コールドリーディング

2013年02月28日

気持ちを汲み取る

個人的にカウンセリングの練習をやっています。

といっても、これまでに自分の身につけてきた方法ではなく、
いわゆる「カウンセリング心理学」の分野のやり方で
ロジャース派をベースに精神力動的な視点が加わっているというもの。

インストラクターはアメリカで学んできた人ですから
日本で一般的に知られているロジャース派のカウンセリングとは
随分と印象が違います。

ただし、原則は
 クライアントと共にいて
 クライアントの進みたいように任せる
というところなので、
カウンセラー側から何かの働きかけをすることは滅多にありません。

クライアントの世界をカウンセラーが理解するために質問するのは
この手法においては構わないようですが、そこも最終目的は
クライアントに対して「あなたのことを、これだけ理解していますよ」と
伝えるところにあるようです。

カウンセラーが「知りたい」から聞くのでもなければ、
好奇心を持って関わるわけでもなく、
その情報を使って援助内容を決めるわけでもない。

沢山聞いて、状況をまとめて伝え返すんです。
「なるほど、こういうことなんですね」って。

ですから、クライアントが「そう、そうなんです!」となるのが目指す所となります。

徹底的にクライアントが心をオープンにしていくプロセスが重視されています。
それは、その結果としてカウンセラーとクライアントの間に強い結びつきが生まれ
深い絆が作られていくという『関係性』そのものが、
カウンセリングの目的とされているからです。

その『関係性』が作られて、その中に浸っていることによって
クライアントは自然と力を取り戻し、自ら前へ進み始めるという考え方なんです。

気づきを促す必要もありません。
問題を整理する必要も、ゴールを設定する必要もない。

「何も解決しないことが、解決に向かう方法だ」
といった感じでしょうか。


現実的には、そういう関わり方を必要としているクライアントもいるでしょうが、
その割合は、アメリカほど日本では高くないような気がします。

何より、僕個人の想いとして、そういった深い絆の関係性は
カウンセラーと結ぶもべきものではなく、
もっと身近な人との間であって欲しいと思っているところがありますから、
好みとして家族療法のスタンスに気持ちが向きやすいんでしょう。

カウンセラーが、クライアントの一生の思い出と呼べるような相手になるのか、
一生の間に出会う無数の職業人・専門家の中の一人になるのか。

クライアントとの関係性の作り方によって、
そのあたりの印象が変わってくるはずです。

どうやら、僕が今トレーニングに参加しているところ、
つまりアメリカで行われているカウンセリング心理学では、
前者の方向性になっているようだ、と。

僕は、そんな覚えられ方をするのがカウンセラーの理想だとは考えておらず、
むしろクライアントが「自分で自分の人生を切り拓いた」
という印象をもって進めるようになることのほうが、
その人自身の人生を生きている感じがするので好きなんです。

その意味で、今受けているトレーニングは
自分の好みとは別物として切り分けながら練習しているところがあるわけです。

なので、僕にとってメインの課題は、英語でカウンセリングをするところだといえます。


で、「これだけ分かっていますよ」というのを示すために
要約や復唱が求められます。

と同時に、感情に対しても理解の様子を示していく必要があります。

共感的なメッセージを伝えたいんです。

しかし、これがやってみると難しい。

僕自身の英語のボキャブラリーとして感情を説明する単語が足りないのもありますが、
日本語の感情の説明とは言葉の使い方が違っているところがあって
なかなかシックリと対応する単語が見つかりません。

後から気になって辞書で調べても、やっぱりニュアンスが違う。

日本語なら突き詰めていくと、擬態語とか身体感覚的な表現を使って
ダイレクトに状態を言葉にすることができますが、
そのあたりも英語だと難しく感じます。

ネイティブの人に聞いても、インターナショナルスクール育ちや帰国子女に聞いても
「そもそも、気持ちをそういう風に言葉にしようとしない」
と言われてしまいます。

日本語なら、話を聞いて
「それは切ないですね…」
と言えるところも、
英語では一言で表しにくいようです。

気持ちを正確に表現しようとするほど詳しい状況説明が増えて、
複雑な気持ちとなると
「〜に対して、○○な気持ち」
「…に対しては、△△な気持ち」
という具合に、組み合わせが使われる場合も。

と考えると、ロジャース派が相手の言ったことを丁寧に繰り返したりするのも
そこに伴う感情を取りこぼさないためには重要なのかもしれません。

でも、ただ繰り返すというのは野暮な感じがしてしまいます。
情緒的ではない。

もしかすると、抒情的なメタファーなんかを使うと効果的なのかもしれません。
今度やってみます。

…まぁ、情緒的なものを目指したい時点で、日本人の発想のような気もしますが。

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2013年02月24日

非言語メッセージへの感受性

質問を受けました。

 他の人の感情とか、色々なことが見えるようになってくると
 見たくないものまで見えてきて苦しくないですか?

…といった感じだった気がします。


以前、テレビを見ていたとき、
スピリチュアル女子大生なる人物が出演していて
芸能人から質問されていました。

 それだけ人のことが色々分かると、面白いでしょう?

…といったニュアンスだったと思います。

それに対する答えは、
 「嫌ですよ!
  他の人の苦しい気持ちが入ってきちゃって、電車なんて乗れません。」
とかいった内容だったでしょうか。

正確なことはともかく、分かり過ぎるとツライという話でした。


この2つの質問の仕方には、大きな違いがあります。

「色々と分かるほうがツライでしょう」というスタンスか、
「色々と分かると楽しいでしょう」というスタンスか。

この違いを生むのは、質問者側の経験だと思います。

楽しさを前提に質問していた芸能人は、
おそらく、分からないで不満を感じているか、
「分かったら良いことがあるだろう」と期待をしているか、
いずれにせよ、”分かるようになった経験”をしたことがないと想像されます。

苦しさを前提に質問してくださった方は、
自分自身も分かるようになって苦しい思いを経験しているから
「分かるようになったら楽しいだろう」という幻想から離れ、
むしろ「苦しいものだ」という想定をするようになったのでしょう。

もちろん、「分かる」といっているのは、「100%分かる」という意味ではなく
「今まで見えていなかった相手の感情が、
 以前よりも高い確率で推測できるようになってきた」
ということです。

前は気づいていなかったことに気づくようになってくる、という話です。

そうすると、気づかないほうが楽だったことにも気づいてくる。
だから苦しくなっていく。
そういう流れです。

冒頭の質問は、
質問者自身も気づく苦しさを知っていないと出てこない
ということになります。


気づく量が増えると負担が大きくなる、というのには個人的に同意します。
単純に疲れます。

それは「気を張っている」状態に近いからかもしれません。
色々な物を見て、聞いて、感じて…とやっていると、処理する情報量が増えてくる。
やることが多いので疲れる。
それだけの話です。

街中に出て、周りの人が気になってしまえば、
考え過ぎて疲れてしまうような感じでしょうか。

この部分に関しては、実感としてあると思います。
風邪をひいて数日寝込んだりすると、しばらくぶりに外出した時に
街中の情報量の多さに驚くことがありますから。

そういう意味では、沢山の情報を処理していて
そこに労力を使って疲れてしまう、ということはあるでしょう。

まぁ、僕の場合は、考え続けることにストレスを感じないので
その情報処理量の多さを「嫌なもの」とは捉えていませんが。

ソムリエがワインの味の違いを繊細に感じ分けることを楽しんでいるのと同様に、
都バス好きな人がエンジン音の違いを聞き分けて楽しんでいるのと同様に、
プロ野球選手の日常生活が全て野球のトレーニングとして意識されるのと同様に、
日常で見かける全ての人の発するメッセージは、僕にとって興味の対象なんでしょう。

一方で、パティシエがコンビニのお菓子を食べたり、
料理人がファストフードを食べたりするような感じで、
気休めになる時間も大切です。

そこで疲れのケアをしている限り、僕は意外と苦しさは小さいみたいです。


まぁ、以前は見たくない感情に気づいて嫌な気分になったり、
非言語メッセージの奥に隠れたものに不快になったりしていましたし、
今でも好みに反するコミュニケーションはあります。

最近は、そういった様々なメッセージを見たときに
「皆、楽しそうだなぁ」と感じるようになってきたような気もします。

ただ、それは「気づくか、気づかないか」とは別の話ですが。

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2013年01月16日

ファミレス

先日、めずらしくファミレスに行きました。

食事がてら、チョットだけ仕事をする目的。
テーブルの上に本やら雑誌やらを広げたかったんです。

で、ちょうど食事をしているあたりの時間に
隣の席に、少し変わった雰囲気の男女がやってきました。

一人は50歳ぐらいの女性。
一人は20代前半の男性。
親子ではありません。

営業マンとクライアントという感じが一番適切でしょう。
といっても、住宅営業の人にありがちな「できる男」っぽい見せ方はなく、
むしろ頼りなげな気配を出していました。

面白いのが座り方。

4人がけのテーブルに、二人が横並びで座ります。
しかも、ソファー側を空けて、椅子の側に二人並んで。

おそらく「上座を空けている」という感じなんでしょう。
誰かを待っているんだろうと思えました。

すると、しばらくして30代後半ぐらいの男性がやってきました。
ビジネスマンらしき風貌ですが、歩き方や威圧的な声のトーンは
かなり横柄な印象を与えます。

たまにああいうコンサルタントもいそうな気がしますが
まぁ、平均的な社会人の範囲からは外れているぐらい特徴的だったんです。

そして、その男性が店に入ってくるのを見た瞬間に
先に来て座っていた女性と男性はガバッと立ち上がりました。
体育会系のノリを思い出します。

遅れてやってきた男性は、せっかちに女性の前の位置のソファーに座ると
その女性に対して、何やら一方的に話を始めました。


もちろん、ここで内容を書くつもりはありませんし、
どういう関係性を作ろうとしていたかに触れるつもりもありません。

ですが、僕の印象は
 「女性をダマそうとしている」
というものでした(あくまで想像です)。

むしろ、すでに女性は騙されていて、それに気づいていない状態。

といっても、僕には無視することしかできません。

もし、銀行のATMの前で、お年寄りが「オレオレ詐欺」の電話を受けているようなら
場合によっては声をかけることもあるかもしれませんが、
この状況で見ていたのは事情が違います。

「オレオレ詐欺」は、瞬間的な隙をついた「ひっかける」行為です。
ですから、注意を喚起して、念のためチェックをするという冷静さを取り戻すだけで
「ひっかけられる」前に気づくことができる可能性があります。

一方、僕が目撃していたのは、
もう「取り入れられてしまった」後の状態の女性でした。

例えば、よく映画であるような
「実は結婚相手が某国のスパイでした」
といった場合、それを誰かに指摘されても
 「まさか!そんなはずはない。失礼な!あの人を侮辱しないで下さい!」
などという返答になることでしょう。

すでに関係性として出来上がっていると
何かに疑いを挟むことや、注意してみることさえ難しくなるわけです。

当然のことですが、僕の見立てが間違っていた可能性もあります。
でも、あんなに異様な光景は、生で初めて見ました。


僕は正義感とか倫理観が強くないほうだと思いますが
それでも、なんだか”いたたまれない”気分でした。

もしかすると、騙している側の男性二人も
別の誰かに騙されているのかもしれませんし、
あるいは、
遅れてきた男性が企んでいるとしたら
その人も自分を騙しているのかもしれません。

罪悪感が表れていなかったんです。

その一方で、振る舞いや会話の内容に関しては
意図的に作り上げられた不自然さが出ている。
操作しようとする感じの強さが見て取れました。

ですから、可能性としては、 
 別に騙しているわけではない
ということもあり得ます。

ただ、
 気持ち悪いぐらいに操作的で
にもかかわらず
 一切の罪悪感が表れず、自己陶酔しているようでもある
ということだけ。

それが僕にとって、強い拒否反応を引き起こしたわけです。

その一方で、その技術の稚拙さに腹が立ちました。

半分はプロ意識の低さに対して。
もう半分は、いつかその女性が気づいてしまう可能性があることに対して。

一生気づかなければ問題じゃないかもしれません。
死ぬまで騙されていれば本人は傷つきませんから。
(周りの人のことは置いておいて)

物事の善悪の話ではなく、
あくまで僕の価値観として、
「人を傷つける恐れのあることは嫌!」
というのが関係しているのでしょう。

極端な言い方をすれば、世の中には、騙されていることに気づかないで
皆が幸せに楽しんでいられるものも沢山ありそうですから。

もしかすると僕は、テレビのバラエティ番組で
「何が面白いか」について印象をコントロールされていて
テレビ側の思い通りに操られているのかもしれません。

でも僕は、テレビを見て笑っていられる。
それを楽しめているわけです。

「これが面白いんだよ」と騙されているかもしれないけれど、
それに気づかずにいられるので楽しいんです。

もし、そのやり方が中途半端で、
「あぁ、騙されていた!」と分かってしまったら
すごく残念な気持ちになるんじゃないか、と。


そんなことを色々と考えさせられる異様な光景でした。

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2013年01月05日

色々な雑誌を見てみる


【お知らせ】

《カウンセリング講座に関して》
 
 現時点でカウンセリング講座は全4回+α として考えています。
 
 「+α 」というのは、「総集編や実践練習の回がある」などの意味です。
 
 基本的には、同講座を近いうちに再び開催するかどうかは未定です。
 (おそらく難しくなっていきそうな気配)

 もし、「参加は日程的に無理。でも、トレーニングをしたい。」
 という場合には、申し込みフォームやメール連絡などで御相談ください。

 実習の都合上、マンツーマンでは厳しいですが
 数人をお集まり下されば、別途対応します。

 また、お支払いのご相談も承ります。
 参加をご希望の方はご遠慮なさらずに、お知らせください。





最近、仕事の関係で多くの雑誌に目を通しています。

今まで読むことのなかった男性誌、女性誌なんかも見てみると
なかなか面白いものです。

情報そのものに興味があるわけではなく、
「世界が広がる」というか
「こういう話題に人気があるのか」といった傾向を知れるのが面白い。


問題提起の内容が多かったり、
「どうしたら問題が解決するか」といった記事が多かったりする雑誌には
全体に真剣な雰囲気があります。

そうした雑誌には「読者の悩み相談」のコーナーがあったり、
統計的に世情を分析した記事があったりします。

そういう情報を通じて、同じ悩みを持つ人を見つけると安心するのかもしれません。

内容として提供される問題解決の方法も
「自分に目を向けて自分を変えていく」方向性が中心のように感じられます。

デザインもスッキリと整理された形になっていますし、
色合いも落ち着いています。

男性誌であれば、黒系統や青系統が多く、直線で差し色が使われたりする。
女性誌のほうが暖色系の色合いではあっても、
彩度の低い落ち着いた色が多いように見受けられます。

ピントが合っていて鮮明な写真が多く、
写真には被写体以外にも背景部分が大きめに取られる傾向がありそうです。
レイアウト全般として余白が多めで、スッキリとした印象になる感じなわけです。


一方、「ラクに」、「簡単に」、「すぐに」、「上手くいく」などの言葉が多い雑誌には
手軽に実践できそうな行動レベルのコツが多く載っているようです。

それが女性誌の場合には、占いの記事や広告が多かったり。

言葉遣いも口語的というか、若者言葉に近いというか
「〜しちゃおう!」みたいな表現が多い印象です。
キャッチフレーズも駆使されているかもしれません。

デザインは、こちらのほうがゴチャゴチャと多くのものが配置されて
色合いもカラフルな傾向がありそうです。
あまり直線的に整理されていないというか、ランダムな感じが出てくる。

男性誌の場合には、ピントが合ってコントラストの強い配色で、
女性誌になると淡いパステルカラーで、ピントが甘めで明るい
フワッとした印象になっているようです。

また、写真の被写体はアップになっていて背景部分が少なく
ズームインしたような構図になることが多い気がします。

「憧れ」や「理想」を感じさせる映像が多い、ということです。


言い換えると、
 「不満解消型」か「欲求充足型」か、
といった感じでしょうか。

「避ける」か「上げる」か
と言ってもいいかもしれません。

個別の記事から得られる情報もあるのでしょうが、
全体に込められたメッセージを読みとろうとしてみると
読者層のイメージが浮かんでくるようで面白いんです。

普段読まない雑誌を読んでみるのも
他の人を理解する上では役に立つものかもしれません。

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2012年12月23日

骨と筋肉

いつの頃からか僕は、人を見るときに
その人の骨格や筋肉を想像するようになっていました。

積極的に「見てやろう」という感じではなく、
筋肉と骨格と2種類のレイヤーがかかっているイメージ。
そっちにピントを合わせると、鮮明さが上がるような捉え方です。

子供の頃を思い返してみると、
白骨を元にして複顔模型を作るような映像が楽しかったものですし、
学校の理科室にある人体模型なんかも好きでした。

もしかすると、マンガの『北斗の拳』とか『キン肉マン』とかが好きだったせいで
筋肉の動きに関するインプットが多かったのが影響しているかもしれません。
(逆に、筋肉に興味があったから、そのマンガが好きだったのかもしれませんけど)

絵を描くのが好きだった小学校の頃には、骨の絵を描いていた記憶もあります。

そして高校でゴルフ部に入って、自分でスイングについて考えるようになってから、
プロゴルファーを含め、他人のスイング中を見ていると
どこの筋肉にどういう方向に力が加わっているかを想像するようになりました。

体の位置関係と力の入り具合を掴み始め、
「どの場所の、どの角度を変えるには、どういう意識で力を入れるか」
なども理解を積み重ねていったんだと思います。


そういった経験が土台にあったからかもしれません。

コミュニケーションのセミナーをやるようになって
他の人の姿勢や動作を細かく見られるようになったのは。

モデリングのために体の使い方を真似するにせよ、
ミラーリングとして体を合わせるにせよ、緻密に扱うベースとして、
そもそもの筋肉や骨格への興味が関係している気がします。

大雑把に「腕を組む」などという単位では見ないわけです。

骨の角度がどうなっていて、どの筋肉で支えられていて
どういう力の入り方になっているかを合わせる。
その作業には、骨や筋肉がビジュアル的にイメージできるのが有効なようです。

特に、それぞれの筋肉の伸び縮みや、関節の可動域を
構造的に知っておくのが重要なように思えます。


ということで、最近のオススメ本がこちら。

体表から構造がわかる人体資料集
体表から構造がわかる人体資料集


マンガを描く人に向けたイラスト集ですが、
動作と筋肉の関係がイメージしやすい絵が沢山載っています。

ちょっとマンガ的な印象があって、重量のバランスが良過ぎるために
動画的な動作の移り変わりが思い浮かびにくい気もしますが、
多少強調されているぐらいでも全体像を掴むには良いかもしれません。

「筋繊維」という線の流れが掴めると観察力も上がるんじゃないでしょうか。

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2012年12月11日

客観的な声


【告知】

《ゼミ形式・勉強会 〜『目の前の人を、いかに理解するか』〜 》
  12月15日(土) 18:30〜21:30
   →詳細はこちら>>
 
《カウンセリング講座 〜ペーシング編:実践練習〜 》
  12月22日(土) 18:30〜21:30
   →詳細はこちら>>

《新春ワークショップ》
  1月6日(日) 10:00〜16:30     →詳細は後日
    ※長期的なテーマと向き合って、安定感を飛躍的に高めるワークショップです。




とにかく手広く、できるだけ多くのことを学びたいと思って
色々なセミナーに参加したり、教材を購入したりしていた時期があります。

そんな時期、自分の能力を向上させる一環として
自分自身の客観性を高めるトレーニングをしていました。

方法はカンタン。
録音した自分の話を聴く、というのも。

それによって、自分が話している真っ最中にも、
自分の話を客観的に聴けるようになるというコンセプトだった気がします。

結果的には、人前で話すときにも落ち着いて話せるようになる、と。

多くの人に当てはまると思いますが、
録音した自分の声を聴くのは、あまり心地良いものではありませんでした。

「えー?こんな声なの?」
という気恥かしさが常に伴っていました。

それが何度も聞いていると、段々と慣れてくる。

普段、話しながら聞いている自分の声と
録音して再生した自分の声が同じように聞こえるわけではありません。

寝起きの時などに自分の声を聴くと、たまに
録音した声と同じように感じられることもありますが、
僕の場合は、どんなに慣れてもイメージの声とは一致しませんでした。

まぁ、ですがトレーニングの目的としては、
主観的に聞こえる声と客観的に聞こえる声が同じになることを意図していませんから
録音した声に馴染んで、気恥かしさや違和感がなくなれば良かったんです。

再生して聴いたときに
「そうそう、自分の声って録音すると、こんな感じなんだよね」
と思えるようになれば、目標には達しているようです。

これは結構、僕の中で効果的だったと思います。
おかげで今でも、録音した声を聴いても抵抗はないですし、
話の内容も客観的に聴けますから、自画自賛することもできます。

自分自身を客観的に振り返る作業をする前段階としても重要なんです。

恥ずかしさを伴ったまま、録音した声を聴いて内容を振り返ると
「恥ずかしくて聴きたくない」気持ちが否定的な態度を生み出します。

その態度で聴けば、内容に対しても厳しく、批判的になりやすい。
他人に対して客観的に判断するよりも評価が厳しくなって、
上手く出来ているところさえも受け入れられなくなったりするわけです。

自分自身を客観的に振り返って評価する際には録音や録画が役立ちますが、
そのときには更に、自分の声に慣れていて、ニュートラルな気持ちで
自分の声や映像に触れられる必要がある、ということです。

実際、僕の場合、カウンセリングのトレーニングの中で
自分のセッションのビデオを繰り返しチェックしてきましたが、
そのときに自分を客観的に分析するのが苦にならなかったのは
以前に録音した自分の声を何度も聴いていたからだと思えたものです。

そういう意味でも、オススメ度の高いトレーニングだと考えています。


ちなみに、つい最近もセミナーの音声を録音していたので、
音質チェックのために自分の話を聴いてみました。

チェックのつもりが知らない間に聴き入ってしまっていたあたり、
かなり自画自賛でお恥ずかしいんですが、
それ以上に気になったことがありました。

それは自分の声と話し方。

誰かに似ている気がするんです。

でも誰だか思いだせない。

自分が影響をうけたであろう人たちの音声を引っ張り出して聴きましたが
どうも明確に「これだ!」というのが無いんです。

なのに、聴いていると誰かを思い出しそうな感じがする。

ただ自分の声を普段から聴いているうちの
客観的に耳から聞こえる要素だけが記憶に残っているのでしょうか?

いや、でも誰か別の人の気がします。
テレビとかCDとかで聴いていた人の声。
…声というよりは、話し方か?

思いだせません。

どなたか、思い当たる方がいらっしゃったら教えてください。

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2012年12月09日

非言語での影響

最近、「 The Mentalist (メンタリスト)」のシーズン3のDVDを買いました。

レンタルでもよかったんですが、英語の勉強として繰り返し見られるように
DVDボックスのほうが便利かな、と。

コールドリーディングや催眠に近い言葉の使い方を
本ではなく、もう少しナチュラルな英語で仕入れたいと考えたんです。

なので毎日少しでもDVDを見る時間を取ることにしているところ。

英語に影響が出てくるには、もっと”書き起こし”とかをする必要がありそうですが
非言語への影響は、自分の予想以上に早く出ていることに気づきました。

カウンセリング講座の最中、皆さんに
細かな姿勢の修正や、注意の向け方のポイントなど
個別のフィードバックを行っているときが顕著でした。

自分の歩き方、ジェスチャー、1つの話を終えて次に移行する際のタイミングなど、
何気なく自分がやっていることに、主人公”パトリック・ジェーン”の影響が…。

自分の振る舞いも自覚しながらやっていると
その真っ最中に、自分の振る舞いの違和感に気づきます。

あの感じは、自分の中で、明らかにDVDの影響だと納得できました。

まぁ、決して無礼なことをしているわけでもないですし、
好きで見ているドラマなので癖が移ったとしても嫌ではないですが、
多少の恥ずかしさはありました。


どうやら、人は非言語レベルのメッセージに対して
かなり影響を受けやすいようです。

それはDVDに限ったことでなく、学校の先生やセミナーの講師、会社の上司など
接触頻度の高い相手であれば、大体の場合に当てはまるでしょう。

逆に、僕の場合、「この講師のこの癖は取り入れたくないなぁ」と感じる場合、
かなり積極的にその部分を注意して意識に上げ、
影響を受けにくくなるように工夫していたことも多々あります。


で、この”影響を受けやすい”ということが重要で、
ストレスの原因にもなるし、役立てられるものにもなるんです。

影響を受けやすい状態でテレビなどを見ていると、
表面的に作られた言葉のメッセージや、台本通りのやり取りとは別に
その奥にある出演者の感情なども感じられるようです。

おそらく、細かな非言語をキャッチしているんでしょう。

すると必ずしもバラエティ番組だからといって楽しいとは思えず、
情報番組のはずなのに妙に不快な気分になったりする。

つまり、『なんとなく』で影響を受けてしまっているわけです。

そこでの有効な対策の1つは、その理由を意識化することです。

自分は、どのメッセージを受け取っているのか?
その画面の中に、どんな細かいメッセージがあって、
それがどんな感情を示しているのか?

・非言語メッセージに表れた感情だけに着目して
・その感情と直接的に結びついた非言語の部位を特定する
という作業で、『なんとなく』を意識化するんです。

すると
「この人は口ではこう言っているし、表面的には笑顔を見せているけれど
 この口もとの緩みと喉元の詰まったようなハリは
 ”言いにくそう”な感じを表しているんじゃないだろうか?」
などと思えて、
少なくとも
「良く分からないけど不快」とか
「生理的に嫌」とか
そういった感じにはなりにくいと思われます。


そういう意味でいうと、僕の最近のオススメ番組は
テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』でしょうか。

出演者三人のコミュニケーションが
なんとも心温まるやり取りになっています。
とても朗らかに楽しい番組だと思います。

言葉にとらわれなければ、ですが。

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2012年07月31日

やっぱり観察力

英語で受けいていたカウンセリング講座が終わりました。

最終日はカウンセリングのセッションをして、その技能を評価する形。
点数は講師がつけているとのことでしたが、中身を知ることはできません。

終わった後のフィードバックでは
「観察力が優れていて、クライアントの感情や背後にあるものを読みとっている」
とのコメントをもらいました。

多少は慣れてきたとはいえ、英語でカウンセリングをするのは大変ですし、
傾聴中心で質問をするわけではありませんから
要約をしたりするのが大変でもあるわけです。

それもあって、自然と感情よりの言葉がけが多くなるんだと思います。


しかし、とりたててコールドリーディングみたいなことはしていませんし、
読みとっている感情も上手く言語化できていないつもりでしたから、
そんなに観察に力を入れていたとは思っていませんでした。

それでも結局、講師からフィードバックされるのは観察力について。

自覚している以上に技術の偏りがあるのかもしれません。
それが強みなんだとも言えますが、アピールする方法が難しい。

ちょっとした悩みどころです。


一通り、カウンセリングの初級講座を終えてみると、
基本的な言語能力を高めながら、トレーニングしたいところが沢山出てきます。

内容が傾聴に絞ったトレーニングだったからこそ、
様々な技術を同時に駆使するタイプのトレーニングとは違った
コダワリの側面にも目が向きやすかったのかもしれません。

傾聴の本質は、表面的にオウム返しをしたり、話を要約することではなく
相手と良い関係を作るところにあるのでしょう。

ただ、その相手との関係づくりだけを目的としたコミュニケーションをするとしたら
そのトレーニングは意外と中身の濃いものになるんだと感じます。

1つの技術の側面に思えるものでも、それを集中的に
コダワリをもって訓練していくと、課題は色々と見つかってくるようです。

僕の場合、目下は言語能力を上げつつ、自由に言葉が出せるようになるのが目標。
やっぱり、実際のセッションのビデオなどを元に
言語的な勉強をするのが効果的な気がしました。

そして覚えたフレーズを使ってみる。
そうでないと定着しないでしょうから。

なかなかそうした機会は多くないので工夫が必要そうです。

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2012年07月20日

心を読んだり操ったり

どうも最近は『超能力』は好かれないみたいです。

どちらかというとスピリチュアルな方向に行くか
逆に多少なりとも科学的な匂いのする方向に行くか、
そんな傾向が流行りからは見て取れる気がします。

超能力っていうのは、もしかすると中途半端なのかもしれません。

いっそのこと科学には知る由もない世界に説明を求めるか
逆に科学に説明を求めるか。

とはいえ、マスメディアでアピールされる科学っぽいヤツは
科学の雰囲気を使って、「これは科学なんだ」という”妄想”に
多くの人を導こうとするような印象も否定できませんが。

僕は自分を結構、科学よりのほうだと思っているので
科学という知恵の集大成を人類の財産だと感じるところがあって、
だからこそ、できる限り科学的に説明をしたいという願望が生まれます。

また、科学の基本的なスタンスは「上手に疑う」ことだ考えていますから
僕は「信用するためにこそ疑う」立場を大切だと思いますし、
科学で説明でいないことは「分からない」と堂々と言いたいんです。

分からないことを適当な理論で無理やり説明するよりも
「上手く説明できないから、”まだ”分かりません」
と言い切れるほうが、よっぽど誠実だと思うんです。

ちなみにオンラインの辞書で「懐疑主義」を調べたら
「 healthy skepticism 」や「 sound skepticism 」(健全な懐疑主義)
「 sympathetic skepticism 」(共感的懐疑主義)
なんていう素敵な言葉が見つかりました。


それで、そのような発想を持っていると
テレビで見かける内容には、素直に楽しめないものが沢山あるんです。

特に、人の心が分かったり操れたりするのは
マジックを見ているようで楽しいですが、
それを大袈裟に解釈して放送されると途端に、僕の心の中へ
「健全な懐疑主義」が登場してきます。


もし、本当に人の心が分かるんだとしたら
テレビ業界の人たちの複雑な心の奥底が全て見えてしまって
そのストレスは計り知れないものじゃないでしょうか。

ショービジネスの世界の裏側や実態は分かりませんが、
あれだけ巨額の金銭が動く世界には、勝手に色々な事情を想像してしまいます。

また、ストレスから引退する人、病気になる人、代替手段を求める人…
そういったニュースを見ていても、大変な世界ではないかと感じます。

もちろん、そういうイメージに僕が振り回されていて
現実は、すごく居心地の良い、ストレスとは無縁の世界という可能性もあるでしょう。

ですが、平均的な会社組織や地域のコミュニティと比べたら
いくらかは複雑でストレスフルな世界なんじゃないかという印象は受けます。

だとすると、その世界の中で”本当に人の心が分かる”としたら
一体どれだけのことを知らなければいけなくなるのでしょう?
知りたくないことが、あまりにも膨大に流れ込んでくるんじゃないかと思います。

テレビ業界も平均的な会社組織と同程度のストレス度合いだったとしても
”本当に人の心が分かる”人には、十分に苦しいことでしょう。

もし”本当に心が読める”んだとしたら、
苦し過ぎてテレビになんて出られないんじゃないか?
…そんな疑問が、可能性の1つとして僕には浮かんでくるわけです。

もしくは、”読める”部分がホンの一部に過ぎなくて
大部分は分かっていないからストレスを感じないのか。
この可能性も否定できません。

あるいは、”他人の心は読める”けれど
「自分の心を感じ取るのは非常に苦手」で
自分が体験しているはずの苦しさに気づいていないのか。

また、”他人の心が分かって”
それでもなお、全ての人を平等に心の底から愛せるかもしれません。
全てが分かり、全てを許し、全てを受け入れている。
そういう”悟り”の境地のような人物だという可能性もあるでしょう。

  まぁ、最後の可能性は低いような気がしますが…。


もし僕が人の心を読めたとしたら
そのことを伝える相手は、ほんの一部だと思います。

伝えたときに相手がどんな反応をするかも読めるわけですから、
心を読まれていることを知っていても気にせずに
オープンに素直に接してくれると分かった相手にだけ
そのことを伝えるんじゃないかという気がします。

少なくとも、心を読まれていることを知っていて
そのことに抵抗があったとしても、変わらず接しようと努力してくれる人でなければ
そのことを伝えようとはしないんじゃないでしょうか。

もしかすると、そういうのが相手を信頼するということかもしれません。


もし僕が人の心を操れたら
好きなだけチヤホヤしてもらえるように大勢を操って、
好きなだけお金が使えるように誰かを操って、
何もかも思い通りになる生活をして…

…それで数カ月後に嫌になって、自暴自棄になると思います。

他人の心は操れるのに、
自暴自棄になってしまった自分の心は、どうしようもない。

そして、きっとこう思うんでしょう。
 「思い通りに”自分の心”が操れたら…」
って。

正確にいえば、僕にはそのことが予測できているから
そんなことは絶対にしませんし、したいとも思わないわけなんですが。

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2012年06月27日

歯医者に行きました

詰め物が取れたのは土曜日の夜でした。
ですから、急いで電話予約というわけにもいかず、
インターネットで以前通っていた歯科医を検索しました。

すると、ネットから申し込める仕組みがついていました。
それで予約をしました。
最短でできる日です。

そして当日のその時間を迎え、歯医者に行ってみると
予約されていないとの答え。

まぁ、歯科医の受付にコミュニケーション能力は期待していないので、
じゃあ一番早い時間帯はいつなのか?と聞きました。

すると、
 どうやって予約したか?
とか
 予約確認のメールが届いたか?
とか、そんな話ばかり。

自分のところのパソコンに連絡が来ていない以上
予約を申し込んだ形にはなっていないということでした。

予約確認のメールは届いていませんでしたが
予約確認画面には、しっかりと記録があったのは間違いありません。

まぁ、取れてないなら、それで良いんですけど
時間の合間を縫ってやってきたわけですから、
一番早くやってもらうのは、いつになるのかを聞きたかったんです。

時間によっては、そこで課題をやりながら待つこともできましたから。

ところが、「読めません」の一点張り。

何も正確に知りたいわけではなくて、何時間ぐらいなのかとか、
場合によっては、最短で予約できる日を決めても良いはずです。

そもそも、僕が初診でその歯医者に行ったときは予約無しで行って
1時間ぐらい待って当日に診てもらった記憶があります。

予約を取るから帰って、別の日に出直してくる
…ということではなかったんです。

だったら、同じようにできるんじゃないか、と。

それでも「読めません」と。
「もう予約が一杯ですし、急患の方がいらっしゃることもあるので
 どの時間になるかが分からないんです。」

歯医者の急患っていう意味も良く分かりませんが、
救急車で運ばれてくるわけではないでしょう。

むしろ、詰め物が取れて、一刻も早く治したかった僕だって
急患扱いになるんじゃないのか?と思いました。

まぁ、受付の人には決定権はないでしょうから仕方ないかと考えていると
院長にあたる歯科医に話しに行ったようです。
奥から話し声が聞こえました。

どうもイライラしながら受け答えている模様。
怒りが滲み出ている声でした。

受付の人は委縮し始めて、なんだか怒られているような構図。

多分、いつもあんな感じで”命令”しているんでしょう。
語気は荒く、言葉遣いも命令文で荒々しい感じでした。

それが待合室まで聞こえている。

…この時点で、僕は相当、この歯科医に対して不満が高まっています。

僕がトレーナーとして関わってきた歯科医の皆さんは
コミュニケーションを大切にする人ばかりでしたし、
物事を自分の責任として捉える傾向の強い人ばかりでしたから。

もう1つの理由は、ホームページに
「患者さんとのコミュニケーションが…」うんぬん、と
丁寧な対応を売りにしているようだったところにあります。

それで、その院長が出てきて
「こちらのパソコンに記録が残っていないので
 予約をしたことにはなっていないんです」
と言いました。

もう自分の責任逃れみたいなことしか言わず、
どうすれば最短でやってもらえるのかの話もさせてくれません。

挙句、だんだんとキレ始めてきて。
歯の状態のことは、一度たりとも聞かれませんでした。

患者のことよりも、自分のスケジュールのほうが大事なようでしたから
もう、その歯医者には二度と行かないことにして帰ってきました。


思えば、あの歯医者に始めていったのは4、5年前だったと思います。

僕が観察やペーシングの本質と思えるものに気づいたのは
歯医者の治療を終えて、しばらくしてからだったんです。

今思うと、あの頃は未熟だったなぁと感じます。

今なら、歯医者の建物に入った瞬間に違和感を感じているでしょう。
本当にゼロから歯医者を選ぶ段階だったら、候補に挙げていないと思います。

まして、あの歯科医の風貌と声を聞いたら、
僕の求める診察は得られないはずだと判断するでしょうし。

当時は分からなかったんですね。
ネットで調べて、それなりに評判が良さそうで
「丁寧に説明してくれる」という情報を頼りに行きました。

かなり言語情報に片寄っていた時期です。

当然、治療の内容なんて評価できませんから。
振り返ると、何も考えずに通っていたことに気づきました。


それが、いつの間にか、僕がサービス業を選ぶときの基準は
コミュニケーションの内容に移り変わっていました。

今の住まいに引っ越すときにも、沢山の不動産屋を渡り歩いて、
結局、一番コミュニケーションが心地良かった人から
物件を選ぶことにしていましたし。

「この人が一生懸命やってくれているんだから」という想いが沸いていたものです。

飲食店もそうです。
僕が良くいく食事処は、明らかに、優秀なホールマネージャーがいるからです。

家電量販店で、すぐに買うか、しばらく待つかの判断基準も
対応してくれた店員のコミュニケーションによります。

そして、そのコミュニケーションを判断するのにも
あまり時間がかからないようです。


ということで、新たに歯医者を探し直すことにしました。

ホームページを色々見て選んでみようか、と。
口コミは気にしません。

1つには、ホームページに、経営意識が反映されると思いますので。

特に歯科医の場合、医療行為の側面とサービス業としての側面が
両立していないと上手くいきにくいだろうと想像します。

その意味で、治療への想いと、経営に対する工夫が
ホームページの作り方から伺えると感じます。

何より重要なのは、歯科医の顔写真。

ハッキリ言いますが、僕は人を見た目で判断しています。

ただし、大雑把に見た目の印象を感じるのではなく、
詳細に分析して、沢山の情報を見た目から取るようにしています。

僕にとっては、話を聞くのも、見た目の情報も、重要度は変わりません。
話の内容だって、文章だって、どれぐらい活用できるかは場合によります。

沢山の内容が書かれていても、本心を表していない文章であれば
その文字情報に、どれだけ価値を置けるかは分かりません。

重要なのは、見た目なのか、声の印象なのか、話の内容なのかではなく、
どの種類であっても多くの情報を得られているかどうか、です。

判断に使える情報量を増やしたいんです。

そのためには、僕にとっては写真が重要です。
写真は実物とは違いますが、それでも写真に出ているものはありますから。


それで新しい歯医者は、ホームページのデザインと内容の工夫、
伝えたいメッセージの統一性、治療に対する想いを読みとるようにして選びました。
もちろん、顔写真も重要です。

行ってみると、設備も新しいところでしたし、
何より運営上の工夫がシッカリしていました。

歯科医の技術は分かりませんが、経営者として優秀なんでしょう。

ただ、一人ひとりの患者の気持ちを大事にするタイプではない印象。
むしろ関心の対象は、『患者の口の中』といった感じでしょうか。

話しかけると、少しだけ面倒くさそうに答えますから。
多分、自分のリズムが崩れるのが嫌なんじゃないかと推測しました。

それだけ、忙しい中を、治療のクオリティを考えながら動いている気がします。
患者本人よりも、ずっと患者の口の中を気にかけている人だと思います。

それが感じられれば、僕としては満足です。

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《心を調える実践会》

【日時】 2017年9月10日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


【日時】 2017年9月24日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 北とぴあ
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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