コミュニケーション

2017年05月28日

【セミナー】言葉の表現力を向上させる

ご案内: 6月25日(日)開催

   コミュニケーション講座 〜言語表現力トレーニング〜


「話のポイントは分かった。
 この発想の癖が問題の中核になっていそうだ。
 こっちの方向の考えを提案できれば解決するんじゃないか。
 
 …でも、これを何て言えばいいんだろう?」

そんな風に、
 伝えたいメッセージの中身は浮かんでいるのに
 それを上手く言葉にできない
といった”もどかしさ”を感じることがある。

あるいは、質問に対して自分なりに説明しているんだけれど
今一つ相手に伝わりきらない。

色々と言葉を変えたり補足したりしてみても
空回りするばかりで上手く言葉が届かない。

そのように気持ちを言葉にする段階でスムーズにいかず
モヤモヤした時間が続いてしまう。

…いずれも、コミュニケーションのトレーニングを積むほどに
よく聞かれるようになる”もどかしい”瞬間のようです。

日常会話であればさほど問題にならないことかもしれません。
特に日本語のコミュニケーションでは
お互いに相手の気持ちを汲み取ろうとしますから
言葉を増やしていくうちに自然と相手が理解してくれることもあります。

ですがカウンセリングやコーチング、セラピーなど
コミュニケーション技術を学んでいくと、
話の流れの中で鍵になるようなポイントが出てくるものです。
この瞬間が重要!というときが。

そこでどんなメッセージを届けるかによって
展開が大きく変わるようなタイミングです。

相手とペースを合わせる能力が高まって、さらに
相手の非言語メッセージを捉える観察力が身についてくると、
「今、相手は大事なことを表現している!」というのが
自然と掴めるようになってきます。

そのタイミングの一言で相手が楽になり、
前に進むためのキッカケが生まれるようなポイント。

それが分かってくるからこそ、余計にもどかしくなってくるようなんです。
そのタイミングで『的確な言葉』を選べないことが”もどかしい”、と。


コミュニケーションの講座などでは、よく耳にする感想です。
「えーっと、こういうのは何て言うんだろう…」
「あー、ボキャブラリーが足りない」

言葉を続けながら時間をかけてシックリくるものを探す人もいますし、
的確な言葉が見つかるまで黙り込む人もいます。

探し方は人それぞれですが、共通して言えるのは
「言いたいことが言葉にならない」という実感があることです。

この「上手く言えていない」実感が重要です。
それが基準になるから言葉を探せますし、
言葉が見つかった時には「やっと言えた」と納得できます。

ですから、「上手く言えていない」”もどかしさ”こそが
的確な言葉で表現できるようになるための重要なステップだといえます。

そしてそこに気づけているのであれば、あとはトレーニング次第で
的確な言葉を見つけやすくなっていきます。

この講座のテーマは、まさにこの部分です。
 言いたいことを的確に言葉にする。

それがスムーズになると大事なタイミングを逃しにくくなりますし、
相手の心が動いたタイミングに言葉を出せるからこそ
スッと心の奥深くにまで届きやすくなります。

仮に時間をかけて同じ内容の言葉が見つかったとしても、
ここぞというポイントでスムーズに発せられた場合と比べると
どうしても効果には違いが出てしまうことがあります。

ですから『言いたいことを的確に言葉にする』能力が上がると、
自分自身がもどかしい気分を味わうことが減るだけでなく
必要なタイミングで応答できるために効果も高まるわけです。

また、自分の言葉の選び方に対して感度が上がっていきますから
言葉の使い分けがハッキリする分だけ、誤解を与えることが減りますし、
説明を受ける側も分かりやすくなるようです。

例えば「感覚」のように、
・身体の感覚体験の内容のことなのか
・五感でインプットすることなのか
・上手くできるかどうかの”センス”や感受性の高さのことなのか
・論理的に説明はできないけれど直感で、という意味なのか
・最適な言葉が見つかっていないけれど”大体こんな感じ”という意味なのか
などと様々な使われた方をする定義の曖昧な単語がありますが、
そういう曖昧な単語も自然と使い分けをハッキリさせたくなるはずです。

そして言葉の持つ意味に敏感になりますから、
他人が同じ単語を自分とは別の意味合いで使っている場合にも
「あぁ、この人はこの言葉を〇〇の意味で使っているんだな」と
変換させながら理解できるようにもなります。

つまり他人の話を聞いて理解する能力も上がる、ということです。


基本的に人が言葉にするものは、言葉になる前の段階で
頭の中に『内的表象』として浮かんでいると考えられます。
(内的表象=視覚・聴覚・体感覚を組み合わせたイメージのようなもの)

ある内的表象のパターンに対して、特定の呼び名として単語が存在する。
イメージを言い表した言葉を選び、それを文章や発話で届け、
受け取る側はその単語をもとに頭の中でイメージを再構築する…、
そうやって言語コミュニケーションが成立しているといえます。

頭の中のイメージを直接共有できないから、
一度言葉に翻訳するステップが追加されているんです。

「伝えたい内容が頭に浮かぶ」という段階は
この内的表象が発生したときです。

「上手く言葉にならず”もどかしい”」ときには、
内的表象が自覚されているのに、対応する言葉が見つかっていないわけです。

この内的表象(イメージ)と言葉の対応を明確であれば
言葉がスムーズに見つかるようになりますし、使い分けもハッキリします。

しかし多くの人は、母国語の場合とくに、あまりにも慣れすぎてしまって
内的表象と単語を対応させる段階がショートカットされ、
自覚しにくい状態になってしまっています。

ですからトレーニングとして、内的表象を丁寧に自覚して
それに相応しい単語を見つける練習をしていくのが効果的です。

つまり、
  話し手の内的表象(イメージ)→ 言葉 →
    →【伝達:話し手から聞き手へ】→
  → 言葉 → 聞き手の内的表象(イメージ)
という翻訳の過程を丁寧に自覚する練習が大切だ、と。

講座では、この翻訳過程を様々な角度からトレーニングするつもりです。

具体的には
・言葉の定義をイメージに対応させるトレーニング
・言葉の抽象度を調節するトレーニング
・内的表象への感度を上げるためのメタファーの練習
・言いたいことを文章にするための要素を整理するトレーニング
・論理構造を意識しながら説明/理解する練習
などを考えています。

母国語である日本語を客観的に見つめなおし、
自覚しながら日本語を使い分けられるようにしよう
というトレーニングだともいえるかもしれません。


どちらかといえば地道なトレーニングの部類です。
雰囲気としてはリラックスしながら楽しいものにしたいですが、
いわゆる”意識”と”無意識”の両面を使いますから
楽な作業ではないように感じます。

しかしながら多くの人は母国語だからこそ「いい加減」なんです。
それを「的確」なほうにシフトさせる努力をするかどうか。

ほとんどの場合、的確にしなくても何とかなってしまいます。
だから的確に表現しようとする努力のほうに向かいません。

逆に言うと、
「上手く言葉にできなくて”もどかしい”」と感じるときぐらいしか
的確なほうにシフトさせるチャンスは無いような気もします。

文章を書くにしても、想いを言葉で伝えるにしても、
自分から発信するにしても、相手のための言葉を返すにしても、
「言いたいことを的確に表現できるかどうか」
で、伝わりやすさ・届きやすさが大きく変わります。

そのための努力に興味が湧いたようでしたら
トレーニングをやってみる価値は大いにあると思います。

一日で劇的に変わるものではないでしょうが、
トレーニングの成果を発揮している人は何人も見ています。
心がければ「的確さ」は、いくらでも上がっていくようです。

地道なトレーニングも、誰かと一緒なら
気軽に取り組めるのもメリットでしょう。

関心とご都合が合いましたら、どうぞお越しください。


※国語辞典までは必要ではありませんが、
 言葉の意味を調べたくなるときが出てくるかもしれません。
 スマートフォンや携帯電話など、情報端末をご持参いただくのはお勧めです。




◆録音/録画、再生機材に関しまして
講座全体の内容は、ICレコーダーやビデオなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【セミナーの詳細】

≪コミュニケーション講座 〜言語表現力トレーニング〜≫

【日時】  2017年 6月25日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。








世間で言われるように、
コミュニケーションにおいて言葉の占める割合は
それほど高くないのかもしれません。

非言語メッセージをキャッチできる能力が高い方が
相手の感情をとらえやすくなりますし、
数多くのメッセージの中から大事な部分を見つけやすくもなります。

詩のように美しい言葉よりも、
たどたどしくても感情が乗った一言のほうが
心に深く響くときもあります。

聞き手側・受け取る側の感受性が高ければ高いほど
非言語メッセージの重要性も高まっていくのかもしれません。

ですからコミュニケーション技術を磨こうという立場からしたら
非言語メッセージを心がけるのは重要なんです。

大人になってからのコミュニケーションが
言葉に頼りすぎなことを踏まえても、
非言語を強調するぐらいで丁度いいとも言えます。


一方で、話し手側・伝える側としての立場になったときには
言葉のメッセージもかなり重要です。

相手が非言語メッセージの感受性を上げるトレーニングをしていなければ
言葉の内容のほうを重視する可能性もありますから。

また、非言語メッセージを受け取るのが得意な相手に対しても、
的確な言葉を見つけるスムーズさは重要です。

言葉を探している感じのときには、
「言葉が上手く定まらない”もどかしさ”」も
非言語メッセージに乗ってしまいます。

すごく親身になった大切な想いを乗せた言葉であっても、
そこに”もどかしさ”が混ざりこんでしまうわけです。

気持ちの乗った言葉として、
その気持ちの乗り具合が下がってしまう。

それがスムーズに言葉として言い表せたときには
その言葉に想いが100%乗っかります。
非言語メッセージと言葉がマッチするんです。

こうなったときに相手の心の奥深くまで届くメッセージとなります。


やはり言葉も大切なんです。
言葉で会話をしているのですから。

どちらが重要かという比率は状況によって変動しますが
メッセージの両輪であることには違いないでしょう。

非言語メッセージの重要性を実感してきた頃、
改めて言葉の重要性も感じられるような気がします。

だからといって、小説家や詩人のように
芸術的な描写ができることを目指そうというのではありません。
誰かの名言を引用しようというのでもありません。

あくまで自分の言葉として、自分の想いや考えを
「的確な」言葉に変換できるようにする。

自分が的確に表しきれない部分を相手に汲み取ってもらう代わりに、
相手に届きやすい形に表現するところまで
自分ができるだけの最善を尽くしておく、ということです。

的確な言葉を選ぶところにも、
相手のために最善を尽くそうと努力できる範囲があるんです。

コミュニケーションの能力として磨ける余地があるんです。

コミュニケーションを大事にしたいのであれば
「的確な言葉を選ぶ」努力によっても
もっとコミュニケーションを大事にすることができるんです。

相手のために、自分のために、お互いのために
工夫できる部分がある。

何も完璧なコミュニケーションを目指そうというのではないですが、
最善を尽くそうとできるかどうかは意味のあることのように思います。

最善を尽くしていれば、少なくとも後悔はしませんから。

そして、相手のために最善を尽くそうとする姿勢こそが
その相手にとって最大の支えになるような気もするんです。

だから自分の選ぶ言葉にも最善を尽くそう、と。
そういう趣旨です。


お越しをお待ちしております。

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2017年05月24日

札幌で講座をします

7月29日(土)、30日(日)に
札幌で講座を開催することになりました。

珍しく2日間の講座です。

「無意識」をテーマとして扱いますが
メインの内容はコミュニケーション寄りです。

そもそも無意識とは何か?
もっというと意識とは何か?
人の心はどのようなメカニズムになっているのか?

…実は「意識」というものは
心理学でも哲学でも非常に定義が曖昧なんです。

学者によって定義が違うから議論が成立しないことさえあります。

そのあたりを踏まえ、概念として区別をしながら
人の心と接するうえでの中核の部分をトレーニングする予定です。

表面的な社交としてのコミュニケーションではなく
心の奥底で繋がり、本質的な安定感をもたらすような関わり方。

催眠療法家ミルトン・エリクソンは、その技術の非常識さから
「どんな技法を使っていたか」の側面が強調されやすいようですが、
エリクソンの関わった人たちには、ある安定感が共通して見受けられます。

催眠を通して人々の中に無意識的な安定感を育んでいたのではないか、と。

催眠によって導かれるトランスの性質を考えても
このあたりは納得のいくところだと思います。

講座中では、技術的な側面としてトランス誘導のトレーニングもします。
手法のバリエーションを増やすことが狙いではありません。
トランス誘導の”本質的な目的”を明確にして、
その効果を高める方向で練習します。

イメージとしては、
 相手の無意識の領域と繋がり、その中の乱れを調える
といった感じでしょうか。

相手が本来持っているリソースを活性化させるわけです。

トランスの持つその性質に注目しながら
無意識と交流するトレーニングを重ねるつもりです。

露骨なトランス誘導の技法は、催眠療法の場面以外では使いにくいですが、
無意識と交流するという意味では、トランスの深さを調節すれば
日常的なコミュニケーションにも応用可能になってきます。

普段の会話の中でも、相手の無意識に注目しながら、そちらと交流をして
安定感を育みつつ持ち味を活性化させやすくなります。

催眠療法や催眠術の講座ではありません。
もう少し日常的な場面で、人の無意識の側面へ
効果的に対応できるようにする力をトレーニングする講座です。

すぐに使えるテクニックを学ぶというよりは
人との深い関わりの土台を養うためのトレーニングだと言えそうです。


詳細やお申込みはこちらのリンク先をご覧ください。

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2017年05月10日

不在のご連絡(〜5/22)

5月11日から21日まで
アメリカに行ってきます。

飛行機に乗っている間と
現地で座禅会に参加している間は
メールの確認などができなくなってしまいます。

帰ってくるのは22日(月)の夕方の予定ですので、
お問い合わせやご連絡にお返事できるのは
23日(火)頃になるかと思われます。

申し訳ございませんが、ご了承ください。

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2017年05月07日

世間の荒波

近所のジム通いも多少は慣れてきた気がします。

慣れてくると逆に新鮮さがなくなって
すぐにノルマの発想が出てきそうなのは怖い気がします。

ルーチンや義務にならないよう
心地よさや楽しさを感じるようにしたいものです。

それから思いのほか人が多くて、それもチョット引っかかります。
深夜だったら静かに集中できるかと期待していたんですが。

ゴールデンウィークが終わったら、多少は減るんでしょうか。

オープンから二か月ぐらいのジムですし
連休中に加入した人もいたでしょうから、
今はまだ、僕のように新鮮な気持ちで来ている人も多いんだと思います。

はたして半年後にどうなっているか?

僕は少なくとも、頻度に差はあっても
疲労回復のために行く機会はあるような気はしています。


さて、ジムの中にいるときも連休の雰囲気を感じていましたが
もっとゴールデンウィークを意識したのは街中に出たときでした。

連休期間中に何度か買い物に行ったんです。

僕が買い物に行くときは基本的に必要性があるときです。
今回の必要性は海外渡航。


10日ほどアメリカに行ってきます。
山の中の湖のほとりで座禅をするだけですが。

山の中ということで細々と揃える必要のあるものがありました。
懐中電灯とか虫よけとか。
気温差も大きいので衣類も必要でした。

で、店に足を運んでみると、まぁ人が多いこと。

連休前に目についていた商品もかなり売り切れていたり、
買い物客の多さを実感しました。

買い物にはタイミングを見計らう賢明さも大事みたいです。
普段あまり買い物をしないだけに反省するところが多かったです。


土日にセミナーをして平日が休みとなることが多いため
ゴールデンウィークに街へ出ると
世間一般とのズレが大きいんだなぁと実感します。

僕が関わる可能性のある人の中にも
ちゃんと平均的な生活パターンをしている人が大勢いるわけですから、
僕も多少は標準を知っておく必要がありそうです。

山に籠っていたら、世間のストレスはなかなか理解しがたいでしょう。

もう何日かしたら山に行くので
余計に街を意識しておくのは意味がありそうな気もします。

ほどよく関わっていたいものだと思います。

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2017年05月01日

コンディショニングのために

重い腰を上げて、ついにジムに通い始めました。

ウェイトのコーナーもありますが、
マシンをメインとした24時間営業のジム。

体を鍛えようという発想は特にあるわけではなく、
ただ体のコンディションを整えるのが目的です。


そのジムに来ている多くの人は、
・大人になってからランニングを始めた感じの人(若め)
・健康のために義務感として運動をしている人(年齢層高め)
・ボディビル系の見せる筋肉を作ろうとしている人(若め)
に分けられそうです。

いずれにしても体の内側に意識が向いている度合いが低く、
知識としての運動の必要性という外的要因や
自分がどのようにみられるかという外側からの評価
に意識が集まっているようでした。

言い換えると、体の中を感じていないように見えるんです。
回数とか時間とか、課題をこなすのが目的の感じ。

まれに
 子供のころから運動が好きで、体を動かすのが楽しい
という様子の人もいます。

この人は体の内側を感じている度合いが高いので
見るからに本格的な様子で、異彩を放ちます。

が、本当に運動の好きな人は24時間営業のジムよりも
もっと好きな運動を楽しみやすいところに行くのかもしれません。
だから稀にしか見かけないんでしょう。


僕の目的は体の内面、自分のコンディションのほうにありますから
これもまたチョット例外的な用途のようです。

血行や可動域として体の軽さを求めて
体を動かしてみました。

動かした部分から軽くなっていくのは心地いいですね。
すっきりします。

特に背中側を動かすと自然と姿勢も良くなりますし
普段意識が向かないところに意識が拡がるので、これも快適です。

そしてメインは有酸素運動です。
走るのは好きじゃないのでエアロバイク。

実際の自転車のほうが全身運動のような気はしますが
まぁ、全身に血液を循環させ、酸素を取り込むという目的では
十分に効果が感じられます。

終わった後も体の中にエネルギー残っているような印象を受けます。

スポーツ選手がウォームアップをする理由が分かるような気がします。
以前は、「無駄に疲れてどうするんだ?」と思っていましたが。

エアロバイクが単調な動作の繰り返しなせいもあるのか、
終わってからも体感覚として、
胴体の中をグルグルと回っている感覚が残っていました。

こういうのを早くから知っていたら、
もっとスポーツを楽しんでやれていたかもしれません。


どれぐらいの頻度で行くことになるのかは定かではないですが
少なくともセミナーの後、ガチガチに固まった身体をほぐすには
多少頑張ってでもジムに立ち寄ったほうが良さそうな気はしています。

セミナーは意外と肉体労働だと実感する今日この頃、
プロスポーツ選手のように体を整える必要もあるのかもしれません。

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2017年04月24日

ストレスチェックの義務化

2015年12月から義務化されたストレスチェック。
労働者が50人以上の事業所では年に一回の検査が必要になっています。

僕自身はフリーランスですし、主に関わっている人たちも
そこまでの人数の組織ではなさそうですから、
直接的にストレスチェックを気にする立場ではないと言えそうです。

しかし、受講生としてお越し下さる方々の中には
もちろんストレスチェックを受けている人も、さらには
人事としてストレスチェックを使う側の立場の人もいる可能性があります。

ということで先日、ストレスチェックについての講座を受けてきました。


講師はアメリカでカウンセラーをやっていた人で、
日本でも心理臨床の立場として病院に入ったり
企業と契約して従業員のカウンセリングを受けたりしていたそうです。

実際に本人がどれぐらいストレスチェックと関わっていたのかは分かりませんが
人事としてストレスチェックを「やらなければならない」人たちとは
接点があるようで、実情も交えた講義を聞けました。

多くの人事担当者は、このシステムを運用する義務に対して
新たなストレスを感じているという話でした、皮肉なことに。

どうやら原則的には、従業員個人のためのシステムという想定みたいです。
自分で自分のストレスに気づき対処する、と。

相談窓口を告知したり、ストレスを自覚した人たちが
気軽に社内で相談できるような環境を整えたりするのが
人事側としてできることではないか、という説明でした。

しっかりと個人を把握している人事であれば
誰にストレスがかかっているかは、本人の非言語メッセージや
周りからの評判などから想像がつくだろうから、
人事側から個別に「働きかける」には良く知っている必要がある…。

そんな話もしていましたが、そうなったらストレスチェックは関係ない気もします。

組織としてストレスチェックをどう活かすかを良く話し合うと良いと言われても、
そこに一生懸命になるマネジメント層がいれば、そもそも
従業員全体としてのストレスレベルが過剰に高いことも少なそうです。

僕としては、せっかくのチェック内容なので
組織全体として活かす方向性はないものかとも考えてしまいますが、
情報は従業員本人のみに知らされる前提ですから
上司として何をするかとか、人員配置に活かすとか、
マネジメント側として組織を変えていくとか、
そういう方向には繋げようという趣旨ではないようです。


そのため、講座の内容も個人対応のものが中心でした。

「(現状としてかかっている)ストレスにどう対処していくか?」
を解説してもらったり、話し合ったりしました。

講師がカウンセラーだということも関係しているかもしれません。
 目の前の一人が苦しんでいる。
 その苦しさをどう楽にするか。
そういう発想があると、
「現状でかかっているストレスにどう対処するか?」
の部分に関心が向きやすいんでしょう。

そこの手伝いをするのが本人の専門分野でもあるようでしたし。

一方、僕は「ストレスがかからないようにするには、どうしたらいいか?」
のほうにも関心が出てきます。

家族療法的な視点からすると、ストレスを抱える人は
たまたまそこに症状として表れているだけで、
グループ全体に歪みができていると考えられます。

従業員のストレスチェックをやって、仮に
ストレスを抱えていた従業員全員が上手くストレスに対処できるようになって、
過剰に仕事を抱え込まなくなったり、長時間労働を断れるようになったり、
有給休暇もしっかりと取れるようになったりしたとします。

従業員全員が自分のストレスを自覚して、自分に無理をかけなくなる。
翌年のストレスチェックでは、皆がストレスを報告しなくなった、と。

カウンセリングを受けにくる人もいなくなって、
サポートする側としては大成功に思えるかもしれません。

しかし、おそらくそのとき、仕事は以前のような形では回っていません。
全員の労働時間が減っているのですから、こなせる業務の量も減るでしょう。
よほど仕事の効率化を図れていなければ業務のほうに皺寄せが来る。

結果として、部署単位・事業所単位での責任を果たそうとして
「従業員」ではない「管理職」側に負担が出ているかもしれません。

従業員のストレスを下げようとした分、業績が下がり
その責任を管理職が問われるようになる…。
そうなれば次にストレスが表面化するのは管理職のほうです。

ここで管理職のほうが自分のマネジメント能力をトレーニングしたり
仕事の成果を上げるべく学んだり工夫したりするようになれば
それもまた1つの成果と呼べるのかもしれません。

逆にただ管理職層のストレスだけが過剰になってきて
マネジメント層を中心に離職者が増えてきたりすれば、
組織全体として大きなダメージでしょう。

組織自体が破たんしてしまうか、
その前に経営者が異常事態だと気づき、経営を何とかしようとするか。

つまるところ、従業員にストレスが強く出ているということは
組織全体の運営がスムーズではない、ということかもしれません。

人員が従業員→管理職と、順にストレスを減らすようにスタンスを変えたら
最終的な歪みはトップのところに表れてくるはずです。

だったら最初から組織全体として向き合っても良さそうな気もします。


表面上はストレスチェックというシステムの話ですが
関わっているのは経営の問題とか、経済や文化のところにも及びそうです。

とてもアンケートだけやって済む話ではなさそうに感じました。
あまりにも事態が複雑過ぎる。

ジレンマの部分を強く意識させられた講座でした。

cozyharada at 23:00|Permalinkclip!

2017年04月19日

次回の講座は6月25日の予定

次回の講座は
 6/25 (日)
を予定しています。

内容はコミュニケーション技術寄りのものです。

具体的なテーマとしては
 『言語表現を向上させる』
ことを扱う予定です。


結構、リクエストというか
「どうしたら言葉を上手く使えるようになりますか?」
といった趣旨の質問をもらったり、
「もっと上手く伝えられるようになりたい」
といった願望を聞いたりすることがあります。

こういう「伝え方」や「表現の仕方」について問題意識が出る場合、
実際のところは非常に多くの要素が混ざり込んでいます。

例えば、「伝え方」を気にしているようでいて
実のところ「部下に言うことを聞かせられるような伝え方を知りたい」
などと、「他人を思い通りに動かしたい」願望がメインのこともあります。

他者に動いてもらうのは、依頼や商談、教育・指導など
多くの場面で求められるコミュニケーションの要素ですが、
技術としての重要度は必ずしも「言葉の使い方」が高いわけではありません。

相手のニーズを把握していなければ動機づけはできませんし、
相手と価値観が根本的に異なっていたら動いてもらうのは難しいでしょう。

最終的な決断は相手に委ねられますから、
全ての結果をコントロールするのは不可能かと思います。

結果を良くしたいのであれば、「自分が何を言うか」の前に
むしろ「相手は何を望んでいるのか」を理解できるようになるほうが
ずっと効果的かもしれません。

ニーズ把握のプロセスを技術として身につけておくと
相手のニーズに合わせた対応をしやすくなるので
商品やサービスの提供でも、指導やアドバイスでも
満足してもらいやすくなるはずです。


この「ニーズ把握」の重要性を分かった上で、相手に合わせて
新しい考え方や行動案、商品などを提案する。

その段階で初めて「言葉の選び方」そのものに意義が出てきます。

相手のニーズは分かった。
相手に満足してもらえそうな提案内容がある。
ポイントは分かっている。
なんとなく言いたい趣旨は決まっている…。

そこから自分の想い・アイデアを言葉として表現する。

この段階で困難を感じる人がいるようなんです。

今回のポイントは、ここです。

会話の途中で、的確なポイントが掴めたとき、
「伝えたいこと、趣旨は決まっている。
 こういう観点で、こういう方向性で、
 こんな感じのことを言えれば上手くいきそうだ。
…でも、これを何て言葉にすればいいんだ?
 表現力が足りないから上手く言えない。」
とか。

あるいは相手の気持ちを理解して、分かったことを伝え返そうとしたとき
「なるほど、そういうことですか!
 はあはあ。ええ、おっしゃることは多分、伝わっています。
 なんていうんでしょう、あの、あれですよね?
 結局、ホラ、なんか、こういう感じですよね。
 ちょっと上手く言えないんですけど、納得しています。」
のように、
なかなか適切な言葉が見つからないとか。

もしくは、
相手の悩みの元になる考え方の癖が分かって、
こういう物の見方をすれば悩みから解決されそうだと見立てがある。
でも上手いリフレーミングの言葉が出てこない、とか。

頭の中には良いアイデアやイメージ、大事なポイントが出来上がっているけれど
それが言葉として表現しきれていない段階です。

少し専門的に言うと、
「内的表象を的確な言葉に置き換える」プロセス。

ここをトレーニングします。


そういう意味では、「言葉による表現力を磨く」とも言い換えられそうです。

自分の気持ちを上手く表した言葉に置き換える能力。
ここを磨こうという趣旨です。

コミュニケーションのトレーニングをしていると、この段階で
もどかしさを感じる人がいるようなんです。

最初のステップとして「何をすればいいのか?」が分かって、
次の段階で「どのような言葉に表したらいいのか?」が課題となる。

もちろん母国語として日本語を使えれば
ある程度の表現は可能です。

相手が汲み取れるだけの言語表現になっていれば
相手との信頼関係が築かれている限り、
相手のほうから理解しようとしてもくれます。

そこそこの表現になっていれば伝わるんです。

まして伝える側に想いの強さがあれば、非言語メッセージのほうから
大切な想いの部分だけは伝わることもあります。

言葉の表現は、その意味で、決して高いとは言えません。

それでも上手く言い表せていなかっただけの理由で
今一歩のところで伝わらない場合もあるわけです。


あくまで伝わりやすくするため、伝わる確率を上げるため、
せっかくのアイデアや想いが空回りする勿体なさを減らすため、
言葉の表現の段階でもできることがあります。

日本語力として伝えたいことを的確な言葉にする趣旨で
コミュニケーションのトレーニングをやってみようという話です。


詳しい案内は一か月前ぐらいに出すと思いますが
興味があれば予定を検討してみてください。

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2017年04月12日

夏になる前に

パソコンが熱で落ちるようになってきてしまいました。
今使っているメインのヤツです。

これが一番古く、8年ぐらい前のもの。
Windows Vistaなのもサポート範囲外になってきていますし
そろそろ買い替えないといけなそうです。

その1つ後に買ったヤツは台湾を本社とする某メーカーのもので、
結構良い物だったはずなんですが、シンプルに初期不良。

電源部分のマザーボードとの接触が悪く、
設計レベルでのミスのため修理や交換もままならないものでした。

ときどきこちらを使うこともあるものの、長時間は使えません。
一度電源が落ちたら、もう二度と電源を入れられない状態だからです。
電源キーが働いていないんです。

なのでスリープと再起動だけで誤魔化して使っていました。
軽量薄型だったので、持ち運び用として使うぐらいには充分
という判断でした。

その後、軽量ながら低パフォーマンスの安価なものを昨年に購入。
こちらを文字を打ったり、ネットに繋ぐぐらいなら問題ないので
今はこっちのほうが持ち運び用の「サブマシン」という位置づけです。

その意味では、電源キーが効かないけれど新し目のほうを
メインとして使っていく選択もありそうではあるんです。

とはいえ、そちらをメインにしたら、今度
何かしらの理由で止まったり電源が落ちたりしたときに
もう対処のしようがなくなってしまいます。

言い換えると、二台の主要パソコンが長期使用に耐えない状態だ
ということででしょう。

これはやっぱり新しいものを購入する必要がありそうです。

データの受け渡しをする相手がMacユーザーということもあり
Macも視野には入れてみたりもするんですが、
仕事上はWindowsのほうが無難な気がしています。

選択肢が多すぎて、なかなか選べず困っているところです。

持ち運べなくて良いので軽い必要はなく、
かといって画面の都合上、デスクトップは苦手。

15インチを越える大型のノートになるとテンキーがつくために
キーボードの位置が中心からずれるのも嫌なんです。

あまり悠長に選んでいる時間もなさそうなので
早めに判断してしまいたいところです。

丁度いいのが見つかるといいんですが。

家電量販店の店員とはスムーズなコミュニケーションが期待しにくいので
自力で頑張ってみることになる予感。

cozyharada at 23:56|Permalinkclip!

2017年04月06日

翻訳作業の難しさ

今までに何度か翻訳のお手伝いをしたことがありますが、
いずれも「英語→日本語」の訳ばかりでした。

最近、「日本語→英語」の翻訳も少しやっています。

随分と印象が違います。

決して『英作文』をやっている感じではないものの
スムーズさには大きな差があるようです。

文法も気にしなければいけませんし、
単語や言い回しが不自然にならないように、といった配慮もあります。

元の意味にできるだけ近い表現を選択しようとしたときにも
ふさわしいものを見つけるのに時間がかかります。

何より、元の日本語を読みながら、
僕自ら英語の文章を作り上げている印象があります。


一方、「英語→日本語」の場合、僕の頭の中は
受動的なモードになっています。

入ってくる英語に対応する意味が日本語で浮かんできて、
それを聞きながら書き起こすような状態です。

英語のまま捉えている意味を意識の片隅に置きつつ、
同時に直訳もしている感じ。

そして両方を組み合わせて、元のニュアンスを踏まえた
ある程度は自然な日本語に変換する作業をしているようです。

やろうと思えば直訳から意訳まで、
程度を調整できそうな印象があるんです。

だから能動的に「書く」印象はなく、
インプットされたものを流していくような体験となります。

まぁ、日本語で文章を書くとき自体も、
自分でアウトプットするというよりは、どちらかというと
浮かんでくるものを頭の中で聞いて書き取っている感じで、
『書く』というよりは『読む』に近い作業ではありますが。


それに対して「日本語→英語」の翻訳は、はるかに能動的です。
自分でライティングをしているような気分さえあります。

元の日本語のニュアンスを理解して、
それをもとに自分の中で一端、伝えるべき内容を整え
それからその頭の中の内容を英語で表現しようとする。

自分の考えを英語でアウトプットするときと似ています。

選択肢が少ないんです。

直訳も無理ではありませんが、関係代名詞などを使った修飾の仕方や
接続詞の使い方のルールなどで制約がかかるところがあって、
なかなかストレートな訳にはできません。

何よりボキャブラリーや表現方法の幅が少ないため
同じようなニュアンスを表すためのバリエーションが出ないんです。

そのため英語訳の幅が限られてしまう。

「英語→日本語」でやるような直訳〜意訳の間で
程度を調整できる範囲が狭いんだと思います。

自分の頭の中で一回理解して、自分なりにアウトプットしなおす
というステップが挟まってしまうようなんです。

この自分なりにアウトプットする感じが能動的な印象となって、
スムーズではないと感じる要因になっているんでしょう。


単純に母国語と外国語の言語能力の差だともいえますが、
日本語と英語のルールの違いにも影響を受けていそうな気もします。

英語のほうが文章構造に対して厳格なのかもしれません。
日本語は助詞を工夫すれば語順は問題ありませんし、
論理展開についても曖昧で通用してしまいます。

そのあたりも加味しながら進めるから
スムーズにならないんでしょうか。

「英語→日本語」はむしろクドくなりがちで、
そこさえ気にしなければ直訳に近い文章はすぐに作れます。

逆に「日本語→英語」は、元の日本語の曖昧さや論理の不足分を
なんとか補おうとしてしまうのかもしれません。

英語を直訳した日本語はヘンテコだけれども
それなりに意味をとらえることはできる。
日本語を直訳した英語は意味が分からなくなる場合がある。

このあたりの性質の違いも関係している気もします。


いずれにしても、僕自身の慣れが足りないところは大きそうですから
経験を積んだ後に、どんな印象が生まれてくるのかは興味があります。

アメリカやイギリス出身で「日本語→英語」の翻訳をしている人がいたら
このあたりのことを聞いてみたいとも思っています。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!

2017年04月03日

動画広告の時代

最近、バタバタと気ぜわしい感じになっていた理由の1つは
動画撮影のお手伝いをしていたところにあります。

裏方の作業をやると、見えない部分でどんな大変さがあるのか
意外と見えてきたりして、なかなか興味深いものです。

この頃は、動画を使った広告などが効果を発揮しているらしく
言われてみれば確かにFacebookなんかでも目にすることがあります。

写真だけのものと比べると、内容への興味は別にして
なんとなく見てみようとしてしまうこともありますから、
それなりの広告効果があるんでしょう。


ただ個人的には、動画だからこそ
見てしまった後の評価は厳しくなっている気もするんです。

写真や文章だけの広告であれば、「まだ分からない」という印象が残る。
「これだけでは判断できないなぁ」と。

なので、興味があるものだとしたら、
実際に軽く現物を見てみたい気持ちにもなります。

一度足を運んでしまえば、そのクオリティの満足度がそれほどでないとしても
他に代わりとなるものがないのであれば高確率で購入に繋がる。
「まぁ、他にはないし、これぐらいの程度ならいいだろう」と
僕は判断して購入、申し込みに進むことが多いんです。

しかし、動画の場合、僕は判断基準がかなり変わります。
そこで「イマイチかな」と評価してしまったときは、
それ以降の検討が進みません。

仮の話ですが、僕が受けている(もしくは受けてきた)語学講座でも
事前に講師が動画で模擬クラスか何かをやっていたとしたら
僕の評価は厳しくなって、「これぐらいなら他を探そうかな」と
申し込みを見送っていたものもあったと思うんです。

ホームページや資料の段階で詳しく分からないからこそ、
日程と価格の部分で妥協して、あまり期待せずに申し込みをした
ということです。

動画の場合、体験の情報量が多くなります。
判断をするための量が多い。
現物で判断するのと近くなる。

その分、動画広告段階での評価は
現物を見たときに近づいてしまって、
現物に触れる前から最終判断がなされやすいのではないか?
と感じています。


それは裏を返すと、質の高いものほど良さが伝わりますから、
現物に触れる、購入する、申し込みをする、段階では
すでに良さを知った納得している可能性があります。

先にファンになってもらう目的にはマッチしそうです。

一方、「質が不十分」と判断されて見向きもされなくなる、
むしろ動画広告が逆効果になる場合もあるでしょう。

利用する側、購入する側としては
商品・サービスを良く知ってから検討できますから
消費者側には望ましい話かもしれません。

動画広告をする側には、
諸刃の剣でもあるんじゃないでしょうか。


その意味でいうと、僕が携わった動画は
先にファンになってもらうのに十分過ぎるクオリティ。

音質や画質としても高そうですから、
内容の良さを撮影が邪魔することもなさそうです。

これから動画広告が増えたとすると、
その効果は両極に分かれるかもしれません。

今なら気軽に始められそうに見えますが、
すぐにシビアな世界になるような気がします。

cozyharada at 23:19|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

近日公表

《コミュニケーション講座》
〜言語表現力トレーニング〜


【日時】 2017年6月25日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は8月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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