コミュニケーション

2019年01月21日

テストを受けました

先日、後期分のロシア語講座が終わりました。

慶応大学の公開講座を取っていたんですが、
こちらは一般的な公開講座や語学学校の進度と比べると
圧倒的に早く展開していきます。

かなり詰め込みなんです。

大学付属の講座ですから、前期後期に分かれた90分の授業で
各期が13回からなる、という普通の大学の授業と同じ形式。

で、レベル分けみたいのもあって、そちらも大雑把です。
初級、中級、上級ぐらい。

各レベルを1年で終える想定になっているらしいです。

90分を13回×2期ですから、一年の間のたった40時間弱で
各レベルが終了してしまうことになります。

どんな言語でも120時間で上級レベルに行くのは大変でしょう。

となると前提として自習が含まれている、と。
あくまで必要項目だけを情報提供するのが講座の役割で
習得のためのトレーニングは自分でしてください、
と言わんばかりの講座になっているわけです。

しかもロシア語は文法的にかなり複雑なので
説明を聞くことと、仕組みを覚えること、
さらにその文法の仕組みを使うのに慣れること、
これらの差は劇的です。

生徒自身が頑張らないといけないスタイルの語学講座なんです。
そこが一般的な語学講座と違います。


そういう早い進行ですと、当然、全員がついてこれるわけではありません。

日頃の復習やトレーニングの量が影響しますし、
人によっては同じレベルを何度もやり直したりするようです。

なので、次のレベルに進むかどうかを決める参考として
こちらの講座では最終日にテストがあるんです。
成績がつきます。

別に落第、ということはありませんが、
先生の側から「この理解度では次のレベルに行くのは厳しい」
という客観的なアドバイスがもらえます。

それを参考に、もう一度同じレベルを取り直すか、
次のレベルに進むか、といった選択をすることになる、と。


僕の今の段階は、中級の半分が終わったところ。
かなり内容は複雑になってきている印象です。

それでも標準のレベル分けからすると、
初級文法がまだもう少し残っているらしいのですが。

ロシア語検定でいくと3級にも受からないレベル。

あと半期やって中級が終わって、それで全部をマスターしたら
3級に受かるぐらいの想定なんだとか。

英検3級が高校入試レベルだそうですから
それと比べたらロシア語検定の3級は随分と難しいはずです。

いったい1級とはどんなレベルなのか…。
まぁ、ロシアといえば文学で有名ですから
1級ぐらいになると読解の文章なんかは
相当に文語的な表現が増えてくるんだろうと想像します。

ともあれ、僕はまだ3級にも届かない初級文法の途中(8割ぐらい?)で
あと半期かけて、学校の設定する「中級」を終える予定となっています。

で、一応のチェック段階として、恒例のテストがあった、という話です。


内容は置いておくとして、一番印象に残ったのは
 どうやら僕はテストが楽しい
ということ。

限られた時間の中で知識を総動員して問題を解く。
プレッシャーのかかったトレーニングになります。

真剣になれますし、チャレンジする面白さもある。

テスト勉強の時期は面倒臭いところはあるんですが、
1つ1つ課題をこなして進めていく感じは
決して嫌なものではありません。

…もちろん、全くできなれば嫌気がさすでしょうけれど。

学生時代はテストに対してネガティブな印象しかありませんでした。
そればっかりの感じでしたし。

ですが、大人になって改めて体験してみると
「普段よりも一生懸命になれる」
非日常的な体験の1つなんだと感じます。

好きではないですが、意外と悪くない。

テストに対してネガティブなイメージを持ってしまっているのは
多くの場合、学生時代の経験のせいでしょう。

そんな体験でもリフレーミングしてみると
その中に含まれた「喜び」の種類を発見できそうです。

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2019年01月15日

単語の覚え方

とりあえず単語を知っていれば
外国語でもコミュニケーションはとれます。

文法は表現方法として言葉の並べ方、加工の仕方の『常識』。

ルールというよりは、皆そうするのが標準、ということで、
標準に近いほど、多くの相手に伝わりやすくなります。

相手も同じような言葉の並べ方をする可能性が高く、
相手の言語的な思考に合わせやすいからです。

文法的にグチャグチャだと、何を表現したいのかが伝わりにくく
相手が理解するために頑張る必要が出てきます。

それでも相手が理解しようとしてくれる限り、
文法が多少おかしくても、なんとか意味は伝わるわけです。

しかし、単語が違っていたら誤解されます。
単語を言わなければ表現できません。

ジェスチャーとかに頼るしかなくなります。


芸能人などが世界各地の集落を訪れて
言葉も知らずに無理やり友達になるようなものがありますが、
あれでコミュニケーションが成立しているのは
ジェスチャーを多用するからでしょう。

そのうえで徐々に単語を覚え、その単語で情報を伝える。

文法を必要としないレベルの意思伝達をしているわけです。

何より、集落側に企画として受け入れ態勢があって
なんとか助けてくれようとしているから、
拙い表現でも分かろうとしてもらえて、
コミュニケーションが成立しているはずです。

語学の先生も、生徒の言うことを分かろうとして聞いてくれる。

しかし実社会では、そうとは限りません。
相手側に分かろうとする必要性がなければ
理解しようと頑張ってはくれないでしょう。

だからこそジェスチャーだけでは足りなくて、
単語を多く知っているほど伝わりやすが上がります。

文法も正確なほうがスムーズでしょうが、
単語と比べると遥かに比重は低くなると思われます。

ちょっと変だけど、何を言いたいかは分かる。
文法が不正確でも、意思伝達としては成立しやすいはずです。

実際、文法が不正確なのは母国語でもあるぐらいですから。

つまり文法は、正確な「表現」をするためのツール、
複雑な考えを明確に伝わりやすくするツールであって、
日常生活レベルで必要な意思伝達をするには
単語を知っていることのほうが重要だ、と。


では、どうやって単語を覚えるか?

僕にとって一番役だったのは、
話の流れの中で単語を覚える形です。

リーディング、リスニングの教材の中で出てきた知らない単語を
単語帳に書き写して、その単語帳を覚える。

僕が英語を集中的にやったときは、並行して
4000語ぐらいの頻出単語リストも暗記しました。

こちらのリストで覚えた単語は、結局
日本語への翻訳でしか記憶していません。

使われ方を覚えておらず、
場面によって変わるニュアンスなどは分かりません。
発音も不正確なので、実際に聞いたときには捉えられない。

それでも一度リストで覚えておくと
「この単語は知っている」という感じにはなります。

それで充分なんだと思います。

頭の中に保存はされている。
ただ思い出せる状態ではない、と。

記憶の第一ステップは保存です。

それを取り出すのが難しいとき、
「覚えていない」と言ってしまうのは勿体ない。

ただ取り出せないんです。
思い出すキッカケが足りないから、
スムーズに引き出されない、というだけです。
意識から遠いとも言えます。

スムーズに引き出すには、引き出すキッカケを増やせば良い。

だから記憶術では、色々な関連づけをさせるんです。
様々なルートで単語の記憶が繋がっていると
色々なキッカケからルートを辿って、その単語まで辿り着けます。

文章の中で出てきた単語を覚えるのが役だったのは
そういう仕組みでしょう。


実際、頻出単語リストで機械的に覚えた単語も
のちのち練習問題の英文のなかに出てきたり
リスニング音源のなかで聞いたりすると、
そこで記憶に定着する傾向がありました。

実例の中で覚えたはずの単語が登場すると
思い出せるものだったとしても、
意味が捉えられるまでに時間がかかるんです。

まして、なかなか思い出せず
「えーっと、なんだっけ?ああ、〇〇だ」
のような思い出され方では、実用レベルではありません。

もちろん中には
「見覚えがあるんだけど何だっけ?…分からない」
というときもあります。

そのときは調べ直して「ああ、そうそう」となります。
このときにも記憶が促進されるようです。

次回は思い出せる確率が上がります。

そうやって思い出しやすくなった状態で、
その単語が含まれる文章を繰り返し読んだり聞いたりすると
徐々に文章全体の意味がスムーズに捉えられるようになります。

このとき、単語は文章の一部として
自動的に意味を処理されていることになります。

ここまできたら、次に同じ単語と出会ったときも
自然と意味が浮かぶ状態になっています。


単語は単体で覚えても分かる・使えるわけではなく
実際の文脈の中で覚えてこそ実用レベルになる、と。

文法がグチャグチャでも、
スムーズに単語が思い出せれて口をついてくれば、
意思伝達はもどかしくないレベルでできるわけです。

そのためには、まず第一歩として
とにかく機械的に単語を暗記するのは効率的です。

この段階はただの保存だけなので、
どんな形でも覚えることが重要です。

単語帳のどこにあった単語かとか、
どの単語の次にあったとか、
そういうレベルの覚え方でも、まずは保存することが先決。

文脈と繋げるのは後からでも構わないわけですし、
何より単語リストを使っている時点で
文脈から切り離されてしまっているのですから、
いずれ文脈との関わりを覚え直す必要はあるんです。

一度暗記した単語を、様々な例文の中で理解する。
一つの単語で複数の例文を作る。

そういう風に繰り返し、違う形で
文章と結びつけるのが効果的でしょう。

例文そのものも脈絡のない一文よりは
何かについての記述の一部として登場する一文のほうが
記憶に残りやすいはずです。

レベルにあった沢山のリーディング、リスニングをやりつつ
登場する単語を片っぱしから暗記して、
その上で何度も復習する、というのが個人的オススメです。

復習の過程で、知っている単語が文脈と結びつき
分かる・使える単語に変わっていくでしょうから。

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2019年01月12日

語学のゴール

外国語を積極的に勉強するようになったのは
2010年の夏だったと記憶しています。

英語を集中的に勉強し始めました。

当時はTOEFLの対策が主な目的でしたから、当然のように
TOEFL対策の講座を探して、そちらで勉強した形です。

TOEICの場合、一般的にはリーディングとリスニングだけで、
スピーキング・ライティングはオプションのテストになってますが、
TOEFLはスピーキング・ライティングも含めた4技能を
一度にテストする形式になっています。

むしろ4技能すべてをテストしないTOEICのような形式のほうが
世界的に見たら珍しいようですが。

TOEFLはリーディング、リスニング、スピーキング、ライティング…と、
4つのセクションで4時間ぐらいかけてテストを行います。

しかもTOEFLの場合、4つのセクションと言いながら
4技能が独立してテストされるわけではないんです。

スピーキングやライティングのセクションの中にも
ある程度の長文を読んだり、講義を聞いたりする時間があって、
読んだり聴いたりして理解した内容を、自分なりに整理しなおして
アウトプットする、という能力が求められます。

純粋な「話す」「書く」の能力だけではなく、
内容を理解する能力や、上手く内容をまとめる能力なども
一緒にテストされているといえます。

これはTOEFLが大学や大学院の入試の基準に使われるからでしょう。
アカデミックな場面に適応できるかを現実的にチェックしてくれるわけです。

なお、TOEFLと並んで広く使われる英語試験にIELTSというのがあって、
こちらのほうが4技能を独立してテストする形式になっています。
(アメリカ以外の地域を視野に入れるとIELTSのほうが主流のようです)

僕はTOEFLから英語の勉強に入った形ですから
4技能の全てをトレーニングする必要がありましたが、
僕は最初、スピーキングとライティングからは逃げていたんです。

TOEFL講座のトライアル授業(=見学)のとき、
たまたまスピーキングの回に参加して、あまりの自分のできなさに
嫌気がさしたところもありました。

適切な言い方をすれば、レベルに合わないと感じたわけです。

なので、まずはリーディングとリスニングから集中的に勉強し始めました。


これは今から振り返ると、なかなか良い戦略だったようです。


当時の講座は8週間で計画されていて、2回目の再受講が可能でした。
つまり、8つ回分を2周受講できる、と。

同じ内容を2回やって意味があるのか?と思われるかもしれませんが
実はこの復習にもなった2回目がかなり効果的だった気がします。

1つには、かなりの部分を忘れている、ということ。

それから2周目になると、それまでの勉強・トレーニングの成果が
実感として感じられるようになっていること。

2周目で間違えたところで、弱点をハッキリさせられること。

こういった理由から、再受講はかなり役立ちました。

この一周目の8回の間、リーディング一回とリスニング一回、
週に二回、講座に通いながら、ひたすら単語を覚えました。

そもそも読めない、聞き取れない、の最大の理由が
単語を知らないからだったわけです。

幸い、僕は学生時代に、かなりの量の読解を練習していたので
文法的な部分や、文の構造の理解、論理展開の把握などは
それなりにトレーニングされていたようです。

なのでリーディングで苦労したのは、とにかく単語が分からないこと。
それから読むのに時間がかかること、でした。

ですから、とにかく出てきた単語は全部覚えて、
そのほかにも課題として与えられた頻出単語のリストを
簡単なほうから順番に覚えていきました。

毎日7,8時間、英語に費やしていたと思います。
単語の暗記と、読解の復習と、聞き取りのトレーニングと。

リスニングセクションについても、
単語が分かると聞ける部分が増えてきます。

しかし、実際の発話の中で、どのように単語の発音のされ方が変わるのか、
弱くなったり、速くなったり、他の単語とくっついたり…
そういう部分が分かっていないと、意味が分かる前に
どの単語を言っているのかを捉えられません。

そのためのトレーニングとして、ひたすらディクテーションをやりました。
それが課題だったんですが。

問題文のCDを聴いて、全文を書き出す、という作業。

これを授業中にも、ひたすらトレーニングさせられました。
そして、このトレーニングで、徐々に聞けるようになっていくのが
実感として得られたんです。

講座も2周目ともなると、実力がついているのが感じられました。

そうやって、とにかく単語力をつけて、
高度な文章でも、読んだり聴いたりして理解できる土台を作ったわけです。

まず1周目の2か月間は、単語と復習と、ディクテーションとを
ひたすらやり続けました。


2周目に入るころには、同じ教材でのディクテーションは
もうトレーニングとしてやりにくくなっていますから、
別の教材を使って練習をする必要がありました。

自分で教材を買って、同様のトレーニングを続けたわけです。

同時に、トレーニングの比率を少し変えました。

単語を覚えるのも、主要なものは頭に入ってきていたので
スピーキングとライティングに取りかかり始めたんです。

このときから、いわゆる英会話学校に通い始めます。

ですが、最初は全く言葉が出てきませんでした。
聞けばわかる単語、読めばわかる単語も出てこないし、
調べたらすぐに「ああ、こんな簡単な単語なのに…」というのも
アウトプットの段階だと出てこないことばかりだったんです。

ここからは、ひたすら地味に発話のトレーニングを続ける日々。
といっても話す機会は英会話教室ぐらいしかありませんから
なかなかスピーキングは伸びなかった記憶があります。

とにかく、もどかしい思いばかりをしていました。

なぜそんなにも、もどかしさが強かったのか?
それは「言いたいこと」が頭に浮かんでくるのに
そのことを英語で表現できなかったからです。

まず単語が出てこない。

名詞や形容詞、副詞の場合は、一単語そのもので思い出せませんでした。
動詞の場合だと、日本語で一単語のものでも、英語では
前置詞や名詞との組み合わせからなる数単語の表現になったりして、
思い出せないことも、知らないことも両方ありました。

なので、アウトプットの典型的な形として
口に出せるフレーズを用意しておく必要が出てきました。

そのために役立ったのが、ライティングです。

英会話教室で、たまにライティングの宿題が出たんです。
書く作業であれば、辞書を使いながら時間をかけることができます。

表現したくても言葉が出てこないとき、
会話では時間がなくて調べられなくても、
書くときには自分で1つ1つを調べることができる。

なので表現したいけど言葉が見つからないタイミングで
コツコツと辞書を使って見つけていくことができたんです。

こういう作業をすると、よく使う言い回しなどは
毎回調べなくても、自然と覚えて書けるようになっていきました。
アウトプットできるボキャブラリーが増えていったわけです。


このアウトプット可能なボキャブラリーのことを
「アクティブ・ボキャブラリー」と呼んだりします。

逆に、インプットとして読んだり、聞いたりして理解はできるけど
書く・話すというアウトプットができない種類のボキャブラリーが
「パッシブ・ボキャブラリー」。

一般的に、アクティブ・ボキャブラリーのほうが少ないんです。
これは母国語でもそうです。
聴けば分かる、読めば分かるけれど、自分では使えない言葉がある、と。

僕の英語学習の場合、そもそもが英語論文を読んだりしていて
パッシブ・ボキャブラリーのほうが多かったわけです。

一方で、英会話はほとんどやっていなかったので
発話可能なアクティブ・ボキャブラリーは非常に少なかった。

そこへさらに、TOEFLのリーディング・ライティングに対応するため
一気にパッシブ・ボキャブラリーの量を増やしました。
アクティブ・ボキャブラリーとの差が大きくなったわけです。

知っているのに出てこない。
その感じは「なんで、この単語が出てこないんだろう」のように
もどかしさを強める一因にはなっていました。

が、その一方で
パッシブ・ボキャブラリーをアクティブにするだけのことではあるので、
ライティングを通じて時間をかけたアウトプットを繰り返すだけで
徐々にアクティブ・ボキャブラリーの量が増えていって
話すほうでも言葉が出てくるようにはなっていきました。

ですから書くトレーニングをするのは、スピーキングの土台作りとして
かなり大きな効果を持っていると思われます。

実際、僕は今、フランス語でも
 一度書いた内容を話して報告して、それについて意見交換をする
という流れでスピーキングのトレーニングをしています。

このやり方は効果が実感できるものです。
負荷がかかりますが、その分、
アクティブ・ボキャブラリーを着実に増やしていくことができます。


こうしたボキャブラリーの問題は、語学において
非常に重要な側面の1つです。

もう1つは運用力の側面。

運用力のほうは、ボキャブラリーがなくても
慣れだけで対応できるものです。
知っている言葉を、どれだけスムーズにアウトプットできるか?
それだけの話。

運用力については、小学生ぐらいを想像すると分かりやすいと思います。
小学生でも母国語の運用力は高いものです。
いわゆるペラペラに話せる状態。

日本人の小学生は日本語ペラペラですし、
アメリカ人の小学生は英語ペラペラです。

アクティブ・ボキャブラリーの比率が高いうえに、
それを組み合わせる作業がスムーズだということです。

ただし、このことと話の内容とは関係がありません。

運用力が高くても、複雑な考えを言葉にして説明できるわけではなく、
また抽象度の高い概念を言葉で扱えるわけでもない。

パッシブ・ボキャブラリーそのものが少なければ
知らない単語も多くて、大人の話は分からない可能性もあります。

僕は中学生のころ、テレビのニュースで政治の話になると
政治家が何を話しているのか全く理解できないことがありました。
こういうのは、考えの複雑さとパッシブ・ボキャブラリーの量が
話の内容に追いついてない例です。

ですから、運用力が高ければ「ペラペラ」の状態にはなるけれど
それは複雑な内容の話ができるかどうかとは関係がない、といえます。

ここが大人になってからの外国語学習が厄介なポイントでしょう。

大人はすでに、母国語で複雑なやり取りをしているんです。
母国語におけるパッシブ・ボキャブラリーの量が非常に多く、
それに伴ってアクティブ・ボキャブラリーも多い。

その沢山あるアクティブ・ボキャブラリーを使いこなせる運用力もあって
複雑な考えを言葉に変換できるようになっているわけです。

こういう複雑な思考が日本語として頭に浮かんでくる。
これを英語に変換しようとすると…。
どう表現していいか分からない、という事態になります。

アクティブ・ボキャブラリーの量の差が
日本語と英語で激しいので、「言葉が見つからない」もどかしさが
非常に大きなものとして出てきてしまいます。

逆に子供のころであれば、そもそも
日本語でのアクティブ・ボキャブラリーが少ないですし、
考えとして浮かんでくる内容もシンプルなものになっています。

論理展開や文章構造としても複雑ではない。

だから、とにかく日本語に対応する英語を覚えて
それをアウトプット可能な状態にさえすれば
かなり早く高い運用力を身につけられます。

ペラペラになるのが速いんです。


こうした思考内容の複雑さとボキャブラリーの量は、
日本語で見ても違いは表れているはずです。

例えば、友達とご飯を食べに行ったとします。

「この前、友達と表参道へランチに行ったんだけど
 すっごい良かったんだよねー。
 ご飯もおいしいし、良い人が多かったし、全部いい感じだった。
 もう最高って感じ。」

…と、こういう内容がスムーズに出てきたら、
日本語はペラペラだとは言えます。

ただ、内容の複雑さを考えると、同じようなことでも
次のような感じに話す人もいるわけです。

「3日前に、前の職場の同僚と表参道の駅前でバッタリ会って
 そのまま一緒に近くのカフェにランチに行ったんだ。
 たまたま近くにあったから入っただけで
 別に有名な店ってわけじゃないと思うんだけど、
 店の内装もヨーロッパ風のレトロな感じで、
 食器とかテーブルとかまで全体の雰囲気を合わせていて
 まるで本当に近代のヨーロッパにタイムスリップしたみたいで…。
 ご飯も食材からコダワリがあって、わざわざ現地から輸入したもので、
 スタッフのサービスも心がこもった感じで丁寧で…。
 昔の同僚と久しぶりに会えたことも嬉しかったけど
 その時間を店のおかげでもっと充実させられた感じがして
 すごく良いお店と出会えたのも嬉しかった。」

…となると、詳しさが違うだけとも言えますが
説明のために必要なボキャブラリーの数も
説明したい考えの複雑さも、随分と違いがあるはずです。

大人になってから語学を始めると、後者のパターンのように
複雑な考えが頭に浮かんできて、それを英語に変換できず
もどかしい思いをすることになる…というのが多いようです。


ですから、どちらのパターンの”ペラペラ”を目指すかを
設定してから習得に取り組む必要があります。

それによって取り組み方が変わってきますから。

僕は後のパターン、つまり
複雑な思考を複雑な英語にするほうを目指しました。

そのために、ひたすらボキャブラリーを増やし
それをライティングでアクティブにして
スピーキングの練習で運用力をつけていく。

そんな流れです。
が、これは労力と時間を要します。

同時に、自分の中にすでに備わっている複雑な思考を
そのまま英語でも言語化できるようにする、というゴールのためには
いたって効率的な取り組み方だったと、今にして思います。


それに対して、もう一方のパターン、シンプルな言葉で表現するほうは
シンプルな思考をシンプルな英語にするだけなので習得は早い。

ポイントは、日本語で複雑に考えられるようになった思考の内容を
一度シンプルな言い回しに変換する作業です。

この「簡単な日本語で表現する」訓練をすると
比較的短期間で”ペラペラ”にはなれます。

世の中にはこちらのスタンスで英語を教えている人もいます。

また多言語を習得している人の多くも、決して全ての言語を
母国語レベルの複雑な思考ができるところまでは磨いておらず、
流暢にコミュニケーションができるけれど内容はシンプル
…という前者のタイプのペラペラにしているようです。

しかも、このシンプルな内容で話すトレーニングを一回終えると
そのシンプルな表現方法のパターンを、様々な言語に置き換えるだけで
複数の言語で”ペラペラ”になることができます。

短期間で外国語を”身に着け”、ネイティブと流暢に会話できるようになる
という目的には、理にかなった方法だといえます。

ただし、会話や読解の最中に、分からない表現が多く出てきますから
それをその都度、質問して教えてもらって対話を成立させる必要はあります。

日常的な運用には困らないけれど、
ビジネスや学問にまで応用するとなると困難。
そういう段階を目指すスタンスでしょう。


どのぐらいのレベルで外国語を使えるようになりたいのか。

そういう趣旨での目標設定が重要だという話です。

「英語を使えるようになったら、どんないいことがあるか?」
「英語を使って何をしたいのか?」
というメリットの観点からヤル気を高めるためにではなく、
『どういう勉強法、トレーニングをすることになるか』
を決めるためにこそ、習得のゴールが重要になるわけです。

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2019年01月08日

やっと動けるようになりました

体調不良が長引きました。

まだ少し声の調子は戻りきっていませんが、
ようやくジムに行けるぐらいにはなった感じです。

寝込んでいると筋肉やら筋膜やらも固まってきますし
体中が凝ったような状態になってもいました。

全身がくすんだようなイメージ。

体調が戻ったとはいえ、どれぐらい動いていいのかも分かりませんから
安全を考慮して、あまり負荷をかけずにジムに行くことにしました。

エアロバイクをいつもより長く、ゆっくり目にやる感じ。

全身の血行が悪くなっていたんでしょう。
有酸素運動は効果があったようです。

全身がグッタリとして、体の中がくすんだような状態は
スッキリとリフレッシュされたように感じます。

なんだか体の内側の通りがよくなった印象です。

これでようやく一年が2019年が始動したような気がします。

…実際には体調が戻りつつある中、デスクワーク的なお手伝いが続き
そのときに具合の悪さが戻ってしまったような印象もあるんですが。
集まっていた皆が風邪でゴホゴホしていましたし。

それも終わって、これから少しずつ動き始めます。

まずは打ち合わせ、それから週末の札幌出張です。

細々と予定が入って、語学がスムーズに行かなそうな現状もありますが
併せてチョットずつ進めていこうかと考えています。

とりあえず、あと2か月ぐらいはスマホアプリでもロシア語を続け、
そのあとはアプリでスペイン語に移行するつもり。

なんでも英語が話せれば、スペイン語は
それなりに早く身につくらしいですから。

時間の割り振りがカギになりそうなので
ボチボチとやっていこうかと思います。

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2018年12月30日

一年間お世話になりました

2018年も終わりになりました。

今年はまんまと体調を崩し、3日間寝込んでいました。
実家に帰る予定も変更して。

咳と鼻水が止まらない状態が続き、
喉の痛みから歯茎に痛みが広がるような症状でした。

喉の状態が一向に良くならないので、
全身で苦痛をシェアする感じにしたら
熱が出始め、身体のあちこちが痛み始めました。

その分、喉は比較的早く楽になりましたが、
熱が引くのに3日かかってしまった感じです。

寝込むといっても寝続けることはできませんから
ときおり寝転がったまま瞑想をしたり、ワークをしたり。

寝たままだと身体が固まってくるので座禅をしたり。

とにかく部屋の中で一人、静かに過ごし続ける日々。

体が弱っていると、買い物に外へ出かけても
他人から受ける影響が強まります。

人がいなくても年末特有の空気感は溢れていますし
慌ただしくしている人や酔っ払いは遠くからでも見てとれます。

とりわけ、その人の中に溜まっている感情が意識に上がりやすく…。
一人になって電気を消して、とにかく刺激を遮断するのが
何よりも重要なようでした。


三連休あたりからバタバタしたのも体力的には関係しそうです。

ですが、疲労が溜まっていたの以上に、
ストレスを受けていたのが大きいようでした。

とりわけ年末にストレスの強い人を何人かお手伝いしたのは大きそう。

言いたくても言えない怒りを抱えた人からは
喉のつまりと胸の奥の悲しみが感じられました。

思い通りにならない不満を我慢しながら、行動力を駆使して
力づくで道を切り開こうとする人からは
肩肘はって耐え続けた負荷の大きさが感じられました。

「何もしないで起こることをただ起こさせる」瞑想をしていると
身体の姿勢や強張りに伴った思考が浮かんできます。

その人たちの姿勢と感情と、その人たちのイメージがセットで浮かぶ…
ということは、気づかないうちに自然とペーシングをして
自分の身体の中に取り入れてしまっていたものが残っていた、
と想像されます。

受け取れる情報が増えるほど、
相手に合わせた対応がしやすくなる気がする反面、
1つの身体では処理しきれなくなっていくようにも思えます。

吸い込んで溜め込んだ分をリセットする必要があるんでしょう。
処理しきれずに蓄積し続けたストレスが
一気に出てしまったような、そんな年末になりました。

整体でメンテナンスしてもらうようになって健康度が上がり、
ジムに行くようになって体力がついて、
乗り切りやすくなってきていたように思っていたんですが。

心身がスムーズに機能するようになるほど、
周りから受け取る負荷の量も大きくなるものなのかもしれません。

むしろ体の処理量を超えてくるというか。

ユングが集合意識と呼んでいたヤツについても、
以前は頭でしか理解していなかったのが
最近は体感的に納得できるようにもなってきた気がします。

影響を受けているというよりも、その中の一部として
歪みが強く表れているとでも言った方が近いような感じさえ…。


ともあれ、今年は対処しきれない負荷が溜まってしまっていた
ということは言えそうです。

多くの人にお世話になった一年でしたが、
何よりも僕がお世話になったのは
この身体なのかもしれません。

来年はもう少し、ケアの方法も工夫してみようと思います。

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2018年12月24日

帳尻合わせ

例年、12月も終わりに近づくと、セミナーの予定が減ってきて
ゆったりとした過ごし方になっていたんですが、
今年は何やら、バタバタしています。

セミナーもさることながら、色々とお手伝いをしたのもありそうです。

いずれにしても睡眠が十分にとれなかったり、
集中力が必要な作業が続いたりすると負荷がかかってくるんでしょう。

ここ最近は、定期的に整体でメンテナンスしてもらっているおかげと、
去年ぐらいからジムに行き始めたこともあって
風邪を引くことも少なくなってきていた印象がありました。

が、今年はチョット具合がよろしくありません。

最後の追い込みで無理をかけた分、一気に気が抜けたような
そんな体調の悪さが起きています。


それ以上に、近頃は疲れやすくなっている気がするのも引っかかるところ。

体力はついていると思うんです。
それは自信があります。

出がけの慌てているときとか、ちょっと走ったりしても
かなり肉体的には余裕があります。

心肺機能としても足腰としても、かなり頑丈になった印象です。

一方、セミナー一日分の疲労とか
打ち合わせで話し合うときの疲労とか、
他人にペーシングするときの負荷が上がっているようなんです。

肩と首と背中がゴキゴキに固まります。
場合によっては足や腰にも出ます。

混雑した電車の疲労感も上がっていますし、
人が後ろに立っているときの居心地の悪さも
どんな人の近くにいるかで随分と異なっています。

後ろと歩かれると道を開けたり、道順を変えたり
走って逃げたり、意外と面倒臭い対応をしているんです。

臭いに対する感度も気がかりですし、
光が眩しいのとか、人の話し声や騒音から離れようとして
街中や電車の中で居場所を変えるというのも頻繁。

もしかすると、自宅近所で家の建て替えが続いていて
その騒音で熟睡できていないのもあるかもしれません。


冬眠するように静かに休む必要がありそうです。

外から入ってくるものに「弱くなっている」とは
言うつもりはありませんが、
「影響を受けやすくなって」はいるんでしょう。

受けた影響を出すための取り組みが
ますます重要になってきている印象です。

何かリフレッシュになることができたらいいんですが。

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2018年12月20日

伝える技術の重要性

12月23日の講座は、コミュニケーションのトレーニングにおいて
これまで見過ごされてきた部分を扱うことになります。

日本文化は、受け取り手の「汲み取る能力」を評価することが多く
「伝わらない」「分からない」ことがあった場合には、
受け取る側の理解力や「空気を読む」力が足りないと見なされがちです。

学校でもスポーツの世界でも、できないことを叱られたり
ミスをしたことで怒られたりするのを頻繁に耳にします。

学校で成績が悪かったら、生徒の勉強不足が問題だと非難されるんです。
分かるように教えられない先生の問題ではなく。

アメリカの大学だと教授に対しての評価をアンケートにとって
教え方や態度について生徒側から判断されるシステムがあります。

分かるように教えられない先生が問題として学校に扱われるわけです。

西洋文化では「伝える」側の責任が大きいんです。


その一方で、受け取る側が理解できなかったときには
遠慮なく分かるまで質問して聞き返す、という文化もあるようです。

分からないのは説明不足だ、という発想がある。
分かるように伝えられなかったら、分かるまで説明する責任があるため
質問に答えながら説明を工夫する、と。

そこには前提として
「相手の考えは分からない」
「言わなきゃ分からない」
「聞くことで分かり合いたい」
といった考えがあります。

個人をそれぞれ異なった存在として捉えていて
違いがあることを前提としているわけです。

そして違うからこそ、違いを埋めるために
丁寧に情報を言葉にして伝えることを重んじる。
そういう文化です。

逆に日本は、皆がある程度、共通したものを持っている前提です。
「ハイコンテクスト」なんて言われ方もしますが。

言わなくても共有されていることが多い。
輪の中で、いかに調和して、いかに全体に溶け込むか。
輪から弾き出されることが致命的だった背景があるのかもしれません。

全体に合わせるために、周りをよく見て
暗黙のルールに従って調和を崩さないようにする。
そこに「空気を読む」能力が如実に表れます。

全員が共通した土台を持って、常に異変を察知できるようにしておく。
そして言葉で伝えていなくても、配慮して対応しようとする。

一人だけトラブルがあったとき、それを声高に説明するのは
全体から外れてしまうことにもなりかねません。
迷惑をかけないように、と我慢する傾向とも繋がりそうです。

だからこそ、気持ちを汲み取り、配慮してサポートしてくれるのが
優しさとして捉えられやすいのでしょう。

西洋文化だったら自ら主張して、それを理解してもらう。
困ったときにカウンセリングに行くのが文化として定着しているのも
「説明して分かってもらう」という背景が関係するかもしれません。


ですから日本では
「相手に分かりやすく説明する」という技術が
あまりトレーニングされないようです。

むしろ国語のテスト問題なんて、
いかに著者の考えを汲み取るかのほうに重点が置かれます。

世間一般の人と同じような汲み取り方ができるように
行間を読む練習を、高校入試でもやっているといえます。

相手の考えを汲み取って対応できるのが重要だ、と。

当然、社会に出ても、OJTと称して、結局は
周りを見て、空気を読んで、求められていることをやる
という職場への適応の能力が必要になります。

これをやると怒られる。
これをやったらダメらしい。
こうするとスムーズに行く。

…そんなことを汲み取り続けて、
自分のやり方を見つけていくんです。

ですから優秀な社員というのは、
「言わなくてもやってくれる」人になりがちで、
自分で工夫して勝手に成長していく人が評価される。
そんな傾向が見受けられます。

伝える技術をトレーニングしていないから
育てる部分が上手くいきにくいのではないでしょうか。

その意味で、コーチングの技術は部下育成の観点から
組織内のコミュニケーションに取り入れられやすかったようです。

が、同時に聞こえてくる意見として
「コーチングの前にティーチングが必要な段階がある」
というものもあります。

何も知らなかったら、自分で判断することさえ困難です。

不可能ではありませんが、トライアル・アンド・エラーに
ものすごく長い時間を必要とします。

効率的に土台を身につけるなら、ティーチングのほうが望ましい。

では、ティーチングの技術があるのか?

ここにポイントがあるわけです。

小学校のときから教える側の責任が問われていなかった社会です。
教わる側が自ら理解する責任が求められていました。

教える、指導する、というのを
効果的にやっている人と出会う確率が物凄く低いんです。

なのでティーチングをしようとしたときにも、やはり
教え方の技術よりも、相手の理解力のほうに責任が向きやすい。
「物分かりの悪い奴だ」と。

ほとんどの人が「教える」という
伝える側のコミュニケーションを工夫してきていないからこそ
そこに技術として大きく改善できる余地があるわけです。

未開の地です。
フロンティアです。

やりがいのある部分だと思います。

そういう意味でも、有意義なターニングポイントになりそうです。

cozyharada at 23:23|Permalinkclip!

2018年12月17日

オシャレのために

外来語を使うとオシャレになる、という日本文化は
これだけ外国人観光客が増えている昨今でも根強いようです。

例えば、スターバックスの商品名なんて
不思議なカタカナ語の羅列になっていたり。
英語とフランス語が混ざって使われていることもありました。

まぁ、そもそもアメリカのスターバックスでも、
サイズ表記はShort, Tall, Grande, Venti, Trentaとなっていて、
Grande以降の大きいサイズはイタリア語になっています。

(Grandeは「大きい」、Ventiは「20」、Trentaは「30」。
 Ventiサイズは、20オンスなので約570mlという意味のようです。)

外国語がカッコイイと思うのは、
日本に限ったことではないのかもしれません。


ですが、外国語がカッコイイとしても、それは自国の人にとっての話。
日本人にとっての英語、アメリカ人にとってのイタリア語は
外国語だからカッコよく映るんでしょう。

外国語が使われているけれど、その表記を目にする対象は
主に現地の人であって、外国人ではないわけです。

一方、最近は外国人観光客や海外からの移住者が増えていることもあって
街中に外国語表記の看板や注意書きが増えてきています。

新大久保駅構内のアナウンスは、十か国語以上で流れていますし、
モノレールのアナウンスや電光掲示板は、
日本語、中国語、韓国語、英語の4か国語で表されています。

最近は、小田急線の車掌が英語アナウンスを自力でやっていて、
これなんかは、かなり勉強した形跡が認められるものです。

新幹線は以前から上品なオーストラリア英語のアナウンスがありましたが
この頃は車掌や乗務員が肉声のカタカナ英語で、
わざわざ毎回決まったアナウンスを読み上げています。

ホテルには当然のように英語表記の注意書きが多いですし、
飲食店などでもトイレに英語の注意書きが増えてきた気がします。

こういうのは日本人のためのオシャレな外国語ではなく、
外国人のために書かれた内容のはず。

だったら、ちゃんと、その言語が分かる人に依頼するとか
少なくともネイティブにチェックしてもらうとか、
それぐらいの工夫はしても良さそうなものです。

ところが実態は…。
結構、「なんじゃこりゃ」みたいのも多いようです。


先日、打ち合わせで
地下鉄の四ツ谷駅出口の近くにあるカフェを利用しました。

店の名前は東京メトロなので、「Marche de Metro」。

Marcheはフランス語で市場、マーケットのことです。
その店はカフェだけではなく、フードコートになっていて
多くの種類の飲食店が集まっていますから、Marcheにしたんでしょう。

フランス語にしたのは、オシャレの要素ということで
これもよくある範囲だと思います。

「Metro」の部分は、フランス語だと「Metro」という綴りですが、
まあ、東京メトロは英語表記が「Tokyo Metro」らしいので
固有名詞の一部としての「Metro」を使っていると考えれば
「Marche de Metro」ではなく「Marche de Metro」なのは問題なさそうです。
(フランス語話者が見たら気になると思いますけど)

で、その店はフードコート形式なので
座席は利用者が自由に選んで座る仕組みになっています。

かといってセルフサービスではないので、
食べ終わった食器はテーブルの上に残していくルール。

なので、食べ終わってもう帰ったのか、
一時的に席を離れているだけでまだ途中なのか、
を示す必要があるようです。

その意思表示をするためのカードがありました。
それがこちら。

Marche de metro



















上から、英語、日本語、フランス語で書かれています。

内容に全く統一感がありません。
が、英語だけ分かる人、日本語だけ分かる人にとっては
問題なく意味を汲み取れる表記にはなっていると思われます。

英語のほうは
「この面を上にしてあったら、私どもでテーブルを片づけます」
といった感じの意味。

お客さんが読んで、
「ああ、この店は食器をそのまま置いていって構わないけれど
 このカードを使って食事が終わったことを示す必要があるんだな」
というルールは伝わるでしょう。

文章の主体は、店側になっています。
店側からお客さん側にアナウンスをしている形。


一方、日本語は「食器を下げてください」と
お客さん側の状態を代弁するメッセージになっています。

日本人であれば、これを読めば
「自分が食事を終えたときに、このカードを使って
 終わったという状態を伝えてあげる必要があるらしい」
と汲み取れます。

自分の状態に合ったほうの面を選んでテーブルに置いておく。
そういうルールが伝わる表記でしょう。


ところが一番下のフランス語は…。

「Debarassez pas la table, s'il vous plait. J'ai finis mon repas.」
とあります。

まずフランス語表記としてエラーがあります。
フランス語だと
「Debarassez pas la table, s'il vous plait. J'ai fini mon repas.」
のはずです。

アクセント記号が足りないのと、
「fini」が「finis」になってしまっているのが間違い。

アクセント記号については、このカードを作った人のパソコンで
記号つきのアルファベットを出せなかった可能性がありますから
まぁ、目をつぶることはできるでしょう。

「fini」と「finis」は、どちらも不定形が「finir」ですが
文法上、かなり使われ方が異なります。

「fini」は過去分詞、「finis」は一人称現在形。
「J'ai fini」で「私は終わりました」という過去形になります。
「Je finis」だと「私は終えます」という現在形。

ここは混ぜてはいけないところ。

それでもまだ、タイピングミスとかの可能性はあります。

ですが、文章全体の意味を考えると、これは明らかに問題です。

一文目
「Debarassez pas la table, s'il vous plait.」
は、
「テーブルを片付けないでください」
という意味です。

ここまでだと、誰から誰に対してのメッセージなのかも分かりません。

店側からお客さんへのメッセージだとすると
「テーブルはそのままにしていってください」
とお願いしている、ルール説明だと受け取れます。

英語と日本語の意味から考えると、この解釈になりそうです。

にもかかわらず次の文、
「J'ai fini mon repas.」
は、
「私は食事を終えました。」
という意味です。

主語は私という単数形ですから、店側ではありません。
食事を終えるのもお客さん側の立場。

となると、この2文は
お客さん側の状態を代弁する形式だといえそうです。

日本語表記のスタンスと同じ、英語表記とは逆だ、と。

そうすると2つを組み合わせたときの意味、
「テーブルを片付けないでください。私は食事を終えました。」
は、
なんだか意味がよく分かりません。

「テーブルを片づけてください。私は食事を終えました。」
だったら、
お客さん側の状態を代弁する意思表示のカードなんだと伝わりそうです。

逆に
「食べ終わってもテーブルはそのままにしておいてください。
 私たちで片づけます。」
というメッセージなら、店側からお客さんへのルール説明として伝わります。

そのどちらでもないわけです。

元のメッセージをできるだけ残すとしたら、
「テーブルを片づけてください。私は食事を終えました。」
のほうになるでしょう。

おそらく「片づけてください」を
「片づけないでください」と書き間違えたと想像できます。

本来は
「Debarassez la table, s'il vous plait. J'ai fini mon repas.」
にしたかったんだと思います。

否定文と肯定文の間違えは、意味が真逆になりますから
かなり大きなミスではないかと…。

誰にもチェックを依頼していないんでしょうね。


そう考えると、
一見したらお客さんのための注意事項のようなカードも
その実態にはオシャレ目的の内容が含まれている、
ということなのかもしれません。

本当に注意書きとして店のルールを伝える目的なのだとしたら
オシャレ要素のために情報を混乱させるのは避けた方が無難かもしれません。

そもそも最後のフランス語の文章がいらない。

日本に来ているフランス語話者でも英語を分かる人は多いでしょうから
英語とフランス語の2つを見たときに、
わざわざ余計な混乱をさせるだけになってしまいます。

英語だけだったら、最初からそちらしか読もうとしないはずなので
むしろ逆効果とも言えそうな気がします。

日本人の立場に置き換えてみると、
ハリウッド映画に出てくる”日本人街”に
ちょっとおかしな日本語が書かれているのを見たときのような感じ。

あるいは変な意味の日本語のタトゥーを見たときとか。

突っ込みたくなるとか、気恥ずかしくなって目を背けてしまうとか。

そんな気持ちにさせている可能性があります。

オシャレのための外国語と、
情報伝達のための外国語とは、
目的が異なります。

情報伝達を目的とするなら、それなりのチェックをするほうが
目的に沿っていると言えるんじゃないでしょうか。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!

2018年12月11日

『ヤル気を削がない』コミュニケーション

他人をヤル気にさせたい人って、多いようです。

上司が部下をヤル気にさせるとか、
親が子供をやる気にさせるとか。

簡単にヤル気が上がる「ヤル気スイッチ」のようなものを
期待することも少なくないように見受けられます。

ヤル気の上げ方や、モチベーションの理論など
心理学やマネジメントの分野でも注目される分野のようですし。


僕が思うのは、
 いずれも前提がズレているんじゃないか
ということです。

「どうすればヤル気(モチベーション)が上がるか?」
と問うのは、
そもそも「人はヤル気がない状態が通常」という前提を含みます。

ヤル気が上がらないと、やらない。

あるいは少なくとも
「ヤル気が上がらないと、自分が期待した通りには
 他人が行動してくれない」
という発想を含むはずです。

むしろ逆なんじゃないでしょうか。


つまり、人は放っておけばヤル気は出す。
人は何かをする性質を基本的に持っている、と。

誰かに関わって、その人のヤル気に影響を与えるのは
むしろ『ヤル気を下げる』側のコミュニケーションかもしれません。


ある作業に対して「ヤル気がない」ように見えるのは
そのこと以外のことにヤル気が向いているから。

もしくは全てのことにヤル気がない状態だから。
…こちらは心身が疲れていますから休息が必要なタイミング。

休みが必要ではないのに、特定のことにヤル気が出ていないとすると
それ以外のことに気持ちが向いている、と考えられます。
優先順位が低いんです。

本人の中で優先順位を上げる理由が把握できていない可能性があります。
だとすると理由が伝わっていないわけです。
伝え方の問題が考えられます。


あるいは優先順位の高さが分かっていても
期待するような行動にならないこともある。

スピードが遅いとか、質が足りないとか、自主性がないとか。

このレベルの話だと、本人がやり方を熟知していない懸念があります。
上手くない。
やり方がよく分かっていない。

求められることのレベルを把握していないか
そのレベルが必要な理由が分かっていないか
そのレベルのパフォーマンスを出す技量が足りないか。

だとすると、これはヤル気の問題ではないんです。
やっているんですから。

やり方、パフォーマンスが期待に沿わないだけ。

この場合は、話し合いが求められます。
本人の中に困っているところがあるはずです。

もし困っていないとすると、困らせることが上手くいっていません。

求められる基準があって、そこに達していない。
そして「求められることがあるなら、やらなければいけない」
とは本人も理解はしている。

だとしたら少なからず本人が困っているでしょう。
勉強のヤル気がでない子供なんかは、このケースが多いかもしれません。

何が分かっていて、何が分かっていないのか?
何が分からないのかも分かっていないのか?
何が上手くできないのか?
喜びが分かっていないのか?

そのあたりのことを話し合って共有できれば、
かなり具体的な指導が可能になります。

この段階だと教育・指導が求められるわけです。

ヤル気がないから、やらないんじゃない。
できないから、やらない。

だから、できるようになるサポートが先決です。


そして、上手にできるようになると、一般的には
そこに上達する喜びや、自主的に工夫する喜びが生まれます。

できるようになると、それなりに楽しさが出てくるわけです。

そうすると今度は、
ヤル気を削ぐコミュニケーションが課題になりがちです。

せっかく頑張ったのに頭ごなしに否定されるとか、
自主性を発揮したのに非難されるとか、
頑張っている部分を認めてもらえないとか、
数少ないミスだけを怒られるとか、
その作業以外の部分として、人間関係にストレスが強いとか。

こうなってくると不満が増えます。
以前のようなパフォーマンスが出なくなったり、
それ以上の努力をしようとしなくなったり。

結果は出しているのに、態度が悪くて、職場の雰囲気を壊す…
なんていうときは、ヤル気を削いでいる可能性がありそうです。

こうした範囲は、関わり方の工夫で対処する必要があります。


ポイントは、
 どのレベルで「行動」に繋がっていないのかを判断する
ということでしょう。

「ヤル気」とは、行動の原動力です。

「ヤル気がない」と評価するときには、
その人の行動を元にしているはずです。

本当にヤル気が全く無いとしたら、そこに行きません。
学校にも、会社にも行かない。

来ているということは、ある程度の必要性は理解しているということ。
その先に繋がっていないのが現状だと考えられます。

まずは「分かってもらう」ように伝えられるか。
それから、「できる」ように指導できるか。
その後が、「ヤル気を出して頑張ってくれる」ように
関わり方を工夫できるか。

そんなステップを考慮してもいいんじゃないでしょうか。

いずれかをやっていないとすると、それは
 最低限のヤル気を先に繋げていくプロセスを妨げている
可能性がありそうです。

そういう意味で「ヤル気を削いでいる」とも考えられると思うんです。

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2018年12月08日

久しぶりの東北新幹線

札幌にやってきました。
なんとか到着できました。

今までも交通のトラブルは何度もありましたが
それでも大半は帰りの飛行機関係だったんです。

東京から札幌へ向かう分には、何度か遅れたことがあるのと、
一度だけ大幅に飛行機が遅れて空港からタクシーで
札幌市内に移動したことがあるぐらいなものです。

帰りのほうは、終電に間に合わないのは何度もあっても
まぁ大きな問題にはなりません。

当日に帰れなくなって余分に一泊することになったのも2回だけです。

JRの電線にトラックがぶつかったために停電になり
札幌市内から空港まで移動ができなかった、というのが1回。
台風で飛行機が欠航になって札幌待機になったのが1回。

月曜日の仕事があったときも、大きな問題にはなりませんでした。


ですが今回、初めて札幌行きの飛行機が欠航になりました。
空港近辺の雪が強く、除雪が間に合わないという理由でした。

実際には、離陸の様子を見ながら運航遅れを繰り返し
多くの便が札幌にまで来れたようです。

ただ僕が予約していた便は正式に欠航。
前後の便は飛んだのに不思議な話です。

キャンセル待ちやら、不確定な飛行には賭けられないということで
陸路で札幌までやってきました。

とはいえ、札幌までの直行はないですから
東京駅から函館まで新幹線。
あとは主催の方のご厚意で、車で送っていただきました。

空港に到着してから欠航が確定し、東京駅に引き返し
札幌のホテルに着いたのは、羽田空港に着いてから12時間後でした。


長時間の移動は疲労も大きいかと心配していたんですが、
意外と大丈夫そうです。

新幹線は函館まで行くのが2時間に一本しかないのと
冬の金曜夕方の東北新幹線は大混雑らしく、
直行での座席が空いていませんでした。

東北新幹線には自由席がないみたいで
立ち乗りの特急券が用意されているだけ。

直前に辛うじて、途中駅からのグランクラスが1席空いたとのことで
半分ぐらいは座って移動することができました。

ちなみにグランクラスは東海道新幹線にはない座席で
グリーン車よりも広々としてサービスの良いクラスです。

サンドイッチみたいな軽食と、お代わりできる飲み物もついています。
ちょっと豪華な気分で過ごせました。

しかしリクライニングだと今一つ寝られません。

一方、函館に着いてからの車移動は、
いろいろとお気遣いいただいたおかげで多少は寝ることできました。

寝られるかどうかは座席よりも、僕の場合、移動速度が大事みたいです。
電車でもスピードの速い乗り物ほど寝られない傾向があります。

在来線より新幹線、新幹線より飛行機が寝にくい。

加速度でかかる重力は影響はないようです。
なぜか乗り物が速く動いていることを体が感じ取って
意識を活発にしてしまうみたいで。


ということで車の移動は、とても快適に過ごさせていただけました。

高速バスは試したことが少ないですが、苦手かもしれません。

同じ距離を移動するなら、バスよりもタクシーが快適に感じるのは
おそらくプライバシーの問題なんでしょう。

車はその意味で、気持ちが休まるところが大きいんだろうと思います。

移動疲れが心配でしたが、予想よりもずっと大丈夫でした。

「移動が多くて大変ですね」なんて言われることも多いものの
そもそもセミナー自体の疲労感とは比べ物にならないようです。

まとめて振り返ってみると、一人を感じられる度合いが
僕の疲労感と関わっているんだろうと思われます。

国際線のエコノミークラスが疲れるのも、座席うんぬんより
満員電車が疲れるのと似ているんでしょう。

自分が相当に一人の時間を大事にしているんだと実感します。

cozyharada at 09:09|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
育むコミュニケーション


【日時】 
  2018年12月23日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は1月〜2月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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