NLP

2018年12月05日

リラックスしても寝つかない

なんだか最近、自律神経のバランスがおかしいようです。

布団の中で一睡もできない日もあれば
予定よりも3時間寝過ごしてしまうこともありました。

まあ、寝過ごしたとは言っても
ギリギリ予定には間に合いましたし、
寝られなかった日もパフォーマンスはもんだなかったり。

大きなトラブルには繋がっていないので
まあ、さほど心配はしていません。

NLP的にいうと、ほとんどの寝付きの悪さは
頭に偏った意識が速く活動し過ぎて
軽い興奮状態にあるのと関係するようです。

そういうときは、その頭の回転をゆっくりにしたり
意識の中心をズラしたりするのが効果的です。

一方、最近の僕の状態はそうではありません。
ただ眠くなかったり、寝ても起きてしまったり。
逆に寝たら起きなかったりも。

寝られないときは、意識を広げても寝つけません。

瞑想のときにも寝ないようになってきていますし、
催眠でも記憶が残り続けやすくなってきていますから、
どんな意識状態でも眠りにくくなっているのかもしれません。

物事には一長一短がありますね。


とはいえ、基本的に眠りが浅く、ろくに寝られない状態が続くと
どこかでやらかしてしまうのではないか?とは心配です。

普段以上に目覚ましを追加したりしているところ。

気候の不安定さもあるのかもしれませんが…。

無事に年末まで乗り切りたいところです。

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2018年11月28日

歯ブラシ買いました

先日、テレビの深夜番組で
歯ブラシの専門店か何かをやっているマニアの人が
色々な歯ブラシについて紹介していたんです。

その中で『エンジェルマイクロブラシ』というのが出ていて
とても興味を惹かれました。

というよりも僕が歯ブラシに対して考えていた不満を
ようやく解決してくれる形の歯ブラシだったんです。


ポイントは一点だけ。
毛の数が多くて、密集している。

筆とか刷毛とかのように、細い毛が隙間なく束ねられています。
そしてそれがブラシの面積全面に。

衣類用のブラシとか、馬のブラッシングをするときのものとか
ときどきブラシ面積全体に毛が密集しているのがありますが
あんな感じになっているわけです。


なぜこれを僕が歯ブラシに求めていたかというと、
一般的な毛の量だと、歯の表面を一回こすっただけでは
毛が触れていないところが出てしまって、
その部分は歯垢がかき出されないような気がするからです。

実際、多くの人はだからこそ、何度もゴシゴシと往復するわけでしょう。

個人的な発想としては、広い面積(といっても歯一本分の表面とか)
から汚れを取る目的だとしたら、不織布か何かを指に巻いて
それで擦ったほうが早く歯垢が取れるような印象があったんです。

歯と歯の隙間は細かい毛の歯ブラシが必要になりますが。

その点、毛が密集して生えている歯ブラシだと
1ストロークで、面積全体をカバーできそうに思えます。

ゆっくりそーっと動かしても汚れを取れるんじゃないか、と。
優しい歯磨きができそうな気がします。


ということで早速、購入してみました。

使ってみると、なかなかいい感じです。
毛は一般的な歯ブラシよりも細くて、柔らかい感じ。

歯と歯茎の境目なんかも安心して扱えそうです。

とはいえ、毛が非常に柔らかいので
早く痛みそうな印象もあります。

あまり急いでゴシゴシやるには向かないかもしれません。

大雑把に一般的な歯ブラシと歯磨き粉で磨いたあと、
丁寧に水だけで磨き残しをカバーするような使い方が
良いのではないかと感じているところです。

一般的な歯ブラシよりも高額ですが、
毎日の作業だと考えると大したことはないでしょう。


それにしてもテレビで紹介されると、
深夜番組でも影響が大きいんですね。

僕も買っている側ですから、人のことは言えませんが
楽天経由で買った店舗からは
「注文が集中して発送が遅れます」
という連絡も来ていました。

在庫の問題というよりは、発送作業の問題だったのでしょう。
人手が追いつかないんだと思われます。

その後、どれぐらいの人が使い続けるのかは分かりませんが
最初に知ってもらう上では、テレビは効果的なようです。

エンジェルマイクロブラシ 1本 キャップ付き 【メール便可 6本まで】
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2018年11月25日

自転車

そういえば、11月の頭に渡米していたとき
久しぶりに自転車に乗ったんです。

よく言う話ですが、運動のやり方は忘れないというのが実感されました。

バランスを取るのも、ハンドル操作も全く問題ありませんでした。
ペダルをこぐのだけは、エアロバイクでやっていますが。


ただ、自転車を借りたのがホテルのもので
無料貸し出しのヤツだったせいか質がよろしくなかったんです。

そんなに滅茶苦茶ボロボロなわけではありません。
どこでもレンタル自転車なんて、そんなに高品質ではないでしょう。

比較として最近増え始めているレンタルサイクルのシステムを見ると
そちらのほうが設備がしっかりしているようではあります。

レンタルサイクルのほうはお金を払うわけですから
維持のためのコストもかけられるはずなので
クオリティが高めになるのは当然かもしれません。

日本にも時々レンタルサイクルのスタンドがありますが
コロラドは特に観光地だったせいか
かなりそちらのレンタルサイクルは量が充実していました。

料金もそこそこする上に、使い勝手はよろしくなくて
とりわけ僕の場合、クレジットカードが対応していないらしく
なぜか支払いができなかったんです。

なのでホテルで無料の自転車を借りられるのは助かりました。


ところが、借りてみると驚いたことに
ブレーキレバーがついていないんです。

置かれている全ての自転車に。

しかしそれを堂々と貸しているということは
法的には問題がない形になっているはず。

ということで駐車場内で試しに乗ってみました。

が、やはり止まりません。
危うく転びかけました。

念のため足を地面について停車できるようにとサドルを下げ、
もう一度挑戦してみることに。

もしかしたら自然にブレーキがかかったりするかも…、と思いきや
どうやらペダルを逆回転させると後輪にロックがかかる仕組みらしい。

いくらか”遊び”がありますから、
ペダルとタイヤが直結なわけではありません。

漕がずに、逆回転もしなければ、フリーの状態になって
慣性で走り続けることもできるようでした。
(だから最初に転びそうになったんですが)

とはいえ、ブレーキをかけるためにペダルを逆回転させるのは
初めての体験です。

厄介なのは、タイヤにロックがかかるということ。

ハンドルについているブレーキであれば
圧の強さを変えることでブレーキの利き具合を調整できます。

ところが、その自転車では「ブレーキ=後輪がロック」なんです。

車でいうと、サイドブレーキみたいなものでしょう。

サイドブレーキだけで車を運転するのは
なかなか怖いものだと想像してもらえるんじゃないかと思います。

結局、こまめにブレーキと解除を繰り返し
徐々にスピードを緩めるという方法に辿り着きました。
慣れるまでには結構な時間がかかりました。

直感的にもハンドルにブレーキが着いていないのは心細くもありましたし。

なんだか体力的なことより、緊張が強くて精神的に疲れた気がします。


もしかしてアメリカの自転車は、このタイプのブレーキが主流なのか?
と走りながら、すれ違う自転車を見てみましたが、結局
ハンドルにブレーキレバーが無い自転車は見かけませんでした。

アメリカでもマイナーなスタイルなんでしょう。

日本でこんな自転車に乗っていたら、多分
警察官に止められると思います。

とはいえ、そんな不思議な仕組みの自転車でも
同じ自転車として乗りこなすことができるというのは
人間の学習能力の汎用性を感じさせてくれました。

原理が同じであれば、一か所ぐらい違っているところがあっても
そこは意識的に取り組むことで対応できるみたいです。

複数個所を心がけないといけなかったとすると
もっと大変だったんじゃないかと想像しています。

なかなか新鮮な体験でした。

まぁ、安全性から言えば
推進力を生み出すペダルの部分と
制止させるためのブレーキの部分は、
別の個所で分割して対応させた方がスムーズでしょう。

手と足で分業する一般的な自転車は
足だけで2つの作業をする種類よりも
理にかなっているんじゃないでしょうか。

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2018年11月11日

好きだったマンガ

高校生ぐらいから好きで読んでいたマンガに
「ゼロ 〜THE MAN OF THE CREATION〜」というのがあります。

贋作者の話で、
芸術作品を中心に、法外な値段で
本物と区別できない複製を作る主人公が
様々な依頼を受ける様子が描かれます。

毎回、かなり詳細な時代考証を含めた話が出てきて
ストーリーとしてだけでなく知的好奇心としても楽しんでいました。

基本的には、無茶苦茶なまでの主人公の能力によって
無理難題が解決されてしまう話なんですが、
勧善懲悪的なところもあって痛快でもあったんです。

一目見ただけで全てを記憶してしまったり、
ギャングに目隠しで連行されても音だけで場所が分かったり、
イタコ的に作者になりきって、完全に本物と同じものを複製したり
(作者本人でも複製は無理だと思うんですが、そこはマンガ)…。

世界中の人を相手にしながら事件や問題解決をしますから
ほとんど全ての言語を使いこなせるというのも特徴。
歴史書とか古文書も読みます。

一話分のストーリーで進む時間を考えると
全78巻の話を一人の人物が体験するには膨大な時間がかかりそうですが
マンガなので主人公はずっと同じ年代のままです。
(幼少期や若い頃のエピソードは出てくる)

まぁ、自分も複製してしまえるので、もしかしたら何人もの主人公が
別々の場所で活躍しているという解釈もあるのかもしれません。


ともあれ、僕はこの漫画がかなりお気に入りでした。

影響を受けたともいえるでしょうし、
そもそも心に響くところがあったともいえそうです。

子供の頃から絵は好きでしたし、芸術は全般に興味があるほうでした。
「美味しんぼ」を読んでも、海原雄山が書、画、料理と幅広く
芸術に才能を発揮する様子に憧れていたものです。

なんとなく「〇〇文明」みたいな考古学的な話に興味を持つことも多く
若干オカルト的なピラミッドの謎みたいのも好きでした。

そういう要素が沢山詰まっているマンガだったんです。

ですが今にして思うと、
自分が現時点でやっていることと共通する部分が含まれるのにも気づきます。

例えば、主人公の超人的な五感の感度。
見たもの、聞いたもの、味わったものは正確に区別できて
それを完全に複製できるという能力が描かれています。

もちろん、僕にそんな能力はありませんが
一般よりは五感の感度は高いほうだと思われます。
そういう訓練をしてきましたし、NLPを通じて敏感になってもいます。

また、NLPの中には「モデリング」という
「他の人のやり方から学ぶ」方法があります。
これもできるだけ本人を再現度高く真似するところがポイントです。

モデリングの趣旨の中には「誰かにできることは他の人にもできる」
という発想が含まれていますから、そこには
本物を「複製する」というマンガのコンセプトに近いものを感じます。

マンガの中では「本物だけが心を打つ」という描写もありますが、
僕自身もNLPにおけるサブモダリティの観点で、
どのように人の心を打つのかというのを考えてきたところもあります。

絵画を見るときは画家の視点に立って見るようにしていますし、
知識ではない絵画鑑賞のポイントには結構自信があります。

そういえば海外に行っても観光は好きではないのに
美術館だけは足を運ぶというのも示唆的に思えます。

そして最近は色々と語学をやっています。

当時はさほど気にしていなかった主人公の能力の1つ、
「あらゆる言語を使いこなす」についても
いつのまにか関連性が出てきたような気がしています。

マンガでは当然、記述はすべて日本語に翻訳された設定となりますが
ときどき挨拶とか呼びかけとか、カタカナで外国語が出ていたんです。
ロシアにいくと「ガスパジン・ゼロ」と呼びかけられる、とか。
(ガスパジンはロシア語におけるMr.のような単語。ゼロは主人公の名前。)

そのあたりの部分が何となく心を捉えていたのかもしれません。
そのころは調べもしませんでしたが、
今こうやって外国語表記の部分が思い出されるということは
なんらかの特別な印象を受けるところだったんだろうとは考えられます。


気に入っていたマンガとか映画とかには、自分の持ち味と関連する何かや
自分の心に深く訴えかける要因が含まれているのかもしれません。

もういちど読み返したら、また何か心に響くところとか
当時は理解できなかったものが理解できるようになっていたりとか
新たな発見があるんじゃないかと思い始めました。

さすがに全78巻は多いと感じますが
もう一度読み返したい気持ちが高まっています。

思えば、このころの僕には好きなマンガが多かったものです。

特にこの「ゼロ 〜THE MAN OF THE CREATION〜」が連載されていた
スーパージャンプはお気に入りでした。

「ミキストリ」とか
「緋が走る」とか
「企業戦士YAMAZAKI」とか
「人事課長鬼塚」とか…。

いずれも今考えると、どこが心に響いていたのか納得できるものばかり。

そのころは今のような自分になっていることは想像していませんでしたが。
面白いものですね。

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2018年11月09日

日米の食生活

アメリカ人の食事を見ていると、一食あたりの量は少なめにさえ見えます。

ホテルの朝食だとしたら、日本人観光客のほうが
平均すると2倍近くとっている印象も。

ただし、アメリカ人の炭水化物の比率は非常に高い。
パンとかワッフルとかビスケットみたいのとか、
そういうのがメインに見えますし、
さらにそこへ甘いシロップとかクリームとかがタップリ。

「フルーツが健康に良い」というビリーフでもあるのか、
果物やジュースも追加されます。

で間食にまた果物とかビスケットとか。


そうして肥満率が上がるのかと思いきや
子供は同じような食事をしていても痩せているんです。

20歳を過ぎたあたりから何かが変わり始めるんでしょうか?
身体への意識が低いのは共通して見られる特徴ですが…。

大人になるほど日常的に動く量は減っていきますから、
座り込んで動かない感じが強いほど脂肪がつきやすいのかもしれません。

それは全体的な運動量というよりも、
意識が行き届いていないことと関係しそうな印象を受けます。

だから顔とか首とバランスが取れないぐらい
胴体ばかりが大きくなりやすいのかも、なんて思ったりもします。

顔周りまでは意識が行き届いているのに対して
胴体への意識が極端に下がっているという話です。

まあ、顔の骨の凹凸が大きいから脂肪がついても目立ちにくいとか、
そもそも顔あたりの脂肪細胞の数が少ないとか、
遺伝的な要因もあるのかもしれませんが。


ただ、観察して言えるのは胴体への意識の低さ。
これはもう圧倒的に日本人と違います。

良くいえば力が抜けているとも解釈できるとはいえ
健康問題とリンクしそうにも思えます。

アメリカの医療問題はかなり取り上げられているようでしたし
オーガニックとか非遺伝子組換え食品とかの人気も高いそうです。

でも、そこではないんじゃないか?という気がしてしまいます。
身体への意識が低くて置いてけぼりになっている感じ。

そこに文化的な傾向として、自制の度合いが低いのも追加されます。
感情や考えを表現することについても制御することが少なく
なんでも素直に表すことが多いようです。

さらに土地としても広々としたところに住んでいますから
自然と意識が拡大しやすいのも特徴でしょう。
これは日本から行ってみても感じるところです。
なんとなく開放的になる。

結果的に他者との境界の意識が弱まります。

一体感が起きやすいのはアメリカのイベントを見ていても実感されますが
反面、自他の境界としての体表面に意識が向きにくくなるともいえます。

境界意識が弱いと力が抜けやすくて、
表面がボワッと柔らかくなりやすいようです。

「自分の身体がどこまでか」という設定が弱いわけでもありますから
その設定値に対してのホメオスタシスが働きにくくなって
どこまでも肉がついていってしまうとも考えられるでしょう。


日本人と比較すると真逆の感じです。

日本人は行動的においても感情や考えの表現においても
自制の度合いが非常に高い。
抑え込んでいる傾向が大きいといえます。

そして他者との境界意識が非常に強い。
パーソナルスペースを維持しようとしがちですし、
満員電車におけるスペースの取り合いなんてのは
自他の境界の強さの典型的な表れです。

脇を開けないで肘を体に近づけていることが多かったり、
肩甲骨が背骨に寄るように力が入ることも多いはずです。

身を縮めている、と。

細身の人は特に、体表面の筋肉に力が入って
外側がカチカチの雰囲気もあるぐらいです。

どうしてもピリピリと緊張した感じが出ます。


これぐらい体への意識の使い方が異なっていると、
身体症状として表れるものの意味も
心の問題として表面化するものの内容も
随分と日米で差が出るだろうと思われます。

同じ健康法が通用するとは考えにくそうですし、
アメリカで開発された心の問題へのアプローチが
日本でそのまま通用するかも定かではありません。

大雑把にいえば…。

アメリカの場合、
 『我慢や自制をしない』ことで身体の機能の標準的な範囲を超えてしまい
 体そのものが自らの機能で維持できなくなってしまう
といった身体的な問題が起きやすい。

また、『我慢や自制をしない』ことで
 コミュニケーションにおける衝突が増えたり、
 衝動的な言動で行き当たりばったりの対応をして後悔したり、
 短期的な報酬に依存してしまったり
といった心の問題が起きることも多そうです。

一方、日本の場合は『我慢や自制をし過ぎる』ことで
 限界を超えて頑張り過ぎてストレス症状が表れたり、
 自ら自分の身体の一部にダメージを与えたりしてしまう
といった身体的な問題が起きやすいのかもしれません。

コミュニケーションや人間関係においても『過剰な我慢と自制』によって
 自分の心の中で葛藤が生まれ、悩みが複雑化しやすかったり、
 常に不満や苛立ちを抱え続けていやすかったり、
 限界を超えた瞬間に自暴自棄になってしまったり、
といった心の問題に繋がりやすいようにも思えます。

一口に、「癒し」、「回復」、「ケア」などと言っても
実際に何をするかとなると日米では差が出て当然なんじゃないでしょうか。

我慢や自意識が低すぎてトラブルになるアメリカ人、
我慢や自意識が高すぎてストレスを抱える日本人。

ざっくりと一般化してしまえば、そんな傾向。

このあたりの違いが、様々な部分から見てとれます。
食事の仕方だけに注目しても見受けられる特徴といえそうです。

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2018年11月05日

アメリカのワークショップらしさ

3日間のワークショップが終わりました。
忘れないうちにメモがてら、感じたことを書いてみようと思います。


全体的にとても深い体験が起こっていたように見えました。
もちろん、扱っている内容そのものが効果的なのもあるでしょうが、
それ以上に場を共有する人たち同士の影響が大きかったように感じます。

講座の構成としても心を開きやすくなる工夫があるとは思えませんし
練られた構成になっているわけでもないようですから
(むしろ、ごく当たり前の積み上げ式)
トレーナーのスタンスの影響が大きいと考えられます。

トレーナー自身がオープンで、意識を全体に拡大させている。
それによって心を開きやすくなる感じ。

同時にアメリカ人の参加者が中心だというのもあるでしょう。

以前に同じワークショップへ参加した時はロンドンでした。
イギリス人のほうが日本人に近いコミュニケーションをしますし
建前や遠慮があったり、他者との距離感を重視したりする傾向ですから
オープンな場が作られにくいところがあったのかもしれません。

トレーナー自身もゲストとしてイギリスに来ている様子があって、
さらにアメリカ人のトレーナーにはイギリス英語が聞き取りにくかったり
予想と違う反応が返ってくることがあったり、
空回りする雰囲気も見て取れていました。

それと比べるとアメリカ人対象はやりやすいんでしょう。
交流もしやすいし、対応の仕方も文化的に熟知している。
何よりトレーナーの地元でやっている”ホームの意識”も
ゲストの時とは大きな違いを生んでいたと思われます。

なので、心を開いた自然体のトレーナーがいることが
参加者にとっても居心地のいい場所を作っていったんだと思われます。

もっというと、参加者もトレーナーも含めて全員で1つのものを作るような
共同作業的な雰囲気を作っていたのも、トレーナー自身の技量なんでしょう。

僕も段々と仲間意識が自分の中に高まっていくのを感じていましたし
自分のこれまでの経験を踏まえて全体のサポートとなるような質問をしたり、と
輪の中に入った時間を過ごすことができた気がします。


参加者の傾向としては日本と大きな違った印象を受けました。

よほどイギリス人のほうが日本人に近いでしょう。

最も心を閉ざしていて、強いストレスに耐えながら頑張って
心の中に複雑な葛藤をため込んでしまいやすいのが日本人。

イギリス人も心は閉ざし気味ですが、文化的に日本よりストレスが小さく
大量の葛藤を抱え込んだ人は少なそうでした。

一方でイギリス人には独特の繊細な感受性があるようで
イギリスでNLPに関心を持つ人はスピリチュアル寄りの傾向が大きそうです。

それは同時に感受性ゆえの傷つきやすさと関係して、結果的に
心に傷を抱えながら、それを出さないように頑張っている苦しさに繋がる。

そういう人が癒しを求めてワークショップに集まっていた気がします。
なので参加者同士の交流というよりも、自分の内側を探る感じが強い、と。

ロンドンの参加者に見られた心を閉ざし気味のスタンスだと
トレーナーの拡大した意識の影響が届きにくくなって(入りにくくなって)
ワークをやるときに本人が自分の力だけで取り組む必要が出てきてしまいます。

ワークの性質上、普段やらない意識の使い方をして
普段と違う範囲に意識を拡大していくことが求められますから、
これは慣れていないとスムーズにいかないこともあるはずなんです。

そこでトレーナーの影響を受け入れればワークがやりやすい。
心が閉ざし気味だと、そうはならないので、実際にロンドンのときには
「やってみたけど何だか分かりませんでした」という人が1,2割いました。

それと比べるとアメリカの参加者は心がオープンです。
アメリカ人は大体がオープンですが、無防備なぐらいの人が集まります。

そして平均年齢がかなり高い。
移民や外国からの参加者が平均年齢を下げますが
現地の人だけでいえば平均で65歳を超えるんじゃないでしょうか。

その意味では過去の心の傷というか、後悔とか、喪失とかが
彼らの動機になっている可能性が高そうです。

オープンでストレートなコミュニケーションの文化があるのも
親しい関係で問題が起きやすいのと関係するはずです。
それもやはり後悔や喪失感に繋がりやすい。

大雑把にいえば「上手くいかない。もうダメだー。」という具合に
1つの大きなトラブルで深刻な苦しみにハマり込む感じに見えます。

だからこそトラウマケア的なワークが重視されるともいえるでしょう。

実際、ワークをやると一回あたりで大きな効果が出るようです。
日本人のように複雑に入り組んだ葛藤があるわけではなさそうで、
その分、シンプルに1つ1つの問題解決が有効になる、と。

心がオープンだからこそ起きやすいシンプルな苦しみと
その鏡合わせのように得られる幸せに対しての大きな喜び。
喜びと苦しみのバランスが取れなくなった時が悩みになるなのかもしれません。

しかしこのオープンさは、ワークをやるうえで、とても有利なようです。
今回のワークショップに関していえば、全員が実りある体験をしたみたいです。

全員がちゃんと意識を拡大できる。
慣れないと戸惑いそうな作業をちゃんとこなせる。

ここはアメリカ特有の部分で、同時にこれが
アメリカ人らしい悩み方にも関係しているといえそうです。


日本人の場合は…、心の中で複雑なことをして悩みを作る傾向がありますし、
心を閉ざしながらも強いストレスを抱えて我慢し続けるところもあります。

これに対してのアプローチと、アメリカ人に対してのアプローチでは
当然やり方も方向性も異なってくるはずです。

それぞれの苦しみ方の特徴に合わせて
効果的な取り組みがあると望ましいのだろうと思いました。

ただ、日本は大変な部類のような気がします。

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2018年11月02日

ボウルダーにつきました

セミナー参加のためコロラドにやってきました。

ロスアンゼルスで乗り継ぎがあった上に、出発が遅れて
コロラドのデンバー空港に着いたのは、現地時間で8時ごろ。

地平線が広がる真っ平な土地の中に、ときどき電気のついた区画が表れます。
その中の一つがデンバーでした。

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それにしてもロスアンゼルスまでの10時間といい、
トランジット待ちの4時間といい、
慣れてくるとそれなりに短く感じるものですね。

結局、飛行機の中は寝られなくて、それなりの退屈さを感じますが
寝ようとしないで本を読んだりすれば気にならないのかもしれません。


そして初めて降り立ったデンバーの空港。
国際空港でもあるらしく、それなりの大きさで
しかも形が分かりにくい。

特に地上交通への出口が複数あるのが厄介でした。

バスで行こうか、シャトルバスを使うか、
タクシーで行こうか、Uberを呼ぶか。

バスは1時間に一本しかなく、空港の案内を聞いた時点から
バスの出発時刻が1分後というタイミング。

料金の支払いも、切符の買い方も分からない状態だったので
これは諦めることにしました。

タクシーは圧倒的に高額になるので無駄な気がして避けました。

じゃあ、ということでシャトルバスを調べると
今度は聞く人によって情報が錯綜して時間ばかりが過ぎていきます。

しかも値段が当初の話よりなぜか高い。

それぐらいの値段なら直行してくれるUberのほうが便利だろう、と。
と思ったらUberの車が到着してくれる場所がどの出口なのか分からない始末。

そうこうするうちに時間が過ぎていって
結局バスの出発時間まで25分ぐらいになってしまいました。

そこからバス乗り場に移動して、料金システムを調べて
乗り場に着いたら出発20分前の時点でバスが待機してくれていました。

なので1時間も待ってから空港を後にすることになってしまいました。

バスがボウルダーの街について、そこからさらにホテルへ移動して
結局ホテル到着は現地時間で22時30分ぐらい。

随分と移動に時間がかかってしまい、少し反省したところです。
もうちょっと下調べをするとか、到着便を昼間にするとか
工夫はしたほうがよかったのかもしれません。


それでも次の日は一日かけてボウルダー市内を見て回る予定だったので
ゆっくりと時間をかけることができました。

まずは朝の散歩。
朝食前に、と思ったら日の出が7時30分ぐらい。

食べ終わって、少し日が出てきたのがこちら。

181101_1


























そして散歩の途中に日が昇ってきて
明るいボウルダーの景色を見ることができました。

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夜には街灯も少なくて何も見えなかったんですが
まぁまぁ建物も店も多く、人が住む場所だというのは分かります。

それでも少し周りに目をやると、すぐに切り立った山肌が見えます。
ロッキー山脈側ですね。

日本にはない種類の山だというものもちろんですが、
景色の見え方が日本とは全く違います。

空気が澄んでいて遠くまでクッキリ見えるんです。
絵みたいな印象でした。

181101_3


























そして一旦ホテルに戻って準備を整え、今度はボウルダーの中心地へ。

自転車を借りようと思ったら、なぜかカード支払いができず
諦めて全部歩くことにしました。

とはいえ十分に歩ける距離だったと感じます。

メインストリートも決して栄えてはおらず、
むしろ商店街の路地の端っこのような印象。

交通としてのメインは別の大きな通りなんでしょう。

そして道の両サイドに並ぶ店が増えてくるあたりから
パールストリートモールと呼ばれる街の中心地へ。

181101_4


























非常に静かで落ち着いた雰囲気。
人気が少ないのは時期なのか分かりませんが、
賑やかさを感じません。

一切BGMがかかっていないというのも新鮮です。

車の走る音と風の音。
あとは人の話し声とストリートミュージシャンの演奏ぐらい。

なんだか音の量が少ない感じがしました。
標高1600mぐらいのところらしいので気圧の関係もあるかもしれません。

そして通りを二本ぐらい移動すると、住宅街とか高校とかが出てきて
サイクリングコースにもなっている小川が見えてきます。

自然が多いというか、自然の中に街が入り込んでいる感じ。

181101_5


























人もゆったりしていて、街の中も商売っ気がないというか
どうやって経済が成り立っているのか分からないぐらいの印象。

つつましく暮らす人と、リタイアした人と…といったところでしょうか。

そして街の大部分を占めるコロラド大学ボウルダー校。

広々としていて、のどかでストレスが少なそうな土地です。

ヨガとか、オーガニックとかが盛んなようですし。
いるだけで少し体と心が緩む感じもします。

こういうところでやるNLPは
日本とは随分と違った位置づけになるんじゃないでしょうか。


これからいよいよセミナーです。

ロンドンで受けたのと同じ内容に、少し先の内容が含まれる予定。
とはいえ、人が違う、街が違う、となると
体験されることも違ってきそうな気がしています。

cozyharada at 23:52|Permalinkclip!

2018年10月30日

不在のご連絡(10/31-11/8)

31日発でアメリカに行ってきます。

アメリカ滞在中も、メールや
お問い合わせフォームからのご連絡は見られると思いますが、
お返事が遅くなる可能性がありますのでご了承ください。


今回はNLP関係のセミナーに参加するのが主目的です。

正直なところ、瞑想のために渡米したときと比べると
随分とテンションが低い感じがします。

自分自身の向き合い方のスタンスなんでしょうか。

まぁ、今回の内容は復習になるものですし、
NLPのほうが馴染みがあるという部分もあるかもしれません。

一方で、ワークを全部英語でやるのは慣れていません。
特にサブモダリティのボキャブラリーが少ないので
そこはやりにくそうなところ。

よほどプラクティショナーコースを英語でやり直したいぐらい。

そういう心配があるのに妙に気楽な感じなのは
NLPに対する自信の表れでもあるんでしょうか。


ともあれNLPコンプリヘンシブの本拠地、
コロラドに足を運ぶのは少しだけ興味があります。

観光好きではない僕としては、おそらく
自然の多い街並みと空気を味わうのがメインになりそうですが。

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2018年10月28日

気持ちの方向

もう10月も終わりが近づいています。

夏が過ぎ去った後から、やたらと早く感じるのは
それだけ秋が短い気候だったからなのか、
秋がバタバタと忙しかったからなのか…。

特にこのあたりの時期は、気温が変化していくことで
より一層の変化を感じやすいような気がします。

僕の場合、例年この時期に、書道の作品制作をします。
期間にして2か月弱でしょうか。

週に2,3日、2時間ぐらいずつ大きな紙に書くことになります。

書き始めの時期が9月末、提出の時期が11月初め。

最初の1,2枚を書く頃は、まだ暑い中でやっているのが
最後の時期には暖房をつけ始めるようになっている。
そんな気候の変化が毎年のように感じられます。

まぁ、今年は終盤が近いのに暖房を使っていませんから
例年よりも気温が下がっていないのかもしれませんが。

それと、セミナーの終了時間。

いつも夕方の同じ時間に終わるセミナーだからこそ
終了時間の明るさ・暗さによって、日の長さの移ろいを感じます。

やはり年末が近づいている実感があります。


そんな中だからでしょうか、
なんとなく自分自身の気分や状況についても
変化の雰囲気が気になってくるようです。

そのうちの1つは、急に外国語ムードが高まったこと。

これまでも少しずつはやっていましたが、
日々の中に入り込んでくる比率が上がったように感じます。

典型的なのはスマートフォンのアプリです。

少しずつ外国語系のものが増えてきてしまいました。
辞書だったり、学習用のものだったり。

先週から Pimsleur という外国語学習アプリをやっています。

30分1レッスンの音声教材を毎日やるだけのもの。
基本的には聞いて繰り返すとか、質問されて答えるとかですが、
新しいものを追加するタイミングが堅実なペースになっているとか
新しいものを既存の知識に関連づけられるように紹介するとか
繰り返し復習として出てくるタイミングが忘れにくくしているとか、
記憶の観点からすると、良く工夫されている印象です。

実際にやっていると、それなりに知識もついていきますし、
音声ベースの教材なので聞いて理解できる内容も増える実感があります。

もうすぐ一週間になるところで、
セミナーのある日でもそこそこ続けられるのは
パソコンに向かわなくてもやれるスマホアプリだからかもしれません。

内容そのものは高度でないものが多いようなので
入門から初級の段階の基礎作りに丁度良さそうです。

ただし難点が1つ。
制作元がアメリカなので、使用言語が英語なんです。

英語話者が、英語以外の言語を学ぶためのツールという位置づけ。

学習ターゲットの中には日本語も入っていますが、
日本語で英語を勉強するのはできなそうです。

ある程度の英語を身につけて、他の言語も…なんていうときには
便利そうな印象を受けています。


もちろん11月初頭にアメリカに行くのも
外国語ムードの高まりと関連するところではありますが、
面白いことに外国人から話しかけられる頻度も増えてきた気がするんです。

この週末も、大阪に出張していた際、3人から話しかけられました。

一人は新幹線の切符売り場で、自動販売機の使い方についての質問。
もう一人は大阪のホテルの前で、利用客から入り口を質問されました。
それから帰りがけに駅のホームでも。

3人とも西洋人ですが、英語ネイティブではなさそうだったのも
国際化の雰囲気を感じるところです。

日本にも世界各国からの観光客が来ていることを実感します。
同時に、僕の身の回りで、そういう人と接することが出てきたというのも
外国語への意識が高まっている時期だけに余計に気になるんでしょう。

観光が好きではない僕にとって外国語をやる意味は
”旅行のときに役立つ”という種類ではないんだと思います。

単純な興味もありますが、欲を言えば
役立つ機会があるとモチベーションも続きそうです。

書道の作品制作も終盤を迎えているので
少しだけ外国語にも力を入れられるようになるかもしれません。

cozyharada at 23:37|Permalinkclip!

2018年10月25日

英語学習の思い出

思い返してみると、僕が小学校に上がる前だった頃か
自宅には英語の音声教材がありました。

当時はまだSONYのウォークマンも発売されていない時期ですから
ラジカセのようなテープレコーダーも主流ではなかったのでしょうか。
レコードがメインだった時期だと思います。

なので、その教材もカセットテープなどではなく、
磁気テープが貼り付けられた紙のカードをリーダーに通す仕組みで
1枚のカードに1センテンスだけ英語音声が収録されていたはずです。

カードには相応の絵柄なんかもついていたかもしれません。
それをリーダーに通すと、ネイティブの録音で音声が流れる、と。

基本的には1枚のカードで一単語を説明する感じで
「Zoo. The zoo opens.」みたいな程度だった記憶があります。

確か、カードリーダーに通す作業のほうが楽しくて
それで遊んだような思い出が残っています。


それから小学校に入って、近所の幼児英語教室みたいのに
いくつか通ったのも覚えています。

「いくつか」というのは、積極的な意味での話ではなく、
地元の主婦が自宅の一部で、習い事の教室をやっている程度なので
長続きしないことが多かったからだろうと思われます。

教室がなくなったら、次のところを探して行く。
そんな感じで3か所ぐらいに通ったんじゃないでしょうか。

どれも基本的には嫌々通っていたように思います。

内容なんて理解していないし、やらされるお遊戯が不愉快だったし、
なんだかヘンテコな呼び名をつけられるのも嫌いでした。

覚えているのは、友達が先生から「じゃあ、カエルは何ていうの?」
って聞かれたときに「フロッグ(frog)」を言おうとして
「ケロッグ」って答えて面白かったぐらいです。

カエルの鳴き声の感じと、フロッグの音の感じと
耳馴染みのあった「ケロッグ・コーンフレーク」なんかがセットになって
自然と「ケロッグ」が浮かんでしまったんでしょう。

それぐらいしか記憶にありませんし、
もしかすると英単語のいくつかは覚えていて
中学一年生で英語の授業が始まったときに役立った可能性はあります。

しかし文章レベルで何かができたわけではありませんし、
英語で何かを言う、なんてこともしていた記憶はありません。

遊びの延長ぐらいなものです。


それから中学校に入って、学校教育としての英語が始まりました。

ここからが一応の本格的な英語”学習”のスタート。
勉強し始めた段階です。

いくらかの単語を覚えていたのと、アルファベットには慣れているのとで
なんとなく最初の頃の英語の授業は気楽だったのが思い出されます。

中学に入ってから塾にも通い始めました。
高校受験対策の塾です。

そんなに高度なことをやらせる塾ではありませんでしたが
入試に出るような形式の問題をひたすら解かされるタイプの勉強でした。

毎回宿題が出て、とにかく量は義務的にやったように思います。

それに加えて、近所に帰国子女の大学生が住んでいて
その人から少人数の家庭教師的に、英語だけを週一回やっていました。
友達4人ぐらいで集まって教わっていた感じです。

こちらも結局は塾でやるような文法の練習が中心だったんですが
帰国子女だけあって、発音をしっかりしてくれるのは良かったんでしょう。

振り返ってみると、いわゆるフォニックスのようなこともやっていました。
音のルールの勉強です。

そのおかげで初出の単語でも発音の予想がつくというか
ある程度、英単語を英語の音として捉えられていたんだと思います。


ですから中学校までの段階で、僕は英語の文法ルールを
学校教育をベースにした塾と家庭教師の勉強で地道に練習して、
それと並行する形で、英語の音にも触れる機会が多かったと言えそうです。

文法のトレーニングは日本の英語教育として標準的でしょうが、
そこに発音や音への慣れが追加されていたのはメリットだった気がします。

幼稚園やら小学校の頃に触れていた英語は
具体的なレッスンのレベルとしては役に立っていませんでしたし、
会話の練習になんて全くなっていなかったですが、
「英語の音に触れ続けた」という点では有効だったと思われます。

つまり僕は英語のトレーニングの初期段階で
音からのインプットの経験量が多く、
同時に文法的な練習問題を数多くやった、ということのようです。

文法の練習問題は、それそのものが基本的なルールの学習として
英語の文章のパターンを捉える訓練にもなっていましたし、
文法的な正確さへの心がけを高める土台にもなったと思います。

それから文字情報からのインプット量を増やせたのも大きいはずです。

音からのトレーニングだけでは曖昧だった部分が
文章と照らし合わせることで整理されやすくなる感じ。

まとめると、音からのレベルでも、文字からのレベルでも
シンプルな内容のものに数多く触れた、ということです。

しかも音と文字とを対応させながら。

このことが、僕の英語習得の土台として
後々に大きなメリットとなってくれたんだと今にして思えます。


実際には、その後、高校と大学で
膨大な量の英文のリーディングをすることになります。

とにかく長文だけを読解するのが高校の英語の授業の9割で、
それをベースにして大学では有機化学とか化学工学とか
一部の専門授業の教科書を英語でやらされることになりました。

研究室に配属される頃には英語で書かれた学術論文を読む必要が出てくる。

この頃にはもう英語の音に触れる機会は滅多にありませんでした。
それでもおそらく、英語の文章を読むときに
自分の頭の中で読み上げる英文が、それなりの発音だったんでしょう。
極端なカタカナ英語ではなかった。

なので音と文字の結びつきを維持したまま
インプット量を増やせていたんだろうと思われます。

きっとそのおかげで、僕が会社に入ってすぐの新入社員研修中に
全員で受けさせられた初めてのTOEICのテストでも、
特別な勉強をすることなくそれなりのスコアが取れたんだと思われます。

当然、まったく話すことはできない段階でしたし、
聴き取りのトレーニングもロクにしたことがありませんでしたが
適当に答えた選択肢が当たっていたのか740点ぐらいになりました。

TOEICのリーディングセクションは確か
文法問題的なものと、長文読解みたいなものが多かったはずで、こちらは
中学時代の地道な練習問題で身につけた文法の正確さと
高校・大学とひたすら英語の長文を読まされ続けたことでの慣れとで
それなりに点数が取れたんだろうとは思われます。

リスニングセクションに関しては、TOEIC対策の勉強もしていませんし
音声教材を聞くようなトレーニングもしてきていません。
ネイティブの英語を聞く機会もほとんどありませんでした。

大学一年のとき、英語ネイティブの先生が1コマ担当していた気はしますが…
せいぜいそのぐらい。

なので、英語を聞くことには慣れていなかったはずです。
少なくとも、文法や読解をトレーニングした量と比べると
圧倒的な差があったのは確実。

それでもなぜか音が取れていたんです。
単語が捉えられたり、フレーズ単位で捉えられたり。
捉えたフレーズを日本語に翻訳することなく意味を把握したり。

そのあたりのことが自然と起きていたのは、もしかすると
中学に入る前から英語の音へ触れ続けていたことや
中学の時に家庭教師の先生からフォニックスを教わったことで
英語の音への感度がそこそこ身についていたからかもしれません。

そして比較的正確な音の認識を保ったまま
文字情報からのインプットを大量におこなって、
そのときに自分の頭の中で、文章と音と意味の結びつけを作った。

それなりに正確な英語音声と文字情報とをセットにできたのかもしれない。
このベースとなったのも、幼少期からの英語音声のインプットだったのかも。

そんな風に考えていくと、語学の初期には
・とにかく音に触れる量を増やして、言語特有の音への感度を上げる
・簡単な文章に繰り返し触れて、単語の形や並べ方に慣れる
というのが役に立つように思えてきます。

正確なことが理解できていないとしても、
高度なことができないとしても、
実際のコミュニケーションには程遠いとしても、
とにかく耳と目からのインプットを増やして慣れる。

その過程で、発音のルールだとか文法的なルールだとかを
なんとなくのパターンとして経験的に掴んでいくようにする、と。

それから文法のルールを勉強して法則を知的に整理するような流れが
スムーズなんじゃないかと思われます。

で、ある程度のルールが定着して
すぐにそのルールが使いこなせるようになったあたりから、
内容のある文章(長文読解とかリスニング教材とか)をインプットして
考えることなく意味を捉えられるようにトレーニングしていく。

この過程で、ボキャブラリーも増やすことになる形でしょう。

僕の場合、この「内容のある文章のインプット」を読解でやりましたが
ここは逆に耳からやっても良いのかもしれません。

読むか聞くか、重視する側面を中心にやれば
相互作用的に、もう一方にも効果が出ると思われます。


少なくとも、音に触れる量をとらずに、いきなり文章から入っていくと
聴き取りを心がけ始めるタイミングで苦労する可能性がありそうです。

また、文法のルールばかりを一気にやって
実際に触れる文章の数が少ない場合にも、
パターンを掴むだけの経験量がないので
運用可能な文法ルールとして定着しにくいことも考えられます。

文法を勉強するときは、難しい単語などが含まれない簡単な文章で
練習問題を通じて、とにかくパターン学習だけの数をこなす。
そういう必要性を強く感じます。

まして動詞の活用表みたいのを暗記しても
それを運用するのは文章の中になりますから、
表やらルールやらだけを教える語学の授業は
習得までを考えると効果的かどうかは定かではないでしょう。

大人になるとルールだけでも理解できる能力はついてきますが、
理解できることと使えることは違います。

使うことを前提とするのであれば定着を図るトレーニングが欠かせません。

そのためには勉強の初期ほど、とにかくインプット量を増やす。
分からなくてもいいから触れるのも1つ。
もう1つは確実に分かる簡単な内容で数をこなす。

その意味で、初期ほどゆっくり進める必要がある気がします。

新しい言語を学ぶときには、最初の段階をゆっくりやるほうが
着実な成果を期待できるような印象を持っています。

逆に英語のように、既に勉強したことのある言語を
これから本格的に身につけていこうと考えるとしたら、
これまでに身についているものの内容によって
集中的にトレーニングする部分も異なってくるはずです。

こういった「言語習得に必要な要件」みたいなものを
ブラッシュアップできたら面白そうに感じています。

cozyharada at 23:00|Permalinkclip!
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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
育むコミュニケーション


【日時】 
  2018年12月23日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回は1月〜2月の予定


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《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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