コミュニケーション

2017年09月23日

発音矯正

先日、イギリス英語発音のトレーニングを受けてきました。
今回は幸運にもマンツーマン指導。

本来はフォローアップ講座という形で複数の予定だったようですが
参加人数が少なかったため丁寧に指導してもらえたんです。

フォローアップですから新しいことをやるわけではありません。
同じ文章を音読するだけ。

その文章にしたって以前の講座内で練習したものなので
単に復習と言ってしまえばそれだけともいえそうです。

しかしながら実態は、同じ文章で練習をしても
細かな癖を指摘してもらいながら繰り返しトレーニングすると
全く自覚できていなかった課題が見つかってきました。

時間は短めの設定であっても濃密な指導の分、
得られるものは多かったように感じます。


それにしても多くの人にとって、復習や繰り返しの練習は
面白いものとして映らないんでしょうか。

一年前ぐらいにあった同様のフォローアップ講座には
もっと人数がいましたから、今回もある程度の数を想像していました。

時期的なもので予定が合わない人も当然いたとは思います。

一方で、情報が欲しい人がいるのも実感します。
新しい知識が手に入るのが楽しい感じ。

確かにその側面も楽しいものですが、
頭で知っていることと、できることとは大きく違います。

知識レベルで知っているつもりのことでも
意外とできていないことは多いようです。

そのあたりは、繰り返しのトレーニングと
違いを指摘できる人に見てもらいながら練習するのとで
少しずつできるようにしていく部分ではないでしょうか。

とりわけ定着してしまっている癖を修正するのは大変です。

大人になってからの学習は、完全にゼロからのスタートではありません。
常に何か似たようなケースで使っていたものを流用しながら
効率的に実行してしまいやすいんです。


例えば僕の場合、いまだに残っている癖として
「n」の発音が挙げられます。

特に「pen」のような「ん」の音になると
つい日本語の「ん」の音のように鼻母音が混ざりがちです。

フランス語は逆にハッキリした鼻母音にするルールですから
舌先をあえて上顎につけないようにします。

ナ行の成分は少なく、鼻にかかった母音を出すだけなので
日本語の「ん」の音を出すときみたいに口を小さくする必要はないんです。

日本語で「あん」というと「あ」の後に顎が動いて
口が小さくなるのを感じられると思いますが、
フランス語の「ア(ン)」では顎の動きが起こらず
「ア」の後に声を鼻に響かせる感じで鼻母音になります。

英語の「ん」は厳密には「ん」ではなく、
「ぬ」のときの舌先の位置で発音されます。
「ペン」じゃなくて、「ペンヌ」のほうが近い感じ。

つまり日本語の「ん」は英語とフランス語のミックスのような感じだ、と。

でも僕は日本語が母国語で、それに慣れ過ぎているので
つい英語でもフランス語でも、日本語の「ん」で代用してしまう。

それはよほど気をつけないと修正できません。

外国語を話そうとすると、どうしても内容に注意が向きますから
発音のほうに気を配れる度合いが少なくなってしまうんでしょう。

手を抜いているつもりはないけれど
目先に今まで自分が重視してきたものがあると、
本来は気をつけるべきポイントが抜けてしまうわけです。

「に」も同様です。
日本語の「に」と英語の「ni(ヌィ)」は違う音です。

でもやはり気をつけないと日本語の舌の位置で言ってしまう。


こうした癖は一度指摘されただけだと
戻ってしまうことが多いようです。

決して自然とできているわけではなく、
目先のこと(話の内容)に注意が集まっていくうちに
別の大事な部分、とりわけ自分の癖から注意が外れてしまう、と。

そんなに細かいことを気にしなくても良いという考えもあるようですが
トレーニングに終わりはありません。

コツコツと続けていく。

その過程では、時折、チェックも必要になるのを痛感します。
反省することが沢山です。

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2017年09月20日

居心地のいい場所

端的に言うと、社会は居心地が良くないんです、
全ての人にとって。

度合いの差こそあれ、
他者と接すれば合わない部分があったり、
自分が学習してきたこととの違いから戸惑ったり、
自分の期待した通りに他者が行動しないことで不快になったり…、
何かしら不満を感じるところがあるはずです。


権威や財力がある場合には
他人に自分の思い通りの形で動いてもらいやすくなりますから、
そういう人たちには不満が少ないように見えるかもしれません。

が、心のどこかでは「思い通りに動いてくれるのは力のおかげだ」
ということを知っています。
自分に対する好意や思いやり、愛情といった
心の繋がりから生まれているものではないと気づいている。

そのため本当に打ち解けられる相手がいない孤独感を抱えがちになる。
こういうのは経営者などに多く見受けられる特徴です。


社交的で友達が多く、誰とでも仲良くなって
いつも外で楽しく遊んでいるように見える人たちもいますが、
その楽しさだって決して100%満足できるものではないようです。

何をしても許されるわけではなく、ある程度の暗黙のルールに沿って
輪の中に入れてもらうための努力は必要になります。
言いたいことを言えないケースもあるかもしれないし、逆に
言いたくないことを言わなくてはいけないケースもあるかもしれない。

共通点や親近感、同じ喜びを共有できるグループに所属することで
自分の居場所を感じようとするのでしょう。

こういった場合にありがちなのが、一人に戻ったときの寂しさです。
家に帰ってきてから無性に寂しくなったりする。
さっきまでの楽しさとの対比のように虚しさに襲われる。

人によっては繋がりを維持しようとしてSNSやメールで
交流を続けようとするかもしれません。

僕にも同じような思い出があります。

地方の工場併設の研究所で勤務していたとき、
さまざまなストレスや労働環境への不満がある中で
それに耐えながら頑張っていました。

中には同じような不満を感じる同僚がいて、
親近感と苦しさの共有で繋がりを感じられていたんだと思います。

その同僚たちと休日に少し離れた都会に遊びに行ったりすると
そのときは楽しかったんですが、決まって自室に戻ってから
猛烈な寂しさと虚しさに襲われていました。

今思うと、そもそも居場所がないように感じていたんでしょう。
職場にいても寮にいても落ち着かない。
一人の部屋だからといって、そこがホームなわけではない。

仲の良い同僚との繋がりは支えではあったけれど、
それはあくまで居場所のない孤独を埋め合わせる喜びであって
その関係を本質的な居場所だと思えていたわけではない。

「ここにいたくない」という思いから
どこか別のところへ逃げるように同僚との時間を過ごす…。
その時間が終われば、居場所のなさに引き戻される、と。

そんなプロセスが内面で起こっていたようです。

近い間柄のはずの家族の中で居場所を感じられないとか
一番長い時間を過ごすはずの職場で居場所を感じられないとかは、
相当な孤独感があって苦しいものでしょう。


こうした孤独感から離れるために居場所を求めるのは
多くの人に見受けられる行動です。

権威や財力などの力で思い通りになる環境に身を置くのも、
共通点や同じ思いを共有できる仲間の中に身を置くのも、
居場所づくりのための行動の1つといえそうです。

ですが、
 そこが本当の意味で居場所になっているかどうか
の違いは大きいようです。

本当の居場所には、なんとなくの安心感があります。
リラックスしたり、体が緩んだりします。

たくさん笑えるかは問題ではありません。
一緒にいることが心地いい感じ。

ペットと一緒にいるときに似ているかもしれません。

大きな特徴は、
 その安らいだ感じが、ある程度持続する
ことです。

そこを離れると無性に寂しくなったり虚しくなったりする…
ということが起きないんです。

むしろ、その安心感や居心地の良さを内面に保ったまま、
家庭や職場などの”いつも場所”に帰っていくことができる。

その居心地の良さを持ったまま接することができるため、
普段よりも少し楽に過ごすことができる。

そうしていくうちに、その”いつもの場所”にも
同じような居心地の良さが生まれてくれば望ましいでしょうが、
そこまで行かないとしても、居心地の良さを持って帰れるんです。

そういう居場所があると人は楽になります。

おそらく、そうした居場所の感じを可能にするのは、その場所に
「他人のために、そこへいてくれる」人がいることでしょう。

自分のために存在しようとするのが一般的です。
誰と接しても自分のための要素が含まれるのが標準です。

そうではなく、少なくともその時間は
同じ場所にいる別の誰かのためにそこにいる。

そういう人がいるところは、居心地が良いようです。

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2017年09月14日

いろいろと過渡期みたいです

イギリス英語発音に興味を持ち始めて、
英会話の先生にもイギリス人を選ぶようにしてきました。

ところが、そのうちの一人が今年の春過ぎから喉を悪くして
短期の休みを繰り返し、最近は無期限の休業中。

そのため最近は、もう一人のイギリス人の先生と話してきたんですが、
この10月から教室の統廃合に絡んで退職するような見通しとのこと。

移転先の教室のほうにはイギリス人は一人もおらず、
系列の他教室にも殆どいないようなんです。

これはチョット残念なことになりました。


日本語でも話し相手のイントネーションにつられたり
言葉遣いが自然と移ってしまったりするものですから、
当然、英語でも同じようなことが起こります。

特に母国語ではなく努力して作ってきたものだけに
経験の量としても、自分らしさとしても、土台がありません。

外国語のほうが話し相手の影響を受けやすい傾向を感じます。

実際にアメリカ人と話していると、
アメリカ発音に影響を受けたと自覚する瞬間があります。

英会話として慣らしていくスタンスであれば
先生の英語は関係がないのかもしれませんが、
英語の種類を心がけたい僕としては意外と重要な気がします。

単語レベルでもイギリス発音とアメリカ発音の違いから
すごく簡単な単語なのに聞き取ってもらえないこともあるんです。

で、聞き返されて、言い直しても伝わらず、
アメリカ発音に変えて言うと通じたりする。

仮に僕がネイティブスピーカーだったら、自分の英語が伝わらなくても
「それは発音の違いのせいだ」と理由付けがしやすいと思われます。

ですがネイティブではない以上、伝わらなかったときに
イギリスとアメリカの発音の違いのほかにも、単語が間違っているとか、
単語のアクセントの位置を間違えて覚えていたとか、
さまざまな要因が思い浮かんでしまいます。

そのあたりがイギリス人相手だと、
英語を学習する過程での間違いだけに集中できるわけです。
発音の癖で聞き返されることはありませんから。


だからといってイギリス人の先生を求めて
様々な英会話学校を転々とするつもりもありませんし…。

とりあえず目下は色々な先生の中から検討するつもりです。
イギリス発音寄りのオーストラリア人が見つかれば良いんですが。

本当は相手が誰であれ、自分のスタイルとして
確固たる発音を維持できればいいのかもしれません。

実際に多くのネイティブスピーカーはそうしているようですから。

そのためには「これなら正確なはずだ」ど自信を持てるまで
プロからしっかりと指導してもらって土台を築く必要もあると思えます。

発音については別途の指導を探して、
英会話のほうは会話慣れだけの場にしたほうがいいのでしょうか。

様子を見ながら検討していくことになりそうです。

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2017年08月31日

マイケル・ヤプコの本

この本を読みました。



初のKindle読書だったので「本を読んだ」という言葉に
まだ若干の違和感がありますが。

Kindleで読むことに関してはスムーズでしたし、
ときどき知らない英単語が出てきても
その場で単語を選択すれば辞書が表れるのも便利でした。

思いのほか好印象です。


本の内容についても好印象です。
すごく大事なことが書いてあります。

おそらくこれを心がけるだけで、(特に人間関係については)
悩み全般が解決してしまう人も大勢いると思います。

それぐらい本質的な内容です。

ポイントは「ちゃんと区別をつける」ということ。

・どこからどこまでが自分にコントロールできる範囲なのか?
・どこまでが自分の責任として反省するのか?
・どれぐらいリスクを踏まえ、行動するか・止めるかを決めるのか?
・どれぐらい自分の感情に従って行動するのか?
・自分に起きたことのうち、どれぐらいが自分の問題か、環境要因か?
・どれぐらいの期待は現実的だといえるのか?
・どこまでが「自分を大事にする」で、どこから「自分勝手」なのか?
・解決努力をすべきなのか、現実を受け入れるべきなのか?
・思ったことをどれぐらい言えばいいのか?…など

そのあたりを
 ・区別がついていない人が言いそうなこと
 ・区別がついているかどうかを自省してもらうための質問
 ・区別をつけるときのポイント
などを解説しながら書かれています。

タイトルは「Discriminating Therapist」ですから
心理療法家向けの内容として書かれているスタイルですが、
実際には自分の人間関係やコミュニケーション、悩みを見直すのに
役に立つ内容なのではないかと感じました。


セラピーやカウンセリングを想定している側からすると
もう少し具体的な事例があったら嬉しかったです。

僕もやりがちな傾向なので感情移入してしまいやすいんですが、
本質的なところを考えていくうちにシンプルになっていって
具体的で現実的なニーズから離れてしまうのかもしれません。

おそらく著者の中では、
「人の問題の大部分は、認識が歪んでいて
 ちゃんと区別しないで判断をしていることで起きる。
 そこを区別できたら、ほぼ解決。」
といったようなシンプルで本質的な原則があるんでしょう。

長い経験の中で辿り着いたところなんだろうと思います。

それを本にまとめるにあたって、少し分類して項目に分けた。
そんなところじゃないかと想像しています。

元々、本人の中で厳密に分類しているわけではなく
「妥当な区別がついているか?」
という本質的なポイントになっているからこそ、
分類している解説に重なる部分や似た印象のものが入ってくるのでは…?
というのが僕の推測です。

日本で出版される本は、完全に専門家向けでないかぎり
著者の頭の中で整理されている通りに本が構成されるとは限らず、
むしろ専門家ではない人たちが興味を引かれやすい構成が好まれるようです。

その点、アメリカの本は結構、自由に著者が書いている印象というか、
読者を想定していないような書き方に見えるものもあります。

この本も日本人向けのマーケットで想定されていたら
ありがちな悩みのパターンごとに章立てがなされて、
それぞれに「区別のポイント」が補足される構成が好まれそうな気がします。

まぁ、そうなっていたらセラピスト向けの本ではなくなって
一般向けの心理読み物になってしまいますから
著者の趣旨とは違ってきてしまうんでしょうけれど。


…こういう感想が僕の中に湧いてきたということは
本の内容として心理療法の専門家向けというよりも、むしろ
多くの人が知っておいた方がいい本質的なものだと感じたからでしょう。

なぜなら世の中の教えの多くは一方向に偏っているからです。
それを信じて頑張り始めると、逆方向に偏って、また厄介なことになる。

簡単にいえば、バランスが求められる、と。
この本では、そのバランスを取るためのポイントと基準を解説している。
そういう風にも解釈できます。

例えば、僕自身もそうでしたが
 遠慮がちで自分の要望を表現せずに我慢する
という傾向の人がいます。

で、我慢してばかりだと不満が溜まってきて、苦しくなって勉強を始め、
「自分を押し殺すのではなく、自分を大切にしましょう」
なんてことを教わる。

すると今度は「我慢しない」方向に振れ過ぎてしまって
他人と上手く噛み合わなくなってきたりします。

一方向的な教えだと極端なほうに偏ってしまうケースがあるわけです。

だからこそ、ちょうどいいバランスを判断できるように
「ちゃんと区別しましょう」というところに落ち着く。

いたって当たり前の話ですが、見過ごされがちな気がします。

何より、こういう妥当すぎる話はウケが悪い。
当たり前に感じられてしまって新鮮さがなく、
結局自分で気をつけなければならないから面倒くさい。

一方向に偏っているほうが簡単で分かりやすく見えるし、
常識と反対な側面を強調すると斬新さも出てきます。
世間にウケます。

しかし実際問題として、教わったことに忠実なほど
偏った行動をして空回りしてしまう人も少なくないように見えます。

結局、白か黒かでハッキリさせるのではなく
程度のバランスを調整するのが大事になるんでしょう。

そういう意味で、すごく大事なことが書かれている本だと思います。
「ちゃんと区別して判断しましょう」というテーマですから。


ただ残念ながら、日本語訳は出版されていません。

あいにく洋書のKindle版だけしか入手しずらかったので
ハードルは少し高いかもしれません。

この2017年11月11日〜14日の期間で、
著者が来日してワークショップを開催する模様です。
『エリクソン催眠〜臨床ヒプノと戦略的セラピーの統合的トレーニング〜』
http://acca-japan.com/yapko/


前半部分は催眠療法の内容みたいですが、
後半はこの本の内容がテーマになるような紹介がされています。

ご都合が合えば、こちらに参加してみるのも良さそうです。



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【ご案内】

『心を調える実践ワークショップ』
9月10日(日)or 9月24日(日)

 いろいろと修行します。

 詳細はこちら>>

cozyharada at 23:49|Permalinkclip!

2017年08月28日

Kindle 使い始めました

先日、意を決して購入したKindle。
試してみた印象としては「使えそう」という感じでしょうか。

もちろん紙の本でしかできないこともあって
その部分は多少、残念な気持ちはあるんですが、
メリットも大きいので全体としてはポジティブな感想です。


最大のメリットは『持ち運びやすさ』かと思います。

1つのKindle端末に大量の本を入れられるから
複数の本を一度に持ち運べる…、それも大きな特長でしょう。

ですがKindle Paperwhiteそのものがコンパクトなんです。

大きさとしては新書サイズぐらいの感じ。
ビジネス書や洋書のペーパーバックと比べると小さいです。

何より厚みが薄い。
カバーをつけても1cmに満たないと思います。

これはカバンの中に入れるのに便利。
普通に紙の本を一冊カバンに入れるよりも場所を取りません。

先日、出張の際に持っていって、新幹線の中で使ってみましたが
薄いので気軽に持ち運べるのを実感しました。

僕のカバンの中にはセミナーのテキストやパソコンが入るので
それなりに中がいっぱいになってしまうんです。
紙の本を一冊追加しようとするとチョットきつい。

それがKindleとなると全く気になりませんでした。

冬場だったりしたら上着のポケットに入れることもできそうです。


同じ大きさの紙の本(新書)と比べると重さはあります。
手に持つと、大きさから想像するよりもズシリとします。

ペーパーバックよりは重く、ハードカバーよりは軽い。
そんなところでしょうか。

移動のお供に、というのなら文庫本や新書に軍配が上がりそうですが
勉強の趣旨がある厚手の本だったりしたら、むしろKindleのほうが
大きさ、厚み、重さとしても利便性が上がるかもしれません。

電車の中で立ちながら片手で持って読む…というのには
少し重いかなぁという気はしてしまいます。

まぁ、それでもiPad mini より軽いぐらいなので、
電車の中でタブレット端末を使っている人たちがいることを思えば
片手で扱えない重さではないんでしょう。

長時間だと疲れてきてしまいそうですが。

一方、片手で持つことを考えた場合、操作性は紙の本以上のようです。
ページめくりが楽なんです。

片手で吊革につかまっていたとしても、
そのままKindleを持った側の手だけで本を読み進められそうです。

文字の読みやすさは紙と大差を感じません。
ここはスマートフォンよりもずっと読みやすい感じがします。

Kindle版の本を読むだけであれば、Kindle端末でなくても大丈夫ですが
画面の質として文字が楽に見えるのはKindleかもしれません。

ここは予想以上に読みやすかったです。
「文字を読む」ということに関しては一切不満がありません。

なんでもこの目に負担のかからない文字を生み出すための画面として
電子ペーパー(E ink)というのを使っているらしく、
その性質上、ページの表示切替に若干の時間がかかるのは残念なところ。

最後の単語の切れ目でページの切り替わりに時間がかかると
次のページの最初で少し内容が途切れてしまう感じを受けます。

それでもまぁ、さほど大きな支障ではありません。

ということで、手に持って読むことを想定した場合、
ハードカバーよりは軽く、文字も見やすく、ページめくりも楽…
なので、現実的に読書をする上での負荷は小さいと言えそうです。


紙の本にあってKindleで体験しにくいのが
全体の把握の部分でしょうか。

残りの分量のイメージや、
目次を含めた書籍全体の構成は把握しにくい感じを受けます。

これは僕が本を読むときのスタイルに依存するんでしょう。
前から積み重ねるように読み進め、先を楽しみにするスタイルなら
あまり関係がないようにも思われます。

全体の中の現在位置は%表示されますから
ページ数での把握はできなくても残りの量は掴めます。

紙の本のほうが、残りページの厚みで直観的に掴みやすくはあります。
とはいえ、そこを基準に「紙の本のほうが良い」とは言えない程度。

読みながら頭の中で構成していけば問題はなさそうに感じています。


一通り感想を整理してみると、デメリットと感じたのは
・多少の重さを感じること
・全体における位置や構成が把握しにくいこと
・ページ送りの際の表示がスムーズでないこと
ぐらいなものかと思います。

ただし、重さについてはハードカバーよりは軽いので
場合によってはメリットになることもあるはずです。

メリットは持ち運びやすさでしょうか。
もちろん本を購入しやすいのもメリット。
あとは紙媒体に負けていないという印象です。

総じて「不可」が少ないのは重要だと思いました。
抵抗なく使える理由の1つになると感じます。

慣れ親しんだものから新しいものに移るときは
どうしても古いものを基準に考えやすくなります。

今までにあったメリットが失われることに抵抗が出やすい。

その意味で、「嫌だと感じない」ことは大事なはずです。
それだけ受け入れやすいということでしょうから。

今まで体験したことのなかった「紙媒体にはないメリット」については
今後使い続けていくうちに実感されてくるのかもしれません。

そうなったとき、印象がどう変わるのか。
その辺にも興味があります。

cozyharada at 23:06|Permalinkclip!

2017年08月24日

【ワークショップ】心を調える実践会

ご案内: 9月10日&24日(日)開催

   心を調える実践ワークショップ


先にご案内していた内容になりますが(概要はこちら)、
実践・修行という観点から心と向き合う時間を取ります。

セミナー形式でテーマに沿った内容を紹介・練習するものではなく、
トレーニング、イメージワーク、瞑想、質疑応答、ディスカッションなど
様々な形でそれぞれの心を調える時間とします。

ここで「整える」の文字を使っていないのは
「意図的にコントロールする」という趣旨とは異なるためです。

むしろ自然な状態、無理のない状態、自然や場と『協調』した状態…
の方向に戻っていく趣旨です。


人は経験から様々なことを学習して、
その学習したパターンを自動的に使い続けます。
プログラムされたものが動いていると言ってもいいでしょう。

それは効率的だからです。
特に幼少期は新しい体験が多く、社会に適応する準備として
非常にたくさんのことを身につけていかなければなりません。

毎回、その場その場で判断していたら処理しきれない。

その点、過去にあったものと同じような場面を
以前に上手くいった(ベストではなくても何とか乗り切れた)方法で、
あれこれと検討することなく自動的に対処できれば、
新しいことへの対処を検討・学習するほうに力を注げます。

膨大な量の対処法を一気に身につけなければならない時期には
過去にうまくいったやり方をとりあえず再利用する方法は効率的なんです。

そして、そのやり方を再検討することは少なく、
多くの場合、一度自動化された方法が使い続けられます。

使い続ければさらに学習は定着してワンパターン化が進む、と。

上手くいっているうちはいいんです。
いわゆる「強み」、「得意な能力」は
初期の学習が上手くいったケースともいえるかもしれません。

それでもワンパターンが通じなくなる時期が訪れる場合があります。
今までのやり方が通用しなくなる。

やり方を変えればいいだけの話に思えるかもしれませんが、
学習が定着し過ぎていると、慣れ親しんだ方法を変えるのに抵抗が出ます。

頑張って変えようと踏み出しても、今までやったことがないので
どういう風にやればいいのかが掴めていないこともあります。
結果として、挑戦してみたのに上手くいかない。

また、自動的なパターンになってしまっていると
頭で分かっていても「つい、今までのやり方をしてしまう」ことも多い。

なかなか変えようと踏み切れなかったり、
やってみたつもりなのに上手くいかなかったり、
やろうと考えてはいるのに、つい以前の癖が出てしまったり。

「なんだか上手くいかない」と悩みを感じるようになれば
こうした自動化されたパターンを問題として気づけるようになりますが、
「上手くいかない」ことが起きるまでの時期には
そうしたパターンに気づくことさえ大変なんです。

だから多くの人はワンパターンに近い
自動化された対応(ほぼ自動的な反応)を繰り返すんです。


単純に言えば、心の中にできた癖ですから
この心の癖を修正していけばいいわけです。

もちろん、困ったことが起こるまでは
過去に学習したパターンが上手くいっているので
問題とも自覚されませんし、変える必要もないのかもしれません。

一方で、人は常に心の癖を使っているだけでもないようなんです。
(もし心の癖を使い続けるだけだったら、修正さえも難しいはずです)

リラックスしてクリエイティブで柔軟な状態になれると
以前に学習したパターン以外に新しいものが生まれることがあります。

新しいアイデアが出てくる。
気づき・閃きが起こる。
新しい回路が繋がる。
今までやったことのないことをやる。
…そんな風に創発的な瞬間もあるんです。

そして、そういうことが起こりやすい内面の状態があります。

瞑想は、その状態を直接的に体験する手段の1つですが、
これを人間関係の中でも維持できるかどうかも重要になります。

それには実際に人と交流する場に身を置くのが効果的。
安心して、リラックスして、クリエイティブで、柔軟な状態になりながら
人と接する体験をするということです。

他者を部外者として捉えるとストレス反応的な対応がでやすくなります。
人間関係で学習されてきたやり方の多く、とりわけ
空回りしやすいパターンはストレス反応と結びついているものです。

だからこそ人と接する場の中で、ストレス反応とは違った
自然体の状態を育んでいくのが有効だといえます。

つまり、過去の学習によって作られた自動的なパターンから離れ
その場に適した対応が自然と生み出されてくる状態になるために、
大きく分けると
・過去に学習されたパターンを修正する
・自然体の状態を体験する
という2つの方向性で取り組んでいく方針です。

過去に身につけたパターンについては、イメージワークや
心理療法・NLPなどの手法を通じて再学習したり、
効果的な対応法を新しく身につけるために
コミュニケーション技術のトレーニングをしたりする予定です。

自然体の状態を体験するほうに関しては、
瞑想を中心にした体験そのもの、
イメージワークや、想像力を使った着眼点のトレーニング、
ワークショップ全体における人との交流などを通じて
直接的にその状態を調えていきます。


学習されたパターンを緩めていければ、
それだけでも柔軟性が上がります。

そもそも柔軟性が発揮されやすい状態の体験を重ねていくと
その状態に慣れてきて、日頃からそうした対応をしやすくなります。

この両方へ継続的に取り組んでいこうというのが
「修行・実践」といった言葉を選んでいる理由です。

自動化されたパターンを再学習するのは地道な作業です。
一人でもできますが、学習してきたものの量を踏まえると
コツコツと継続していくのは欠かせないでしょう。

自宅で一人でもできる方法も紹介していくつもりですから
気が向いたときに取り組んでいただければ楽になっていくはずです。

一方、一人ではヤル気が出ない場合や、
集中が続かない場合もあるものですし、
他の人にサポートしてもらうと体験が深まることもあるものです。

その意味で、ワークショップの最中に扱うのは効果的だと思われます。

そして瞑想やイメージワークを通じて体験する自然体の状態は
慣れの側面が大きいようですから、メンテナンス的な側面でも
定期的に状態を調える場が大事になると考えられます。

あんなにも自然体だった子供が、年齢を重ねるにつれて
ドンドンと自然から離れ、心の中に歪みを増やしていくんです。
そして歪みの多い状態に慣れてしまって、そちらを普通としてしまう。

特に社会生活をしていると他者の影響は大きいように見えます。
ストレスにおいても、考え方においても、行動や感情のパターンでも
知らず知らずのうちに関わる人から影響を受けて
自分にとっての「普通」が変わっていきます。

身体に起きていることと同じです。
姿勢が歪み、体が固まり、痛みを抱え、動きが悪くなっていく。
そして歪んだ状態が「普通」になってしまいます。

ですが身体を調整して、日頃から運動するようにしたら
体力も健康度も上がるようでもあるんです。

同様に心についても、ワンパターンに凝り固まってしまった状態から
自然体の状態に戻っていくための調整が大事だろう、ということです。


このとき「自然体に調える」ことを強調しているのは、
それ抜きで「過去のパターンを再学習する」だけをやっていると
「今の自分にとって望ましくないパターンを修正する」だけになって
偏った方向に進みかねないからです。

「今の自分にとって望ましいかどうか」の判断を下しているのが
結局、過去の学習の結果なんです。
過去の学習の制約を受けてしまうわけです。

それとは異なり、自然体と呼んでいる状態では
そもそも過去の学習の制約を受けません。

もちろん、過去に学習したものを捨てるという話ではなく、
ワンパターンの対応や決まりきった考え方から離れるだけのことです。
「Aのときは、Bだ」というパターンだけがなくなる。

むしろ柔軟性が上がる結果、これまでに身につけたものの全てが
常に選択肢の中に入っているような自由度の高さがあります。

これまでに身につけたものを組み合わせられる創造性があります。
AのときにBでも、CでもDでもEでも…何でも選ばれるようになる、と。

可能性を広げ、制約から離れ、しなやかに、自由でいる。
すると楽になります。

悩み、苦しみから楽になります。

そして自然体でいるとき、その人らしさが最大限に発揮されます。
世の中と最も調和した状態になり、スムーズに機能する。

自分を生きていると言ってもいいかもしれません。

ところが前述のように、社会生活をしていると
周りからの影響が大きいために自然体からズレていきます。
歪みが蓄積してしまうこともあります。

だからこそ調えます。

修行といってもトレーニングではないんです。
ひたすら実践です。

自分に戻る実践。
自分を生きる修行。

「自分を生きる”ための”トレーニング」ではなく、
「自分を生きる」という修行。
「できるだけ本来の自分らしさでいる」という実践です。


それを一緒にやりませんかというお誘いです。

継続的に開催していきたいと考えています。

コミュニケーションの技術的なこと、知識レベルのこと、
哲学的な問いについてのこと、心の苦しみについてのこと…。
心と関することであれば取り組めます。

そのときどきで、ご参加の方に応じて、内容は変わるはずです。

同じ内容を何度もやる場合もあれば、
毎回違ったことをやる場合もあるかもしれません。

人によって体験することも違うでしょう。

体系化されたプログラムではなく
そのときどきの実践を重ねていきます。

大事だと感じたらお越しください。



◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【ワークショップの詳細】

≪心を調える実践会、

【日時】  2017年 9月10日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


≪心を調える実践会□

【日時】  2017年 9月24日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 北とぴあ 801会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅5番出口直結)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★お申し込みフォームにご希望日をご記入ください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。








般若心経の最後に
 羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶
 (Gate, Gate, Paragate, Para Sam gate Bodhi svaha)
というフレーズがあります。

Gate, Gate, Paragate, Para Sam gate の部分を英訳すると
(いろいろな訳が見つかりますが)
Gone, Gone, Gone beyond, Gone utterly beyond
のようなものが多いようです。

日本語にするのは難しいですが、Gone なので
「進んで到達して」という感じでしょうか。

そしてGone beyond, Gone utterly beyond ですから、
「進んで、到達して、さらにそこを越えて、どこまでも越えて…」
といったニュアンスがありそうです。

つまり、
 どこまでも、いつまでも進み続ける
ということかと思われます。

修行に終わりはない、と。

此岸(こちら)から、彼岸(あちら)に辿り着いたとしても
さらに彼岸を進み続けるんでしょう。

何か目標とするものになるためのトレーニングではなく、
本来の自然な本質(true nature)を発揮し続けるための実践。
それを修行と呼ぶようです。

そしてその修行を人と分かち合う。

そんなスタンスです。

cozyharada at 23:12|Permalinkclip!

2017年08月21日

Kinlde使ってみます

ついにKindleを購入しました。

タブレットが欲しかったわけではなく、読書用の端末としてです。
なので文字の見やすさと、まぶしくないかどうかを重視して
Kindle Paperwhiteなるものを選んだところ。

それほどもう本を読んでいないので大きな魅力は感じなかったですし、
そもそも数冊の本を並行して読むよりは一冊を読み切る習慣だったので
何冊もの本を持ち運ぶこともありませんでした。

また、本を読み返すことも非常に稀なほうなので
いつでも調べられるというのも、さほどメリットとは感じませんでした。


なので、最終的に重要だったのは洋書です。

洋書だとamazonで購入してから届くまでにも時間がかかったり、
場合によってはamazon.comにはあっても日本のamazonにはなかったり。

どうしても輸送の部分でスムーズじゃない感じがあったんです。
結果、Kindle版のほうがかなり安くなることも多いみたいですし。

特に今回、仕事で読んでおく必要のある本が手に入りにくく
「これはもうKindleしかないか」という決定に至りました。

普段、電車に乗るとスマホで何かを調べて読んでいることが多いものの
とりたてて目的のある読み物というわけではありませんから、
スマホを取り出す代わりにKindleを取り出すようになれたら
読書時間は増やせるのではないかとも期待しています。


で、Kindle到着までの間に保存しておく本を数冊検討しているところ。
さすがに一冊のためにKindleを使うのは勿体ない気がしてしまうので。

ただやっぱり、それほど欲しいものが見つかりません。

最近、書店で手に取って検討するのは語学関連のものが中心ですが、
語学書はあまりKindle版になっていないみたいなんです。

しかも語学書は似たような内容の中から自分に合ったものを選ぶ、
という選択のためのプロセスが重要だと感じていますので、
ネット書店では購入しにくいところもあります。

ということで最初のうち、僕のKindleは相当にスカスカの状態になりそう。

いつになったらライブラリーとして充実するのか
それは定かではないですが、
せっかくの購入なので有効活用できれば良いなぁと思います。

cozyharada at 23:27|Permalinkclip!

2017年08月18日

ロシア語の勉強

このお盆の期間、ロシア語の入門講座に通っていました。

合計約10時間。
本当に初歩の初歩だけですが、
本を読むだけでは得られないものがありました。

ロシア語はキリル文字というギリシャ語由来の文字を使い
一部は英語などヨーロッパ言語のアルファベットと共通します。

AとかKとかMとかOとかTとかは、
アルファベットの名前は違いますが単語中の音は同じ。

ただし K の音は少し空気が多めに入るので音色が英語と違います。
これは例えば、「R」の音がスペイン語だと巻き舌になって
フランス語だと喉の奥で摩擦音を出す音になったり、
英語の舌を反らせた音とは異なった音色になるケースと同様です。

これぐらいまでならマイナーな違いです。


厄介なのが、同じ文字を使うけれど読み方が違う文字が多いこと。

同じ文字で読み方が違うのは同じアルファベットの中でも
ラテン語系とかでは起きてくるようですが、頻度が違います。

例えばスペイン語では J がハヒフヘホの子音、
ge と gi もそれぞれ「ヘ」「ヒ」になります。
他には V が「ヴ」ではなく「バビブベボ」の子音になったり
ll (Lが2つ続く)で「ジャジュジョ」の子音になったり。

まぁ、それほど多くありません。

ところがロシア語の文字では、英語と比べてこの違いが多いみたいです。
ロシア語の B は「ヴ」の音、
E は「ィエー」のように「やゐゆゑよ」の「ゑ」みたいな音になる。
H が「エヌ」で英語の N に対応して、
P が「エる」で英語の R に対応するものの巻き舌の音に、
C が「エス」で英語の S に対応します。
X は「ハー」となって「ハヒフヘホ」の子音になります。

y が「ウー」で「ウ」の母音。
英語だと y は子音字ですから母音と子音の関係も変わります。

実際には英語と同じ文字ではないものの、
Nを左右反転した文字「и」が「イ」の母音になるのも混乱を招く。
「ガギグゲゴ」の音、英語の「 G 」に相当する「Γ」も
単語の中に表れると一瞬「r」かと見間違ってしまったり。

こういう文字が一単語の中に沢山登場すると
これまでの記憶が瞬間的に引き出されてしまって
P を見たときには「ああ、『プ』じゃなくて『る』か」
のように文字の識別で時間を取られる感じがあります。

例えば、ポケットを意味する「карман」は
英語の癖で見てしまうと「カプマー」っぽいですが
「カるマーン」のように発音する。

直観的に英語の癖が出てきてしまうのを抑えなくてはならず、
1つの単語を、暗号を解読するような気分で読むことになっています。
変換がややこしいんです。


そのうえ、今まで見たことのない文字も数多く登場します。
「ヨー」だったか「ユー」だったか、
「シャー」だったから「ジェー」だったか、
「チャー」だったか「ツェー」だったか…。

そして単語中の文字の並び方によって、音が変化するルールもあったり。

まず単語を見て発音できるようにするための段階で
文字のところから相当に苦労がある感じを受けています。

しかし、ここを丁寧にやっておくと後で苦労しない予想もしています。
後から「あれ、この単語、何て読むんだっけ?」となりにくいでしょうし、
間違ったまま覚えて、後から修正しなければいけない手間もなくなります。

日本の英語教育だと、この発音ルールを丁寧にやらないんです。
いきなり挨拶や簡単な構文からスタートしてしまう。

結果としてローマ字読みで勘違いしたまま覚えてしまったり、
カタカナ発音のまま勉強を進めてしまって、音の区別がつかず
スピーキングやリスニングで苦労することになったり。

実際、アメリカの母国語としての英語教育でも
最初にやるのは Phonics(フォニックス)という発音ルールだそうです。

これを一通りやっておくと、初見の単語でも発音の見当がつくようになる。
英語には例外の単語も多いですが、それでも75%以上は読めるとか。

例えば「mat(マット)」と「mate(メイト)」の発音の違いは
ルールに則ったものですから、このルールを最初に習えば
ローマ字読みをして「マテ?」なんて勘違いすることは減るはず。

つまり語学の初期段階で発音ルールを勉強しておくのは
母国語学習においても有効とされているようなので、おそらく
外国語学習でも効果的なんじゃないかと想像されます。

幸い、ロシア語は文字も馴染みのないところから始めることもあって
このフォニックスの部分を丁寧に扱うケースが多いようです。

僕の通った超入門コースも、メインはフォニックスでした。

フランス語やスペイン語の講座であれば
初日の1時間程度でサラッと流してしまえそうなところを
10時間かけて丁寧に抑えていく。

文字から異なった言語を始める場合には重要なプロセスだと感じています。


このように講座の中で実際に発音練習をしたり、
発生のポイントを教わったり、練習問題をやったりしながら
地味に覚えていく発音の原則の部分が、
ロシア語の参考書だと、わずか数ページになってしまうんです。

まず、文字の紹介と音のパターンの解説。
それが終わったら、すぐに文法的なルールに進んでいく。

そういうのがフランス語だろうが、スペイン語だろうが
ロシア語だろうが、本として同じように構成されているみたいです。

全て分かっている人からすると、文法項目として分類するため
どの項目も均等な解説の量でまとめられてしまうのでしょう。

しかし学習する側からすると、1つの項目にかけるべき時間は
初期のほうが長くなる傾向があると感じられます。

ゼロから覚えなければいけないこと、
運用できるように練習する必要があることが多いからです。

そのあたりのことを踏まえながら講座の進行を考えてくれるのか
それともカリキュラムを終わらせることを前提に予定を組むのか、
ここで学習効果は変わってくるんじゃないでしょうか。

僕の印象では、最初の段階ほど時間をかけながらのほうが
後々の苦労が少なくなるように思っています。

まぁ、そこは自分で丁寧に復習と暗記を繰り返せば
追い付けない話ではないのでしょうが。

文法が複雑になったり、文章が長くなってきたりするほうが
大変そうに見える一方で、本当に地味な努力を求められるのは
初期段階のほうかもしれません。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!

2017年08月11日

ロシア語始めます

8月中は仕事のスケジュール的に時間調整がしやすかったので
少しだけ積極的に語学をやってみたりしています。

先日はロシア語の入門書を購入して
まずはアルファベット(キリル文字)を覚えるとこから始めました。



少し集中して暗記したら覚えられましたが
まだ定着という状態ではない感じはしています。

それでも文字と音のルールが把握できるだけで
ロシア語の単語を読めるようになる。

本を読み進めたり内容を進めていく過程で
読めない単語があって毎回最初のページに戻るっていうのは
どうも効率が良くない気がしていたんです。

日本人が英語を勉強するときも一応、中学一年生の最初の授業で
アルファベットの書き方や読み方をやると思います。

ですがアルファベットそのものは日本の至るところに溢れていますし、
小学校の時にもローマ字を習っているので、全くの初見ではない。

その状態から勉強し直すところも含みつつ、最初の授業を迎える…
これなら心理的なハードルが高くありません。


また、中学校の英語の場合、進みが早くないのも救いの1つでしょう。
3年間じっくりかけて初級文法をカバーする。

一方で、大人になってからの語学だと
初級文法の一通りぐらいは一冊のテキストに含まれてしまいます。

入門書でさえもある程度の範囲はカバーしますし、
語学学校の入門コースの進行予定を見ても
かなりの項目を扱うように設定されています。

確かに内容のレベルとしては入門なんです。
そこをどれぐらいしっかりと覚えて土台を作るか。

初級、中級となると文法にも複雑なものは追加されてきますが
依然としてメインで使われる文法事項は入門レベルのものです。
入門レベルの文法を使いこなすのが先の段階になる、ということ。

言い換えると、入門から初級に進もうが、中級になろうが、
復習の度合いが大きく、さほど新しいことが増えていくわけではない…
ボキャブラリーの数が増えたり、文章の内容が複雑になったり、
意見を聞くような内容が増えたりするのがレベルの高さのようです。

使いこなす必要のある文法事項そのものは、大部分を
入門レベルでカバーしてしまうことも少なくなさそうなんです。

ここまでくると、母国語で文法を理解していれば、
辞書を使いながら文章が読める段階だとはいえるんじゃないでしょうか。

語学学校のペースでいくと、進みの早いところであれば
週一回か二回の授業によって半年で入門コースが終わり
初級文法の大部分が紹介されてしまいます。

少なくとも一年通うと入門の段階が終わって
初級文法の一通りを知ることができる。
そういう設定がスタンダードなように見えます。


これは意外と早いと思うんです。

もちろん本気で勉強していたら全然早くありません。

しかし大人になってからの語学の大半は
仕事の空き時間だったり、趣味の一環としての度合いが大きく
毎回の宿題をハードにこなすような意欲とは違います。

分からない単語ぐらいは辞書で調べたとしても
出てきた単語を全て暗記するようなスタンスではなさそうです。

まして学校のようなテストがあるわけではないですから
なんとなく授業を受けているだけでも先に進んでいってしまう。

ここで初期段階の学習内容をどれだけ記憶できているかが問われます。

「あれ、これってなんだっけ…?」と思っている間にも
授業は新しい項目の紹介を次々に進めていきます。
覚えているか・いないかに関わらず。

しかも語学の初期段階は基本単語が一気に登場しますから
覚えておくべき情報量は多いはずです。

それなのに授業や本の進行は、以前に紹介したものは
当然の前提として次の項目へと進んでいきます。

復習や暗記は本人の努力に委ねられていると思われます。
中学校のときのように大量の練習問題をやって
少しずつ記憶に定着させるようなことはありません。

覚えきっていない状態でも容赦なく先に進みますから
負債が溜まった感じで進んでいくのは苦痛でもあります。

だからこそ初期段階をじっくり時間をかけて繰り返すか
自分で丁寧に暗記して負債を抱えないようにするか、
入門のレベルの時こそ努力するポイントがあるように感じます。

ということで、僕はまずロシア語の入り口を
しっかり固めることにしました。

それから入門レベルの講座に通ってみます。
できれば2回ぐらい、違う場所でやってみようかと考え中。

手を抜かずに単語の暗記もやった方が良いんでしょうが、
それをどれぐらいヤル気になれるか…。

まぁ、言語習得のプロセスについて理解する目的でも
試しながら取り組んでみるつもりです。

cozyharada at 23:09|Permalinkclip!

2017年08月05日

追加の価値を高めることで

いろいろなホテルに泊まっていると、
ときどき”上等な”ホテルをリーズナブルな価格で利用できることがあります。
(今回は夏休みで人気の時期らしく狭いホテル)

それぞれに特色があって、サービスやビジネスの観点から見ても発見が沢山。

狭い部屋の中をどう使うかなんかは特に個性が出る印象です。

例えば…。
ベッド側を狭くして広めで使いやすいバスルームを配置し、
テーブルは最小限にする。
空間は動作を妨げないように余計なものをなくし、
部屋で何かをするというよりも、ただ「泊まる」ことに特化した感じ。

一方、
バスルームを狭くしてベッド側の空間に余裕を作り、
テーブルやテレビを大型にする。
クローゼットのスペースも取らず壁にハンガーラックをつけるだけにしたり、
とにかく床面積の大部分を「室内で何かをする」ための設備に充てる感じ。
窮屈だけど利便性はあるような設定。

あるいは、必要最小限に徹することで安価に抑えるスタイルもあれば、
内装を綺麗にしたり細々したサービス
(無料コーヒーとか空気清浄機とかペットボトルの水とか)
をつけたりして”高級感”や”お得感”を出すスタイルもあったり。


ホテルに何を求めるかは利用客の好みによるところでしょうが、
僕は空間を求めているようです。

そもそも地球上で人間の生息可能なスペースは限られていますし、
同じ広さの空間に何人を収容するかによって
利用客数が変わってくるわけですから、ビジネス的にも重要なはずです。

電車やバス、飛行機、船などの交通機関でも
無尽蔵に大きなものを動かしていれば乗客数に制限はありませんが、
実際には大きいほど建造費や運用費もかかりますし
大きなものに数人しか乗っていないというのは勿体なくもあります。

シンプルにいっても、安定して利益を維持しようとしたら
運賃×利用客数がコストよりも多い必要があると考えられます。

同じ大きさのもので乗客を運ぶことを想定した場合
(コストが同じだと仮定すると)、
一人の利用客でも利益を出そうとしたら一人当たりの料金が高くなり
大勢の利用客であれば一人当たりの料金が安くなる。

空間を占有する人数(想定利用客数)で想定売上高を割った分が
一人当たりの料金になる、というのが単純計算でしょう。

一人で広い面積を占める、つまり一回の運搬あたりの客数を抑えたら
その分だけ一人当たりの運賃は高くなる。
一人当たりの面積を小さくして大勢の乗客を詰め込めば
一人当たりの価格は安くなる。

そこが交通機関のベースだと思うんです。

新幹線のグリーン車が普通の指定席より高いのは、
グリーン車のほうが一両当たりの座席数が少なく
その分だけ大きなシートを使って一人当たりの空間が広いから。

椅子の座り心地や付属のサービス部分がコストに占める割合は
それほど大きくないと思われます。

新幹線のグリーン車料金は、一車両当たりの席数で計算すると…。
おおよそのグリーン車の席数が一両当たり0.7倍。
東京ー新大阪の普通料金14,450円が、グリーン車料金19,230円の0.75倍。
だいたい同じぐらいの比率になっています。

席数基準でいえばグリーン料金20,600円に相当しますから
若干割安なぐらいだといえそうです。

一人当たりのスペースの広さ(座席の広さ)以外にも得られる
シートの快適さや車両内の静かさ、少しコストをかけた内装、
若干の追加サービス(電源設備、おしぼり、雑誌など)も加味したら
むしろお得だといえるのかもしれません。

普通車が満席の時でもグリーン車には余裕があったりもしますから、
収益の観点からするとJR側としてはグリーン車より普通車のほうが
儲けを生み出してくれているぐらいじゃないかと想像できます。

そして、ホテルも同様だと思うんです。
土地と建物の都合から、総床面積が決まっている。
一泊当たりの収容客数を少なくすれば部屋は広くなり、値段も上がる。

それが単純な原則だと思われます。

もちろん土地の値段が関係しますから、駅に近いとか都心に近いとか
立地に応じた値段の変動もあって当然でしょうが、
似たような立地条件であれば一部屋が広いほうが値段は上がりやすい、と。

あとは管理のための人件費も大きいでしょう。
概して安いホテルほど従業員数が少ない。


そう考えると、理屈で考えても空間の広さが
ホテルの提供するサービスの中心だという気がしてくるんです。

特に土地の価値が高い日本では、土地が広いアメリカの地方都市などとは違い、
空間の広さがコストを占める割合も高いと考えられます。
その意味でも部屋の広さが土台のように思うんです。

そのうえ僕の場合、何かを避けながら移動するとか
ぶつからないように動作をコントロールするとか、
そういう周囲への警戒の度合いがストレスに感じられます。

のびのびとできないというか、制約されている感じがあるというか、
警戒している分だけリラックスもできませんし、
空間的な圧迫感を覚えると体が固まる感じも出てきます。

もっと体の大きい人だったら、なおのこと広さに求めるものは上がりそうです。

なんとなく空間そのものにホテルの価値を求めたくなってしまう、
という話です。

その意味で、狭いホテルがどういう工夫をしているかという部分は
かなり戦略的で、個性が表れやすい部分のようにも思えます。

広くてゆったりしていて高い…だったらシンプルですから。

「狭い、けど○○だから価値がある」
そういう仕組みで宿泊料を上げて利益を出す、と。

狭さを補う部分をどうやって生み出しているのか、
どうやってコストを抑えて利益を高めているのか?

そんなことを考えさせられるキッカケになります。

cozyharada at 23:45|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《心を調える実践会》

【日時】 2017年9月10日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


【日時】 2017年9月24日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 北とぴあ
    801会議室

    JR王子駅より2分
    南北線王子駅直結

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次回開催は10/15の予定


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《新カウンセリング講座》
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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