NLP

2017年06月07日

体力の変化

振り返ってみると、セミナーのスケジュール的に
最も忙しかったのは8年前ぐらいだった気がします。

週に4日、終日のワークショップが入っていて
東京、名古屋、大阪を行ったり来たり。
平日にも出張があったものです。

そのうえで、週に一度ぐらい3時間程度のセミナーもありました。
10時から18時までやった後、19時から22時までとか
あるいは夕方からだけの日とか。

会社員の時は週5日が当然でしたし、
実験の都合で週末に出勤することも当然。
朝も夜も関係なく実験のスケジュールを組んでいたものです。

にもかかわらず疲労度でいえばセミナーのほうが負担は大きい。
8年前ぐらいは腰痛ベルトを巻きながらセミナーをしていました。


それでも、そのスケジュールで何とかこなせていたんです。

今と比べるとパフォーマンスは低かったかもしれませんが…。

乗り切っていた1つの理由として、
ときどき休憩をしていた部分はあると思います。

休憩時間はちゃんと休憩していました。
昼休みもあえて食事に出ていかず、休養を優先したことも。

実習の時間に気を抜いていたこともあったはずです。

今は休憩時間も質問に答えたりしますし、
実習中も意識を配り続けていますから
休憩という自覚はなくなっています。

そしておそらく、以前のほうが鈍感だったというのはありそうです。
自覚できていなかったから騙し騙し続けられた、と。

最近は身体のケアをするようになったことと
意識に上がる範囲が広がってきたこととで
身体への負担に気づきやすくなっていると感じられます。

仮に8年まえのスケジュールのままだったとしたら
どこかで無理が来ていた可能性も否定できなそうです。


そしてもう1つ。
あまり気にしていなかったことですが、
単純に加齢に伴う体力低下があるんじゃないかと思えてきました。

8年まえのほうが体力があった、と。
筋力にしても持久力にしても、心肺機能にしても代謝の効率にしても
年齢を重ねるうちに衰えてきていたような気がします。

いつの頃からか駅の階段を駆け上がった後の息切れが
気になるようになってきていました。

当然、疲労回復のスピードも違ったことでしょう。

普段から全く運動をしないままに過ごしてきていましたから
知らず知らずのうちに体力が全般に衰えていっていたようです。

これを実感したのは最近のこと。
ジムに通うようになって1月ほどですが、
セミナー後の疲労感や回復速度に違いが出てきている印象なんです。

セミナーから帰ってきてから運動をするのも効果を感じますが、
それとは別に、セミナー終了直後での疲労度合いに違いがある。

少し身体への負担が減っているような感じというか、
多少の体力が残っている感じというか。

体力がついてきたことで楽に感じられているようにも思えるんです。

裏を返すと、以前のほうが体力があった可能性がある
ということにもなります。
それが年を重ねるにつれて落ちていっていた。

8年前に今よりもハードなスケジュールをこなせていた理由の1つに
 そもそも体力があったから
という部分もあるような気がしてきたわけです。

セミナーの仕事は肉体労働の側面があるように感じます。
プロ野球のピッチャーみたいなイメージです。
「中4日の休養でローテーション」といったような。

実働の日数だけでいえば少なくても
完全休養日がないと成立しない点では
体を休めたりケアしたりするのも重要な要素かもしれません。

そこにもう1つ、体力強化の要素が加わると
今までよりもスムーズに進められそうに思えてきました。

シーズンオフにキャンプをするまではしなくても
体力をつけておくことで乗り切れるものがありそうです。

やっと運動の重要性を実感できてきたみたいです。

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2017年06月04日

疲労回復効果

札幌出張に行ってきました。

気温が随分と違います。
東京と比べると10度ぐらい低そうな感じです。

たまたま今週末は特に気温が低かったそうで
札幌在住の方も寒がっていましたから
気温の変化に体が追い付かないような印象でした。

まぁ僕は、それでも暑いより快適に感じるんですが。


今回は、アメリカで座禅をしてきてから初めての2日間のセミナー。
今までに何度もやってきた内容ではあります。

ただ自分の意識の範囲が大きく変わっていたようで
様々な違いを感じていました。

中でも大きいのは自分の体への意識が高まったことでしょうか。

今までは受講生に対する意識が非常に高く
自分の体のほうは意識から外れるようなところがあった気がします。

身体を放ったらかしにするわけではなかったものの
気を配る優先度を受講生寄りに大きく傾けていた感じです。

そのため体の疲労を意識するのは少なかったんです。
終わってからドッと痛みを感じ始めるような流れでした。

それが今回は講座の最中から体の具合にも気づくようになっていました。

その分、痛みが意識に上がる度合いが大きくなった反面、
こまめに姿勢を整えたり、ストレッチしたりしていた気がします。

講座中にやることが何か変わったわけではないので
もちろん肉体への影響の度合いそのものは相変わらずです。

視覚と聴覚を最大限に使おうとする感じから
三叉神経まわりに負担がかかっているのが実感されますし、
肩と首の固まりも強くなります。

しかし、回復は早かったような気もします。
飛行機に乗っている間には痛みで唸るようなときがあっても
降りてからはそれなりに楽に戻っていた感じでしょうか。

こまめに調整していた効果もあるかもしれません。


それ以上に大きそうなのは、
ジムに通い始めた効果のようにも思えます。

今までは呼吸がしずらくなって
口呼吸でハァハァ言いながら帰ってきていたものでした。

それが減っていました。
運動の効果で、呼吸に使う肋間筋や背中回りが
動きやすくなっていたんじゃないかと思います。


そして帰ってからジムに行きました。

肩と背中回りの運動をすると固まっていたのがほぐれて
姿勢が良くなるのが感じられました。

それからエアロバイクで有酸素運動。
やり始めは足が重くて少し普段より大変でした。

ところが10分もしないうちに足が軽くなってきて
あとはスムーズに運動を続けられたんです。

この足の重さこそが体にかかっていた負荷の部分なのかもしれません。
全身が酸欠に近い感じになっていて重苦しい状態。

以前までは、それが翌日に痛みや重さとして表れていたのでしょう。

それが有酸素運動をしてしまうと全身がスッキリしてきて
身体にエネルギーが戻ってくるような印象がありました。

セミナーのない日に運動をした後と同じような状態になりました。
ほとんどセミナーの影響を感じないぐらいだったわけです。

この疲労回復効果は非常に大きそうです。
とても重要な生活サイクルになる予感。

あとは動かしきれていない首回りについて
ストレッチの必要性はありそうなんですが。

上手く体をケアしながらやっていきたいものだと思います。


ちなみに、こちらの写真は
今回札幌で宿泊したホテルの部屋。

家族用の広い部屋をあてがってもらえました。

安いホテルが見つからず、直前に見つかったプランだったので
おそらく予約が埋まらなかった空き部屋を
ギリギリのタイミングで安く提供してくれたんでしょう。

ちょっとだけラグジュアリーな気分を堪能できました。

Sapporo1706

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2017年05月31日

仕事の生産性を上げる

先日、ロッシェル・カップ(Rochelle Kopp)という
異文化コミュニケーションと人事管理を専門にするコンサルタントの
講演を聞く機会がありました。

アメリカ人ですが日本に住んでいたことがあって
大手の銀行だったかに勤めていた経歴があるそうです。

アメリカに戻ってからも企業の日本進出のサポートをしたり
異文化間の交流についての本を書いたりしているんだとか。

日本向けに書かれた本も多数あるようです。


で、その講演のテーマが「生産性を上げる8つの習慣」でした。

細かい話はしませんが、「習慣」ということですから
具体的に心がけられる行動規範のようなものを提案していました。
そしてその多くが日本文化と根深く関わる要素を止める内容だったんです。

つまり日本人が過剰にやってしまって生産性を落としている部分。
他の国の人はそこをやらないから効率的に仕事ができる、
という要素がいくつか見えてくるようでした。

確かに日本を見てきたアメリカ人だからこそ指摘するポイントで、
日本人が日本文化の発想で考えていては出てこない気がします。

例えば中核の1つになりそうだったのが
「怠け者(いい加減)でいること」。

裏を返すと、
日本人は必要以上にキッチリと仕事をしようとする傾向がある
という指摘です。

完璧主義に近いというか、コダワリをもって仕事をするというか
「そこまで丁寧にやらなくても大丈夫」なレベルまで
キッチリした仕事をしようとする、と。

典型的な例としては書類のフォーマットがやたらと定まっているとか
大企業だと承認が得られるまでに書類が何度もチェックされるとか、
形式化された報告書や会議などが多いとか。

個人のレベルでも、ミスなく仕上げるために時間をかけるとか
必要以上の情報収集をしてからデータをまとめるとか
プレゼン資料や書類の体裁・見た目を必要以上に奇麗にするとか
メールの文面で相手を気遣うために本題以外のところで時間をかけるとか
紙媒体の資料を作るのに仕上がりの奇麗さにコダワルとか
掃除や片付けを徹底的にやるとか…様々なところで丁寧なようです。

アメリカ人の発想からすると、過剰に丁寧だということなんでしょう。
「そこまでやる必要はない、無駄だ」というわけです。

ハッキリとは口にしていませんでしたが、日本にも住んでいた人ですから
そういう「仕事の丁寧さ」を否定しているわけではないとは思います。

ただ、そこをやりすぎて生産性を落としている部分があるので
もっといい加減にやるつもりで丁度いいんじゃないか?
といった程度の話だろうとは汲み取りました。
(汲み取ってしまうのが日本人的な聞き方ではあるんですが…)

あくまで、
 必要なレベルの仕事を達成するために
 最低限の作業量でこなすように工夫しよう
という提案のようです。

仮に95点を求められているとして、それに3時間かかるとします。
でも日本人の多くは、自分の基準で99点まで目指そうとして
5時間かけてしまうようなことをしがちだ、ということでしょう。

99点と95点の4点分の差に2時間かけるとしたら、
95点に3時間をかけるのと比べると、大きな生産性の低下がある。

完璧に近づけようとするほど、努力あたりの効果が落ちてくる…
確かにこれは一般的に言えることのような気もします。

だからここを過剰にコダワリ過ぎないようにすれば
かなり無駄を省いて生産性を上げられるという話のようです。


一方で、この完璧へのコダワリ、キッチリした仕事への価値観は
かなり日本文化に深く根付いたもののようにも思えるんです。

伝統工芸や、寺社仏閣などの建築技術、芸術作品においても
細部へのコダワリと技術の高さが可能にした精度や質が見られます。

農業や水産、畜産においても、ひたすら美味しくする追及があり、
重工業が発展してきた近代以降でも工業製品の精度や安全性は
日本製品が世界に誇る特徴の1つだったはずです。

細かいところにまで気を配って作り込むことで生まれた
精度の高さと洗練された品質は、日本人にとって
非常に重要度の高い価値観として表れていると考えられます。

果たして、ここを手放すことができるでしょうか?
手放したいと思えるでしょうか?

先日、アメリカに行って感じたのは
一言でいうと「大雑把」な印象でした。

空港から違います。
日本の空港は奇麗です。

内装の奇麗さも違いますし、仕上がりの奇麗さも違います。
掃除の行き届き方にも大きな差があります。

アメリカの空港の待合スペースのイスはプラスチックむき出し。
日本のようにクッションの入った布張りではありません。

しかも汚い。
椅子の上に食べ物のカスが落ちているなんて当たり前です。

「真っすぐ」のはずのものが少し歪んでいるのも当然。
フェンスが歪んでいたって気にしませんし、
コンテナなんて凸凹で汚れまくり。

道路だって凸凹でもそのままですし、
エレベーターも心配なぐらい音と振動がするし、
商品の包装も簡素なものだし、
ドアに隙間があるのも普通なようだし…。

日本人の基準からすると雑に思えてしまいます。
大雑把で不十分に感じられる。

しかしアメリカ人の発想からするとそれが当然で、
それぐらいで基準に達しているのでしょう。
最低限の求められる機能を果たしていれば十分なようです。

この基準の差は大きい気がします。
日本人が最低限の質で良しとできるか?

逆に、この圧倒的な文化の根深さがあるからこそ、
ちょっとぐらい怠けて、適当にやるぐらいでも、それでも
十分な質を保ったまま生産性だけを上げられる可能性はありそうです。

だから心がけレベルの提案としては効果的だと思われます。

あとはそれがどこまで根づいていくのかどうか。
根づいてほしいと思えるかどうか。

僕は個人的に、丁寧で洗練されたものが好きです。
そっちに慣れているし、そこに美を感じるみたいです。

となると、おそらく日本人は作業の生産性が低いのではなく
サービスの質に対して価格が安すぎるのかもしません。

利益に対する生産性が低いんじゃないでしょうか。

アメリカでも高級なホテルに行くと奇麗ですし、
ドアにも隙間がありません。

ヨーロッパの高級ブランドは高品質で作り込まれていて
細部にまで目が行き届いた仕上がりがあります。

そういう細部のコダワリは高品質として高い価値を生んでいます。
それは高額になるのが世界では一般的なのかもしれません。

一方、日本はその高品質を低価格で提供している。
人気も出るでしょうが、その分、労働の対価は下がります。
結果、生産性が低いことになる。

もしかすると日本人が重視すべきポイントは
その質の高さをもっと積極的にアピールして
価値を高く評価してもらうところのような気もしました。

文化の違いを思うと、なかなか考えさせられるところです。

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2017年05月03日

連休の人ごみ

世間はゴールデンウィークなんだというのは
町中に出ていくと実感されます。

人が多い。

とはいえ、人の多さは通勤ラッシュ時も同じです。

同じ数の人がいても賑やかさが異なります。
話す人の数が多い。

立ち止まって話をする人もいますし、
歩いている人も動きがランダムです。

朝や夕方の通勤時は皆、駅に向かって
あるいは駅から離れる方向に、最短距離で進もうとする感じです。
一方、休日モードになると、あちこちに動きの方向が変わります。

歩くスピードも遅いようです。

イライラした様子や、ピリピリした雰囲気の人は減るみたいで
全体にゆったりと気軽な印象を受けます。

まぁ、だからといって休日の賑やかな雰囲気のほうが
その場にいて過ごしやすいという話ではありません。

平日のように、一人ひとりが自分の殻に閉じこもって
ピリピリした気配を出しながらも他者とは関わらないのか。

それとも休日のように、それぞれの集団が好き勝手に
自分の楽しさや目的を優先して、他者は気にかけないのか。

バラバラな気持ちが1つの空間に集まっているという意味では
どちらもホッとできる場ではなさそうです。

連休に私服で出歩いているということは
平日は仕事や学校に通っている人が多いのでしょう。

休日には普段の我慢を発散させているかのようにも見えます。

反動が大きく、両極に振れている感じなんでしょうか。

僕の生活スタイルとは違った人生の景色が展開しているようで
なかなか興味深い時期だと感じています。

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2017年05月01日

コンディショニングのために

重い腰を上げて、ついにジムに通い始めました。

ウェイトのコーナーもありますが、
マシンをメインとした24時間営業のジム。

体を鍛えようという発想は特にあるわけではなく、
ただ体のコンディションを整えるのが目的です。


そのジムに来ている多くの人は、
・大人になってからランニングを始めた感じの人(若め)
・健康のために義務感として運動をしている人(年齢層高め)
・ボディビル系の見せる筋肉を作ろうとしている人(若め)
に分けられそうです。

いずれにしても体の内側に意識が向いている度合いが低く、
知識としての運動の必要性という外的要因や
自分がどのようにみられるかという外側からの評価
に意識が集まっているようでした。

言い換えると、体の中を感じていないように見えるんです。
回数とか時間とか、課題をこなすのが目的の感じ。

まれに
 子供のころから運動が好きで、体を動かすのが楽しい
という様子の人もいます。

この人は体の内側を感じている度合いが高いので
見るからに本格的な様子で、異彩を放ちます。

が、本当に運動の好きな人は24時間営業のジムよりも
もっと好きな運動を楽しみやすいところに行くのかもしれません。
だから稀にしか見かけないんでしょう。


僕の目的は体の内面、自分のコンディションのほうにありますから
これもまたチョット例外的な用途のようです。

血行や可動域として体の軽さを求めて
体を動かしてみました。

動かした部分から軽くなっていくのは心地いいですね。
すっきりします。

特に背中側を動かすと自然と姿勢も良くなりますし
普段意識が向かないところに意識が拡がるので、これも快適です。

そしてメインは有酸素運動です。
走るのは好きじゃないのでエアロバイク。

実際の自転車のほうが全身運動のような気はしますが
まぁ、全身に血液を循環させ、酸素を取り込むという目的では
十分に効果が感じられます。

終わった後も体の中にエネルギー残っているような印象を受けます。

スポーツ選手がウォームアップをする理由が分かるような気がします。
以前は、「無駄に疲れてどうするんだ?」と思っていましたが。

エアロバイクが単調な動作の繰り返しなせいもあるのか、
終わってからも体感覚として、
胴体の中をグルグルと回っている感覚が残っていました。

こういうのを早くから知っていたら、
もっとスポーツを楽しんでやれていたかもしれません。


どれぐらいの頻度で行くことになるのかは定かではないですが
少なくともセミナーの後、ガチガチに固まった身体をほぐすには
多少頑張ってでもジムに立ち寄ったほうが良さそうな気はしています。

セミナーは意外と肉体労働だと実感する今日この頃、
プロスポーツ選手のように体を整える必要もあるのかもしれません。

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2017年04月27日

物の価値を判断するところ

パソコンを新しくしました。
メインのやつをです。

おそらくメモリが足りなくて
常にCPUが100%で動いていたため、
冷却が追い付かなくなっていました。

さすがにVISTAを使い続けるのも安全ではないでしょうから
まあ、ちょうどいいタイミングだったのではないかと思います。

持ち運びを想定はしていなかったので
キーボードとコストパフォーマンスを重視して、
初めて受注生産のやつを選んでみました。

先の問題点を踏まえてメモリを多めにしてみたおかげか、
パフォーマンスはいい感じです。

滞りもなく、ファンも動かないぐらい余裕があるようです。
これまではWebページを複数開くと広告の自動更新で
かなりの負担になっていた様子でしたが、今はそんなこともありません。

これぐらいスムーズだと写真加工のアプリケーションとかを入れて
書道作品の写真ぐらいはチョット調整してみたくもなります。

キー入力もさほど違和感ないですし、
あとは初期不良とか想定外のトラブルが起こらないことを期待しています。


しかしながら、きっとこういう日用的なものは
すぐに新鮮さを失って、当たり前に感じられてくるんでしょう。

今のところは比較としてスムーズさを感じているパフォーマンスも
これに慣れてきたころには「普通」の基準に移ってしまって、
むしろ別のPCを「遅い」と感じるようになるかもしれません。

性能や能力というのは、そんな風に
比較で認識されやすいもののようです。

一方、そうしたツールや装置を使って「体験する」内容のほうは
その都度、その内容そのものを味わえます。

例えば、このパソコンで検索してでてきた情報をインプットするとき、
「新しいものを知る楽しさ」や「好奇心が満たされる驚き」などを
毎回違った形で感じることができます。

インプットするものが変われば、毎回別の体験になるわけです。

僕の部屋にはシンプルなブルーレイディスクプレイヤーがありますが
これも何の映画やドラマを見るかによって、毎度の楽しみが得られます。

一方、そのブルーレイプレイヤーの性能に関しては
それほど気になりもしません。

確かに安価な分、作りは安っぽいですし、
センサーの範囲が狭く、リモコンの反応もよくありません。

ディスクを入れてから再生されるまでの時間も早くはない気もします。

しかし目的とする内容、つまり映画やドラマを見られる限り
僕の求めるものは得られているんだと思われます。

仮にもっと高性能であったとしても、
特別気にしないような気がします。

パソコンの性能気になっていたのは、僕にとっては
あくまで不具合が出ていたからに過ぎません。

突然パソコンの電源が落ちてしまったりすると
書いていたものが消えてしまいますし、
メモリ不足で反応が悪くなると
頭に浮かんだものを書き出す段階で待たないといけなくなります。

余計なものが挟まってくるわけです。

ここでは「パソコンで書く」という体験に、ある種の喜びが含まれます。
頭が整理されていく感じや、必要な資料や文書ができ上っていく感じ。

その喜びが損なわれるのが嫌だから
妨げられない程度の性能が必要になった、といえます。

つまり僕にとって性能の高さのほうでは、どれだけ高くても
いつか慣れてしまって分からなくなる(満足感がない)のに対し、
性能の低さのほうは不具合が起きたときに不満を感じる形で意識される
という話です。

基準を下回ると不満だけれど、
基準に達したら、それ以上高くても満足感には影響を与えない。
僕は性能に対して、そういうタイプの価値判断をしているようです。
(結構な人がそうではないかと思いますが)


一方、書くことに伴った喜びは、書く内容が毎回異なっている以上
当然、毎回別物として体験されますから、
慣れてしまって薄まっていくものではありません。

その都度、別の体験として新鮮さを伴いながら
「その瞬間に体験している」喜びに意識を向けるタイプの満足感なんです。

DVDで映画を見るのも、インターネットで新しい情報を得るのも、
本で勉強するのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも…、
多くの「内容」レベルの満足感がこちらのタイプでしょう。

その内容を妨げないようにするのが「性能」になりやすい気がします。

書籍であれば重さとか字の見やすさとかでしょうか。
電子書籍に求められる性能も、まさに
本を読む体験を妨げないものが中心じゃないかと思います。

料理の場合は、包丁の切れ味とかコンロの火力とかでしょうか。
ものすごく高性能だと、硬いものを切ってみたくなったり
素早くチャーハンを作ってみたくなったりするかもしれませんが、
実際にその性能が求められる機会は少ないものでしょう。

ちょうど高性能のパソコンを買ったけど、
そこまで負荷のかかる動画編集みたいな作業はしないようなものです。


そして「性能によって可能になる体験内容」とは別のところで
付加的な体験によっても満足を感じることがあります。

主に「美」と関連した体験です。

美しいとか、カッコイイとか、カワイイとか。
見た目でも音でも体験されるものですが、
これらもコダワリのある部分については毎瞬のように意識されます。

例えばパソコンでいえばデザインとか、素材とか、色とか
キーボードのバックライトとか、細かい作りの丁寧さとか。

包丁でも、形とか金属の光沢とか、仕上げの繊細さとかは
「美」と関連した体験で満足感を追加してくれます。

洋服とか鞄とか、身に着けるものの多くは
性能よりも美のほうが重視されているかもしれません。

車の場合、加速感とか、エンジン音とか、ボディのデザインとか。
逆にトランクの広さは「基準に満たないと不満な性能」のほうでしょう。

車のエンジン性能は、加速感に対して美的な印象を受けなければ
「坂道で遅いと困る」ような最低基準のある性能として認識されそうです。

性能として認識された場合、最低基準にさえ達していればいいので
そんなに高いものを求めることはなくなりがちです。

が、美的な観点から認識された場合、上に限度はありません。
そうすると、いわゆる『高級品』の方向性になると思われます。

よく言われる「付加価値」というのは、美と関連したことが多く
五感レベルで毎瞬の「体験」として味わえるものと考えられます。

比較でしか認識できない「性能」は慣れてしまって
基準を下回った時に不満として自覚されるだけですが、
美に近い体験として認識されるほうは
その感じに注意を向けるたびに毎回、満足感をもたらしてくれる。

道具や機械を、求める体験内容を得るための手段としてしか捉えないと
必要最低限の性能だけを気にしておけばよくなるんでしょう。
この種の性能はすぐに慣れてしまって満足感が薄れやすいですから。

一方、同じ道具や機械でも、そこに美に近い付加的な体験を求めれば
長い間、その美を保っている限り、繰り返し満足感が得られます。
(当然、それだけ値段も上がっていくわけですが)

僕はあまり、この「美」の側面を重視してきませんでしたが
そちらの満足感を意識したら、物へのコダワリも上がる気がします。

良いものを大切に手入れしながら長く使う…なんていう発想も
少しは理解できそうです。

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2017年04月21日

選ぶ作業

いざ身体のために運動を、と考え始めると
施設選びにも迷ってしまうものですね。

当初は最寄りで24時間営業のところが良いかと思っていましたが
他も調べてみると、プールがあるのが魅力的に見えてきます。

全身運動という観点で水泳は良さそうな気がするんです。

水に入っているだけでリラックスできるところもありそうですし。


一方、プールを利用するのは少しだけハードルが高い。
子供の頃の記憶から、所要時間が長くなる印象があるんです。

しかも「せっかく来たから、ついでに他の運動も」なんて考えたら
全体としての時間は、まとめてそれなりのものになるんじゃないか、と。

休日にタップリと時間を取って、運動のための日を作る…
そんな必要性を感じてしまいます。

それはそれで有意義な休日の過ごし方としてイメージできます。

デメリットは頻度が落ちるところでしょう。
まとめてしっかり、と思うと気軽に立ち寄る感じにはならなそうです。


その点、マシントレーニングぐらいを24時間営業のところでと想定すると、
立ち寄るのも気軽になりますし、時間も気にせずに
かつ夜遅くにでも行けそうなのは助かります。

僕の趣旨は、身体のメンテナンス目的にありますから
セミナーの後に有酸素運動をしてリフレッシュしたい気もするんです。

するとやはり24時間営業は嬉しい。
土日に夜遅くまでやっているのもありがたいです。

一回当たりの時間を短くして高頻度にしたい気持ちも加味すると
やはりプールがあっても営業時間が限られているのは残念。

こうして考えてみると、どうも24時間営業のほうに軍配が上がりそうです。


ちなみに、これを書く前の段階では迷っていましたが、
書いているうちに気持ちが整理されて結論に近づけた気がします。

書きながら考えを整理するのも1つの効果的な方法のようです。

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2017年04月15日

花粉症が改善した理由

花粉のシーズンもピークを過ぎてきたのでしょうか、
マスク姿の人を見かける頻度が減っている気がします。

他にも、インフルエンザのピークが過ぎたり
気候が暖かくなってきたことでマスクをつけるのが暑かったり、
いろいろな要因があるかもしれませんが。

とはいえ、僕自身の実感としては
4月を過ぎると花粉症の症状は減ってくるようです。

実態として症状が強めに感じられるのは3月ぐらいかもしれません。


しかしながら、僕の花粉症のレベルは随分と下がっています。
年々下がっているかは定かではありませんが、
10年前とは比べ物になりません。

病院に行けば「酷いレベル」と言われるほどでしたし、
医者の処方薬をいろいろと試し、時には市販薬も併用したり、
目薬も欠かせない感じでシーズンを乗り切っていたものです。

1月末ぐらいから準備を始め、6月はじめぐらいまで
なんとなく症状を引きずるような感じでした。

ヒノキのアレルギーもあったらしく、梅雨入り前までは
かゆみと鼻水・鼻づまりに苦しんでいました。

そういえば、山口に住んでいたころは楽だった記憶があります。
西のほうは杉が少ないらしいので、その影響でしょう。

ゴールデンウィークに東京に戻るとき、
飛行機に乗った瞬間から花粉症の症状が出始め
東京から運ばれてきた花粉を強く実感したのを覚えています。

寝て起きれば目ヤニで瞼がくっついてしまっているとか、
鼻の奥や喉の奥が痒くて困っていたとか、
鼻をかんでも鼻水が出てこないぐらいに鼻が詰まっているとか、
そういうのが当たり前だったんです。

それが今は、ほとんど気にならないレベルです。


最近は毎年、2月の中頃から薬を飲み始め、
5月に入るぐらいまでは一応、薬を飲むようにはしていますが、
どうしても服用が必要なわけでもありません。

飲み忘れても大して困ることはなく、
鼻をかむ頻度が増えるのと、軽く鼻が詰まった感じがするのと
気にすると目が痒いような気分があるぐらいなもの。

薬を飲むとそれがピタッと止まります。
鼻の通りが快適になって呼吸がしやすいので
少しでも呼吸をスムーズにする目的で薬を飲む感じです。

実際には1日2回の薬を、1日1回で大丈夫なぐらい。
ピークの時期だけ念のため1日2回にしてはいますが。

薬を飲んでも鼻をズルズルさせていた頃と比べると
もうすっかり良くなっている印象です。

最近は薬を飲まなくても、ホコリで鼻がムズムズするのと同程度で、
もしかすると花粉よりもハウスダストのほうが
身体は嫌がっているようにさえ感じられます。


ただ、何をして改善したかというと、定かではないんです。

NLPや催眠をやり始めてからも症状は残っていました。
症状をコントロールできることを知って程度は減っていたものの、
それでもある程度は残っていた記憶があります。

1つ大きそうなのは、意識の範囲が広がったことでしょうか。

以前、僕の意識は常に、目と鼻のあたりにありました。
目は一生懸命に見ようとするため(視覚情報を重視するため)、
鼻は厳密にいうと口から鼻の奥にかけてなので
味覚・嗅覚を重視するためだったと思われます。

僕にとって意識の中心は常に、頭の中…
目から鼻にかけての範囲で、顔の奥に入ったあたりにありました。

常にその場所から全身を見ているような感じ。
まるで目と鼻の奥のところにコクピットがあって
そこから巨大ロボを運転しているようなイメージです。

それが身体の使い方が上達してきたあたりから
意識の及ぶ範囲が広がっていったんです。

身体のケアをするようになって、
身体への意識が敏感になったのも関係していると思います。

それ以上に、意識の範囲を拡大できるようになったのが効いていそうです。

目に意識を集中すれば、目のあたりの感覚刺激が強く自覚されます。
結果、そこの痒みや不快感が強く意識され、さらに意識が集まるようになる。

意識が集まると血流も集まりやすくなって、余計に感覚刺激が強まる。
痒みを意識するほど、どんどん痒くなっていくという悪循環です。

だいたい花粉症の症状が強く表れる部位は、
その人が意識を集めているところになっているものです。

視覚をよく使う人は目を痒がる。
皮膚感覚の強い人は、花粉のアレルギーも肌の痒みになるようです。

その意味では、僕は意識の範囲を拡大できたことによって
目や鼻の反応だけに集中してしまう悪循環から抜けられたのかもしれません。

即効性のある手法で花粉症が治ったというわけではなさそうですが、
時間をかけて取り組んできたことが、思わぬ好影響を及ぼしたみたいです。

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2017年04月09日

身体の具合が

1か月前ぐらいに、近所に新しいスポーツジムができました。

それまでの最寄りは徒歩20分ぐらいだったのが、
新しいほうは徒歩10分ぐらいのところ。
しかも24時間営業です。

健康のために通ってみようかなぁ、などと考えているところです。


なんて考えていたら、先日、出張先で軽く転びました。

キャリーバッグと手持ちのビジネスバッグとを両手それぞれに持ち、
地下道に降りていこうと階段を歩いているときです。

左足の爪先が上がり切らず、着地を失敗してしまったんです。

数段分だけ滑り落ちた感じなだけで、どこも痛めませんでしたし
持ち物や衣類にも影響はありませんでしたが、
自覚しているよりも足が動いていなかったのは困りものです。

下半身のトレーニングの必要性を実感しました。

過去の経験から走るのは好きじゃないので、
エアロバイクぐらいはやりたいなぁという想いで
近々見学に足を運んでみるつもりです。


そんな折、ちょうど受講生から「初動負荷トレーニング」の話が出てきて
少し気になったので調べてみました。

都内でも何箇所かあって、行けそうな場所にあるようです。

筋力を鍛えたいわけではないので、もしかすると
こっちのほうが向いているのかも…などと気になっています。

色々な兼ね合いがありそうですが、
いずれにしても何か始めようと考え中です。

cozyharada at 23:24|Permalinkclip!

2017年04月06日

翻訳作業の難しさ

今までに何度か翻訳のお手伝いをしたことがありますが、
いずれも「英語→日本語」の訳ばかりでした。

最近、「日本語→英語」の翻訳も少しやっています。

随分と印象が違います。

決して『英作文』をやっている感じではないものの
スムーズさには大きな差があるようです。

文法も気にしなければいけませんし、
単語や言い回しが不自然にならないように、といった配慮もあります。

元の意味にできるだけ近い表現を選択しようとしたときにも
ふさわしいものを見つけるのに時間がかかります。

何より、元の日本語を読みながら、
僕自ら英語の文章を作り上げている印象があります。


一方、「英語→日本語」の場合、僕の頭の中は
受動的なモードになっています。

入ってくる英語に対応する意味が日本語で浮かんできて、
それを聞きながら書き起こすような状態です。

英語のまま捉えている意味を意識の片隅に置きつつ、
同時に直訳もしている感じ。

そして両方を組み合わせて、元のニュアンスを踏まえた
ある程度は自然な日本語に変換する作業をしているようです。

やろうと思えば直訳から意訳まで、
程度を調整できそうな印象があるんです。

だから能動的に「書く」印象はなく、
インプットされたものを流していくような体験となります。

まぁ、日本語で文章を書くとき自体も、
自分でアウトプットするというよりは、どちらかというと
浮かんでくるものを頭の中で聞いて書き取っている感じで、
『書く』というよりは『読む』に近い作業ではありますが。


それに対して「日本語→英語」の翻訳は、はるかに能動的です。
自分でライティングをしているような気分さえあります。

元の日本語のニュアンスを理解して、
それをもとに自分の中で一端、伝えるべき内容を整え
それからその頭の中の内容を英語で表現しようとする。

自分の考えを英語でアウトプットするときと似ています。

選択肢が少ないんです。

直訳も無理ではありませんが、関係代名詞などを使った修飾の仕方や
接続詞の使い方のルールなどで制約がかかるところがあって、
なかなかストレートな訳にはできません。

何よりボキャブラリーや表現方法の幅が少ないため
同じようなニュアンスを表すためのバリエーションが出ないんです。

そのため英語訳の幅が限られてしまう。

「英語→日本語」でやるような直訳〜意訳の間で
程度を調整できる範囲が狭いんだと思います。

自分の頭の中で一回理解して、自分なりにアウトプットしなおす
というステップが挟まってしまうようなんです。

この自分なりにアウトプットする感じが能動的な印象となって、
スムーズではないと感じる要因になっているんでしょう。


単純に母国語と外国語の言語能力の差だともいえますが、
日本語と英語のルールの違いにも影響を受けていそうな気もします。

英語のほうが文章構造に対して厳格なのかもしれません。
日本語は助詞を工夫すれば語順は問題ありませんし、
論理展開についても曖昧で通用してしまいます。

そのあたりも加味しながら進めるから
スムーズにならないんでしょうか。

「英語→日本語」はむしろクドくなりがちで、
そこさえ気にしなければ直訳に近い文章はすぐに作れます。

逆に「日本語→英語」は、元の日本語の曖昧さや論理の不足分を
なんとか補おうとしてしまうのかもしれません。

英語を直訳した日本語はヘンテコだけれども
それなりに意味をとらえることはできる。
日本語を直訳した英語は意味が分からなくなる場合がある。

このあたりの性質の違いも関係している気もします。


いずれにしても、僕自身の慣れが足りないところは大きそうですから
経験を積んだ後に、どんな印象が生まれてくるのかは興味があります。

アメリカやイギリス出身で「日本語→英語」の翻訳をしている人がいたら
このあたりのことを聞いてみたいとも思っています。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!
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〜内容は後日〜


【日時】 2017年8月20日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
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    JR上中里駅より7分
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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