも
地域によって別の言語が生まれてきたのと似ていそうです。

元々英語が母国語ではなかった人たちが英語だけの会話を強制されると
独自の表現や発音をもった方言に変化していくのと同様に、
英語ネイティブがいない環境で英語学習者同士が
日本語禁止で会話を続けていくと独自のパターンができてくる。

それがネイティブに通じるのかどうか?という視点がないままに。

ここが厄介そうに感じたんです。


つまり結構な割合の人が、文法を気にせずに話してしまったり、
しっかりと話を組み立てて言葉にする前に
お互いの汲み取りで会話が成立してしまったりする。

暗唱の時には発音やリズムに気をつける人でさえ、
日本人同士の英会話となると急にカタカナ発音に戻ったりするんです。

それで通っていってしまうのは、
いずれ厄介なハードルになりそうな気がしました。

まぁ、英語学習だけが目的のスクールではなさそうでしたし、
その問題に直面した人は別の学習手段や環境を
探し始めるかもしれないので、構わないとも言えそうですが。

語学のトレーニング環境として色々と考えさせられる機会でした。

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2017年06月10日

朗唱トレーニング

スピーチの暗唱をするトレーニングの講座に行ってきました。

丸一日かけて、有名なスピーチの一部分を覚え、
言えるようにする内容です。

事前準備なしでも一日かけて少しずつ繰り返しながら覚えていけば
ある程度まとまりのある内容の範囲は覚えられるもののようです。

決して文面さえ覚えればいいというわけではなく
発音やイントネーション、リズムも含め
スピーチとして形になるようにするのが趣旨。

すると発音やリズム、抑揚など
英語のスピーキングに重要な要素を鍛えられるはずだ、と。

また、ある程度の長さのあるフレーズ単位や文章として覚えることで
スピーキングでもライティングでも、アウトプットの際に
自然と思い浮かぶストックとして蓄積していくこともできる。

そういうのが暗唱(朗唱)トレーニングの効果みたいです。

また、ネイティブがスピーチをしているときの発音を真似しますから
音の省略や弱化など、ネイティブが話すときの癖ごとインプットできて
「この単語の並びは、こういう音に聞こえる」というパターンが
自然と頭の中に残っていくことにもなります。

自分でも発音できるレベルで捉えた音の組み合わせなら
聞いた時にも認識がしやすくなって、
ネイティブの話も聞き取りやすくなると考えられます。

少なくとも、一度暗唱できるようにしたスピーチそのものなら
聞いたときに何を言っているかは文章として理解できるでしょう。

もちろん、そのスピーチ原稿を読むときには
暗唱しているときの声が頭に浮かぶのが一般的ですから、
一生懸命に単語を1つずつ追いかけなくても黙読できるはずです。

そうやって考えると、「話す、書く、聴く、読む」の4技能すべてに
効果がありそうなトレーニングだと考えられます。

真似できるように丁寧に取り組んでいる限り、
やったことが無駄になることはないんじゃないでしょうか。

あとはトレーニングの効率の問題。

やっただけ効果があるという意味では素晴らしいでしょうが、
他のトレーニングと比べたときに
かけた時間に対する効果の比率としてベストかは分かりません。

ただ、ネイティブの中でも英語力には差があるわけですから、
名演説と呼ばれるものを真似できるようにするのは
ほぼ上限なく英語をトレーニングできる素材だとは言えそうです。

やってみた印象としては、
おそらくかなり地味な効果が蓄積されるタイプのもので、
長く続けたあと、それもかなりの英語力がついてきた頃に
暗唱トレーニングした意味がジワジワと出始めるんじゃないか、
と感じています。


講座としては、その暗唱を使いながら
人前でスピーチをするトレーニングも一緒にやってしまおう
というコンセプトになっているようでした。

そうすると人前での度胸もつくし、
色々と自信を高めたり、仲間意識が生まれたり、と
大勢で取り組むメリットが出てくるんでしょう。

ただ個人的には、暗唱を人前でやっても
スピーチそのもののトレーニングにはなりにくそうに感じました。

一般的なスピーチやプレゼンと比べると
あまりにも頭の中で行われる作業が違うんです。

スピーチやプレゼンは自分で考えた内容を話します。
覚えたものを言うにせよ、その場で考えながら話すにせよ、
自分の中から自分の言葉として出てくる印象がある。

一方、暗唱の場合、自分の中を通っている感じがしないんです。

もちろん、素晴らしく感動的な内容の部分は
暗唱しながらでも感情レベルで動かされるものはあります。

ただしそれは、どちらかというと聞きながら感動するのに近い。
歌を聞いて感動する感じです。

もっと正確に言うと、口に出しながら感動するわけですから
心に響く歌を歌っているときに、
歌いながら感極まってくるような状態に近いはずです。

カラオケで歌詞を見ながら歌うのが朗読、
歌詞を覚えて歌うのが暗唱。
そういう関係じゃないでしょうか。

まさに僕が体験してみたときの印象は
歌っているときに近かったんです。

内容が理解できないわけじゃないし、
その内容に心が動かされないわけでもない。
でも自分が話すときとはプロセスが違い過ぎます。

プレゼンのように人前で話すトレーニングをするなら、
暗唱するよりも自分の言葉でやったほうが
効果がありそうに感じました。


繰り返しになりますが、暗唱そのものは
英語力を鍛えるトレーニングとして非常に有効だと思います。

全部を完全に再現できるところまでやらないにしても
文章単位で覚えて言えるようにするだけで
ボキャブラリーや表現の幅を広げていけそうです。

その目的では僕もやってみようかと思っています。

まぁ、フレーズのストックを増やしたり、
英語のリズムを覚えたりする目的であれば
洋楽を覚えても同じだろうとは思われますが。

違いは歌の場合、文法よりも意味が優先されるため
書き言葉や会話とは違った表現になってしまうケースがあったり、
スラングだらけで基礎的な表現を身につけにくかったり、
どの歌を利用するかの差が大きそうだ、ということろでしょうか。

逆に歌になっているとメロディーのおかげで
内容を覚えやすかったり、リズムが掴みやすかったりするのは
メリットになるほうでしょう。


ちなみに歌を覚えて歌うときと近いように感じたのは
講座中にステージの上で発表する場面で、でした。

小学校のときに通っていたピアノ教室の発表会や
中学校の時の全校での合唱コンクールのとき、
ステージの上で覚えたものを披露する場面がありました。

ピアノであれば曲を忘れてしまう状態、
合唱コンクールであれば歌詞を忘れてしまう状態。
いわゆる「飛ぶ」というヤツです。

ああいう感じと良く似ていました。

だからこそ、覚えたものを再現しているだけで
自分の中から出てきていない印象をハッキリ自覚したんです。

実際、かなり短い文章3つぐらいの担当だったのに
僕は見事に「飛んで」しまいました。

覚えたものをキッチリとやらなければいけない…
と考えていた分、緊張も感じていました。
緊張に関しては他の人の影響もあったでしょうが。

普段のセミナーでは緊張しません。
やらなければいけない正しい内容があるわけではないので
上手くやろうという発想が無いのが大きそうです。

また、その場その場で話すことが変わりますから
「飛んで」しまうといった失敗の種類もありません。

ですから、物凄く久しぶりに”失敗”を体験したわけです。

なかなか楽しいものですね。
新鮮な体験ができました。

僕が普段のセミナーでやっているのは対話であって
プレゼンではないと感じていますが、
プレゼンだったら緊張はしても「飛ぶ」ことはありません。

「これじゃないといけない」という正しい内容がないからです。

予定と違うことになっても、その場に応じて
自分の言葉で内容を組み立てる機会が多々あります。

「飛ぶ」経験をしたのは、そこでやっていたのが
対話でもプレゼンでもなく、
『パフォーマンス』だったからでしょう。

暗唱は、歌や楽器演奏、演劇のような
パフォーマンスの部類だと感じられた、という話です。

そう考えると、歌手とかミュージシャンとか舞台役者とか
よくも覚えたものをやり続けられるなぁ、と感心します。

僕はパフォーマンス好きではないようなので、
パフォーマンスとして人前で暗唱したいわけではないみたいです。

あくまで英語力を鍛えるトレーニングとして
取り組んでみようかとは思っているところですが。

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おしらせ
 ◆ セミナー情報 

日程更新

《コミュニケーション講座》
〜内容は後日〜


【日時】 2017年8月20日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は9月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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