NLP

2017年05月03日

連休の人ごみ

世間はゴールデンウィークなんだというのは
町中に出ていくと実感されます。

人が多い。

とはいえ、人の多さは通勤ラッシュ時も同じです。

同じ数の人がいても賑やかさが異なります。
話す人の数が多い。

立ち止まって話をする人もいますし、
歩いている人も動きがランダムです。

朝や夕方の通勤時は皆、駅に向かって
あるいは駅から離れる方向に、最短距離で進もうとする感じです。
一方、休日モードになると、あちこちに動きの方向が変わります。

歩くスピードも遅いようです。

イライラした様子や、ピリピリした雰囲気の人は減るみたいで
全体にゆったりと気軽な印象を受けます。

まぁ、だからといって休日の賑やかな雰囲気のほうが
その場にいて過ごしやすいという話ではありません。

平日のように、一人ひとりが自分の殻に閉じこもって
ピリピリした気配を出しながらも他者とは関わらないのか。

それとも休日のように、それぞれの集団が好き勝手に
自分の楽しさや目的を優先して、他者は気にかけないのか。

バラバラな気持ちが1つの空間に集まっているという意味では
どちらもホッとできる場ではなさそうです。

連休に私服で出歩いているということは
平日は仕事や学校に通っている人が多いのでしょう。

休日には普段の我慢を発散させているかのようにも見えます。

反動が大きく、両極に振れている感じなんでしょうか。

僕の生活スタイルとは違った人生の景色が展開しているようで
なかなか興味深い時期だと感じています。

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2017年05月01日

コンディショニングのために

重い腰を上げて、ついにジムに通い始めました。

ウェイトのコーナーもありますが、
マシンをメインとした24時間営業のジム。

体を鍛えようという発想は特にあるわけではなく、
ただ体のコンディションを整えるのが目的です。


そのジムに来ている多くの人は、
・大人になってからランニングを始めた感じの人(若め)
・健康のために義務感として運動をしている人(年齢層高め)
・ボディビル系の見せる筋肉を作ろうとしている人(若め)
に分けられそうです。

いずれにしても体の内側に意識が向いている度合いが低く、
知識としての運動の必要性という外的要因や
自分がどのようにみられるかという外側からの評価
に意識が集まっているようでした。

言い換えると、体の中を感じていないように見えるんです。
回数とか時間とか、課題をこなすのが目的の感じ。

まれに
 子供のころから運動が好きで、体を動かすのが楽しい
という様子の人もいます。

この人は体の内側を感じている度合いが高いので
見るからに本格的な様子で、異彩を放ちます。

が、本当に運動の好きな人は24時間営業のジムよりも
もっと好きな運動を楽しみやすいところに行くのかもしれません。
だから稀にしか見かけないんでしょう。


僕の目的は体の内面、自分のコンディションのほうにありますから
これもまたチョット例外的な用途のようです。

血行や可動域として体の軽さを求めて
体を動かしてみました。

動かした部分から軽くなっていくのは心地いいですね。
すっきりします。

特に背中側を動かすと自然と姿勢も良くなりますし
普段意識が向かないところに意識が拡がるので、これも快適です。

そしてメインは有酸素運動です。
走るのは好きじゃないのでエアロバイク。

実際の自転車のほうが全身運動のような気はしますが
まぁ、全身に血液を循環させ、酸素を取り込むという目的では
十分に効果が感じられます。

終わった後も体の中にエネルギー残っているような印象を受けます。

スポーツ選手がウォームアップをする理由が分かるような気がします。
以前は、「無駄に疲れてどうするんだ?」と思っていましたが。

エアロバイクが単調な動作の繰り返しなせいもあるのか、
終わってからも体感覚として、
胴体の中をグルグルと回っている感覚が残っていました。

こういうのを早くから知っていたら、
もっとスポーツを楽しんでやれていたかもしれません。


どれぐらいの頻度で行くことになるのかは定かではないですが
少なくともセミナーの後、ガチガチに固まった身体をほぐすには
多少頑張ってでもジムに立ち寄ったほうが良さそうな気はしています。

セミナーは意外と肉体労働だと実感する今日この頃、
プロスポーツ選手のように体を整える必要もあるのかもしれません。

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2017年04月27日

物の価値を判断するところ

パソコンを新しくしました。
メインのやつをです。

おそらくメモリが足りなくて
常にCPUが100%で動いていたため、
冷却が追い付かなくなっていました。

さすがにVISTAを使い続けるのも安全ではないでしょうから
まあ、ちょうどいいタイミングだったのではないかと思います。

持ち運びを想定はしていなかったので
キーボードとコストパフォーマンスを重視して、
初めて受注生産のやつを選んでみました。

先の問題点を踏まえてメモリを多めにしてみたおかげか、
パフォーマンスはいい感じです。

滞りもなく、ファンも動かないぐらい余裕があるようです。
これまではWebページを複数開くと広告の自動更新で
かなりの負担になっていた様子でしたが、今はそんなこともありません。

これぐらいスムーズだと写真加工のアプリケーションとかを入れて
書道作品の写真ぐらいはチョット調整してみたくもなります。

キー入力もさほど違和感ないですし、
あとは初期不良とか想定外のトラブルが起こらないことを期待しています。


しかしながら、きっとこういう日用的なものは
すぐに新鮮さを失って、当たり前に感じられてくるんでしょう。

今のところは比較としてスムーズさを感じているパフォーマンスも
これに慣れてきたころには「普通」の基準に移ってしまって、
むしろ別のPCを「遅い」と感じるようになるかもしれません。

性能や能力というのは、そんな風に
比較で認識されやすいもののようです。

一方、そうしたツールや装置を使って「体験する」内容のほうは
その都度、その内容そのものを味わえます。

例えば、このパソコンで検索してでてきた情報をインプットするとき、
「新しいものを知る楽しさ」や「好奇心が満たされる驚き」などを
毎回違った形で感じることができます。

インプットするものが変われば、毎回別の体験になるわけです。

僕の部屋にはシンプルなブルーレイディスクプレイヤーがありますが
これも何の映画やドラマを見るかによって、毎度の楽しみが得られます。

一方、そのブルーレイプレイヤーの性能に関しては
それほど気になりもしません。

確かに安価な分、作りは安っぽいですし、
センサーの範囲が狭く、リモコンの反応もよくありません。

ディスクを入れてから再生されるまでの時間も早くはない気もします。

しかし目的とする内容、つまり映画やドラマを見られる限り
僕の求めるものは得られているんだと思われます。

仮にもっと高性能であったとしても、
特別気にしないような気がします。

パソコンの性能気になっていたのは、僕にとっては
あくまで不具合が出ていたからに過ぎません。

突然パソコンの電源が落ちてしまったりすると
書いていたものが消えてしまいますし、
メモリ不足で反応が悪くなると
頭に浮かんだものを書き出す段階で待たないといけなくなります。

余計なものが挟まってくるわけです。

ここでは「パソコンで書く」という体験に、ある種の喜びが含まれます。
頭が整理されていく感じや、必要な資料や文書ができ上っていく感じ。

その喜びが損なわれるのが嫌だから
妨げられない程度の性能が必要になった、といえます。

つまり僕にとって性能の高さのほうでは、どれだけ高くても
いつか慣れてしまって分からなくなる(満足感がない)のに対し、
性能の低さのほうは不具合が起きたときに不満を感じる形で意識される
という話です。

基準を下回ると不満だけれど、
基準に達したら、それ以上高くても満足感には影響を与えない。
僕は性能に対して、そういうタイプの価値判断をしているようです。
(結構な人がそうではないかと思いますが)


一方、書くことに伴った喜びは、書く内容が毎回異なっている以上
当然、毎回別物として体験されますから、
慣れてしまって薄まっていくものではありません。

その都度、別の体験として新鮮さを伴いながら
「その瞬間に体験している」喜びに意識を向けるタイプの満足感なんです。

DVDで映画を見るのも、インターネットで新しい情報を得るのも、
本で勉強するのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも…、
多くの「内容」レベルの満足感がこちらのタイプでしょう。

その内容を妨げないようにするのが「性能」になりやすい気がします。

書籍であれば重さとか字の見やすさとかでしょうか。
電子書籍に求められる性能も、まさに
本を読む体験を妨げないものが中心じゃないかと思います。

料理の場合は、包丁の切れ味とかコンロの火力とかでしょうか。
ものすごく高性能だと、硬いものを切ってみたくなったり
素早くチャーハンを作ってみたくなったりするかもしれませんが、
実際にその性能が求められる機会は少ないものでしょう。

ちょうど高性能のパソコンを買ったけど、
そこまで負荷のかかる動画編集みたいな作業はしないようなものです。


そして「性能によって可能になる体験内容」とは別のところで
付加的な体験によっても満足を感じることがあります。

主に「美」と関連した体験です。

美しいとか、カッコイイとか、カワイイとか。
見た目でも音でも体験されるものですが、
これらもコダワリのある部分については毎瞬のように意識されます。

例えばパソコンでいえばデザインとか、素材とか、色とか
キーボードのバックライトとか、細かい作りの丁寧さとか。

包丁でも、形とか金属の光沢とか、仕上げの繊細さとかは
「美」と関連した体験で満足感を追加してくれます。

洋服とか鞄とか、身に着けるものの多くは
性能よりも美のほうが重視されているかもしれません。

車の場合、加速感とか、エンジン音とか、ボディのデザインとか。
逆にトランクの広さは「基準に満たないと不満な性能」のほうでしょう。

車のエンジン性能は、加速感に対して美的な印象を受けなければ
「坂道で遅いと困る」ような最低基準のある性能として認識されそうです。

性能として認識された場合、最低基準にさえ達していればいいので
そんなに高いものを求めることはなくなりがちです。

が、美的な観点から認識された場合、上に限度はありません。
そうすると、いわゆる『高級品』の方向性になると思われます。

よく言われる「付加価値」というのは、美と関連したことが多く
五感レベルで毎瞬の「体験」として味わえるものと考えられます。

比較でしか認識できない「性能」は慣れてしまって
基準を下回った時に不満として自覚されるだけですが、
美に近い体験として認識されるほうは
その感じに注意を向けるたびに毎回、満足感をもたらしてくれる。

道具や機械を、求める体験内容を得るための手段としてしか捉えないと
必要最低限の性能だけを気にしておけばよくなるんでしょう。
この種の性能はすぐに慣れてしまって満足感が薄れやすいですから。

一方、同じ道具や機械でも、そこに美に近い付加的な体験を求めれば
長い間、その美を保っている限り、繰り返し満足感が得られます。
(当然、それだけ値段も上がっていくわけですが)

僕はあまり、この「美」の側面を重視してきませんでしたが
そちらの満足感を意識したら、物へのコダワリも上がる気がします。

良いものを大切に手入れしながら長く使う…なんていう発想も
少しは理解できそうです。

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2017年04月21日

選ぶ作業

いざ身体のために運動を、と考え始めると
施設選びにも迷ってしまうものですね。

当初は最寄りで24時間営業のところが良いかと思っていましたが
他も調べてみると、プールがあるのが魅力的に見えてきます。

全身運動という観点で水泳は良さそうな気がするんです。

水に入っているだけでリラックスできるところもありそうですし。


一方、プールを利用するのは少しだけハードルが高い。
子供の頃の記憶から、所要時間が長くなる印象があるんです。

しかも「せっかく来たから、ついでに他の運動も」なんて考えたら
全体としての時間は、まとめてそれなりのものになるんじゃないか、と。

休日にタップリと時間を取って、運動のための日を作る…
そんな必要性を感じてしまいます。

それはそれで有意義な休日の過ごし方としてイメージできます。

デメリットは頻度が落ちるところでしょう。
まとめてしっかり、と思うと気軽に立ち寄る感じにはならなそうです。


その点、マシントレーニングぐらいを24時間営業のところでと想定すると、
立ち寄るのも気軽になりますし、時間も気にせずに
かつ夜遅くにでも行けそうなのは助かります。

僕の趣旨は、身体のメンテナンス目的にありますから
セミナーの後に有酸素運動をしてリフレッシュしたい気もするんです。

するとやはり24時間営業は嬉しい。
土日に夜遅くまでやっているのもありがたいです。

一回当たりの時間を短くして高頻度にしたい気持ちも加味すると
やはりプールがあっても営業時間が限られているのは残念。

こうして考えてみると、どうも24時間営業のほうに軍配が上がりそうです。


ちなみに、これを書く前の段階では迷っていましたが、
書いているうちに気持ちが整理されて結論に近づけた気がします。

書きながら考えを整理するのも1つの効果的な方法のようです。

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2017年04月15日

花粉症が改善した理由

花粉のシーズンもピークを過ぎてきたのでしょうか、
マスク姿の人を見かける頻度が減っている気がします。

他にも、インフルエンザのピークが過ぎたり
気候が暖かくなってきたことでマスクをつけるのが暑かったり、
いろいろな要因があるかもしれませんが。

とはいえ、僕自身の実感としては
4月を過ぎると花粉症の症状は減ってくるようです。

実態として症状が強めに感じられるのは3月ぐらいかもしれません。


しかしながら、僕の花粉症のレベルは随分と下がっています。
年々下がっているかは定かではありませんが、
10年前とは比べ物になりません。

病院に行けば「酷いレベル」と言われるほどでしたし、
医者の処方薬をいろいろと試し、時には市販薬も併用したり、
目薬も欠かせない感じでシーズンを乗り切っていたものです。

1月末ぐらいから準備を始め、6月はじめぐらいまで
なんとなく症状を引きずるような感じでした。

ヒノキのアレルギーもあったらしく、梅雨入り前までは
かゆみと鼻水・鼻づまりに苦しんでいました。

そういえば、山口に住んでいたころは楽だった記憶があります。
西のほうは杉が少ないらしいので、その影響でしょう。

ゴールデンウィークに東京に戻るとき、
飛行機に乗った瞬間から花粉症の症状が出始め
東京から運ばれてきた花粉を強く実感したのを覚えています。

寝て起きれば目ヤニで瞼がくっついてしまっているとか、
鼻の奥や喉の奥が痒くて困っていたとか、
鼻をかんでも鼻水が出てこないぐらいに鼻が詰まっているとか、
そういうのが当たり前だったんです。

それが今は、ほとんど気にならないレベルです。


最近は毎年、2月の中頃から薬を飲み始め、
5月に入るぐらいまでは一応、薬を飲むようにはしていますが、
どうしても服用が必要なわけでもありません。

飲み忘れても大して困ることはなく、
鼻をかむ頻度が増えるのと、軽く鼻が詰まった感じがするのと
気にすると目が痒いような気分があるぐらいなもの。

薬を飲むとそれがピタッと止まります。
鼻の通りが快適になって呼吸がしやすいので
少しでも呼吸をスムーズにする目的で薬を飲む感じです。

実際には1日2回の薬を、1日1回で大丈夫なぐらい。
ピークの時期だけ念のため1日2回にしてはいますが。

薬を飲んでも鼻をズルズルさせていた頃と比べると
もうすっかり良くなっている印象です。

最近は薬を飲まなくても、ホコリで鼻がムズムズするのと同程度で、
もしかすると花粉よりもハウスダストのほうが
身体は嫌がっているようにさえ感じられます。


ただ、何をして改善したかというと、定かではないんです。

NLPや催眠をやり始めてからも症状は残っていました。
症状をコントロールできることを知って程度は減っていたものの、
それでもある程度は残っていた記憶があります。

1つ大きそうなのは、意識の範囲が広がったことでしょうか。

以前、僕の意識は常に、目と鼻のあたりにありました。
目は一生懸命に見ようとするため(視覚情報を重視するため)、
鼻は厳密にいうと口から鼻の奥にかけてなので
味覚・嗅覚を重視するためだったと思われます。

僕にとって意識の中心は常に、頭の中…
目から鼻にかけての範囲で、顔の奥に入ったあたりにありました。

常にその場所から全身を見ているような感じ。
まるで目と鼻の奥のところにコクピットがあって
そこから巨大ロボを運転しているようなイメージです。

それが身体の使い方が上達してきたあたりから
意識の及ぶ範囲が広がっていったんです。

身体のケアをするようになって、
身体への意識が敏感になったのも関係していると思います。

それ以上に、意識の範囲を拡大できるようになったのが効いていそうです。

目に意識を集中すれば、目のあたりの感覚刺激が強く自覚されます。
結果、そこの痒みや不快感が強く意識され、さらに意識が集まるようになる。

意識が集まると血流も集まりやすくなって、余計に感覚刺激が強まる。
痒みを意識するほど、どんどん痒くなっていくという悪循環です。

だいたい花粉症の症状が強く表れる部位は、
その人が意識を集めているところになっているものです。

視覚をよく使う人は目を痒がる。
皮膚感覚の強い人は、花粉のアレルギーも肌の痒みになるようです。

その意味では、僕は意識の範囲を拡大できたことによって
目や鼻の反応だけに集中してしまう悪循環から抜けられたのかもしれません。

即効性のある手法で花粉症が治ったというわけではなさそうですが、
時間をかけて取り組んできたことが、思わぬ好影響を及ぼしたみたいです。

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2017年04月09日

身体の具合が

1か月前ぐらいに、近所に新しいスポーツジムができました。

それまでの最寄りは徒歩20分ぐらいだったのが、
新しいほうは徒歩10分ぐらいのところ。
しかも24時間営業です。

健康のために通ってみようかなぁ、などと考えているところです。


なんて考えていたら、先日、出張先で軽く転びました。

キャリーバッグと手持ちのビジネスバッグとを両手それぞれに持ち、
地下道に降りていこうと階段を歩いているときです。

左足の爪先が上がり切らず、着地を失敗してしまったんです。

数段分だけ滑り落ちた感じなだけで、どこも痛めませんでしたし
持ち物や衣類にも影響はありませんでしたが、
自覚しているよりも足が動いていなかったのは困りものです。

下半身のトレーニングの必要性を実感しました。

過去の経験から走るのは好きじゃないので、
エアロバイクぐらいはやりたいなぁという想いで
近々見学に足を運んでみるつもりです。


そんな折、ちょうど受講生から「初動負荷トレーニング」の話が出てきて
少し気になったので調べてみました。

都内でも何箇所かあって、行けそうな場所にあるようです。

筋力を鍛えたいわけではないので、もしかすると
こっちのほうが向いているのかも…などと気になっています。

色々な兼ね合いがありそうですが、
いずれにしても何か始めようと考え中です。

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2017年04月06日

翻訳作業の難しさ

今までに何度か翻訳のお手伝いをしたことがありますが、
いずれも「英語→日本語」の訳ばかりでした。

最近、「日本語→英語」の翻訳も少しやっています。

随分と印象が違います。

決して『英作文』をやっている感じではないものの
スムーズさには大きな差があるようです。

文法も気にしなければいけませんし、
単語や言い回しが不自然にならないように、といった配慮もあります。

元の意味にできるだけ近い表現を選択しようとしたときにも
ふさわしいものを見つけるのに時間がかかります。

何より、元の日本語を読みながら、
僕自ら英語の文章を作り上げている印象があります。


一方、「英語→日本語」の場合、僕の頭の中は
受動的なモードになっています。

入ってくる英語に対応する意味が日本語で浮かんできて、
それを聞きながら書き起こすような状態です。

英語のまま捉えている意味を意識の片隅に置きつつ、
同時に直訳もしている感じ。

そして両方を組み合わせて、元のニュアンスを踏まえた
ある程度は自然な日本語に変換する作業をしているようです。

やろうと思えば直訳から意訳まで、
程度を調整できそうな印象があるんです。

だから能動的に「書く」印象はなく、
インプットされたものを流していくような体験となります。

まぁ、日本語で文章を書くとき自体も、
自分でアウトプットするというよりは、どちらかというと
浮かんでくるものを頭の中で聞いて書き取っている感じで、
『書く』というよりは『読む』に近い作業ではありますが。


それに対して「日本語→英語」の翻訳は、はるかに能動的です。
自分でライティングをしているような気分さえあります。

元の日本語のニュアンスを理解して、
それをもとに自分の中で一端、伝えるべき内容を整え
それからその頭の中の内容を英語で表現しようとする。

自分の考えを英語でアウトプットするときと似ています。

選択肢が少ないんです。

直訳も無理ではありませんが、関係代名詞などを使った修飾の仕方や
接続詞の使い方のルールなどで制約がかかるところがあって、
なかなかストレートな訳にはできません。

何よりボキャブラリーや表現方法の幅が少ないため
同じようなニュアンスを表すためのバリエーションが出ないんです。

そのため英語訳の幅が限られてしまう。

「英語→日本語」でやるような直訳〜意訳の間で
程度を調整できる範囲が狭いんだと思います。

自分の頭の中で一回理解して、自分なりにアウトプットしなおす
というステップが挟まってしまうようなんです。

この自分なりにアウトプットする感じが能動的な印象となって、
スムーズではないと感じる要因になっているんでしょう。


単純に母国語と外国語の言語能力の差だともいえますが、
日本語と英語のルールの違いにも影響を受けていそうな気もします。

英語のほうが文章構造に対して厳格なのかもしれません。
日本語は助詞を工夫すれば語順は問題ありませんし、
論理展開についても曖昧で通用してしまいます。

そのあたりも加味しながら進めるから
スムーズにならないんでしょうか。

「英語→日本語」はむしろクドくなりがちで、
そこさえ気にしなければ直訳に近い文章はすぐに作れます。

逆に「日本語→英語」は、元の日本語の曖昧さや論理の不足分を
なんとか補おうとしてしまうのかもしれません。

英語を直訳した日本語はヘンテコだけれども
それなりに意味をとらえることはできる。
日本語を直訳した英語は意味が分からなくなる場合がある。

このあたりの性質の違いも関係している気もします。


いずれにしても、僕自身の慣れが足りないところは大きそうですから
経験を積んだ後に、どんな印象が生まれてくるのかは興味があります。

アメリカやイギリス出身で「日本語→英語」の翻訳をしている人がいたら
このあたりのことを聞いてみたいとも思っています。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!

2017年03月30日

外国語で話話すために

10週間のプレゼンテーションのコースが全日程終了しました。
(僕は途中参加なので9回分ですが)

学んだ技術はそれほどでもないかもしれませんし、
全く知らないものもありませんでした。

確かにこういう風に話すときもあるし、
「実際、こうやって話しているアメリカ人プレゼンターもいるな」
と感じるようなものばかり。

それほど斬新な印象や、驚きのある学びはなかったんです。

プレゼンテーションに重きを置くというよりは、
英語のスピーキングの講座といった印象のほうが近いかもしれません。

英会話であれば質問に対して答えておけば進みますし、
ディスカッションぐらいで自分の意見を言うときも
それほど構成を考える必要もなく議論に参加することはできてしまいます。

その点、人前で与えられた時間を話しきる、となると
ある程度の構成とか、プレゼンテーションらしさみたいなものが期待される。

講座のメインは、プレゼンテーションらしい英語の使い方
といったところだったような気がします。

日本語でプレゼンテーションをする場合にも
多くのプレゼンを見たことがあれば、
「プレゼンってこんな感じでやるものだ」
という印象がありますから、
それに基づいた話し方を組み立てることができるわけです。

一方、英語でのプレゼンに慣れていない場合、
そういう印象そのものがありません。
だから組み立てようがなくて、どうしていいか分からない。

そういう英語学習者のために設定されている講座内容ではないか、と。

実際に参加者の中には、すごく人前で話すのが上手くなったわけではなくても
プレゼンテーションらしい原稿を準備できるようになった人がいました。

なので「プレゼンテーションらしい英語のフレーズが使えるようになる」
というあたりが講座の主な効果だったのでしょう。。


で、僕はそれなりに英語のプレゼンを見るのが好きなので
なんとなくの印象として、プレゼンらしさみたいな典型的なイメージを持っています。

それを元にプレゼンを組み立てようと思えばできそうな気がする。

ですから講座で習った内容やテキストで扱った部分も
自分なりに取りこめそうなものには感じられたんです。

しかし、こういう言葉の技術というのは、
「知っている」、「自分でもたまに使っている」と思える段階と、
「日頃から意図的に使い分けている」段階とでは、
かなりの差があるものです。

習ったときに、その内容と合った実体験が記憶の中から沢山見つかる…
それだけだと「あぁ、ときどきやっているなぁ」という印象になります。

この段階は、自分の経験の中から共通点を探し出して
教わった内容に当てはまるパターンを見つけたところなんです。

例えば、短い単語で3つ並べる、なんていう話し方のテクニックがあったとして、
「あー、あー、聞いたことある。自分でもやったことがある。あれね。」
というのは、指摘されたから見つけられたパターンだといえます。

こういう形があるんだ、とパターンを知ったときに
そのパターンに当てはまる経験が見つかってくる。

パターン認識のための型が、頭の中に作られた段階です。

今までは経験があっても型としてパターン認識はされていなかった。
そこに型がインプットされたことで、当てはまる経験を認識できるようになった。

こういう方法は、全く知らないものを新しく知るときの学習とは違います。
記憶にはあっても認識されていなかったものを
パターンとして認識できるようになるタイプの学習なんです。

例えば、日本語の方言を認識できるようになるのは、このケースです。

今まで聞いたこともあったけれど、特に気にせずに聞き流していた。
あるとき、これは名古屋弁の特徴だと知ったり、
大阪弁だとこうで、京都弁だとこう…みたいな特徴を教わったりする。

するとそれ以降は、その特徴的なフレーズが耳に入った瞬間に
「あ、名古屋弁だ」とか、「あぁ、この人の関西弁は大阪のか」などと
すぐに認識できるようになります。

特徴のパターンを知ったから、
実体験の中からのパターン認識がスムーズになるんです。

僕がプレゼンの講座中に習ったフレーズや言い回しの形は
たしかに知っていたし、使ったこともありそうなものばかりでした。
それほどスゴイ知識やテクニックではない。

けれど型として知ることで、それ以降は意図的に使いやすくなる。
「ここであのパターンを使ってみようかな」という発想が出てくる。
意識しながら使える選択肢が増えるわけです。

その部分の学びは色々とあったと感じています。


まぁ、一番の目的だった場数をこなすことに関しては
期待したほどの数にはならなかったような気はしますが。

やはり発話のスムーズさという観点からすると、僕のレベルの英語力では、
ある程度を事前に想定しておいて、その場で話を組み立て直す
というのは、いささか難度が高い感じがしました。

考えておいたことが抜けてしまいやすいんです。

それは多分、単純に発話した量が少ないから。

原稿を用意して原稿を読む、という必要はないにせよ、
原稿を用意するか、大体の流れを決めて、一度練習してみる
というのは重要そうです。

それだけで一回は発話したことのある内容になりますから
フレーズとして出てきやすくもなるでしょう。

日本語でのプレゼンテーションなら、普段から日本語を沢山使っていますから
発話慣れしていないために言葉が出てこない、ということは少ない。

けれど母国語でない言語でプレゼンテーションをするとなると
10分間の話をするとなったら、少なくともそれ以上の時間の練習がないと
土台となる発話経験が足りない気がしました。

おおよその流れを決めるだけでなく、流れに沿って練習をしておく。
それによってスムーズさが上がるんだろうと思われます。

独り言でもいいので、英語で話を組み立ててから話し続ける
というトレーニング量が必要だと実感しました。

その意味では、講座に出た甲斐はあったと思います。

cozyharada at 23:04|Permalinkclip!

2017年03月27日

「忙しい」の中身

なんでしょうか、忙しい時期ほど色々と立て込んでくる感じがします。

落ち着きがないわけではないんですが、
頭の中で複数のことが同時進行していて
ボーっとする時間が少ない状態。

1つの作業が始まれば、それについては集中して取り組みますし、
やっている途中で他のことを考えることもありません。

しかし一人に戻ったときに、多くのことが意識にあがってきます。

頭の中のスピードだけが速いような印象です。
「気ぜわしい」というのは、こんな感じなんでしょうか。

こういう状態だと、大したことのない作業でも
新しいことを追加するのに乗り気でなくなるようです。

ただの振り込み一件でさえ、どうも動こうとしない。
やってしまえば数分で済むような単純作業であるにもかかわらず。


どうやら内面を探ってみると、むしろ簡単過ぎるからこそ
ギリギリまで優先順位が下げられているような気がします。

おそらく一般的な発想では、何かを『やる』という意味において、
「行動に起こす」、「作業を始める」というアクションの部分と、
「考える」、「何かを気にしている」、「どうしようかな、という気分になる」
などの頭の中で進行する作業の部分とでは、違った捉え方をすると思います。

「『やる』というのは行動に起こすこと」という発想が多そうです。
つまり意図的に体を動かして作業に取り組んでみて、
体の外で何かの変化が起こることを『やる』というのではないか、と。

もしかすると『考える』についても
積極的に集中して1つのことについて考えを巡らせ
1つの結論を出すとか、何かのアイデアをまとめるとか、
そうしたアウトプットの段階を含まないと
「〜について考える」という作業として認識されない場合もあるかもしれません。

なんとなく意識の片隅で気になっていたり、
ああでもない、こうでもないと思ったりしている段階では
「考える」という作業に取り組んでいないと捉えているのではないか、と。

確かに「意図的に何かをする」ということが「自分」の作業だと考えると
『行動に起こす』、『集中して考える』、『そのことが気になっている』の間には
大きな違いがあるように見えるでしょう。

しかしNLPの発想では、いずれもプログラムは進行しているわけです。
そのことは起きている。

『気になる』と『集中して考える』は、
 そのテーマとは関係のない作業をしている間に
 そのテーマに関したプログラムのいくつかが時々動く(=気になる)
のか、
 決まった時間に、そのテーマに関したプログラムが同時に動き
 無関係なプログラムの進行が抑えられる(=集中して考える)
のか、
という違いだといえます。

『行動に起こす』のと『気になっている』のとの差も、さほど大きくありません。

ある作業について『気になっている』状態は
その作業に取り組もうとするプログラムが動いた瞬間です。

それに引き続き、その取り組む内容に沿って体を動かすプログラムが動けば
実際に『行動を起こす』ことになります。

取り組もうとする(作業内容が決められる)
→体を動かす(決めた作業内容通りに体を動かす)
という二段階なんです。

その作業内容が決まって、取り組もうという気になるところまでは同じです。
もう1ステップのプログラムが作動するかどうかの違い。

頭の中では別の作業についても「取り組もうとする」プログラムは動いていますから、
 最終的には「体を動かす」プログラムが、
 どの作業についての「取り組もうとする」プログラムに連動するか
によって、実際に何の行動を起こすかが決まります。

気になっているけれど、やらない…という状態は、実態として
 いくつもの作業について「取り組もうとする」プログラムが動いたとき、
 別の作業のほうに「体を動かす」プログラムが作動した
ということに過ぎないんです。

プログラムとしては色々なことが起きているし、
それによって多くのことも進行しています。

集中して『考える』時間を取っていないときにも、
パソコンのウイルス対策ソフトが背後で動いているのと同様に
考える作業のプログラムそのものは働いているわけです。

気になっているけれどやらない、というときも
何をやるかまでの作業内容までは頭の中で進んでいます。

頭の中の作業はプログラムとして同時進行できますが、
体は1つしかありませんから、行動として体を動かすときは
1つの作業だけになってしまいます。

そこで何を『やる』かという、行動レベルとしての優先順位が表れてくる。


たぶん、僕の「忙しい」は、「寝る時間がない」という意味ではなく、
沢山のテーマについてプログラムが同時進行していることで
多くのことが「気になっている」の状態で停滞しているからでしょう。

パソコンでいうなら、CPUやハードディスク上のデータなど
1つの作業を進めるのに必要なものは揃っているのに、
沢山の作業が同時進行してしまう結果、メモリが足らなくなる感じでしょうか。
体がメモリに相当するようなイメージです。

思えば研究職の頃は、確かに睡眠時間は少なかったですが
やるべき作業は決まっていたので、同時進行するプログラムは少なく、
メモリ不足的な意味での気ぜわしい「忙しさ」はなかった気がします。

1つ1つの作業は単純でも、種類が多くなってしまうのが
僕の気分を落ち着きのないものにしているようです。

cozyharada at 23:18|Permalinkclip!

2017年03月20日

甘く見ていました

札幌のホテルでまんまと風邪を引きました。


文化的なものかと思いますが、札幌のホテルは全館空調が強く
低い温度で部屋の個別エアコンを入れても、かなり暖かくなります。

というよりも僕には暑い。

無理やり部屋の空気の温度を上げますから
自動的に湿度は大きく下がります。

この暑くて湿度のない状態が苦しくて、宿泊するホテルによっては
僕は部屋のエアコンを寒くてもつけないでいることがあります。

先日泊まったホテルはまさにそのタイプ。
非常に全館空調が強い。

ということで部屋のエアコンは切ったままで眠りにつきました。


そうしたら寝相が悪かったのか、目が覚めたときには
掛け布団をかけていない状態になっていました。
あるいは暑くて、寝たまま取ってしまったのかもしれません。

だいたいホテルの掛け布団は薄いので
ちょっとしたことで剥がれてしまいやすい気もします。
かといってピッチリと覆われた掛け布団に締めつけられて寝るのも苦しい。

その日は掛け布団を緩め過ぎてしまっていたようにも思えます。

いずれにせよ、途中で目が覚めた段階では掛け布団なし。
目が覚めたのは寒くてだったのでしょうか。
夜の北海道の冷え込みは全館空調を上回ったみたいでした。

最初に気づいたのは右側の喉の腫れです。
扁桃腺が腫れているときの感じでした。

これはやってしまった、というところ。


そこからウガイをしたり、シャワーで湿度を上げたり
多少は暖かくしながら残りの睡眠時間を取ったり、
アレルギー対策として持ち歩いていた小青龍湯を飲んだり、
いろいろとケアをしてみました。

何が良かったのか分かりませんが、多少は改善されて
とりあえずその日のセミナーは無事に終われました。

それでもやはり帰りの飛行機の乾燥など、
その後の環境も悪く、風邪が残ってしまっているようです。

スケジュール的な詰め込みに、書道の作品制作など
体力的にも無理がかかっていたのでしょう。

そこで布団をかけずに眠ってしまった事態が重なった。

原因は1つではないと思われますが、
ホテルの環境も、気候の寒さも、自分の体調も、日々の気温の変動も
どれもが原因として挙げられそうです。

一方、完全回復する方法としては休息しか思いつきません。

もうチョットの間、立て込んだスケジュールが続くので
上手く維持しながら乗り切っていくことになりそうです。

ホテルでの過ごし方については、少し工夫をしてみようと思います。

cozyharada at 23:08|Permalinkclip!
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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