コミュニケーション

2018年09月13日

ロシア語の映画

ロシア語の勉強を兼ねて、ロシア映画を見てみました。

たまたまTSUTAYAで取り上げられていたヒーローものです。



内容的には、ロシア版のX-MENとか、
ファンタスティック・フォーとかいった感じ。

だいぶシンプルです。

一応「全露ナンバーワン売上」、
多額の予算をかけた「超大作」らしいです。
(ハリウッドよりはずっと低予算)

ストーリー展開はあっという間、
特にヒネリもなく、話がポンポン進みます。

1時間半ぐらいしかないのもあって
退屈するところは全くない。
…盛り上がりもイマイチかもしれませんが。


内容はさておき、僕としてはロシア文化や
ロシア語の後に触れるのが目的だったので、
その点では満足でした。

街や人の雰囲気は、アメリカと随分違って見えます。
むしろハリウッド映画に出てくるロシアのシーンに近い。

以外とアメリカ人もポイントを押さえているのかもしれません。

いや、もしかしたら、本当に知っている人は
ロシア映画に登場する街並みや人の行動パターンと
ハリウッド映画に登場するものとでは
違いを感じとる可能性もあるでしよう。

実際、ハリウッド映画に登場する日本人は
中国人や日系アメリカ人で「日本人らしさ」がないですし
日本とされる街並みもゴチャ混ぜというか
新宿や渋谷もチャイナタウンをミックスしたイメージです。

僕は日本の経験が多いから、その違いが分かる。
アメリカ人は経験が少ないから気にならない。

その意味では、僕の中のロシアについての経験不足を
実感させてくれる機会になりました。

やはり現地に行ってみるのは大事なんでしょう。
せめてロシア人と接する機会ぐらいは増やしていきたいものです。


一方、ロシア語の音に触れるという点では
映画でも役立ちそうに思いました。

ロシア語は文法が複雑なので、最初はどうしても
日本人の先生から習うことになりがちです。

そして僕の出会った日本人のロシア語教師は
のきなみ発音がいい加減。

単語を覚えるときに支障が出ます。

発音や聞き取りの効果を考えると
まったく聞き取れない時期であっても
ネイティブの言葉を経験の中に蓄積しておくのが必要そうです。

他にどんな映画があるか知りませんが、
ロシア映画もチェックしてみようと思います。

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2018年09月07日

ネットでまとめ買い

個人的にあまりネットショッピングをするほうではないんですが
先日、ちょっとまとめて買い物をしました。

以前から父親の運動不足を心配していて
色々と運動絡みの話なんかもしていたところ、どうやら
僕がジムでエアロバイクをやっているという話が印象的だったようで
「自宅に1つ買おうかと思っている」ような話題が出たんです。

しかも具体的な商品の広告を見せながら話してくれましたから
かなり本気のように見えました。

ただチョットだけ迷っているフシもあって…。

で、とりあえず僕がネットで調べてみたら、
もっと安いところがあったんです。

かなり値段が違う。

どうやら楽天のセールが絡んでいたようでした。

「これぐらい安いといいなぁ」みたいな話をしがならも
「楽天のアカウントを持っていない」としぶる父。

なので僕がプレゼントすることにしました。


その絡みで楽天のセールを色々と見てみることになったわけです。
複数の店で買うとポイントが増えるという仕組みでしたし。

ちょうど、書道の作品制作の関係で
一本、新しいのを買う必要もありました。

書く作品のサイズが大きいものに決まったので
大きい筆を買わないといけなかったんです。

筆は本当にピンからキリまで様々ですが
ネットだとたまに予想外の質のものが、予想外の値段で買えたりします。

一本だけお買い得なヤツを見つけていました。
これも偶然に楽天に登録されたショップで。

せっかくエアロバイクと筆を買うのであれば
ついでに日用品も楽天で買ってみようか、と考えました。

まぁ、エアロバイクも筆も、1〜2万円のものですから
物凄く高額な買い物をしているわけではありません。

それでもポイントが1%と10%だと
結構変わってきそうに思いました。

僕は出張のときのホテルを楽天トラベルで予約していて
予算を少しはみ出たホテル代をポイントで調整することがあるんです。

なので楽天ポイントは便利。

楽天の戦略にまんまと乗っかって、セールの期間に
こまごまとした買い物をしてみたわけです。

きっとこういう仕組みづくりを考える人たちが
楽天という企業で働いているんですね。


実際に買ったのは、結局、必要性の高いものばかり。
買った方がいいなと思いながら放置していたものを揃えた感じです。

パソコンのケーブルとか、電池とか、布団カバーとか
Amazonの欲しいものリストに入れてあった本とか
あとは父がエアロバイクのときに使えそうな心拍数計とか、
そういうのをチョコチョコと。

実をいうと、僕は宅配便の受け取りが嫌いなんです。

時間を拘束される感じと、
予定の時間の範囲の間中ずっとソワソワしている感じと、
若干のプライバシーが保てなくなる感じと…。

なんだか落ち着きません。

それでネットショッピングを積極的に利用していなかったんです。
Amazonの本とかも、コンビニ受け取りばかりです。

ところが、まとめた時期に購入すると
複数の荷物を同じタイミングで宅配業者が届けてくれるんですね。

これは受け取り回数が減る感じで気楽でした。

それからケーブルや電池のような小物は
メール便でポストに入れてくれるので、これも便利。
受け取りの心理的負荷がなくなります。

思ったより心の負担は小さかった気がします。

それでも、複数のものを同じタイミングで買うと
何を買ったか、何がいつ届くのか、など情報を把握しきれませんね。

本当に全部届いているんだろうか?なんて
若干心配になってしまうぐらいです。

僕の場合、もっと工夫が必要なようですが
賢く利用したらネットショッピングは便利なのかもしれません。


ちなみに、これを機に痛んでいたスマートフォンのカバーを変えました。
2年ぐらい使った後だと思います。

なんだか生まれ変わったような、機種変更したような
ちょっと新鮮な気持ちです。

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2018年09月03日

「Can you celebrate?」

近頃、テレビをつけているとCMで流れてきたり
コンビニの店頭に広告が置かれていたり、
SNSで買った人の報告を読んだりして、
安室奈美恵のDVDについてを目にすることが多い印象です。

特にCMだと楽曲も一緒に流れますから、余計に印象が強いんでしょう。

なかにはCDが一番売れていた時代の曲も含まれていて
懐かしい気持ちも出てきます。


そんな中の一曲、大ヒットした歌ですが
「Can you celebrate?」という曲の歌詞がずっと気になっています。

どういう内容の歌なのか、どういう設定の歌なのかが分からないんです。

ここに歌詞を全部載せることはしませんが、
(とりあえずリンクだけ貼っておきます https://www.uta-net.com/song/9574/
改めて読み直してみても解釈が難しいと感じます。

いくらポップスの歌詞が、誰でも感情移入しやすいように
様々な解釈の可能性が出る形で書かれているとしても、
その中でも特に、僕には話が見えないんです。

その理由は英語が混ざっているから。

英語部分を完全に無視して、日本語の部分だけを読んでいったら
曲調もプロモーション動画も、後半に入るコーラスの感じとかも含めて
なんとなく「結婚式」っぽい雰囲気なんでしょう。

実際、結婚式でよく使われる曲らしいですし。

その観点でいうと、新婦から新郎に向けたメッセージにも読めそうです。


が、英語を踏まえると、内容が一変します。

「Can you celebrate?」っていう疑問文が
文脈なしでは解釈しにくいんです。


そもそも「celebrate」の意味ですが、オンライン辞書「英辞郎」によると
 【自動】
 1. 式典を挙行する
 2. 祝杯を挙げる、浮かれ騒ぐ
 【他動】
 1. 〔誕生日・特別な出来事などを〕祝う、祝賀する、記念する
 2. 〔祭典・結婚式・パーティーなどを〕挙行する、執り行う
 3. 称賛する、褒めたたえる
となっています。

念のため「Cambridge Dictionary」を見ると
 1. [ I or T ] to take part in special enjoyable activities
  in order to show that a particular occasion is important:
 2. [ T ] to express admiration and approval for something or someone: 《formal》
 3. [ T ] to lead a religious ceremony:
とあります。

念のため、[ I ] は自動詞、[ T ]は他動詞です。

日本語と英語を見比べると、主な意味は
「(祝杯を)挙げる、(祝典を)行う、〜をパーティで祝う」
といったところでしょう。

いずれにしても、「お祝いのイベントをする」意味合いだといえます。

念のため、英語のほうの二番目の意味として
「何かや誰かに対して敬意や承認を表現する」とありますが、
例文を色々と見ていくと、基本的には
 ・誰かの性格や行動を称賛する
 ・誰かの業績や、「〇周年」などの記念を称える
 ・人間を超えた大いなる何かに敬意を示す
といったことのようです。

しかもフォーマルな場面での英語だとありますから
書き言葉が中心で、会話で問いかけるようなものではないでしょう。

英語のほうの3番目は「宗教的な儀式を執り行う」となって、
日本語のほうの自動詞の一番目「式典を挙行する」に少し近そうです。
(※その式典が宗教色を帯びていれば、ですが)


それを踏まえて「Can you celebrate?」を考えると
文章の形式としては目的語がないですから
自動詞として使われているのが分かります。

自動詞の場合の選択肢は
 1. 式典を挙行する
 2. 祝杯を挙げる、浮かれ騒ぐ
のいずれか。

1.のほうは、式典のリーダーのような立ち位置、
2.のほうは、パーティの参加者の一人の立ち位置でしょうか。

随分と差があります。

また、日常会話では他動詞の目的語を省略してしまうことも
ないとは言い切れません。

文脈的に「何を」という目的語がハッキリわかる場合、
他動詞でありながら目的語を言わずに
「Can you celebrate (it)?」と発話するのも可能なようです。

ただしこれは日常会話限定なので、フォーマルな意味合いの
「何かや誰かに対して敬意や承認を表現する」はあり得ません。

すると他動詞として解釈可能な意味は
 1. 〔誕生日・特別な出来事などを〕祝う、祝賀する、記念する
 2. 〔祭典・結婚式・パーティーなどを〕挙行する、執り行う
です。

1つ目のほうは英語辞書の
「to take part in special enjoyable activities
 in order to show that a particular occasion is important:」
にあたります。
「ある機会が重要だということを示すために特別な楽しい活動に参加する」
が直訳ですから。

例えば、
「仕事が上手くいったから、お祝いのパーティをしよう」
「念願の優勝だ、祝賀会をしよう」
「ついにアイツが夢をかなえたからパーッと祝ってやろう」
みたいな感じでしょう。

何か特別なイベントを開催して、そこに参加して
楽しい雰囲気の中で浮かれた気分で「イエーイ!」ってやる、と。

2つ目のほうは、英語だと
「to lead a religious ceremony:」
にあたるはずです。

やはり自動詞で捉えた場合と同じように
一方は、式典のリーダーのような立ち位置、
もう一方は、パーティの参加者の一人の立ち位置になります。


以上を踏まえて、「Can you celebrate?」を考えると…。

まず、英語としてあり得ない解釈は、
「Can you celebrate (me)?」のように
「me」か「us」が省略されていて
「私のことを祝ってくれる?」といった意味になることです。

日本語で「祝う」というと、七五三のお祝いとか出産祝いなどのように
静かに「おめでとう」の気持ちを示すニュアンスを感じそうです。

もし「celebrate」を「祝う」という文字情報だけで理解していたら
日本文化的な「おめでとう」の気持ちの表し方を想像しそうですが、
それは「celebrate」ではないんです。

むしろ「congratulate」か「bless」のほうが近い。

辞書としては「congratulate」は「祝う」、
「bless」は「祝福する」となります。

どちらも目的語に人物を取れますから、形として
「I congratulate you」や「I bless you」が可能です。

congratulate の「祝う」は、日本語の一般的な「祝う」のニュアンスに近く
「結婚祝い」「出産祝い」「合格祝い」など、個人的な気持ちとして
「良かったね。おめでとう。」といった表現です。

「あなたに対して、”おめでとう”という気持ちです」だと。

bless の「祝福する」は、「おめでとう」の気持ちに加えて
その相手の幸せを願う気持ちが加わるニュアンスです。
日本語でも「祝福する」にはそんな意味が入るかもしれません。

英語で調べると、
「〜のために、神や神聖な存在へ助け・保護を頼む」
と出てきます。

つまり、bless の「祝福」は
「神のご加護がありますように」
といった気持ちの表現になっている、と。

ですから内面的には、相手の幸せや健康への祈りが含まれるわけです。

そして、celebrate に話を戻すと、これは
congratulate や bless のような祝い、祝福の話ではないということです。

もっと明るく楽しく、騒ぎながら、祝賀パーティをやる感じです。

あるいは宗教色のある式典を司るか。


ということは「Can you celebrate?」という歌の場合…。

一応、曲調やコーラスの感じ、プロモーションビデオの映像から
結婚にまつわるストーリーだと仮定しましょう。

「Can you celebrate?」は文脈からして結婚祝いの話となって
「結婚パーティーで大騒ぎしてくれる?」
といった質問になります。

「〜してくれる?」という語尾にしたのは
「Can you〜?」の疑問文が親しい関係での言い回しだから。
敬語のニュアンスが含まれません。

また「Will you〜?」だと「そのつもりがあるか?」という
「やりたいかどうか」の意志を尋ねる質問になりますが、
「Can you〜?」はもうちょっと気軽というか
「大変じゃなければ」「無理じゃなければ」のような
気配りを感じさせる表現です。

意欲ではなく、「不可能でないか」を尋ねているわけです。

そういう意味での
「結婚パーティーで大騒ぎしてくれる?」
ですから
大騒ぎするのが無理じゃないかを気にして尋ねている感じでしょう。

もしくは、もう一方の意味「celebrate = 式典を執り行う」だとしたら
結婚式の話ですから、「教会での式を神父として進める」話かもしれない。

神父・牧師に向かって
「教会で結婚式を挙げさせてくれない?」
と尋ねている。


いずれにしても気軽に「〜くれない?」と聞ける関係性です。

親しい間柄でしょう。

友人に対して尋ねていると想像できます。
神父のケースだとしても、神父をやっている友達がいるんでしょうね。

ですがどちらの場合だとしても、
新婦が新郎に対して尋ねる内容ではないと思われます。

そこにあの神妙な雰囲気が加わります。
気軽な言葉で話せるプライベートな関係だけれど
非言語的には特別感があるような曲調です。

親しい間柄なんだけど、かしこまって、
相手にとって特別な意味を持つ結婚について
少し聞きにくい質問を投げかけているように聞こえます。

そこで想像力を働かせると…。

新婦が元カレに質問しているんじゃないか、と思えてきます。

それもかなり絆の深い間柄。
政略結婚とか、何らかの事情で、新婦となる女性は
別の男性と結婚することを決めた。

その結婚式が直前に迫っているような場面かもしれません。

もしかしたら
 婚約までしていたのに直前で破棄になった…、でも
 まだ気持ちは続いている
とか、
 腐れ縁のようにずっと続いていてきた深い関係で
 結婚が決まった今でも、まだお互いに気持ちが残っている
とか。

そんな深い間柄の相手男性に対して、
「Can you celebrate?」って質問しているんじゃないでしょうか。

その男性が、たまたま神父か牧師をしていて、
新婦としては別に全く無関係の教会で式を挙げても構わないけれど
やっぱり特別な想いがあるから、この男性に執り行ってもらいたい。

抵抗はあるかもしれないし、素直にやれないかもしれない…でも
「教会で結婚式を挙げさせてくれない?」と。

無理じゃないか、嫌じゃないかを尋ねている
そういう「Can you celebrate?」の可能性が考えられます。

あるいは、別に神父や牧師ではないけれど、
その深い間柄の男性に、結婚式の二次会に来てもらいたい。

さすがに建て前上、教会や披露宴に呼ぶわけにはいかないけれど
二次会だったら来ていても不自然じゃないし、
誰も関係性についてなんか詮索しないだろうし。

素直に喜べないかもしれない。
それでも特別なことだから来てもらいたい。
はしゃいだり、騒いだりする気分じゃないかもしれない。
そんな余裕はないかもしれない。

それでも
「結婚パーティーで大騒ぎしてくれる?」
っていう
「Can you celebrate?」
なんじゃないでしょうか。


英語を踏まえると、解釈が複雑になってきます。

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2018年08月31日

使い捨てボディタオル

注文していたアメニティが届きました。
ボディタオルっていうんでしょうか。

身体を洗うときに使うナイロン製で薄手のタオルです。

こちら。

【1個33円】ボディウォッシュタオル(フォーミー)120個
【1個33円】ボディウォッシュタオル(フォーミー)120個

早速、自宅で試してみました。
120個もありますから。

薄手ながら比較的大判で、生地もしっかりしています。

ホテルのアメニティ用として販売されているらしいんですが、
僕が滞在したことのあるビジネスホテルに置かれているヤツは
もっとペラペラで小さいものばかりでした。

それらと比べると、品質は高めなのではないかと思います。

タオルそのものは柔らかいです。
一般的な「やわらかめ」ぐらいなんでしょうか?

僕は自宅で「固め」を使っているので
それと比べると頼りなさはあります。

このあたりは好みかもしれません。

泡立ちも良く、洗いあがりもサッパリ。
ただ泡を塗りたくるだけでなく、
ある程度は、こすり洗いもできていそうです。

特筆すべきは、泡切れの良さでしょう。
すぐにボディソープが落ちてくれます。

泡立ちの良さと加わって、シャワーの時間を短縮できそうな予感。

なかなか良い感じです。
値段も安いですし。

出張のお供として活躍してくれるんじゃないかと期待しています。

まぁ、120個はチョット多かったかもしれませんが。
収納の中でいささかスペースを取っています。

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2018年08月27日

伸びる時期

フランス語のスピーキングに力を入れてみて
ちょうど2か月ぐらいが経ちました。

多少ですが効果が実感でき始めてきた印象があります。

言葉が口を出やすくなってきただけでなく、
リスニングについても内容を把握しやすくなってきたようです。

音を取るのはリスニングそのもののトレーニングが必要ですが
早く話された内容を理解するには、話せるようにするのが
欠かせないのではないかと感じます。

特に、内容的に複雑でないもので、かつ単語としても
よく知ったものばかりで構成された文章であれば
自然と頭に入ってくるようなときも出てきます。

「あれ、今の何語だったかな?」と。

こういうのは地味ですが、トレーニング効果を実感できる
貴重な瞬間だと思います。

語学をやる上でヤル気を維持するのは容易ではないとされますが
その理由の1つは、
 努力に対する報酬としての
 「できるようになっている実感」が得られにくい
にもあるでしょうから、効果をふと感じられるのは大事なはずです。


日本で語学をやっていると、その先生は
少なくとも2か国語を使える可能性が高いといえます。

日本人の先生であれば日本語と、その外国語。
ネイティブの先生でも、日本に来ている以上
ある程度は日本語を使えることが多いと考えられます。

実際には英語圏の人、特にアメリカ人は
英語以外の言語を身につける率が非常に低いらしいですから
アメリカ人の先生の場合、日本に住んでいても
あまり日本語を話せないこともあるようですが。

その点、英語以外を母国語とする日本在住の外国語の先生は
複数の言語を使えることが多いように見受けられます。

ヨーロッパ言語は日本語よりも近いため、
学習が楽だというのはあるでしょう。

聞いていると、フランス人からしたら
イタリア語を身につけるのは簡単らしいですし。

もちろん、語学の先生をやるぐらいですから
そもそも外国語が好きだということもありそうです。

フランス語の先生をやっている人たちからは
やはり日本に来た理由が「日本語を勉強していたから」だ
というのを聞くことが多い実感があります。

なのでフランス語の先生に話を聞くと
大体は日本語もそれなりに使えるレベルになっていますし、
学校教育も含めて英語もある程度は身につけているようです。

英語に関しては語学教室として、英語を教えられるメリットがあるため
かなり母国語に近いレベルで英語を話せる人もいます。

そして語学好きの場合、もう1つぐらい話せる言葉があったりする。
合計すると4か国語ぐらいは使える人もそれなりに多いんです。

日本人では複数言語を使い分けるケースが多くないようなので
個人的にはこうした人たちと言語習得について
トレーニング法などを話し合ってみるのは興味深いです。


言語習得について話をしてみると
やはり帰ってくるのは一般的な内容というか
僕が効果的だと感じるものと共通している印象を受けます。

それほど真新しいものはありません。

逆に、僕が躓かなかったところで止まってしまったケースは聞きます。

それは最初の段階です。
始めてみたけれど、すぐにやめてしまう。

中には、たくさんの言語を始めてみたけど
どれも続かず、結局は母国語と英語と日本語に落ち着いて
今は日本に来て日本語を勉強している、という人もいました。

興味を持ち始めるところと、興味を維持するところは
大きな違いがあるようです。

ここも1つには実感が得られるかどうか、が関係するんでしょう。

語学の初めの時期は新しいことを数多く吸収できて楽しいものです。
が、すぐに複雑さに行き詰まりやすくなる。

覚えなければならないことの多さがハードルを上げ
分かる喜び、知る楽しさを上回ってしまうと
挫折しやすくなるようです。

ここが語学の1つ目の壁。

そこを超えると勉強は続けられます。
僕は言語の仕組みが分かっていく段階は苦にならないので
覚えることの多さが大変に感じられても
勉強段階を続けることができます。

日本人には、この「勉強を続ける」過程を長くやるケースが
多いのかもしれません。

中学校以来の英語の「勉強」の名残りとして。

ところが、単語を覚えたり、文法や読解など
勉強を続けているだけでは使えるようにはなりません。
少なくとも話したり書いたりするのは別物です。

この「やっても話せるようにならない」ところが
2つ目の壁になるようです。

いろいろと語学をやった人だから聞ける『語学の壁』の共通点。

そして、どうすれば壁を越えられるか?

このあたりの話は有意義に感じています。

何より、この壁が多くの人に共通して存在することが
言語習得の自然なプロセスとして認識できると、
その壁を受け入れやすくなるとも思われます。

そういう時期があると知っているだけで
気軽に続けやすくなる。

このあたりも含めて、言語習得のポイントなんかも
掴めてきたら良さそうに感じています。

cozyharada at 23:47|Permalinkclip!

2018年08月21日

私が感じたことを言ってもいいですか?

コーチングのある流派の人たちが使うのをよく耳にするフレーズで
「私が感じたことを言ってもよろしいでしょうか?」
といったものがあるようです。

もちろん微妙な言い回しの違いはあるとして
大体こんな感じの内容。

僕は個人的に、このフレーズを使うのはオススメしない立場です。

意図と効果が分かったうえで、あえて使うなら
それでも構わないと思いますが、
誰かが言っているのをむやみに採用するのはリスクを伴います。


一番大きな危険性は、ダブルバインドです。

エリクソニアン・ダブルバインド(治療的ダブルバインド)ではなく
ベイトソンの言っていたほうのダブルバインド。

2つの矛盾するメッセージを同時に伝えることで
相手に心理的ストレスをかけるというもの。

「私が感じたことを言ってもよろしいでしょうか?」は、一見すると
相手に許可を求め、合意をとっているようですが、
実態としては中身が分からないし予想もつかないので
許可の出しようもない質問になっています。

つまり
 本来は許可の出しようもないことについて
 無理やり許可を出さないといけない
という矛盾に押し込んでいる、と。

しかも、わざわざ許可を取るぐらいだから
何かしらの特別性を予感させます。
大事なことなのか、ショッキングなことなのか
ともかく心の準備をさせているわけです。

特別性を示しているから、その申し出を拒否するのはやりにくい。
半強制的にYesという状況を作っているといえます。

その一方で、相手に許可を求める質問形式をしているので
Yesと答える相手は「自分が許可をした」という
客観的な結果をつきつけられます。

ある種、Yesと答えたほうに責任が生まれるんです。

何を言われるか分からないけれど、
大事そうだから聴く以外の選択肢は思いつきずらく、そして
内容が分からないからこそNoと答える理由も見つからない。
だからYesと答えると、何を言われたとしても
「言っても構わない」と許可を出した方の責任になる。

許可を出す以外にない要求をされながら、
許可を出したらその責任を自分が取らされる、ともいえます。

言われた内容がショッキングだったり、聞きたくないことだったり
傷つくようなものだったとしても、
「言っても構いません」と許可を出してしまっている以上
そこに不平を示すことができなくなってしまう構造なんです。

この点で、大きな心理的負荷をかけます。


最近は減りましたが、一時期よくあった電話営業に似ています。
「今、少しお時間ありますでしょうか?」と、
何をするのかを示さないままに時間をとれる状況かどうかを尋ねる。

事実として時間が取れる状況だとすると
正直な人は「時間がある」という事情を返答してしまいます。

すると営業内容として執拗な説明と売り込みが始まる。

「英語が話せたら良いと思ったことはありませんか?」とかも
一度Yesと答えてしまったら、その点で責任がかかってくるのが
仕組みとして共通点のあるところです。

英語が話せたら良いと思っているのだから、
英語教材の説明を聞くのは当然な流れ…
そんな断りずらさを生み出している。

時間があると答えてしまったのだから
「電話営業につきあう時間はない」とは言いにくくなる。

僕も以前、その当時に仕事の連絡をもらっていた人から
「原田さん、〇月△日って空いてます?」
という質問のされ方をしていました。

最初の頃は、素直に空いているかどうかだけを答えていましたが
そこで「空いている」と返答してしまうと
決まって無理な仕事を追加されることになっていたものです。

どんなに他がタイトなスケジュールでも
その日が空いているので「空いている」と言ってしまっていたんです。

そうすると無茶苦茶なスケジュールができあがって
まったく身動きが取れなくなる。

でも「空いている」と言ってしまっているので
「すみません、その日は無理です」
とは言いにくかった記憶があります。

ですから、あまり理解できていなかった当時の精一杯の工夫として…
 ー「原田さん、〇月△日って空いてます?」
 「どうしたんですか?」
 ー「実は、急なんですけど、こういう仕事をしてもらえないか、と」
 「うーん、その日は厳しいですね」
といったやり取りで乗り切っていたのを覚えています。

いずれにしても、逃げ道を断たれる感じで質問されると
プレッシャーを感じるものだ、という話です。


つまり「私が感じたことを言ってもよろしいでしょうか?」は
逃げ場のない状況に追い込まれるような心理的負荷と、
矛盾した要求をつきつけられる心理的負荷とがかかる
厳しいフレーズだといえます。

さらに、その厳しさ、無理な要求を、
合意を取るような質問の形で表面上マイルドにしているのも
メッセージの中に不一致感を追加します。

このフレーズが効果を発揮するには、場面と相手を選びます。

精神的に元気な状態で、かつ
自ら答えを見つけ出せる力強さがあるクライアントに対して、
その人が目を背けている問題へ半強制的に直面化を図るときには
こうした前置きで負荷をかけること自体が効果を発揮します。

「内容によらず、自分の人生に関わることであれば
 自分ごととして責任を取りますよね!」という
逃げない姿勢、物事に直面する姿勢を準備させる流れとして、
あえて逃げ場のない状況を作るやり方はあります。

が、僕が受ける印象からすると、
このフレーズが独り歩きして、単純に
「あなたの話を聞いていて私の頭に浮かんだことを言いたい」
という個人的意見を発するための手段になっている場合が多そうです。

だったらそう言ったほうがメッセージの不一致感が少なくて
相手への心理的負荷は小さくなります。

「あなたの話を聞いていて私の頭に浮かんだことを言いたくなりました。
 私の個人的な意見ですが、言っても良いですか?」
という感じ。

それだったら人によっては
「あなたの意見は聞かなくていいです」
と答えるかもしれないし、
聞く方を選択したとしても、個人的意見という前置きがあるから
あくまで1つの参考意見として聞き流すこともしやすくなります。

何より、「私が言いたいから、言わせて欲しい」という
正直な気持ちを示すのは、オープンさのアピールになります。

デメリットは、プロのコーチやカウンセラーとして聞いている場合、
「私が個人的に言いたくなったから言う」というのは
子供っぽい要求で、プロっぽくない印象を与える可能性でしょうか。


また、僕がお世話になった先生の中にも
似たようなフレーズだけれど趣旨の違うものを使う人もいました。

それは
「率直に申し上げてもよろしいでしょうか?」
というものです。

ポイントは「率直に」が入っているところ。
そして「申し上げる」という謙譲語です。

「率直に」が含まれることで、次に来るメッセージの内容が
厳しいものであることを予感させます。
覚悟を問いかけています。

同時に「申し上げる」という丁寧な言葉遣いをすることで
相手を一人の成熟した大人として扱っています。

つまり、
 「これから厳しいことを言いますが、
  大人のあなたであれば大丈夫ですよね」
という趣旨が入っているわけです。

ここにはしっかりとした心の準備をさせるプロセスと
相手に対する信頼と尊重のメッセージが含まれます。

具体的に何を言われるかは分からないけれど
厳しいことを言われそうだという予感はさせています。

その点で矛盾は少ないといえます。
直面化を図るための逃げ道を減らす度合いは残しつつ、
心の準備をさせる配慮は含まれている。

そして厳しいことを言うと予感させることで
「自分が厳しいことを言うので、傷つくかもしれません」
という方向性のメッセージも含まれます。

そこには
「結果として傷つくかもしれないけれど、
 私はあなたを傷つけてでもこれを伝えます」
という覚悟も伝わりやすいでしょう。

傷ついたとしたら、言った方の責任でもあることを
ある程度は内包している趣旨があります。

裏を返すと、傷つく可能性があることを知りながら
それでも言うほど大事な内容だという意味もある。

だから次に続くメッセージには
相当な心の準備と、覚悟と、
しっかり受け取ろうとする態勢が作られやすい。

核心をつく直前にこそ使われる質問なんです。

当然、クライアントを選びます。
直面できるだけの元気と力強さが必要ですし、
このフレーズの背後に込められた意図を
汲み取れる人である必要があります。

関係性としても、
こうした厳しさがクライアントへの信頼の証として解釈されるだけの
カウンセラー・コーチに対する信頼関係と敬意が求められます。
立場として「先生」「メンター」だからこそ成立する質問だ、と。


そうした関係性が築かれていない場合、あるいは
「先生」や「メンター」ではなく「カウンセラー」のような場合、
クライアントが元気を失っていたり、
フレーズの背後に込められた意味を読み取らなかったりするする場合、
…そういうときには、意図をハッキリ言語化するのが効果的です。

例えば、
「〇〇さんであれば受け入れられるだろうと判断して
 厳しい言い方になりますが、あえて言ってしまおうかと思います。
 大事なポイントだと思いますので覚悟をして聞いてください。
 心の準備はよろしいですか?」
といった形。

許可を求めて、聞くか聞かないかと責任を相手に負わせず、
「あくまで自分の判断で」というところを言語化したやり方です。

この後にくるメッセージ内容の厳しさを事前に通知しながら、
大事なことだからと理由も示しているわけです。

もちろん、これも相手に厳しい言い方をするわけなので
それが受け入れられる相手かどうかの判断が求められます。

ただし、その判断をしているのがカウンセラー自身であって
傷つけたとしたらカウンセラーの責任になるようにしているのが
相手への負荷を減らす工夫となっています。

これさえも厳しい場合には、もっと趣旨を明確にしながら
合意を取るようにするのが堅実でしょう。

つまり、
「この問題について重要ではないかと思える点に気づきました。
 より本質的なところにスピーディーに切り込んで
 早く解決の方向へ進めるために、
 厳しいところもあるけれどストレートなやり方をするのも
 1つの手かと考えています。
 もしくは着実に時間をかけながら、負担を少なくして
 自然な気づきに任せて進めていくやり方もあります。
 どちらがよろしいでしょうか?」
のように質問するスタイルです。

これであれば趣旨が伝わりやすく、
クライアントがある程度の展開を予測しながら
自分の好みの関わり方を選ぶことができます。

こっちのほうが安全性が高く、
かつ合意を取ってもいる点でクライアント本人に責任を持ってもらい
取り組む姿勢の積極性を高めることも可能です。

もし、こうした選択すら難しいような相手だとしたら
そのときには相手の自主性をひたすら尊重して、
カウンセラー側の見解を伝えるかなどは考慮しなくてもいいでしょう。
ただ本人のペースに任せる。


まとめると…。

許可や合意を求めたり、覚悟を問いかけたりするような質問は
場面と相手を選んで使う必要があるということ。

そして、
ダブルバインドになったり、メッセージに不一致なところがないように
表現の仕方を工夫する必要があるということ。

安全性を高めるのであれば、趣旨を言葉にして伝えることで
前置きとしての意義を果たしやすく工夫するということ。

そのあたりが注意点だと考えられます。

この後に何を言われるかも分からない時点で
「言ってもいいかどうか」の許可を問うような質問は、
前置きとしての効果が薄いといえます。
相手に心理的負荷をかけることもありえます。

場合によっては、カウンセラー側が自分の意見を主張したいときに
それを正当化するための手段にさえなってしまいかねません。

慎重さが求められる種類の質問だと思います。

そもそも前置きの質問をするのは
次の展開を予告してクライアントに心の準備をしてもらうための
計画的で用意周到なやり方です。

だからこそ、前置きの質問をするのだとしたら
その質問のフレーズそのものも、慎重かつ周到に
言葉を選んで使える必要があるはずです。

見た目以上に、高度な技術なんです。

cozyharada at 23:35|Permalinkclip!

2018年08月17日

【セミナー】ストレスとの関わり方

ご案内: 9月9日(日)

   コミュニケーション講座 〜丁寧なストレスの取り扱い方〜


日程だけ先にご案内していましたが、
今度の講座についての詳細な内容のご紹介です。

お申し込みフォームは下の方にあります。
手っ取り早くするのがお好みの方はそちらへどうぞ。


今回のテーマは、ストレスです。

多くの人はストレスを自覚していません。
そのストレスがどこから来ているのかも知りません。
原因も分からないので対処の仕方を知りません。

なので世の中のストレス対策の主流は、
「イライラや疲労が溜まっていないかチェックする」という
症状レベルからのストレス度合いの診断と、
「無理をしない、休憩する、リフレッシュする」といった
曖昧なやり方で、ストレスレベルを一時的に下げるための
”ストレス解消法”とを組み合わせたものになりがちなようです。

一般的な情報として多くの人に広めようと考えた場合
そうしたアプローチは効果的ではありますが、
個人のストレスにしっかりと向き合おうとしたときには
いささか物足りない部分もあるかもしれません。

万人向けで無難な効果を出すものは、
個人にとっての本質的な対処法にはなっていない。
そういうのは良くあるものです。

「肩コリには、こういうストレッチをしましょう。
 こんな予防体操をしましょう。」
というレベルは一般向けの無難な話。

本気で改善したければ、マッサージや整体、鍼灸など
もっと具体的で個人の症状に合わせた対処になっていく。

ストレスに関しても同様です。


特に最近は、社会全体のストレスレベルが上がっています。
この夏前後からストレスを抱える人が多いように見えます。

それも責任感が強く、自ら物事を解決しようとして
積極的に取り組む人ほど、ストレスの量が高まります。

一生懸命に生きるほど、ストレスを受けやすい。
他人の分まで負荷を受けることになるんです。

その人の属している社会、組織、コミュニティ、家族など
他人との関係性の中で、バランスが崩れ始めたときに
歪みが表面化しやすいところがあるんです。

一生懸命で、人の苦しみに敏感な人のところに
歪みの影響が負荷としてかかってきて、
それがストレスとして蓄積してくる。

その意味で、ストレスは必ずしも本人だけの問題ではありません。
しかし本人が改善できるものでもあるんです。

実際、個人的にそういうご相談を受けることも多かったですし、
世の中を広く見てみても、社会的な事件や災害なども含め
ダメージを受けている人が多いように見受けられます。


そしてそれは必ずしも直接的な人間関係だけに限りません。

テレビのニュースをつけていれば、
見るだけで苦しくなるような内容が溢れています。

一方では、他人を責め立てるような内容のものも多い。
鬼の首をとったかのように悪者をボコボコに叩く風潮は
それを見ているだけで鬱積した不満や怒りの強さを感じます。

テレビを見ないという人でも、ネットのニュースや
SNSの記事は容赦なく情報を届けてきます。

無防備に心を動かされる事情が多いんです。

仮に、そういった一切の情報をシャットアウトしていたとしても
社会生活をしていれば、他人の影響を避けることはできません。

会社の同僚や上司がイライラしていれば、
それだけで余計なストレスを被っているわけです。

プライベートで嫌なことがあって、その不満を
会社でまき散らすような人だって大勢いますから。

場合によっては、その同僚や上司のイライラの原因の中に
テレビのニュースやネットの影響が出ている可能性だって否定できない。

そうした社会全体のストレスレベルの高さは
個人のストレスと無関係ではないんです。


しかし、ほとんどの人は、自分のストレスが
どこから来ているのかを自覚できていません。

なんとなくイライラする。
いつの間にか疲れている。
なぜか身の回りで厄介なことが続く。

そういうときに、分かりやすい”原因”のような他人がいると
「この人との関わりがストレスになっている」と解釈しがちです。

もちろん、具体的に嫌なことが起きているのですから
それが大きなストレス要因になっているのは間違いないでしょう。

ただ、それが全てではないという話。
もっとストレス要因に対しての理解を深め、
ストレスの表れ方を自覚できるようになれば、
自分が体験するストレスの量は随分と軽減できます。

具体的に嫌な出来事があっても、身近に厄介な人がいたとしても、
ストレスを受ける量そのものは、かなり減らせるんです。

そしてストレスを減らして楽になった状態のほうが
その具体的に厄介なことについても対応がスムーズになります。

まずはストレスを減らす。
必要以上に自分が苦しまない。

そのための知的な理解を深める学習と、
具体的な対応策としての手法の実践トレーニングとを行います。

大まかな内容としては…。
●ストレス要因とストレスが生じるタイミング
●個人的ストレスと集合的ストレスの気づき方
●余分なストレスを受けないための考え方
●ストレスの種類に応じた解消の仕方
●ストレス要因の解決の仕方
●どうにもできないストレスへの対処の仕方


このあたりのことを、
●ディスカッション
●認知的トレーニング
●イメージワーク
●瞑想
●催眠的アプローチ

などを組み合わせて扱っていきます。

近頃の僕は、10年前の自分には想像もできないほど
膨大な量のストレス要因を受け取っています。

対処の仕方を身につけてきたからこそ
日々を過ごせているような気がします。

ですから、僕が効果を実感しているものの紹介ということです。

自分に合った方法を持ち帰っていただいて
日々の実践によって楽になってもらえることを願っています。

もちろん、ここでの時間そのものが
ストレスを軽減するものとなれば何よりですが。



◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【講座の詳細】

≪コミュニケーション講座 〜幅を広げるリフレーミング〜≫

【日時】  2018年 9月9日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。







ポスト・トラウマティック・グロウス(PTS)という言葉があります。

PTSDに対応する形で作られた概念で、
 トラウマ的な体験の後に、人間的な成熟をする場合がある
というものです。

どんなに強いストレスでも、それを元に成長する人がいる、と。

特に大病の後にPTSが起きることが多いようです。
命や人生、自分という存在に深く向き合うのでしょう。

その一方で、
 適切なレベルのストレスがあるからこそ人は成長していく
という考え方も多いようです。

いずれにしても、ストレスは必ずしも悪者ではないという話です。

しかし、だからといって
ストレスが素晴らしいものだ、ということでもありません。

ストレスに圧倒されて苦しんだり、
ストレスの積み重ねで体を壊したりすることも多いはずです。

ポイントは、いかに適切な対処ができるか。

それは「ストレスがあるから成長できる」なんて
気軽なリフレーミングをすることではありません。

もっと具体的な対応が求められます。

ストレスのかかるタイミングこそ、
他人のせいにして被害者のように苦しむのではなく、
かといって全てを自分のせいにして落ち込むのでもなく、
自分の心の癖や考え方の癖を見つめて
余分なストレスに苦しまないための適切な状況理解力を磨く。

ストレスのかかるタイミングこそ、
避けられない苦しみから目を背けるのではなく、
苦しんでいる自分を誤魔化すのでもなく、
かといって苦しみに圧倒されるのでもなく、
全てを包含できるだけの度量を育む。

そして、ストレスのかかるタイミングこそ、何よりも
しっかりと自分で苦しみを軽減する。
人との関わりで受けた緊張を緩め、心のダメージを回復して
成長できるだけのエネルギーを取り戻す。

そういう取り組みが必要ではないでしょうか。

ストレスへ適切に対処して
本来の力を発揮していただきたいと思います。

お越しをお待ちしています。

cozyharada at 22:39|Permalinkclip!

2018年08月11日

原因と責任と可能性のはなし

先日、フェイスブックのコメントで
我ながら上手くまとまった内容があったので
切り出して加筆しながら転載しておこうと思います。


苦しみには自分の歪み、自分の心の癖が関わっています。
その意味で、全ての苦しみには自分の責任がある。

ここで「責任」とか「原因」という言葉を使うと
0か100かで考えられることがあるようなんですが、
責任や原因は、1つのことに100%集まるわけではありません。

「自分に責任がある」「本人に原因がある」というのは、
他に主要な責任の所在があったり、他人が大きな原因だったりしても
一部は少なくとも自分の範囲が含まれている、という意味です。

特に、出来事として「厄介なことが起きる」場合については
そのことが起きることの責任や原因は
限りなくゼロに近いこともありえます。

(ゼロと言わないのは、自分について向き合っていくと、最終的には
 自分と世の中との区別がなくなって、あらゆることに対して
 他人事として切り離して判断することができなくなるからです)

厄介な出来事が起こることには自分の責任や原因がほぼゼロだとしても
それをどれぐらい、どのように苦しむのかには
自分の心の癖が関与する度合いが大きくなってきます。

明らかにゼロよりも大きくなる。

例えば、悲惨なニュースを見ていて犯罪者に対して怒る人もいれば
犯罪に走るまでに至ったその人の境遇を悲しむ人も、あるいは
自分とは関係ないということでそれほど心を痛めない人もいますから、
どれぐらいの大きさで、どんな苦しみを体験するかには
かなりの個人差があるわけです。

そして体験の仕方に個人差があるということは、
そこに本人ならではの要因、つまり本人の責任の範囲が
少なからず含まれている、といえます。


また、自分にとって厄介な出来事が起きているときは
必ずと言っていいほど、どちらか一方だけに責任があることはなく
何か1つだけのことが原因になっていることはありません。

ニュートラルに、客観的に、網羅的に状況を捉えて
何にどれぐらいの責任と原因があるかを列挙するのが
悩まないためのコツの1つでしょう。

全部を自分のせいにして苦しむ必要はありません。
客観的に見たら、自分が原因、自分の責任という部分は
実際にはそれほど大きくない場合もあります。
困るべき人が別にいるケースです。

また、全部を他人のせいにしてしまっては
苦しみを減らせる可能性から逃げてしまうことになります。
これは苦しんでいる自分を楽にしてあげるチャンスから目を背ける点で
自分が自分を苦しめていることとも捉えられます。

何かに取り組むのは、それ自体がエネルギーを要求しますから
苦しみが大きすぎて何一つ元気がないときには
まず気持ちを楽にすることが最優先にはなりますが、
自分が取り組める課題を見つけられれば気力が高まる効果もあり得ます。


「原因」という言葉は、それが「根本原因」だと言っているのではない。
「責任」という言葉は、「その人のせいだ」と言っているのでもない。

あくまで
 沢山の要因が絡み合って物事は起こっていることを認め、
 その中で様々な原因と責任の所在を適切に分配して判断する
ということです。

複数の要因の中から「主要な原因」を特定することはできるかもしれません。
だからといって、主要な原因に対処するだけが解決方法でもありません。

様々な要因が絡んでいるのであれば、原因として小さなことでも
そこを変えることで全体が変わっていく可能性はありえます。

主要な原因が他人や、何か他の環境要因にあったとしても
自分が関わっている部分があるのだとしたら、
原因となっていることの小さな1つを自分に見つけられるかもしれない。

そしてそれが見つかれば、その「自分が原因」の部分は、
自分の責任の範囲として、自分がコントロールできる範囲として
主体的に取り組んでみることが可能になります。

このとき、自分の態度が変わるんです。
能動的、主体的になる。

そして実際に、自分が原因となっている部分に取り組めば
「自分のできる範囲の全てに対して、自分の責任を果たした」
と自然に思えるようになります。

最善を尽くしたと感じられてくるんです。

結果として望ましい方向には変わらなかったとしても
「できることは全部やった」と確信して言えるようになる。

残念な気持ちや悲しい感じは出てくるかもしれません。
しかし苦しみの種類が、以前とは別物になっています。
ずっと受け入れやすい形になっています。

これが自分の責任の範囲を明確にする効果です。


ある出来事に対して苦しむとしても、
その責任の全てが自分にあるわけではない。
もしかしたら相手に99%の責任があるかもしれません。

ただし、残りの1%の自分の責任が自分の側にあるのだとしたら、
その残りの1%に取り組む自由は、自分に100%あります。

とりわけ苦しみについては
自分の歪み、自分の心の癖が関わる度合いも大きいものです。

そこには結構な割合で、自分が取り組める範囲があるんです。

自分の問題の度合いが1%しかなくて、
客観的には99%相手のせいだとしても、
その問題で苦しむことには自分の範囲がもう少し大きく関わります。

苦しまないための取り組みには自分が取り組める余地が結構あるんです。
かなりの可能性が残されているんです。
その可能性に対して自分が100%扱うことができるんです。

苦しいのは自分のせいではなくても、
苦しまないのは自分の範囲で取り組む「ことができる」。

『全ては本人の受け取り方の問題』と言って、
不幸が本人のせいだとか、本人が不幸を引き寄せているとか、
そのように考える人もいるようですが、そうではないと思います。

どんな不幸に苛まれても、
その中で自分の責任の範囲については
自分で何とかできる「余地」が残されている。

そこに希望があるんです。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!

2018年08月01日

英語のアナウンス

近頃は日本にいても至るところが国際的になってきているというか
外国人を想定した対応が増えてきているようです。

駅や電車の中など、公共交通機関であれば
観光客が利用することも当然あり得ますから
そのあたりの配慮をするのは1つなんでしょう。

羽田空港からのモノレールだと、車内アナウンスが
日本語、英語、中国語、韓国語と4か国語になっています。

JRも新型の車両だと、車内の液晶モニターには
4か国語で表示が出ていた記憶もありますし。

モノレールの終着駅になっている浜松町は
駅構内の駅員からのアナウンスも英語バージョンがあります。
アナウンサーやネイティブに言わせたものではなく、
英語が話せる日本人駅員が録音した音声っぽいです。

小田急線では、たまに車掌が自ら英語でアナウンスすることもある。
箱根方面が外国人観光客に人気なんでしょうか?
国内線飛行機の機内アナウンスより、しっかりした英語でした。

国外でも、ロシアの駅ではキリル文字表記とアルファベット表記と
両方がなされているらしいです。
英語に寄せるのは無難なやり方なのだろうと思われます。

交通機関以外では、飲食店も外国人対応が増えるのは自然でしょう。
英語メニューを置いておくことで観光客に対応しやすいですから。

最近は大型ドラッグストアや家電量販店も
中国人観光客に合わせたものが増えてきているように見えます。

専用の免税カウンターがあったり、中国語の案内や
中国語が通じるレジも用意されています。

この場合、英語よりも中国語が重視されるのは
利用客の大部分が中国人観光客だからなんでしょう。

コンビニ店員が外国人アルバイトになっているのは
都市部では良く見受けられる光景になってきましたが、
大阪・心斎橋のコンビニでは、当たり前のように
中国人観光客に中国人店員が中国語で接客をしていて
自分が異国に来ているような気分にさえなることがあります。

これからオリンピックに向けて、外国語対応の範囲は
まだ増えていくのかもしれません。


公共交通機関や飲食店、観光地や土産物を買いそうな場所で
英語や中国語の案内が増えるのは、そういう意味で納得がいきます。

親切とも言えますし、具体的なメリットも大きいんでしょう。

一方で、目的がよく分からない外国語アナウンスも耳にします。
僕が通っているジムです。

会員制のジムですから、自然と利用者は地元の人となります。
電車で来る人がいたとしても、少なくとも日本に住んでいる人が対象。

実際、ジムの受付は日本人だけですし、
契約の資料も日本語しかありませんでした。

施設内の案内も基本的に全て日本語です。
マシンの説明文も日本語ですし、注意事項も日本語で掲示されます。

確かに利用者の中には外国出身の人もいます。
中国、中東、南アジアがメインでしょうか。
近くに住んでいる人たちだと思われます。

ヨーロッパ系の人はスペイン人を一人見かけるぐらいです。

ですから基本的に英語圏ではないはずです。
英語表記をするメリットはあまりないでしょうし、
この人たちも日本在住ですから日本語でコミュニケーションをして
それでジムに入会していると想像できます。

にもかかわらず。

ジムの中で流れる注意事項のアナウンスが
日本語と英語の両方なんです。

内容は注意事項ですが、ラジオのDJみたいな雰囲気。

音楽を流している途中で、ときおり流されるアナウンスで
利用上の注意や避難時の注意などを録音したものです。

録音ですから、当然プロの人が吹き込んだものでしょう。
だから妙にFMラジオみたいな印象が出ているんだと感じます。

で、この注意事項に日本語バージョンと英語バージョンがあるんです。

日本語のアナウンスが終わったら、そのまま引き続き
英語バージョンでアナウンスが流れる。
そして再び音楽に戻っていく。

英語を必要としている人がいるようには思えないんですが…。


仮に目的が、安全のため、入念に英語でも注意喚起することだとしたら
吹き込みのアナウンスはネイティブにやってもらえばいいはずです。

ところが実態は、日本人アナウンサーの声。
日本語アナウンスを読んだ人が、そのまま引き続き英語も読んでいます。

当然、用意された原稿を読んでいるだけでしょう。
だから英語がネイティブでなくても、内容チェックだけされていれば
問題がないとは言えるのかもしれません。

ただ、発音がなんとも気になるんです。

雰囲気は英語っぽいんです。
だから余計にFMラジオのDJっぽいんでしょうけれど。

しかしちゃんと聞くと、母音の発音がいい加減だったり、
ところどころ日本語的な子音が混ざっていたり。

リズムと抑揚はアメリカンな感じになっていますから
FMラジオぐらいの雰囲気にはなっているものの、
英語としては引っかかるところがあるんです。

中には完全に発音を間違えている単語さえあります。

「携帯電話は指定の場所でお使いください」といった内容で
「Please use your cell phone in designated area」
みたいなフレーズが流れるんですが、
この「designated(指定された)」の発音が違う。

片仮名で書くと「デジグネイテッド」みたいな感じのところ、
その人は「デザイネイテッド」って言っているです。

まぁ、確かに途中まで「design(デザイン)」と同じですから
分からないではないですけど。

本当に目的が英語圏の人に伝えることであれば
内容チェックだけでなく、発音チェックだってするでしょう。

その必要を省くなら、英語ネイティブに読んでもらえばいい。

しかし、英語がカッコよく読める日本人アナウンサーがいれば
正確でなかったとしても、それで済んでしまったわけです。

どうも「英語が入っているとカッコイイ」というフシが
感じられてしまいます。

そして僕は毎回、「デザイネイテッド」のところで引っかかります。
何度聞いても、そこが気になる。

そもそも何の目的で英語を入れているんだろう、と。

国際化の対応としての英語が増える一方で
「英語ってカッコイイ」みたいな発想も
まだ残っているのかもしれません。

cozyharada at 23:33|Permalinkclip!

2018年07月19日

カウンセリングの本質

以前に書いたことの続きです。
(『カウンセリングの本質 戮麓螳磴い脳辰靴討靴泙い泙靴拭)

カウンセリング技術を向上させたり
人の気持ちが分かるようになったりするために
最も本質的なのは
 自分の問題をコツコツと解決していくこと
だという話。

その1つのポイントが、自分の問題を解決する作業によって
『問題に気づく感度が上がる』ところにある、と。

自分の問題から目を背けない癖をつけることで
細かな心の動きにも気づきやすくなります。

他人の問題についても、
それを「大したことない」などと評価することが減りますし、
どんな問題でも解決できる可能性を体験的に信じやすくなります。

解決可能な部分に注目できるようになるため
厄介なことがあったときにも適切に困ることができるようになって、
悩むべきことと、悩む必要のないことも区別がしやすくなります。

ザックリというと、そんな話でした。


もう1つのポイントは
『観察力や共感力が上がる』
ことです。

コミュニケーション一般において「観察力」というと、
相手の個性や感情を見てとる能力のことを示すようです。

この能力には、
1、特徴(=標準との違い)に気づき、
2、その特徴を分類して、
3、それを言語的に説明する
というステップが含まれるはずです。

言い換えると、
1段階目だけでは
「あれ、なんか変…」という違和感だけが上がることになり、
2段階目までだと
「なんかモヤモヤする感じ」とか「シッカリしている」とか
「なんだか気分がよくなさそう」とか
曖昧な表現に留まることになります。

それが3段階目の言語的な説明までできるようになると
違和感を「モヤモヤする感じ」と捉えた後、
その「モヤモヤ」が「内容を理解できていない戸惑い」なのか
「内容は分かったけれど、理屈として納得しきれない困惑」なのか
「理屈には納得しても受け入れたくない気持ちがある葛藤」なのか
などを区別して言語化できるわけです。

「シッカリしている」にしても、
「大人っぽい自制心がある」のか
「何事にも動じない安定感がある」のか
「堂々としていて自信がある」のか
「どんなことでも卒なくこなせるスキルの高さがある」のか
…違いを言葉で説明できる必要があります。

気分や感情についても、
「いい気分」か「悪い気分」かを分けられるだけでは
読み取れている情報量が多いとは言えません。

「悪い気分」にしても、怒りの系統と悲しみの系統がありますし、
悲しみの系統の感情にも、寂しさ、孤独感、孤立感、喪失感、絶望感など
本人の事情と結びついた繊細な感情の違いがあります。

それらは全て、感じ分けられるものなんです。
言語的に概念が区別されているわけですから。


観察力の中でも違いに気づく1段階目だけであれば
他人を細かく見ているだけでも磨かれていきます。

しかし2段階目の分類の作業には、
その特徴が「どういうときに表れるものなのか?」と
傾向を知っている必要があります。

傾向を知るには土台となる情報量が必要です。
多くのものから共通する特徴を見出すために、です。

もちろん他人の話を聞きながら、
そのときの出来事と感情の結びつきを知ることもできます。
しかし、それには相手から相当詳しく話を聞かないといけません。

個性と見た目の関係についてデータを積み重ねるにしても
相手の個性が分かる程度までの関わりは必要になります。

質的に深いコミュニケーションを量的にも重ねる必要がある、と。

その点、自分の問題について向き合っていく分には
自然と質的に深いレベルまで事情を整理することになります。

どういうときに、どういう身体の感じや表情、姿勢になるのか。
どういう能力を発揮しているときに、どんな様子になるのか。
そうしたことを詳しく知ることができます。

量にしても、自分の問題に向き合い続ける限り
いくらでも経験を積み重ねることができます。

自分の心の癖やネガティブな感情のパターンなどを見ていくと
毎日1つ扱ったとして、数年やっても尽きることはありません。

自分の問題を扱えば、
1、違いに気づき
2、その特徴を分類する
ために必要な経験を、量的にも質的にも確保できるわけです。


さらに3段階目の言語化の部分。

これに関しては自分の問題を扱う以外では
トレーニングをするのが困難だと思います。

他人の状態を観察して、適切に言語化するトレーニングだとしたら
かなり込み入ったところまで話を聞いたうえで、
さらに相手の心情を代弁するような作業をするわけです。

そして相手に確認してみて、相手がシックリくるかどうかをチェック。
相手がシックリくるまで適切な表現が見つかっていないわけですから、
トレーニング初期の段階では、適切な表現を見つけられないまま
会話の時間が終わってしまうこともありがちです。

適切に状態を捉えて、言語化する能力が身についてからであれば
相手の心情を代弁するのもトレーニングが可能ですが、
それ以前の段階だとトレーニング効果を得られるところまで
なかなか辿り着けないことも多いんです。

その点、自分の心情を適切に言語化する練習であれば
上手く言葉にできたときには自分で「ああ、そうか!」と
納得感を味わうことができます。

違和感に気づき、
それを分類して、なんとなくの特徴を掴み、
適切な言い回しで表現しようとする。

この流れで適切な言葉を見つけられたら、
自分に対しての理解が深まるのと同時に、
「この体感覚は、この感情」
「この姿勢は、こういう気分のとき」
「この感じは、心の中で両面感情があるとき」
などと区別がつけられるようになっていくわけです。


この経験量と、分類した状態を適切な言葉と結びつける訓練によって
繊細な心の状態を適切な言葉にする能力が上がっていきます。

自分の体験と、自分自身の心情を言語化するトレーニングの結果、
他人を観察したときにも、その能力を応用できるようになる。

「あ、この人の表情は、あの自分がモヤモヤするときのヤツだ。
 このモヤモヤは心情としては…
 ”頭で理解していても気持ちで納得できない葛藤”のものか。」
といった形で。

まとめると…
 自分の問題に向き合うことで、
 「内面の状態」と「そのときの外的に観察可能な特徴」との対応を
 データベースとして蓄積していき、
 その「内面の状態」を言語的に説明可能になれる、
ということです。

これが相手の変化の意味を説明できるようになる土台、
つまり観察力の中身そのものになります。


ですから他人の気持ちを理解できるようになりたければ、
まず自分の気持ちを細かく感じ分けて、言語化できるようになる。

それが着実で、しかも効果的なトレーニングだといえます。

『自分の問題をコツコツと解決していく』ことが重要な理由。
『観察力や共感力が上がる』から、というのは
こういう仕組みに基づいています。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

次回は10/21です

《コミュニケーション講座》
丁寧なストレスの取り扱い方


【日時】 
  2018年9月9日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は2018年10月21(日)


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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