NLP

2019年08月27日

病院の世界

ここ最近、病院で何度か検査をしてきました。
二か月ほど前に気を失ったことについての話です。

僕自身は心配していなかったんですが、家族が「どうしても」というので
知人の縁を通して大学病院に紹介状を書いてもらって診察を受けることに。

色々な検査データを見ても異常が見当たらないとのことで
結局は「何が理由か分からないから静観」と。

ちょうど時を同じくして母が手術で同じ病院に入院していたため
診察や検査に行ったときに、そのままお見舞いに行くこともできました。

まぁ、その意味では良いタイミングだったのかもしれません。


それにしても外科というのは検査データが重要なんですね。

最初に行った病院は同じ「脳神経〇〇科」でも「内科」だったので
検査データだけでなく、時間をかけて問診をされました。

どういうことが内側で起こっているか、因果関係を調べようとする感じ。
刑事とか探偵とかに近いイメージでしょうか。

それが脳神経外科となるとアプローチも異なってくるようです。
こちらのほうが器質的な問題というか、問題のある身体的部位を特定して
そこを”治療”しようという発想がベースなのかもしれません。


たとえば僕の現状が疑われていた「てんかん」についていえば
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
と考えられていますから、
「脳細胞の過剰な電気的興奮」というのが問題だとされるわけです。

そして
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
のように言うと、あたかも
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
かのように見えます。

確かに時間経過を見ると、脳の電気的興奮が伝わって
意識消失や筋肉の硬直や痙攣を引き起こすまでには
微妙な時間差があるでしょうし、
脳→身体のように部位が移るところにも順序の関係は見てとれます。

その意味では
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
のように言うことも不可能ではありません。

しかし見方を変えると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」に引き続いて
 身体に表れる観察可能な発作が起こる
というのは、
 現象を違うレベルで説明しているだけ
とも言えそうです。


温度と分子の運動の関係のようなものです。
分子が速く振動しているときが高温。

「高温」という温度計で測定可能なデータは、
細かいレベルで起こっている現象としていうと
「分子が速く振動している」ことと一致するんです。

「分子が速く振動する」から「高温」になる
のではなく、
「分子が速く振動している状態」が「高温」に相当する
というほうが正確。

「分子が速く振動する」のは「高温」の原因ではなく、
「温度」という1つの現象を
・分子レベルで説明するか
・温度計で測定可能なデータのレベルで説明するか
の違いでしかありません。


同様に、「てんかん発作」というのも
・神経系統のレベルで説明するか
・観察可能な身体状態のレベルで説明するか
の違いだとも言えるはずなんです。

神経のレベルでいえば、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮が全身の神経系統にまで伝播する状態」
と表現できる。

身体状態のレベルでいえば、
「痙攣や筋肉の硬直や脱力、意識消失が発作的に起こる症状」
と表現できる。

説明している対象は同じ現象のはずなんです。
ですから「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」というのは
てんかんの『原因』ではなく、解剖学的な『メカニズム』です。

ただし、意識消失や痙攣そのものは
「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるとは限りません。

なので、意識消失や痙攣のような身体的発作の種類を、
どういうメカニズムで起きるのかによって分類するのは有用でしょう。

ですから、
 意識消失や痙攣のような身体的発作のうち
 「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるものを
 『てんかん』と呼ぶ
のような説明の仕方になります。


まとめると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす原因
なのではなく、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が起きているときに
 「身体レベルで観察される反復性発作」
のような同時性を表現する方が
言語的な定義としては正確じゃないか、ということです。


このように捉えると、てんかんが起きる『原因』は、
神経系統のレベルで捉えるなら
 「そもそも何が『大脳神経細胞の過剰な電気的興奮』を生み出しているのか?」
という部分に行きつきます。

外科は、その部分をあまり考えないのでしょうか。
メカニズムに対して外的な介入をして制御・修正する。
すると身体的に観察可能なレベルでは症状がなくなる。

そんなスタンスなのかもしれません。


『原因』と『メカニズム』は別物です。

原因は「同じ抽象度における因果関係の繋がりとして説明されるもの」です。
メカニズムは「1つの現象を別の抽象度で説明したもの」です。

この違いはあまり厳密に使い分けられていないのかもしれません。

どちらも「なぜ?」「なんで?」の質問の答えとして許容されてしまっています。

典型的なのは「なんで空は青いの?」という質問。
「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」も、同じ「なんで?」の質問です。

「空が青い」のに原因はありません。
強いていうと、
「今、空が青いのは、雲が通り過ぎて行ったから」
「さっきまで黒かったのに今、空が青いのは、太陽が昇ってきたから」
ぐらいでしょう。

「空気中の水によって太陽光が散乱するときに
 波長の短い青系統の光ほど良く散乱するから
 青の光が目に届きやすくなる」
のような説明は『メカニズム』の説明なんです。

「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」は
「冷蔵庫の中身が空っぽになってしまったから」という『原因』でも説明可能ですし、
「他の店でも買えるのに、あえてスーパーに来たのは
 一度に必要なものを全て買いそろえて時間を短縮したいから」
という『目的』でも説明可能です。

こうした説明の仕方の区別を明確にしておくと
目の前の『問題』についても様々な観点から捉えられるようになるはずです。

身体症状という問題を、原因で見るのか、メカニズムで見るのか。
医学の世界では、どれぐらい明確に区別しているのでしょう?

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2019年08月17日

知らなかった音楽の世界

先日テレビを見ていたら、お笑い芸人で音楽もやっている
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。

作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。

とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシリーズの最後の作品
『ドラゴンクエスト検戮涼罎濃箸錣譴討い襦嵎冉鏤辧廚凄い、
とのことでした。


変拍子というのは、オーソドックスな
2拍子、3拍子、4拍子とは異なる拍のパターンのことだそうです。

ちなみに、3連符を組み合わせると、それぞれ
6拍子、9拍子、12拍子になりますが、
変拍子は3連符を使うタイプとは違うらしいです。

有名なのは「スパイ大作戦」のテーマ。
これが5拍子です。
(最近の「ミッションインポッシブルのテーマは
 アレンジが入って4拍子に変換されています。)


で、ドラゴンクエスト犬涼罎
モンスターと遭遇したときに流れる戦闘中の曲があるんですが、
ここに変拍子がやたらと使われている、と。

基本的に4拍子で進んでいて、
途中で9拍子や7拍子が移り変わりながら入り込んでくる。

曲中に変拍子が入れ替わりつつ入っているのに
不自然さが一切ないというのが凄いんだそうです。

どのぐらい自然かというと、当時の小学生が当たり前に口ずさめるぐらい。
曲のリズムとして完全にマッチしているわけです。

YouTubeで探してみると、いくつか動画も見つかりました。

まずは曲そのものを聞いていただくと良いかと思います。

ドラゴンクエスト犬鬚笋辰燭海箸里△訖佑覆蕾かしい音楽でしょう。
オーケストラバージョンで豪華ですが、こちらです。



開始から39秒までは4拍子で進みます。
ドラムの音や、低音の管楽器を聞いていると4拍子は掴みやすいと思います。

そして 0'40"〜0'58" の間に変拍子が登場します。
9/8, 9/8, 9/8, 2/4, 7/8, 7/8
というサイクルが二回。

9/8は8分音符で9拍ということですから、そこまでの半分の長さを1と数えて
それが9回で1小節になる形。

なので最初から0'39"までは
「1-,2-,3,-,4-」「1-,2-,3-,4-」…と来ていたのが 0'40"から倍の速さで
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1-,2-」
「1,2,3,4,5,6,7」
「1,2,3,4,5,6,7」
と進みます。

これが2回。


こちらの動画には右下に拍子のカウントが出ているので
こっちのほうが視覚的に理解はしやすいと思います。




これを見た後で、もう一度、耳を頼りに…
できればリズムを取りながら
最初の動画↓を見ていただくと、
より変拍子のカッコよさが感じられるんじゃないでしょうか。



テレビを見ながら僕も感動してしまいました。


知らないと察知することすらできないで
当たり前に「ドラクエの音楽」ぐらいにしか捉えていませんでしたが、
少しでも専門的な知識を教えてもらえると
今まで見えていなかった世界が見えてくるようです。

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2019年08月13日

12年も前から

思い返せば、このブログを書き始めたのは
まだ会社にいる頃でした。

NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。

とにかく関心が強かったんです。

だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。

新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。

「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。

ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。

重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。

これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。

実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。


それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。

当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。

むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。

この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。

価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。

なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
 違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)

シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。

そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。

すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。

体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。

言いたいことがあったんです。
そういう時期。


その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。

「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。

誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。

とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。

心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。

それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。

「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。


ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。

何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。

なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。

フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。

ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。

書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。

ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。

パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。

いや、それ以上に大きいのは
 自分の中から出くるものがない
ということでしょう。

なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。

文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。

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2019年08月06日

元型コンビ

ユングは「集合無意識」という言い方で
個人の心を超えた範囲について説明しました。

ユング自身が実際にどのような捉え方をしていたのかは
想像が難しいところもあって、
「心は繋がっている」とまで言えるかどうかは分かりません。

少なくとも「無意識の範囲で共有されているものがある」と。

集団に共通して存在している普遍的なもの。
それがイメージのような形で心の奥底で認識されていて、
夢や神話の中に典型的なキャラクターとして登場する、というわけです。

で、この典型的なイメージ、
色々なところに共通して見受けられるキャラクターを
『元型』という言葉で説明しました。

元型は1つではなく、よくあるパターンのキャラクターとして
複数の種類が提案されています。

ある側面の個性が際立った特徴的な登場人物として
様々なストーリーに「似たタイプ」の性格・姿かたちで表れます。

人気の映画やマンガなどには、必ず際立ったキャラクターがいて
登場人物同士はあまり似ていないほうが普通です。

それぞれの個性が違っていて特徴が強いから
登場人物同士の動き、活躍の仕方が違っていて
ストーリーそのものにもメリハリが出るんでしょう。

そして読者・視聴者は、
自分の個性を色濃く誇張したような典型的なキャラクターに
感情移入しながら心を躍らせることができる。

マンガ『ワンピース』なんて人気が高いですが、
個性の強い登場キャラクターが、仲間として、敵として
関係性を展開していく姿は、その観点からも
多くの人の心を捉えやすいと考えられます。


ユングの考えた元型として有名なのは、
アニマ/アニムス
グレート・マザー
オールド・ワイズ・マン
トリックスター
などでしょうか。

ユングが考えたかどうか定かではないけれども
元型という発想を元に発展していったと思われる
『元型心理学』なんていうのも一部では人気です。

元型の考え方を土台に、ジレットとムーアが提案して
自己啓発系などで人気になったのが
「王、戦士、魔術師、愛人」という4つの元型の理論。

ドラゴンクエスト3なんかは典型的に、
この4つのキャラクターで最初の冒険がスタートします。

ユングの考えのみを元型とするかどうかは意見が分かれるところですが…
人が自然と認識する人の個性、
多くの人が共通して「ああ、そういうのあるよね」と感じる個性の描き方、
ということに注目すれば、パターンはいくらでも見出せるものでしょう。

あとは、どこに注目して、どれぐらい細分化するかの問題。


僕にとって個人的に印象的なのは
・小さくて賢いキャラクター
・大柄で温厚で力持ちのキャラクター
というコンビです。

子供の頃から好きだったマンガやアニメ、映画には
思い返してみると、この組み合わせがあったようです。

実際、自分としては
「大柄で温厚で力持ち」
のほうが好きで
そっちに注目しながら見ていました。

キン肉マンなんかは代表的でしょう。
強くて優しくて、おっちょこちょいな主人公キン肉マン。

僕にとってはキン肉マンばかりに目が行っていましたが
いつも隣には参謀役としてミート君がいました。

小さくて賢いキャラクターの典型だと思われます。

ハッキリと、その二人だけが際立った主人公コンビ
となっている必要はありませんでした。

むしろ沢山の登場人物の中に
そういうコンビ的な立ち位置があると気になる。
そんな傾向だった気がします。


マンガ『バカボン』に出くる
「はじめちゃん」と「バカボン」。

『サイボーグ009』に出てくる
「001」と「005」。

『三つ目がとおる』に出てくる
「写楽保介」と「和登千代子」。

もしかすると『スターウォーズ』の
「R2-D2」と「C-3PO」なんかもそうかもしれません。
(C-3POは強くないですが、温厚な感じはあります)

似たようなパターンは沢山ありそうに思います。

なんとなく、こういう組み合わせなんかも
元型的に多くの人の心の奥にシェアされているのかもしれません。

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2019年08月01日

放っておけない人

誰かに対して、何かをしてあげずにはいられない
 とか
誰かのことを放っておけない
 とか、
そういうときには、非常に高確率で
『その人本人が過去に負った心の傷』が関係しているようです。

特に多いのは「別れに伴う後悔や罪悪感」など。

「もっとこうしていれば…」
「何もしてあげられなかった」
「こんなことなら、あのときに〇〇していたのに…」
といった気持ちをもったまま別れを迎えると、
突然の別れに伴う『ショック』と
大切な存在が戻ってこない『寂しさ』とが重なって
強い感情を抱えることになります。

この強い感情が記憶の定着を促す。
結果的に、そのときに浮かんだ後悔や罪悪感にまつわる思考が
パターン化された経験則として保存されることになります。

これを『ビリーフ』と呼んでも構いません。
とにかく「何もしないと、いずれ後悔する」という経験則が
ワンパターンの凝り固まった考え方として残ってしまうわけです。


そしてその後、同様な形で別れに繋がりそうな場面に出くわすと
過去の記憶が自動的に蘇ります。

多くの場合は、本人にとって記憶の内容までは無自覚ですが、
心の中には複雑に混ざり合った気持ちが起きてくるわけです。

混ざるものとしては…
・そのときに体験したショックと寂しさの感情
・自分の過去の行動に対する後悔や罪悪感の感情
・後悔や罪悪感に基づく「二度とこんなことは繰り返さない」という思考
・「また同じような別れになるかも」という思考と、それゆえの恐れの感情
・後悔を繰り返さないため、恐れている結果を防ぐための行動
・その行動を力づくで成し遂げようとするときに生まれる怒りの感情
あたりでしょう。

こうした複雑な状態が一気に引き出される。
自分でも良くわからない、取り乱した感じになるといえます。

ですから、その状態で浮かんでくる考えとか
相手を説得しようとして言う内容などは
思い付きのものに近く、深く吟味されたものではないほうが自然です。
というよりも、注意深く考えることができない状態になるんです。


もちろん、前提には、目の前の相手に対しての特別な想いがあります。
どうでもいい他人ではない、大事な存在として認識するからこそ
「この人まで失いたくない」という気持ちが生まれるのでしょう。

なので、本人の自覚としては「心配」という表現になりがちです。

しかし実態として内面で体験されている内容は、
目の前の相手に対して生まれた気持ちや感情ではなく、
むしろ過去の別れの体験の際に残った心の痛みのほうなんです。

目の前の相手との別れを想像させる出来事があったときに、
似たような過去の別れの体験にまつわる記憶が蘇ってきて
過去に味わった複雑な心の痛みが、今そこで再体験されてしまう、と。

つまり実際には、目の前の相手に対しての気持ちよりも
過去の心の傷にまつわる気持ちのほうが強く出てしまっているわけです。

言い換えると、
 目の前に相手がいるのに、その相手に対する気持ちではなく
 過去に別れを経験した相手のほうに意識の大部分が引っ張られている
ということです。

皮肉な話です。
本人は目の前の相手を思っているつもりでしょうけれど、
実際に起こっている心の動きは、過去の別れに対しての思いなんですから。

目の前の人は、本人が過去に体験した別れに伴う心の傷を
思い出すためのキッカケになっている、といえます。

そうなると意識の大部分は過去のほうを向いてしまって、
大切なはずの目の前の人から目を背けてしまうことにもなりかねません。


ポイントは「二度と同じことを繰り返さないように」という発想から
「同じような結末を防ごうとする」行動を取りたくなるところ。

ここで「別れ」という出来事そのものを防ごうと躍起になりがちです。

しかし現実的には、どうにもコントロールできないことがあります。
自分の外で起こる出来事は、自分のコントロールの範囲外です。

にもかかわらず、なんとかコントロールしようとする。

一方で、「二度と同じことを繰り返さない」ようにするのは
シンプルに言えば、「後悔しない」ようにするという話です。

後悔は「あのときに、こうしていれば」といった形の発想ですから
「自分が最善を尽くした」と思えるようにするのが原則でしょう。

出来事のレベルで結果を変えようとするのではなく、
自分の行動として「後悔の無いように、できる限りの関りをする」。
これなら自分にコントロールできる範囲です。

結果に関しては、いずれ受け入れざるを得なくなるものなんです。
「自分にコントロールできないことだった、仕方なかった」と思えてくる。
現実の不条理さは、時間が経てば受け入れやすいんです。

しかし、自分にコントロールできたはずのこと、
つまり「もっとこうしておけばよかった」というレベルの
自分の行動に関しては、「仕方なかった」とは思いにくい傾向があります。

自分にコントロールできたはずだからこそ、
そこに後悔が残りやすいんです。

だからこそ、自分には受け入れ難い結果を変えようとして躍起になるよりも、
自分にコントロールできる範囲の自分の行動として
悔いのない精一杯の関わりをしておくことのほうが、
のちのちに大きな意義を持ってくるわけです。


我が家で飼っていた犬は、二回とも骨肉腫にかかりました。
晩年は、それで体調を崩していたものです。

直接の死因は別の呼び名だったと思いますが、
寿命を短くしたのは骨肉腫だったと言ってもいいと思います。

間接のところに腫瘍ができて、大きく膨れてくるんです。
その重さで歩きにくそうにも見えました。

当然、心配になります。
動物病院に連れて行きます。

「腫瘍ができていますね。
 悪性か良性かは、生検をしないと分かりません。
 念のため調べてみますか?」
という話になって、腫瘍を一部切り取って検査をしました。

悪性でした。

じゃあ、手術をするか?

そのときの犬の年齢を考えると、手術に耐える体力があるかも疑問。
手術代も高額です。
手術が上手くいっても、老い先は決して長くはない時期でした。
手術をしなくても、それなりには生きるだろうという見立ても。

結局、我が家では手術はしないほうを選びました。

しかし、腫瘍を切り取った傷口がなかなか塞がらず
傷口はいつも血でにじんでいる状態が続きました。

そして9歳で命を終えました。

果たして、手術をするべきだったのか?
手術をしてれば、もっと長く生きられたかもしれない。

どうせ手術をしないなら、検査もしないほうが良かったんじゃないか?
それだったら血だらけで痛い思いをせずに晩年を過ごせたのでは?

そんな考えにはキリがありません。
結果をコントロールしようとすれば、別の選択肢を知っているからこそ
「あっちを選んでいれば、もっと良かったかもしれない」
という発想を持ってしまいがちです。

そして後悔する。

仮に手術をしていたとしても、上手くいったかは分からないのに。
手術をしたほうが寿命を縮めてしまった可能性もあります。

もしそうだったら
「手術なんてしないで、そのまま生かせてあげればよかった」
という後悔をしていたはずです。

手術が上手くいったケースでさえ、
「やっぱり手術なんかせずに、自然にしてあげたほうがよかった。
 あんなに苦しい思いをさせてまで、1,2年長生きしても意味がない。」
なんて形の後悔をしていた可能性だってあるんです。

結局、何を選んだって、後悔するんです。
「別の選択肢を選んでいたら、もっと良かったかもしれない」
という発想を持ってしまう限り。

出来事としての結果、つまり自分の身体の外に起きることを
コントロールしようとして何かをしたとしても、
それはコントロールの範囲外だからこそ
常に「もっと良かったかもしれない」可能性が浮かんでしまうんです。

考えても仕方ないことなんです。

それよりは、
「犬と一緒にいた限られた時間、
 自分が犬のためにしてあげたいことを全部やったか?」

そういう話です。

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2019年07月26日

ビジネスのお手伝い

なんだか色々と重なって落ち着きのない時期を過ごしていました。

最近は歩いていると目眩というか、
意識の一部がどこかに持っていかれるような感じがあって
街中を歩きにくいところがあります。

とくに周りに人が多いとき、後ろを人が歩いているときなどになりやすい。
察知している範囲が広すぎて、過敏になっているのかもしれません。

そういう状態だと満員電車で立っているのはリスクが高そうですから
混雑した電車を避ける度合いも以前より増してきています。

なので近頃は平日のセミナーがある日には
早朝の電車に乗って、現地で時間をつぶす形になってきました。

ネット環境が整っていれば待ち時間にブログを書いたり…
ということもできそうなんですが、
6時過ぎに都内でやっている店は滅多にありません。

仕方なく限られた場所で仕事をしている形です。


不思議なもので、僕のように個人で活動をしていると
仕事の種類は時期によって異なってくるようです。

ここ1,2年は、多少ビジネス寄りのお手伝いも増えてきました。
広告を考えたり、ホームページの文面を考えたり、
プロモーションの素材をアレンジするお手伝いをしたり。

もともと僕は、何かを売り込んだり、アピールしたりするのは
あまり好きではありませんし、得意でもありませんでした。

が、基本的には「物やサービスを売る」というのも
 人の心に「購入」という動機づけをする
だけの話だと考えれば、仕組みとしては扱えます。

効果が出るかどうか、の部分では
経験知がある方には遠く及びません。

なので「こうしたら売れそうだ」という勘を蓄えている人に対して
「こういうのはどうですか?」と考えを提示して
それで「あぁ!それは良いですね!」となれば役に立ててもらえる…
そんな形になっています。

そして、そういうことを続けていると自分でも作業に慣れてきますし
なんとなくのポイントも掴めてくるんでしょう。

自然と頭の中が整理されてきて、
抜けていたポイントなどが見えるようになってきました。

おそらく結果の出ている広告やホームページなどを見る量を増やせば
コツにあたるところも分析できるだろうとは想像しています。

あとはヤル気の問題。

それでも、そういったビジネス方面のお手伝いなんかもしていると
自然と同じようなお話がやってくるみたいです。

これに関しては、僕が手を動かす量も増えるので
パソコンの前で時間と労力を費やす比率が上がっている現状です。

他へ手が回りにくくなりますね。


ビジネス系のお手伝いも結構できそうだ、という話になってくると
「だったら自分の仕事も上手くアピールしたらいいのに…」
という発想も浮かんでこないわけではありません。

ですが、こちらに関しては本当に腰が重い。

そもそも僕は、自ら率先して動くタイプではないんでしょう。
NLPにはメタプログラムという特性分類がありますが
それでいうと「反映分析型」と呼ばれる傾向が強いんだと思われます。

状況を見て、それに合わせた対応をするスタンス。
ですから気軽な一歩を踏み出すということが少なめです。

「0から1を作り出す」みたいな最初の一歩は好きではないんでしょう。

本当に「ただ動く」だけだったら動けますが
「最初の形を完成させる」ということには辿り着きにくいようです。

逆に「1を10にする」作業は得意分野といえます。
既にあるものを分析して、アレンジして改善する。

そういえば研究職時代もそうでした。
誰かが作った製造プロセスを改善したり、
製造現場のトラブルを解決したりするほうが成果が出やすかったものです。

ビジネス関係でも、ホームページや広告のシステムを
1つの形として作り上げる作業を担当するのは向いていない気がします。

とりあえずラフで良いから作ってもらって、
それをアレンジすることしかできません。

とりわけ動機づけになるのは「頼まれたとき」です。
頼まれれば、依頼者のニーズに沿って工夫します。

ラフで書かれたものから意図を汲みとって
それが伝わりやすい形に整理して、効果的な文面に編集する。

この作業を求めて下さる方がいるのは、ほぼ確実に
『誰も自分の言いたいことを上手く言葉にできない』
という理由からだと考えられます。

主旨は読み取れる。
あとは、その趣旨が一般に伝わるかどうか?

本人は伝えたいことを分かっていますから
論理展開として理由の説明が省略されて、飛躍してしまいがちなんです。

逆に、言いたいことが増えすぎて、筋道が見えなくなる場合もあります。
「また」とか「あとは」とか「あるいは」が多い。

重要なメッセージを具体的に説明するための例として語られる部分ですが
あまりにも並列で情報を追加されると、
話の流れを保持できない人は多いものです。

「言いたいことが多い」ケースに関しては
キャッチフレーズの長さなどにも反映されがちなようです。

最初の一文で目を引く必要がある、だから
大事な内容を一文に全て含めたくなる。

伝わらなければ意味がありませんから
分かって欲しい内容が含まれない文章では上手くいかない。

かといって、伝えたい情報を一文に込めると
文章の構造が複雑になりがちなんです。

例は省きますが、英語でいうと関係代名詞がたくさん使われる感じ。
一目見ただけでは文章の内容理解が追いつかない可能性があります。

長文を読みなれている人、英語の翻訳本を読み慣れている人は
頭の中に情報をキープしながら内容を組み立て直すのが得意になっています。

だから自分には理解できる文章として、複雑な構文を作りやすい。

ところが広告などのキャッチフレーズは、一番最初に目がとまるところです。

読み手がどのように目線を動かすか?
読み手が何文字を一気に捉えられるか?
読み手がどれぐらいのスピードで文章を読めるのか?

そうした読解力の違いによって
キャッチフレーズの内容理解の仕方が異なるわけです。

気になる単語だけに反応して
頑張ってキャッチフレーズを読んでくれれば大丈夫ですが、
キャッチフレーズの文章の解読に負担がかかって
読むことさえ止められてしまっては、元も子もありません。

広告やホームページを目にする人が、どんな人なのか?
その文章を書いている自分と同じ頭の使い方をしているとは限りません。

自分にとって問題のない、当たり前の文章を書いたとき
それが一般とマッチしないことがある、という話です。

論理が飛躍するのも、
「これぐらい言えば納得するだろう」という理由の説明が
自分の理解の仕方を基準にして作られているから、といえます。

キャッチフレーズが長くなるのも
「自分なら、この文章で意味が分かる」という発想のもとに
平均的な人のことを想定していない、といえるでしょう。

どうしても自分にとっての基準で文章を作ってしまいやすいんです。


ビジネスにおいて、特にこれは仕方のないことかもしれません。

最初に公告やホームページなど、形を作ることができる…
つまり「0から1を作れる」特性があるわけです。
前述のメタプログラムでいうと『主体行動型』です。

主体的に行動をする、というのは
端的にいうと「自分の気持ちに素直に動く」と言い換えられます。

周りに合わせて行動を選ぶというよりも
自分を基準にして率先した行動が多い、ということです。

反対に反映分析型は、ああだこうだと人の気持ちを考え過ぎたり
多くの可能性を検討し過ぎたりして、行動に踏み出せません。

ビジネスを立ち上げた”主役”に多い主体行動型は
そもそも他人の立場で考える頻度が少ないんです。
だから行動が早いともいえます。

その分、メッセージを表現するときには
自分の基準で語ってしまいやすい。

読み手、聞き手の立場に立つとか
平均的な傾向を想定して、それに合わせるとか
そういったことは積極的にしないわけです。

僕はそのタイプではありません。
色々と検討してから行動します。
だから自分のビジネスを形にするのが面倒臭くなりがち。

世間との数少ない接点であるはずのブログだって
この通り、いつも後回しです。

反面、一度作られたものを編集するのはやりやすい。

このあたりの個性の違いがあって
ビジネスを立ち上げる人たちの個性を補える形になっているからこそ
自然と頼まれることが増えてきているのかもしれません。

自分からやるつもりは相変わらず、あまりないんですけど。

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2019年07月11日

スピーキングの練習法

先日のフランス語のマンツーマンレッスンで
そちらのスクールに通い始めてちょうど一年という話になりました。

ときおり振り返ると変化を意識しやすいものですね。

それまでにも通っていたフランス語スクールに加えて
新たにマンツーマンを始めたのは
スピーキングに特化して練習したかったからです。

(※フランス語では「スピーキング」とは言わず、
 「production orale(プロデュクシオン・オラール)と呼びます。
 「口頭での文章作成」みたいなニュアンスでしょうか。)

もう1つの長く通っているほうは「全技能をバランスよく」
ということになっていますが、まぁ簡単にいうと
フランス語でフランス語の授業を受けている感じです。

テキストを使って勉強するときもあれば
CDを聞いて答えるトレーニングもありますし、
動画を見てディスカッションするような時間もあります。

効果はもちろんあるとは思いますが、
話すトレーニングの度合いとしては低いと感じていたんです。

で、発話に特化したトレーニング機会を設けた、というわけです。


やることはシンプルです。

事前に自宅でA4一枚のライティングをする。
ただの近況報告というよりは、もうちょっと抽象的な議論が多いというか、
ちょうどブログで書くような感じの内容です。

「こういうことがあった。
 そのときにこんな話になった。
 それはこういうことだと思う。」
みたいな感じ。

効果的な学習法とか、世情や文化の違いについての分析とか、
そういうテーマが多いと思います。

このライティングの過程で、ライティングそのものの練習もできますが
文法のルールを再確認しなければいけないので文法の正確性も上がりますし、
知らない単語や表現は辞書で調べることになるので表現力も上がります。

単語や表現は自分で作文すると記憶に残りやすいですね。
よく使う構文や表現は、調べなくても自然と浮かんでくるようにもなります。

そうやって準備したものをレッスンに持参して、
書いた内容について、そのレポートは見ないで口頭で説明する。

書いたときに印象に残っている表現をそのまま使ったり、
もっと日常的な表現に置き換えたりしながら話すようにします。

話す内容は決まっているので、そちらに頭を使う必要がありませんから
考える作業はフランス語の表現選びだけに集中することができます。
(もちろん文法は常に意識することになりますが)

この間、間違いや不自然な表現があれば先生がメモを取りながら指摘してくれ、
さらにその場で単語が出てこないときには助け船も出してもらえます。

僕の場合、英語と対応させるようにフランス語を勉強しているので
「英語でいうと○○なんだけど…」というと
それに合ったフランス語の単語を教えてくれます。

その先生は、そのスクールで英語とフランス語の両方を教えていますから
英語力も相当なもののようです。

ときどき「自分のフランス語が英語に汚染されていて出てこない」と言って
辞書を使って調べるときもありますが、
僕が出せなかった言葉をその瞬間に教えてもらえるのは助かります。

余裕があれば、その場で教わった言い回しを文章単位で発声してみて
記憶に残るようにトレーニングもします。

で、一通り説明が終わった段階で、その内容についてディスカッション。
ボキャブラリーや表現は活用しやすい状態になったまま
さらに自分の思考内容とフランス語の表現を関連づけられます。

こうすることで自分の思考、つまり概念ネットワークに
フランス語のラベルを貼っていくことが可能になるはずです。

で、最後にライティングそのもののチェックをしてもらう。
ここで文法の正確さや、フランス語らしい言い回しとかも指摘してもらいます。

当然、レッスンの最初は挨拶をして近況報告などもしますから、
そのときには完全にテーマがフリーの状態で話すことになって
純粋にフランス語で発話することのトレーニングもできる形です。

このフリートークでは、ライティングやディスカッションで使った表現を
自然と自分の話の説明に応用するようになっていきます。
ちょっとずつ覚えたことを実践する時間です。


このようなトレーニング形態で一年。
月に2,3回でも合計で2400分(=40時間)もやると
段々と発話がスムーズになってきた実感があります。

流暢とはいえないレベルではありますが
内容によってはそこそこスムーズに話せる感じでしょうか。

テスト対策さえすれば、ボチボチ仏検1級とかも目指せそうな印象です。
(ただし、ヤル気はありません)

僕がやりたいスピーキングのトレーニングの形をやらせてもらえているので
このスタイルの効果を示せそうな気はしています。

もっとスピードを上げるには、頻度を高めることと
「聞き取り→リプロダクション(繰り返して言う)」
のトレーニングを組み合わせると良さそうです。

僕はそこまで気合が入っていないものの、
本気で外国語習得したい場合には組み合わせの効果は高いと思います。

あとは書いた文章を覚えて暗唱できるようにしてしまう。

自分にとって重要なテーマの内容だけでも
暗唱できるレベルにしてしまうと一気に土台を作れるはずです。

要素としては、
|姥譴簓集淑法を覚えたり、文法を正確にしたりする土台強化
覚えた単語や表現を自分の考えの説明のために応用する運用力強化

,療畋羔化は、その前提に基礎を確立しておくことが求められます。
基礎的な文法は完全に覚えていなくても把握しておくこと、
少なくとも辞書を使って文章を読解できる状態というレベルが必要でしょう。

そのうえに、△捻人僂垢襪燭瓩良品を追加していく感じです。
△留人冦呂鮹辰┐訝奮では、正確性はさほど重要ではありません。

間違えてもいいからアウトプットする。
覚えている部品を組み合わせる練習です。

この組み合わせのスピードが流暢さに直結します。

とはいえ、滅茶苦茶な組み合わせを練習してしまうと
受け取る側にとって理解が困難な文章を作るのに慣れてしまうので、
ある程度の正確性をキープしながら組み合わせの練習をするのは大事なはずです。

ということで、僕はレッスン中には、先生のチェックに頼りながら
正確性を保持しつつ運用のほうのトレーニングをしている、ということです。

一方、事前のライティングの段階では,良集修里燭瓩療畋羔化をしていて
チェック段階でさらに正確性を気にできるようにする意図です。

,陵彖任箸靴董部品を一気に増やしたいのであれば
書いたものを暗唱できるレベルに覚えてしまえば効率が上がると考えられます。

そこまで急がなければ、
「書いてきて、それについて話す」
だけでも効果はあると思います。

僕はそれで効果を実感していますし。

このトレーニング方法に興味がある方がいらしたら
お手伝いをしても良いかなぁ、と考え中です。


ただし、僕が1つ困っているのは
英語とフランス語が混ざってしまって
相互に悪影響が出るところです。

例えば、英語では一単語で言えることを、フランス語では
四単語ぐらい組み合わせないといけない場合があります。

なので英語で話している最中に、ついフランス語の癖で
複数の単語が頭に浮かんでしまうことがあるんです。

以前はパッと一言が浮かんでいた場面で
余計な作業をする必要が出てきてしまっている状態です。

英語の表現を探すのも時間がかかってしまう印象があります。
以前は英語の表現しかなかった「外国語モード」の中に
他の言語の表現も入っているせいで
探索の作業の労力が上がっているのかもしれません。

フランス語の文法に正確でいられていないせいで、
うっかり悪い癖になりかけている部分も
英語を話すときにまで出てきてしまうことがあります。

ただ混ざるというよりは、
フランス語のレベルのほうに引っ張り下される感じ。

この悪影響が周期的にやってきます。

ある程度になると英語とフランス語が区別されて
英語への悪影響が自覚できなくなるんですが、
またどこかのタイミングで再び悪影響が出てくる。

おそらくフランス語のほうが上達している時期ほど、
頭の中のネットワークの繋ぎ換えが活発になって
以前に作られていた英語ネットワークまで一緒に
おかしなことになってしまうんじゃないでしょうか。

こういうのは何かの変化を導入するときには
避けられない過程のような気もします。

いつか再び分割されるとは思うんですが…。

とりあえずは英語のほうが維持されやすいよう
英語でのインプット量を増やしておくことにします。

cozyharada at 23:06|Permalinkclip!

2019年07月08日

続かない人たち

ジム通いも気づいたら2年を過ぎていました。

僕が入会したのはジムがオープンして2か月目ぐらいのとき。
オープン記念のキャンペーンをやっていて最初の2,3か月は
割引をしてくれていたのを覚えています。

その後も様々なキャンペーンを繰り返し、
新規の入会特典は名目を変えながら何度も行われるようです。

知人を紹介して入会してもらうと、紹介者も新規入会者も
どちらも一定期間の割引が受けられるようなものもありました。

そして2年以上が経った今、先日から
「義理友割」とかいうキャンペーンが始まりました。

「一人じゃ続かないから、一緒に入って!お願い」
という心情を代弁する形のポスターが貼られています。

二人同時入会だと割引になる、ということなんですが
始める前から「続くかどうか心配だなぁ…」
と心配する人もいるものなんでしょうか?

むしろ、入会を検討する人は最初のうちぐらいは
それなりにヤル気を持ってジムを比較検討しそうな気がします。

どちらかというと、そうやって誘われた人のほう、つまり
自主的にヤル気を出していたわけではない人のほうが
「うーん、健康には良いんだろうけど、続くかなぁ…」
みたいな心配を抱きそうな気がします。

もしくは、既に入会していて、最近サボり気味になっている人が
「あー、最近ジムに行っていないなぁ。
 誰か一緒に行ってくれたら、もうちょっと通えるかもなぁ。」
なんて思うことはあるかもしれません。

ただ、この場合、ジムに来ていないのでポスターを見ることはなく
キャンペーンの存在に気づかないと思いますが。


ということで、個人的な印象としては
 ジム経営者側の勝手な推測で利用者の心境のイメージを作って
 それに基づいたキャンペーンを打った
ような感じに見えてしまうところがあります。

こちらの本心としては、ジムが混むのは嫌なので
そんなに入会を増やしてくれる必要もない、というのが正直なところ。

一方、そうしたキャンペーンを打ちたくなる理由も想像できます。

それは実際、続かない人が多いみたいだから、です。

入会直後によく見た人も、最近は見かけないことが増えてきました。
長続きしている人は、僕と同じ利用時間帯だと数人じゃないかと思います。

僕自身は週に1,2回、だいたい決まった時間帯に行きます。

以前は、その時間帯にいつも来る人が何人かいました。
運動が苦手そうな人も、筋トレマニアみたいな人も、どちらも。

それなりに長い間、頻繁に見かけていた人もいました。
彼らも今では見かけません。

時間帯を変えたのか、曜日のサイクルを変えたのか、
あるいは引っ越しでもしたのか…。


そのうちの一人は、先日たまたま見かける機会がありました。
この人は筋トレ好きというより、ランナーのような印象です。
トレッドミルのフォームがスムーズですし、下半身も鍛えています。

久しぶりに見かけたわけですが、あいかわらず異臭を放っていました。

また、一時期は毎回のようにタイミングが重なっていたインド人も
最近では全く見かけなくなりました。

彼の熱は半年ぐらいで冷めてしまったのかもしれません。

数か月ぐらいは頻繁に見かけるのに、その後は見なくなる…
そんな人は大勢いたような気がします。

ブームが過ぎ去ってしまうんでしょうか。

筋トレ好きの側の人たちも、見かける頻度には波がある気がします。
最近は、器具を占有する人も減ってきたようです。

こちらとしては使いやすくて良いんですけれど。

筋トレマニアの多くは若い世代のようなので、
転勤だとか就職だとか、会社内の部署の変化とか
環境として変化が起きやすい傾向はあるかもしれません。

同じ生活スタイルが続きにくい世代といいますか。
夜の時間帯に通うのが難しくなっただけの人もいるようには思えます。

あとは、近所の別のジムに移ったか。

二年前は24時間営業のジムも、近所ではその一店舗だけでした。
それが次々に別系列の店舗がオープンして、
近郊に数軒はある状態になってきたみたいです。

住まいからの距離とか、通勤の通り道とか、
もしかすると価格とか、設備の充実度とか、
そういう理由でジムを変えた人もいるのではないかと想像します。

筋トレ好きの人の場合、設備の充実度なんかで
場所を変えることはありそうにも思いますが、どうなんでしょうか。


そんな中、1年半前ぐらいから、
コンスタントに見かけ続けている人が一人だけいます。

利用時間帯が同じぐらいのタイミングの人。
おそらくスペイン人です。
50歳ぐらいでしょうか。

決してトレーニングマニアという感じではなく、
本格的なトレーニングをしているようではなさそうですが
マシンの設定としては、かなり強い負荷で頑張っています。

脂肪もタップリつきながら、体を大きくしたいみたいです。

見た目から地中海系の人だろうと想像できます。
歩き方もアメリカ大陸の人とは違いますし。

イタリア人とは動作のリズムが違うのと、表情なんかも違います。
まぁ、スペインだろう、と。

先日、その人がトレーニング中に自分のスマホで音楽をかけていました。
(本当はイヤホンの使用が義務づけられていますが)

その音楽が全てスペイン語だったので、
ほぼ間違いはないと思います。

わざわざ話しかけて尋ねるほどでもないですし。

ということで、夜の時間帯にコンスタントに通い続けられるのは
どうやら一般的な日本人には少ないようです。

僕の生活は一般的な日本人とはズレてしまっていますし。

しかしながら、そういう生活スタイルだからこそ
24時間営業のジムが助かるんです。

あまり利用者が多くて使いにくいのも嫌ですが、
かといって利用者が減ってしまって潰れてしまうのも困ります。

僕だけでなく、少なくともそのスペイン人男性も
細々と長続きしてくれることを願っていることでしょう。

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2019年07月03日

あやういところでした

少し前のことですが、打ち合わせで出かけていて
岐路に着こうと、先方の最寄り駅を歩いている途中、
駅構内で気を失って転倒しました。

少し雨が降っていて、足元が滑りやすい状態で
改札に向かう途中の階段で最後の一段を踏み外してしまったんです。

それで軽く転んで膝を打ちました。

このときはまだ何ともありません。
ただ「イタタ…」という感じ。

しかし滑って転んだ際に、身体的には緊張が走ったようです。
いわゆる交感神経優位の状態という感じでしょうか。

アドレナリンなんかも出ていたと思います。

そのまま改札を通り、エスカレーターに乗って
反対側のホームへと移動しようとしていたとき、です。

徐々に意識状態がおかしくなってきているのに気づきました。


過去にも気を失ったことは何回かありましたから
「これは少しマズイな」と考えて
急いで帰るのを止める決断をしたんです。

「とりあえず反対のホームに移って、あそこのベンチで休もう」と。

ところが状態は悪化する一方。
「これはチョット、呼吸を整えて落ち着かせる必要がありそうだ」
と思って、まずはとにかく立ち止まって休むことにしました。

それでエスカレーターを上り終えたコンコースの通路端、
壁際の柱に寄りかかって落ち着きを取り戻そうとしたんです。

が、結局、その瞬間が最後の記憶でした。

次に気づいたときは、なぜか地面に突っ伏していて
よく分からないけれど通りすがりの人から
「大丈夫ですか?」と声をかけられていたんです。

とはいえ、こちらはまだ朦朧とした状態です。
なんのことやら分からずに突っ伏したままでした。

それでも最初に意識が戻ったキッカケは、
一人のおばあさんの声だったと思います。


たまたまその人が看護師だったので、親切にも駅員を呼びに行ってくれて
念のためということで救急車の手配まで協力してくれました。

救急車が来るまで10分ぐらいあったらしいですが、
その間に朦朧とした感じが少しずつ治ってきて
救急車に運ばれるときには立って歩けるぐらいの感じでした。

そして病院に着くころには、ほぼ普通に戻っている。
若干のダルさがあるぐらいなものでした。

なので検査をしても何も異常は現れず、
問診をしても医師からは「おかしい、分からない…」の繰り返し。

まぁ、医療的には問題が見つからないということなので
あまり気にしなくて良さそうな話にはなりました。

ただ、これまでに気を失った経験を振り返ると
やはり共通点があります。

何かしらのショックがあって、交感神経が急に活発になるような感じ。

貧血とか立ち眩みなどのように、クラっとする体験ではないんです。
何か普段と違う機能が働いて異常が起きるような印象を受けます。

駅の改札あたりから自分が考えていたことを覚えていますし、
その判断に基づいて行動をしたところもあったと思います。

が、これは「考えて判断した」というよりも、
思考や判断を司る脳の部位は普段通りの機能を保っていて
その部分が普段と変わらずに状況分析をした内容を
言語的に表現していただけに過ぎないのかもしれません。

それとは全く別の部分、体の機能や意識状態と関係するような部位では
思考の内容とは無関係に異常が進行していたと想像できます。

なので自分としては冷静に状況をモニターして判断したつもりでも、
実際には、意識的な自覚とは離れたところで
気を失う方向の異常事態が進んでいたんじゃないかと思われます。


この手の体験、つまり交感神経系が過剰になってバランスを失い
意識状態がおかしくなって気が遠のいていく感じの状態は、
数か月前に、MRIを取っていた最中にも起こっています。

そのときは程度がさほど強くなかったのと
そもそもが寝たままの状態だったのと、
その日の体調なんかも関係しているのかもしれませんが、
うまく呼吸を整えて対処することができました。

MRIのときも妙な緊張状態があって、
交感神経が過剰な感じだったように思います。

そして、つい先日も危ういタイミングがありました。


夜中にジムに行ってきた帰り道です。

若干暗い道を歩いていると、一軒の建物の駐車場に看板を見かけました。
選挙事務所の看板のようで、候補者の顔写真が載っていました。

奇妙なことに、その看板が目に入った瞬間
僕の頭の中には「あぁ、看板か」という認識があったんです。

にもかからず、その一瞬後に、
暗い駐車場の中に浮かぶオジサンの顔だけを捉えて
暗闇から急に顔が表れてくるような捉え方をしてしまいました。

物凄くビックリしました。
むしろ恐怖のほうが近いでしょう。
オバケを見たかのような体験です。

看板を認識してから後、1秒以下の話ですが、
暗闇から表れる顔に対して、別の反応が起こったようです。

順番としては、看板を認識して、その後に
顔に対して恐怖を感じた、という形。

頭のどこかでは「看板だ」と分かっているのに
それとは無関係に、あるいは並行した体験として
暗闇に表れる顔に恐怖を感じたわけです。

このときの生理反応も、一気に交感神経優位になる感じ。
心拍数の増加、呼吸の変化、血流の変化を捉えながら、
意識状態も少し歪んでいくのが分かりました。

程度は小さかったので気を失うところまではいきませんでしたが
同様の兆候の状態だったとは思います。


なんとも理解ができない状態が続いています。

いろいろと関係しそうな要素を探して
自分なりにリスク要因を避けるよう工夫することになりそうです。

夜道の看板の顔写真でビックリするのは
予防のしようもなさそうに思えますから。

他の要因をチェックしてみるつもりです。

cozyharada at 23:05|Permalinkclip!

2019年06月19日

味に飽きるかどうか

脂ものを控えるようになって約2か月。
そんな食生活にも慣れてきました。

内容はいたって単調です。

以前だったら同じような食事は飽きてしまっていたでしょうが、
なぜか最近は毎日同じでも大丈夫になったようで。

キムチは唐辛子の負担が大きいことが感じられて
少し控えるようにしました。

千切りキャベツは僕の場合、あまり食物繊維としての効果が高くなく
サラダをたっぷり食べたつもりでもイマイチ状態が良くなかったので、
固形分の要素が大きい乱切りのキャベツやモヤシの量を増やしています。

カット野菜を買って、レンジで簡単に火を入れて
スープや味噌汁じたてにすれば時間も手間もかかりませんし、
キムチ以外で固形の野菜を多めにとることができます。

こちらもシンプルな味のものを日々リピートする状態。

何か違う味のものを求めるときがあれば
シリアルを食べて気分転換といったところで、
我慢している気分も感じません。

ただし、シリアルを豆乳で食べるのは馴染めなかったので
脂肪分ゼロをミルクプロテイン飲料で誤魔化しています。


思い返せば、僕の生まれ育った実家は
食事を重視する家庭だったんでしょう。

当時はそれが当たり前で何とも思っていませんでしたが。

毎日違うメニューなのは当然でしたし、品数も多かったようです。
家計のうち食費にかける比重は高かったはずです。

そのせいか、色々と違う味のものを口にするのに慣れていて
同じものをずっと食べ続けるというのは好きではありませんでした。

今でもハッキリと覚えているのは、
 土曜日、学校から帰ってきて食べる昼ご飯が
 ミートソースのスパゲティや焼きそば、素麺だったりすると
 なぜか一食分食べきれない
ということ。

量を調整してもらっても、途中で飽きてしまうのか
常に残してしまっていたものです。

夕飯のことを考えると、土曜日の昼に
子供の昼ご飯を工夫するのは負担だったんだろうと思います。

逆に言えば、母は平日に子供がいないときには
昼ご飯の品数を増やしていなかったのでしょう。

朝や夜には、かなり労力をかけて
品数を多くしてくれていたことがうかがえます。

祖父母同居の家で、専業主婦だった母は
かなりの時間を料理に費やしていたんじゃないでしょうか。

祖母が固いご飯が好きで、父が柔らかいご飯を好んでいたので
僕が子供の頃、自宅には炊飯器が2つありました。
固いご飯用と柔らかいご飯用の2台。

祖母は肉を食べない人だったので
夕飯のときも祖母のために別メニューが追加されていたのも日常。

当時は比較対象が無かったので、それが当たり前になっていましたが
大人になってみると随分と無理をして頑張っていたのだろうと思えます。

おかげで僕の脳は、味覚の刺激に対して
いわゆる馴化が起こりやすくなったようです。

同じ味が続くと、味覚の刺激に対しての反応性が落ちてきて
感度が落ちていく。

味を変えながらでないと飽きてしまう、というのは
そのあたりに理由があったんじゃないかと思われます。


それが今では飽きることが減ってきました。

ポジティブに解釈すれば
 目の前の体験を毎回、新鮮な状態でインプットしている
ということかもしれません。

同じだと捉えなくなっている、と。

「さっき食べた味」という記憶を参照する度合いが減って
口に入るごとに味覚の刺激を新しいものとして捉えている。
…そんなことが起きやすくなったようにも想像できます。

実際、僕は最近、味の体験を
見た目に左右されにくくなっているみたいです。

以前、4,5人で打ち合わせをしていた場に
知人がお土産としてケーキを買ってきてくれたことがありました。

といっても普通のケーキではなく、
お寿司の見た目をしたケーキ。

パッケージからスーパーの寿司のパックみたいな形でしたから
見た目だけでいうと、一瞬、お寿司をお土産に持ってきたのか
と思うほどでした。

なかなかよくできた見た目でした。
色を付けた桃の薄切りで作ったガリなんかも入っていて。

皆で1つずつ食べて味の感想なんかを話していたんですが、
多くの人は「混乱する」と言っていたんです。

頭がお寿司のつもりになっていて、
でも味はケーキなので、予想と違って変な感じがする、と。

おそらく止まっているエスカレーターを歩くときのように、
頭が予想する体感覚と実際の体験が異なっている
という話でしょう。

でも僕は、味に関してそういう違和感は全くありませんでした。
お寿司の味を見た目から予想することがないんでしょう。

純粋に味と匂いとして、マンゴー風味を体験していました。

僕は見た目情報から味を予測しなくなっているようです。


馴化には予測の要素が関わっているんじゃないでしょうか。
知っている体験として予測をするから、
刺激に対しての準備ができている状態。

有名な話としては、
 自分で「くすぐる」ことはできない
というのとも関係するはずです。

自分で「くすぐる」ことをしようとしても
その体験を予測してしまっているから
刺激を抑制してしまう、と。

子供の頃、同じ味だと飽きてしまってスパゲティが食べきれなかったのも
 見た目情報から味を予測して、味覚刺激への反応性を抑制する
ということが起きていたのかもしれません。

そう考えると、最近は体験の仕方が変わってきている、ともいえそうです。

記憶を頼りにして予測しながら食べる、という度合いが下がり
毎回の味を別物として体験している。

それは、NLPなどを通じて心や体験というものの実態を
深く掘り下げてきた影響のような気がします。

良いか悪いかは何とも言えませんが、少なくとも
食べて良いものを選ぶ必要が出てきた現状では
飽きずに同じものを食べられるようになったのはメリットのようです。

以前のように飽きっぽい味覚を保ったままだったら
今みたいな単調な食生活は無理でしょうから。

cozyharada at 23:23|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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