コミュニケーション

2017年02月17日

Sweet Fruit from the Bitter Tree

異文化間マネジメントとかNGOマネジメント、
国際問題をテーマにしたような人たちと関わる内容の1つに
「 Conflict Resolution 」というのがあるそうです。

日本語にすると「問題解決」とか「紛争解決」などと訳されるみたいです。

「問題解決」というと「 Problem Solving 」と同じになってしまいますから
「紛争解決」のほうが良さそうでもありますが、
必ずしも「紛争」と呼ばれるほど強烈ではないものも対象になりますし、
個人間の対立なんかもテーマになりうるようです。

上手い言葉が見つからないものの、なんとなくのイメージとしては
もめ事、ぶつかり合い、対立関係を仲裁して、
平和的な結論に導くようなものといえるかもしれません。

コミュニケーションや人の気持ちに関する内容ですから
心理学とも関係してくるようで、心理学の雑誌なんかでも扱われたり、
さまざまな理論が提案されていたりもします。


で、最近買った本が、この「 Conflict Resolution 」に関してのものなんです。

といっても理論的なものではなく、
 人間関係のトラブル、特に命の危険が迫るような状況において
 どうやって平和的解決へと導かれたか、
についてのエピソードが集まったもの。

理論をもとに解説することもできたはずですが
あえてエピソードだけを紹介して、読み手に解釈をゆだねる形になっています。

ある程度有名な人の逸話を引用していることもありますし、
著者の身近な人のエピソードをインタビューしたものも含まれています。




著者はマーク・アンドレアス。

NLPの開発において大きな役割を果たしてきた
スティーブ・アンドレアス、コニリー・アンドレアス夫妻の息子です。

前書きによると、卒論を書き終えて時間ができたときに
こういう逸話を集めてみようと考えて取り組み始めたのだとか。

まぁ、出版元のReal People Press はスティーブの会社ですから
書き上がりさえすれば形にするのは大変ではなかったのでしょう。

とはいえ、集められているエピソードは良い話が多く、
こういったストーリーを見つけてこられる感受性が養われたのも
NLPに触れながら育ってきた背景が関係しているのかもしれません。


良い話のネタ本としても役に立ちそうな気がします。

cozyharada at 23:58|Permalinkclip!

2017年02月14日

久しぶりの緊張

英語でのプレゼンの講座も3回が終わりました。

初回は欠席しているので4週目が終わったところです。
残りは6回。

内容は以前にも書きましたが決して充実したものとはいえません。
それでも場数を積むための練習ができるのはありがたいです。

講師の狙いがイマイチ掴めないですし、
貴重なチャンスなのに勿体ない時間の使い方になっているのも気になるので
講座に参加している時間には残念なときが結構あるのが正直なところ。

だからこそ、その2時間の中で自分が話す10分間は余計に貴重と感じられ、
集中して取り組むことができる印象があります。

一回当たりの実りは大きそうです。


そして、明らかに自分の中に「上手くやろう」という気持ちがあるのも分かります。

話している最中も「自分が想定通りにできているか」に注意が向いていて
聴衆の立場を考えたものにはなっていません。

まぁ、自分の想いを表現する場ではありませんから
熱く語るようなタイプのプレゼンでもないですし、
講演会や講座ではないので聞く側に配慮するものでもありません。

その意味では普段のセミナーとは全くスタンスが違います。
セミナーでは受講生にばかり関心が向いて
上手くやろうという想いも、事前の想定もほとんどない。

母国語ではないから余計に準備をすること、
母国語ではないから実践練習として挑戦したいこと、
限られた時間で練習課題が含まれていること、
決められたテーマに沿って主張を組み立てる必要があること。

…このあたりが組み合わさると、話し始める前から
「こういう内容で、こんな感じで…」という構成が頭の中に設定されます。

事前に自分の中で基準が作られてしまうわけです。
達成目標が決まる。

だから「上手くいくかどうか」が気になるというメカニズムでしょう。

その結果、緊張します。

こんなに緊張するのは久しぶりです。

緊張するには
・「上手くやろう」という気持ちがある
・上手くいっているかどうかの評価基準がある
・自分に注意が向いている
あたりが条件として必要になるようです。

人前で話すといっても目的は様々ですから、
今回のように自分のためだけの練習の場という意識は
余計に聴衆への関心を下げ、緊張の度合いを上げるのかもしれません。

緊張するほどの場面が日常で多くない僕としては
こういう時間を経験できるのもなかなか良いものだと感じています。

ちなみに質疑応答の時間は、僕の場合、一気に緊張がなくなります。

質問に応える際は、
・自分が上手くできるかではなく、相手に分かってもらえるかが重要になる
・上手い返答の評価基準はない(分かってもらえるよう工夫する)
・自分ではなく質問者のほうに注意が向いている
という状態に変わるからでしょう。

その意味では何かを教えるとなると
相手の立場に立てるようになりますから緊張しなくなると想像されます。


それにしても久しぶりにこういうトレーニングをすると、なかなか楽しいです。

難しいことに挑戦する楽しさ、
何か新しいことをやっている楽しさ、
できなかったものを出来るようにしていっている楽しさ、
緊張するほど自分のために一生懸命になっている楽しさ…。

色々な楽しさがミックスされている感じがします。

今まで自分がやってきたことを英語でもできるようにしてみようかと思い始めました。

久しく味わっていなかった楽しさがあって貴重な時間です。
まぁ、自分がプレゼンをする時間と、その直前の緊張の間だけですが。

まずは、もっと慣れる機会を増やしたいものです。

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2017年02月11日

一方通行の情報

僕のFacebookは基本的に仕事繋がりです。
受講生の方の投稿が上がってくるのが大半。

もちろん友達として登録されていますから
その人たちが「いいね!」をしたものは僕のところからも見られます。

すると、僕の好みとは無関係の記事も数多く目にすることになります。

もちろん心理系の話題が一番多いとは思いますが、
政治的な話題とか、健康の話も頻繁に見受けられますし
自己啓発やスピリチュアルの方向性の記事も上がってきます。

心理系の話は比較的、技術論や心構えについてのものが多く、
さまざまな方向性が入り乱れている印象を受けます。
好みや専門性の違いといった感じ。

それがもう少し個人的な信念と結びついたものになると
方向性が両極に触れてくるような雰囲気が見てとれます。
両極端の考えの人がいる。

そもそもがプライベートな繋がりを想定した使い方ではなかったですから
個人的な信念は表現しないほうが無難だろうと思って、
他の人の信念に関することにも意見表明は控えると決めておきました。

両極の考え方があったとき、片側にだけ「いいね!」をすれば
自分自身の意見を示しているのと同じになってしまいますし、
両方に「いいね!」をすれば、相反する考えを示してしまいます。

何より、僕が「いいね!」した記事を他の人も見ることになりますから
場合によっては見たくないものを見てしまう知人も出てくる可能性があります。

なので自分の中の決まりごととして「いいね!」をしないことにしたわけです。


とはいえ、科学的な情報がシェアされていると
その内容が気になってしまう場合はよくあります。

「いいね!」をするかどうかではなく、むしろ論理的な矛盾を指摘したくなる。

例えば以前によく見かけた内容の記事で
「カレーを食べると幸せホルモンのセロトニンが分泌されて幸せになる」
といったものがありました。

ここには
・脳内の神経伝達物質としてセロトニンが幸福感に関わっている
・セロトニンの90%は腸で作られる
・カレーを食べると腸の働きを活発にするためにセロトニンが作られる
などの情報がミックスされています。

確かに科学的な知見として、セロトニンと幸福感の関係は知られています。
セロトニンの90%も腸で作られるというデータがあるんでしょう。

しかし、腸で作られるセロトニンは
腸の神経系において神経伝達物質としてメインで使われるために
全身の大部分のセロトニンが腸に存在するらしいんです。

それに伴って腸で使われるセロトニンも腸で作られる。
だから90%のセロトニンは腸で作られ、そこで使われるようです。

問題は、この腸で作られたセロトニンが脳には運ばれないということ。
脳のセロトニンとは別の話なんです。

仮に脳でセロトニンが沢山作られたとしても
セロトニンの分泌とは直結しないような気もしますが、
まぁ、セロトニンが多く作られたほうが幸福感が上がるとしましょう。

だとしても腸で作られたセロトニンと、
脳内のセロトニンに基づく幸福感は別の話のはずなんです。

もしカレーを食べると腸のセロトニンが増えるというデータがあったとしても
「カレーを食べると幸福になれる」という話にはなりません。

美味しいカレーを食べると幸せを感じられる人は多いでしょうが、
それは腸のセロトニンとは無関係でしょう。

さらには、「セロトニンの大部分が腸で作られる」ということと
「脳のセロトニンが幸福感と関わる」ということを引き合いに出して
「だから腸が大切」という結論に持っていくケースも見受けられます。

腸は大事だと思います。
腸内細菌の影響の大きさも示されてきていますし、
体感としても腸の働きの重要性は実感します。

ただ、そのこととセロトニンが腸で作られることとは関係ありません。

腸の大切さを主張するのに、論理的に無関係な知見を持ってくるのは
意図的なのか知らないだけなのか定かではありませんが、
詳しく検証されないままに“科学的な話”が利用されることは多いようなんです。


Facebookなどでシェアされる情報には
その人の好みや信念に沿った内容が多いと考えられますが、
不確かな話でも広められてしまう危険性も高いように感じます。

その不確かさや論理的な矛盾を指摘するのが良いかどうか分かりませんから
引っかかったとしても、特に何もしないことのほうが多いのが現状です。

信念は支えになります。
大事にしていることも感じとれそうです。

だからこそ人間関係としては、その信念を尊重したいものです。

そして一方で、不確かさに気づいてしまうところもある。

最初から情報として僕の目に入ってこない形になっていれば
そんなことを気にすることもないのでしょうけれど…。

インターネット検索と違って、幅広い情報が入ってくるのが
SNSのメリットでもあり、デメリットでもあるのかもしれません。

cozyharada at 23:31|Permalinkclip!

2017年02月05日

場数を増やしたいです

先日、重い腰を上げて参加することにしたプレゼンテーションの講座の
一回目のクラスがありました。

教わる内容に関しては最初から期待していませんでしたし、
比べ物にならないぐらい素晴らしいプレゼン講座をする知り合いもいますから、
講座の内容やトレーニング内容がどんなものでも気にならないつもりでした。

単純に場数を踏ませてもらえれば充分、という発想だったわけです。

行ってみると実際には指定の教科書があって、
それも英語学習者向けの教科書で、かなり初歩的な印象でした。

多くの英語学習者(日本人に限らず)が陥りがちな傾向を
英語らしい特徴とともに解説したような教科書という感じ。

どんなイントネーションが効果的だとか、
アメリカ文化の中でオーソドックスなプレゼンのスタイルとか、
どうやったら関心を引けるような構成になるかとか、
そういった内容がメイン。

英語でビジネスをやっている人たちに、
会議でのプレゼンのスタイルを教えるような入門教科書のようです。

想像していたよりももっと初歩的な内容の教科書でしたが
まぁ、オーソドックスなスタイルを練習しておくのは悪くないでしょう。

ここまではそれほど気になりません。
英語でプレゼンをする機会があれば、あとは
プラスアルファの情報といった印象ですから。


ところが残念なのは、メインとなる練習の機会。
基本的に2時間の中で、一人一回しか練習するタイミングがありません。

それも曖昧な指定のまま、一人10分とかをやります。

参加者の人数分、10分のプレゼンがありますから
2時間の授業時間のうち大部分は他の受講生のプレゼンを見るだけなんです。

質疑応答する時間もありますが、それは内容に対しての質問やコメント。
プレゼンターが質疑応答に慣れるためのサポートであって
聞いていた聴衆側としてフィードバックをする機会は無いようです。

プレゼンのあと、講師が一人ずつにフィードバックをしていましたが
そのフィードバックを活かす機会が翌週までないわけです。

やりっ放しになってしまっていて、かなり勿体ない。

そもそも練習のためのプレゼンを10分もやる必要性が分かりません。

同じ時間をやるんだったら、5分を二回やったほうが遥かに効果が高いでしょう。

フィードバックをするのなら、5分やった後にアドバイスをもらって、
それを踏まえて、その場ですぐに二回目の5分をやる。
それで効果の違いを見たほうが学習効率が上がります。

10分を無駄に使っている印象が避けられません。


しかも聞いているほうの負担が大きい。

参加者は全員日本人で、決して全員がスムーズに話せるわけではないんです。
プレゼンするほうの負荷も大き過ぎるし、
聞くほうだって何といっているのか、何を言いたいのか、
汲み取ろうとする労力が大きくなります。

練習する時間が少しで、聞いている時間ばかりになってしまうのも
講座の構成として満足感が低くなりやすそうです。

まして僕の期待は場数をこなすことでしたから、
機会の少なさがかなり残念な印象になってしまっています。

この先の授業では展開が変わる可能性もないとは言えませんが、
講師のスタイルからすると期待するのは厳しそうな印象です。

英語でプレゼンをする勉強会とかがあれば
そういうのに参加してみたい気持ちになってきているところです。

ひとまずは数少ない機会を存分に生かしたいものです。

cozyharada at 23:04|Permalinkclip!

2017年01月30日

英語でプレゼン

これまであまり気が乗らなかったことを、ようやくやってみることにしました。

大したことではありません。
ただ講座に参加するだけのことです。

プレゼンテーションの講座。
大学の公開講座でやっているものです。

英語のスピーキング強化、とくに人前で話すという設定で
英語を使うことに慣れておきたいと思い始めました。

どうしても会話形式でスピーキングの練習をしていると
ついペース合わせが多くなってしまって
自分が会話の主導権を握り、話を展開させていくようなことが減ります。

応答がメインになってしまう印象があるわけです。

もちろん、ある程度の量をまとめて話すこともありますが
自分で話の全体像を組み立てながら
流れをとらえてアウトプットするようなことは少ないようです。

場合によっては相手の話を聞いている間に何を言うかを考えて
それから話し始めるようなこともあります。

時間をかけて話す内容を考える印象があって
自然と湧き上がるものを口から出すようなことは少なかった。

なので主体的に英語でのアウトプットをする練習としては
プレゼンが重要だろうと考えているところです。


とはいえ、そういう考えは以前からも何となく持っていました。
プレゼンを練習する必要がある、と。

「自分が日本語でやっていることを英語でもできたらなぁ」と
感じていたこともありますから、その意味でも
英語を使って人前で話す練習は重要だろうと思っていたんです。

しかし実際は二の足を踏んでいました。

英語でのプレゼンの講座に出ることに抵抗があった気がします。

講師は前に、あるテスト対策講座を受けたときの人ですから
こちらとしては面識もありますし、どんな話し方の人かも知っています。
講師のプレゼンの技量も知っているわけです。

それを踏まえると、決して高度な内容ではないだろうと想像できます。
内容的な満足度が低そうなのも関係していたかもしれません。

おそらく、それ以上に引っかかっていたのは
「フィードバックを受ける時間がある」というところのように思います。

仕事として講師とかトレーナーとして人前で話すことをしている。
慣れない英語だとはいえ、それで他者からフィードバックを受けることに
妙なプライドがあるような気がします。

日本語でやるときには意図的にやれることも、
あえてやらないようにしていることも、
「正しいプレゼンの方法」の枠組みで評価されることになると予想されます。

そこに面倒臭い印象を受けていたみたいです。

まぁ、それは「やろうと思えばできますよ」ぐらいの状態にしておけばいい。
そんな風に考えが変わってきました。

むしろ場数をこなすことのほうが価値があると思っています。


こうして振り返ってみると、日本語で何かをやるときには気にならないのに
英語でプレゼンをするとなると「人からどう思われるか」が気になるようです。

厳密には日本語でも気になる部分はあるのかもしれませんが、
日本語のほうには何かしらの自信の根拠があるみたいです。

言い換えると、英語でプレゼンをするのに抵抗があったのは
他者からの評価ではなく、自分自身の評価として
自分のパフォーマンスを厳しく判断してしまうから、とも考えられます。

自分が気づいていないことを言われてショックを受けるというよりも
自分でも分かっている課題を指摘されて「ああ、やっぱり…」みたいなのが
避けたかった部分じゃないか、と。

実際に何が起きるかは参加しながらでないと分かりませんが、
どういう変化が起きるのかを期待しながら参加してみたいと思います。

おそらく内的な課題を扱いつつ進めると効果も上がるでしょうから。

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2017年01月21日

フェーズ

流れというか、全体的な傾向というか、僕の中で
色々と取り組んでいることが次のフェーズに進んだような印象を受けます。

ここ2年ほどやってきたフランス語も
この1月末で一区切りを迎えます。

上智大学の公開講座で受講してきた語学コース、
設定されているレベルが一通り終了する予定。
これ以上のコースはないため、他を検討する必要が出てきました。

多くの大学で語学の公開講座は開催されているもので、
英語に限らず様々な言語を安価に勉強できます。

しかし、英語の「上級」と、ほかの言語の「上級」では
実態が大きく違うようです。

日本人にとっての英語は学校で習っていることが前提ですから
「上級」が本当に上級です。
世界的なレベル設定と合わせても「上級」と対応する感じ。

高校卒業レベルで「中級」ぐらいにはなっていますから
そこからスタートするか、その前の復習からスタートするか
そんな傾向のようです。

一方、他の言語の場合、出発点がゼロからになるため
英語よりもレベル設定が低いようなんです。

ただクラスの進行と各クラスで期待できる上達度からすると
それほど各レベルの間を開けることもできないのでしょう。
そしてレベルの呼び名は英語と合わせることになる。

結果として英語で「上級」と呼ばれるクラスと
他の言語の「上級」には大きな差があって、
フランス語の「上級」は英語でいう「中級」ぐらいのものになるようです。

なので英語の上級クラスは沢山用意されているんですが
他の言語の「上級」というレベルは実際には殆どない。

僕は上級のクラスを受けるレベルではありませんが
中級よりも上をトレーニングしたい段階のため
今までの延長では勉強が進まなくなってきたところなんです。

ということでフランス語を勉強する場を探索中です。


また書道に関しても7,8年続けてきて
ちょっとした停滞期のような印象を感じています。

で先生に相談したところ、今までとは違った練習方法を提案してもらいました。

お手本をもらって、それを見て書くだけでは今までと同じですから
お手本は見ないで練習してみる、と。

先に自分で書いてみて、それを手直ししてもらって、
そこからお手本をもらって、再度練習をしてみる。

すると自分の癖と先生のパターンとの違いが浮き彫りになるかもしれません。

練習のハードルは上がりますが、漫然と続けるよりは良さそうに感じます。


行き詰まりをベースに取り組み方を変える必要が出てくる。

それは趣味の世界の話だけではなく、
多くの局面においても共通するように感じます。

今までのやり方が通用しなくなってきたときに
何かを工夫する必要性が「問題」や「行き詰まり」の形で表れる。

そんなものなのかもしれないと改めて思っています。

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2017年01月09日

【セミナー】心の動きを捉えるコミュニケーション

ご案内: 2月5日(日)開催

   コミュニケーション講座 〜心の動きを捉えるコミュニケーション〜



2月の講座のご案内です。
内容はコミュニケーション。
テーマは『心の動き』とします。

拙著「心を読み解く技術」の内容の一部を
コミュニケーションで実践的に練習するような形ともいえそうです。

NLPでいうと「パート」の概念に対応しますが、
一般的なNLPのセミナーで扱うやり方とは異なります。

悩みを解消する”スキル”の1つとしてイメージワークをするのではなく、
「パート」という概念を用いた会話的なアプローチを行います。

会話の中で相手の『心の動き』を捉える。
そのときに「パート」という概念を採用する。
もっと日常的な場面で、普段から頻繁に活用できるようにする狙いです。

NLPでも、セラピーでも、カウンセリングでも、心理療法でも、催眠でも、
様々な手法・スキルが扱われますが、その大部分は実際のところ
セラピーやカウンセリングという専門的な場面で使われるのが大半です。
言い換えると、オフィスや喫茶店で使うには不自然なものも多い、と。

その点、パートの考え方を元に相手の心の動きを理解する方法は
日常のコミュニケーションで気軽に使える種類ものです。

NLPを知らない人でも説明を聞けば直感的に納得しやすく、
技術としてトレーニングするにも取りかかりやすいでしょう。

そういう意味でもオススメの内容です。
以下に講座内容のポイントを解説しておきます。



どなたにも実感はあると思いますが、
心は一定の固定されたものではありません。

むしろコロコロとそのときどきで移り変わります。
考えとして浮かぶものも火によって時間によって違いますし、
感情が移ろいでいくことも多いでしょう。

他人を理解するのが難しい理由の1つが
この「心の動き」にあるのではないでしょうか。

実際のところ、「自分」という認識は非常に柔軟です。
自分の中に起きて意識されるものを一通りまとめて「自分」と捉える。
ですから考えや感情に変化があっても、そこまで含めて「自分」となります。

一方、他人は人のことを見えている範囲でしか理解しません。
しかも見えているところを、本人の経験と照らし合わせて評価する。
その人自身の捉え方と、外から見ている他人の捉え方とでは
大きく異なってしまうのが一般的です。

だから他人からすると「誰かのことを誤解」していたり
予想外の対応を受けて「裏切られた」と感じたり、
「なんで急にそんなことをするのか分からない」と思ったりするのでしょう。

その人自身の中では、ごく普通の「自分の心の動き」でしかないものが
他人からすると一貫性の無いものに見えて理解ができない。
「こんな人だとは思わなかった」という事態になるわけです。

他者と関わるときにも、その人の『心の動き』を把握しようとすると
このあたりの理解の幅が広がります。
その人の中の色々な側面が移り変わっていることに気づけます。
その人を一部から捉えるのではなく、全体として把握できるようになります。

まずはここがポイントです。


その次のポイントが「分かってはいるけれど…」という心の状態。

頭では分かっているつもりなのに気持ちが乗らない、
行動に移せない、気が引けてしまう、何か引っかかる…、など。

こうなってくると、その人自身でさえ「自分」に一貫性がないと感じます。

他人からしたら「それなら、こうすればいいじゃないか」と言いたくなりがちですが
その人自身の中だって、何が起きているのか分かっていないのです。
心の中に整理がついていない状態です。

こうした場合も、『心の動き』として捉えていくと理解がスムーズになります。

悩み相談の多くには、このような複雑な心の動きが含まれているものです。
ですから相手の話を聞きながら、その心の動きを捉えられると
相手に共感的な理解をしやすいだけでなく、
悩みを話しているほうも「分かってもらえた」と感じやすいはずです。

悩みの中でモヤモヤと霞がかかったような心の中を
まずはスッキリと見やすくする。
すると話している本人にも、何をしたいのかが気づきやすくなります。

対人コミュニケーションの技術として、このように
相手の心の複雑な動きを言語化し、共感的なメッセージにするわけです。

このとき、複雑な心の動きを許容的に伝えるのが重要です。
「〜な気持ちもあるし、…な気持ちもある」といった感じ。

心の中には、常識的には相容れないような気持ち・考えが
同時に共存していることが当たり前にあるものなんです。

この点を納得できるようにトレーニングしていきます。

それによって相手の話を聞きながら、相手の複雑な気持ちを
どれか1つの考えに偏ったりすることなく均等に受け止められるようになります。
相手を全面的に許容しやすくなるということです。

例えば、「苦しさを分かってもらいたい」気持ちがあるのと同時に
「簡単にこの苦しさを分かったつもりになってもらいたくはない」
という気持ちも共存していたりする。

「自分を変えて、もっと良くなりたい」気持ちがあるのと同時に
「今のままの自分を受け入れたい」気持ちがある。

そういう複雑な心の動きを受容できるように、
・相手の心の動きを捉える練習
・複雑な心の動きを効果的な形で伝え返す練習
とを行います。


さらに、実際の心の動きを「流れ」や「変化」として捉えるトレーニングもします。

どのタイミングで、どんな気持ちが動いたのか?
何をキッカケに気持ちが入れ替わったのか?

ちょうど舞台演劇を見ているように、
心という舞台で役をやっている登場人物たちのやりとりを捉えるイメージです。

誰がこんなことを言うと、次にこのタイミングで別の人が舞台に出てきて
するとさっきまで黙っていた誰かが話しだして…といった感じ。

そんな風に心の中の動きを、「様々な気持ち同士のやりとり」として捉える。
このときに順序やタイミングが重要になってくるんです。

タイミングや順序を捉えられると、それぞれの気持ちを分けて見られます。
区別して捉えることができるわけです。

前述の「〜な気持ちもあるし、…な気持ちもあるし」といったような場合も、
折り合いのついていない2つとして区別しながらピックアップできれば、
それぞれの気持ちごとに考えを深めていくこともできます。

「〜な気持ち」について集中的に事情を聞き、考えの根拠を探れます。
最初に気持ちの種類を区別しておくから、
そちらの気持ちについてのみで話を進められるということです。

一般的な会話のように区別しないままだと
「〜な気持ちもあるし、でも…だし。
 ○○かなぁとも思うけど、そうすると△△になってしまうから、
 やっぱり●●のほう良いかとも思う。
 なのに▲▲を気にすると、イマイチ気持ちが乗らなくて。」
のように、話が行ったり来たりするものです。

複雑な心の動きがあるときには、話があちこち飛びやすい、と。
聞いている側としても、相手の言いたいことがハッキリせず混乱しやすい。

そこで最初から気持ちの種類を区別しておいて、
1つの気持ちごとに聞いていけば、聞いていて理解しやすいだけでなく、
話しているほうとしても集中的に自分の気持ちを探れますから
普段よりも深いレベルの気づきが起きやすくなるんです。


ということで、
 心の中で起きていることを
 「さまざまな気持ちが共存している」という発想のもとで的確に区別し、
 それぞれの気持ちごとに理解を深めていく…

のが講座の中心となります。

そのうえで、複雑な気持ち、相容れない気持ち同士で
どうやって折り合いをつけていくのかもトレーニングします。


一度この観点のコツを掴んでおけば、
他の人が何かの作業をしていたり、会話をしていたりする場面は全て
トレーニングの題材として活用できるようになります。

クレームを言っている人を見かければ、
何が火に油を注ぐポイントだったのかも見えてくるでしょう。

よく言われる「地雷」(逆鱗に触れるところ、怒らせてしまうキッカケ)も、
格段に予想をつけやすくなるはずです。
他の人からすると「地雷がよく分からない」ような人物に対しても
パターンが掴めてくると期待されます。

もしかしたら認知症のようなケースでも
一見すると脈絡のない行動が、心の動きとして理解できるかもしれません。

慣れてくると、揉め事の仲裁などには、かなりの効果を発揮すると思います。

コミュニケーションの技術として活用する上でも、
人の「心」というものの性質を理解するうえでも、
実用的なテーマではないでしょうか。

座学は少なく、少人数制の参加型・体験型ワークショップとなります。
グループで意見交換や、コミュニケーション技術の練習をしたりします。


気軽なスタンスで積極的に取り組んで頂ければ幸いです。



◆録音/録画、再生機材に関しまして
講座全体の内容は、ICレコーダーやビデオなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【セミナーの詳細】

≪コミュニケーション講座 〜心の動きを捉える〜≫

【日時】  2017年 2月5日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

心理学の歴史の中では、もっとも初期の段階で
構造主義と機能主義という2つの立場がありました。

構造主義は、心を構成する要素を調べようとする立場。
喩えるなら、化学が物質を構成する成分として元素を見つけたように
心にも構成成分があるだろうという発想でしょうか。

もう一方の機能主義は、意識の流れを理解しようとする立場です。
心というのは1つの決まった「もの」ではない。
意識の中に様々なものが表れてくる。
その「流れ」を捉えたい、と。

機能主義のほうは、化学に喩えると化学反応に注目する感じかもしれません。
反応速度とか物質移動とか、定量的な方向性に思えます。

実際のところ、初期の心理学ではどちらも上手くいかなかったようです。
客観的に説明できる手法が見つからなかったのでしょう。
少なくとも共通認識としてお互いに理解し合えるような着眼点がなく、
主観的な話で終始してしまっていた。

心理学そのものは、そこから客観的に測定可能なものを重視するようになり
科学としての側面を強めていくことになります。


それから時を隔て、NLPが再び構造主義的なアプローチをとります。
心の構成要素を調べ始めたんです。

主観的な体験を説明しようとする行為ですから
客観的なデータとはいえません。
その意味でNLPは科学としての心理学にはなりえません。

それでも初期の心理学で構造主義がやろうとしていたことを
かなり詳しいレベルでできるようにしたとは言えそうです。
そして共通認識として複数の人が、主観的な体験をシェアできるようになった。
それによってモデリングができるようになったわけです。

心の構成要素がどのような組み合わせになっていると
どのような体験が生まれるのか?
そこを調べるのがNLPの重要な側面だということです。

NLPの言葉でいうと、サブモダリティとかがこちらです。


さらにNLPはパートの概念を使い始めます。
心を部分化して、普段意識していないところに気づいていくやり方です。

この着眼点で丁寧に心の中を眺めていくと
「意識の流れ」が見えてきます。

こちらも客観的なデータにはできませんし、数式化することも難しいですが
それでも、ある人の心の動きを共通認識としてシェアすることは可能です。

心を1つのものとして見ている限り説明できない心の動き(意識の流れ)が、
パートという「心の機能1つ分」に注目して
どんなパート(機能)が移り変わっていっているのかを記述することで
言葉として説明できるようになるわけです。


実際のNLPの資格取得コースでは、
心の構成要素を細かく見ていくアプローチも
心の機能のプロセスを追いかけていくアプローチも、
いずれも丁寧にやられることはありません。

盛りだくさんの講座の中で、そこまでかける時間がないのでしょう。

NLPをスキルや手法の寄せ集めとして捉え
自分が使えそうなものを利用していくという方針であれば、
確かにそこまで心の「しくみ」を気にする必要はないのかもしれません。

一方で、心やコミュニケーションに興味を持つ人の多くには
「相手を理解したい」、「人の気持ちを分かりたい」
といった率直な願望もあるのではないかと思います。

方法や手順ではなく、目の前のその人に関心があるからこそ
湧きあがってくる願望ではないでしょうか。

N偶然なのか意図的なのか、
NLPは心理学の初期に議論されていた「心を理解する着眼点」の両方を
それなりに上手く扱えるようにしてくれます。

データとして扱えなかったとしても、
相手の心の内側を共有するところまではできそうです。

心の仕組みを説明し、それに沿って相手の気持ちを理解する。
そういうことを可能にしてくれました。

昔の人がやろうとしてできなかったことに近づいたとも言えそうです。
その意味でも有意義なアプローチのような気がします。

ご興味がありましたらお越しください。

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2016年12月27日

今年はセミナーが多かった印象があります

2016年も最後のセミナーが終わりました。

今年は出張が多く、セミナーの内容もNLPが中心となった一年でした。

数年前は、同じ内容を繰り返し行うことがあまり好きではなく
NLPのセミナーは内容が決まり過ぎていて物足りなく感じていた記憶があります。

特に例えば「講座の3日目」が複数会場で続いたりすると
何度も同じことをしている退屈さが気になってもいたんです。

もちろん、セミナーが始まってしまえば意識には上がらなくなりますが
セミナー会場に向かうまでの間、「また同じか…」という気がしていたのは
正直なところです。

なので勉強会とか自分の講座で、何か新鮮なことをやりたい気持ちがありました。

最近はもう、そういう気も起きません。

NLP以外の講座が減っているのはスケジュールの兼ね合いがメインとはいえ、
いざ開催するとなると、内容を選ぶのには時間がかかるのも実情。

自分の中から湧いてくる関心やアイデアを形にする意味で
セミナーのテーマが決まってくるということは少なくなってしまいました。

興味を失ったと言われれば否定はできません。
より正確には、「自分の中で理解がまとまったから欲がなくなった」
というほうが近いでしょう。

その分、目の前の受講生・クライアントに意識が向きやすくなり
講座の内容が「(トレーナーとしての)自分にとって」繰り返されているかではなく、
その内容で交流するのが初めての「相手(受講生)にとって」を中心に
取り組めるようになったような気もしています。

なので同じテキストを使った同じ内容の講座をやっても
繰り返しの印象を感じることもなくなったみたいです。

それを成長と捉えるのか、進歩がなくなって停滞していると捉えるのか、
判断は分かれるところかもしれません。

個人的には、成長に対するポジティブな意味づけも薄れたようで
現状を肯定的にも否定的にも捉えていないようなんですが。


それから今年は、珍しく自分がセミナーを受ける立場としても
NLP関連のワークショップに参加しました。

たまには受講生も良いものだなぁと感じました。
そしてそれ以降、自分で内面と向き合うワークなんかにも取り組んでいます。

自分の身体に気づきながら講座を進められるようになってきたようで
疲労感が少し減ってきた気もします。

その分、五感の感受性は上がってしまったようで
移動の際の電車や新幹線、飛行機など、滞在先のホテルや自宅で
音や臭い、揺れなどにストレスを感じやすくなってしまったみたいです。

変化は必ずしも良いものではないのかもしれませんが
なんとなく移り変わり続けてはいるのでしょう。

来年も色々と何かしらの変化が起こっていくんだろうと想像しています。
充実したものであると良いなぁと思います。

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2016年12月24日

体の具合の変化

そういえば、ずっと忘れていたんですが
気づいたら、首がコキコキ(ポキポキ?)鳴らなくなっていました。

以前は首をひねると、整体でよくあるようなイメージ通りの
ポキポキッといった音が鳴っていたんです。

首が凝ってくると、ほぐすつもりでやっていたのか
首を鳴らすことが頻繁にありました。

今は鳴りません。
というよりも鳴るかどうかを気にしていませんでした。
そうやって首をほぐすようなことがなくなっていたからでしょう。

先日、首のストレッチをしているときに、そのことをふと思い出しました。
「あれ、前は首をポキポキ鳴らしていたよなぁ…」と。

それで前のような感じで動かしてみたんですが、鳴らなかった。

いつの間にか、首の状態だけでなく
行動パターンも変わっていたようです。


定期的に施術を受け入ていた影響だと思われます。

姿勢が変わってきているのも自覚していますし、
身体の使い方も変わってきているはずです。

ですが、自分で頑張って心がけて変えた感じではないんです。

良い姿勢にするのは重要でしょう。
何度も指摘されたことがあります。

それでも何年もかけて染みつけてきた体の使い方の癖を直すのは
それほど簡単なことではなかったようです。

よほど真剣に、いつも心がけるぐらいのつもりでないと
意図的に姿勢を整えていくのは難しい気がします。

ちょうど、ダイエットのために食習慣を変えようとしても
ついつい間食をしてしまうようなものかもしれません。


このあたりは習慣や癖を変えるという点で
多くのことに共通しているところでしょう。

病気になって医者や栄養士から食事の指導を受ける。
必要性は分かっているけれど、なかなかやれない。

健康のために運動したほうがいいと言われ、重要性は自分でも分かっている。
それなのに運動をする機会を作っていない。

勉強しなきゃと思うのに、なかなかヤル気にならない。
やっても継続しない。

本人が問題意識をもって、変えることに対して真剣になって
変える方法を自ら学びに行ったり、トレーニングしに行ったりすれば
そこから先はそれほど難しいことではないようです。

コミュニケーション技術の講座をやっていても、受けに来る時点で
問題意識を持っていて、変えようという意欲がありますから
それなりに効果は出やすいと思われます。

これを例えば会社の研修でやったりすると
問題意識を持っていない人も「参加させられる」ことになるので
それほどの効果は期待しずらくなるでしょう。

「運動したほうが良いよ」
「ストレッチするといいですよ」
「その食事では問題です」
「その座り方だと肩コリになりますよ」
…などと指摘されているのと同じようなものです。

日々の中で繰り返される習慣や行動パターン、
言動、身体の使い方や考え方などは
毎日自然と使ってしまうからこそ、よほど意図的に取り組まないと
変えていくことは大変だと考えられます。

効果的な方法を知っているかどうかや
そのやり方を上手くできるかどうかよりも、
「その方法を続けられるかどうか」が重要になる、と。

このヤル気がある人であれば変化はスムーズでしょう。

その意味では、
「習慣を変えるために続けよう」という気持ちになってもらうのが
最も高いハードルなのかもしれません。

実際、例えば語学を勉強しようとするときでも、
自分からスクールを探して、必要性を感じて、ヤル気になって始めたのに
毎日コツコツと課題をこなす人と、そうでない人とには分かれます。

毎日やったほうが身につくと分かっていても
どれぐらい心がけて取り組めるかは別問題だということです。


僕は姿勢を直す必要性を知っていたつもりですし、
身体をケアしたほうが良いのも頭では分かっていました。

それでも毎日それを気にするほどのヤル気は無かったんです。

ストレッチを教わっても、ヨガをやってみても、続けるほどのヤル気になれず
常日頃から体の使い方を心がけるほどでもありませんでした。

それが施術を受けていくうちに自然とバランスが変わってきたようです。
身体が良い状態になっていくと、不快な状態を避けたくなってきます。
結果としてストレッチをしたい気分になる。
姿勢を整えようとする。

もちろん意図的に心がけて姿勢や体の使い方を整えたり
運動やストレッチをしたほうが、もっと効果も出るんでしょう。

とはいえ、それを心がけられるかどうかは
日々の優先度の中で変わってくる気もします。

コミュニケーションの技法を勉強して、講座中に練習したとしても
日々の忙しさの中で心がけて使えるかどうかとなると、それは
どれだけ心がけることに注意を向けられるかという優先度の話になります。

だからこそ、僕の姿勢や首を鳴らす習慣が自然と変わっていったように、
コミュニケーションのトレーニングにおいても
日々の生活で頑張って心がけなくても効果が出るように
内面のバランスを整えるような部分が重要じゃないかと感じます。

身体が良い状態になったことで、自然と姿勢や身体の使い方が変わる。
内面のバランスが整うことで、自然と言葉遣いや考え方、
相手への関心の向け方が変わる。

自ら心がける必要のあるところだけでなく
自然と変わっていくような側面へのアプローチも効果的だろうという話です。

自分の身体を振り返って、そのことを改めて実感します。

cozyharada at 23:46|Permalinkclip!

2016年12月19日

あきらめがつくまで

どういうわけかセミナーの後は塩分が欲しくなります。
塩辛いものが食べたくなる。

で先日も近所のお気に入りのラーメン屋に行ってみました。

この店、それぞれのラーメンの味の構成が良くできていて
店長の立体的に味を組み立てる才能に感服するばかりなんですが、
ラーメン職人としての腕と、経営者・管理者・指導者としての技能は無関係です。

端的に言うと、あまり人が育っていない印象なんです。

以前はセンスがあって、仕事が丁寧な若い店員がいたんですが
しばらく前に独立のために退職してしまっています。

それ以来、ベトナム人の若者が「副店長」として頑張っている模様。


ええ、「頑張って」はいるんだと思います。

しかし僕の基準には合わない。
期待していることと違う方向性で頑張っています。

店長がいるときは麺を茹でたり、スープの準備をしたりといった
調理の全般は店長自身が主に担当しています。
他のスタッフはサポートをする感じ。

副店長のベトナム出身の彼もサポート側に回ります。

店長も週7日、朝の仕込みから夜10時以降の閉店作業まで
ずっと働いているわけにはいかないので、
夜遅くや、曜日によっては副店長に任せて休むシステムみたいです。

で、僕がセミナーの後に立ち寄ると、高確率で店長がいない。

店長がいなくて、副店長が調理をすると
僕の期待する味とは全く別物になってしまうのを知っていますから、
一応入店前に店の中を見て、店長がいるかどうかを確認します。

店長がいないから入らないときもありますが、
塩分を欲している日は、それでも
「もしかしたら副店長だって今日は上手く作れるかも…」と期待して
店に入ることがあるんです。

つまり僕の頭の中で、
「副店長の作るラーメンは、作業が雑だからランダムな要素が大きくて、
 店長と同じ作り方になる頻度が低い」
という認識があったわけです。


ですがどうやら、そうではなかったみたいです。

先日セミナーの後、ラーメン屋に入った日のことです。
案の定、店長はいない。

期待は低い。
にもかかわらず、僕の認識は「美味しく作れる確率が低い」という
ランダムさに基づいたものになっていました。

なので「運が良ければ、美味しいのに当たるかもしれない」と考え
宝くじ感覚で店に入ってみたんです。

座った席が、ちょうど調理の様子を真横から一通り見られる場所でした。

一体、その副店長が何をしているのか、観察してみたんです。

そして認識が変わりました。
「これはランダムではない」と。

ちゃんと毎回、同じルーティンで、同じような行動で作業を進めています。

麺を茹でる作業も、湯きりの動作も、麺の茹で加減をチェックする作業も
毎回、同等のクオリティで進んでいます。

”かえし”を丼に測りとるところも、スープを混ぜ合わせるところも、
入れた麺を丼の中で整えるところも、最後に香味油をかけるところも、
手早く同じ動作で行われていました。

いずれも店長とは違う動きです。
僕の判断が細か過ぎるのかもしれませんが、
結果として味が違うんですから、違う作業なんでしょう。

まず麺の茹でるときの作業のせいで、お湯の中で麺がほぐれていない。
お湯が均一に麺と接していないため、熱が加わったところと
熱が届き切っていないところとにムラができるんです。

麺が湯の中で綺麗に踊っていないため、よじれた形で茹であがることも多い。

全体的に茹で時間も短めなようで、副店長が作ると麺がボソボソしています。
半生のような部分もあれば、ヨレヨレに柔らかいところもあったり。

一本一本の麺を一人前の分量だけ茹でているではなく、
一塊の小麦団子のように、ほぐれない形で茹でている印象です。

そして店長と比べると湯きりが甘い。
塊になって茹であがっている上に湯きりが甘いので
茹でたお湯が残ったままスープに投入されます。

副店長が作ると全体的に味が薄くなるのは、お湯が混ざるからでしょう。

さらに一日中、麺を茹で続けているお湯ですから
麺の成分が溶け込んでいるみたいです。

打ち粉の影響だろうと推測されますが、
茹で汁から粉っぽさがラーメンのスープに入ってきてしまいます。

ここも味を落とす原因の1つかと思います。

そしてスープの味が落ちたところに、香味油だけは店長よりも多く入るんです。

粘度の高い油ですから、小さいオタマ一杯分を測りとったとき、
オタマの壁面にくっついた状態で持ちあがってきます。
それが重力で落ちるまで待って、ようやく一杯分の計量になる。

でも副店長の作業は速いので、オタマの壁面についた余分な油まで
丼に加えられることになってしまいます。
結果的に油が多く浮いている状態。

スープが薄く、油が多い。
となると味のバランスは大きく崩れてしまいます。

他にも色々と細かい味の違いは見てとれますが、決定的だったのは、
麺の茹で加減をちゃんと味見していたことです。

副店長の中では、あの茹で加減でOKが出ている。
もう店長の基準とは違ってしまっているわけです。

これでは何回ラーメンを作っても、
そもそも違う味を出そうとしていることになりますから、
店長と同じラーメンになるはずはありません。

「副店長の作業が未熟で、味が安定しない」わけではなかったようです。
毎回、同じように違う味のラーメンを作っていた。

この認識の変化によって、僕の期待は完全にゼロになりました。

「運が良ければ美味しいのに当たるかもしれない…」はあり得なかったんです。
当たりの入っていないクジを何度も引き続けていただけのことでした。

こうなるともう、完全に諦めがつきます。
もう店長のいない日には行かないと思います。


そして残念なのは、このことが改善される見込みが極めて薄いことです。

店長のいる前で調理が行われることはありませんから
もう店長が注意することもないでしょう。

何かしらのアンケートでも取ってくれていれば
僕を含めた何人かが書くかもしれませんが、
そういう経営方針ではないようです。

幸い、副店長しかいない時でも店内は一杯ですし、
人気も衰えていないみたいです。

現場を任せるときには、他人である以上
ある程度避けられないリスクなのかもしれません。

そのことを知った上で、どうやって現場の質を管理していくか。
そこにマネジメントの難しさがあるんでしょう。

以前に軽く
「やっぱり店長が作ったヤツは美味しいですね」
と伝えたことがありましたが、
単なる褒め言葉として受けとられていたようで
含みまでは伝わらなかったみたいでした。

おそらく僕としては、店内を見てから
店に入るかどうかを決めるだけのことになりそうです。

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おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
〜心の動きを捉える〜


【日時】 2017年2月5日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>
次回開催は4月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>


《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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