NLP

2019年06月13日

伝統に憧れる

運命という言葉を簡単に使うのは気が引けますが、
人には何となくの傾向というか、生き方のスタンスというか
大まかなタイプのようなものがありそうな印象を受けます。

場面が変わっても繰り返されるパターンのようなものです。
社会における立場とか、巡り合う人の傾向とかに表れるもの。

具体的には僕の場合、
 「本流」、「主流」や「伝統」からは離れる
傾向があるようです。

知らないうちに離れてしまうこともあれば
主流の中に入ろうとしても入れないこともありますし、
何気なく惹かれて選んでいたものが少数派だったりもしました。


例えば僕が研究職についたとき、
入った会社は業界最大手ではなく二番手のところでした。

その後、心理やコミュニケーションに関心をもったわけですが、
そのときにも臨床心理士を目指すわけではなく
NLPという、心理分野では亜流のような位置づけのものをやりました。

今となってはNLPだからこそできることが多くあって、
いわゆる心理学の流れではないからこそのメリットを実感していますが、
それでも社会的信用を得やすい主流派ではないと思われます。

またNLPそのものについて言っても、
NLPを分かっている度合いについては僕には自信がありますが
NLPの伝統からするとメインストリームではないでしょう。

一応リチャード・バンドラーのトレーナーコースに行っていますから
他の人たちと同じように
「創始者リチャード・バンドラーから直接指導を受けた」
みたいな文言を主張することは可能ですが、
密な関係で教わってきたわけではありません。

NLPという心理分野から派生したもセミナー業界においても
伝統をストレートに引き継いでいる立場ではないんです。

僕が催眠療法を学んだ吉本先生は、ミルトン・エリクソンから
直接教わったことのある数少ない日本人の一人です。

だからといって僕は吉本先生の後継的な位置なわけではなく、
ただの生徒の一人でしかありません。

吉本先生ご自身が臨床心理士だったこともあり、
先生のサポートのメインは心理臨床の専門家向けだった印象です。

何より僕は催眠を中心に据えることにならなかったですし。

心理やコミュニケーションの技術の土台は
堀之内先生から多くの指導を受けて身につけたつもりです。

が、先生の提供していた講座の全課程を終えてもいませんし
免許皆伝なわけでもありません。

堀之内先生ご自身は、日本の家族療法の大家
国谷誠朗先生の一番弟子を自負されていて
その意味では主流を引き継いだ人ともいえそうです。

ただ、その堀之内先生も結局は、日本の心理臨床分野では異端で
今では学問分野から一線を引いて独自の展開をしています。

僕はそういう
「世間一般の主流ではない本物の実力」
みたいなものに惹かれるところがあったんでしょう。

なので学んだ財産の大きさを実感する一方、
多数派として世間に溶け込むのとは違う立ち位置を自覚します。

書道だってそうです。

なんとなく選んだ先生ですが、
書道界では異端の部類だと思われます。

とはいえ、
書道界から「書家」として認められない反面
マスメディアでだけ取り上げられてる書道アーティスト
とも一線を画している人ではあります。

書道界の内側にいながら、伝統のど真ん中にはいない。
そんな独自路線の先生のようです。


こうして振り返ってみると、僕の先生たちは
伝統や主流を引き継ぎながら、そこからハミ出た
という人が多い印象です。

そして僕自身は、そうしたハミ出るぐらいの個性と実力を捉え
そこから学ぼうとするからこそ
伝統の中にいることができないんでしょう。

もしかすると伝統の継承者は、
教えの内容そのものを大切にして
忠実に正しいものを引き渡せる
という素養を必要とされるのかもしれません。

ところが、伝統の教えを学ぶうちに、教えそのものではなく
「教えが指し示すもの」のほうに気づき
そちらを独自の表現で伝え始まる人が出てくる。

僕はどうやら、そういうものに関心をもつみたいです。

自動的にそれは伝統のメインストリームではなくなります。

大事なことを学ぶには早いですが、
伝統に身を置いたという経験は得られません。

一方、僕が教わる先生たち自身は
伝統の主流にいた師匠筋との密な関わりを経験しています。

そしてそんな思い出を語る。

僕が自分で伝統を引き継ぐつもりはありません。
それは憧れない。

ただ伝統に身を置いた経験を懐かしみ、
その伝統を尊敬できる立場はチョット羨ましいです。

また、伝統を背景に持つからこそ
伝統からハミ出たことを言っても
「異端児」として見なされます。

伝統に入ったことのない者は何を言っても
「部外者」の戯言にされてしまう。

社会的に受け入れられながら
社会に属して生きていく分には、
「正当な後継者」とか「本流」であるか、
あるいは「異端児」くらいが好都合なようです。

「部外者」はメインストリームには入れません。
利用する権威も、支えとして敬える伝統もありません。

ただ実態だけを、ひたすら行いに移すのみ。

まあ、ブッダもそうだったでしょうから
そこは気休めですね。

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2019年06月02日

トラブルの捉え方

先日のアメリカ滞在の最中、
国内線の飛行機移動で意外な展開を目撃しました。


瞑想から帰ってきて、目的地の美術館があるところへ
飛行機で移動していったんです。

現地の到着は乗り継ぎとかもあって深夜0時頃。

予定通りに飛行機は着陸して、
ターミナルへ向かって地上を走行していきました。

そして減速が始まって、建物に近づき
もうすぐ飛行機が止まる…
そんなタイミングです。


前から2番目の席に老夫婦が座っていたんです。
通路側にお爺さん。
いかにもアメリカ人です。

70から80歳ぐらいでしょうか。
体重は130-140kg はありそうな感じ。

ルーズな太り方とでもいいますか、
身体への意識が低く、自制心も効かなそうな雰囲気でした。

実際、機内でも新聞を読んだり、スマホを見たりしながら、
ダラダラと何かを食べ続けていました。

食べることへの意識も低く、
なんとかく口を動かしているだけ。

で、そのお爺さんが、飛行機が着陸したとき
早々にシートベルトを外したんです。

まだ機内のシートベルト着用サインは点灯中。
「完全に停止するまで…」みたいなアナウンスもありました。

まあ、早めにシートベルトを外す人は日本にもいます。
早く立ち上がって荷棚から荷物を取りたいのでしょう。

ただ、その人の場合は少し違うようでした。
待つのが嫌なのかもしれません。


そして飛行機がターミナルに近づき、
地上走行のスピードが落ちてきたあたりのこと。

まだ停止する前に、そのお爺さんが立ち上がりました。
そして通路へ出てきたんです。

たしかに減速していて、
もうすぐ止まりそうな雰囲気ではありました。

が、停止する際に多少の急ブレーキというか、
電車が止まるときのように
最後の最後で減速が強まったんです。

慣性が働きます。
前側に向けて加速度がかかる。

そのとき、すでに通路へ立っていたお爺さんが
ヨタヨタと前によろめきました。

年齢的に体力が落ちているのと、体重の重さとで
よろめいた自分の身体を支えきれません。

それでバタッと、そのまま前に倒れました。


しばらくは皆んな、「何やってんだ、まったく」
みたいなムードで冷ややかに見ていたんですが、
一向に起き上がってこないので様子が変わってきます。

どうやら単純に自分では起き上がれない様子。

脳震盪とかではなく、いくらかの精神的混乱と
自分の体重で押し潰されて呼吸困難なのと、
そもそも筋力が足りないのとで
突っ伏したままの時間が続きました。

最初は恥ずかしそうにしていた奥さんも
通路へ出てきて手をこまねいています。

女性の客室乗務員は自分で起こさないと判断して
男性客室乗務員を奥から一人呼び寄せ、
さらに乗客が手伝って、かつぎ起こしたんです。

ズボンの左足の太腿あたりに血が染みていました。
切り傷というよりは、皮膚が敗れた状態でしょう。

起き上がったその人の顔は呼吸困難のせいで真っ赤でした。

フゴフゴ呼吸をしながら椅子につかまって身体を支えていると
地上スタッフが車椅子をもってやってきました。

飛行機の扉はすでに開いていたわけですが、
その人のトラブルによって出られない状況だったようです。

そして車椅子に載せられ、空港の建物へと運ばれていく老人。
なぜか奥さんの分の車椅子も用意されています。

そのお婆さんも、最初は恥ずかしそうにしていたのに
お爺さんへの苛立ちと、心配とが重なり
やり場がなくなった気持ちを制御できなくなって
周りに当たり始めていました。


ようやく老夫婦が飛行機を出て、
他の乗客も降りることができたのは
飛行機停止から10分後ぐらいだったでしょうか。

深夜着の便で、少しでも早く帰りたかったのかもしれません。
が、むしろそのトラブルで遅くなった形。


僕はその日、空港直結のホテルを予約していたので
荷物を受け取ってホテルへと移動しました。

チェックインカウンターで待っていると
そこへ航空会社の制服を着た集団が。

見覚えのある顔がいくつかありました。

ちょうど載っていた飛行機のクルーのようです。

チェックイン待ちの間、クルー達の話題は
先程の老人のトラブルについて。

「なんだったんだ?」
「停止前に立ち上がって勝手に転んだ」
「なんだか訴えるとか言ってる」
「はあ?先に立ったのは本人だろ?」
「よく分からないけど、航空会社の責任だとか言ってる」
…そんな会話をしていました。

どうやら自分の非は棚に上げて
激怒していたようです。

どういう思考パターンなのか、
どんな学習をしてくると、そういう行動に繋がるのか、
どんな環境で生きてきたのか。

色々と気になります。

初めて遭遇した経験です。
文化の違いは、こんなところにも表われるみたいです。

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2019年05月30日

時差ボケでしょうか

日本に戻ってきて数日が経ちました。
なんだか奇妙な感じが残っています。

瞑想を集中的にやったことで認知が今までと変わっているのか
単純に環境変化への適応に時間がかかっているのか、
その辺は分かりませんが、頭がボーっとしたり、クラクラしたりします。

時差ボケとも考えられますが、時差のタイミングを考慮すると
決してアメリカの夜の時間帯に眠くなるわけではありません。

そういえば、アメリカ国内で少し移動して
美術館を訪れていたときにも、
時差や睡眠不足とは関係が無さそうなタイミングで
頭がボーっとすることがありました。

日中にボーッとしてきてホテルに戻って仮眠しようとしても
一人に戻ると今度は別に眠いわけではない。

人が多いところだと奇妙な感じになっていた気がします。

とはいえ、ここ数日に体験する眠気や頭のボーっとする感じは
決まって夕方の6時、7時ぐらいから始まりますから
何かしらの生活リズムの適応が問題になっているんでしょう。

調べると時差ボケが治るには一か月ぐらいかかるらしいので
まぁ、そこは仕方がないものとして過ごすしかなさそうです。


ちなみにアメリカではシカゴにまで行っていました。

アメリカ国内でも大きな街だという話でしたが、
なんというか古いというか、ちょっと汚い印象を受けました。

もしかすると日本が奇麗すぎるのかもしれません。

高層ビルが多く、繁華街ということはうかがえます。
東京でいうと銀座のようなブランド店が立ち並ぶ地域もあれば、
皇居前のように大通りに面して高層ビルが並ぶところもありました。

シカゴ美術館のあるあたりは、芝生の多い公園のようなエリアの中に
石造りの建物が点在する形でしたから、上野みたいな印象でしょうか。

大通りを外れるとアパートとかホテルとか飲食店が増えてきて、
郊外に離れていくにつれて住宅地になっていくような作りは
どこでも都市計画として似たようなものになるのかと感じました。

ただ東京と比べると、こじんまりしているようにも思えます。
東京という街の発展の仕方は特殊なんでしょうか。

その地域にどれだけの人口が集まるか、というのと
街の規模は関係するのかもしれません。

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ちなみに、お目当てのシカゴ美術館は素晴らしかったです。

印象派の絵画が沢山そろっていて
特にモネの作品は一気にシリーズとして見られます。

週末のタイミングに当たってしまったので当然、来館者は多かったですが
それでも日本ほど行列ができるわけではありません。

入館のときに行列ができるだけで、館内のそもそもの広さもあってか
作品を鑑賞するには十分に楽しめました。

海外の美術館は写真撮影ができるのもいいですね。

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たまたま特別展示でマネの企画をやっていて
モネだけでなく、マネも一緒に多くの作品を堪能させてもらえました。

大部分の来館者は観光客で、ミーハーな人たちばかりですから
絵を見るよりも説明を読む時間のほうが長いのは
世界共通なのかもしれません。

僕が見方を解説してあげたいぐらいの気分でした。

chicago03



























観光地でもあるようですから、アメリカ国内からも
世界各国からも、多くの人たちが集まっていたようです。

とはいえ、やはり街特有の雰囲気というのはあるみたいに感じます。

そんなに多くの街を訪れたことがあるわけではないんですが
人の雰囲気や交流の仕方、生活のリズムなど
自然と特有のものが作られていくのかもしれません。

こういうのを比較できるのも面白いところの1つです。

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2019年05月14日

自然と似てくる

この間、書道教室に行ったときのことです。
先生から「そういえば…」と話しかけられました。

なんだかの事情で書道関連の画像検索をしていたら
「あれ、自分のタッチの字がある」
と思ったそうなんです。

「でも、この字を書いた記憶はない。
 誰が書いたんだろう?」

そう思ってリンク先を調べたら、僕のブログだった
ということでした。

確かに僕はたまに書道の写真をブログに載せています。

どれのことだったのかは分かりませんが、
先生のお手本があるものや、少なくとも
先生からチェックしてもらったものが中心です。

そうでないものとなると、年賀状ぐらいかと思うんですが…。

いずれにしても、パッと目に留まるぐらい
先生の特徴の部分が染みついているのかもしれません。

我流で書いたつもりでも、影響は出るものなんでしょう。

なんだか気恥ずかしいような、同時に
練習している成果がちゃんと出ていることが確認できたような、
複雑な気分です。

まぁ、あくまでタッチの話ですから
筆遣いの特徴とかのレベルだとは思います。

実際問題として、先生のお手本を見て書いても
その通りにはなりませんし、
その違いの部分にこそ見劣りするところが多々あるのを感じます。

全体の構成とか、1文字の中のバランスのとり方とか
そういうところも勉強する必要がありそうです。

このあたりは見ているだけでは習得できなそうなので
指導を受けながら学んでいくところだろうと思っています。

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2019年04月27日

連休の流れ

大型連休に入って世間の様子も普段と違って見えます。

僕はそもそも、いわゆる休日・平日というのとは
あまり関係のない生活をしていますから、
むしろ会話の中で「連休はどうするの?」みたいな質問が増える
こういう時期のほうが少し戸惑うことも多い気がします。

メリットは『通勤ラッシュがなくなる』ことでしょうか。
電車でギュウギュウ詰めになるのは心地よくはありません。


しかしながら、ここまでの大型連休となると事情は甘くないようです。

通勤ラッシュとは性質が違うとはいえ混雑具合は相当なもの。
それも時間帯に関わらず、ずっと人が多いような印象を受けます。

普段の日曜日よりも人が多く出てきている感じ。

外に出てくる人が増えるのか、移動に伴って駅近辺の人が増えるのか。
あるいは住宅地から市街地に出てくる人が増えるのか。

定かではありませんが、近所の様子も、電車の中も
普段の平日とも休日とも違った人ごみ具合です。

おそらく通勤ラッシュのときのほうが人数は多いはずです。
それでも通勤ラッシュのときは人の流れが定まっているんです。

駅に向かう流れ、乗り換える流れ、駅から出る流れ…と。
ランダムな動きは少ないですし、立ち止まる人も滅多にいません。

それと比べると連休中は、特に行動が決まっていない人も増えるんでしょう。
立ち止まったり、キョロキョロしたり、ランダムに向きを変えたり、
歩くスピードも人によってバラバラだったりします。

仕事で出かけるときには、このあたりの条件は少し不向きです。
世の中全体の流れと違ったことをしているんだなぁと感じる瞬間です。

通勤ラッシュの時間帯に立ち止まってキョロキョロしている人でもいれば
周囲はその人に冷たい視線を投げかけることが多いようですが、
連休の最中であれば、そうはならない。

むしろ大勢が、いつもよりゆっくりと雑踏に滞在している感じです。
そっちが標準として見なされているのだろうと思われます。


やはり社会は決まりごとの中で、多くの人の行動が定まっているほうが
スムーズに機能しやすいんでしょう。

ビジネスをやる人たちも、この連休に合わせた動きが見受けられます。
セールをやったり、キャンペーンをやったり、
観光客を想定した土産物を展開したり。

最寄り駅でも新しく駅近くのビルに
いくつか新しい店がオープンがしました。

ゴールデンウィークに向けて新規オープン、リニューアルできるように
計画を進めていたんでしょう。

案の定、新しく開店したところは特別セールをやっています。

連休中は安い。
しかもこの時期だけ。
新しいところだから見てみたい。
駅前でチラシをもらった。

そんな考えからか、新しい店にも人がごった返していました。
僕は他の店で買うものがあって通りかかったんですが。

レジ待ちの行列もすごいことになっていましたし、
新しくできたGUというUNIQLOの系列店では
試着待ちの整理券番号がアナウンスされているのを聞きました。

僕が買い物したかった店も、普段はガラガラなのに
レジ待ちの行列ができてしまっていましたから、
安売りや新規オープンに集まってきた人たちが
他の店舗にも流れて行っていたということなんでしょう。

ビジネスというのは、こうやって
人の動きに合わせて工夫するものなのかもしれません。


心理やコミュニケーションに関わる分野に携わっていると
「自分のやりたいことを見つける」とか
「自分軸で生きる」とか
周りに流されないような話が多い気がします。

ですが世の中の大部分は同じような動きをしているというのが現状。
本人が周りに合わせている意識があるかどうかは別にして
周りと同じような考え、行動パターンで生きているわけです。

経済もそれに応じて回っている。

そういうことを考えると、
 周りのことを気にせずに自分の気持ちだけを重視する
というやり方が、どれぐらい効果的なのかは分かりません。

「自分が好きなことをやりたい」という気持ちは
言葉にされ切れていませんが、その前提として
「自分が好きなことをして、やりがいとしても経済的にも人間関係でも
 あらゆる面で臨む結果が出て欲しい」
という考えが含まれていると思われます。

「好きなことをやって、誰から見向きもされなくても
 日常がどんなに苦しくても、それでも構わないから
 自分軸で生きるんだ」
という話ではないでしょう。

その意味では、世の中の動きに合わせるというのも
自分のやりたいことの1つに含まれる必要があるのかもしれません。

少なくとも望む結果を出すために必要な範囲では。

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2019年04月16日

世界が違って見える

久しぶりに病院に行ってきました。
いわゆる総合病院のような大きな病院は、
もしかすると10年ぶりぐらいかもしれません。

手の震えが続くので、ちょっとした検査です。

待ち時間の長さが凄まじく、賞味3時間ぐらいかかってしまいましたが
おそらくあの病院では普通の状況なんでしょう。

それなりにサラリーマン風の人もいるとはいえ
もちろん大部分は高齢者でした。

コンスタントに通っている高齢者が大半を占めていて
だからいつも混んでいる、ということかもしれません。


なんというか、病院の雰囲気は独特ですね。

来ている人たちは基本的に具合が悪いわけですから
表情も歩き方も座っている姿勢からも、そんな状態がうかがえます。

そういう人たちに囲まれて待っているだけで
なんだか僕まで具合が悪くなってきそうな感じ。

また建物自体が古いせいか、廊下も狭く、天井も低いので
余計に息が詰まるような感じが見受けられます。

ここで働くのは自分には無理だろうなぁという印象を持ち始めました。


そもそも僕が病院を訪れた理由は、一か月前ぐらいから起こっている
手の震えの症状が気になったからです。
念のため検査をしておこう、と。

昨年の12月に札幌出張中、凍った雪道で真後ろに転んで
頭を打ったというのもありましたし、
まぁ何があるか分からない、ということで。

他にも手汗が流れるぐらいに出たり、
セミナーの最中の水分補給量が増えていたり、
翌日の脱水状態が酷くなっていたり、
いくつか気になることが重なっています。

自律神経のバランスがおかしいのかもしれませんが、
医療レベルのリスクがないことは確認しておけると
何かと気がかりがなくなりますので。

とはいえ、この手の震えの症状も脱水状態も
基本的にはセミナーが重なったときに起こり始めて
自宅で過ごす日が3,4日続くと落ち着き始めます。

なので3時間も待ち時間に拘束される病院に行けるほど
時間的な余裕のあるタイミングとなると、自動的に
セミナーから離れた状況となってきてしまうわけです。

果たして検査に行ったところで、その症状は診てもらえるのか?
主に口頭での説明と、自覚症状レベルの問診ぐらいになってしまうのでは?

そんな懸念がありました。

こっちから積極的に色々な検査を「念のため」やってもらうよう
依頼することになるかもしれないと想定はしていたんです。


しかし、そんな心配は無用でした。

大勢の人に囲まれて待っている間、
具合の悪い人たちを眺めている間に、
いつの間にか手が震え始めていました。

なので診察の順番がやっていて医師に診てもらったときにも
色々な検査の最中、目視できる程度の震えは確認できたようです。

あとは手足の発汗も。

脳の障害や運動神経の問題を疑うようなものはなかったみたいですが
念のためMRIを取ることにして、その日は血液検査もすることになりました。

医師の話だとホルモン系を疑っていそうな様子。

久しぶりの採血は、思ったよりも痛くありませんでした。

数年前の僕は、注射針が刺さる痛みさえも
勝手に記憶で増幅して作り上げていたようです。

改めて新鮮な体験でもありましたし、
今の僕は病院内では普通に起きていることから
随分と違った状態になっているような印象も持ちました。

なんだか異世界にやってきたかのよう。
不思議な気分を味わいました。

次に行くのはMRI。
これも10年ぶりぐらいでしょうか。

以前は時間の長さが耐えられない不快な体験でしたが
瞑想にも慣れてきた今、感じるものは違ってくるかもしれません。

心配以上に、どういう体験をするのかへの関心のほうが高いぐらいです。

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2019年04月13日

今だから役に立つ本

僕が高校のときに第二外国語でやっていたフランス語を再開したのは
たしか4年ぐらい前だったんじゃないかと思います。

高校3年間の授業では大して進むこともなく
文法的も一通りカバーするより前に終わってしまった記憶があります。

大学1年のときにも第二外国語でフランス語をやりましたが
これも半期はイチからの復習で、1年かけても結局は
高校三年間プラスアルファぐらいだったはずです。

接続法とか重要な文法項目は勉強しないまま終わってしまいました。


それからかなり長い中断を挟んで、4年前ぐらいに再開したわけです。

当然、色々と忘れていることもありましたが、
まあまあ覚えているところもあって、久しぶりのフランス語であっても
再開当初から苦痛ではない程度に勉強を進められました。

まずは無難に、大学の公開講座で授業形式のものを受けるところから。

それから日本人の先生からマンツーマンのレッスンもやりました。
こちらは聴き取りのトレーニングと文法の練習問題が中心。

公開講座の授業にも文法は含まれますが、
そこで使っていたのはヨーロッパの教科書で
あまりまとまった文法の説明はありませんでした。

読解用の本文や練習問題の中に新しい文法知識が時々混ざってくる感じ。

ヨーロッパ言語は似ているところが大きいので、おそらく
そういう風に少しずつ慣らしていく感じでも自然と身につくんでしょう。

ですが日本語とフランス語は大きく違います。
文法はまとめて整理して練習した方が理解もスムーズな上に
法則を掴むのにも都合が良いように感じました。

ですから日本人の先生から文法を教わったのは役立ったと思います。


で、一通りの文法をカバーして、フランス語の文章にも音にも慣れてきた頃、
フランス人の先生から教わる段階に進みました。

こちらもヨーロッパの教科書を使っての授業が中心ですが
発話の機会が多いのと、勉強というよりも練習の度合いが強く、
フランス語の知識を運用するトレーニングを始めた印象でした。

高校のときにゆっくりと基礎をやって、
ブランクを取り戻す公開講座の授業の中でフランス語の文章に慣れ
同時にボキャブラリーを少しずつ増やして、
並行して日本人の先生から習って文法を一通り押さえる。

そうやってインプットした知識と法則を
いよいよ運用していく段階に移った、という感じでしょう。

そして去年の夏ぐらいからアウトプットの本格的なトレーニングを始めました。

自分で話のネタをフランス語でA41枚ぐらいに書いてまとめ、
その内容について実際に話して説明する。
で、書いたものを最後に添削してもらう。

このトレーニングをするようになって、少しずつ運用力が上がってきた気がします。

アウトプットのための情報ネットワークが
頭の中にできてきているような実感もありますし。


本当のことを言うと、もっとボキャブラリーを増やした方が良いはずなんです。

聴き取りをしていても分からない単語が出てきて聞けないことが多いですし、
読解の形でも知らない単語に遭遇することが多々あります。

英語と共通するボキャブラリーが多いのと、
高校のときに基礎の単語を覚えたのとで、
あまり積極的に語彙力を増やそうとしてきていないんです。

一方、英語を勉強したときは、もっと集中して単語を覚えました。
それで聴き取りも読解も、一気に楽になった実感があります。

アウトプットにしても知らない単語は言えませんから。

単語や定型表現を覚えてしまうのが本当は重要なはず。
…でも、単語を覚える作業は心理的なハードルが高いんです。

必要性が高くないから動機づけされません。

無理やり必要性を出すためには、
仏検とかを受けてしまえばいいのかもしれません。

そうすればテスト勉強として単語を覚えることになりますから。

ただ最近は、暗記の労力をロシア語のほうに注ぎがちなので
今一つフランス語の単語にまで気持ちが向いていない状態です。


そんな現状で、3年ぐらい前に買った本を再び手に取ってみました。

こちらの本。


英語とフランス語を対比させながら整理してくれています。

僕がフランス語でアウトプットするとき、
既に慣れている部分についてはフランス語のまま考えますが、
フランス語が思いつかないときは英語が先に浮かぶんです。

「英語でこういう風にいうとき、フランス語だと何に当たるんだろう?」と。

ですから英語でよく使われる構文を
フランス語に対応させてくれるこの本は非常に有効です。

いや、実際には有効なはずだと思って買ったんです。

ところが3年前の時点では、記憶にあまり残りませんでした。
当時は僕の頭の中に、フランス語でアウトプットするモードが
まだ作られ始めてもいなかったんでしょう。

本から読んでインプットしたつもりの情報も
頭の中の情報ネットワークと対応しないので記憶の網に引っかからない。
それで素通りしてしまうような感じだった気がします。

珍しくポストイットを貼ったり、書き込んだりして整理したのに、です。
3年前の時点では覚えられませんでした。

それが最近、久しぶりに手を取って読んでみたら
思いのほかスムーズに頭に入りそうな印象があったんです。

当時はポストイットを貼ってメモしていた部分の中にも、
今なら既に自分が使えるものとして「わざわざチェックしない」
種類のものが混ざってもいます。

3年前より、表現の幅としても、運用力としても
身についてきた部分があるんでしょう。

なんだか今からマメに目を通すと、それだけで使えるものにしていけそうです。
ようやく本のメリットを活かせるようになったんだろうと感じます。

今一度、地道なインプットをしたら吸収効率が良さそうです。

機械的に単語を覚える作業とか、
聴き取りの練習とか、読解問題を解くとか、
勉強モードに戻るべきタイミングなのかもしれません。

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2019年04月07日

NLP:アレルギー改善のワーク

NLPにはアレルギーを改善する手法があります。

「治る」という言葉は法的に使えないはずですが
アレルギー症状が消えたという報告は多々あるようです。

詳しいやり方は省くとして、大雑把に言うとイメージワークです。

場合によっては、思い込み(ビリーフ)を変えることで
”アレルギー反応をやめる”スタンスのものもあります。

アレルギーの症状を出すことで得ているメリット(二次利得)や
アレルギー症状の肯定的意図を調べて自覚し、
他のやり方で意図を満たせるようにして症状を緩和するものもあります。


ここには大きく2つの意味合いが含まれます。

1つは人間特有の「記憶に頼った体験の仕方」。
もう1つは「思い込みの効果」です。


1つ目の「記憶に頼った体験」というのは、
 人間が実際の体験を
 感覚刺激を基にした今の瞬間の体験だけではなく、
 過去の記憶を利用して補いながら作り上げている
ことに関係します。

例えばレモンを食べることを想像すると
ほとんどの人は自動的に記憶がよみがえって
「酸っぱい」感覚を思い出すと思います。

この「酸っぱい」感覚の強さは、現実の酸味とは関係なく
酸味を味わったときの身体反応をパターン化して作ったものです。

ですからレモンを思い出したときの「酸っぱい」感じは
実際のところ、舌の上の反応としては感じないはずです。

多くは、頬っぺたとか、口の中の筋肉の反応として感じるでしょう。

で、この「酸っぱい」ときの体感覚の反応が
「酸っぱい」体験の印象として強く刻まれているわけです。

そしてレモンを食べるときにも、
「これからレモンを食べる」という予測に従って
「酸っぱい」ときの体感覚の反応が追加されます。

記憶の中の「酸っぱい」体験が、実際のレモンの酸味の刺激に追加され
合わさったものが「レモンを食べて酸っぱい」体験として自覚されます。

人間の多くの体験は、こうやって記憶で補われているんです。

ですからアレルギー症状に関しても、
アレルゲンを意識しただけで痒みが出てきたりします。
スギ花粉症の人であれば、テレビ画面上で
黄色いスギ花粉が飛び散っている映像を見ただけでも
くしゃみが出ることもあるわけです。

また症状そのものが、さらに症状の様子を記憶から引っ張り出します。
痒みや鼻詰まりなどを意識した瞬間に
「アレルギー反応」の体験についての記憶が再現され始めます。

そのため
  症状を意識する
 →症状の記憶が蘇る
 →実際の症状に、症状の記憶が追加されて体験される
 →症状が強まって意識される
ということが起きます。

さらにはアレルギー反応は、症状へ注意を向けたときに
その部分の体験が強く意識に上がるため、
痒みなどの感覚体験が強く感じられてしまう、という側面もあります。

注意を向けると、その部分の血行も良くなりやすいですから
それによって症状そのものが強まってしまう場合までありえます。

ですから、「症状に意識を向ける」ということが
症状の体験を強めてしまう原因になる、という話です。

これについては、アトピーなどの人が
「かいてはいけない」と注意されるのと対応するところです。

まとめると、「記憶に頼った体験」によって
,修僚峇屬梁慮海法∀∩曚気譴覯甬遒梁慮海竜憶を追加して
 増幅しながら体験をする
体験された症状を認識したときに、注意を向けること自体により
 症状全般に関わる過去の不快な体験の記憶が戻ってきて、
 さらに症状が強まって体験される(意識するほど症状が強まる悪循環)
という2つの段階で、
症状を強めて体験しているといえます。

ミルトン・エリクソンはこのあたりのことを捉えて
「体験を3倍に増幅して体験している」
と表現しています。


アレルギーの症状を軽減するワークを行うと(どんな手法でも)、
まずはこの「記憶に頼った体験で症状を増幅する」部分が抑えられ
症状が軽くなることが考えられます。

少なくとも実際のアレルギー反応の体験の量だけになる、と。

注意を向けすぎて症状が悪化する悪循環も抑えられますから
これだけでかなり楽になるでしょう。

僕の花粉症は、この観点で、だいぶ楽になりました。
ちゃんと今の症状だけをリアルに感じられるようになったということです。


一方で、僕の中には
「思い込みを変えるとアレルギー症状がなくなる」とか
「アレルギー症状の必要性をなくせば症状を終えられる」といった考えには
疑問をもつところもあったんです。

猿だって犬だってアレルギー反応を示すじゃないか。
人間のような思考を持たないはずの動物だってアレルギーになるのに
どうして思い込みやビリーフが原因ということになるんだろうか?と。

これに関しては、NLP的な説明があるようです。
(あくまでコニリーが言っていたので、
 NLPコンプリヘンシブか、個人的な見解かもしれませんが)

NLPにおけるアレルギー軽減のワークの開発の趣旨からすると
これはある意味、プラセボなんだそうです。

「人はプラセボで病気が治ることがある。
 ガンを含めた様々な病気がプラセボで良くなるデータがある。

 だったら、プラセボを起こせるような心の状態を
 NLPのワークを通じて作り出せばいいじゃないか。」

そういう発想だとか。

実際に詳細なモデリングをしたわけではないでしょうが、
プラセボで治る人の心の中に起きた変化を
人工的に起こすことができるように工夫したわけです。

プラセボ効果を人為的に作り出すことができれば
アレルギーの症状も変えられるだろう、と。

それがアレルギー軽減のワークが持つ、もう1つの側面
『思い込みの効果』です。


「良くなる」という方向に積極的な思い込みを持つことで
アレルギー反応そのものが身体に起こらなくさせられる。

こちらは積極的に身体に起こる反応そのものを減らす方向性です。

1つ目のほうは
「記憶によって症状を増幅させるのをやめる」
という方向性でした。

アレルギー症状は動物だから出る。
それでも人間が意識的に体験するときに、
その症状を増幅して強めるのを止めることはできる。

そうすれば実際に起こっている身体の反応を
ただそのまま体験するだけの程度まで軽減できる。

…そういう話でした。

もう1つのほうは
「思い込みの効果を利用して、身体の反応を起こらなくさせる」
という積極的な方向性です。

こちらは上手くいけば身体の反応そのものを変えられる可能性があります。

ただ、プラセボ効果を意図的に引き起こしているということは
思い込みを強く持てるかどうかがカギになるかもしれません。

僕のように疑いが強い傾向の人には向かないかも…。


そしてこの2つ目のスタンス(思い込みの効果)は、
思考という機能を持つ人間だけに効果があるものだといえます。

サルや犬のアレルギーをこのやり方では対処できない気がしますが、
人間だからこそ工夫できる部分ではある、と。

人間だけが思考を使って、記憶を頼りにしたり、
注意を症状に向けたりして症状を増幅して苦しむ。

その一方で、人間だけが思考を工夫することで
動物的な身体の反応さえも変えることができる。

なかなか興味深いところだと感じます。

cozyharada at 23:18|Permalinkclip!

2019年04月03日

アナウンスの英語

僕の通っているジムは常に放送がかかっています。

メインは洋楽で、ときおりアナウンスが入る流れ。

アナウンスは基本的に注意事項です。
鍵の扱いとか、防犯カメラとか、非常時の避難とかについて。

アナウンスは同じ内容が繰り返されます。
日本語のアナウンスの後、同じ内容を英語で、
という流れになっています。

録音したアナウンサーは、いかにもFMラジオのDJのような雰囲気で
日本語も英語も同じ人が吹き込んだようです。
その切り替えの感じがFMっぽいんです。


ただ、残念なことに、その人の英語の発音が酷い。
雰囲気はアメリカンですが、母音が雑なんです。
間違っていることもあります。

単語のアクセントの位置が違っていると違和感が大きく、
母音が違うと、そもそも聞きとれません。

どうやら「Club」と言っているらしい発音も
クラブの母音がハッキリした「ア」で伸ばされているので
認識できるまでに時間がかかりました。

特に最後の「b」の子音が弱いのもあって
「クラー…」までしか聞こえなかったんです。

僕の認識では、最後の子音が聞こえないため
前半部分に当てはまる単語が自動的に認識されます。

結果的に「Class」かと想像していました。
が、内容として変なので、おそらく「Club」だろう、と。

発音は大事だなぁと思います。

時には、あきらかに間違った発音をしているものまである始末。
「Occur」を「オカー」ではなく
「オキュア」って言っています。

このレベルは間違って覚えたままになっている、ということです。

音読の切れ目も、内容を分かっていない形になっていたり。

ちょうど先日、一部のアナウンスが変更になって
再録音されたようなんですが、それでも
「オキュア」とか、アクセントの位置とか、切れ目とか
おかしなところは維持されたままでした。

そもそも英語をどれくらい話せるのか疑問なほどなので、
ジムの経営者がこのアナウンサーを起用した経緯が気になります。

外国人向けのアナウンスだというのに、
それが何言っているか分からなかったら本末転倒な気もしますし。


個人的に厄介なのは、繰り返し耳に入るということ。

頭に残ってしまっています。
なんだか影響されてしまいそうな感じなんです。

明らかな間違いとして不快感を味わっていれば、
それを受け入れてしまうリスクは低いかと思いますが、
些細なエラーだと気づかずに入ってきそうで心配です。

聞きたくもないし、かといって無防備だと影響されそうだし、
なんとも手のかかる話です。

cozyharada at 23:44|Permalinkclip!

2019年03月31日

原因不明

セミナーの後、手が震えることが最近増えてきました。
数日は続く感じです。

しばらく休むと収まってきますが
定期的にセミナーが入っていると落ち着くときが減ります。
収まっては再発、という具合。

決してブルブルと震えるわけでもなく
振動の大きさも僅かなものなので目立つほどではありません。

緊張して手が震えるのよりも小さいぐらいです。
「プルプル」ぐらい。
チワワが震えるのよりもずっと小さいものです。

主観的には内側から震えているような印象があって
表面の筋肉が震えるようなタイプとは違うんです。

お盆や水の一杯入ったコップ持って移動するときに
震えて中身がこぼれそうになる感じが近いでしょうか。

でも、もっと内側が振動しているのを感じます。

激しい運動をした後、力が入らずに震える…というのとも違う。
表面の筋肉の緊張がないのに奥の方が震えるみたいなんです。

範囲は指先から広がってくるようで、
最大だと上腕ぐらいまで震えの感覚が広がります。

範囲が広がるときは足も膝上ぐらいまで。
同時に腹筋あたりにも同じような反応が起こります。

腹筋の場合に限っては、表面付近の筋肉が痙攣することも。
これは、まぶたが痙攣するのと似た感じですから
種類は違うのかもしれません。


決して困るほどではないですし、
しばらくすると収まるので大きな心配ごとではないんですが
それでも多少は気がかりです。

とはいえ、念のため病院で検査でもしようかと思っても
時間的に余裕ができて病院に行けるタイミングになると
そのころには震えが止まってしまっています。

診察の際には口頭で説明するぐらいしかできません。

こちらから積極的に依頼して検査でもやらせるしかなさそうです。

期間としては、かれこれ一か月以上。
震えだしては収まって…のサイクルが常態化してきました。


栄養面も少し気にしてみたんですが、今のところ改善手段が見つかりません。

運動しても減らないというか、この震えに関してのみでいえば
むしろ運動をした後のほうが大きくなるような気もします。

その意味では筋肉に起きている何かなのかもしれません。

まあ、ただ震えているだけですから、それだけのことなんですが。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!
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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
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【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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