コミュニケーション

2017年03月23日

【セミナー】セルフイメージの整え方

ご案内: 4月23日(日)開催

   カウンセリング講座 〜セルフイメージの整え方〜



4月の講座のご案内です。
テーマは『セルフイメージ』。

扱いとしてはカウンセリング寄りで想定していますが
自らのセルフイメージを実際に調整する作業を通じて
体験的な側面を優先します。

自分自身で変えたいセルフイメージがある場合はもちろん、
カウンセリングやセラピー、コーチングなど
他者援助の技術的な側面としても取り組んでいただけると思います。


ただし、「新しいセルフイメージを作り出す」ようなものではありません。

新しいセルフイメージを作る作業は、大部分
目標設定と重なるところがありますし、
体験したことのない自分をイメージとしてリアルに作り上げるのは
なかなか現実的に難しい印象を受けます。

作業として困難なわけではなく、
 本人の中に経験がないためイメージを作るための材料がない
というのが実情でしょう。

例えば、世界トップクラスのお金持ちのような生活をしたいと思っても
あまりにも本人の現状と離れていると実態の想像がつきません。
 
ドバイのホテルのプールでくつろいでいる一場面ならイメージできても
他の生活の場面まで思い浮かべることはできなかったり、
どんな仕組みでお金が入ってくるのかも想像さえできなかったり。

そこまで極端に現状と離れていない目標でも、
経験したことのないゴールだと想像できない側面が多いんです。

仮に「会社を辞めて起業する」ような目標だとしたら
仕事が回っていくような流れを自分で作り出す必要があるかもしれません。

そこには「従業員としてのセルフイメージ」ではなく、
「経営者」「マーケティング」「営業」…など
様々なセルフイメージが求められる可能性があります。

もちろん体験してみるまでは分からないことだらけですから
起業以前に様々な側面をイメージできることは稀でしょう。

ある程度は知り合いの話や起業家の本などから情報を得て
自分の中でイメージを作り上げつつ、あとは実際に進めていく過程で
「経営者としてのセルフイメージ」
「マーケティング担当としてのセルフイメージ」などが
自然と出来上がっていくのだろうと考えられます。

出世して管理職になって部下ができるといったケースでも
「上司としてのセルフイメージ」は、その立場についてから
徐々に出来上がっていくのが一般的な流れでしょう。

つまり
〇前に持っていた「多分こんな感じだろう」という想像
⊆尊櫃砲修領場をやりながら徐々に追加されていく体験
の両方が組み合わさってセルフイメージが作られていく
ということです。

現状とかけ離れた目標だと、
 ,痢崑進こんな感じだろう」というイメージが不正確で
 どのように進んでいけばいいのか分からない
事態になりやすいようです。

現状の延長線上のような場合だと
,痢崑進こんな感じだろう」が比較的イメージしやすいため
実際にそのような場面に進んだとしても、手探りで
想像していたものと実情とのギャップを埋めつつ
△亮分なりの体験を追加して、自分なりのセルフイメージを作れます。


しかし、いずれにしても問題となるのは
新しいセルフイメージのほうではないんです。

今までに持っていたセルフイメージが問題となります。

上司ではなく「部下としてのセルフイメージ」、
起業家としてではなく「従業員としてのセルフイメージ」、
大金持ちではなく「一般人としてのセルフイメージ」…。

今までのセルフイメージが自分の振る舞いに影響を落とし続けます。
古い習慣が抜けず、新しいセルフイメージに移り切れないんです。

例えばダイエットの場合、痩せていた時期がある人であれば、
「痩せている自分のセルフイメージ」が残っていますから
現状は「一時的に太っている自分」として捉えやすい。

そのため「痩せている自分」に戻る方向としてダイエットができます。

一方、人生で一度も痩せていた時期を経験していないと
「痩せている自分のセルフイメージ」は新しく作る必要が出てきます。
むしろ「太っている自分」のほうがセルフイメージとして残りやすい。

結果としてダイエットで体重が減っていった場合にも、
「ダイエットに成功している自分」「体重が減った自分」にはなれても
「太っている自分」のセルフイメージが残るため
痩せていることが当たり前とまでは捉えにくいんです。

むしろ、「太っている自分」がセルフイメージとして残っているから
「体重が減った」「ダイエットが成功した」ことに達成感を味わえます。

「痩せている」範囲まで目指す必要もなくなってしまいますし、
全く馴染みのない「痩せている自分」にまでなるのには
知らず知らずのうちに怖さを感じてしまうこともあるかもしれません。

「太ってはいない」ところまでで「ダイエット成功」となるのは
こういうセルフイメージが関わっている可能性が高そうです。

つまり、新しいセルフイメージを作るかどうかの前に
 これまでのセルフイメージを手放せるか
が重要になる、ということです。

 ※ちなみに「太っている自分」というセルフイメージに嫌気がさすと、
  そのセルフイメージを破壊して新しい自分を目指す場合もあります。

  こちらのケースでは「太っている」と認識される範囲にはいたくないので
  かなり劇的に「痩せている」ところまで変わることもあり得ます。

  「体重が減った」ことへの達成感を求めるよりも
  「太っている」ことを回避しようとする気持ちに動機づけられます。

  痩せた後には「以前は太って『いた』けれど痩せるのに成功した自分」
  という新たなセルフイメージが作られ、そちらが定着しやすいようです。

  ただこの場合、そもそもそこまで強烈に現状のセルフイメージを否定して
  新しい自分になる必要があるかどうかがポイントになります。
  それだけ動機づけられる理由があるか?

  その意味で動機づけの原因となる外的要因に左右されやすく
  本人がコントロールできるものとしては扱いにくいといえます。



一度、古いセルフイメージを手放すことができると
今までの自分へのコダワリがなくなります。

そうでない自分になっても、あとは経験を通じて自然と慣れていけます。
結果として新しい自分、新しいセルフイメージが作られていく。

これはちょうど、学生から社会人になるときのようなシフトに近いでしょう。

学生というセルフイメージから社会人というセルフイメージに変わる。
一般的に、学生のセルフイメージに執拗にこだわるところはありません。
「もう学生は終わり、これからは社会人」と自然に受け止められます。

学生というセルフイメージが強くないんです。

子供のころから、小学生、小学校高学年、中学生、高校生…と
3年ぐらいの単位で新しいセルフイメージに修正する時期を通っているので、
学生から社会人というシフトも延長線上で捉えやすいのかもしれません。

しかし大人になるほど、こういう定期的な転換点は減っていきます。
長年積み重ねてきた「自分らしさ」というセルフイメージは
あまりに馴染みすぎてきて、なかなか手放しにくいようです。

そしてもし、こういう長年のセルフイメージが
自分を不自由にしているのであれば、
それを修正しておいたほうが、物事がスムーズに進みやすい。

それが土台の発想です。


用語として「セルフイメージ」という単語を使っていますが、
曖昧な使われ方をすることもあるので
そのあたりの区別から説明する予定です。

そしてセルフイメージを調べる過程を経て、
実際にセルフイメージを調整する実習へと進みます。

セルフイメージの調整はバリエーションをいくつか紹介するつもりです。
手法の好みも別れるかもしれませんから、複数の対応を知っておくと
役に立てやすいのではないかと思います。

効果としては、古いセルフイメージに縛られて
現状維持に戻ってしまうことを避けられます。
物事が無理なくスムーズに進むようになる感じでしょう。

目標達成しやすくなるともいえそうですが、より正確には
 「目標」というものを遠い行き先ではなくもっと身近なものとして捉え、
 「頑張り」という意識をあまり持たずに望ましいところへ近づいていく
といったところでしょうか。

目標とする自分像を作り上げて何が何でも達成する…
というようなものではありません。

とりわけ「変わっていく」ことへの怖さがなくなる効果は大きそうです。

これまでの自分、古いセルフイメージから離れるのには
少なからず怖さを伴うものです。

これは「どんなことになるかが分からない」という不安とは違います。

セルフイメージを修正した後でも不安は残るかもしれません。
それは学生から社会人になるときの不安、
初めて部下ができるときの不安に近いものです。

変化に伴って予測できないことが起きるかもしれない不安です。
こちらは実際のところ、徐々に変化しながら慣れていきますから
大きな問題にはなりません。

それに対して古いセルフイメージから離れるとなると
「今までの自分がなくなってしまう」という予測から怖さが生まれます。
恐れです。

この恐れが、いわゆるリバウンドや現状維持に繋がる。
無理をしている感じや、古い行動パターンを引きずってしまう理由の1つです。

セルフいエージの修正を行うと、この恐れがなくなります。
それで自然と楽な感じに進みやすくなるというわけです。

手法として知っておくと、ご自分の転機に使えるようにもなるでしょうし、
コーチング・カウンセリング的な観点として他者のサポートにも使えるでしょう。

もちろん、講座中に取り組んでいただいたテーマが
スムーズに進むようになる効果も期待されます。

コミュニケーション技術や言葉のアプローチのトレーニングではなく、
イメージワークや内面を探る実習が多くなります。

慣れていないと戸惑う作業もあるかもしれません。
ご心配なところがありましたら下記のフォームの「備考」欄にご記入ください。

それぞれの方が違った印象の体験をなさることが予想されますので
他の方と感想をシェアする時間も大きな収穫かと思います。

気軽に新鮮な体験を楽しんで頂けたら幸いです。



◆録音/録画、再生機材に関しまして
講座全体の内容は、ICレコーダーやビデオなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。





【セミナーの詳細】

≪カウンセリング講座 〜セルフイメージの整え方〜≫

【日時】  2017年 4月23日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

「自由」という言葉は2つの意味合いで使われることがあるようです。

「〜する自由」と「〜から自由になる」。

「〜する自由」とは「好きなことをしていい」という
複数の選択肢から、どれでも選べる状態のことだといえます。

人は過去に学習したやり方でワンパターンの対応をしてしまいがちです。
そこで新たな選択肢を増やし、選べるようにしていく。
ここに自由度が生まれてくるわけです。

一方、「〜からの自由」とは「制約が取り除かれる」意味です。
これまで縛られていたものから解放される。

具体的な選択肢はまだ見えていないかもしれませんが
今までのような制約はもう無くなった、という状態です。

喩えるなら、
複数の部屋の中から好きなものを選んでいいのが「〜する自由」、
今まで閉じ込められていた部屋から出してもらえるのが「〜からの自由」
といったところでしょうか。

今回の講座で扱うセルフイメージの調整は
「〜からの自由」のほうに近いはずです。

今までのセルフイメージに束縛されていたところから自由になる。

「なりたい自分になる」ような取り組みは
 現状の自分と、目標とする自分という2つの選択肢から
 好きなほう(おそらく目標のほう)を選んでいい
という「〜する自由」のほうだといえそうです。

今回は古いセルフイメージから自由になるのがテーマです。

もしかすると「なりたい自分」になれたほうが良さそうに感じるかもしれませんが、
現状で想定できる「なりたい自分」は、今の自分で考えつく範囲の
制約のかかった目標になっていることが多いとも言えるんです。

もっと望ましいところに辿りつく可能性があっても
そちらの目標が浮かんでこない場合もある、と。

その意味では、古いセルフイメージから自由になれば
現状では想像もしていないような素晴らしいところに到着する可能性があります。

もちろん、そうではない可能性も出てはくるのですが…。

必ずしも目標達成を応援する内容ではないものの、
古いしがらみから自由になることに興味があれば
何かしらの役には立つのではないかと思います。

関心とお時間が合いましたら、どうぞお越しください。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!

2017年03月16日

「集団との対話」と「プレゼン」の違い

公開講座に参加して受けている英語でのプレゼンのトレーニングも
残すところ後2回となりました。

といっても何も大きな変化はありません。

慣れてきている人は多いですが、まぁ慣れてきているだけ。
課題として与えられるフレーズの使い方を組み込んでプレゼンしたりしても
結局、原稿に用意するぐらいのものです。

原稿を読めば使えたとしても、自然に組み込むのは難しいようです。
それは単純に言語力の問題で、内容を説明する作業に多少でも難があれば
課題となるフレーズの使い方にまで注意を向けるのは大変になります。

つまり作業が複雑すぎるんです。

プレゼンの課題として与えている設定がすでに工夫を求めるものなのに、
そこにさらに効果的なフレーズの課題が与えられる。

母国語でやっても効果が薄いトレーニングになってしまう気がします。

内容はごく一般的、日常的で、わざわざ一生懸命考えるレベルではないものとし、
そこにフレーズレベルの工夫を入れていくというのであれば
内容の重要度が低い分、フレーズの使い方に注意を向けて練習できるでしょう。

あるいは、毎回、プレゼンをする内容は固定しておいて、
フレーズの工夫を追加しながら、完成度を上げていくとか。

いくらでもアイデアは出てきますが、
それだけ僕がトレーニング内容に不満を感じているということかもしれません。


先日の課題は「初めて会う聴衆とラポールを築く」というテーマでした。

会社の新人への挨拶とか、授業の初回とか、そういう設定だと。
で、僕は自分の講座における冒頭部分を想定してみたんです。

これは大失敗でした。

設定が大間違い。
聴衆が実際と違いすぎます。

僕は日頃から、来ている受講生の皆さんの様子を見て
その人たちを動機づけているもの(=参加した理由)
に合わせるように冒頭を組み立て直しています。

そもそもそれほど準備をして迎えているわけではありません。

なので、仮設定として、「まぁ、こういう人が多いかな」ぐらいを想定して
「その人たちが目の前にいたら、こんな感じでいうだろう」という内容を準備しました。

しかし、実際に目の前にいたのは違う人たちです。
そういう動機はありません。

講座の他の参加者たちは席に座っていはいますが、
どういうつもりで話を聞けばいいのかの指示を受けていませんし、
僕のほうからその想定を説明する段取りもありませんでした。

さらに半数の受講生は前回を欠席していたため、
当日にプレゼンの内容を考える必要がありました。
一番最初に当てられた僕が話す間、その人たちは自分の準備で大忙し。
聞くつもりもなければ、前も向かずに書きものばかりです。

講師は講師で、自分の想定していたことと違う展開だったのか
表情に困惑を浮かべていました。

そうなってしまうと、起きている現状は
僕が準備してきた内容とは全くマッチしないものです。

さすがに講師も状況の不具合を修正しようとしていましたが、
それは僕の番が終わって、二人目に入るところから。
僕がプレゼンをしていた時間は、なんとも不毛な空回りでした。


ここのポイントは、僕が「空回り」を認識していたことなんです。

つまり僕は聴衆に合わせて、聴衆と交流するのを前提にしていた、と。
ですから「自分の主張」をしていたわけではありません。

多くのプレゼンテーションは、他者に影響を与えることが目的となります。
アイデアを提案して納得してもらう、とか
商品やサービスをアピールして魅力を感じてもらう、とか
問題を提起して考えてもらう、とか
情報を説明して分かってもらう、とか
熱意を伝えて行動を促す、とか。

自分の価値観に基づいた内容を「表現して」、
それを「受け取ってもらう」ことが目的となります。

もちろん価値観の違いから受け取ってもらえない場合はあるとしても、
主張を表現するという点においては聴衆に左右される度合いは少ないはずです。

一方、僕がやろうとした(普段やっている)ことは
僕の側の主張ではありません。
こちらから影響を与えようとする部分は少ないんです。

受講生という聴衆に合わせ、
その人たちの問題解決の意欲に沿おうとしているようです。

その意味では「プレゼンテーション」ではないのかもしれません。

実際、以前の課題で「日本語英語教育の問題点」とか
「原発に賛成か反対か」などの『主張』が課題となったときには
聴衆がどんな考えや態度であっても気にならずに話せました。

それは主張するためのプレゼンテーションだったからです。

それと比べると、僕が普段からやっている講座のオープニングは
主張のためのプレゼンテーションではなく、
一対一のような対話を、一対多でやっているだけのことなんでしょう。

ですから聴衆の中に、自分のプレゼンの内容を準備している人たちがいれば
それはちょうど、一対一の会話において
 相手が別の作業をしている間に、横から一方的に
 相手にとってどうでもいい内容を話しかけて
 ずっと無視され続けているのに最後まで話し切る
ような状態だったといえます。

それは途中で止めたくもなりますし、
邪魔しないでおこうかとも考えてしまいます。

「初対面の参加者とラポールを築く」という設定自体が
僕にとってはそもそもプレゼンテーションではないみたいです。

世間一般にとっては、人前で話すという点でプレゼンなのかもしれませんが。


ちなみに、積極的に聞く気がない人が聴衆に混ざっていることは
商品のプレゼンだったり、会社の会議、企業研修などではあり得ます。

しかしそれでも、そこにやってくるからには何かの必要性があります。

合わせるポイントを見つけていけば、空回りはしなくなるんです。

そして仮に最後まで空回りする相手がいたとしても、
「主張」という意味でもプレゼンテーションなら問題なく続けられます。
全員に届かなくても、届く人はいるかもしれませんし。

ですから先日に体験したプレゼン講座での設定は
そもそも無理があるものだったんだと思われます。

準備した内容を使わず、その場の実際の聴衆
…つまりプレゼン講座の他の受講生という立場…
に合わせて、その人たちとの対話を心がけたら
空回りしないこともできたかもしれません。

あるいは、「企業研修に義務で参加している人」のような設定にしていたら
頭の中でイメージを変換して、仮想的な練習をするぐらいはできたかも。

まぁ、それをしたとしたら、今度は課題から大きく離れてしまいますから
そっちそっちで望ましくなかったとは思いますが。


ともあれ僕自身としては、重要な区別をハッキリさせられたので
なかなか意義深い時間だったような気がします。

僕は講座中にプレゼンをしていない。
研修でも講演でも同様でした。

一方、主張をハッキリさせたプレゼンになるとスタイルが変わります。
こっちはこっちで練習のやり甲斐があります。

僕が英語力のトレーニングとしてやりたかったのはプレゼンのほう。

その辺を区別しながら練習したら、もっと効果を上げられそうです。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!

2017年03月07日

学習における頻度と蓄積

2月頃から始めた英語でのプレゼンテーションのクラスも
半分が過ぎて進め方や何をするかにも慣れてきました。

英語でプレゼンをするということそのものについても
多少は慣れが出始めてきたあたりかもしれません。

そうすると感じてくるのが、体験する頻度とスムーズさの関係です。

プレゼンを練習するとなれば自ら英語で発話する量が増えます。
それに慣れるとそのスムーズさが上がっていく。

去年は英語を使う機会が週に一回の英会話ぐらいだったんです。
その前の年ぐらいまでは、週一の英会話に加えて
大学の公開講座で英語を使って何かを勉強することをしていました。
週二回ぐらい英語を使う頻度だったわけです。

すると自然に、週二回の時期と比べると
週一回の頻度だとスムーズさが落ちるような印象も受けます。

もしかするとラジオや映画などで英語に触れ続けていれば
そのあたりは変わってくるのかもしれませんが、
やはりアウトプットということになると頻度は限られてしまいます。

それに比べると今は、
週一回の英会話と週一回のプレゼンのクラスがあるので
英語に触れる頻度は多くなっています。

そのせいもあってスムーズさが上がっている気がします。


しかし反面、フランス語に触れる頻度は下がっています。

一昨年は週二回だった英語が、昨年は一回に減ったのは
その分だけフランス語の頻度を上げたからです。

であればフランス語のスムーズさが下がったのか?

ところがそうではないんです。

僕のようなレベルのフランス語の場合、
問題は語学力を運用するスムーズさにあるのではありません。

むしろ基礎となる語学力そのものを鍛える段階です。
音を捉える訓練とか、ボキャブラリーとか、文法の正確さとか。

ボキャブラリーに関しては接触頻度が落ちると忘れていくものもありますが
文法はむしろ数を重ねるごとに自然と定着していきます。

基礎の部分においては、とにかく量を積み重ねていく必要があるんでしょう。
積み上がっていくものであって、下がる度合いは少ない。

一方、基礎が固まった後に、それを実用的に運用していく段階となると
ここには慣れの要素が関係してきます。
日常の中で頻度が高ければ慣れでスムーズさが上がり、
頻度が下がると不慣れになってきてスムーズさが落ちる、と。

このあたりは日本語でも当てはまるのではないでしょうか。

現代人は紙に文字を書くことが減ってきているはずです。
そのため漢字がすぐに思い出せなかったり、
文字を書いたときに形のバランスが悪くなってしまったりするかもしれません。

書けなくなってしまっていた漢字でも読むのには苦労しませんし、
思い出せないときでも一度調べれば、すぐに「あぁ、そうだ」となります。

英語でアウトプットするときも同様です。
読むときには理解できている単語が、話すときは書くときには出てこない。

知っているし、理解もしているけれど、
運用するときにはスムーズに浮かんでくるかどうかが重要なんです。

言い換えると、思い出しやすい記憶になっているかどうか。
慣れでスムーズさが上がるのは、使っている頻度が高いために
記憶の中で思い出しやすいところになっているんでしょう。

しかし、知らない単語があるとか、
聞き取りのときに識別できない音があるとか、
そういう段階では運用以前の話になります。

運用するためのものが頭の中に存在していません。
だからまずは頭の中に入れ込む必要がある。

こっちでは頻度よりも蓄積が大切になりそうです。
頻度が高いから思い出しやすいといった運用のスムーズさではなく、
運用できる情報をどれだけ溜めこんでいけるかの段階。


となると僕の場合、フランス語はまだ蓄積重視のレベルですから
一週間当たりの頻度が重要なわけではないのかもしれません。

むしろ頻度重視の側面は英語のほうに充てて、
フランス語に関しては自宅学習で蓄積するものを上げていく。

そういう区別をしても良いような気がします。

しかし同時に発話の部分に関しては運用力を上げる必要があるので
これにはアウトプットを通じた慣れも重要になりそうです。

慣れが重要な要素については頻度重視で会話レッスンなどをする。
蓄積が重要な要素については自宅学習でトレーニングする。

そんな感じでやれたら良いのかもしれません。

ちょっと工夫してやってみようかと思います。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!

2017年02月27日

マジックの映画

今年の3月は個人的にバタバタしそうです。
セミナーのスケジュールがタイトになる予定。

その前の余裕のある時期ということで
TSUTAYAにてDVDをいくつか借りてきました。

貧乏性とでも言いますか、まとめて借りると得になる仕組みなので
無理にでも4本以上をレンタルしてしまいます。

今回は見てみたかったものを2本と、
あとは「チョット気になっていた」ぐらいのものを2本。


ところが、結局印象に残るかどうかは事前の期待とは関係ないようです。

もともと見てみたかった新作のほうが忘れてしまって
そもそも何をレンタルしたのかさえ思い出しにくかったりします。

チョット気になっていた程度のものは、
まぁそれなりに楽しめることもありますし、
意外なほど面白かったりすることもあります。

先日見た「グランドイリュージョン」は僕にとって、思いのほか楽しい内容でした。

マジックの種明かし的な部分と、心理誘導としてのトリック、
そしてストーリーとしての騙し合いのようなところが
心理系の話を好む人には魅力的なのではないでしょうか。

退屈するところがなく、幾重にも騙しが繰り返されていく感じは
映画全体がマジックショーのような楽しさにも共通しそうです。

同時に種明かしの部分は、マジックの種を教えてもらえるときの好奇心や
推理モノで犯人やトリックが明かされるときの感じに似ていて
引きこまれるところがあると思います。

そういう意味で色々な楽しみがあった印象。
それほど期待してはいなかったのですが。

催眠術のくだりに関してはいくらか演出が過ぎる気がしたぐらいで
全体的には楽しい映画だと感じました。


催眠とか心理系の話が好きな人は、結構な割合で
マジックにも興味を持つことがあるようです。

人の注意や関心がどのように動くか、
人がどのように思い込みを持ち、どのように物事を信じるか。

そんなところに心理的な側面があるからでしょうか。

テクニックとしてのマジックではなく、
心理誘導の側面が強調されたストーリーでしたから
そういうところで余計に楽しめたのかもしれません。

cozyharada at 23:08|Permalinkclip!

2017年02月24日

プレゼンと講演

最近、プレゼンのことを考える機会が増えています。

1つは今、英語でのプレゼンテーションの講座に出ているから。
もう1つの理由は、別のプレゼンの講座について
ちょっとした依頼を受けていることです。

自分でやってみても、人のを見てみても、
教えられている内容を考えてみても、
対比として実感するところがあります。

僕が普段、講座でやっているのはプレゼンテーションではない。

人前で話すこと全てを「プレゼンテーション」と呼ぶことはできそうですが
いわゆる一般的なプレゼンテーションの意義は、
講座や講演とは違うところにあるのかもしれません。

目的こそプレゼンター本人の趣旨によって変わるとしても
短い時間で何らかの主張をするのがプレゼンのような印象を受けます。

伝えたいこと、表現したいことがある。
それでこそのプレゼンだろう、と。


その点、講座や講演は内容が重視される傾向があります。

「教える」、「シェアする」、「知ってもらう」などのように
聞く側、受ける側が「理解する」、「分かる」ことが大きな意味を持ちます。

客観性のある情報が多く、役に立つかどうかが重視され、
話し手本人の想い・価値観は主目的ではないでしょう。

もちろん、講座や講演でも熱い想いが表れたり、
直接的に価値観が語られることもありますし、
その内容で講座や講演をやる以上、その内容を大事だと感じる度合いは
少なからず話し手本人の中で高いことが多いとは思われます。

それでも、講座や講演では内容が重視されることのほうが多いでしょう。
多くの場合、聞く側には必要性があって聞きにくるはずです。

仮にどれほど講演者のファンだったとしても、その講演内容が
聞き手にとって全く理解不能なジャンルのものだったりしたら、
講演を聞きに行く理由はかなり減ってしまうと思われます。

同じ講演者で聞き手にとって興味のある内容のときと
興味がない内容のときと2つあったとしたら
ほとんどの人は興味があるほうに参加するでしょう。
そこに内容の重要度が表れていると言えます。

内容が重視される分、時間は長めに設定されることが多く
5分や10分の講演や講座ということは滅多にありません。


一方、プレゼンテーションとなると時間が短めです。

そして「聴衆に対して影響を与える」という意図が含まれやすい。
ただ説明をするのではなく、少なくとも心を動かしてもらう。

説得や啓蒙のような意味合いがあるだろう、と。

聞いている人が理解できるだけではなく、
納得してもらい、今までとは違う考えや行動に導こうとする。

プレゼンターが大事だと思うことを拡げる意義があるように思えます。

内容が主観的な側面を持っていて、
プレゼンターの価値観や想いを強く反映しているはずです。

話し手の主観的な気持ちが強く出て、
聴衆に新しい考えや行動をもたらそうとするのがプレゼン。
話し手が客観的な情報を伝え、その内容を求める聴衆に対して
求められている情報を伝えるのが講座や講演。

そんな特徴がありそうです。

例えば、パソコンのソフトの新製品があったとして、
それに興味を持っていない人に説明をして魅力を伝え
「それは良い」、「欲しい」という気持ちを持ってもらうのはプレゼン。

同じ商品でも既に興味があって、それを使う事情がある。
ただ何ができるのか、どうやって使うのかを具体的には知らない。
だからそのソフトの使い方を教えてくれる説明を聞きに行く。
これだと講演や講座の分類でしょう。

Why を重視するのがプレゼンで、
What、How を重視するのが講座・講演ともいえるでしょうか。


実際には両方の側面が完全に分かれることは少なく、
プレゼンでも内容に興味があるほうが魅力的に感じられるでしょうし、
講座や講演でも話し手の想いに共鳴できるほうが感動が得られます。

重なり合う部分はあったとしても、
どちらの側面を重視するかによって趣旨が変わってくるという話です。

そして当然ですが、同じように人前で話すとしても
プレゼンと講座では方法が異なります。

僕個人のことでいえば、プレゼンのほうが講座よりもずっと緊張します。

プレゼンという形態をとっていたとしても
客観的な内容を説明する度合いが強いほうが話すのが気楽になります。

短時間で影響を及ぼすことを心がけるプレゼンのほうが
高い密度で多くの工夫を詰め込む必要も出てくるでしょう。

努力目標も高くなりますから、緊張しやすいんだと思います。

その点、講座では受講生のニーズに応える側面が重視されますし、
長い時間の中でいくらでも調整できる余裕もあります。

話が途切れることがあったとしても講座なら問題にならず、
プレゼンだと問題になることだってあるかもしれません。

趣旨の違いがあるわけです。

そういう意味でいうと、僕が普段やっているのは講座であって
プレゼンではないように思えます。

とりわけ最近は、伝えたいことや想いなどもなくなってきていますから
プレゼンの側面はほとんど無い気がします。

裏を返すと、英語でプレゼンをやったときに緊張したとしても
英語で講座をやればもっと気楽にできる可能性があるということ。

まぁ、日本語ならプレゼンのほうも多少は頑張れるとは思いますから
英語でも同じようなプレゼンのレベルに近づけるよう努力しておけば、
どんな形でも気軽にできるようになるでしょうけれど。

cozyharada at 23:39|Permalinkclip!

2017年02月17日

Sweet Fruit from the Bitter Tree

異文化間マネジメントとかNGOマネジメント、
国際問題をテーマにしたような人たちと関わる内容の1つに
「 Conflict Resolution 」というのがあるそうです。

日本語にすると「問題解決」とか「紛争解決」などと訳されるみたいです。

「問題解決」というと「 Problem Solving 」と同じになってしまいますから
「紛争解決」のほうが良さそうでもありますが、
必ずしも「紛争」と呼ばれるほど強烈ではないものも対象になりますし、
個人間の対立なんかもテーマになりうるようです。

上手い言葉が見つからないものの、なんとなくのイメージとしては
もめ事、ぶつかり合い、対立関係を仲裁して、
平和的な結論に導くようなものといえるかもしれません。

コミュニケーションや人の気持ちに関する内容ですから
心理学とも関係してくるようで、心理学の雑誌なんかでも扱われたり、
さまざまな理論が提案されていたりもします。


で、最近買った本が、この「 Conflict Resolution 」に関してのものなんです。

といっても理論的なものではなく、
 人間関係のトラブル、特に命の危険が迫るような状況において
 どうやって平和的解決へと導かれたか、
についてのエピソードが集まったもの。

理論をもとに解説することもできたはずですが
あえてエピソードだけを紹介して、読み手に解釈をゆだねる形になっています。

ある程度有名な人の逸話を引用していることもありますし、
著者の身近な人のエピソードをインタビューしたものも含まれています。




著者はマーク・アンドレアス。

NLPの開発において大きな役割を果たしてきた
スティーブ・アンドレアス、コニリー・アンドレアス夫妻の息子です。

前書きによると、卒論を書き終えて時間ができたときに
こういう逸話を集めてみようと考えて取り組み始めたのだとか。

まぁ、出版元のReal People Press はスティーブの会社ですから
書き上がりさえすれば形にするのは大変ではなかったのでしょう。

とはいえ、集められているエピソードは良い話が多く、
こういったストーリーを見つけてこられる感受性が養われたのも
NLPに触れながら育ってきた背景が関係しているのかもしれません。


良い話のネタ本としても役に立ちそうな気がします。

cozyharada at 23:58|Permalinkclip!

2017年02月14日

久しぶりの緊張

英語でのプレゼンの講座も3回が終わりました。

初回は欠席しているので4週目が終わったところです。
残りは6回。

内容は以前にも書きましたが決して充実したものとはいえません。
それでも場数を積むための練習ができるのはありがたいです。

講師の狙いがイマイチ掴めないですし、
貴重なチャンスなのに勿体ない時間の使い方になっているのも気になるので
講座に参加している時間には残念なときが結構あるのが正直なところ。

だからこそ、その2時間の中で自分が話す10分間は余計に貴重と感じられ、
集中して取り組むことができる印象があります。

一回当たりの実りは大きそうです。


そして、明らかに自分の中に「上手くやろう」という気持ちがあるのも分かります。

話している最中も「自分が想定通りにできているか」に注意が向いていて
聴衆の立場を考えたものにはなっていません。

まぁ、自分の想いを表現する場ではありませんから
熱く語るようなタイプのプレゼンでもないですし、
講演会や講座ではないので聞く側に配慮するものでもありません。

その意味では普段のセミナーとは全くスタンスが違います。
セミナーでは受講生にばかり関心が向いて
上手くやろうという想いも、事前の想定もほとんどない。

母国語ではないから余計に準備をすること、
母国語ではないから実践練習として挑戦したいこと、
限られた時間で練習課題が含まれていること、
決められたテーマに沿って主張を組み立てる必要があること。

…このあたりが組み合わさると、話し始める前から
「こういう内容で、こんな感じで…」という構成が頭の中に設定されます。

事前に自分の中で基準が作られてしまうわけです。
達成目標が決まる。

だから「上手くいくかどうか」が気になるというメカニズムでしょう。

その結果、緊張します。

こんなに緊張するのは久しぶりです。

緊張するには
・「上手くやろう」という気持ちがある
・上手くいっているかどうかの評価基準がある
・自分に注意が向いている
あたりが条件として必要になるようです。

人前で話すといっても目的は様々ですから、
今回のように自分のためだけの練習の場という意識は
余計に聴衆への関心を下げ、緊張の度合いを上げるのかもしれません。

緊張するほどの場面が日常で多くない僕としては
こういう時間を経験できるのもなかなか良いものだと感じています。

ちなみに質疑応答の時間は、僕の場合、一気に緊張がなくなります。

質問に応える際は、
・自分が上手くできるかではなく、相手に分かってもらえるかが重要になる
・上手い返答の評価基準はない(分かってもらえるよう工夫する)
・自分ではなく質問者のほうに注意が向いている
という状態に変わるからでしょう。

その意味では何かを教えるとなると
相手の立場に立てるようになりますから緊張しなくなると想像されます。


それにしても久しぶりにこういうトレーニングをすると、なかなか楽しいです。

難しいことに挑戦する楽しさ、
何か新しいことをやっている楽しさ、
できなかったものを出来るようにしていっている楽しさ、
緊張するほど自分のために一生懸命になっている楽しさ…。

色々な楽しさがミックスされている感じがします。

今まで自分がやってきたことを英語でもできるようにしてみようかと思い始めました。

久しく味わっていなかった楽しさがあって貴重な時間です。
まぁ、自分がプレゼンをする時間と、その直前の緊張の間だけですが。

まずは、もっと慣れる機会を増やしたいものです。

cozyharada at 23:12|Permalinkclip!

2017年02月11日

一方通行の情報

僕のFacebookは基本的に仕事繋がりです。
受講生の方の投稿が上がってくるのが大半。

もちろん友達として登録されていますから
その人たちが「いいね!」をしたものは僕のところからも見られます。

すると、僕の好みとは無関係の記事も数多く目にすることになります。

もちろん心理系の話題が一番多いとは思いますが、
政治的な話題とか、健康の話も頻繁に見受けられますし
自己啓発やスピリチュアルの方向性の記事も上がってきます。

心理系の話は比較的、技術論や心構えについてのものが多く、
さまざまな方向性が入り乱れている印象を受けます。
好みや専門性の違いといった感じ。

それがもう少し個人的な信念と結びついたものになると
方向性が両極に触れてくるような雰囲気が見てとれます。
両極端の考えの人がいる。

そもそもがプライベートな繋がりを想定した使い方ではなかったですから
個人的な信念は表現しないほうが無難だろうと思って、
他の人の信念に関することにも意見表明は控えると決めておきました。

両極の考え方があったとき、片側にだけ「いいね!」をすれば
自分自身の意見を示しているのと同じになってしまいますし、
両方に「いいね!」をすれば、相反する考えを示してしまいます。

何より、僕が「いいね!」した記事を他の人も見ることになりますから
場合によっては見たくないものを見てしまう知人も出てくる可能性があります。

なので自分の中の決まりごととして「いいね!」をしないことにしたわけです。


とはいえ、科学的な情報がシェアされていると
その内容が気になってしまう場合はよくあります。

「いいね!」をするかどうかではなく、むしろ論理的な矛盾を指摘したくなる。

例えば以前によく見かけた内容の記事で
「カレーを食べると幸せホルモンのセロトニンが分泌されて幸せになる」
といったものがありました。

ここには
・脳内の神経伝達物質としてセロトニンが幸福感に関わっている
・セロトニンの90%は腸で作られる
・カレーを食べると腸の働きを活発にするためにセロトニンが作られる
などの情報がミックスされています。

確かに科学的な知見として、セロトニンと幸福感の関係は知られています。
セロトニンの90%も腸で作られるというデータがあるんでしょう。

しかし、腸で作られるセロトニンは
腸の神経系において神経伝達物質としてメインで使われるために
全身の大部分のセロトニンが腸に存在するらしいんです。

それに伴って腸で使われるセロトニンも腸で作られる。
だから90%のセロトニンは腸で作られ、そこで使われるようです。

問題は、この腸で作られたセロトニンが脳には運ばれないということ。
脳のセロトニンとは別の話なんです。

仮に脳でセロトニンが沢山作られたとしても
セロトニンの分泌とは直結しないような気もしますが、
まぁ、セロトニンが多く作られたほうが幸福感が上がるとしましょう。

だとしても腸で作られたセロトニンと、
脳内のセロトニンに基づく幸福感は別の話のはずなんです。

もしカレーを食べると腸のセロトニンが増えるというデータがあったとしても
「カレーを食べると幸福になれる」という話にはなりません。

美味しいカレーを食べると幸せを感じられる人は多いでしょうが、
それは腸のセロトニンとは無関係でしょう。

さらには、「セロトニンの大部分が腸で作られる」ということと
「脳のセロトニンが幸福感と関わる」ということを引き合いに出して
「だから腸が大切」という結論に持っていくケースも見受けられます。

腸は大事だと思います。
腸内細菌の影響の大きさも示されてきていますし、
体感としても腸の働きの重要性は実感します。

ただ、そのこととセロトニンが腸で作られることとは関係ありません。

腸の大切さを主張するのに、論理的に無関係な知見を持ってくるのは
意図的なのか知らないだけなのか定かではありませんが、
詳しく検証されないままに“科学的な話”が利用されることは多いようなんです。


Facebookなどでシェアされる情報には
その人の好みや信念に沿った内容が多いと考えられますが、
不確かな話でも広められてしまう危険性も高いように感じます。

その不確かさや論理的な矛盾を指摘するのが良いかどうか分かりませんから
引っかかったとしても、特に何もしないことのほうが多いのが現状です。

信念は支えになります。
大事にしていることも感じとれそうです。

だからこそ人間関係としては、その信念を尊重したいものです。

そして一方で、不確かさに気づいてしまうところもある。

最初から情報として僕の目に入ってこない形になっていれば
そんなことを気にすることもないのでしょうけれど…。

インターネット検索と違って、幅広い情報が入ってくるのが
SNSのメリットでもあり、デメリットでもあるのかもしれません。

cozyharada at 23:31|Permalinkclip!

2017年02月05日

場数を増やしたいです

先日、重い腰を上げて参加することにしたプレゼンテーションの講座の
一回目のクラスがありました。

教わる内容に関しては最初から期待していませんでしたし、
比べ物にならないぐらい素晴らしいプレゼン講座をする知り合いもいますから、
講座の内容やトレーニング内容がどんなものでも気にならないつもりでした。

単純に場数を踏ませてもらえれば充分、という発想だったわけです。

行ってみると実際には指定の教科書があって、
それも英語学習者向けの教科書で、かなり初歩的な印象でした。

多くの英語学習者(日本人に限らず)が陥りがちな傾向を
英語らしい特徴とともに解説したような教科書という感じ。

どんなイントネーションが効果的だとか、
アメリカ文化の中でオーソドックスなプレゼンのスタイルとか、
どうやったら関心を引けるような構成になるかとか、
そういった内容がメイン。

英語でビジネスをやっている人たちに、
会議でのプレゼンのスタイルを教えるような入門教科書のようです。

想像していたよりももっと初歩的な内容の教科書でしたが
まぁ、オーソドックスなスタイルを練習しておくのは悪くないでしょう。

ここまではそれほど気になりません。
英語でプレゼンをする機会があれば、あとは
プラスアルファの情報といった印象ですから。


ところが残念なのは、メインとなる練習の機会。
基本的に2時間の中で、一人一回しか練習するタイミングがありません。

それも曖昧な指定のまま、一人10分とかをやります。

参加者の人数分、10分のプレゼンがありますから
2時間の授業時間のうち大部分は他の受講生のプレゼンを見るだけなんです。

質疑応答する時間もありますが、それは内容に対しての質問やコメント。
プレゼンターが質疑応答に慣れるためのサポートであって
聞いていた聴衆側としてフィードバックをする機会は無いようです。

プレゼンのあと、講師が一人ずつにフィードバックをしていましたが
そのフィードバックを活かす機会が翌週までないわけです。

やりっ放しになってしまっていて、かなり勿体ない。

そもそも練習のためのプレゼンを10分もやる必要性が分かりません。

同じ時間をやるんだったら、5分を二回やったほうが遥かに効果が高いでしょう。

フィードバックをするのなら、5分やった後にアドバイスをもらって、
それを踏まえて、その場ですぐに二回目の5分をやる。
それで効果の違いを見たほうが学習効率が上がります。

10分を無駄に使っている印象が避けられません。


しかも聞いているほうの負担が大きい。

参加者は全員日本人で、決して全員がスムーズに話せるわけではないんです。
プレゼンするほうの負荷も大き過ぎるし、
聞くほうだって何といっているのか、何を言いたいのか、
汲み取ろうとする労力が大きくなります。

練習する時間が少しで、聞いている時間ばかりになってしまうのも
講座の構成として満足感が低くなりやすそうです。

まして僕の期待は場数をこなすことでしたから、
機会の少なさがかなり残念な印象になってしまっています。

この先の授業では展開が変わる可能性もないとは言えませんが、
講師のスタイルからすると期待するのは厳しそうな印象です。

英語でプレゼンをする勉強会とかがあれば
そういうのに参加してみたい気持ちになってきているところです。

ひとまずは数少ない機会を存分に生かしたいものです。

cozyharada at 23:04|Permalinkclip!

2017年01月30日

英語でプレゼン

これまであまり気が乗らなかったことを、ようやくやってみることにしました。

大したことではありません。
ただ講座に参加するだけのことです。

プレゼンテーションの講座。
大学の公開講座でやっているものです。

英語のスピーキング強化、とくに人前で話すという設定で
英語を使うことに慣れておきたいと思い始めました。

どうしても会話形式でスピーキングの練習をしていると
ついペース合わせが多くなってしまって
自分が会話の主導権を握り、話を展開させていくようなことが減ります。

応答がメインになってしまう印象があるわけです。

もちろん、ある程度の量をまとめて話すこともありますが
自分で話の全体像を組み立てながら
流れをとらえてアウトプットするようなことは少ないようです。

場合によっては相手の話を聞いている間に何を言うかを考えて
それから話し始めるようなこともあります。

時間をかけて話す内容を考える印象があって
自然と湧き上がるものを口から出すようなことは少なかった。

なので主体的に英語でのアウトプットをする練習としては
プレゼンが重要だろうと考えているところです。


とはいえ、そういう考えは以前からも何となく持っていました。
プレゼンを練習する必要がある、と。

「自分が日本語でやっていることを英語でもできたらなぁ」と
感じていたこともありますから、その意味でも
英語を使って人前で話す練習は重要だろうと思っていたんです。

しかし実際は二の足を踏んでいました。

英語でのプレゼンの講座に出ることに抵抗があった気がします。

講師は前に、あるテスト対策講座を受けたときの人ですから
こちらとしては面識もありますし、どんな話し方の人かも知っています。
講師のプレゼンの技量も知っているわけです。

それを踏まえると、決して高度な内容ではないだろうと想像できます。
内容的な満足度が低そうなのも関係していたかもしれません。

おそらく、それ以上に引っかかっていたのは
「フィードバックを受ける時間がある」というところのように思います。

仕事として講師とかトレーナーとして人前で話すことをしている。
慣れない英語だとはいえ、それで他者からフィードバックを受けることに
妙なプライドがあるような気がします。

日本語でやるときには意図的にやれることも、
あえてやらないようにしていることも、
「正しいプレゼンの方法」の枠組みで評価されることになると予想されます。

そこに面倒臭い印象を受けていたみたいです。

まぁ、それは「やろうと思えばできますよ」ぐらいの状態にしておけばいい。
そんな風に考えが変わってきました。

むしろ場数をこなすことのほうが価値があると思っています。


こうして振り返ってみると、日本語で何かをやるときには気にならないのに
英語でプレゼンをするとなると「人からどう思われるか」が気になるようです。

厳密には日本語でも気になる部分はあるのかもしれませんが、
日本語のほうには何かしらの自信の根拠があるみたいです。

言い換えると、英語でプレゼンをするのに抵抗があったのは
他者からの評価ではなく、自分自身の評価として
自分のパフォーマンスを厳しく判断してしまうから、とも考えられます。

自分が気づいていないことを言われてショックを受けるというよりも
自分でも分かっている課題を指摘されて「ああ、やっぱり…」みたいなのが
避けたかった部分じゃないか、と。

実際に何が起きるかは参加しながらでないと分かりませんが、
どういう変化が起きるのかを期待しながら参加してみたいと思います。

おそらく内的な課題を扱いつつ進めると効果も上がるでしょうから。

cozyharada at 23:07|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

近日公表

《コミュニケーション講座》
〜言語表現力トレーニング〜


【日時】 2017年6月25日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は8月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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