セミナー情報

2019年09月21日

【札幌開催セミナー】第3回実践心理学研修会

10月26日、27日の土日に、札幌で講座をします。
(詳細はこちら>>

メインテーマは『心理分析』です。


心理分析といっても精神分析のようなものとは異なります。

分析という観点では共通する部分もありますが
もっとも大きく異なるのは「心」そのものの取り扱いです。

基本的に「心」を扱うものは、「心」を1つのモノと捉えます。
1つの身体に1つの心。
そういう発想です。

そしてその1つの心の性質を見ようとするわけです。
「こういう人には、どんな心理があるのだろうか?」と。

ここが人の心を理解するのを難しくする要因です。

心を1つのものと想定すると、
1つのものとして一貫した性質を知りたくなります。

一人の人なのだから「この人は〜な人」というパターンは変わらない。
そんな前提が生まれがちです。

しかし実際には、その時々で違ったパターンの行動をすることもあります。

いつもと違うとか、地雷を踏んで感情が激変するとか。
昨日と言っていることが違うとか、意外な一面が出るとか。
「え?こんなはずでは…」と、驚きとともに
パターンが崩れることに戸惑うわけです。

そして「あの人の気持ちが分からない」という結論に至る、と。
「いったい、あの人の本音は何なんだ?」と分からなくなるんです。

1つの本音というものを探すから見つからないんです。


そうではなくて、「心は1つのもの」と想定する代わりに
「心は集合体」と想定する。

心という容れ物の中に、様々な意見をもった役割が集まっている。
これをNLPでは『パート』という呼び方をしています。

喩えるなら、中学校の1クラスのようなものです。
様々な生徒がいます。
それぞれが違った意見を持っています。

そして場面ごとに主に活躍する生徒が決まっているんです。
授業中によく発言する勉強の得意な子、
サッカーのときに司令塔役をやる子、
生徒会のときにクラスの意見を提出する学級委員、
他校とケンカになったときに先頭に立つ番長…。

違った性格、違った特技をもった生徒が
ある場面で前面に出てくる感じです。

それぞれの意見や考えが違っても不思議ではありませんし、
まったく違った性格をしていても不思議ではないでしょう。

個人の心と、中学校の1クラスが異なるのは
中学校だと全員がバラバラに同じタイミングで話すことができますが、
個人の場合には口が1つしかないので同時に複数の意見は話せない、
ということです。

だから生徒が一人ずつマイクを渡し替えて
そのそきに前面に出ている生徒が話をする形になる。
一人ずつしか意見を聞くことができないクラスのようなイメージです。

決まった条件になると前面に出てくる生徒が入れ替わるんです。
そのとき、さっきまでと意見や態度が変わって聞こえます。
「あれ、急に別人のようだ…」と。

別人なんです。
別パートなんです。

1つの本音を探すのではなく、
登場してくる「心の中の担当者」全員分について
それぞれ意見を聞き分ける。

そうやって、心という容れ物の中で展開している
「動き」を捉えます。

これが今回紹介する心理分析の第一歩です。
他の種類の心理分析やプロファイリングと異なる特徴です。


そして心を集合体として、その中での動きを捉えられたら、
それぞれの担当者の心理分析をします。

では、このときの心理分析で何をするか?

原則的に心理分析をするのは、理解したいからでしょう。
相手のことを理解したい。
人の気持ちを知りたい。

その先には多くの場合
「理解できれば、うまく対応できるはずだ」
という見込みを持っているはずです。

つまり自分が望む結果に繋がるように、相手に働きかけたい、と。

セールスであれば、買ってもらう方向へ。
頼みごとをするのであれば、引き受けてもらえる方向へ。
クレーム対応であれば、落ち着いて納得してもらえる方向へ。
部下に指示するのであれば、指示通りに動いてもらえる方向へ。
子供との関りであれば、素直に言うことを聞いてもらえる方向へ。
気まずい間柄であれば、仲良く打ち解けられる方向へ。
…さまざまな思惑があるはずです。

相手の行動が、自分の望むほうへ向いてくれるように働きかける。
これを『動機づける』と言います。

英語でいうと motivate ですから、
「動機づけること」が「motivation」となります。

よく日本語では「モチベーションを高める」のような言い方をしますが、
それはまさに、
 自分の望む方向へ相手を『動機づける』
ことだと言っていいでしょう。

ここで本講座が、心理分析とモチベーションを同時に扱う理由です。

相手の心理を理解して、相手を適切に動機づける。

少なくとも、自分の想定通りに動かない人について
その心理を理解することができる。

そういう趣旨で講座を進めます。


動機づけをゴールとして相手の心理をするのだとしたら、
では具体的に何を「分析」して、何を理解すればいいのでしょうか?

たとえば典型的な心理分析として挙げられそうな精神分析では
『欲求』や『原因』を理解しようとします。

欲求とは、人間に備わった基本的な性質ということですから、
「人間は基本的にこういうことを求めて行動する」のような情報として
理解をするうえでの土台となる知識になります。

原因はストーリー展開です。
「こういうことがあった。だから、こういう風になった。」
のように妥当な因果関係を見つけようとするやり方です。

現在の心理について、そうなるに至った過去の出来事を見つけて
「過去にこんな体験をしていれば、今こういう考えになるのは当然だ」
という形で分析を行うわけです。

あるいはプロファイリングなんかも典型的な心理分析のイメージでしょう。

こちらはパターンを把握します。
行動パターン、思考パターンなど、
その人の中にある決まった傾向を調べる。

そうすると、
「この傾向の人は、こういうことがあると、こんな反応をする」
などの予測がつくようになります。

原因は気にせず、とにかく傾向が調べられればいい、というスタンスです。

プロファイリングの場合は、認識できるパターンの数が多いほど
精度高く人を分析することが可能になります。

なのでコンピューターを使って数百もの行動パターンを把握して
その人の行動を予測しようとするようなものまであります。

実用的には個人が把握できる数には限度がありますから
主な数パターンから、十数個のパターンぐらいを見ようとする
というのが一般的でしょう。

それに対して、今回の講座で行う心理分析は
原因分析や欲求の理解でもなければ、
複数のパターンを調査するプロファイリングでもありません。

『目的』の分析をします。

そのような振る舞いをする目的を理解しようとするんです。
「何のために?」と。


相手の振る舞いの目的が分かれば、
その目的を満たすように対応することで
相手の気持ちを落ち着けることができます。

そもそも動機づけをするときには
「こちらが望む方向へ」動いてもらう狙いがありますが、
その前提には「なかなか望むように動いてくれない」状況があります。

なぜ動いてくれないのか?というと、それは
相手には相手の望む方向があるからです。

自分と相手、それぞれが別のことを望んでいる。
そこで自分の望む方向にだけ無理やり動かそうというのは
いささか都合が良すぎます。

相手には相手の言い分があり、相手の望むことがある。
その相手の望んでいることが「相手の目的」です。

なぜこちらの望む方向へ動かないのか?
その心理として「そちらへ動かない目的」を理解する必要があります。

目的を理解できれば、その望んでいることを満たしてあげられる。
相手の望んでいることを満たしつつ、
こちらの望んでいることを満たしてもらう。

相手にとっても自分にとっても望む方向に動いてもらうわけですから
納得して動いてくれるようになる可能性は格段に高まります。

だから相手の振る舞いの『目的』を知りたいんです。
相手の望んでいることを満たせるように心理分析をしたいんです。


原因分析だと、これは簡単には成り立ちません。

原因分析が適切にできると、自分の側に納得感が起こります。
現状の振る舞いの理由が妥当なものに見えてくる。
「そういう事情があったんなら当然だなぁ」と。

自分の望むように動いてくれていない現状が
「それだったら、やらなくて当然か」と納得してしまう。

諦めがつくという意味では役立ちますが
望む方向には進んでいきません。

原因分析をベースに動機づけようとしたら、そこからもう一度
「だったら、どうしたら動いてもらえるだろうか?」と
効果的な対処法を新たに考え始める必要が出てきます。

それが目的分析だと、もっとシンプルなんです。

最初から相手が望んでいることを理解しようとする。
理解できたら、その望んでいることを満たしてあげればいい。

分析結果と対応が直結しているところが大きなメリットだといえます。


ということで、この講座の趣旨は…。

自分が望むほうへ相手に動いてもらいやすくするために
相手の現状の心理を分析する。

そのとき心という容れ物の中で起こっている「動き」を捉え
それぞれの担当者に注目する。

その担当者の「目的」を捉える。

そしてその目的を満たすように、自分の関わり方を調節する。


…このようなものだといえます。

理解するために必要な知識を紹介することもありますが
大部分は実習の予定です。

さまざまな実習を通して経験的にコツを身につけていただく狙いです。

講座に参加するだけで巧みな分析ができるまでは到達できないでしょうが、
最初の一歩としては相当な”大股の一歩”を踏み出すことにはなるはずです。

あとはどれだけ実践を重ねるか。
トレーニング法は講座中に紹介する実習そのもので十分でしょう。

必要なレベルまで、人の心を理解する技術を高めて頂ければと思います。


そんな講座です。

詳しい情報とお申込みはこちらをご覧ください。
https://hsmana.com/kenshukai3?fbclid=IwAR19JT-ull1MvfpvmqvBEzMBGehAh8EHOGNbP8XqvEJwq3w_09Pywu_1Te0

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2019年06月22日

【セミナー】怒りの取り合いマニュアル

心に関することでいうと、
様々な分野に共通して重要なポイントがあります。

それは
注意の対象ではなく、注意の元に意識を集める
ということです。

先端ではなくて、根元を見る。

これが本当に大事です。
これだけで本質的な問題さえも終わります。


ただし、この表現は本質的過ぎて
シンプルにまとまり過ぎてしまうので、
これだけではピンとこないことが多いと思います。

例えば「怒り」を題材とすると、
多くの人は、怒りを向ける対象に意識が集まるんです。

なぜ腹を立てているか?と。
「こういうことがあった。酷い!ムカつく!!」
という感じ。

それでは怒りは解消されません。

1つの効果的な対処法は「怒りを発散する」ことです。
出し切る。

そうすると
対象に向かって流れていたエネルギーが消えたようになり、
注意の方向が怒りの対象から離れ始めます。

そして自分の内側に向き始める。
なぜなら、そこに別の感情が起きているからです。
そこに気づけるようになるんです。

悲しみです。

怒りが通り過ぎると悲しくなってくる、というのは
怒りが発散された後、自然と意識の向きが変わって
そもそも自分の内側にあった悲しみに気づき始める、
というプロセスそのものだと言えます。

言い換えると、怒りは対象のほうに向いて
矢印のようにエネルギーを出し続けていますが、
その矢印の根元には悲しみがある、ということ。

だったら先に根元へ意識を向けてしまおう、と。

そうすることで怒りに振り回されなくなります。

もっというと、怒りを生んだ原因、怒りの対象にも
自分の感情を振り回されなくなるんです。

怒りが沸いてしまうというのは、
その対象・原因にコントロールされている
ということでもありますから。

他人や出来事にコントロールされて
怒りを持たされる必要がなくなるんです。


そういう話。
これが怒りだけでなく、ほとんど全てのことに当てはまる。

とはいえ、怒りに関していうと
だからといって怒りを我慢して
泣き続ければ良いということではありません。

もうちょっと丁寧な対処が必要になります。

そのあたりの「怒りの対処法」を
近々、講座で紹介します。

7月7日ー8日の土日。
基本は2日間の設定ながら、一日の受講も可能となっています。

詳しくは、こちらのリンク先をご覧ください。

https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2”>https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2

札幌開催のものも案内されていますが、今回は都内です。

ご検討ください。

cozyharada at 17:25|Permalinkclip!

2019年06月06日

【瞑想レッスン】6月22日の瞑想会

ご案内: 6月22日(土)

   瞑想講座 ~Coming back 'Home'~



瞑想会は折を見て、できるだけやろうかと思っています。

一応「講座」と銘打っていますが、実際は「レッスン」ぐらいの感じ。
ただ一緒に瞑想しましょうというお誘いではなく、
やり方やコツなどもお伝えする趣旨です。

究極的には「ひたすら一緒に黙って座る」だけに行きつきます。
もっともシンプルなスタンスは、それでしょう。

何かのメリットや目的のために瞑想をするわけではなく、
「ひたすら座る」ことそのものが
本性をありのまま世の中に表すことであって、
そうした座り方そのものを意図して瞑想するわけです。

この意図には終わりはありません。
むしろ深まり続けていくものとされます。


とはいえ、瞑想をするからには
そもそも瞑想に興味を持つキッカケがあります。

本質的には、このキッカケは個人のメリットや欲に由来するものではなく、
そうした形で自覚はされるけれども、それは表面的なところで
奥底には個人を超えた世の中の自然な働きが起こっていると考えます。

まぁ、それは自覚されるわけではありませんから
どんな経緯であれ瞑想に関心が生まれて
その方向への歩みを始めたということそのものが重視されます。

昨今では、アメリカ経由の「マインドフルネス」が流行して
日常生活レベルのメリットを求めて瞑想をするケースも多いようです。

その他にも、真実や真理といったものに関心が向いたり、
哲学的な思想を入り口にヨガや瞑想に進んでいったり、
いわゆるスピリチュアルな分野への興味から瞑想と出会ったり、
悩みから楽になるための心理療法的観点から瞑想を行ったり、
瞑想を始めるルートは多岐にわたるように見受けられます。

手塚治虫の「ブッダ」でも、ブッダ(シッダルタ)は
社会で苦しむ人々を見て、王族から出家したことになっています。

見た目上、どんなキッカケであっても、本質的に共通しているのは
「このままではいけない」という想いだと言えるでしょう。

掘り下げていくと、”自分”という存在が不安定になる感じ、
いわゆる「実存的危機」を伴っているはずです。


そしてこの”自分”という存在の危機感は
様々に形を変え、苦悩として自覚されるようになる。

この「苦」が形を変えて起こってくるメカニズム、関係性を
ブッダは十二縁起として説明していて、
その根本を「無明」としているわけです。

「無明」つまり「智慧」(仏の知恵)がない状態、と。

智慧がない。
本質が分かっていない。

もうちょっと日常的に言い換えると、
「みんな当たり前だと思ってしまっていることが勘違いなんだ」
という感じです。

じゃあ、勘違いではない「智慧」とは何なのか?
それは言葉では説明しにくいものでしょうけれど、
その智慧を得るための修業として瞑想が位置づけられます。

究極的には、すべての智慧を得ることはないので
修業はずっと続くわけですが、
個人的な人生経験におけるターニングポイントとしては
智慧によって苦悩から解放されるときは訪れます。

つまり「無明」は終わる。
勘違いに気づけば、苦悩は終わる、と。

とはいっても、勘違いではない内容については
無限の深遠さを持っているため
智慧を”手に入れた”という過去形になることはない。

それで、修業は終わらない、ということです。


瞑想に取り組むうえでのポイントは、
この「勘違いが終わると、苦悩が終わる」という部分です。

日常を生きる苦しみから解放される。

様々な形で悩み、苦しみ、不満、不安が起こる…
それから解放されて楽になる。

苦悩から自由になる、という趣旨です。

それが現実的な意味での瞑想の役割といえるでしょう。


そして瞑想によって苦悩を終わらせるルートには様々な流派があります。

ただ姿勢だけを心がけて座り続けるものもありますし、
具体的なイメージ内容を定めて瞑想するものもあります。

内面的な体験として何が起こったかを基準に
段階的に瞑想の種類を変えて、ステップアップしていく流派もあります。

ある流派では、できるだけ直線的に、シンプルなやり方で
苦悩からの解放までを一気に目指そうとします。
英語だと「direct pathway」なんて言われたりするものです。

実際、「勘違いに気づく」かどうかは
タイミングに左右されるところが大きいようで、
まさにダイレクトなやり方でも構わないのかもしれません。
起きる人には起きる、ということですから。

しかし、僕が見てきた限り、
それが起こりやすい状態には程度の違いがありそうなんです。

起きるときは起きる。
起こりやすい状態でも、起こらないときは起こらない。
起きにくい状態でも、起きるときは起きる。

あくまで確率のような話と捉えて頂けばいいと思います。

その意味で、起きやすくする、つまり
確率を上げる手段はあるんです。

その主要な1つが「一緒に瞑想する」ということです。

そして、まだ他にも確率を上げる手段があります。
言い換えれば、瞑想のコツのようなものです。

そこをお伝えする形式での瞑想会です。

なので「瞑想レッスン」ぐらいの呼び名が丁度いいか、と。


ということで、こちらの瞑想レッスンで行うのは
 『どのように』意識するか
という意識の使い方のコツの指導です。

世間で行われる様々な流派の瞑想を
”正しい瞑想法”として紹介するものではありません。

”〇〇瞑想”みたいな具体的な瞑想手法を扱うものではない、
ということをご了承ください。

瞑想の最中に『何を』するのか?という瞑想技法の話よりも
 『どのように』意識を向けながら瞑想をするのか?
というコツの話が中心になる、ということです。

苦しみから楽になる。
必ずしも一気に全ての苦しみから解放されるだけが全てではないでしょう。

少しでも楽になる。
それも良いのではないかと思います。

楽な時間をお過ごしいただければと願っています。



【実際に何をするか】
●瞑想についての説明
●様々な瞑想のコツの説明と実践
●振り返りと質疑応答

ずっと瞑想し続けるわけではありません。

一度の瞑想の時間も、お越しの方に合わせて調整します。

場所は和室です。

施設で座布団ぐらいは借りられますが
ご自身で使い慣れた坐布やクッション、ヨガマットなどあれば
ご持参いただいても構いません。

服装も動きやすいものをお選びください。


【午後の部と夜間の部について】
3時間ずつ、2コマで行います。

内容は同じにはなりません。
重要なところは一部、重複させる可能性はあります。

その場合には、ご自身での体験の違いを味わって頂けると思います。

どちらか一方のご参加も可能です。

お時間と体力をご考慮の上でご参加ください。



◆録音に関しまして
説明の内容は、ICレコーダーやスマートフォンなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。




※消防法の関係で、施設利用の定員があります。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。






【講座の詳細】

≪瞑想講座 〜Coming back 'Home'〜≫

【日時】  2019年 6月22日(土)
       午後の部 13:30〜16:30
       夜間の部 18:00〜21:00


       ※終了時間は多少前後する場合があります。


【場所】 北とぴあ 第2和室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅5番出口直結)


【参加費】 ・・・午後・夜間いずれか一回の場合: 7,000円
         両方ご参加の場合: 10,000円


       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。


【お申込み】 下のメールフォームにご記入ください。
       「ご参加」の欄に
       「午後」「夜間」「両方」のいずれか
をご記載お願いします。









【最後に】

サブタイトルの「Coming back 'Home'」についてですが、
これこそが「楽になる」ことの本質だと思われます。

日本語には「おかえり」という挨拶があります。
このニュアンスがポイントです。


怪我をして、はぐれてしまった野生動物を保護して
治療が終わって回復して、群れのもとへと返すとき。
「ほら、おかえり」と送り出す。

一方では、外に出て久しぶりに戻ってきた相手を
「おかえり」と招き入れる。

自然へ、本来の場所へ、元のところへと戻るときに
送り出す側も、迎え受ける側も、「おかえり」と言えるんです。


しかも「おかえり」は、「私たち(we)」として認識する
家族や仲間に対してしか使いません。

他者であれば客として「いらっしゃいませ」か
「ようこそ」となるんです。

英語の「Welcome」は「ようこそ」と歓迎していますが
そこにはどこか他者意識が感じられます。

Welcome back だとしても、
これは「戻ってきた」ときであれば使える表現です。

久しぶりにアメリカを訪れた、そんなとき
知人は Welcome back to the US という感じになるでしょう。

ホテルなんかでも、常連のお客様であれば Welcome back です。

Welcome home という言い方もありますが、これは
お客さんに対して「私たちの家へようこそ」というときと、
家族に対して「おかえりなさい」というときと、両方あるようです。

特にアメリカは個人主義と言われるスタンスが強く
家族であっても幼少期から個人として尊重する文化があります。

家族の一員という「特別な’あなた’」を Welcome home する印象があって
日本人が家族に対して持つほどの強い連帯感は無さそうに感じます。


さらには home に対しての帰属意識も日本ほど高くないかもしれません。
日本文化では「内」と「外」を明確に分けますから
家(うち)に帰ってくるのは、「もう外ではない」という
強い安心感をもたらしてくれるところがあると思います。

日本人が、所有物としての家(いえ)に対して思い入れを強く持つのも
家という空間を特別視しているからとも言えそうな気がします。


ここには Welcome という単語そのもの性質も関係しそうです。
welcome は他動詞として使われますから、
主語から目的語へのアクションを説明するものです。

主語の人物が、目的語の人物を welcome するんです。
歓迎する、喜んで迎え入れる。

ここには相手を自分とは別の存在として捉える前提があります。
家族のメンバーに対しての welcome home だったとしても
We welcome you. という他者認識が含まれるだろう、と。

一方、日本語の「おかえり」は、そもそも
連帯感や一体感のある対象に対してしか使われません。

最初から「われわれ」というグループがあって、
そのグループから一時的に『欠けていた』存在を
再びグループの中へと取り戻していくイメージがありそうです。

日本語の「おかえり」は、何かが加わる認識ではなく
失われていた何かが取り戻される認識だ、と。

なので欠けていたことに対しての寂しさが前提に含まれ、
その欠けていた存在が取り戻された瞬間に、寂しさや心配が解消される…
という「ホッとする」感じ、安心感を伴ったメッセージなんです。

「おかえり」には「ようこそ!」のような歓迎のニュアンスではなく
受け入れ、許容、安心が伴われる、と。


ですから本当は「おかえり」のスタンスなんです。

心の中で様々な自分を「おかえり」する。

home(うち)へと「おかえり…」しつつ
come backしてきた自分を「おかえり」と迎え入れる。

そんな心の状態が瞑想の静けさの中に含まれるんです。


ということで、この瞑想会は「おかえり」なんです。

cozyharada at 23:44|Permalinkclip!

2019年05月11日

【セミナー】人を育てる指導力

ご案内: 6月16日(日)

   コミュニケーション講座 〜人を育てる指導力〜



2019年6月の講座のテーマは『指導力』です。
ちゃんと教える技術。

「できる」ようになる教え方・関わり方について考え、
そのための技術をトレーニングします。


【講座の詳細】

コーチングやマネジメントよりも先に
ティーチングが必要なんです。

「期待通りに人が動いてくれない」
「職場に困った人がいる」
「もっと自分で考えて動いてほしい」…。

そういうときの指導法が今回のテーマです。

多くの人は、こういうときに腹が立ちます。
その怒りの系統のエネルギーを使って
自分の思い通りの方向に相手を動かそうとするわけです。

腹を立てるのは、ことの重要さを表現する手法としては効果的ですし、
そのエネルギーを使いながら注意したり叱ったりすれば
相手には強い印象を残すことが可能でしょう。

「これはダメなんだ」
「やってはいけないことをしてしまった」
そういう情報が記憶されます。

ただし、ここには不足した部分があります。

「その代わりに何をすれば良かったのか?」が不明瞭なんです。

怒りのエネルギーとともに注意されたとき、
本人が自主的に「じゃあ、どうすれば良かったんだろう?」と
『反省』する技術を持っていれば、
その人は自ら工夫して、同じミスを避けるようになる可能性があります。

が、残念ながら『反省』は技術です。
「落ち込む」ことと「反省」とを混同している人は大勢います。

叱られたショックを引きずって、
普段だったらできるはずの振り返りが
上手くできなくなってしまう人も大勢います。

そもそも
「問題点を分析して、改善策を考えて、シミュレーションする」
という、
『反省』のやり方を知らない人も大勢いるんです。

反省の技術を身につけていない、反省の技術が不十分…、
そういう相手に対しては
「失敗の重要性を思い知らせる」だけでは機能しないわけです。

もっと丁寧に、反省のプロセスそのものを手助けする必要があります。

そして、知識的にも技術的にも熟練している指導者であれば、
問題の本質や効果的な改善策が、すでに分かっている可能性もあります。

だとすると本人が反省して自分なりの解決策を模索するよりも、
もっと短時間に、必要なやり方を教えることだってできるはずです。


『自分で考える』は、社会的に求められる能力ですが、
誰もがその能力を養えているとは限らないんです。

自分で考える能力のある人だって
考えるための素材(つまり基礎知識)がなければ
どんなに考えても適切な答えに辿り着けません。

場合によっては、考える能力も知識もあるのに
自分の考えを口に出すことを遠慮している可能性もあります。

自分なりのやり方をすると怒られるとか、
意見を言いにくい関係性になっているとかの場合です。

これでは自分で考える意欲が失われてしまいます。

つまり、一口に「自分で考えることができない」といっても
々佑┐覽蚕僂鮨箸砲弔韻討い覆ぁ文果的な思考法を知らない)
考える能力が養われていない(知っているけれどトレーニング不足)
M燭┐蕕譴織董璽泙砲弔い胴佑┐襪里防要な情報が足りない(知識不足)
ぜ分で考えることを放棄している(自分で考えるモチベーションがない)
など、様々な実情があるわけです。

こうした場合分けに応じて、コミュニケーションとしての対応は異なります。

なんでもコーチング的な質問によって本人から答えを引き出す必要はありません。
考える技術や能力が課題だとすれば、適切な答えは出せないでしょうし、
基礎知識がない場合には、答えに辿り着くまでに情報収集の時間が費やされ
限られた時間を浪費してしまうこともあります。

だったら、基礎知識は情報提供として『教え』てしまうほうが効率的です。
いわゆるティーチングのほうが向いているといえるでしょう。

考える技術がないのであれば、これも、効果的な考え方の「指導」として
『教える』ことが求められるはずです。
知らないのですから、知らせる必要がある、と。

考える能力が不十分なのであれば、今度はトレーニングが重要です。
効果的な考え方を使って、1つの事案について考える作業をしてもらう…
そのプロセスそのものがトレーニングになっている形です。

そして考えることに対してヤル気がないのだとしたら、
「考える」という作業そのものに精神的な報酬が得られる工夫が必要でしょう。

トレーニングとして考える練習をしてもらうときにも、
考えることへの自主性を育むときにも、
「本人に答えを見つけてもらう」ように促す作業をすることになります。

表面的には、どちらもコーチング的な質問をしているように見えますが、
その目的が異なっているわけです。

考えるトレーニングだとしたら、答えが得られるまでの時間は無関係です。
答えを急ぐのではなく、適切な考え方をしているかのチェックが重要。

一方、考えるモチベーションを高め、自主性を育むとしたら
答えの内容よりも、「自分で考えた意見を出した」という過程のほうが
大きな意味を持つことになります。

指導する側として、主にチェックして評価するポイントが違うということです。


このように『指導する』というのは、決して
”ティーチング”とか”アドバイス”とか”コーチング”とか
一口に片づけられるものではありません。

何を育むことを目的とした関りなのか?
それを念頭に置きながら、コミュニケーション技術を使い分ける必要があります。

指導する側の立場として、相手に欠けていると思える部分について
「できる」ようにサポートするために、
 ・相手が「できない」原因を特定して
 ・それに合わせた指導を行う
という技術を、指導者として身につける。

それが今回の講座のテーマです。

ほとんどの人が、ここで困るようです。
コミュニケーションの講師をしている人でも
他人に仕事をしてもらう場面となると、
期待通りに動いてもらえず不満を抱えていたりします。

皆がそうなのだから気にしなくていい、という考え方もあるかもしれません。
しかし、ここができれば大きな違いが生まれます。

それは指導する側が、その人に安心して任せられるからだけでなく、
その人自身が「自主的に成長する」方法を身につけることで
以降の人生すべてを上手く進んでいけるようになるからでもあります。

そして、その人がグングンと伸びていく様子を見られるのは
指導する側にとっても嬉しいことなのではないでしょうか。

誰かが自分の想定と違うことをしたとしたら、
腹を立てる代わりに
相手ができていないことを丁寧に分析して
自分が伝えるメッセージを振り返って修正する。

これは思い通りに動いてくれない相手を責めるものでもなければ、
上手くできない自分の不甲斐なさを自責するものでもありません。

相手と自分に不足している要素を平等に見つめ直し
具体的に実行可能なレベルで伝えていく、という
いたって現実的でニュートラルなアプローチです。

その心がけ1つで、
自分の期待の奥にある「相手に対する願い」が
より届きやすくなっていくことでしょう。

必要とされる方のご都合と合えば幸いです。
お越しをお待ちしています。


【講座の内容例】
●なぜ「できない」のか?のチェックポイント
●指導のターゲットの分類法
●ティーチングとコーチングの使い分け方
●分かってもらいやすい話の内容と順番
●モチベーションの原則とヤル気を高めるコミュニケーション技術
●自主性を育む質問


◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。






【講座の詳細】

≪コミュニケーション講座 〜人を育てる指導力〜≫

【日時】  2019年 6月16日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 北とぴあ 601会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅5番出口直結)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。



締め切りました



【最後に】

日本文化におけるコミュニケーションは
「受け取る側」の比重が高いのが特徴です。

分かってくれて当然。
空気を読める人ほど優秀。
言わなくても、これぐらいやって欲しい。
…そういう発想も生まれやすいんでしょう。

学校やスポーツの場面でも、できないのは生徒や選手のせいになります。

分かるように教えられない先生の責任や
できるように指導できないコーチの責任にはならないんです。

伝える側、指導する側の努力という発想が少ない。

また、日本文化は世界中でも圧倒的に他人への期待が高いようです。
期待が高いから不満が起こりやすく、クレームも多い。

その高い期待に応えようとしてサービスを向上させたからこそ
日本の製品・サービスは高品質になったと言える一方で、
95点を99点にするために過剰な労力を費やしているとも言えます。

だから「日本人の生産性は低い」と指摘されるんでしょう。
生産性が低い原因は、他人への期待の高さにあると考えられるわけです。

そして過剰な期待に応えようとして自分に負担をかけストレスが溜まる。
溜まったストレスが他人への不満で爆発しやすくなる。
それが理不尽なクレームの形になって噴出する、なんていうことも…。

つまり他人が自分の思い通りに動いてくれることを期待し過ぎなんです。
それが自分の首を絞め、社会をギスギスさせる要因にもなっている、と。

だからこそ、「これぐらいできて当然」という期待を見つめ直し、
「やって欲しいことを言葉にして伝える」ことへ
自分が責任意識を持つのが重要だと考えられるんです。

それが他人への負担を減らし、
期待外れによって自分が腹を立てる事態も減らし、
社会全体からストレスを軽減していける。

日本に入ってきているコミュニケーション技術は
アメリカで心理療法の流れから派生してきたものが主流です。

相手を主役として設定した、サポートの技術なんです。
プロの立場として、自分の期待は手放した状態で使う技術です。

しかし、誰かを指導する立場にある人は
相手に対して期待をかけるのが自然なことです。

特に日本文化では、期待は強くなりやすい。

その状態では、100%相手が主役なわけではありません。
自分の側にも「こうあって欲しい」という思いが含まれます。

現状で広まっているコミュニケーション技術の多くは、
こういう関係性を前提にしていないんです。

だから、別の角度からのコミュニケーション技術が必要になります。

そこには日本人の苦手な「伝える」要素が高い比率で含まれます。

これまで練習されてこなかった「伝える側」のコミュニケーション技術。
重要な課題ではないかと思います。

国際化みたいなことを言うのだとしたら、
英語よりも「伝える側」の技術を意識するほうが必要かもしれません。

どんなに翻訳機能が発達しても、
翻訳してくれるのは自分が日本語で発した言葉だけです。

日本語で適切に伝える努力をしていなければ
その部分は翻訳機には手の打ちようがありませんから。

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2019年05月01日

6月の講座予定

6月は久しぶりの講座を予定しています。

一回はセミナー(6/16)、
もう一回は瞑想(6/22)の形で。


6月16日(日) 10:00〜16:30

こちらはセミナー形式で行う『コミュニケーション講座』の予定です。

今のところの想定では、「教える・指導する」ということをテーマに
・「分かる」とは何か?
・どうしたら「分かりやすい」のか?
・「できる」ようにするには何が必要か?
・ヤル気を出してもらうにはどうすればいいのか?
などを技術的に扱っていくつもりです。

ほぼ全ての人が『学び方』を教わってません。
勉強の内容や、スポーツの技術、仕事のやり方を教わることはあっても
「どうやって学べばいいか」は教わらないわけです。

だから自分で学び方を工夫するしかない。

そこで
・どうすれば分かるか
・どうしたら覚えられるか
・どうしたらできるようになるのか
などのコツを自分で見つけられたらラッキーです。

しかし、そうではない人が沢山います。

場合によっては
 学校の勉強はできたけれど
 塾に通っているうちに自然とそうなっていた
人のように、
自分で学び方を自覚できていない人もいます。

言われるがままにやってきた、と。
なので社会人になっても自主性が低い。

あるいは、学生時代までに勉強やスポーツ、芸術や趣味などを通じて
「分かるための方法」や「できるようになる方法」を学ぶ前に、
指導者の教え方や人間関係のトラブルなどによって
継続的に取り組むことそのものを拒否してしまった人もいます。

『学び方』を学べていないのは不運だと思います。

だからこそ『学び方』を身につけられるようにするところから
「教える・指導する」ということができれば
かなり大きな意義があるはずです。

日本では「分からない」のは「教わる側の責任」とされがちです。

そこを「教える側」の原因に目を向けることで
もっと工夫できる余地が見えてきます。

そういったあたりを扱っていく講座で考えています。


瞑想のほうは、
6月22日(土) 13:30〜16:30と18:00〜21:00

こちらは瞑想をメインにするつもりですが、
ずっと黙って座りっぱなしというわけではありません。

ある程度の説明や、トレーニング的なものも含めます。

ポイントを複数おさえながら取り組む形です。


興味がありましたらご検討ください。

ご予定が合えばいいのですが。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!

2019年03月17日

NLP的マインドフルネス

そもそもNLP的な側面が強い…、つまり
 汎用的に役立つようにポイントを形式化している
という性質がありそうなマインドフルネス。

だからこそ多くの人に役立つものとして広がったのでしょうし、
リラックスするとか集中力がつくとか生産性が上がるとか
様々な”効能”が調べられてきたんだと思います。

それはNLPがビジネスに役立つとか、人間関係に役立つとか、
コーチングやカウンセリングの幅を広げるのに役立つとか、
そういう現実的な側面の効果を謳っているのと対応しそうです。

一方で、実用面で実社会に役立つかどうかを抜きにして、単純に
そのものを深めていくという取り組み方もあります。

好奇心や興味、面白さなどが、その動機となる場合もあれば
自分の内面を見つめることそのものが動機になる場合なども。

これは「自分の悩みや苦しみを減らしたい」というのとは
少し違っているように感じられます。

必ずしも悩んでいるわけではないけれど、
なんとなく自分への優しさ・生き物への優しさとして
思いやりが向くような感じです。

喩えると、犬を飼っている人が寝ている犬を眺めているとき
そこで別に何の効果も期待していない、というようなものです。

ただ見ていたいから。
それだけ。

NLPを続けていくと、そのような気持ちから
人の内面を見ようとする側面が出てくるようです。

もちろん、この際の着眼点にはNLPのポイントが使われますが、
この段階で重要なのは、NLPそのものではなく
NLPを通して見ようとしている対象のほう。

つまり心そのものです。

ただ心を見つめる動機が生まれてくるんです。

NLPという形式化された技法や、考え方、心を理解するモデルが
入り口になって、そこから
NLPを通して見えてくる世界へと誘ってくれる。

そんなことが起こる人がいます。


おそらく同じようなことがマインドフルネスの実践者にも起こります。

入り口はマインドフルネスのもたらす効能や、
マインドフルネスという手法そのものへの興味だとしても、
ずっと実践していると、マインドフルネス瞑想を通して見える世界
つまり心そのもののほうへと視野が導かれていく、と。

実際、マインドフルネスという単語を英語圏に広めた
ティク・ナット・ハンは、
「マインドフルネスはトロイの木馬だ」
と言っていたそうです。

あくまで僕も伝聞でしかないのですが、
ティク・ナット・ハンの本の翻訳をしている人から聞きました。

マインドフルネスを入り口として、その実用的効能を目指して取り組むと
続けているうちに、その奥の方に進む人が出てくる。

そういうことを狙っていたのかもしれません。


もちろん、NLPをやって実生活に役立てるだけで十分な人も大勢いますし、
NLPのコースを体験して、知識を得るだけで満足する人も
コース受講中に自分の悩みが解決して満足する人もいます。

NLPを常日頃から心がけつつ生活を送らないとしても
少なくともNLPをやったことが役立つ人は沢山いるわけです。

また、NLPを常に心がけていない状態でも
体験的に学んだことは自然と日常に変化をもたらします。
知らないうちにNLP的な捉え方で人の心、自分の心と接して
NLPをやる以前とは違った生活が可能になっている人もいるでしょう。

当然、実用的な観点で一生懸命にNLPの手法を利用し続け
その恩恵を受けている人だっているはずです。

たとえ一時的にであっても、集中して何かに取り組めば
その経験は後々まで影響を及ぼしてくれる、ということです。

マインドフルネスにおいても同様だろうと思います。

1,2回体験してみただけでどうなるかは分かりませんが
重ねた経験の分だけ違いが出てくるのでしょう。

体験して実感できた成果だけで十分なのか、
やった分の影響がもたらしてくれた恩恵を感じながら
実践からは離れて自分の普段通りの日常に戻っていくのか、
それとも、その方法で得られる効果を求め続けて実践者となるのか。

さらには、実践を続けるうちに関心の方向がシフトしていくことになるのか。

何が起こるかは、人それぞれ。
どれが良いわけでも、正しいわけでもないんだろうと思います。

ですが、いずれにしても触れてみないことには何も起こりません。

その意味では、世間にマインドフルネスが流行したことは
多くの人に機会をもたらした点で有意義だったんでしょう。


実際、世の中にはマインドフルネス関係の本も
マインドフルネスを紹介する瞑想会も
マインドフルネスをベースにして応用した方法も、さらには
マインドフルネスと何かを組み合わせたという手法も…、
色々と見受けられます。

その中で、あえて「NLP的マインドフルネス」ということを考えると
何を工夫することになるのか?

1つの観点は、マインドフルネスが
 専門的で指導方法が複雑多岐にわたっていた仏教分野の瞑想を
 シンプルなポイントに絞って形式化したもの
という点で、
NLPでいうモデリングのような性質を持っているところになりそうです。

形式化してポイントを整理し、シンプルにする…
そうやってエッセンスを抽出するのがモデリングですが、
「何をエッセンスとして、どのポイントを選びとるのか?」には
必ずしも1つの正しいやり方があるわけではないはずです。

マインドフルネスを概念として捉えるときには
その基本的な発想は共通認識として整理しやすいでしょう。

ですが、そのマインドフルネスの基本的な発想を
「具体的にどのようなやり方で、どうやって実行するのか?」
という手法としてのポイントは、工夫のしようがあると考えられます。

実際、マインドフルネスの系統の瞑想にも
いくつかやり方のバリエーションがありますし。

つまり、Wikipediaにあるような説明
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」
がマインドフルネスの概念だとしたら、
「どういうことに気をつけて、何を心がければ
 ”マインドフルネス”になれるのか?」
が『マインドフルネス瞑想』の手法にあたる、と。

そして『マインドフルネス瞑想』の手法にはバリエーションがあって
それは、これまでに誰かがポイントを絞って作ってきた方法であり、
まだ他のポイントを心がける方法があるかもしれない。

ですから「NLP的マインドフルネス」というタイトルを
「NLP的に工夫したマインドフルネス瞑想」と捉えれば、
マインドフルネスになるためのポイントをNLP的な観点から整理し直して
具体的な方法に作り上げることができると思われます。

とはいえ、NLPの大部分は瞑想ではないので
方法として取り組む内容は瞑想そのものからは離れてきそうですが。


まとめると、”マインドフルネス”は、あくまで状態。
感情のようなステート(内的状態)の話ではなく、意識の状態の一形態。

なので「NLP的マインドフルネス」としては、
マインドフルネスという意識状態になることを目的として、
NLPの観点からポイントを整理し直し、
そのためのトレーニング方法や実践方法を取り扱う。

そういうのが妥当じゃないでしょうか。

よく知られている「マインドフルネス瞑想」の効果とは違う形で
もっとマインドフルネスになれるようなポイントを
NLPの用語や手法を応用しながら紹介する予定です。

逆に言えば、マインドフルネス瞑想そのものをやりたい人は
他のところを探していただく方が良さそうです。

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2019年03月14日

NLP的マインドフルネス

リクエストがあったので
マインドフルネスを講座で扱うことになりました。

詳細は>
  五感を研ぎ澄まし心に寄り添うベース
  NLP的マインドフルネス


僕自身が実践しているのは禅だと思っていますが
世間的にはマインドフルネスのほうが人気があるんでしょう。

とはいえ、もっとも一般的に紹介されているマインドフルネスを
そのまま紹介する形だとしたら、情報はかなり容易に手に入ります。

やり方においても、
もしコツを身につけないといけないようなものだとしたら
これほど広まってはいないような気がします。

何より、誰にでも実行できて、客観的に説明可能な基準があってこそ
「マインドフルネスをやっている」という状態を定義することができて、
それゆえに「マインドフルネスの効果」を検証することができます。

統計的エビデンスをとろうと思ったら
客観的に説明できないような内容や
誰にでもすぐできるものではない技術が必要なものは不適切なんです。

「やったら、こういう効果が得られました」とデータをとったとしても
「それは上手い人がやったからであって、個人差の問題なのでは?
 だとすると方法そのものの効果ではないのではないか?」
といった反論が可能になってしまいます。

「この方法は有効である」ということに統計的なデータをとるためには
方法が一般的に容易で、誰にでもすぐ実行できるものである必要があります。

誰が教えても同じようにできる。
高度なことが要求されない。
作業としての基準が明確である。

そういう種類の方法だと、
 ランダムに様々な人を連れてきて
 特に熟練した指導者ではない人が方法を説明して
 それで同じように決まった作業をしてもらう
ことが可能になります。

それで効果を統計的に検証する。

すると
 どんな人でも
 教え方や教える人の熟練度によらず
 基準に沿ったやり方をしさえすれば、
 こういう効果を得られる
というデータを取れるわけです。

マインドフルネスが瞑想そのものでの効果を検証されていたり
それをベースにした心理療法の効果が知られていたりするのは、
マインドフルネスという方法を形式化したところにポイントがあります。

そういう意味では、マインドフルネス自体が
瞑想の1つの狙いを形式化した、つまりモデリングしたものだ
とも言えるのではないでしょうか。


NLPは心理療法の達人のやり方を形式化したところが出発点です。

達人と全く同じようにできるには数えきれない高度なコツがあるとしても、
ある程度の効果を誰にでも得られるように形式化すれば
短時間でかなりの成果を得やすくなるといえます。

長時間のトレーニングを通じて自ら技術を磨かなくても、
すでに主なコツがポイントとして整理されているから
それを実行に移すだけで十分な効果が得られる、と。

そういうスタンスが、そもそもNLPにはあるんです。

本当に心理療法を本格的に身につけようとしたら
ハッキリ言ってしまえば、NLPの資格取得コースだけでは不十分でしょう。

NLPにはエッセンスは含まれていますが
そこで得られるのはダイジェスト版です。

しかし、いきなり心理療法だけを地道に学んで技術を磨くより
NLPを一通りやってしまうと、習得が効率的になります。

とりわけ、心に関して幅広く性質を理解して
応用範囲の広い基礎技術を身につけることができるので、
1つに特化した心理療法だけを学ぶよりも柔軟性は得られやすいと思います。

たとえるなら、お寿司の専門学校みたいなものでしょうか。

古くからの寿司の修行は、弟子入りして、洗い物から始まって
何年もかけて少しずつ技術を学ばせてもらえるスタイルだったそうです。

しかも弟子は自ら親方の技を盗まないといけなかった。
コツは教えてもらえない世界。

それが専門学校では、半年程度の間に一通りの作業を練習して
とりあえず形として、お寿司が作れるようには教えてもらえます。
やり方のポイントを整理して教えてくれる。

だから身につくのが早い。

じゃあ、専門学校だけで超一流になれるか?というと…。
それには超一流の店で修行したほうがいいのかもしれません。

到達点の高さを目指すなら特化した修行をしながら
達人の下で自ら学び取っていく必要があるんでしょう。

一方で、ポイントを掴んで、ある程度の結果を早く出すとしたら
すでに誰かがコツを体系化してくれたものをやるほうが都合がいい。

そんな区別があるように思えます。


NLPはそもそもポイントを絞って体系化したものです。

そのポイントを身につけて、すぐに実践可能な技術として
実用的に活かしていく…というのも一つのスタンス。

そのポイントを元に人の心をひたすら調べていけば
それまで見えていなかった世界が見えるようになってきます。
そうしてどこまでも追求することもできます。

その意味では、あくまで入り口であって
そこを起点に自ら先を調べるかどうかは人それぞれ。

体系化して、誰にでもすぐ役に立つように整理したものは
入り口として興味を持ってもらう上で
とても効果的なんでしょう。

誰もがプロのミュージシャンを目指すわけではないとしても
音楽の楽しさを知ってもらうチャンスは広く提供する。

そんな立ち位置は、どの分野でも重要なんだと感じます。

NLPもマインドフルネスも、そんな入り口のようです。

いわば、最初からマインドフルネスはNLP的なんでしょう。
ポイントを絞った、誰にでもできる入り口として。

それを踏まえて、どういう講座内容にするか。
それはまた今度の話にします。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!

2019年02月14日

【セミナー】NLPブラッシュアップ研修会

日本コミュニケーショントレーナー協会主催で
定期的に『NLPブラッシュアップ研修会』というのをやっています。

日程や内容については、こちら>>

東京の次の日程は3月30日(土)と3月31日(日)。
それぞれ違った内容ですので個別のお申し込みとなります。


基本的にNLPの内容です。
コミュニケーションにも応用は効きますが、
NLPの手法そのものを丁寧に見つめなおす形としています。

逆にいうと、「NLPって何?」のような関心には残念ながら沿えません。
むしろNLPをやったことのある方を対象としています。

なので用語の解説などは省略します。

一方、NLPにはプラクティショナーコースだけでは
時間やカリキュラムの関係で扱いきれていない部分が沢山あります。

「もっとここを丁寧にやったら身につきやすい」という部分を中心に
通常の資格取得コースでは紹介されない内容を取り扱うのが特徴です。

NLPの復習をしつつ、かつ丁寧に、より本質的な部分を深める。
一通りをザッと体験した後だからこそ、
それぞれの手法の位置づけや意味、狙いが見えやすくなるはずです。

「これって、こういうことだったんだ!」
というような再発見をしてもらいつつ、
NLPの観点から『心』を見つめる時間としてもらえたら…
と願っています。


プラクティショナーコースの中で行うのが困難なら
その次の段階で扱ってもよさそうなものですが、
次の段階にあたるマスタープラクティショナーコースには
それはそれで多くのカリキュラムが予定されていて時間が限られます。

マスタープラクティショナーコースは応用手法とプレゼンが中心。
実用的な手法や、効果の大きい方法が集まっているといえます。

となるとNLPの基本の部分をキッチリまとめて扱う機会は
資格取得コースの中には含まれなくなってしまう…
そんな事情もあるんです。

「一通りやったけど、バラバラとした点になっている」のような
印象になりがちなNLPを、1つのまとまりとして
繋いでいくような内容を考えています。

その意味でも、どこでNLPをやったかという背景は問いません。

大げさなセミナーというより、NLPを身近なものにしていく目的ですから
告知目的で集合写真をとったりするようなものではありませんし、
むしろ、いかにご自身のために活用していただけるかを意図しています。

少しでも有意義な時間を過ごしていただけたら幸いです。


お申込みはこのブログからはできませんので
リンク先のホームページからお願いします。

仕組み上のお問い合わせの場合にも、協会の事務局のほうへご連絡ください。

3月より先の日程は、東京以外も含め
7月以降の年後半に集まっています。

気になった方は日程をチェックしてみてください。

cozyharada at 23:51|Permalinkclip!

2019年02月04日

仕方のない事情

セミナーのスケジュールが立て込んで
かなりゲッソリしていました。

指摘されて計ってみたところ、体重も減っていたようです。
思いのほかエネルギーを使うみたいです。

厄介なのは、ヘロヘロになると体の強張りも自覚できなくなるところ。

一区切りついて、睡眠時間を確保して、
それからジムに行って身体を動かして、
ようやく全身が固まっていることを感じられるようになりました。

「疲れた」という印象から、
「重い」「ダルい」「凝っている」「痛い」という体験に変わるまでに
ある程度の回復とリフレッシュの作業が必要になる、と。

そのあとに、重さやダルさ、痛みをケアして
ようやく日常に戻れるんだろうと思われます。

ここ数年は、新年から4月初旬ぐらいまでが
かなりハードなセミナーのスケジュールになっていて
身体的な負荷が大きくなる傾向があります。

そういえば去年も、書道教室で他の生徒の人たちから
やたらと体調を気遣われることがありました。

みるみるやつれていく様子が週一回だけ顔を合わせる人たちには
ちょうどタイミングよく見てとれたのかもしれません。

何より書道教室は月曜日で、
週末のセミナー疲労を一番引きずっている曜日ですから。

なんでも去年は「病気じゃないか?」という噂が立っていたんだとか。

10年前にはこんなことなかったんですが…。

週4で終日のセミナーをやって、
そこに夜間のセミナーも追加されることもしばしば。

若かったというか、鈍感だったのか…?
それとも今とは違うやり方をしていたのか?

まぁ、当時もセミナーの最中から偏頭痛が酷くて
苦痛に耐えながら講座をやっていたこともあったので、
無理はしていたんでしょう。

それ以上に大きそうなのは、自分のスタンスかもしれません。

10年前は、ほぼ確実に僕が講座の8割以上を担当していました。
全部で10日間のNLPの資格取得コース(プラクティショナーコース)に
大部分の日程で顔を出して直接関わることができていたんです。

しかも、当時は1つ上のマスタープラクティショナーコースまで
かなりの比率の方が来ていましたから、僕の中での認識も、
半ば「両方合わせて完結」みたいな発想があった気がします。

なのでセミナーの時間を通して皆さんが楽になっていく過程を
かなり長いスパンで捉えていたところがありました。

最終的に楽になって、問題が解決して…という発想に近く
プラクティショナーコースの間であれば、
少しずつジワジワと心が緩んでいけば十分ぐらいのつもりだったんです。

実際、それでも最終的には効果を実感して頂けていたと想像しています。

それと比べると、最近は
プラクティショナーコースだけでしか関わらない方が多数派ですし、
そのプラクティショナーコースも、僕が担当できる日数は
多くて4日、少なければ2日です。

場合によっては、プラクティショナーコースで担当しなかった方が
マスタープラクティショナーコースに参加されて、
そこで初対面となるケースさえあります。

とにかく関われる日数が少なく、
心が緩んで、ほぐれるような体験をしてもらえるように
工夫して接することができる時間が限られているんです。

以前は「長期間でジワジワと」という想定でいられたのが
最近は「限られた機会で最大限に」という想定になります。

その意味で、毎回が目一杯で、
余裕をもって気長に捉えるところは減っている気がします。

このスタンスの違いが、
毎回の消費エネルギーを大きくしているのかもしれません。

とはいえ僕にできることは限られているので
今は体調管理を工夫しながら目の前のことに集中しようと思います。

cozyharada at 23:29|Permalinkclip!

2018年12月14日

札幌開催の一日講座

宣伝です。

札幌で年明けに一日講座が予定されています。
主催は日本コミュニケーショントレーナー協会。

詳しい内容は、そちらのページをご覧ください。

→1/12(土)『奇跡の一言』

→1/13(日)


『奇跡の一言』というタイトルがついているほうの一日講座は
技術的には”ねぎらい”や”リフレーミング”を中心にトレーニングします。

しかし、重要なのは「何を言うか」ではありません。
奇跡的にエレガントな言葉を言おうなんて心がけたら
その瞬間に自分の関心は、自分の思考のほうに向いてしまいます。

技術に目を向けると、相手から関心が離れるんです。

こういうコミュニケーションの問題は実に多いようです。
一生懸命に学んだ人ほど、技術や理論に目が向いてしまって
目の前の相手への関心がなくなる。

そうすると敏感な人が相手の場合、その相手は
「勉強してきた技術を使って自分をコントロールしようとしている。
 結局、思い通りにすること以外には興味が無いんだ。
 こっちの気持ちなんて全く気にしてくれない。」
のように考えて、余計に関係が悪化する、と。

こうした本末転倒なケースが起きるのは
技術トレーニングの中身が、技そのものに意識を向けているからです。

ねぎらいやリフレーミングを徹底的に練習しようとすると
相手に合った言葉を考えるようになります。

できるだけ相手の気持ちに沿った言葉を編み出そうとしたら
相手を観察して、相手に共感して、相手の背景を想像して…
というプロセスが欠かせません。

このプロセスが大事なんです。

これによって相手に気持ちを向けられます。
相手に関心が生まれます。

相手の気持ちに、相手の苦しみに関心が持てるようになる。
自分の言葉や技術ではなく、相手その人に関心が向きます。

相手の問題の原因分析だとか、人格形成の理論だとか、
問題解決や介入の手法だとか、解決に向けた行動プランだとか、
そういった知的な作業ではなくて
目の前の相手の、その瞬間の苦しさに意識が集まるんです。

そうなったとき、自然に優しい気持ちになります。

その優しい気持ちが非言語メッセージに表れます。
これが敏感な相手ほど、切実に伝わるんです。

だから大事なのは「何を言うか」という行動ではなく、
「自分がどんな気持ちになるか」という内面の部分なんです。

この講座でトレーニングするのは、内面のほう。
自然と他人への優しさが滲み出るようなトレーニングです。

ねぎらいやリフレーミングといった技術は
技術そのものの効果もありますが、
徹底的にトレーニングしようとすると、自動的に
相手の気持ちに目を向けることが求められる性質があります。

なので、ねぎらいとリフレーミングのトレーニングを積み重ねると
自然と他者に対しての優しさという『内面』のほうが変わってきます。

そこを意図した講座です。

地道に何度でも繰り返してこそ、本当の意味で効果が出始めるはずです。

ご興味があれば。


一方、OB勉強会のほうは、日によってテーマを変えて設定しています。
札幌の第一回目は、問題を整理する『焦点化』の方法を扱います。

焦点化とは、あくまで「絞り込む」作業のことをいいます。
「このことについて進めていく」という意味での絞り込みです。

あちこちに話が散らかったり、一日に色々と手を出して混乱したり、
多くを望み過ぎて手に負えるサイズではなくなってしまったり…、
そういうことのないように、1つのテーマに絞りましょう、と。

特にNLPの特徴は「プログラムを変える」というところにありますから
焦点化という意味では、
 「どのプログラムを扱うか」を絞り込む
作業を練習することになります。

NLPの多くの手法は、プログラムを効果的に変えられるようになっています。

ですが、どのプログラムを変えたらいいか、までは示してくれません。

一般的なNLPのスタンスは、
「手法は紹介したから、好きなように使って
 気になったプログラムを変えてみてください。
 変えてみて、人生に好影響が出なかったら
 また他のプログラムも変えてみましょう。
 だんだん良くなっていくはずです。」
といった雰囲気を持っているように見えます。

僕はそうやってきたのに近いと思います。

本当に困っていることから問題を解決してきたものも多々ありますが、
数の比率でいえば、気になったプログラムを片っ端から扱った
というケースの方が遥かに多いですから。

ところが多くの人は、そんなに一生懸命にやらないようです。
やはり効率的に、自分の人生に活かしたい。

一方で、NLPをやったけれど、色々とバラバラに紹介されていて
何をどうしたらいいのかも見当がつかない、ともなりがち。

動き出す”手がかり”、”とっかかり”が必要なんだと思われます。

そのためには、まず自分の現状を整理するのがオススメです。

困りごとや悩みの程度は関係ありません。
大きなトラブルでも、小さなトラブルでも、
まずは”とっかかり”として整理してみる。

「今の状況の中で、
 自分のプログラムのどれを
 変えたら効果的か?」

そうやって変えたいプログラムを絞り込むわけです。
これが焦点化の作業です。

扱うプログラムが決まったら、あとはNLPの手法を使うだけ、と。

この焦点化の作業に役立つフレームワークを紹介して
実例を踏まえて練習する、というのがこのOB勉強会のテーマです。

整理するためのポイントを身につけるということです。

もちろん他人の問題を整理するのにも使えますが、
自分ひとりでできるようにするのが趣旨です。

簡単で、効果的。
そう感じてもらえたら何よりなんですが。


いずれも開催地が札幌ですが、
ご予定の合う方、近郊の方はご検討ください。

以上、宣伝でした。

cozyharada at 23:47|Permalinkclip!
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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