NLP

2017年02月17日

Sweet Fruit from the Bitter Tree

異文化間マネジメントとかNGOマネジメント、
国際問題をテーマにしたような人たちと関わる内容の1つに
「 Conflict Resolution 」というのがあるそうです。

日本語にすると「問題解決」とか「紛争解決」などと訳されるみたいです。

「問題解決」というと「 Problem Solving 」と同じになってしまいますから
「紛争解決」のほうが良さそうでもありますが、
必ずしも「紛争」と呼ばれるほど強烈ではないものも対象になりますし、
個人間の対立なんかもテーマになりうるようです。

上手い言葉が見つからないものの、なんとなくのイメージとしては
もめ事、ぶつかり合い、対立関係を仲裁して、
平和的な結論に導くようなものといえるかもしれません。

コミュニケーションや人の気持ちに関する内容ですから
心理学とも関係してくるようで、心理学の雑誌なんかでも扱われたり、
さまざまな理論が提案されていたりもします。


で、最近買った本が、この「 Conflict Resolution 」に関してのものなんです。

といっても理論的なものではなく、
 人間関係のトラブル、特に命の危険が迫るような状況において
 どうやって平和的解決へと導かれたか、
についてのエピソードが集まったもの。

理論をもとに解説することもできたはずですが
あえてエピソードだけを紹介して、読み手に解釈をゆだねる形になっています。

ある程度有名な人の逸話を引用していることもありますし、
著者の身近な人のエピソードをインタビューしたものも含まれています。




著者はマーク・アンドレアス。

NLPの開発において大きな役割を果たしてきた
スティーブ・アンドレアス、コニリー・アンドレアス夫妻の息子です。

前書きによると、卒論を書き終えて時間ができたときに
こういう逸話を集めてみようと考えて取り組み始めたのだとか。

まぁ、出版元のReal People Press はスティーブの会社ですから
書き上がりさえすれば形にするのは大変ではなかったのでしょう。

とはいえ、集められているエピソードは良い話が多く、
こういったストーリーを見つけてこられる感受性が養われたのも
NLPに触れながら育ってきた背景が関係しているのかもしれません。


良い話のネタ本としても役に立ちそうな気がします。

cozyharada at 23:58|Permalinkclip!

2017年02月14日

久しぶりの緊張

英語でのプレゼンの講座も3回が終わりました。

初回は欠席しているので4週目が終わったところです。
残りは6回。

内容は以前にも書きましたが決して充実したものとはいえません。
それでも場数を積むための練習ができるのはありがたいです。

講師の狙いがイマイチ掴めないですし、
貴重なチャンスなのに勿体ない時間の使い方になっているのも気になるので
講座に参加している時間には残念なときが結構あるのが正直なところ。

だからこそ、その2時間の中で自分が話す10分間は余計に貴重と感じられ、
集中して取り組むことができる印象があります。

一回当たりの実りは大きそうです。


そして、明らかに自分の中に「上手くやろう」という気持ちがあるのも分かります。

話している最中も「自分が想定通りにできているか」に注意が向いていて
聴衆の立場を考えたものにはなっていません。

まぁ、自分の想いを表現する場ではありませんから
熱く語るようなタイプのプレゼンでもないですし、
講演会や講座ではないので聞く側に配慮するものでもありません。

その意味では普段のセミナーとは全くスタンスが違います。
セミナーでは受講生にばかり関心が向いて
上手くやろうという想いも、事前の想定もほとんどない。

母国語ではないから余計に準備をすること、
母国語ではないから実践練習として挑戦したいこと、
限られた時間で練習課題が含まれていること、
決められたテーマに沿って主張を組み立てる必要があること。

…このあたりが組み合わさると、話し始める前から
「こういう内容で、こんな感じで…」という構成が頭の中に設定されます。

事前に自分の中で基準が作られてしまうわけです。
達成目標が決まる。

だから「上手くいくかどうか」が気になるというメカニズムでしょう。

その結果、緊張します。

こんなに緊張するのは久しぶりです。

緊張するには
・「上手くやろう」という気持ちがある
・上手くいっているかどうかの評価基準がある
・自分に注意が向いている
あたりが条件として必要になるようです。

人前で話すといっても目的は様々ですから、
今回のように自分のためだけの練習の場という意識は
余計に聴衆への関心を下げ、緊張の度合いを上げるのかもしれません。

緊張するほどの場面が日常で多くない僕としては
こういう時間を経験できるのもなかなか良いものだと感じています。

ちなみに質疑応答の時間は、僕の場合、一気に緊張がなくなります。

質問に応える際は、
・自分が上手くできるかではなく、相手に分かってもらえるかが重要になる
・上手い返答の評価基準はない(分かってもらえるよう工夫する)
・自分ではなく質問者のほうに注意が向いている
という状態に変わるからでしょう。

その意味では何かを教えるとなると
相手の立場に立てるようになりますから緊張しなくなると想像されます。


それにしても久しぶりにこういうトレーニングをすると、なかなか楽しいです。

難しいことに挑戦する楽しさ、
何か新しいことをやっている楽しさ、
できなかったものを出来るようにしていっている楽しさ、
緊張するほど自分のために一生懸命になっている楽しさ…。

色々な楽しさがミックスされている感じがします。

今まで自分がやってきたことを英語でもできるようにしてみようかと思い始めました。

久しく味わっていなかった楽しさがあって貴重な時間です。
まぁ、自分がプレゼンをする時間と、その直前の緊張の間だけですが。

まずは、もっと慣れる機会を増やしたいものです。

cozyharada at 23:12|Permalinkclip!

2017年02月11日

一方通行の情報

僕のFacebookは基本的に仕事繋がりです。
受講生の方の投稿が上がってくるのが大半。

もちろん友達として登録されていますから
その人たちが「いいね!」をしたものは僕のところからも見られます。

すると、僕の好みとは無関係の記事も数多く目にすることになります。

もちろん心理系の話題が一番多いとは思いますが、
政治的な話題とか、健康の話も頻繁に見受けられますし
自己啓発やスピリチュアルの方向性の記事も上がってきます。

心理系の話は比較的、技術論や心構えについてのものが多く、
さまざまな方向性が入り乱れている印象を受けます。
好みや専門性の違いといった感じ。

それがもう少し個人的な信念と結びついたものになると
方向性が両極に触れてくるような雰囲気が見てとれます。
両極端の考えの人がいる。

そもそもがプライベートな繋がりを想定した使い方ではなかったですから
個人的な信念は表現しないほうが無難だろうと思って、
他の人の信念に関することにも意見表明は控えると決めておきました。

両極の考え方があったとき、片側にだけ「いいね!」をすれば
自分自身の意見を示しているのと同じになってしまいますし、
両方に「いいね!」をすれば、相反する考えを示してしまいます。

何より、僕が「いいね!」した記事を他の人も見ることになりますから
場合によっては見たくないものを見てしまう知人も出てくる可能性があります。

なので自分の中の決まりごととして「いいね!」をしないことにしたわけです。


とはいえ、科学的な情報がシェアされていると
その内容が気になってしまう場合はよくあります。

「いいね!」をするかどうかではなく、むしろ論理的な矛盾を指摘したくなる。

例えば以前によく見かけた内容の記事で
「カレーを食べると幸せホルモンのセロトニンが分泌されて幸せになる」
といったものがありました。

ここには
・脳内の神経伝達物質としてセロトニンが幸福感に関わっている
・セロトニンの90%は腸で作られる
・カレーを食べると腸の働きを活発にするためにセロトニンが作られる
などの情報がミックスされています。

確かに科学的な知見として、セロトニンと幸福感の関係は知られています。
セロトニンの90%も腸で作られるというデータがあるんでしょう。

しかし、腸で作られるセロトニンは
腸の神経系において神経伝達物質としてメインで使われるために
全身の大部分のセロトニンが腸に存在するらしいんです。

それに伴って腸で使われるセロトニンも腸で作られる。
だから90%のセロトニンは腸で作られ、そこで使われるようです。

問題は、この腸で作られたセロトニンが脳には運ばれないということ。
脳のセロトニンとは別の話なんです。

仮に脳でセロトニンが沢山作られたとしても
セロトニンの分泌とは直結しないような気もしますが、
まぁ、セロトニンが多く作られたほうが幸福感が上がるとしましょう。

だとしても腸で作られたセロトニンと、
脳内のセロトニンに基づく幸福感は別の話のはずなんです。

もしカレーを食べると腸のセロトニンが増えるというデータがあったとしても
「カレーを食べると幸福になれる」という話にはなりません。

美味しいカレーを食べると幸せを感じられる人は多いでしょうが、
それは腸のセロトニンとは無関係でしょう。

さらには、「セロトニンの大部分が腸で作られる」ということと
「脳のセロトニンが幸福感と関わる」ということを引き合いに出して
「だから腸が大切」という結論に持っていくケースも見受けられます。

腸は大事だと思います。
腸内細菌の影響の大きさも示されてきていますし、
体感としても腸の働きの重要性は実感します。

ただ、そのこととセロトニンが腸で作られることとは関係ありません。

腸の大切さを主張するのに、論理的に無関係な知見を持ってくるのは
意図的なのか知らないだけなのか定かではありませんが、
詳しく検証されないままに“科学的な話”が利用されることは多いようなんです。


Facebookなどでシェアされる情報には
その人の好みや信念に沿った内容が多いと考えられますが、
不確かな話でも広められてしまう危険性も高いように感じます。

その不確かさや論理的な矛盾を指摘するのが良いかどうか分かりませんから
引っかかったとしても、特に何もしないことのほうが多いのが現状です。

信念は支えになります。
大事にしていることも感じとれそうです。

だからこそ人間関係としては、その信念を尊重したいものです。

そして一方で、不確かさに気づいてしまうところもある。

最初から情報として僕の目に入ってこない形になっていれば
そんなことを気にすることもないのでしょうけれど…。

インターネット検索と違って、幅広い情報が入ってくるのが
SNSのメリットでもあり、デメリットでもあるのかもしれません。

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2017年02月08日

やっと見終わりました

DVD「メンタリスト」ファイナルシーズン、見終わりました。

これまでの半分の量しかありませんでしたが
ちゃんと面白かったです。

やはり最後ということもあって、これまでを復習するような印象でした。
「前にもこういうシーンがあったなぁ」という
いかにも”メンタリスト”な感じをまとめた、といったところでしょうか。

それでいて終わりに向けて物語を整理していくような側面も。
つまり主人公たちの人生についての描き方です。

物語の始まりから時間が経過しています。

メインのテーマであった宿敵レッドジョンとの対決は
シーズン6の途中で終わっていますから、
その後は次のステージに移っているようなんです。

これでの推理物、サスペンス物の側面を弱め
より人間らしいところにフォーカスが当たっている。

僕にとってはそのほうが面白かったかもしれません。

ひねくれ者だった主人公も素直な表現が増えていた気がします。

以前は、チームとは仲良くなっているとしても
事件解決が優先されていた印象がありました。

それが終盤になると、事件よりもチームとの繋がりが優先されていて
身近な人のために行動するようなことが増えている感じ。

そのあたりの「人としての変化」のような側面が、
シリーズを通して見てきた視聴者からすると
心を動かされる部分ではないかとも思います。

前半のシーズンでは最終話が常に、次回への繋がりを予測させる内容で
ハラハラして、次が気になるようなところで中断する作りだった気がします。

それはそれで見る側には楽しさがありましたが
やはり最終シーズンとなると、そのあたりにも当然違いがある。

きっちりと全体をまとめがら、とても後味の良い終わりになっていました。
ある意味ではもっともストレートで、今までで一番ひねりが無いとも言えます。

世の中にある他のドラマでは、もっとひねった終わり方もあるでしょう。

逆に「メンタリスト」は、ゾンビとか超能力とか不思議な世界といった
特殊な設定がない人間社会の犯罪捜査ものであって、その中で
心を操る形で独自のひねりを生み出してきた物語だった気がします。

ドラマ中の人の動きこそが面白さの特徴で、
心をひねった扱いにするのが独自性だった…。

そう考えると、もっともストレートに、後味良く終わるのは
全体のまとめあげ方として落ち着きのある心地良さを感じられました。

もちろん好みは分かれるかもしれませんが。

とにかく僕には好印象の終わり方で、
終盤のシーズンだけでも何度も見直したいような気もしています。

…なかなかそれだけの時間をまとめては取れないのが残念なところです。

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2017年02月05日

場数を増やしたいです

先日、重い腰を上げて参加することにしたプレゼンテーションの講座の
一回目のクラスがありました。

教わる内容に関しては最初から期待していませんでしたし、
比べ物にならないぐらい素晴らしいプレゼン講座をする知り合いもいますから、
講座の内容やトレーニング内容がどんなものでも気にならないつもりでした。

単純に場数を踏ませてもらえれば充分、という発想だったわけです。

行ってみると実際には指定の教科書があって、
それも英語学習者向けの教科書で、かなり初歩的な印象でした。

多くの英語学習者(日本人に限らず)が陥りがちな傾向を
英語らしい特徴とともに解説したような教科書という感じ。

どんなイントネーションが効果的だとか、
アメリカ文化の中でオーソドックスなプレゼンのスタイルとか、
どうやったら関心を引けるような構成になるかとか、
そういった内容がメイン。

英語でビジネスをやっている人たちに、
会議でのプレゼンのスタイルを教えるような入門教科書のようです。

想像していたよりももっと初歩的な内容の教科書でしたが
まぁ、オーソドックスなスタイルを練習しておくのは悪くないでしょう。

ここまではそれほど気になりません。
英語でプレゼンをする機会があれば、あとは
プラスアルファの情報といった印象ですから。


ところが残念なのは、メインとなる練習の機会。
基本的に2時間の中で、一人一回しか練習するタイミングがありません。

それも曖昧な指定のまま、一人10分とかをやります。

参加者の人数分、10分のプレゼンがありますから
2時間の授業時間のうち大部分は他の受講生のプレゼンを見るだけなんです。

質疑応答する時間もありますが、それは内容に対しての質問やコメント。
プレゼンターが質疑応答に慣れるためのサポートであって
聞いていた聴衆側としてフィードバックをする機会は無いようです。

プレゼンのあと、講師が一人ずつにフィードバックをしていましたが
そのフィードバックを活かす機会が翌週までないわけです。

やりっ放しになってしまっていて、かなり勿体ない。

そもそも練習のためのプレゼンを10分もやる必要性が分かりません。

同じ時間をやるんだったら、5分を二回やったほうが遥かに効果が高いでしょう。

フィードバックをするのなら、5分やった後にアドバイスをもらって、
それを踏まえて、その場ですぐに二回目の5分をやる。
それで効果の違いを見たほうが学習効率が上がります。

10分を無駄に使っている印象が避けられません。


しかも聞いているほうの負担が大きい。

参加者は全員日本人で、決して全員がスムーズに話せるわけではないんです。
プレゼンするほうの負荷も大き過ぎるし、
聞くほうだって何といっているのか、何を言いたいのか、
汲み取ろうとする労力が大きくなります。

練習する時間が少しで、聞いている時間ばかりになってしまうのも
講座の構成として満足感が低くなりやすそうです。

まして僕の期待は場数をこなすことでしたから、
機会の少なさがかなり残念な印象になってしまっています。

この先の授業では展開が変わる可能性もないとは言えませんが、
講師のスタイルからすると期待するのは厳しそうな印象です。

英語でプレゼンをする勉強会とかがあれば
そういうのに参加してみたい気持ちになってきているところです。

ひとまずは数少ない機会を存分に生かしたいものです。

cozyharada at 23:04|Permalinkclip!

2017年01月30日

英語でプレゼン

これまであまり気が乗らなかったことを、ようやくやってみることにしました。

大したことではありません。
ただ講座に参加するだけのことです。

プレゼンテーションの講座。
大学の公開講座でやっているものです。

英語のスピーキング強化、とくに人前で話すという設定で
英語を使うことに慣れておきたいと思い始めました。

どうしても会話形式でスピーキングの練習をしていると
ついペース合わせが多くなってしまって
自分が会話の主導権を握り、話を展開させていくようなことが減ります。

応答がメインになってしまう印象があるわけです。

もちろん、ある程度の量をまとめて話すこともありますが
自分で話の全体像を組み立てながら
流れをとらえてアウトプットするようなことは少ないようです。

場合によっては相手の話を聞いている間に何を言うかを考えて
それから話し始めるようなこともあります。

時間をかけて話す内容を考える印象があって
自然と湧き上がるものを口から出すようなことは少なかった。

なので主体的に英語でのアウトプットをする練習としては
プレゼンが重要だろうと考えているところです。


とはいえ、そういう考えは以前からも何となく持っていました。
プレゼンを練習する必要がある、と。

「自分が日本語でやっていることを英語でもできたらなぁ」と
感じていたこともありますから、その意味でも
英語を使って人前で話す練習は重要だろうと思っていたんです。

しかし実際は二の足を踏んでいました。

英語でのプレゼンの講座に出ることに抵抗があった気がします。

講師は前に、あるテスト対策講座を受けたときの人ですから
こちらとしては面識もありますし、どんな話し方の人かも知っています。
講師のプレゼンの技量も知っているわけです。

それを踏まえると、決して高度な内容ではないだろうと想像できます。
内容的な満足度が低そうなのも関係していたかもしれません。

おそらく、それ以上に引っかかっていたのは
「フィードバックを受ける時間がある」というところのように思います。

仕事として講師とかトレーナーとして人前で話すことをしている。
慣れない英語だとはいえ、それで他者からフィードバックを受けることに
妙なプライドがあるような気がします。

日本語でやるときには意図的にやれることも、
あえてやらないようにしていることも、
「正しいプレゼンの方法」の枠組みで評価されることになると予想されます。

そこに面倒臭い印象を受けていたみたいです。

まぁ、それは「やろうと思えばできますよ」ぐらいの状態にしておけばいい。
そんな風に考えが変わってきました。

むしろ場数をこなすことのほうが価値があると思っています。


こうして振り返ってみると、日本語で何かをやるときには気にならないのに
英語でプレゼンをするとなると「人からどう思われるか」が気になるようです。

厳密には日本語でも気になる部分はあるのかもしれませんが、
日本語のほうには何かしらの自信の根拠があるみたいです。

言い換えると、英語でプレゼンをするのに抵抗があったのは
他者からの評価ではなく、自分自身の評価として
自分のパフォーマンスを厳しく判断してしまうから、とも考えられます。

自分が気づいていないことを言われてショックを受けるというよりも
自分でも分かっている課題を指摘されて「ああ、やっぱり…」みたいなのが
避けたかった部分じゃないか、と。

実際に何が起きるかは参加しながらでないと分かりませんが、
どういう変化が起きるのかを期待しながら参加してみたいと思います。

おそらく内的な課題を扱いつつ進めると効果も上がるでしょうから。

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2017年01月27日

今年もDVDを買います

ここ数年、年末年始にかけて毎年していることがありました。

「メンタリスト」のDVDを見ることです。

まとまった時間がとりやすい時期として、
またちょうど発売時期を少し過ぎたあたりだということもあって、
年末から年明けの間、余裕のある時期にまとめて見ていたんです。

レンタルでもいいんですが、
まとめて見るのに気楽なのでDVDボックスを購入していました。

一回目は気軽に日本語字幕で見て、
二回目は英語の勉強のために字幕なしで見ながら
分からないところだけ字幕をつける
…といった工夫も、返却期限を気にしないで済むからやりやすいんです。

年に一度の形で時期を固定していると
自分の英語力の変化も測りやすいと思いますし。


しかしながら、今年はスケジュールの密度を踏まえて
購入する時期を逃してしまっていました。

しかも今シーズンは「ファイナル・シーズン」となっています。
7番目で終了なんです。

そしてなぜかDVDが「全7枚」と。
これまでのシーズンは11枚組だったのに。

DVD1枚当たり2話として、週一のドラマとして22週分ぐらい。

日本のドラマは10週ぐらいで完結することが多く
3か月ごとに番組改編の時期がやってきます。

アメリカのドラマについては知りませんが
今までは半年近くの毎週放送が1シーズンだったんでしょう。

ところがファイナルシーズンは、日本の1シーズン分、つまり
約3か月分で完結しているわけです。

途中で終わったのか、人気がなかったのか、
そもそももう終盤に入っていて、オマケのような扱いだったのか…。

確かにシーズン6で山場は越えたフシはありました。

いずれにしても、
きっちり1シーズン分含まれていないだけの理由があるんじゃないか?
そんな風に、なんだか物足りなそうな印象を持ってしまったんです。

それがイマイチ魅力を下げてしまって、購入を見送っていたところがありました。


ですが、ちょうど最近、購入したい洋書があったので
そのついでにDVDボックスも買ってみることにしました。

一気に見る時間的余裕は今のところありませんが、
もしかしたらそれぐらいで丁度いいかもしれませんし。

ほどほどに見てみようかと思っています。

期待値が下がっている分、もしかしたら逆に
予想以上に楽しめる可能性もあるでしょう。

いや、少し自分の中に寂しい気持ちもあるような気がしてきました。

心とかコミュニケーションとかを勉強し始め、
NLPのトレーナーとして仕事が忙しかったころ
NLP関係の人たちの間で面白いと噂になっていた「メンタリスト」。

話のタネにと見始めて、ずっと見続けている状態です。

それも一区切りを迎える。

感情移入したり、自分の進み方と照らし合わせたり、
思いのほか、自分の中で重要度を高く置いていたようです。

それが終わる寂しさみたいのも感じます。

意外と複雑な感慨をもって見ることになりそうな気がしてきました。

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2017年01月24日

飛行機の中で

先日、札幌に出張に行ったとき、帰りがけから雪が強まって
東京行きの飛行機が大幅に遅れる事態に巻き込まれました。

ちょうど一か月前に行ったときも記録的な大雪のタイミングで
多くの便が欠航になった日でしたから
二回続けてということになります。


前回はもう、大雪が続いている影響で
そもそも飛行機が新千歳空港にやってこれない
という状況も起こっていました。

そのため大部分が欠航。
新千歳空港に停まっている飛行機が飛ぶのも遅れが続いていました。

空港内は人でごった返し、
搭乗口で長時間待たなければいけない状況だったんです。

実際、僕が飛行機に乗り込んだのは確か夜11時半ぐらい。
羽田に着いたのは1時を回っていたと思います。

それでも待つ場所が空港内の搭乗口だったというのは
意外と逃げ場が多く、待つことそのもののストレスは小さかった気がします。
(もちろん欠航にならないかどうかは心配でしたが)


一方、今回は雪が強まったタイミングが遅く
事前から心配していたわけではありませんでした。

飛行機に登場するところまでは、ほぼ予定通り。
数十分の遅れはありましたが、まぁそれぐらいは良くある話です。

そして飛行機が滑走路に向かって移動。
時間がかかったのはここからでした。

滑走路付近で離陸待ちをしている間に雪がドンドン強くなり、
前の飛行機の順番待ちが長引きました。

すると、機体や羽にかける融雪剤の効果時間を越えたとかで
もう一度、発着所まで戻ることに。

そのあたりから時間がかかり始め、
滑走路の除雪が追いつかないだとか、燃料補給がどうとか、
色々な理由で飛行機の中で缶詰状態のまま4時間。

こうなると乗客の苛立ちが増してきます。

狭い空間にいることのストレスや、
何もすることができない不満、
一向に進展が見られない状況、
もしかしたら欠航になって飛行機から降ろされるかもしれない可能性、
羽田での乗り継ぎに間に合わないとクレームをいう人、
耐えきれずグズり出す子供…、
徐々に苛立ちが増幅されていったようでした。


同じぐらいの時間を待合室で過ごしていた前回は
ここまでの苛立ちは出ていなかった気がします。

前回は空港到着前から大雪で
遅延に対して心の準備ができていたのが1つでしょう。

そして飛行機の中は制限が多い。
自由にできない感じ、束縛された感じもまた
不満を高めたと思われます。

心の準備というのも、いわば
自ら諦めることで自分のコントロール感を高める行為
と捉えることもできそうです。

いかに人が、コントロールを奪われることに対して
大きな不満を抱くかを実感する出来事でした。

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2017年01月18日

足の指のそりかえり

大した話ではないんですが、
もうすっかり足の指が地面に着くようになりました。

以前は立っていてもイスに座っていても、
地面につけた足の指が少し浮いていたんです。

足の指の付け根あたりに重心をかけて
足の裏全体が接地しないようにしていた感じ。


書いていて思い出しましたが、そういえば
小さい頃、親から「偏平足だ」と言われ
それでは良くないという思い込みを持っていた記憶があります。

足の指の付け根あたりと踵だけを地面につける感じにすると
足に緊張感が生まれてアーチが強くなります。
足裏全体がベタっと地面に着くような偏平足ではなくなるだろう、と。

小さいながらにそんな工夫をしていたのかもしれません。


それからもう1つ。

幼稚園とか、もっと小さい頃、どういう理由か分かりませんが
僕は足を泥まみれ、砂まみれにして家に帰ってきていた記憶があります。

砂場で遊んだのか、公園を裸足で駆け回っていたのか…
ともかく家に帰ってきたときに足が汚れていた日がありました。

そうすると母は、家の中が汚れるといって嫌がり
玄関先の水道で足を洗うか、雑巾で拭くか、風呂場に直行するか、
とにかく足を綺麗にする必要がありました。

決して嫌々やっていたわけではなく、何も疑わず
むしろ母を喜ばせようというぐらいの童心から
無邪気に足を洗っていたのを覚えています。

で、冬になると流石に外の水で足を洗うのは嫌。
お湯で足を洗うために、風呂場に直行するときも多かった気がします。

雑巾が毎日用意されているわけではなかったですから
汚れた足で廊下を通って風呂場に行くときが多々あったんです。

このとき、廊下を汚さない精一杯の努力として
足の接地面を減らすようにして歩いていたのを思い出します。
(結局あとから雑巾がけをしていたんですけれど)

踵しかつかないように爪先を上げるとか、
爪先立ちで背伸びをするようにしながら、かつ足の指先も上げるとか。

まさに足の指の付け根部分だけで地面に接していた状態です。


偏平足対策や汚れた足を地面につかない対策が
どれだけ癖になっていたのかは分かりませんが、
少なくとも僕の以前の足は、そのときの状態と似ていました。

別に怒られてやっていたことではないんです。
むしろ善意からやっていたつもりでした。

「幼少期のトラウマ体験が身体に残っていた」なんていう
大それた話ではないかもしれません。

しかし僕の中にあった他者(とくに幼少期は親がメイン)への気遣いは
迷惑をかけないようにする形で色々と身体を緊張させていたように感じます。

自分が力を入れて踏ん張ることで他人に負担をかけない。
そういう発想がベースにあった気がします。

足の指の緊張感は、その一部だったのでしょうけれど
1つの象徴的な部分でしょう。


心身の色々な取り組みを通じて
徐々にそういった緊張感が取れてきたようです。

足の指で地面を掴む感じ、
足全体で地面を押している感触、
足に体重がかかっている印象…、
いずれも以前はなかった体験です。

なんとなく、以前は地球にさえ遠慮をしていたような気もします。
自分の重さを地球に預けることさえ控えて
足を地面につけないように、重心位置を上げるようにしていたような。

そんな子供心の無邪気で無知な心身の癖が
大人になっても沢山残ってるものなのかもしれません。

別に問題でなければ気にしなくてもいいとはいえ、
必要のないことをしている側面もある。

僕はそういうのを整えていく方向性みたいです。

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2017年01月15日

2017作品

今年も展覧会に出品しています。

筆遣いのスムーズさや線質については
長く続けるうちに上達してきている実感はあります。

が、展覧会場に並ぶ2000点ほどの作品の中で
僕の書いたものと同じような傾向の作品は見当たりません。

良くいえば目立つということでしょうが、実態はむしろ
その分野が求めるものと方向性が違う、という意味のような気がします。

しかしながら求められる方向性の基準を見つけるのは大変です。

芸術家なら自分がやりたい表現だけをしていれば良いのでしょうが
僕のやっている程度の書道は芸術にはなっていません。
技術を磨くのが主目的。


その意味で今回の展覧会では大きな収穫がありました。

それは団体の創始者本人(もう亡くなっています)の作品を
一度に10点近く見られたこと。

団体のどの重鎮も辿り着けていない(らしい)最終形ともいえる書家が
どんな作品を書いていたのか?
そこから共通点として見出せる特徴こそが、
この分野で「美」とされる基準だろうと考えられます。

僕は今まで、自分が習っている先生の書きぶりだけを参考にしてきました。
さらに抽象度の高い、書芸術としての基準を知るには
最高峰とされるものを見ておくのが重要だろうと感じます。

そして技術的な観点でも役に立ちそうだったのが
その創始者が実際に書いている様子のDVDが放送されていたこと。

どうやって書いているのかを見られたわけです。

ここにも技術として、筆遣いとして、線質としてのポイントが
集約されているだろうと思われます。


心理業界でいうと、ミルトン・エリクソンの記録を読み、
催眠の動画を見られたような体験です。

ポイントを抽出する作業はこれから長くかかるのでしょうが
必要なポイントが含まれているはずのものを見られたのは
インプットとして重要な意味を持っていると思われます。

2017独立展12017独立展1

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おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
〜心の動きを捉える〜


【日時】 2017年2月5日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>
次回開催は4月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>


《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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