NLP

2019年02月14日

【セミナー】NLPブラッシュアップ研修会

日本コミュニケーショントレーナー協会主催で
定期的に『NLPブラッシュアップ研修会』というのをやっています。

日程や内容については、こちら>>

東京の次の日程は3月30日(土)と3月31日(日)。
それぞれ違った内容ですので個別のお申し込みとなります。


基本的にNLPの内容です。
コミュニケーションにも応用は効きますが、
NLPの手法そのものを丁寧に見つめなおす形としています。

逆にいうと、「NLPって何?」のような関心には残念ながら沿えません。
むしろNLPをやったことのある方を対象としています。

なので用語の解説などは省略します。

一方、NLPにはプラクティショナーコースだけでは
時間やカリキュラムの関係で扱いきれていない部分が沢山あります。

「もっとここを丁寧にやったら身につきやすい」という部分を中心に
通常の資格取得コースでは紹介されない内容を取り扱うのが特徴です。

NLPの復習をしつつ、かつ丁寧に、より本質的な部分を深める。
一通りをザッと体験した後だからこそ、
それぞれの手法の位置づけや意味、狙いが見えやすくなるはずです。

「これって、こういうことだったんだ!」
というような再発見をしてもらいつつ、
NLPの観点から『心』を見つめる時間としてもらえたら…
と願っています。


プラクティショナーコースの中で行うのが困難なら
その次の段階で扱ってもよさそうなものですが、
次の段階にあたるマスタープラクティショナーコースには
それはそれで多くのカリキュラムが予定されていて時間が限られます。

マスタープラクティショナーコースは応用手法とプレゼンが中心。
実用的な手法や、効果の大きい方法が集まっているといえます。

となるとNLPの基本の部分をキッチリまとめて扱う機会は
資格取得コースの中には含まれなくなってしまう…
そんな事情もあるんです。

「一通りやったけど、バラバラとした点になっている」のような
印象になりがちなNLPを、1つのまとまりとして
繋いでいくような内容を考えています。

その意味でも、どこでNLPをやったかという背景は問いません。

大げさなセミナーというより、NLPを身近なものにしていく目的ですから
告知目的で集合写真をとったりするようなものではありませんし、
むしろ、いかにご自身のために活用していただけるかを意図しています。

少しでも有意義な時間を過ごしていただけたら幸いです。


お申込みはこのブログからはできませんので
リンク先のホームページからお願いします。

仕組み上のお問い合わせの場合にも、協会の事務局のほうへご連絡ください。

3月より先の日程は、東京以外も含め
7月以降の年後半に集まっています。

気になった方は日程をチェックしてみてください。

cozyharada at 23:51|Permalinkclip!

2019年02月11日

NLPには理論がない

「NLPはモデルであって、理論ではない」
ということがNLP分野では言われることがあります。

最近の講座で一般的に強調されているのかは分かりませんが…。


で、ここでいう「理論」は、もちろん「theory」の翻訳です。

ところが、日常的な日本語の意味での「理論」と
学術的な意味での「theory (理論)」とはニュアンスが異なります。


そもそも一般的に使われる日本語では
「理論」の意味がかなり曖昧になっていることが多いようなんです。

よくある混同の1つは、「論理」と一緒にしてしまっていること。
これは「理論的」と「論理的」の混同で頻繁に表れます。

例えば、「理論的な人」という言い方は、本来
「論理的な人」といったほうが適切です。

「感覚派」の対義語として「理論派」なんて言われることもありますが
これも「論理派」のほうが正確でしょう。

意味としては、「論理的」とは「話に筋が通っていること」を指します。
論理展開が明確で、様々な要因の因果関係が矛盾なく説明される様子のこと。


それに対して「理論」というのはシンプルに言うと
「現象を法則として示したものの集まり」です。

例えば、有名な「弦理論」という物理の理論であれば、
物質の構成要素の最小単位を粒子ではなく、弦(”ひも”のようなもの)として
自然界の全ての力を説明しようとするもののこと、といるでしょう。

そこには、「弦理論」が前提とする原理から数学の論理で導かれる法則が
複数含まれることになります。

「法則」というのは短い記述で表現されるパターンです。
「〜だと、…になる」といったもの。

数学で表すと、これが等式になるわけです。
等式(イコールで結ばれた式)だと、ある変数の値が増減すれば
他の変数がどのように変化するかが計算として導けます。
中学校の数学でいうところの関数のようなものです。

「弦理論」からは離れますが、分かりやすそうな法則の例として
『熱力学の第一法則』を挙げると、
  閉鎖系の内部エネルギー U の変化 ΔU は、
  系外から流入した熱 ΔQ と、系外から行われた仕事ΔW の和に等しい
のように言語的に書き表されます。
これが数式だと
  ΔU=ΔQ+ΔW
となります。

「理論」には、より具体的に現象を説明した「法則」が含まれる、と。


上記の説明は自然科学分野ですが、社会科学になってくると
物事の法則は数式で厳密に表すのが困難になってきます。

法則を証明するためのデータを集めて、それを統計的に解析して
法則が成り立っていそうかどうかをチェックする、という形が主流。

法則そのものは言語的に表されることが多いようです。

証明されていないとは思いますが、有名な「マーフィーの法則」なんてのも
日常生活でよく起こる現象をパターンとして言葉で説明したという意味で
一応は「法則」のカテゴリーに入れられています。

同様に、例えば心理学でも様々な法則があります。

ダニエル・カーネマンが提唱した「ピーク・エンドの法則」は
 体験が快/不快だったかの評価は、ピーク時と終了時の快/不快の度合いで決まる
という内容のものです。

これはデータをとって示されたもの。
客観的に示されると「法則」と呼ばれることになります。


一方、心理学分野でも「理論」という呼ばれ方をするものがあります。
例えば「愛着理論」とか。

愛着行動と呼ばれる「人への親密さの表現」についての考え方で、基本的には
「子供が正常な社会的・精神的発達をするためには
 ケアテイカー(世話をする人)と親密な関係を確立する必要がある」
といった内容です。

これは展開させれば、
 幼少期に親密な関係の体験がないと社会的・精神的に問題をきたす
という話へと進んでいきます。

その内容について、様々な情報を引き合いに出しながら論理展開して
筋の通った説にしようとしたわけです(もちろん、反論も生みます)。

これは幼少期の愛着と、発達や社会行動との関係を説明した
1つの捉え方であって、数多い解釈の仕方の1つだといえます。

この理論を採用するかどうかは人それぞれ。
愛着という観点から現象を説明するという流派なんです。

で、心理学分野では、こうした理論は正しさを示すことができません。

理論の妥当性を高めるためにデータをとるのが最大限の努力。
実験や調査を行って、愛着理論を裏付けるデータを収集する、と。

ここで登場するのが「仮説(hypothesis)」です。
「この理論が正しければ、こういうときには、こういう結果になるはずだ」
という発想で設定される予測される結論が「仮説」です。

仮説はデータをとって検証可能なように設定されるんです。

理論そのものは検証できないけれど、
「理論が正しければ、こういうことになるはずだ」という予測はできます。

そして実際にデータをとってみて、予測通りの結果になったら
それは、その理論の妥当性を支える1つの根拠になるわけです。


前述の「ピーク・エンドの法則」というのも
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」としたら
 こういう場面では、こういう結果になるだろう…
という予測で実験が設計されています。

例えば…。
 1つのグループには大音量の騒音を体験してもらう。
 二番目のグループには、同じ大音量の騒音の後に、
 それよりも程度の低い騒音を体験してもらう。
 すると騒音の不快さの評価は二番目のグループのほうが低くなった。
…という感じ。

この実験の場合、
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」
という想定の下で、だとしたら
 体験終了時の不快さが小さいグループのほうが
 主観的な不快さの評価は小さくなるはずだ
という予測をたて、
そこから
 「大きな騒音だけを体験したグループより、
  大きな騒音の後に小さな騒音を体験したグループのほうが
  不快さの評価は小さい」
という『仮説』が立てられているわけです。

この仮説1つで
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」
という一般論が全て断言できるわけではありませんが、
この法則を裏づける説明材料にはなっています。

その意味では「ピーク・エンドの法則」の内容を「理論(theory)」として
実験的に立証可能な「仮説(hypothesis)」を立てた、ということができます。

「法則」と呼ばれていますが、
 理論をもとに仮説をたてて、データで仮説を検証し、
 その理論の妥当性を裏づける
という構造には共通点があります。

なので心理学分野では、「○○理論」も「△△の法則」も、どちらも
仮説によって妥当性を検証する対象としての「理論」の一種、といえます。

違いは「○○理論」と呼ばれるもののほうが
複数の「法則」を含んでいる、というところでしょう。

「△△の法則」のほうが具体的な1つの行動パターンについての説明で、
「○○理論」になると、もっと幅広い行動を説明するものになる、と。


ポイントは、
「○○理論」も「△△の法則」も、それ自体では正しさを示すことができず、
妥当性を高める根拠として「仮説」の検証をする手段を採用している
ということです。

ここが圧倒的に誤解されやすいところなんです。

日常的な言葉の使い方では、証明されていない法則やパターンのことを
「それってあくまで仮説でしょう?」
みたいに言われてしまうことがあります。

そうではないんです。
理論は基本的にすべて証明できていないんです。

物理の理論もそう。
相対性理論だって数学的に矛盾なく論じられていて
相対性理論に基づいた仮説の多くが実証されていて、
相対性理論に基づいた応用が役立っている現状があっても、
それでも理論である以上は厳密に正しいかどうかは定かではありません。

かなり妥当で、もっともらしい理論ということで広く採用されているだけ。

むしろ「仮説」と呼ばれるものこそ、実験的に立証可能なんです。
(仮説段階では検証が終わってはいませんが)


つまり、理論とは
 正しいか定かではない法則(の集まり)
だということです。

なので、「理論的」という言葉の用法としては、例えば
「理論的にはそういえるけれど、実際はそうではない」
のように
「理論に沿っていえば」という意味になります。

「矛盾がなくて筋が通った説明の仕方」は「論理的」なんです。
理論的なのではなく。


だからこそ「NLPには理論がない」といった説明は、
別にNLPが論理的ではないという話ではありません。

NLPで論理的に説明することは可能です。
それをやらない人が多いだけで。

論理的な(理屈っぽい)説明を放棄しているわけではないんです。

「理論がない」というのは、
 「こうなったら、こうなる」
 「こういうことを経験したら、将来こんな風になる」
 「こういう行動をするのは、こういう原因である」
のような
『法則』を含んでいない
という話なんです。

NLPの中には、人間の行動や心の動きをパターンとして説明した法則がない
…それが「NLPには理論がない」という意味でしょう。

だからそこから生まれる仮説もなく、仮説を検証することもない。


これはおそらく、他の心理学の理論に対する反発でしょう。

例えば、前述の愛着理論もそうですが、発達心理学には理論が多いようです。

精神分析であれば、
 無意識に抑圧されたものが症状を生み出すため、
 抑圧されたものを意識化すれば症状が解消される
という理論があります。

心理療法にもそれぞれが独自の理論を想定していて、
その理論をベースにした解決のアプローチが作られます。

ロジャースの来談者中心療法だって
 自己概念と経験の不一致が不適応や病理を生み出す
という理論があります。

NLPには、そういう理論はありませんよ、と。

どういうものでも上手くいくパターンを探して
それをモデルとして試してみましょう。
上手くいかなかったら違うモデルを試しましょう。
…そんな発想なんです。

人間を理論に当てはめて理解するのをやめて
1つの考え方で全ての人に対処するのではなく、
その人に起きていることを実際に調べて
上手くいかないパターンを変える。

人の心について「これが正しい」という発想を捨てる。
「法則に当てはめて、目の前の人を見ない」なんていうことはしない。

そういうスタンスが
「NLPには理論がない」
ということなんだと考えられます。

目の前の人の心を論理的に説明できるようにする「説明モデル」は
NLPの中にちゃんと含まれています。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!

2019年02月07日

NLPって何だ?

NLPのセミナーをやっていると、
コミュニケーションとか心理学とか自己啓発とかの流れで
NLPを知って興味を持つ人が大部分のようです。

結果として、営業や社内の人間関係に応用すればビジネス用途になり、
他人の目標達成に使えばコーチングになり、
自分の成長や自分の目標達成のために使えば自己啓発になり、
対人援助の場面を想定すればカウンセリングや相談技術になる。

いずれの目的であっても、その目的のために
どういう観点から向き合っていくかによって
ベースとする説明方法が異なってきます。

具体的な「コミュニケーションのやり方」として学ぶことで
人間関係を改善したり、営業成績を上げたりすることも可能ですし
コーチングやカウンセリングという形態で関わることもできます。
それで苦手な人付き合いを改善したら自己啓発です。

同じことを心理学の知識を利用してやることも可能です。
心理テクニックで人間関係や営業成績を上げることができ、
心理学の理論を元にしたコーチングやカウンセリングも学べます。
幸せな人の心の特徴を調べた心理学の知見を取り入れれば、
自分の幸福度も上がりますから、これは自己啓発の一種でしょう。

また、いわゆる自己啓発書などには、
成功者の考え方や習慣を取り入れて
自分も成功しようという発想が多いようですが、
これを応用した経営理論やビジネスマインド、
コーチングの手法なども存在します。

つまり、世の中には「目的」と「説明モデル」が様々あって
その組み合わせで『専門』の呼び名が変わる、ということです。

そして同じ目的であれば、
ベースとしている説明モデルが異なっていても
表面的なやり方には共通点が出てきます。

特に達人レベルになると、個性が際立つのと同時に
共通した要素もハッキリするように見えます。

「どういう説明の仕方を根拠とするか?」の違いがあっても
辿り着く本質的なポイントは同じところなのかもしれません。


その意味でいうと、NLPは「説明モデル」のほうでしょう。

もちろん、その説明モデルに基づいた手法が沢山ありますが、
それらは他の流派(別の説明モデルに基づくもの)で
扱っている技法と似ていることがよくあります。

逆に、NLPには「目的」がありません。
NLPの説明モデルを活かしさえすれば、どんな目的にも使える。

ですから、コーチングやカウンセリング、〇〇療法といった
具体的な技法の流派とは区別の質が違うんです。

むしろ、心理学、脳科学、精神医学、認知科学、スピリチュアル、仏教…
などと同じ抽象度のカテゴリーだと言った方がいいでしょう。

学問として確立しているわけではありませんし、
知名度や人気はスピリチュアル分野のほうが遥かに上のようですし、
仏教のような歴史があるわけではありません。

ただ同じような分類の仕方になる、という話。
つまり「心を説明するもの」というカテゴリーの中に入っていて
いずれも心をテーマとして扱っています。

ここは共通点です。
だから同じグループに入る。
同じレベルの抽象性を持っているわけです。
NLPが心理学のサブカテゴリ―(下位概念、一流派)なわけではない、と。

一方、「心を説明するもの」という同じグループの中に分類されながら
それぞれが違う名称で呼ばれているのは、個々に違いがあるからです。


ではその違い、特徴がどこに表れるのか?
それが「説明の仕方」です。
説明のモデルが異なるんです。
 (※注:モデルであって理論ではありません。参考情報は次の記事で)

心理学であれば、多くの人に共通する振る舞いのパターンを
「〜すると、人は…する」のように因果関係で説明したり、
「〜な人には、…な傾向がある」のように相関で説明したりします。

その際に、行動主義であれば
「刺激→反応」とか
「先行条件(Antecedents)→行動(Behavior)→結果(Consequences)」
とかで表現しますし、
論理療法であれば
「出来事(Activating event)→信念(Belief)→結果(Consequence)」
のように書き表すこともあります。

多くの場合は、「出来事・条件」→「行動・反応」のように
シンプルなモデルで留めておいて、
”心の内側で何が起きているか?”は議論しません。
内側で起きていることは測定しにくいので。

一方、脳科学であれば、脳の部位別の活動量とか
部位ごとの機能とかを調べて、
”脳の働きが人の行動にどう関与するか?”を議論します。

「脳の〇〇が〜だと、人は…する(になる)」とか
「脳の〇〇が〜な人は、…な傾向がある」とか
「〇〇な人は、△△な人よりも、脳の◇◇が〜な傾向がある」とか
そういったモデルでの説明です。

つまり、心という曖昧なものを脳の働きに置き換えよう
…といった説明のモデルだということです。

精神医学は心の病理を医学的な見地から議論しますし、
認知科学は心の動きを数式やコンピューターのプログラムで表現します。
医学や数式が説明モデルに使われる、と。

スピリチュアルの分野には様々な説明モデルがありますが、
魂とか前世とかカルマとか潜在意識とか…
人の振る舞いに影響を与える様々な要因を挙げます。

心理学が「出来事」とか「条件」などの
目の前に起きている測定可能なものだけを
”人の振る舞いに影響を与える要因”として考慮するのに対して
スピリチュアル分野では、時空を超えたもっと幅広い要因まで考慮する、
といった違いがあると言えそうです。

仏教の教えの中にも人の心の中身を説明したモデルがあります。
いくつかの要因に分けて心の動きや構造を説明するものです。

例えば唯識では、心の構造を
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識(あわせて「前五識」)、
それから意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)、
と、8つに分けて説明します。

また「五蘊」と呼ばれる考え方では、
”人が他の存在とどのように関わっているか?”という機能の部分を
色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の5つの要素で説明します。

これと同じように、NLPには心の働きのモデルがあります。
表象システム、サブモダリティ、アンカーなどです。

こうした要素を用いて、人の心を『プログラム』として説明する。
それがNLPの本質のはずです。

また、価値観、ビリーフ、メタプログラムなど
プログラムの種類を分類する観点も含まれます。

一般的には説明をごまかすことが多いですが、
こうしたプログラムの種類も心の構造や機能として
サブモダリティやアンカーの概念で説明することが可能です。

NLPの説明の仕方、NLPの用語や概念で、人の心を捉える。
それがNLPであって、他の学問やスピリチュアルとの違いだということです。


そして話を戻すと、こうした説明のモデルを使って
それぞれの分野で様々な目的への応用がなされます。

心理学は心理学のやり方で人の心を説明し、
その説明モデルに沿って得られた知見を基に
ビジネスや人間関係、心理療法やコーチング、自己啓発など
様々な応用方法が開発されています。

そしてその応用方法の中で、技法が作られます。

脳科学でマーケティングを検討した応用方法もありますし、
脳科学的なアプローチで心の問題を解決しようとする技術もあります。
脳科学の知見に基づいた自己啓発やコーチングの手法もあります。

それぞれの分野で、特定の目的のために応用が工夫できるんです。

コーチング、カウンセリング、セールス、マーケティング…などは
『目的』の分類だと考えると分かりやすいんじゃないでしょうか。

特定の『目的』のために、どの『説明モデル』で工夫するか?
それによって個別の『技法』が生まれてきます。

コーチングやカウンセリングが技法として認知されがちなため
紛らわしいところが出てくるのかもしれませんが、
コーチングとは「目標達成のサポート」という目的の関わり方です。
カウンセリングは「困りごとを解決するための相談」。

そこに本来、説明モデルが加わって、個性を生むべきものなんです。

本来は、もっと様々な説明モデルに基づいたコーチングやカウンセリングがあっても構わないんですが、
一般的に広まったのが心理学系統の説明モデルをベースとした
コーチング、カウンセリングだったので、
その印象が世間一般に定着したんでしょう。

技法の観点でも、心理学系統をベースとしたコーチング、カウンセリングのやり方が
一般的な手法として知られるようになったと思われます。

実際、異なる説明モデルをベースとしたコーチングもありますし、
カウンセリングに関しては、お坊さんが相談に乗ったら
「仏教の説明モデルをベースとしたカウンセリング」ということになるでしょう。

コーチング、カウンセリング、セールス、マーケティングなどは
「技法」の名称ではなく、「特定の目的のための行動」の名称です。

「技法」は、「特定の目的のための行動」の工夫として細分化されたものです。
「〇〇マーケティング」とか「△△セールス」とかのように。

「特定の目的のための行動」を、どの「説明モデル」で捉えるかによって違いが生まれ、
それをどういう工夫で行うかによって「技法」のバリエーションが生まれる。

まとめると、
・「特定の目的のための行動」=『なんのために?』
・「説明モデル」=「どんな観点で?」
・「技法」=「何を、どのようにやるか?」
という感じになります。

そしてNLPそのものは「説明モデル」のほうだ、と。

ただ、開発の過程では体系だった説明モデルよりも先に技法が重視されたため、
NLPが技法のような印象が強まったのかもしれません。

一方で、NLPには「特定の目的」というのはありませんでした。

そのため技法として理解しようとすると
「何のためのものなの?」という印象が生まれやすい。

一方、コーチングやカウンセリングは先に目的が決まっていて、
そのために個別の技法が作られていますから
全てのテクニックの目的が明確なんです。

技法としてコーチングやカウンセリングを捉えている人からすると
NLPも技法と想像しやすいでしょうから
余計に捉えどころが難しいんじゃないかと思われます。

NLPとは何か?を理解する一番のポイント。

それはNLPは「説明モデル」であって、
「特定の目的のための行動」ではないので決まった目的がない。
そのため紹介される技法にも具体的な目的が設定されていない。

…そういうことじゃないかと考えます。

あくまで技法は、NLPの説明モデルをベースとしたもの、
つまり『プログラムをどう扱うか』だけでしかない、と。

この辺りをハッキリさせると、NLPの紹介もしやすい気がします。

ただし、壮大な内容に思えてくるかもしれませんし、
人によっては魅力的ではないかもしれませんが。

cozyharada at 23:14|Permalinkclip!

2019年02月04日

仕方のない事情

セミナーのスケジュールが立て込んで
かなりゲッソリしていました。

指摘されて計ってみたところ、体重も減っていたようです。
思いのほかエネルギーを使うみたいです。

厄介なのは、ヘロヘロになると体の強張りも自覚できなくなるところ。

一区切りついて、睡眠時間を確保して、
それからジムに行って身体を動かして、
ようやく全身が固まっていることを感じられるようになりました。

「疲れた」という印象から、
「重い」「ダルい」「凝っている」「痛い」という体験に変わるまでに
ある程度の回復とリフレッシュの作業が必要になる、と。

そのあとに、重さやダルさ、痛みをケアして
ようやく日常に戻れるんだろうと思われます。

ここ数年は、新年から4月初旬ぐらいまでが
かなりハードなセミナーのスケジュールになっていて
身体的な負荷が大きくなる傾向があります。

そういえば去年も、書道教室で他の生徒の人たちから
やたらと体調を気遣われることがありました。

みるみるやつれていく様子が週一回だけ顔を合わせる人たちには
ちょうどタイミングよく見てとれたのかもしれません。

何より書道教室は月曜日で、
週末のセミナー疲労を一番引きずっている曜日ですから。

なんでも去年は「病気じゃないか?」という噂が立っていたんだとか。

10年前にはこんなことなかったんですが…。

週4で終日のセミナーをやって、
そこに夜間のセミナーも追加されることもしばしば。

若かったというか、鈍感だったのか…?
それとも今とは違うやり方をしていたのか?

まぁ、当時もセミナーの最中から偏頭痛が酷くて
苦痛に耐えながら講座をやっていたこともあったので、
無理はしていたんでしょう。

それ以上に大きそうなのは、自分のスタンスかもしれません。

10年前は、ほぼ確実に僕が講座の8割以上を担当していました。
全部で10日間のNLPの資格取得コース(プラクティショナーコース)に
大部分の日程で顔を出して直接関わることができていたんです。

しかも、当時は1つ上のマスタープラクティショナーコースまで
かなりの比率の方が来ていましたから、僕の中での認識も、
半ば「両方合わせて完結」みたいな発想があった気がします。

なのでセミナーの時間を通して皆さんが楽になっていく過程を
かなり長いスパンで捉えていたところがありました。

最終的に楽になって、問題が解決して…という発想に近く
プラクティショナーコースの間であれば、
少しずつジワジワと心が緩んでいけば十分ぐらいのつもりだったんです。

実際、それでも最終的には効果を実感して頂けていたと想像しています。

それと比べると、最近は
プラクティショナーコースだけでしか関わらない方が多数派ですし、
そのプラクティショナーコースも、僕が担当できる日数は
多くて4日、少なければ2日です。

場合によっては、プラクティショナーコースで担当しなかった方が
マスタープラクティショナーコースに参加されて、
そこで初対面となるケースさえあります。

とにかく関われる日数が少なく、
心が緩んで、ほぐれるような体験をしてもらえるように
工夫して接することができる時間が限られているんです。

以前は「長期間でジワジワと」という想定でいられたのが
最近は「限られた機会で最大限に」という想定になります。

その意味で、毎回が目一杯で、
余裕をもって気長に捉えるところは減っている気がします。

このスタンスの違いが、
毎回の消費エネルギーを大きくしているのかもしれません。

とはいえ僕にできることは限られているので
今は体調管理を工夫しながら目の前のことに集中しようと思います。

cozyharada at 23:29|Permalinkclip!

2019年01月30日

3つの理由

アカデミックライティングとか論理的な説明の仕方として
紹介されるもののとして見かけるものに、
 結論を最初に述べて、
 理由を3つ説明する
というスタイルがよくあります。

英会話学校に通っていたときにも
そういう説明の仕方をする先生はいました。
それなりにあるやり方なんでしょう。

このスタイルが論理的とされるのは、
「結論」と「理由」という説明に重要な要素が
コンパクトにまとまっているからではないかと想像します。


しかし、「論理的」かどうか、というのは
結論と理由が説明されるかだけで判断されるものではありません。

むしろ結論と理由を結ぶ「論理展開」にこそ「論理性」が表れます。

その意味では、1つの結論に対して3つの理由を述べるスタイルは
コンパクトに情報をまとめているがゆえに、逆に
論理展開が急激になって「論理の飛躍」が起きるリスクも高いはずです。

日本人は一般的に、この論理の飛躍に対して鈍感です。
おそらく聞き手、読み手の側が「空気を読む」「行間を読む」のが
重要だとされるからでしょう。

論理が飛躍している場合には、受け取る側がその飛躍を埋めようとして
なんとか理解しようとしてくれるわけです。

それに対して西洋文化は、説明責任を問われる背景があります。
伝わらないのは説明する側の責任。
受け取る側が「分かろう」と頑張らなくても1つの理解に落ち着くように
明確な説明の仕方をすることが求められます。

そしてそれこそがアカデミックライティングや論理的説明である、と。

なので論理の飛躍がない理由づけの説明が
論理的な文章として評価される傾向があります。

結論が最初にあって、その理由を後から説明すれば
それで論理的な説明になるというわけでは必ずしもないわけです。


僕が英語のライティングを教わった先生はアメリカ育ちの日本人で
学校教育が全てアメリカだった人ですが、
だからこそ論理展開に対して厳格な傾向が強かったと感じます。

ハッキリ言えば、僕の甘い論理展開の仕方は
この先生のおかげで修正されたと思われるほどです。

特に僕のケースではTOEFLのライティングに向けた講座でしたから
TOEFLの採点基準をベースにトレーニングしてもらった形です。

このTOEFLのライティングの基準には、文法やボキャブラリーに加え
・トピックとの関連性
・内容の一貫性
・アイディアの具体性
などが含まれます。

「トピックとの関連性」は議論の内容がテーマと沿っているか。
つまり違う話をしていないか、です。

題材として質問が投げかけられて、それに対して返答する形ですから
質問と違うことを書いていてもダメですよ、ということです。

例えば、「学校は制服を採用すべきである」などのテーマに
賛成か反対かを述べる形だと、あくまで議題は制服の話になるわけです。

話が逸れてしまうのは、よろしくないとされているんです。


そして2番目の「内容の一貫性」ですが、
これこそが理由を3つ説明するスタイルが評価を下げるポイントです。

理由が3つあったら、それだけで
「理由が一貫していない」とも解釈されかねません。

むしろ理由は1つに絞って、その理由の根拠として
3つぐらいのポイントを挙げていくような形のほうが
「1つの理由を一貫して説明している」として評価されやすい、と。

例えば、「学校は制服を採用すべきだ」という話に対して
3つの理由を挙げるとしたら
・お金がかかる
・個性を抑え込むことになる
・洗濯が不便だ
のようになります。

もちろん、3つのりゆうを挙げるスタイルでも
それぞれの理由について
「こうなって、こうなって、するとこうなって、だから〇〇だ」
のように論理の展開は含むはずです。

ここが話の具体性を高める部分。
理由についての具体的な根拠として、事例を挙げる箇所です。

しかし、この形だと事例の具体性が高まりにくいんです。
実際の経験談のようなレベルまでは具体的にしにくい。

なぜなら、そこまで具体的にしてしまうと
ただのエピソードとして読めてしまって、
それが理由とどのように関連しているかが不明瞭になるからです。

ストーリー展開として順序に飛躍がなかったとしても
話の具体性に飛躍が出てしまうといえます。

仮に「お金がかかる」の理由だとしたら…。

「1つ目の理由は『お金がかかる』ということです。
 例えば、私が中学生の時、同級生にこんな家庭の友達がいました。
 彼の家は…」
なんて話になると、
読み手の側が「このエピソードがどうお金と関係するんだ?」
と想像しながら読む必要が出てきます。

こうしたプロセスが、受け取り手に対しての負担でもあるわけです。

理由は1文、なのに急にエピソードが出てくる…という形だと、
理由とエピソードの関連性が不明瞭になる、と。

だからといって
「1つ目の理由は『お金がかかる』ということです。
 制服の値段は通常、〇〇円ぐらいです。
 3年間のうちに一着では済まないとしたら、その額は大きくなります。
 制服の値段が余計な支出を生むので、お金がかかります。」
という形だと、
論理展開は比較的スムーズ(順序は明確)ですが
今度はエピソードといえるほどの具体性はありません。
一般論で終わってしまっている。

採点基準にある「アイディアの具体性」が不足してしまうんです。

論理を飛躍させず、アイデアの具体性を高める。
そのためには理由を1つに絞って「一貫性」を出すほうが効果的です。


一貫性のある説明とは、理由を価値のレベルで示して
それに関する根拠を複数示す形です。

つまり、理由は1つで、その根拠を複数挙げるようにする、と。
そしてそれぞれの根拠について、具体例を複数挙げる。

そうすると「理由ー根拠ーエピソード」のように
具体性のレベルを飛躍することなく展開することが可能になります。

例えば、「学校は制服を採用すべきだ」という話に対して
理由を1つ「お金がかかる」に絞るとしたら…。

「制服を採用すべきではありません。
 なぜなら制服はお金がかかって経済的ではないからです。
 特に中学校のような成長期・思春期では、余計にお金がかかります。
 経済的でない側面としては次の2つが考えられます。

 1つは制服が追加の出費を生むということです。
 中学生に必要な服は制服だけではありません。
 家に帰れば制服から着替えて、普段着で生活する場面も多くあります。
 制服は普段着に追加する形で必要になるということです。
 例えば、私が中学生の頃、同級生にこんな家庭の友達がいました。
 彼は…(以下省略)。

 2つ目は制服そのものが高価だということです。
 一般的な制服の値段は〇〇円ぐらいです。
 これを中学校の間に買い替える場合もあります。
 総額としての出費は比較的大きなものとなります。
 例えば、私の同級生に、中学校で急に背が伸びて
 制服を2回買い替えた友人がいました。…(以下省略)」

こういう形だと「お金がかかる」という理由だけを
一貫して説明していることになります。

しかも一般論での論理展開で因果関係を保ちつつ、
「理由ー根拠ーエピソード」という具体性のレベルも
急激な飛躍を小さくしながら変えて説明できます。


このように、具体性のレベルでも飛躍を少なくし、
かつ因果関係としても飛躍を少なくするには、
主張に対する理由づけは一点に絞り込まれているほうがやりやすく、
かつ論理の一貫性も高めることができるわけです。

理由を3つも挙げるのは、議論の量が多いとき。

ちょっとしたエッセイ程度だとか
シンプルな説明だとかの場合には、
1つの理由について、一貫性のある根拠を追加しながら
具体例まで示せるほうが論理性も説得力も高まると考えられます。

というより、それが
 アカデミックライティングでトレーニングされる内容で、
 論理的な文章展開として認められている
といった話なんだと思われます。

「結論(主張)から先に述べて、後から理由を3つ追加する」
といった形で示せる論理性は、実は
さほど高いわけではないのかもしれません。

それだけで論理的な印象を与えられるテクニックとしては有効でしょうが
論理性を高めようとした場合には、もっと工夫する余地は沢山あるようです。

まあ、そもそも日本人は、
論理的な説明のトレーニングを受けないのが大半ですから
そんなに心がけなくても構わないという考え方もあるんでしょう。

論理性を追求するのであれば、理由の数を絞って
根拠に一貫性をもたせる方法もある、という話です。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!

2019年01月27日

日本語の発音を注意する

いくつか外国語をやっていると、微妙な発音の違いにも
段々と敏感になっていく気がします。

もちろん、それは僕が自然な発音に気をつけたいからでしょう。

世の中には複数の外国語を”話せる”人がいて
YouTubeなどで色々な言語を話す様子を公開していますが、
ほとんどの人はそれなりにネイティブに近い発音を目指して
努力をしているように見えます。

発音のクオリティに個人差があるのは
どれぐらい発音を言語習得において重視するかによるものだとして
それでも発音を完全に無視するというのは適切ではないのかもしれません。

1つには発音できたほうが聞き取りやすい、ということが関係しそうです。
音の区別がしやすいとか、音の繋がりのパターンを認識しやすいとか、
そういう要素があるんだと思われます。


特に、英語なら英語だけのように、1つの外国語をやっているだけだと
その言語の発音の特徴を捉えにくいところがあるような気がします。

人間が物事を把握するときは、常に参照する対象を必要とします。
1つの外国語だと参照できるのが母国語になりやすい。

仮に英語だとしたら、細かく英語の発音をトレーニングすれば
英語の発音のほうに基準を作ることができてきます。

しかし、おそらくそれでも、日本語の音の基準は消えません。
日本語は日本語の音として認識する基準が残る、と。

なので、「日本語よりも〇〇」のように
音の特徴を対比させながら把握するケースが多いようです。

そこで複数の言語を勉強して、それぞれの発音の違いを気にし始めると
微妙な音の違いをお互いに参照させながら、対比として捉えやすくなる。

比べるものが多くてハッキリしている方が
特徴を捉えやすいということだと考えられます。

口の中で舌がどこにあるか、とか
どのあたりで空気の流れを妨げるか、とか、
口や喉のどこで音を響かせるか、とか
どの部分で摩擦音を出したり、破裂音を出したりするか、とか
明確な違いの基準が多いほど
実際に発音するときに心がけやすいように感じます。

そのときに役立つのが、IPA(International Phonetic Alphabet)という
国際的な発音記号の表記法です。

世界中の言語の発音を、記号で分類してくれます。
何語のどの音と、何語のどの音が同じか、などが分かる、と。

もちろん、口の中でどのように作られる種類の音かによって
音素の分類もなされています。
特徴が掴みやすいんです。


とはいえ、いきなり複数の言語を勉強するのはハードルが高い。
しかし英語をやるとして、英語の発音だけを勉強しても
違いの対比がしにくいところもあります。

その大きな理由が、
 日本語の発音を知らない
ということだと思うんです。

日本語を発音の特徴を客観的に知らずに
日本語と英語を対比しようとしても
実際には正確な違いが分かっていないで、
結局は日本語の音で代用してしまったりする事態が起きがちです。

明確に日本語の音と英語の音の違いを理解できれば
何を心がけて判別すればいいかも分かりやすくなる。

英語の音を客観的に理解するためには、
参照指標として使う日本語の音も
客観的に理解できていた方が都合が良いわけです。

なので、日本語の音をIPAの発音記号で調べてみると
英語の発音と実際にどう違うかも掴みやすくなります。


例えば、
日本語のハヒフヘホは、発音記号にすると…

 ha (ハ)
 ci (ヒ)
 фu (フ)
 he (ヘ)
 ho (ホ)

となります。

これが英語だと…

 ha (e.g. house のハ)
 hi (e.g. heat のヒ)
 hu (e.g. hoop のフ)
 he (e.g. head のへ)
 ho (e.g. home のホ ※アメリカ発音)

となる。

日本語のハ行には3種類の子音が使われているんです。
そのことを知らないと、普通にカタカナのハ行で代用してしまう。

日本語の音を知って、そのうえで英語の音も知ると
それぞれの音にどういう違いがあるかが分かってくるはずです。

何を心がければいいのかも自動的にハッキリしてくる。

英語の発音を勉強するだけでなく、
日本語の発音も比較対象として勉強してしまうと
習得が速くなる可能性があると思うんです。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!

2019年01月24日

変動が大きい

ジムに行くようになってから体力はついてきた印象があります。

同じ負荷の運動は楽に感じられるようになりますし、
回数を増やすようにもなってきたりします。

日常的にも階段を上がるのが楽になったり、
走ってみても意外と大丈夫だったり。

先日、予想外に事務手続きで待たされて
約束の時間に間に合わなそうになったときも、
駅まで走るのが平気になっていましたし、なにより
息切れが回復するまでの時間が早かったのも驚きでした。

10年前と比べたら加齢の影響も含めて
体力がどうなっているのかは定かではありませんが、
少なくとも5年前との比較なら格段に体力はついていると思います。


にもかかわらず。

最近、セミナー後の疲労が大幅に上がっている感じがします。

いつからかは覚えていません。
去年の11月にアメリカへ行ってからのような気も…。

自分の身体を大切にする方向で、
身体への意識の向け方を調整するワークをやったので
それが関係あるのかもしれない、なんて想像しています。

意識が体に向きやすくなったため、疲労を自覚しやすくなった。
それで疲労が大きくなったように感じているのではないか、と。


近頃は東京でセミナーがあると、最寄り駅から自宅までの徒歩8分で
タクシーを使いたくて仕方ないぐらいに疲労を感じています。

途中で何度か立ち止まります。

僕のお祖母ちゃんが生前、まだ外出ができていたころ
病院の往復の途中で立ち止まったり、座って休んだりして
やたらと時間がかかっていましたが、それを思い出します。

その状態で帰宅すると、起きていることができないので
だいたい気づいたら少し寝入ってしまう。

でも、1時間半ぐらいで目が覚めると
まあまあ元気が戻っている。
食べ物を口に入れると、また元気が戻る感じがする。

…そんな具合に、疲労へ無理ができなくなっている分、
疲労回復に100%集中する時間が作られてきた気もします。

それが疲労の大きさとして自覚されるのかもしれません。


もっとケアを心がけたほうがいいんでしょうか。

無理の出ないやり方を探したいものです。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!

2019年01月21日

テストを受けました

先日、後期分のロシア語講座が終わりました。

慶応大学の公開講座を取っていたんですが、
こちらは一般的な公開講座や語学学校の進度と比べると
圧倒的に早く展開していきます。

かなり詰め込みなんです。

大学付属の講座ですから、前期後期に分かれた90分の授業で
各期が13回からなる、という普通の大学の授業と同じ形式。

で、レベル分けみたいのもあって、そちらも大雑把です。
初級、中級、上級ぐらい。

各レベルを1年で終える想定になっているらしいです。

90分を13回×2期ですから、一年の間のたった40時間弱で
各レベルが終了してしまうことになります。

どんな言語でも120時間で上級レベルに行くのは大変でしょう。

となると前提として自習が含まれている、と。
あくまで必要項目だけを情報提供するのが講座の役割で
習得のためのトレーニングは自分でしてください、
と言わんばかりの講座になっているわけです。

しかもロシア語は文法的にかなり複雑なので
説明を聞くことと、仕組みを覚えること、
さらにその文法の仕組みを使うのに慣れること、
これらの差は劇的です。

生徒自身が頑張らないといけないスタイルの語学講座なんです。
そこが一般的な語学講座と違います。


そういう早い進行ですと、当然、全員がついてこれるわけではありません。

日頃の復習やトレーニングの量が影響しますし、
人によっては同じレベルを何度もやり直したりするようです。

なので、次のレベルに進むかどうかを決める参考として
こちらの講座では最終日にテストがあるんです。
成績がつきます。

別に落第、ということはありませんが、
先生の側から「この理解度では次のレベルに行くのは厳しい」
という客観的なアドバイスがもらえます。

それを参考に、もう一度同じレベルを取り直すか、
次のレベルに進むか、といった選択をすることになる、と。


僕の今の段階は、中級の半分が終わったところ。
かなり内容は複雑になってきている印象です。

それでも標準のレベル分けからすると、
初級文法がまだもう少し残っているらしいのですが。

ロシア語検定でいくと3級にも受からないレベル。

あと半期やって中級が終わって、それで全部をマスターしたら
3級に受かるぐらいの想定なんだとか。

英検3級が高校入試レベルだそうですから
それと比べたらロシア語検定の3級は随分と難しいはずです。

いったい1級とはどんなレベルなのか…。
まぁ、ロシアといえば文学で有名ですから
1級ぐらいになると読解の文章なんかは
相当に文語的な表現が増えてくるんだろうと想像します。

ともあれ、僕はまだ3級にも届かない初級文法の途中(8割ぐらい?)で
あと半期かけて、学校の設定する「中級」を終える予定となっています。

で、一応のチェック段階として、恒例のテストがあった、という話です。


内容は置いておくとして、一番印象に残ったのは
 どうやら僕はテストが楽しい
ということ。

限られた時間の中で知識を総動員して問題を解く。
プレッシャーのかかったトレーニングになります。

真剣になれますし、チャレンジする面白さもある。

テスト勉強の時期は面倒臭いところはあるんですが、
1つ1つ課題をこなして進めていく感じは
決して嫌なものではありません。

…もちろん、全くできなれば嫌気がさすでしょうけれど。

学生時代はテストに対してネガティブな印象しかありませんでした。
そればっかりの感じでしたし。

ですが、大人になって改めて体験してみると
「普段よりも一生懸命になれる」
非日常的な体験の1つなんだと感じます。

好きではないですが、意外と悪くない。

テストに対してネガティブなイメージを持ってしまっているのは
多くの場合、学生時代の経験のせいでしょう。

そんな体験でもリフレーミングしてみると
その中に含まれた「喜び」の種類を発見できそうです。

cozyharada at 23:13|Permalinkclip!

2019年01月18日

2019年の作品

今年も展覧会がもうすぐ終わります。

自分の作品を見に行ってきました。
やはり広い会場で見ると、小さく見えてしまいます。

以前よりは上達した実感はありますし、
全体の構成とかも工夫できるようにはなりました。

ただ、書道の観点からすると、
特に展覧会の流派を考慮に入れると
線がスムーズ過ぎるんだと反省しています。

スムーズならスムーズな方向性で
もっと極端にスムーズさを表現する。

そうでないなら、直線的な要素が必要になるのかもしれません。

それはあくまで全体の作品の傾向に合わせるためですが。

僕の先生は、あまり直線的じゃないんです。
だからこそ習得しにくい部分ではあります。

手っ取り早く学ぶなら、直線的な書きっぷりの人たちを
実際に見てしまえば良いんでしょう。

なかなかそうもいかないので、
まずは自分で工夫してみる必要がありそうです。

2019独立展

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!

2019年01月15日

単語の覚え方

とりあえず単語を知っていれば
外国語でもコミュニケーションはとれます。

文法は表現方法として言葉の並べ方、加工の仕方の『常識』。

ルールというよりは、皆そうするのが標準、ということで、
標準に近いほど、多くの相手に伝わりやすくなります。

相手も同じような言葉の並べ方をする可能性が高く、
相手の言語的な思考に合わせやすいからです。

文法的にグチャグチャだと、何を表現したいのかが伝わりにくく
相手が理解するために頑張る必要が出てきます。

それでも相手が理解しようとしてくれる限り、
文法が多少おかしくても、なんとか意味は伝わるわけです。

しかし、単語が違っていたら誤解されます。
単語を言わなければ表現できません。

ジェスチャーとかに頼るしかなくなります。


芸能人などが世界各地の集落を訪れて
言葉も知らずに無理やり友達になるようなものがありますが、
あれでコミュニケーションが成立しているのは
ジェスチャーを多用するからでしょう。

そのうえで徐々に単語を覚え、その単語で情報を伝える。

文法を必要としないレベルの意思伝達をしているわけです。

何より、集落側に企画として受け入れ態勢があって
なんとか助けてくれようとしているから、
拙い表現でも分かろうとしてもらえて、
コミュニケーションが成立しているはずです。

語学の先生も、生徒の言うことを分かろうとして聞いてくれる。

しかし実社会では、そうとは限りません。
相手側に分かろうとする必要性がなければ
理解しようと頑張ってはくれないでしょう。

だからこそジェスチャーだけでは足りなくて、
単語を多く知っているほど伝わりやすが上がります。

文法も正確なほうがスムーズでしょうが、
単語と比べると遥かに比重は低くなると思われます。

ちょっと変だけど、何を言いたいかは分かる。
文法が不正確でも、意思伝達としては成立しやすいはずです。

実際、文法が不正確なのは母国語でもあるぐらいですから。

つまり文法は、正確な「表現」をするためのツール、
複雑な考えを明確に伝わりやすくするツールであって、
日常生活レベルで必要な意思伝達をするには
単語を知っていることのほうが重要だ、と。


では、どうやって単語を覚えるか?

僕にとって一番役だったのは、
話の流れの中で単語を覚える形です。

リーディング、リスニングの教材の中で出てきた知らない単語を
単語帳に書き写して、その単語帳を覚える。

僕が英語を集中的にやったときは、並行して
4000語ぐらいの頻出単語リストも暗記しました。

こちらのリストで覚えた単語は、結局
日本語への翻訳でしか記憶していません。

使われ方を覚えておらず、
場面によって変わるニュアンスなどは分かりません。
発音も不正確なので、実際に聞いたときには捉えられない。

それでも一度リストで覚えておくと
「この単語は知っている」という感じにはなります。

それで充分なんだと思います。

頭の中に保存はされている。
ただ思い出せる状態ではない、と。

記憶の第一ステップは保存です。

それを取り出すのが難しいとき、
「覚えていない」と言ってしまうのは勿体ない。

ただ取り出せないんです。
思い出すキッカケが足りないから、
スムーズに引き出されない、というだけです。
意識から遠いとも言えます。

スムーズに引き出すには、引き出すキッカケを増やせば良い。

だから記憶術では、色々な関連づけをさせるんです。
様々なルートで単語の記憶が繋がっていると
色々なキッカケからルートを辿って、その単語まで辿り着けます。

文章の中で出てきた単語を覚えるのが役だったのは
そういう仕組みでしょう。


実際、頻出単語リストで機械的に覚えた単語も
のちのち練習問題の英文のなかに出てきたり
リスニング音源のなかで聞いたりすると、
そこで記憶に定着する傾向がありました。

実例の中で覚えたはずの単語が登場すると
思い出せるものだったとしても、
意味が捉えられるまでに時間がかかるんです。

まして、なかなか思い出せず
「えーっと、なんだっけ?ああ、〇〇だ」
のような思い出され方では、実用レベルではありません。

もちろん中には
「見覚えがあるんだけど何だっけ?…分からない」
というときもあります。

そのときは調べ直して「ああ、そうそう」となります。
このときにも記憶が促進されるようです。

次回は思い出せる確率が上がります。

そうやって思い出しやすくなった状態で、
その単語が含まれる文章を繰り返し読んだり聞いたりすると
徐々に文章全体の意味がスムーズに捉えられるようになります。

このとき、単語は文章の一部として
自動的に意味を処理されていることになります。

ここまできたら、次に同じ単語と出会ったときも
自然と意味が浮かぶ状態になっています。


単語は単体で覚えても分かる・使えるわけではなく
実際の文脈の中で覚えてこそ実用レベルになる、と。

文法がグチャグチャでも、
スムーズに単語が思い出せれて口をついてくれば、
意思伝達はもどかしくないレベルでできるわけです。

そのためには、まず第一歩として
とにかく機械的に単語を暗記するのは効率的です。

この段階はただの保存だけなので、
どんな形でも覚えることが重要です。

単語帳のどこにあった単語かとか、
どの単語の次にあったとか、
そういうレベルの覚え方でも、まずは保存することが先決。

文脈と繋げるのは後からでも構わないわけですし、
何より単語リストを使っている時点で
文脈から切り離されてしまっているのですから、
いずれ文脈との関わりを覚え直す必要はあるんです。

一度暗記した単語を、様々な例文の中で理解する。
一つの単語で複数の例文を作る。

そういう風に繰り返し、違う形で
文章と結びつけるのが効果的でしょう。

例文そのものも脈絡のない一文よりは
何かについての記述の一部として登場する一文のほうが
記憶に残りやすいはずです。

レベルにあった沢山のリーディング、リスニングをやりつつ
登場する単語を片っぱしから暗記して、
その上で何度も復習する、というのが個人的オススメです。

復習の過程で、知っている単語が文脈と結びつき
分かる・使える単語に変わっていくでしょうから。

cozyharada at 23:27|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
育むコミュニケーション


【日時】 
  2018年12月23日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は1月〜2月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード