NLP

2019年07月26日

ビジネスのお手伝い

なんだか色々と重なって落ち着きのない時期を過ごしていました。

最近は歩いていると目眩というか、
意識の一部がどこかに持っていかれるような感じがあって
街中を歩きにくいところがあります。

とくに周りに人が多いとき、後ろを人が歩いているときなどになりやすい。
察知している範囲が広すぎて、過敏になっているのかもしれません。

そういう状態だと満員電車で立っているのはリスクが高そうですから
混雑した電車を避ける度合いも以前より増してきています。

なので近頃は平日のセミナーがある日には
早朝の電車に乗って、現地で時間をつぶす形になってきました。

ネット環境が整っていれば待ち時間にブログを書いたり…
ということもできそうなんですが、
6時過ぎに都内でやっている店は滅多にありません。

仕方なく限られた場所で仕事をしている形です。


不思議なもので、僕のように個人で活動をしていると
仕事の種類は時期によって異なってくるようです。

ここ1,2年は、多少ビジネス寄りのお手伝いも増えてきました。
広告を考えたり、ホームページの文面を考えたり、
プロモーションの素材をアレンジするお手伝いをしたり。

もともと僕は、何かを売り込んだり、アピールしたりするのは
あまり好きではありませんし、得意でもありませんでした。

が、基本的には「物やサービスを売る」というのも
 人の心に「購入」という動機づけをする
だけの話だと考えれば、仕組みとしては扱えます。

効果が出るかどうか、の部分では
経験知がある方には遠く及びません。

なので「こうしたら売れそうだ」という勘を蓄えている人に対して
「こういうのはどうですか?」と考えを提示して
それで「あぁ!それは良いですね!」となれば役に立ててもらえる…
そんな形になっています。

そして、そういうことを続けていると自分でも作業に慣れてきますし
なんとなくのポイントも掴めてくるんでしょう。

自然と頭の中が整理されてきて、
抜けていたポイントなどが見えるようになってきました。

おそらく結果の出ている広告やホームページなどを見る量を増やせば
コツにあたるところも分析できるだろうとは想像しています。

あとはヤル気の問題。

それでも、そういったビジネス方面のお手伝いなんかもしていると
自然と同じようなお話がやってくるみたいです。

これに関しては、僕が手を動かす量も増えるので
パソコンの前で時間と労力を費やす比率が上がっている現状です。

他へ手が回りにくくなりますね。


ビジネス系のお手伝いも結構できそうだ、という話になってくると
「だったら自分の仕事も上手くアピールしたらいいのに…」
という発想も浮かんでこないわけではありません。

ですが、こちらに関しては本当に腰が重い。

そもそも僕は、自ら率先して動くタイプではないんでしょう。
NLPにはメタプログラムという特性分類がありますが
それでいうと「反映分析型」と呼ばれる傾向が強いんだと思われます。

状況を見て、それに合わせた対応をするスタンス。
ですから気軽な一歩を踏み出すということが少なめです。

「0から1を作り出す」みたいな最初の一歩は好きではないんでしょう。

本当に「ただ動く」だけだったら動けますが
「最初の形を完成させる」ということには辿り着きにくいようです。

逆に「1を10にする」作業は得意分野といえます。
既にあるものを分析して、アレンジして改善する。

そういえば研究職時代もそうでした。
誰かが作った製造プロセスを改善したり、
製造現場のトラブルを解決したりするほうが成果が出やすかったものです。

ビジネス関係でも、ホームページや広告のシステムを
1つの形として作り上げる作業を担当するのは向いていない気がします。

とりあえずラフで良いから作ってもらって、
それをアレンジすることしかできません。

とりわけ動機づけになるのは「頼まれたとき」です。
頼まれれば、依頼者のニーズに沿って工夫します。

ラフで書かれたものから意図を汲みとって
それが伝わりやすい形に整理して、効果的な文面に編集する。

この作業を求めて下さる方がいるのは、ほぼ確実に
『誰も自分の言いたいことを上手く言葉にできない』
という理由からだと考えられます。

主旨は読み取れる。
あとは、その趣旨が一般に伝わるかどうか?

本人は伝えたいことを分かっていますから
論理展開として理由の説明が省略されて、飛躍してしまいがちなんです。

逆に、言いたいことが増えすぎて、筋道が見えなくなる場合もあります。
「また」とか「あとは」とか「あるいは」が多い。

重要なメッセージを具体的に説明するための例として語られる部分ですが
あまりにも並列で情報を追加されると、
話の流れを保持できない人は多いものです。

「言いたいことが多い」ケースに関しては
キャッチフレーズの長さなどにも反映されがちなようです。

最初の一文で目を引く必要がある、だから
大事な内容を一文に全て含めたくなる。

伝わらなければ意味がありませんから
分かって欲しい内容が含まれない文章では上手くいかない。

かといって、伝えたい情報を一文に込めると
文章の構造が複雑になりがちなんです。

例は省きますが、英語でいうと関係代名詞がたくさん使われる感じ。
一目見ただけでは文章の内容理解が追いつかない可能性があります。

長文を読みなれている人、英語の翻訳本を読み慣れている人は
頭の中に情報をキープしながら内容を組み立て直すのが得意になっています。

だから自分には理解できる文章として、複雑な構文を作りやすい。

ところが広告などのキャッチフレーズは、一番最初に目がとまるところです。

読み手がどのように目線を動かすか?
読み手が何文字を一気に捉えられるか?
読み手がどれぐらいのスピードで文章を読めるのか?

そうした読解力の違いによって
キャッチフレーズの内容理解の仕方が異なるわけです。

気になる単語だけに反応して
頑張ってキャッチフレーズを読んでくれれば大丈夫ですが、
キャッチフレーズの文章の解読に負担がかかって
読むことさえ止められてしまっては、元も子もありません。

広告やホームページを目にする人が、どんな人なのか?
その文章を書いている自分と同じ頭の使い方をしているとは限りません。

自分にとって問題のない、当たり前の文章を書いたとき
それが一般とマッチしないことがある、という話です。

論理が飛躍するのも、
「これぐらい言えば納得するだろう」という理由の説明が
自分の理解の仕方を基準にして作られているから、といえます。

キャッチフレーズが長くなるのも
「自分なら、この文章で意味が分かる」という発想のもとに
平均的な人のことを想定していない、といえるでしょう。

どうしても自分にとっての基準で文章を作ってしまいやすいんです。


ビジネスにおいて、特にこれは仕方のないことかもしれません。

最初に公告やホームページなど、形を作ることができる…
つまり「0から1を作れる」特性があるわけです。
前述のメタプログラムでいうと『主体行動型』です。

主体的に行動をする、というのは
端的にいうと「自分の気持ちに素直に動く」と言い換えられます。

周りに合わせて行動を選ぶというよりも
自分を基準にして率先した行動が多い、ということです。

反対に反映分析型は、ああだこうだと人の気持ちを考え過ぎたり
多くの可能性を検討し過ぎたりして、行動に踏み出せません。

ビジネスを立ち上げた”主役”に多い主体行動型は
そもそも他人の立場で考える頻度が少ないんです。
だから行動が早いともいえます。

その分、メッセージを表現するときには
自分の基準で語ってしまいやすい。

読み手、聞き手の立場に立つとか
平均的な傾向を想定して、それに合わせるとか
そういったことは積極的にしないわけです。

僕はそのタイプではありません。
色々と検討してから行動します。
だから自分のビジネスを形にするのが面倒臭くなりがち。

世間との数少ない接点であるはずのブログだって
この通り、いつも後回しです。

反面、一度作られたものを編集するのはやりやすい。

このあたりの個性の違いがあって
ビジネスを立ち上げる人たちの個性を補える形になっているからこそ
自然と頼まれることが増えてきているのかもしれません。

自分からやるつもりは相変わらず、あまりないんですけど。

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2019年07月11日

スピーキングの練習法

先日のフランス語のマンツーマンレッスンで
そちらのスクールに通い始めてちょうど一年という話になりました。

ときおり振り返ると変化を意識しやすいものですね。

それまでにも通っていたフランス語スクールに加えて
新たにマンツーマンを始めたのは
スピーキングに特化して練習したかったからです。

(※フランス語では「スピーキング」とは言わず、
 「production orale(プロデュクシオン・オラール)と呼びます。
 「口頭での文章作成」みたいなニュアンスでしょうか。)

もう1つの長く通っているほうは「全技能をバランスよく」
ということになっていますが、まぁ簡単にいうと
フランス語でフランス語の授業を受けている感じです。

テキストを使って勉強するときもあれば
CDを聞いて答えるトレーニングもありますし、
動画を見てディスカッションするような時間もあります。

効果はもちろんあるとは思いますが、
話すトレーニングの度合いとしては低いと感じていたんです。

で、発話に特化したトレーニング機会を設けた、というわけです。


やることはシンプルです。

事前に自宅でA4一枚のライティングをする。
ただの近況報告というよりは、もうちょっと抽象的な議論が多いというか、
ちょうどブログで書くような感じの内容です。

「こういうことがあった。
 そのときにこんな話になった。
 それはこういうことだと思う。」
みたいな感じ。

効果的な学習法とか、世情や文化の違いについての分析とか、
そういうテーマが多いと思います。

このライティングの過程で、ライティングそのものの練習もできますが
文法のルールを再確認しなければいけないので文法の正確性も上がりますし、
知らない単語や表現は辞書で調べることになるので表現力も上がります。

単語や表現は自分で作文すると記憶に残りやすいですね。
よく使う構文や表現は、調べなくても自然と浮かんでくるようにもなります。

そうやって準備したものをレッスンに持参して、
書いた内容について、そのレポートは見ないで口頭で説明する。

書いたときに印象に残っている表現をそのまま使ったり、
もっと日常的な表現に置き換えたりしながら話すようにします。

話す内容は決まっているので、そちらに頭を使う必要がありませんから
考える作業はフランス語の表現選びだけに集中することができます。
(もちろん文法は常に意識することになりますが)

この間、間違いや不自然な表現があれば先生がメモを取りながら指摘してくれ、
さらにその場で単語が出てこないときには助け船も出してもらえます。

僕の場合、英語と対応させるようにフランス語を勉強しているので
「英語でいうと○○なんだけど…」というと
それに合ったフランス語の単語を教えてくれます。

その先生は、そのスクールで英語とフランス語の両方を教えていますから
英語力も相当なもののようです。

ときどき「自分のフランス語が英語に汚染されていて出てこない」と言って
辞書を使って調べるときもありますが、
僕が出せなかった言葉をその瞬間に教えてもらえるのは助かります。

余裕があれば、その場で教わった言い回しを文章単位で発声してみて
記憶に残るようにトレーニングもします。

で、一通り説明が終わった段階で、その内容についてディスカッション。
ボキャブラリーや表現は活用しやすい状態になったまま
さらに自分の思考内容とフランス語の表現を関連づけられます。

こうすることで自分の思考、つまり概念ネットワークに
フランス語のラベルを貼っていくことが可能になるはずです。

で、最後にライティングそのもののチェックをしてもらう。
ここで文法の正確さや、フランス語らしい言い回しとかも指摘してもらいます。

当然、レッスンの最初は挨拶をして近況報告などもしますから、
そのときには完全にテーマがフリーの状態で話すことになって
純粋にフランス語で発話することのトレーニングもできる形です。

このフリートークでは、ライティングやディスカッションで使った表現を
自然と自分の話の説明に応用するようになっていきます。
ちょっとずつ覚えたことを実践する時間です。


このようなトレーニング形態で一年。
月に2,3回でも合計で2400分(=40時間)もやると
段々と発話がスムーズになってきた実感があります。

流暢とはいえないレベルではありますが
内容によってはそこそこスムーズに話せる感じでしょうか。

テスト対策さえすれば、ボチボチ仏検1級とかも目指せそうな印象です。
(ただし、ヤル気はありません)

僕がやりたいスピーキングのトレーニングの形をやらせてもらえているので
このスタイルの効果を示せそうな気はしています。

もっとスピードを上げるには、頻度を高めることと
「聞き取り→リプロダクション(繰り返して言う)」
のトレーニングを組み合わせると良さそうです。

僕はそこまで気合が入っていないものの、
本気で外国語習得したい場合には組み合わせの効果は高いと思います。

あとは書いた文章を覚えて暗唱できるようにしてしまう。

自分にとって重要なテーマの内容だけでも
暗唱できるレベルにしてしまうと一気に土台を作れるはずです。

要素としては、
|姥譴簓集淑法を覚えたり、文法を正確にしたりする土台強化
覚えた単語や表現を自分の考えの説明のために応用する運用力強化

,療畋羔化は、その前提に基礎を確立しておくことが求められます。
基礎的な文法は完全に覚えていなくても把握しておくこと、
少なくとも辞書を使って文章を読解できる状態というレベルが必要でしょう。

そのうえに、△捻人僂垢襪燭瓩良品を追加していく感じです。
△留人冦呂鮹辰┐訝奮では、正確性はさほど重要ではありません。

間違えてもいいからアウトプットする。
覚えている部品を組み合わせる練習です。

この組み合わせのスピードが流暢さに直結します。

とはいえ、滅茶苦茶な組み合わせを練習してしまうと
受け取る側にとって理解が困難な文章を作るのに慣れてしまうので、
ある程度の正確性をキープしながら組み合わせの練習をするのは大事なはずです。

ということで、僕はレッスン中には、先生のチェックに頼りながら
正確性を保持しつつ運用のほうのトレーニングをしている、ということです。

一方、事前のライティングの段階では,良集修里燭瓩療畋羔化をしていて
チェック段階でさらに正確性を気にできるようにする意図です。

,陵彖任箸靴董部品を一気に増やしたいのであれば
書いたものを暗唱できるレベルに覚えてしまえば効率が上がると考えられます。

そこまで急がなければ、
「書いてきて、それについて話す」
だけでも効果はあると思います。

僕はそれで効果を実感していますし。

このトレーニング方法に興味がある方がいらしたら
お手伝いをしても良いかなぁ、と考え中です。


ただし、僕が1つ困っているのは
英語とフランス語が混ざってしまって
相互に悪影響が出るところです。

例えば、英語では一単語で言えることを、フランス語では
四単語ぐらい組み合わせないといけない場合があります。

なので英語で話している最中に、ついフランス語の癖で
複数の単語が頭に浮かんでしまうことがあるんです。

以前はパッと一言が浮かんでいた場面で
余計な作業をする必要が出てきてしまっている状態です。

英語の表現を探すのも時間がかかってしまう印象があります。
以前は英語の表現しかなかった「外国語モード」の中に
他の言語の表現も入っているせいで
探索の作業の労力が上がっているのかもしれません。

フランス語の文法に正確でいられていないせいで、
うっかり悪い癖になりかけている部分も
英語を話すときにまで出てきてしまうことがあります。

ただ混ざるというよりは、
フランス語のレベルのほうに引っ張り下される感じ。

この悪影響が周期的にやってきます。

ある程度になると英語とフランス語が区別されて
英語への悪影響が自覚できなくなるんですが、
またどこかのタイミングで再び悪影響が出てくる。

おそらくフランス語のほうが上達している時期ほど、
頭の中のネットワークの繋ぎ換えが活発になって
以前に作られていた英語ネットワークまで一緒に
おかしなことになってしまうんじゃないでしょうか。

こういうのは何かの変化を導入するときには
避けられない過程のような気もします。

いつか再び分割されるとは思うんですが…。

とりあえずは英語のほうが維持されやすいよう
英語でのインプット量を増やしておくことにします。

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2019年07月08日

続かない人たち

ジム通いも気づいたら2年を過ぎていました。

僕が入会したのはジムがオープンして2か月目ぐらいのとき。
オープン記念のキャンペーンをやっていて最初の2,3か月は
割引をしてくれていたのを覚えています。

その後も様々なキャンペーンを繰り返し、
新規の入会特典は名目を変えながら何度も行われるようです。

知人を紹介して入会してもらうと、紹介者も新規入会者も
どちらも一定期間の割引が受けられるようなものもありました。

そして2年以上が経った今、先日から
「義理友割」とかいうキャンペーンが始まりました。

「一人じゃ続かないから、一緒に入って!お願い」
という心情を代弁する形のポスターが貼られています。

二人同時入会だと割引になる、ということなんですが
始める前から「続くかどうか心配だなぁ…」
と心配する人もいるものなんでしょうか?

むしろ、入会を検討する人は最初のうちぐらいは
それなりにヤル気を持ってジムを比較検討しそうな気がします。

どちらかというと、そうやって誘われた人のほう、つまり
自主的にヤル気を出していたわけではない人のほうが
「うーん、健康には良いんだろうけど、続くかなぁ…」
みたいな心配を抱きそうな気がします。

もしくは、既に入会していて、最近サボり気味になっている人が
「あー、最近ジムに行っていないなぁ。
 誰か一緒に行ってくれたら、もうちょっと通えるかもなぁ。」
なんて思うことはあるかもしれません。

ただ、この場合、ジムに来ていないのでポスターを見ることはなく
キャンペーンの存在に気づかないと思いますが。


ということで、個人的な印象としては
 ジム経営者側の勝手な推測で利用者の心境のイメージを作って
 それに基づいたキャンペーンを打った
ような感じに見えてしまうところがあります。

こちらの本心としては、ジムが混むのは嫌なので
そんなに入会を増やしてくれる必要もない、というのが正直なところ。

一方、そうしたキャンペーンを打ちたくなる理由も想像できます。

それは実際、続かない人が多いみたいだから、です。

入会直後によく見た人も、最近は見かけないことが増えてきました。
長続きしている人は、僕と同じ利用時間帯だと数人じゃないかと思います。

僕自身は週に1,2回、だいたい決まった時間帯に行きます。

以前は、その時間帯にいつも来る人が何人かいました。
運動が苦手そうな人も、筋トレマニアみたいな人も、どちらも。

それなりに長い間、頻繁に見かけていた人もいました。
彼らも今では見かけません。

時間帯を変えたのか、曜日のサイクルを変えたのか、
あるいは引っ越しでもしたのか…。


そのうちの一人は、先日たまたま見かける機会がありました。
この人は筋トレ好きというより、ランナーのような印象です。
トレッドミルのフォームがスムーズですし、下半身も鍛えています。

久しぶりに見かけたわけですが、あいかわらず異臭を放っていました。

また、一時期は毎回のようにタイミングが重なっていたインド人も
最近では全く見かけなくなりました。

彼の熱は半年ぐらいで冷めてしまったのかもしれません。

数か月ぐらいは頻繁に見かけるのに、その後は見なくなる…
そんな人は大勢いたような気がします。

ブームが過ぎ去ってしまうんでしょうか。

筋トレ好きの側の人たちも、見かける頻度には波がある気がします。
最近は、器具を占有する人も減ってきたようです。

こちらとしては使いやすくて良いんですけれど。

筋トレマニアの多くは若い世代のようなので、
転勤だとか就職だとか、会社内の部署の変化とか
環境として変化が起きやすい傾向はあるかもしれません。

同じ生活スタイルが続きにくい世代といいますか。
夜の時間帯に通うのが難しくなっただけの人もいるようには思えます。

あとは、近所の別のジムに移ったか。

二年前は24時間営業のジムも、近所ではその一店舗だけでした。
それが次々に別系列の店舗がオープンして、
近郊に数軒はある状態になってきたみたいです。

住まいからの距離とか、通勤の通り道とか、
もしかすると価格とか、設備の充実度とか、
そういう理由でジムを変えた人もいるのではないかと想像します。

筋トレ好きの人の場合、設備の充実度なんかで
場所を変えることはありそうにも思いますが、どうなんでしょうか。


そんな中、1年半前ぐらいから、
コンスタントに見かけ続けている人が一人だけいます。

利用時間帯が同じぐらいのタイミングの人。
おそらくスペイン人です。
50歳ぐらいでしょうか。

決してトレーニングマニアという感じではなく、
本格的なトレーニングをしているようではなさそうですが
マシンの設定としては、かなり強い負荷で頑張っています。

脂肪もタップリつきながら、体を大きくしたいみたいです。

見た目から地中海系の人だろうと想像できます。
歩き方もアメリカ大陸の人とは違いますし。

イタリア人とは動作のリズムが違うのと、表情なんかも違います。
まぁ、スペインだろう、と。

先日、その人がトレーニング中に自分のスマホで音楽をかけていました。
(本当はイヤホンの使用が義務づけられていますが)

その音楽が全てスペイン語だったので、
ほぼ間違いはないと思います。

わざわざ話しかけて尋ねるほどでもないですし。

ということで、夜の時間帯にコンスタントに通い続けられるのは
どうやら一般的な日本人には少ないようです。

僕の生活は一般的な日本人とはズレてしまっていますし。

しかしながら、そういう生活スタイルだからこそ
24時間営業のジムが助かるんです。

あまり利用者が多くて使いにくいのも嫌ですが、
かといって利用者が減ってしまって潰れてしまうのも困ります。

僕だけでなく、少なくともそのスペイン人男性も
細々と長続きしてくれることを願っていることでしょう。

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2019年07月03日

あやういところでした

少し前のことですが、打ち合わせで出かけていて
岐路に着こうと、先方の最寄り駅を歩いている途中、
駅構内で気を失って転倒しました。

少し雨が降っていて、足元が滑りやすい状態で
改札に向かう途中の階段で最後の一段を踏み外してしまったんです。

それで軽く転んで膝を打ちました。

このときはまだ何ともありません。
ただ「イタタ…」という感じ。

しかし滑って転んだ際に、身体的には緊張が走ったようです。
いわゆる交感神経優位の状態という感じでしょうか。

アドレナリンなんかも出ていたと思います。

そのまま改札を通り、エスカレーターに乗って
反対側のホームへと移動しようとしていたとき、です。

徐々に意識状態がおかしくなってきているのに気づきました。


過去にも気を失ったことは何回かありましたから
「これは少しマズイな」と考えて
急いで帰るのを止める決断をしたんです。

「とりあえず反対のホームに移って、あそこのベンチで休もう」と。

ところが状態は悪化する一方。
「これはチョット、呼吸を整えて落ち着かせる必要がありそうだ」
と思って、まずはとにかく立ち止まって休むことにしました。

それでエスカレーターを上り終えたコンコースの通路端、
壁際の柱に寄りかかって落ち着きを取り戻そうとしたんです。

が、結局、その瞬間が最後の記憶でした。

次に気づいたときは、なぜか地面に突っ伏していて
よく分からないけれど通りすがりの人から
「大丈夫ですか?」と声をかけられていたんです。

とはいえ、こちらはまだ朦朧とした状態です。
なんのことやら分からずに突っ伏したままでした。

それでも最初に意識が戻ったキッカケは、
一人のおばあさんの声だったと思います。


たまたまその人が看護師だったので、親切にも駅員を呼びに行ってくれて
念のためということで救急車の手配まで協力してくれました。

救急車が来るまで10分ぐらいあったらしいですが、
その間に朦朧とした感じが少しずつ治ってきて
救急車に運ばれるときには立って歩けるぐらいの感じでした。

そして病院に着くころには、ほぼ普通に戻っている。
若干のダルさがあるぐらいなものでした。

なので検査をしても何も異常は現れず、
問診をしても医師からは「おかしい、分からない…」の繰り返し。

まぁ、医療的には問題が見つからないということなので
あまり気にしなくて良さそうな話にはなりました。

ただ、これまでに気を失った経験を振り返ると
やはり共通点があります。

何かしらのショックがあって、交感神経が急に活発になるような感じ。

貧血とか立ち眩みなどのように、クラっとする体験ではないんです。
何か普段と違う機能が働いて異常が起きるような印象を受けます。

駅の改札あたりから自分が考えていたことを覚えていますし、
その判断に基づいて行動をしたところもあったと思います。

が、これは「考えて判断した」というよりも、
思考や判断を司る脳の部位は普段通りの機能を保っていて
その部分が普段と変わらずに状況分析をした内容を
言語的に表現していただけに過ぎないのかもしれません。

それとは全く別の部分、体の機能や意識状態と関係するような部位では
思考の内容とは無関係に異常が進行していたと想像できます。

なので自分としては冷静に状況をモニターして判断したつもりでも、
実際には、意識的な自覚とは離れたところで
気を失う方向の異常事態が進んでいたんじゃないかと思われます。


この手の体験、つまり交感神経系が過剰になってバランスを失い
意識状態がおかしくなって気が遠のいていく感じの状態は、
数か月前に、MRIを取っていた最中にも起こっています。

そのときは程度がさほど強くなかったのと
そもそもが寝たままの状態だったのと、
その日の体調なんかも関係しているのかもしれませんが、
うまく呼吸を整えて対処することができました。

MRIのときも妙な緊張状態があって、
交感神経が過剰な感じだったように思います。

そして、つい先日も危ういタイミングがありました。


夜中にジムに行ってきた帰り道です。

若干暗い道を歩いていると、一軒の建物の駐車場に看板を見かけました。
選挙事務所の看板のようで、候補者の顔写真が載っていました。

奇妙なことに、その看板が目に入った瞬間
僕の頭の中には「あぁ、看板か」という認識があったんです。

にもかからず、その一瞬後に、
暗い駐車場の中に浮かぶオジサンの顔だけを捉えて
暗闇から急に顔が表れてくるような捉え方をしてしまいました。

物凄くビックリしました。
むしろ恐怖のほうが近いでしょう。
オバケを見たかのような体験です。

看板を認識してから後、1秒以下の話ですが、
暗闇から表れる顔に対して、別の反応が起こったようです。

順番としては、看板を認識して、その後に
顔に対して恐怖を感じた、という形。

頭のどこかでは「看板だ」と分かっているのに
それとは無関係に、あるいは並行した体験として
暗闇に表れる顔に恐怖を感じたわけです。

このときの生理反応も、一気に交感神経優位になる感じ。
心拍数の増加、呼吸の変化、血流の変化を捉えながら、
意識状態も少し歪んでいくのが分かりました。

程度は小さかったので気を失うところまではいきませんでしたが
同様の兆候の状態だったとは思います。


なんとも理解ができない状態が続いています。

いろいろと関係しそうな要素を探して
自分なりにリスク要因を避けるよう工夫することになりそうです。

夜道の看板の顔写真でビックリするのは
予防のしようもなさそうに思えますから。

他の要因をチェックしてみるつもりです。

cozyharada at 23:05|Permalinkclip!

2019年06月19日

味に飽きるかどうか

脂ものを控えるようになって約2か月。
そんな食生活にも慣れてきました。

内容はいたって単調です。

以前だったら同じような食事は飽きてしまっていたでしょうが、
なぜか最近は毎日同じでも大丈夫になったようで。

キムチは唐辛子の負担が大きいことが感じられて
少し控えるようにしました。

千切りキャベツは僕の場合、あまり食物繊維としての効果が高くなく
サラダをたっぷり食べたつもりでもイマイチ状態が良くなかったので、
固形分の要素が大きい乱切りのキャベツやモヤシの量を増やしています。

カット野菜を買って、レンジで簡単に火を入れて
スープや味噌汁じたてにすれば時間も手間もかかりませんし、
キムチ以外で固形の野菜を多めにとることができます。

こちらもシンプルな味のものを日々リピートする状態。

何か違う味のものを求めるときがあれば
シリアルを食べて気分転換といったところで、
我慢している気分も感じません。

ただし、シリアルを豆乳で食べるのは馴染めなかったので
脂肪分ゼロをミルクプロテイン飲料で誤魔化しています。


思い返せば、僕の生まれ育った実家は
食事を重視する家庭だったんでしょう。

当時はそれが当たり前で何とも思っていませんでしたが。

毎日違うメニューなのは当然でしたし、品数も多かったようです。
家計のうち食費にかける比重は高かったはずです。

そのせいか、色々と違う味のものを口にするのに慣れていて
同じものをずっと食べ続けるというのは好きではありませんでした。

今でもハッキリと覚えているのは、
 土曜日、学校から帰ってきて食べる昼ご飯が
 ミートソースのスパゲティや焼きそば、素麺だったりすると
 なぜか一食分食べきれない
ということ。

量を調整してもらっても、途中で飽きてしまうのか
常に残してしまっていたものです。

夕飯のことを考えると、土曜日の昼に
子供の昼ご飯を工夫するのは負担だったんだろうと思います。

逆に言えば、母は平日に子供がいないときには
昼ご飯の品数を増やしていなかったのでしょう。

朝や夜には、かなり労力をかけて
品数を多くしてくれていたことがうかがえます。

祖父母同居の家で、専業主婦だった母は
かなりの時間を料理に費やしていたんじゃないでしょうか。

祖母が固いご飯が好きで、父が柔らかいご飯を好んでいたので
僕が子供の頃、自宅には炊飯器が2つありました。
固いご飯用と柔らかいご飯用の2台。

祖母は肉を食べない人だったので
夕飯のときも祖母のために別メニューが追加されていたのも日常。

当時は比較対象が無かったので、それが当たり前になっていましたが
大人になってみると随分と無理をして頑張っていたのだろうと思えます。

おかげで僕の脳は、味覚の刺激に対して
いわゆる馴化が起こりやすくなったようです。

同じ味が続くと、味覚の刺激に対しての反応性が落ちてきて
感度が落ちていく。

味を変えながらでないと飽きてしまう、というのは
そのあたりに理由があったんじゃないかと思われます。


それが今では飽きることが減ってきました。

ポジティブに解釈すれば
 目の前の体験を毎回、新鮮な状態でインプットしている
ということかもしれません。

同じだと捉えなくなっている、と。

「さっき食べた味」という記憶を参照する度合いが減って
口に入るごとに味覚の刺激を新しいものとして捉えている。
…そんなことが起きやすくなったようにも想像できます。

実際、僕は最近、味の体験を
見た目に左右されにくくなっているみたいです。

以前、4,5人で打ち合わせをしていた場に
知人がお土産としてケーキを買ってきてくれたことがありました。

といっても普通のケーキではなく、
お寿司の見た目をしたケーキ。

パッケージからスーパーの寿司のパックみたいな形でしたから
見た目だけでいうと、一瞬、お寿司をお土産に持ってきたのか
と思うほどでした。

なかなかよくできた見た目でした。
色を付けた桃の薄切りで作ったガリなんかも入っていて。

皆で1つずつ食べて味の感想なんかを話していたんですが、
多くの人は「混乱する」と言っていたんです。

頭がお寿司のつもりになっていて、
でも味はケーキなので、予想と違って変な感じがする、と。

おそらく止まっているエスカレーターを歩くときのように、
頭が予想する体感覚と実際の体験が異なっている
という話でしょう。

でも僕は、味に関してそういう違和感は全くありませんでした。
お寿司の味を見た目から予想することがないんでしょう。

純粋に味と匂いとして、マンゴー風味を体験していました。

僕は見た目情報から味を予測しなくなっているようです。


馴化には予測の要素が関わっているんじゃないでしょうか。
知っている体験として予測をするから、
刺激に対しての準備ができている状態。

有名な話としては、
 自分で「くすぐる」ことはできない
というのとも関係するはずです。

自分で「くすぐる」ことをしようとしても
その体験を予測してしまっているから
刺激を抑制してしまう、と。

子供の頃、同じ味だと飽きてしまってスパゲティが食べきれなかったのも
 見た目情報から味を予測して、味覚刺激への反応性を抑制する
ということが起きていたのかもしれません。

そう考えると、最近は体験の仕方が変わってきている、ともいえそうです。

記憶を頼りにして予測しながら食べる、という度合いが下がり
毎回の味を別物として体験している。

それは、NLPなどを通じて心や体験というものの実態を
深く掘り下げてきた影響のような気がします。

良いか悪いかは何とも言えませんが、少なくとも
食べて良いものを選ぶ必要が出てきた現状では
飽きずに同じものを食べられるようになったのはメリットのようです。

以前のように飽きっぽい味覚を保ったままだったら
今みたいな単調な食生活は無理でしょうから。

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2019年06月13日

伝統に憧れる

運命という言葉を簡単に使うのは気が引けますが、
人には何となくの傾向というか、生き方のスタンスというか
大まかなタイプのようなものがありそうな印象を受けます。

場面が変わっても繰り返されるパターンのようなものです。
社会における立場とか、巡り合う人の傾向とかに表れるもの。

具体的には僕の場合、
 「本流」、「主流」や「伝統」からは離れる
傾向があるようです。

知らないうちに離れてしまうこともあれば
主流の中に入ろうとしても入れないこともありますし、
何気なく惹かれて選んでいたものが少数派だったりもしました。


例えば僕が研究職についたとき、
入った会社は業界最大手ではなく二番手のところでした。

その後、心理やコミュニケーションに関心をもったわけですが、
そのときにも臨床心理士を目指すわけではなく
NLPという、心理分野では亜流のような位置づけのものをやりました。

今となってはNLPだからこそできることが多くあって、
いわゆる心理学の流れではないからこそのメリットを実感していますが、
それでも社会的信用を得やすい主流派ではないと思われます。

またNLPそのものについて言っても、
NLPを分かっている度合いについては僕には自信がありますが
NLPの伝統からするとメインストリームではないでしょう。

一応リチャード・バンドラーのトレーナーコースに行っていますから
他の人たちと同じように
「創始者リチャード・バンドラーから直接指導を受けた」
みたいな文言を主張することは可能ですが、
密な関係で教わってきたわけではありません。

NLPという心理分野から派生したもセミナー業界においても
伝統をストレートに引き継いでいる立場ではないんです。

僕が催眠療法を学んだ吉本先生は、ミルトン・エリクソンから
直接教わったことのある数少ない日本人の一人です。

だからといって僕は吉本先生の後継的な位置なわけではなく、
ただの生徒の一人でしかありません。

吉本先生ご自身が臨床心理士だったこともあり、
先生のサポートのメインは心理臨床の専門家向けだった印象です。

何より僕は催眠を中心に据えることにならなかったですし。

心理やコミュニケーションの技術の土台は
堀之内先生から多くの指導を受けて身につけたつもりです。

が、先生の提供していた講座の全課程を終えてもいませんし
免許皆伝なわけでもありません。

堀之内先生ご自身は、日本の家族療法の大家
国谷誠朗先生の一番弟子を自負されていて
その意味では主流を引き継いだ人ともいえそうです。

ただ、その堀之内先生も結局は、日本の心理臨床分野では異端で
今では学問分野から一線を引いて独自の展開をしています。

僕はそういう
「世間一般の主流ではない本物の実力」
みたいなものに惹かれるところがあったんでしょう。

なので学んだ財産の大きさを実感する一方、
多数派として世間に溶け込むのとは違う立ち位置を自覚します。

書道だってそうです。

なんとなく選んだ先生ですが、
書道界では異端の部類だと思われます。

とはいえ、
書道界から「書家」として認められない反面
マスメディアでだけ取り上げられてる書道アーティスト
とも一線を画している人ではあります。

書道界の内側にいながら、伝統のど真ん中にはいない。
そんな独自路線の先生のようです。


こうして振り返ってみると、僕の先生たちは
伝統や主流を引き継ぎながら、そこからハミ出た
という人が多い印象です。

そして僕自身は、そうしたハミ出るぐらいの個性と実力を捉え
そこから学ぼうとするからこそ
伝統の中にいることができないんでしょう。

もしかすると伝統の継承者は、
教えの内容そのものを大切にして
忠実に正しいものを引き渡せる
という素養を必要とされるのかもしれません。

ところが、伝統の教えを学ぶうちに、教えそのものではなく
「教えが指し示すもの」のほうに気づき
そちらを独自の表現で伝え始まる人が出てくる。

僕はどうやら、そういうものに関心をもつみたいです。

自動的にそれは伝統のメインストリームではなくなります。

大事なことを学ぶには早いですが、
伝統に身を置いたという経験は得られません。

一方、僕が教わる先生たち自身は
伝統の主流にいた師匠筋との密な関わりを経験しています。

そしてそんな思い出を語る。

僕が自分で伝統を引き継ぐつもりはありません。
それは憧れない。

ただ伝統に身を置いた経験を懐かしみ、
その伝統を尊敬できる立場はチョット羨ましいです。

また、伝統を背景に持つからこそ
伝統からハミ出たことを言っても
「異端児」として見なされます。

伝統に入ったことのない者は何を言っても
「部外者」の戯言にされてしまう。

社会的に受け入れられながら
社会に属して生きていく分には、
「正当な後継者」とか「本流」であるか、
あるいは「異端児」くらいが好都合なようです。

「部外者」はメインストリームには入れません。
利用する権威も、支えとして敬える伝統もありません。

ただ実態だけを、ひたすら行いに移すのみ。

まあ、ブッダもそうだったでしょうから
そこは気休めですね。

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2019年06月02日

トラブルの捉え方

先日のアメリカ滞在の最中、
国内線の飛行機移動で意外な展開を目撃しました。


瞑想から帰ってきて、目的地の美術館があるところへ
飛行機で移動していったんです。

現地の到着は乗り継ぎとかもあって深夜0時頃。

予定通りに飛行機は着陸して、
ターミナルへ向かって地上を走行していきました。

そして減速が始まって、建物に近づき
もうすぐ飛行機が止まる…
そんなタイミングです。


前から2番目の席に老夫婦が座っていたんです。
通路側にお爺さん。
いかにもアメリカ人です。

70から80歳ぐらいでしょうか。
体重は130-140kg はありそうな感じ。

ルーズな太り方とでもいいますか、
身体への意識が低く、自制心も効かなそうな雰囲気でした。

実際、機内でも新聞を読んだり、スマホを見たりしながら、
ダラダラと何かを食べ続けていました。

食べることへの意識も低く、
なんとかく口を動かしているだけ。

で、そのお爺さんが、飛行機が着陸したとき
早々にシートベルトを外したんです。

まだ機内のシートベルト着用サインは点灯中。
「完全に停止するまで…」みたいなアナウンスもありました。

まあ、早めにシートベルトを外す人は日本にもいます。
早く立ち上がって荷棚から荷物を取りたいのでしょう。

ただ、その人の場合は少し違うようでした。
待つのが嫌なのかもしれません。


そして飛行機がターミナルに近づき、
地上走行のスピードが落ちてきたあたりのこと。

まだ停止する前に、そのお爺さんが立ち上がりました。
そして通路へ出てきたんです。

たしかに減速していて、
もうすぐ止まりそうな雰囲気ではありました。

が、停止する際に多少の急ブレーキというか、
電車が止まるときのように
最後の最後で減速が強まったんです。

慣性が働きます。
前側に向けて加速度がかかる。

そのとき、すでに通路へ立っていたお爺さんが
ヨタヨタと前によろめきました。

年齢的に体力が落ちているのと、体重の重さとで
よろめいた自分の身体を支えきれません。

それでバタッと、そのまま前に倒れました。


しばらくは皆んな、「何やってんだ、まったく」
みたいなムードで冷ややかに見ていたんですが、
一向に起き上がってこないので様子が変わってきます。

どうやら単純に自分では起き上がれない様子。

脳震盪とかではなく、いくらかの精神的混乱と
自分の体重で押し潰されて呼吸困難なのと、
そもそも筋力が足りないのとで
突っ伏したままの時間が続きました。

最初は恥ずかしそうにしていた奥さんも
通路へ出てきて手をこまねいています。

女性の客室乗務員は自分で起こさないと判断して
男性客室乗務員を奥から一人呼び寄せ、
さらに乗客が手伝って、かつぎ起こしたんです。

ズボンの左足の太腿あたりに血が染みていました。
切り傷というよりは、皮膚が敗れた状態でしょう。

起き上がったその人の顔は呼吸困難のせいで真っ赤でした。

フゴフゴ呼吸をしながら椅子につかまって身体を支えていると
地上スタッフが車椅子をもってやってきました。

飛行機の扉はすでに開いていたわけですが、
その人のトラブルによって出られない状況だったようです。

そして車椅子に載せられ、空港の建物へと運ばれていく老人。
なぜか奥さんの分の車椅子も用意されています。

そのお婆さんも、最初は恥ずかしそうにしていたのに
お爺さんへの苛立ちと、心配とが重なり
やり場がなくなった気持ちを制御できなくなって
周りに当たり始めていました。


ようやく老夫婦が飛行機を出て、
他の乗客も降りることができたのは
飛行機停止から10分後ぐらいだったでしょうか。

深夜着の便で、少しでも早く帰りたかったのかもしれません。
が、むしろそのトラブルで遅くなった形。


僕はその日、空港直結のホテルを予約していたので
荷物を受け取ってホテルへと移動しました。

チェックインカウンターで待っていると
そこへ航空会社の制服を着た集団が。

見覚えのある顔がいくつかありました。

ちょうど載っていた飛行機のクルーのようです。

チェックイン待ちの間、クルー達の話題は
先程の老人のトラブルについて。

「なんだったんだ?」
「停止前に立ち上がって勝手に転んだ」
「なんだか訴えるとか言ってる」
「はあ?先に立ったのは本人だろ?」
「よく分からないけど、航空会社の責任だとか言ってる」
…そんな会話をしていました。

どうやら自分の非は棚に上げて
激怒していたようです。

どういう思考パターンなのか、
どんな学習をしてくると、そういう行動に繋がるのか、
どんな環境で生きてきたのか。

色々と気になります。

初めて遭遇した経験です。
文化の違いは、こんなところにも表われるみたいです。

cozyharada at 23:54|Permalinkclip!

2019年05月30日

時差ボケでしょうか

日本に戻ってきて数日が経ちました。
なんだか奇妙な感じが残っています。

瞑想を集中的にやったことで認知が今までと変わっているのか
単純に環境変化への適応に時間がかかっているのか、
その辺は分かりませんが、頭がボーっとしたり、クラクラしたりします。

時差ボケとも考えられますが、時差のタイミングを考慮すると
決してアメリカの夜の時間帯に眠くなるわけではありません。

そういえば、アメリカ国内で少し移動して
美術館を訪れていたときにも、
時差や睡眠不足とは関係が無さそうなタイミングで
頭がボーっとすることがありました。

日中にボーッとしてきてホテルに戻って仮眠しようとしても
一人に戻ると今度は別に眠いわけではない。

人が多いところだと奇妙な感じになっていた気がします。

とはいえ、ここ数日に体験する眠気や頭のボーっとする感じは
決まって夕方の6時、7時ぐらいから始まりますから
何かしらの生活リズムの適応が問題になっているんでしょう。

調べると時差ボケが治るには一か月ぐらいかかるらしいので
まぁ、そこは仕方がないものとして過ごすしかなさそうです。


ちなみにアメリカではシカゴにまで行っていました。

アメリカ国内でも大きな街だという話でしたが、
なんというか古いというか、ちょっと汚い印象を受けました。

もしかすると日本が奇麗すぎるのかもしれません。

高層ビルが多く、繁華街ということはうかがえます。
東京でいうと銀座のようなブランド店が立ち並ぶ地域もあれば、
皇居前のように大通りに面して高層ビルが並ぶところもありました。

シカゴ美術館のあるあたりは、芝生の多い公園のようなエリアの中に
石造りの建物が点在する形でしたから、上野みたいな印象でしょうか。

大通りを外れるとアパートとかホテルとか飲食店が増えてきて、
郊外に離れていくにつれて住宅地になっていくような作りは
どこでも都市計画として似たようなものになるのかと感じました。

ただ東京と比べると、こじんまりしているようにも思えます。
東京という街の発展の仕方は特殊なんでしょうか。

その地域にどれだけの人口が集まるか、というのと
街の規模は関係するのかもしれません。

chicago01



























ちなみに、お目当てのシカゴ美術館は素晴らしかったです。

印象派の絵画が沢山そろっていて
特にモネの作品は一気にシリーズとして見られます。

週末のタイミングに当たってしまったので当然、来館者は多かったですが
それでも日本ほど行列ができるわけではありません。

入館のときに行列ができるだけで、館内のそもそもの広さもあってか
作品を鑑賞するには十分に楽しめました。

海外の美術館は写真撮影ができるのもいいですね。

chicago02



























たまたま特別展示でマネの企画をやっていて
モネだけでなく、マネも一緒に多くの作品を堪能させてもらえました。

大部分の来館者は観光客で、ミーハーな人たちばかりですから
絵を見るよりも説明を読む時間のほうが長いのは
世界共通なのかもしれません。

僕が見方を解説してあげたいぐらいの気分でした。

chicago03



























観光地でもあるようですから、アメリカ国内からも
世界各国からも、多くの人たちが集まっていたようです。

とはいえ、やはり街特有の雰囲気というのはあるみたいに感じます。

そんなに多くの街を訪れたことがあるわけではないんですが
人の雰囲気や交流の仕方、生活のリズムなど
自然と特有のものが作られていくのかもしれません。

こういうのを比較できるのも面白いところの1つです。

cozyharada at 23:58|Permalinkclip!

2019年05月14日

自然と似てくる

この間、書道教室に行ったときのことです。
先生から「そういえば…」と話しかけられました。

なんだかの事情で書道関連の画像検索をしていたら
「あれ、自分のタッチの字がある」
と思ったそうなんです。

「でも、この字を書いた記憶はない。
 誰が書いたんだろう?」

そう思ってリンク先を調べたら、僕のブログだった
ということでした。

確かに僕はたまに書道の写真をブログに載せています。

どれのことだったのかは分かりませんが、
先生のお手本があるものや、少なくとも
先生からチェックしてもらったものが中心です。

そうでないものとなると、年賀状ぐらいかと思うんですが…。

いずれにしても、パッと目に留まるぐらい
先生の特徴の部分が染みついているのかもしれません。

我流で書いたつもりでも、影響は出るものなんでしょう。

なんだか気恥ずかしいような、同時に
練習している成果がちゃんと出ていることが確認できたような、
複雑な気分です。

まぁ、あくまでタッチの話ですから
筆遣いの特徴とかのレベルだとは思います。

実際問題として、先生のお手本を見て書いても
その通りにはなりませんし、
その違いの部分にこそ見劣りするところが多々あるのを感じます。

全体の構成とか、1文字の中のバランスのとり方とか
そういうところも勉強する必要がありそうです。

このあたりは見ているだけでは習得できなそうなので
指導を受けながら学んでいくところだろうと思っています。

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2019年04月27日

連休の流れ

大型連休に入って世間の様子も普段と違って見えます。

僕はそもそも、いわゆる休日・平日というのとは
あまり関係のない生活をしていますから、
むしろ会話の中で「連休はどうするの?」みたいな質問が増える
こういう時期のほうが少し戸惑うことも多い気がします。

メリットは『通勤ラッシュがなくなる』ことでしょうか。
電車でギュウギュウ詰めになるのは心地よくはありません。


しかしながら、ここまでの大型連休となると事情は甘くないようです。

通勤ラッシュとは性質が違うとはいえ混雑具合は相当なもの。
それも時間帯に関わらず、ずっと人が多いような印象を受けます。

普段の日曜日よりも人が多く出てきている感じ。

外に出てくる人が増えるのか、移動に伴って駅近辺の人が増えるのか。
あるいは住宅地から市街地に出てくる人が増えるのか。

定かではありませんが、近所の様子も、電車の中も
普段の平日とも休日とも違った人ごみ具合です。

おそらく通勤ラッシュのときのほうが人数は多いはずです。
それでも通勤ラッシュのときは人の流れが定まっているんです。

駅に向かう流れ、乗り換える流れ、駅から出る流れ…と。
ランダムな動きは少ないですし、立ち止まる人も滅多にいません。

それと比べると連休中は、特に行動が決まっていない人も増えるんでしょう。
立ち止まったり、キョロキョロしたり、ランダムに向きを変えたり、
歩くスピードも人によってバラバラだったりします。

仕事で出かけるときには、このあたりの条件は少し不向きです。
世の中全体の流れと違ったことをしているんだなぁと感じる瞬間です。

通勤ラッシュの時間帯に立ち止まってキョロキョロしている人でもいれば
周囲はその人に冷たい視線を投げかけることが多いようですが、
連休の最中であれば、そうはならない。

むしろ大勢が、いつもよりゆっくりと雑踏に滞在している感じです。
そっちが標準として見なされているのだろうと思われます。


やはり社会は決まりごとの中で、多くの人の行動が定まっているほうが
スムーズに機能しやすいんでしょう。

ビジネスをやる人たちも、この連休に合わせた動きが見受けられます。
セールをやったり、キャンペーンをやったり、
観光客を想定した土産物を展開したり。

最寄り駅でも新しく駅近くのビルに
いくつか新しい店がオープンがしました。

ゴールデンウィークに向けて新規オープン、リニューアルできるように
計画を進めていたんでしょう。

案の定、新しく開店したところは特別セールをやっています。

連休中は安い。
しかもこの時期だけ。
新しいところだから見てみたい。
駅前でチラシをもらった。

そんな考えからか、新しい店にも人がごった返していました。
僕は他の店で買うものがあって通りかかったんですが。

レジ待ちの行列もすごいことになっていましたし、
新しくできたGUというUNIQLOの系列店では
試着待ちの整理券番号がアナウンスされているのを聞きました。

僕が買い物したかった店も、普段はガラガラなのに
レジ待ちの行列ができてしまっていましたから、
安売りや新規オープンに集まってきた人たちが
他の店舗にも流れて行っていたということなんでしょう。

ビジネスというのは、こうやって
人の動きに合わせて工夫するものなのかもしれません。


心理やコミュニケーションに関わる分野に携わっていると
「自分のやりたいことを見つける」とか
「自分軸で生きる」とか
周りに流されないような話が多い気がします。

ですが世の中の大部分は同じような動きをしているというのが現状。
本人が周りに合わせている意識があるかどうかは別にして
周りと同じような考え、行動パターンで生きているわけです。

経済もそれに応じて回っている。

そういうことを考えると、
 周りのことを気にせずに自分の気持ちだけを重視する
というやり方が、どれぐらい効果的なのかは分かりません。

「自分が好きなことをやりたい」という気持ちは
言葉にされ切れていませんが、その前提として
「自分が好きなことをして、やりがいとしても経済的にも人間関係でも
 あらゆる面で臨む結果が出て欲しい」
という考えが含まれていると思われます。

「好きなことをやって、誰から見向きもされなくても
 日常がどんなに苦しくても、それでも構わないから
 自分軸で生きるんだ」
という話ではないでしょう。

その意味では、世の中の動きに合わせるというのも
自分のやりたいことの1つに含まれる必要があるのかもしれません。

少なくとも望む結果を出すために必要な範囲では。

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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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