コミュニケーション

2018年01月16日

緊張と頭痛

幼少期から偏頭痛持ちでした。

とはいえ「偏頭痛」という言葉を知ったのは大人になってからですから
なぜ頭が痛いのかも良く分からず、ひたすら親に迷惑をかけるだけ。

あまりにも頻繁に強い頭痛を訴えるので
「病院で検査してもらったら?」と何度も言われました。

精神的なものも関係しているようです。
確か、小・中学校の頃は毎週日曜日に頭が痛くなったものでした。

過度にリラックスしたり、普段と違う状態になっても
偏頭痛は起きると言われています。

また、会社に入って最初の3年は山口県に住んでいたため
東京へ帰省するタイミングには飛行機を利用していたんですが、
そのたびに頭が痛くなっていました。

ストレスや気圧の変化も影響するとのこと。

振り返ってみると典型的な偏頭痛の兆候だといえます。


そしてセミナーの仕事をするようになってからも
依然として偏頭痛は続いてました。

というより実際には症状が強くなっていたかもしれません。

気分が悪くなって吐くことも何度かあったように記憶しています。
随分と無理をかけながらやっていたんだなぁと感じます。

それが最近は、体のケアをしてもらうようになって
随分と減ってきていました。

たまに頭が痛くなることはありますし、
セミナーの翌日あたりは体の負荷が強く出て
頭痛に繋がることもそれなりにあります。

ただ程度はずっと下がっていたんです。

仕事から帰ってジムに行って
有酸素運動と肩回りのトレーニングをすることでも
翌日の肩と背中の強張りは随分と減らせるようにもなりましたし。


しかし先日、久しぶりにかなりの負荷が出てきました。
首回りへの負荷が大きすぎたようです。

このあたりは人数と、扱う内容と、場の安心感に関係するようです。

特に場の安心感は重要だと感じます。
時間がかかる部分と、僕にはどうにもできない個人の領域と
どちらもが関係します。

誰でも人と接するのは基本的にストレスフルなんです。
一人のときとは違うストレスがかかる。

いくら命の危険を感じてないとしても
自分の心が傷つくかもしれない可能性は常に伴います。

言い換えると「緊張する」ということ。

その場にいながら緊張する状態がどれぐらい起こっているか。
会社に勤めていれば、社内外の人間関係でも通勤中でも
緊張しながら人間関係に耐える度合いが大きくなります。

緊張に慣れてしまうんでしょう。

だからこそ
「ただ、その場にいる」ことに安心できるかどうか
が大きな意味を持ちます。

それだけで凝り固まった心の緊張がほぐれます。
温泉に浸かって体がほぐれるようなものです。

その状態は目に見えるものではありませんが
そういう場になっていくと楽になります。

一方で、そのような場になるまでの間は
僕の身体にも緊張感が起こってきます。

久しぶりの強い偏頭痛は、その緊張が関係していそうです。

対処の方法は、自分の身体をケアするぐらいしか思いつきません。

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2018年01月13日

言葉の壁

語学について興味を持って取り組んでいると
その外国語のみについての話だけでなく、
外国語習得のプロセスについての情報も見つかってきます。

1つ興味深かったのは「言語的な近さ」の話。
どれぐらい似ているか、どれぐらいの共通点があるか、
といったことです。

例えばスペイン語はラテン語由来の言語なので
同じラテン語系列のフランス語、イタリア語とは近縁です。

しかし単語や発音の特徴からすると
スペイン語はフランス語よりもイタリア語、ポルトガル語に近いようです。

イタリア語、スペイン語、ポルトガル語はそれぞれの言葉で話しても
かなりの程度、相手の話が理解できるなんてことも言われます。

もちろんスペイン語は、英語よりもフランス語に近いはずです。
それでもアラビア語との差を考えれば、英語のほうがスペイン語に近い。

そのように類似性や歴史的なルーツで比較する観点があるわけです。


似たようなものとして「習得に必要な時間」という基準もあります。
例えば、英語ネイティブの人がフランス語を習得するのに
どれがぐらいの勉強時間を必要とするか?といった着眼点です。

何をもって「習得」とするかは微妙なところではありますが
同じレベルで揃えてはいるはずなので、
「ある程度のレベルになるまでの所要時間」と考えれば
比較の基準には使えそうです。

そうすると、英語ネイティブの人であれば
フランス語よりも中国語のほうが時間がかかる
といった話で比較が可能になります。

実際には、文法や単語など言語的な共通点の話だけでなく
個別の言語そのものの特徴としての複雑さなども含まれます。

文字の数や、表記のルール、音の種類や、
文法上の語形変化の複雑さ、ルールから外れる例外の多さ…、
などと「ややこしい言語かどうか」という特徴によっても
学習に必要な時間は変わってくる、と。

この複雑さの点で、できるだけ簡単なものにしようとして作られたのが
エスペラント語という人工の”世界共通語”のようです。
結果的にあまり広まってはおらず、英語が共通語のような実情ですが。

英語が世界共通語のような使われ方をするのは
歴史的な事情や経済力などの点も関係するでしょうが、
英語という言語がシンプルなところにも理由があるようです。

複雑さという意味では、英語は習得が楽な部類だということです。

例えばラテン語系のフランス語やスペイン語は
動詞の活用の種類が細かいんです。

一人称、二人称、三人称、そしてそれぞれの単数、複数で
動詞の形が少しずつ変形します。
かつ変形の仕方にも色々なパターンがある。

時制も過去、現在、未来と全て形が変わります。

また名詞に男性・女性の区別があり、その名詞の性と
単数か複数かに応じて、形容詞の語尾も変化します。

その点、英語の動詞は、ルールに沿った形であれば基本的に
動詞の語尾に「-ed」をつけるだけで過去形、過去分詞形になります。

未来を示したければ、ニュアンスに合わせて
助動詞の「will」を使うか、「be going to〜」を使うか、です。

単数か複数かの違いは語尾に「s」をつけるだけで
それに合わせて形容詞の形が変わったりもしません。
男性・女性の区別もない。

主語、動詞、目的語、補語など、単語の意味の区別は
単語の形そのものと、文章中の語順で示されます。

語順の使い方さえマスターして、単語を覚えさえすれば
かなりの表現ができるようになる言語だと言えます。
相当シンプルです。

ただし英語はルールからの例外が多い言語だとされます。

動詞の活用や、単数・複数の形などの例外は
フランス語だってかなりありますので
とりたてて特別なものではない気もしますが、
発音については表記との違いが多いようです。

単語の読み・書きまでマスターしようとすると
例外の多さで苦労する、というところなんでしょう。

このような言語としての複雑さと、母国語との類似性とが
どれぐらい習得に時間がかかるかに関係すると考えられます。


これを踏まえると、
例えば日本語に一番近いとされるのは韓国語だそうです。
文法的に近いところがあり、語順も同じ。

文字もハングルを一通り覚えれば
発音のルールに沿って読み書きもできるようになる。

類似性だけでいえば、日本人が韓国語を習得するのと
韓国人が日本語を習得するのは違いがなさそうに思えますが、
実際には言語の複雑さの点で違いがあります。

日本語のほうが文字のシステムが多いいために
(漢字・カタカナ・平仮名とがある)
読み書きとしてはハードルが高いわけです。

そして英語は日本語と遠い言語だとされます。

だから日本人が英語をマスターするのは大変だとされる。
オランダ人が英語をマスターするのとは訳が違います。

しかし言語の複雑さからすると
英語は日本語と比べると遥かにシンプルです。

日本語は例外が少ない言語だと聞きますが、それでも
文字や文法、擬態語など、複雑性の高い言語だといえます。

ですから英語が母国語の人が日本語をマスターするときのほうが
言語的な距離の遠さだけでなく複雑さも乗り越えなければならず、
日本人が英語を習得するよりもずっと大変なはずなんです。

ネイティブの英語話者にとって一番習得に時間がかかる言語が
日本語だという話は、実際によく見かけられます。

にもかかわらず、日本語がペラペラで
漢字の読み書きもできるアメリカ人だっています。
どれだけ大変だったことか。

英語が日本語と近縁ではないというだけで、日本人にとって
英語習得が大変だという結論は出しにくいと感じます。

社会には無数の英語表記がありますし、
カタカナ語として日常的に取り入れられている英単語も沢山ある。

覚えるハードルだって低いとも言えそうです。
少なくとも、「机」という単語を知らないアメリカ人の数より
「デスク」を知らない日本人の数のほうが
ずっと多いのではないでしょうか。

「デスク」を知っていれば、「desk」というスペルを覚えればいい。
アメリカ人だったら「つ・く・え」という音と
「つくえ」という平仮名表記と、
「机」という漢字を覚えないといけません。

英語の習得は日本人にとって、韓国語よりは大変かもしれませんが
実際のハードルはそれほど高くないんじゃないか
とも個人的には思えるんです。


日本人にとって特に厄介なのは、語順と発音でしょうか。

発音のシステムの差が大きいせいで聴き取りが難しい、
ということはあるような気がします。

フランス語やロシア語ほど複雑な文法事項はありませんから
語順のパターンに慣れるために多読するだけでも十分そうです。

話したり書いたりするアウトプットの作業で
言いたいことを表す表現が見つからないのはもどかしいものですが、
これは英語だけに限ったことではありません。
外国語習得にはつきものなんじゃないでしょうか。

トレーニングが求められるところだと思います。

そんな風に考えてみると、日本人が英語をやるうえで
注意深く取り組む必要があるのは、発音なんじゃないかと思えてきます。

スペイン語やイタリア語だったら発音のシステムが似ているので
この点で心配する必要性は大きく下がるはずです。

日本の英語教育を変えるのは事情が複雑すぎますが、
日本の英語教育に欠けた部分を自分で補えば、それだけでも
これまでに学校で勉強してきたことが活きると思うんです。

世の中にも発音指導の機会がもっと増えると良いなぁと感じています。

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2017年12月28日

鹿児島出張

仕事を兼ねて鹿児島に3日間行ってきました。

今までに2,3回、鹿児島には行ったことがありますが
いずれも10年ぐらい前のことだったと思います。

鹿児島中央駅の近辺から、その繁華街である天文館という地域まで
ウロウロしたぐらいだったでしょうか。

なにやら公園のようなところにも行った気がするものの
メインはセミナーだったので大した観光はしていませんでした。

それでも夕飯で入った店は価格帯に関わらず
どこも美味しかったのを覚えています。

魚が美味しく、醤油も関東と違った甘目の味で
これもまた好みに合いました。

そして今回、魚を食べる機会は少なくて(くら寿司だけ)
むしろ肉の美味しさに感動してきました。

黒豚が有名なだけでなく、地鶏や牛肉も
育て方が良いのか、とても美味しかったです。


今回の仕事で滞在したのは、鹿児島市内ではなく霧島市。

桜島は見える位置でも、風向きの関係で火山灰は来ないそうです。
おかげで空気がとても澄んでいて、
高いビルも少ないために見晴らしが良いところでした。

鹿児島の平野部は、かなりフラットな感じに見えます。
すぐに山が表れるのに、平野部分も広いような印象です。

関東や関西の平野と比べると小さい平野なんだと思いますが
山に囲まれている雰囲気はなくて、むしろ広々して見えました。

建物も密集しているわけではないので
アメリカを連想させるような景色でした。

田舎という感じもなく、むしろ
街が狭い地域に密集せずに広がっているような感じかもしれません。

やはり地域差というものが色々とあるんでしょう。

山口に住んでいたときに見かけていたファミレスの「Joyful」など
東京では見かけない懐かしい店なんかもあって
チョット感慨深いものがありました。

思い返してみると、僕が訪れたことのあるところは
日本国内でも極めて限られています。

観光そのものは好きではないけれど
各地の雰囲気や傾向を知るために行ってみるのは
意外と楽しいものなのかもしれません。


今回の鹿児島滞在で行った唯一の観光は
朝の神社巡りでした。

知る人ぞ知る神社だったそうです。
朝早起きして、車で連れて行ってもらいました。

少し山の中にあるため、かなり冷え込んでいましたが
その分、空気の静けさや奇麗さが実感できた気がします。

朝焼けから日の出まで、とても美しい景色も見られましたし。

神社を作る人たちは、神秘的な景色が見られて、かつ
木々の清々しさに囲まれたような場所を選ぶのかもしれません。

神社好きな人たちの気持ちが少し感じられたような気もしています。


(写真は神社の鳥居の手前から見られた池を見下ろす景色。
 朝焼けの赤は実際、もっと赤々としていました。)
kagoshima

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2017年12月19日

スペイン語が気になってきました

フランス語の勉強を再開して、そろそろ3年ぐらいかと思います。

元々は高校時代の第二外国語がフランス語だったことがあって、
ある程度の文法や単語としてバックグラウンドがあったので
新しく勉強というよりも復習とトレーニングをしてきた感じでした。

最近はよりトレーニングの度合いが強まっている気がしますし、
理解が固まってきているからこそトレーニング効果も表れやすそうな印象です。


そもそも学生時代以来にフランス語を再開したキッカケは
同じく3年前の時期にスペイン語を勉強しようと思ったから。

英語を使って何かを勉強することを続けようとしていたとき
英語でスペイン語を学ぶ講座を見つけたんです。

それでスペイン語を始めてみました。

で、同じラテン語系の言語であれば一気にやったほうが効率が良いかと考え
学生時代にやっていたフランス語もついでに再開してみたんです。

実際にはフランス語のほうがベースの知識を持っていましたし、
それもスペイン語学習に役立つんじゃないかと考えた次第。

結果としては3か月ぐらいのスペイン語学習の末、
継続を止めた形になっています。

理由は先生が合わなかったから。

英語で勉強するスペイン語と言いながら、
先生の英語力が高くなくて説明が分かりにくいだけでなく、
英語の発音の訛りが酷くて聞いているこちら側が理解するために
余分な負担を強いられている状態でした。

そのときの生徒の半分ぐらいは日本人、
あとはアメリカ人とフィリピン人。

もちろん日本国内で開催していますし、先生も日本在住なので
少しは日本語が使えるつもりだったんでしょう。

ときおり日本人向けに日本語での説明を混ぜたりしていたんですが
本人の日本語力が低く誤解もあったりしたおかげで
むしろ余計に分かりにくくなってしまうことが多々ありました。

コスタリカ出身ということでラテンアメリカの文化だったのか、
それとも個人的な性格だったのかは不明ながら、
講座の進め方が適当だったのも続けたくない理由の1つでした。

2時間の講座のうち、自分の個人的な無駄話で30分も余計に使い
その分の30分を延長してやるという独特のスタイル。

しかも夜の時間帯でしたから帰宅時間が遅くなるのも困りものでした。

発音や単語の選び方に関してもスペイン語はバリエーションがあるらしく、
中米のスペイン語は、スペイン語のスペイン語と差があるというのも
ヨーロッパ言語を勉強しようと思っていた僕にとって
モチベーションを下げる要因の1つになっていた記憶があります。


そのあたりのことから、その先生から続きを勉強する気にはなれず
スペイン語の勉強は中断したというのが実情です。

一方、学習を効率化しようと思って再開したフランス語に関しては
フランス語だけでの説明でも授業を追えるようになってきたので
そのまま勉強を続けることにしたんです。

英語で語学をやるという方向性は消えてしまいましたが
外国語学習としては続けてみようと思えたわけです。

ここ最近は、基礎として蓄えてきた文法知識やボキャブラリーを
運用できるものにするために、実用的なトレーニングをしている段階。

勉強段階とトレーニング段階と、ハッキリ分ける必要はないでしょうが
それでも重視する側面が変わってきている実感はあります。

そんな折、来期に勉強するものを探していたところ
ネガティブな思い出を伴っていたスペイン語講座に
今までとの違いがあることに気づいたんです。

担当講師の名前が変わっていました。

英語でスペイン語をやるという点では同じですが
先生がスペイン人になっています。

これはチョット光明が見えた感じ。

スケジュールを見て再検討してみようと思います。

cozyharada at 23:58|Permalinkclip!

2017年12月13日

身体が使えると

ジムで運動するようになって半年ぐらいは経ちました。

だいぶ体が使えるようになってきた印象ですし、
日々の疲労感も減ってきている気もします。

セミナーあとの回復も早そうです。

とはいえ参加者への注意を強く払うタイプのセミナーだと
眼や耳からくる疲れなのか、異質の疲れがあるようで
運動の効果もさほど大きくは出ないみたいです。

セミナーあとに頑張ってジムに行って体を動かすと
確かにその日の眠りは良くなるものの、
次の日に頭が働かない感じや酸欠の感じがについては
あまり改善されないようでした。

やはり睡眠の量と、体をほぐすための運動と、
両方とが必要になるんでしょう。


一方、体を動かすようになった効果は
意識を向ける範囲にも影響が出ているように思います。

背中側を動かす運動を中心にやっているため
身体の裏側を効果的に動かしやすくなってきた印象です。

動作として動かせるようになるのももちろんですし、
肉体疲労が背中側に表れることで、痛みやハリを通じて
背中側に注意が向きやすくなっているのもあると思います。

注意が体の裏側にも配れているというだけで
意識の範囲が広がってきたように感じられるんです。

日常的にも背中や腰、首など、体の裏側で負荷がかかりがちな部位に
疲労がたまってきたときに気づきやすくなったかもしれません。

それ以上に効果があるのは座禅をしているとき。

肉体的なトレーニングの効果として姿勢を維持しやすくなった上、
裏側にも意識の範囲が広がったことで
意識状態そのものにも変化が起きてきた感じがします。


とりわけ先日、座禅をしにいったとき
伝統的なスタイルの指導を少しだけ受けて
姿勢や取り組み方そのものの意義を体で感じられた気がします。

微妙な姿勢の指摘を受けただけですが、それでも
その姿勢の差がもたらす内面の状態の違いは大きく
伝統的に込められてきた意味があるのだろうと思いました。

言葉で伝える内容は伝言ゲームのように正確さが減るでしょうし、
途中に理解のステップが含まれれば、伝達のたびに
個人個人の理解の仕方によって内容が変化する可能性があります。

しかし客観的に観察可能で、思考を通さない「体の使い方」…
つまり姿勢やフォームに関しては、そこに込められた意義を
忠実に伝達していきやすいのかもしれません。

これも体をケアして無理なく色々な姿勢を取れるようになってきたこと、
運動することで肉体への感受性が上がったことなど、
身体に関する取り組みの効果が関わっているように思いました。

「病気にならない」という意味での健康ではなく
「生き物としての活動がスムーズになる」意味での健康は、
「生きる」ということへ向き合う姿勢としても
誠実に関わっていきたいものだと感じています。

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2017年12月09日

地域差が際立って見えます

久しぶりに大阪と名古屋にやってきました。

名古屋は9月以来、大阪は7月以来ですから
まだ暑かったころの記憶があります。

毎月のように来ていた時期もあるので
それと比べると随分と間が空いた感じがします。

もちろん見慣れた場所だという認識もありますから
とりたてて違和感はありません。

ただ、間があいたからこそ「いつも通り」という印象が薄らぎ
ちょっと特別な感じ方をしているようにも思えます。

東京での日常と比べて違いが際立って見える感じでしょうか。

とくに今回は大阪、名古屋を一日ずつで移動しているので
東京、大阪、名古屋の3都市の雰囲気の違いを
比較するような形で見ている気がします。


言語的な違いはハッキリしすぎているので置いておくとして
街並みや人の姿、振る舞いの傾向なども違いがあるようです。

駅や店舗の作りなどは街として開けた時期の差とか、
再開発のタイミングなどの影響も大きいと思われますから
それが文化によって生まれたものかどうかは分かりません。

大阪は狭い範囲に多くの物がギュッと詰め込まれた印象というか
いろいろと入り乱れながら賑やかな印象を感じました。

一方、名古屋のほうがスペースが広いような印象を受けます。
実際に歩いている人数も大阪より少ないのかもしれませんし。

心理的にとらえると、むしろそうした環境で過ごしていることが
歩き方や行動のパターンにも影響を与えて
人付き合いやコミュニケーション、街中での振る舞いとして
文化的な傾向に関与しているとも考察できそうです。

「県民性」のようなステレオタイプを考えようということではなく、
多くの人が似た環境で過ごすことで自然と身につける行動パターンとか
他の人を参考にしながら暗黙の了解として共有する人との関わり方とか、
そういった学習が共有されながら受け継がれていく結果として
文化が形作られていくものがあるんじゃないか、という話です。

そして大阪と名古屋の人たちにおける動作スピードの違いは
人の集団が作り出すリズムの特徴にも影響を及ぼすと思われます。

大阪の賑やかな感じ、名古屋のゆったりした感じを僕が受け取るのも
そんなリズムを捉えているからじゃないかと感じました。

東京の通勤ラッシュのときのピリピリした感じとは随分と異なります。


そしてさらに興味深いのが、やはり地域性は
身体的な見た目にも表れそうだというところでしょうか。

東京、大阪、名古屋はいずれも大都市ですし
他の地域との人の交流もありますから、
長年続く地元出身の人だけが住んでいるわけではないでしょう。

それでも、生まれ育った馴染みのある地方に
住み続けようとする人も意外と多いもの。

関西圏、中部、関東と分ければ、各地域に
遺伝的な近さもあるのかもしれません。

見た目の特徴としてもパターンがありそうです。

もちろん、姿勢や表情などは行動パターンとして
自然と他人のものを参考にしていたりしますから
そのあたりでも地域ごとの見た目の違いも生まれるとは思います。

遺伝的なものから生まれる骨格的な特徴と、
共通する行動パターンが生み出す筋肉としての特徴と、
集団に溶け込もうとすることで生まれる流行と、
様々な要素から見た目の共通点もできているのだろうと感じました。

人の特徴を見られるのも、僕にとっては
移動の面白さの1つになっています。

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2017年12月03日

世のため人のため

先日、ある著名な仏教の僧侶の講演会に行ってみました。

医師をやっていた時期があるせいか
講演のスタイルはスライドを使ったプレゼンという感じ。

多くの学術的なデータを示しながら
「いかに瞑想やマインドフルネスが有効か」
を示す趣旨だったように思います。

もちろん、そのあとで実際に瞑想をする時間もありましたが。

そのうえで、生きる上での指針のようなものとして
思いやりや慈しみの重要性も説明していました。
瞑想はそれらを育む手段でもあるような位置づけだったと思います。

いずれにしても「幸せに生きるのに役立つもの」として
瞑想や思いやりを実践していきましょう、という位置づけなんでしょう。


本人は長く修行を積んできているそうですが、
こうした教えの内容を本人がどのように捉えているのかは
聴いているだけでは分かりませんでした。

もしかすると教えていることは一般向けに分かりやすいものだけにして
自分でやっていることは違う可能性もあります。

西洋的な価値基準が一般的になっている社会で
仏教的な内容を伝えようとすると、受け入れてもらうための工夫として
一般的な発想に合わせる形でアピールするのが必要なのではないか、と。

実際の中心的な教えとは異なる部分もあるけれど
多くの人に伝わりやすくするために、あえて入門的なものとして
本来とは違った角度を追加しているかもしれない、ということです。

その顕著な特徴が「役に立つ」という部分。

集中力が上がるとか、仕事の成果が上がるとか、
鬱が回復するとか、病気になりにくいとか、幸福度が上がるとか…。

そういう現実的な『メリット』を強調することで
瞑想に取り組むモチベーションを高める伝え方をしていました。

そういう理由がないと現代社会の人は実践しないでしょう。
興味すら持ってもらえないことが多いと思われます。

また、そうした現実的なメリットの部分を強調しておけば
瞑想やマインドフルネスが『方法』として有効だという話になって
その奥にある教えの部分まで取り入れる必要性は見えなくなります。

大げさに言えば、例えばキリスト教が主流のアメリカ社会だと
仏教として教えを広めようとしたら宗教的な話が避けられないでしょう。

それが瞑想やマインドフルネスという手法の話になれば
信念の部分はそのままにしておくことも可能です。

受け入れてもらいやすいと考えられます。


角度を変えて言えば、それだけ
 瞑想やマインドフルネスを広めようとしている
という意図があるとも考えられそうです。

実践すれば本人にとってメリットがある。
幸せになったり、楽になったり、人間関係が良くなったり。

と同時に、それで気づきと思いやりが育まれれば
社会全体にも影響が出るだろう。

そういう話は実際に出ていました。

世の中を変えたいようではあったんです。
だから講演活動にも積極的なのだろうとは窺えます。

現実的なメリットをアピールして動機づけることで
瞑想やマインドフルネスに取り組んでもらって
本人や社会が幸せで思いやりのあるものになってもらいたい…
といった趣旨があるのかもしれません。

実用的な視点があるように感じました。

僕には社会を変えたい想いはありませんが
こういう人たちが活動していることもまた
世の中にとって自然な動きなのだろうと思います。

なんとも色々と考えさせられる機会でした。

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2017年11月30日

【ワークショップ】心を調える実践会:12/23/2017

ご案内: 12月23日

   心を調える実践ワークショップ


日程のお知らせはブログの片隅にあげていましたが
 12月は、23日(土)
修行の場としての実践ワークショップを行います。

趣旨は「繰り返しと発展を重ねながら継続する」
ところにありますので、
基本的なご案内内容は過去のものと同じです。

これまでにご参加の方は、下の方にスクロールしていって
そのまま申し込みフォームをご利用ください。
 (もちろん大事なコンセプト説明ですので
  読み直して頂くのもありがたいですが)

継続の重要性を説明したものは、こちらもご参考にしてください。
 >>リンク【補足:修行・実践の継続性について】

具体的に何をするかというと…。
◆心についての理解を深める
 ・説明
 ・ディスカッション
◆学習されてきた心の癖を変える《再学習》
 ・NLP、心理療法的なワーク(ニーズに合わせて)
 ・自分でできるワークの紹介と実践
◆学習されてきた心の癖から離れることで心を調える《脱学習》
 ・瞑想
 ・気づいている度合いを高めるトレーニング
◆新しい技術や振る舞いを身につける《(新規)学習》
 ・効率的な学習法の説明
 ・新しい技術、方法のトレーニング
◆心の本質に触れる


なお、新規の学習や再学習のときに何を対象とするか、
…つまり何の技術を向上させたいかというテーマは自由です。

コミュニケーションや人間関係に関わるものが中心でしょうが
ご自身で専門性が高い分野であれば、スポーツや芸術など
対人技術でないものもトレーニングが可能です。

※注意事項
 こちらが詳しくない分野でも、ご本人の知識・経験が豊富であれば
 その材料を活用して技術向上を効率化することができる、
 という意味です。
 
 逆に、こちらも詳しくない、ご本人も始めたばかり
 というケースだと、扱えないこともあります。


また、ワークショップ中に、上記の項目のうち
何をどれぐらい行うかは、そのときによって異なります。

こちらの判断でアレンジしていくのと同時に
ご要望にお応えする形ともなります。

関心のあるものがあれば、申し込みフォームへご記入いただくか
当日にお話しください。


以下は過去の内容の繰り返しになりますが
ワークショップのご案内と申し込みフォームです。
上記項目の補足説明とご理解ください。


----------【以下、本文】----------

具体的に何をするかは毎回、ご参加の方に応じて
柔軟に変わっていくはずですが、
原則とする部分は常に共通しています。

とにかく『心を調える』をテーマとして実践する

人は生きてくる過程で社会に合わせることを求められ
効率的な振る舞いのパターンを学習してきます。

そして学習されたものがワンパターンになり自動化される。

このパターンが、置かれている状況で上手く働いてくれれば
何も問題を感じることはないでしょう。
スムーズに進んでいるように感じられると思います。

一方、今までのパターンが通用しなくなったとき、
とりわけ今まで上手くいっていたもの、
自分の強みだったものが空回りしだしたときには、
大きな行き詰まりが感じられるようです。

無理もありません。
今まで強みとして使えて望ましい結果も出ていたのですから
それ以外の方法を模索しようともしてきていないでしょう。
ワンパターンになっている度合いが強く、
柔軟性が小さくもあるからです。

しかも強みだと自認していたということは、
それが自分らしさの支えにもなっていたわけでもありますし、
能力面の自信の源にもなっていたはずです。

そこに空回りが出て上手くいかない環境に身を置いている…。
となると、上手くいかない不満だけでなく、
自分の強みへの自信を失っていく体験にもなります。

ショックの度合いが強いんです。

かといって変わろうと思っても、
「でも、これが自分らしさだから…」と
その強みとは真逆のことなんてやりたくも思えない。

例として良くあるのが、
 何でも自力で切り開いてきた行動力のある人が
 管理職や経営者として他人に仕事を委ねる必要性が出てきたときに
 部下へ仕事を任せられず自分で仕事を抱えてしまう
といった話です。

自力で頑張る行動力という強みが、
管理職・経営者という状況に合わなくなってきている。
その状況に適応するために変化を求められている、ともいえます。

もちろん今までのパターンを使い続けるのも1つです。
上手くいく環境に身を置くようにするのも1つでしょう。
(例:自力で頑張りすぎて人に任せられない → 一人で仕事をする)

その一方で、
 状況に適応するように自分が変化する
という向き合い方もあります。

このワークショップにおける『修行・実践』の形態としては、基本的に
 自分が変化して状況に適応できるような「しなやかさ」を育む
方向性で進んでいきます。

中には改善しようのない状況もあるかもしれません。
その場合には「変えられないことを無理に変えようとする」心の癖を
調えるように取り組むことになるでしょう。
これも「自分が変化して適応する」1つの形です。

とにかく自分が変化する。

ただし無理やりにというのではなく、
より自然体で柔軟に、です。

今まで身につけてきたものを捨てるのでもありません。
新しいやり方も身につけて、選択肢を増やして柔軟性を高めます。
ワンパターンから離れて、クリエイティブな自由度を高めます。

そういうスタンスです。


そのために技術トレーニング、心理療法的なイメージワーク、瞑想、
質疑応答やディスカッションを行います。

新しいやり方を「知る」だけで解決されるケースもありますから
その場合は質疑応答やディスカッションが機能します。

今までやったことのないやり方を身につけるには
技術トレーニングが有効です。

心の癖になってしまったワンパターンの振る舞いを変えるには
イメージワークや瞑想が効果的でしょう。

哲学的な問い、実存的な問いなども出てくるかもしれません。
そのあたりはディスカッションや瞑想で取り組むことになりそうです。

 ※実際には、質疑応答やディスカッションなど
  ワークショップ中の様々な体験が心の癖を調える刺激になります。

変化の種類は、
 ・今までのパターンとは違ったパターンを学習し直す(再学習)
 ・今までのパターンを手放す(脱学習)
の2通りだとも説明できます。

以上のことを前述のとおり、ご参加の方のニーズに合わせて
いろいろな技法を組み合わせながら進めていきます。
(もちろんご要望があれば技法そのものへの質問も解説します)


「心を調える」という趣旨でいうと、
再学習と脱学習は両方とも実践することになるはずです。

実践の効果は悩みが減って楽になること。

身体が調うと痛みがなくなったり、日々が快適に過ごせたりするように
心も調うと、それだけで楽になっていくものです。

日々のストレスが蓄積した心の”しこり”、”こわばり”を緩め、
必死にしがみついている”昔の癖”を手放したり、学び直したりする。

それはちょうどマッサージや施術を受けて身体が調うのと、
自分で姿勢や歩き方を変えたりストレッチで柔軟性を高めたりして
だんだんと昔の身体の癖を修正していくのとに対応しそうです。

そうして心が楽になっていくと、自然と持ち味も発揮されてきます。

スポーツ選手がマッサージやストレッチで体のケアをするのは
身体に疲労が溜まっていると運動のパフォーマンスが落ちるからです。

心も同じようなものです。
心に苦悩が溜まっていると、その人の持ち味が発揮しにくい。

その人が持って生まれた素養や、
もしかすると、この世に求められている姿なんかも、
スムーズに表しにくくなってしまうのかもしれません。

多くの人は「自分らしさ」や「本来の自分」、「自分の使命」などを
何か定まった1つのことのように捉えて、それを探そうとしがちです。

しかし厳密には、「これだ」と定められるものは
過去の体験の延長でしかありません。
これまでに作られた心の癖をもとに判断した「自分らしさ」なんです。

自分はそれほど限定されたものではありません。
あなたはそんなに制約されていません。
はるかに大きな可能性が、変化を受け入れるスペースがあります。

もっとも自分らしい、本来の自分の姿は
あらゆる心の歪み、心の癖から解放されたときに見えてきます。

ワンパターンから離れ、そのときどきで最善の対応ができる。
そのときに内側から自然と表れているものが「自分らしさ」です。

どうやらこれは、心の癖から完全に離れたとしても
個人個人で違った表れ方をするようなんです。
経験によって学習されたものから離れてもなお
人間にはそれぞれ違った素養が備わっているのかもしれません。

心の歪みを取り除き、自然な状態に調えるのは、
自分を自分らしく生きる実践でもあるわけです。

自分らしさの修行をして、ひたすら自分を実践するんです。

だから修行はいつまでも続きます。
自分が自分でいる限り、それは修行なんです。

そういうワークショップです。
それを一緒にやりませんかというお誘いです。

心に響くものがあり、時間の都合があうようでしたら
お気軽に足をお運びください。



◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【ワークショップの詳細】

≪心を調える実践会≫

【日時】  2017年 12月23日(土)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。








修行に終わりはないそうですから、このワークショップも
継続的に開催していきたいと考えています。

コミュニケーションの技術的なこと、知識レベルのこと、
哲学的な問いについてのこと、心の苦しみについてのこと…。
心と関することであれば取り組めます。

そのときどきで、ご参加の方に応じて、内容は変わるはずです。

同じ内容を何度もやる場合もあれば、
毎回違ったことをやる場合もありえます。

人によって体験することも違うでしょう。

体系化されたプログラムではなく
そのときどきの実践を重ねていきます。

禅の大事な側面に「修行を分かち合う」ことがあるらしいです。

ワークショップという形で同じ場、同じ時間を過ごすのは
それだけでも何かの意義があるのかもしれません。

お越しをお待ちしています。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!

【追記】修行・実践における継続について

(こちらは以前に書いた内容の転載です)

最近、勉強の仕方というのは難しいものだと、つくづく感じます。

勉強熱心な人を見かけるにつけ、その勉強のやり方の個人差が
大きな違いを生み出しているように思われるからです。

ある人は徹底的に原点から学ぼうとします。
手に入るのであれば中古でも原著を手に入れ
できるだけ大元に近い、歪みの少ない情報に触れようとする。

伝言ゲームとまでは言いませんが、
世間に広まる情報は、媒介する伝達者が増える
(≒伝言ゲームの人数が増える、ステップが増える)
ほど、伝えられる内容に含まれる変化が大きくなりがちです。

だからこそオリジナルに近いところから学び直し、
細かな違いさえも誤解とならないように正確さを心がけるようです。

これは大変な労力と時間を要します。
後から情報源を検索できるように、引用文と書籍名、ページ数などを
記録しているのも見たことがあります。

要領が良い学び方ではないようで、
本質的な特徴を掴み、一通りを整理できるようになるまでに
時間がかかりやすいところはあるみたいです。

その分、整理が進むにつれて情報量の多さと
理解の深さは増していきます。

時間はかかるけれど到達点は高いのかもしれません。


別の人は、関連することを幅広く勉強します。
その分野で評判のいい本、話題の本を手に入れ
その本を何度も読み返してノートにまとめ、情報を整理する。

主な話の展開を押さえつつ、
重要なところ、役に立つところを抽出します。
要点をまとめるわけです。

まとめの作業の時に、正確な引用をするかどうかよりも
自分にとって使える内容になっているかの方が重視され、
自分なりの勉強ノート集のようなものが増えていきます。

こういう勉強のスタイルは学校教育で効果的だといえます。

大学の後半に専門分野を学ぶようになるまでは、
幅広い分野の要点を押さえておくのが求められます。

そこでは教科書の正確な引用は重要ではありません。
むしろ同じような内容であれば「分かっている」とみなされます。

厳密な情報ではなくても、ポイントを押さえ
「これって、こういうこと」という大まかな理解を増やす、と。

このスタイルは要領がよく、短い期間で幅広い内容を捉えられます。
その反面、情報の正確さは減り、複雑で細かい区別はなくなります。


世の中としては、後のタイプの勉強法のほうが人気があるようです。

新しいことが分かるし、早くポイントも掴める。
面倒なことが少なく、分かりやすく、好奇心の範囲も広がります。

一方、本質に近づこうとしたときには
前のタイプの勉強法のほうが目的には合っているように見えます。

狭い範囲ではありますが、深く学べます。
正確な情報を細かく区別して、場合分けをしながら整理する。

膨大な情報量に繰り返されるパターンを自然と掴めるまで
時間はかかるものの、膨大な情報から抽出される共通点は
法則の重要性として揺るぎないものとなるわけです。

そして興味深いことに、
どんな分野でも本質に近づくと似てくる部分がある。

だからこそ「本質」なのかもしれませんが、
どのルートでも到達点は同じところに向かっているのかもしれません。


目的として「到達点」を重視するのだとしたら、
1つのことで深堀りするほうが効果的だと思われます。

ポイントを押さえたら新しいことに進むのは
知識の範囲を広げ、好奇心を満たす楽しい行為ですし、
それによって自分の経験則が整理されるときもあるでしょう。

言葉で納得できる喜びは大きいと思います。
その一方、自分が大事だと思うこと、好きなことが
ポイントとして抽出されてしまう可能性もあるんです。

厳しく言うと、自分が分かっていることの再確認であって
到達点として先に進んでいるわけではないかもしれない、と。

到達点のほうを重視するのであれば
目先の楽しさがなくても地味な取り組みを続ける。

その限られた骨組みの中で、知識と体験を重ねて情報を増やし、
骨組みに肉付けを続けていくスタイルです。

そして骨に肉がついてきたころ、本当の姿が見えてくる。

いろいろな骨格に共通する特徴を知りたいのであれば
いろいろな動物の骨組みだけを見たらいいでしょう。

自分が解体しなくても、他の人が残してくれた骨格標本があります。

しかし1つの骨格をもとに肉付けをして
その本体の全体が掴めるようになると、
骨とは違った生の実体が見えてきます。

そして、どんな骨格を基にした生の実体にも共通点がある。
こちらは肉付けが終わったものを理解して初めて見える特徴のようです。

ここでいう到達点とは肉付けが終わったあとの全体像のほうです。
本当はどんな姿をしているのか?
それは骨格だけではありません。

しかし一度、骨格に肉付けをしていれば
骨格だけを見ても元の姿が想像しやすくはなります。

こっちが分かってくるのを「到達点」、「本質」と呼んでいるんです。


このワークショップでやっているのも本質を目指す方向です。

広く浅く、新しい知識を次々に仕入れていくのではなく、
1つの原則を基にして、そこを骨格として
ディスカッションやワークを通じて理解と経験を増やし
情報の肉付けをしていこう、と。

厳密には毎回カスタマイズされながら異なった内容になるわけなので
同じことの繰り返しではないですが、
「1つの骨組みにまつわることを続けていく」点では
繰り返しの修行が効果的だということです。

そこで本質を掴んでいくほどに、苦悩が減り、楽になり、
同時に他人の苦しみへの共感性が高まることで思いやりが増える。
そして自由になります。

そんな感じの時間を取りましょうという話なんです。

cozyharada at 22:39|Permalinkclip!

2017年11月27日

疲労の種類

ここ数日、小忙しい状態が続いていました。

セミナーのようにまとまった予定ではなく、
頭脳労働や移動が多い感じで、こまごまと時間を気にしながら
電車のなかでも作業を続けるような種類の慌ただしさ。

僕はどうも、頭脳労働そのものは嫌いではないようで
忙しくなっても、それなりにスムーズに進めることはできる感じです。

が、時間的な制約が多くなることと、
空いた時間は睡眠に充てないとパフォーマンスが落ちることから、
ブログを書くとかメールの返信をするとか
本来は腰が重くないはずの作業に取り掛かれない感じでした。

逆に、セミナーが重なって忙しいような時期だと
空き時間にパソコンに向かうのは、むしろ気分転換になるというか
うまく時間を使える印象になるんですけれど。

頭脳労働の合間に別の頭脳労働を挟むのは
なんだか内面的な負担が重なるようです。


また肉体的にもセミナーとは違った負担がかかるみたいです。

1つは姿勢。
人と会う頻度が多くなると、ペーシングが癖づいているせいか
普段の自分とは違う姿勢を取っている時間が長くなるようです。

首の位置や腰の状態など、負荷が大きくかかった実感があります。

これがペーシングのせいだろうと判断できるのは、なんのことはなく、
自宅に帰ってくるとすぐに体が楽になるからです。

一人の状態になると姿勢が元に戻るんでしょう。

とはいえ、無理をかけた姿勢を長時間続けた後は
肉体疲労として負荷が蓄積しているようなので
そこをほぐすための時間も必要になりました。

頭脳労働が重なったときの肉体的負担のもう1つは
自分ひとりで作業しているときにも起こるものですが、
パソコン作業の時間が続くことによる不調です。

画面を見続けるために目が疲れたり、
キーボード入力が続いて腕、肩、首が固まったり。

そして考えるスピードを上げた状態が長引くために
睡眠と覚醒のサイクルが狂いがちになります。

寝ようと思っても眠れなかったり、眠っても睡眠が浅かったり、
逆に強烈な睡魔に襲われて短時間だけ眠ってしまったり。

運悪く、住宅の解体工事が近所で行われているので
睡眠事情は随分と無理がかかった感じがします。


こういう状態と比べると、
セミナーのスケジュールがタイトなときの肉体疲労とは
随分異なっていることを実感します。

頭脳労働が慌ただしい感じは嫌いではありませんし、
セミナーの日程が詰まっているのも悪い気分ではありませんが、
いずれにしても、どれか一方だけがずっと続くのは
かなり無理なことなんだろうと思います。

ほどよく交互に違った種類の忙しさがあったり、
その間に忙しくない時期があったり、
ランダムにメリハリが効いているぐらいが
心身のバランスにとっては望ましいのかもしれません。

そう考えると、研究職時代の単調な繰り返しは
負担の大きいものだったんだろうと思われます。

より正確には、無理のかかった状態を続けることで
常にパフォーマンスの低い状態を保っていただけ
ということなんでしょう。

毎日長時間、研究所で過ごしてはいたけれど
今と比べたら効率の悪いものだったんだろうと感じます。

僕の生活スタイルは社会一般でいえば平均的ではないでしょうが
不規則さゆえに短期間のパフォーマンスを上げやすい
といった性質もあるような気がしてきました。

その分、体が資本という度合いも大きそうなので
身体のケアは怠らないようにしたいものです。

cozyharada at 23:59|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 
  2017年12月23日(土)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は2018年の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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