セミナー情報

2019年05月11日

【セミナー】人を育てる指導力

ご案内: 6月16日(日)

   コミュニケーション講座 〜人を育てる指導力〜



2019年6月の講座のテーマは『指導力』です。
ちゃんと教える技術。

「できる」ようになる教え方・関わり方について考え、
そのための技術をトレーニングします。


不在のお詫び 

 5/17〜5/25 の期間、海外出張にともない
 お返事ができなくなります。


 上記期間中にお申込みくださった方へは
 5/26以降に順次お返事させていただきます。

 5/26を過ぎてもお申込み確認のメールが届かない場合には
 申し訳ございませんが、もう一度
 お申込みフォームよりご連絡ください。



【講座の詳細】

コーチングやマネジメントよりも先に
ティーチングが必要なんです。

「期待通りに人が動いてくれない」
「職場に困った人がいる」
「もっと自分で考えて動いてほしい」…。

そういうときの指導法が今回のテーマです。

多くの人は、こういうときに腹が立ちます。
その怒りの系統のエネルギーを使って
自分の思い通りの方向に相手を動かそうとするわけです。

腹を立てるのは、ことの重要さを表現する手法としては効果的ですし、
そのエネルギーを使いながら注意したり叱ったりすれば
相手には強い印象を残すことが可能でしょう。

「これはダメなんだ」
「やってはいけないことをしてしまった」
そういう情報が記憶されます。

ただし、ここには不足した部分があります。

「その代わりに何をすれば良かったのか?」が不明瞭なんです。

怒りのエネルギーとともに注意されたとき、
本人が自主的に「じゃあ、どうすれば良かったんだろう?」と
『反省』する技術を持っていれば、
その人は自ら工夫して、同じミスを避けるようになる可能性があります。

が、残念ながら『反省』は技術です。
「落ち込む」ことと「反省」とを混同している人は大勢います。

叱られたショックを引きずって、
普段だったらできるはずの振り返りが
上手くできなくなってしまう人も大勢います。

そもそも
「問題点を分析して、改善策を考えて、シミュレーションする」
という、
『反省』のやり方を知らない人も大勢いるんです。

反省の技術を身につけていない、反省の技術が不十分…、
そういう相手に対しては
「失敗の重要性を思い知らせる」だけでは機能しないわけです。

もっと丁寧に、反省のプロセスそのものを手助けする必要があります。

そして、知識的にも技術的にも熟練している指導者であれば、
問題の本質や効果的な改善策が、すでに分かっている可能性もあります。

だとすると本人が反省して自分なりの解決策を模索するよりも、
もっと短時間に、必要なやり方を教えることだってできるはずです。


『自分で考える』は、社会的に求められる能力ですが、
誰もがその能力を養えているとは限らないんです。

自分で考える能力のある人だって
考えるための素材(つまり基礎知識)がなければ
どんなに考えても適切な答えに辿り着けません。

場合によっては、考える能力も知識もあるのに
自分の考えを口に出すことを遠慮している可能性もあります。

自分なりのやり方をすると怒られるとか、
意見を言いにくい関係性になっているとかの場合です。

これでは自分で考える意欲が失われてしまいます。

つまり、一口に「自分で考えることができない」といっても
々佑┐覽蚕僂鮨箸砲弔韻討い覆ぁ文果的な思考法を知らない)
考える能力が養われていない(知っているけれどトレーニング不足)
M燭┐蕕譴織董璽泙砲弔い胴佑┐襪里防要な情報が足りない(知識不足)
ぜ分で考えることを放棄している(自分で考えるモチベーションがない)
など、様々な実情があるわけです。

こうした場合分けに応じて、コミュニケーションとしての対応は異なります。

なんでもコーチング的な質問によって本人から答えを引き出す必要はありません。
考える技術や能力が課題だとすれば、適切な答えは出せないでしょうし、
基礎知識がない場合には、答えに辿り着くまでに情報収集の時間が費やされ
限られた時間を浪費してしまうこともあります。

だったら、基礎知識は情報提供として『教え』てしまうほうが効率的です。
いわゆるティーチングのほうが向いているといえるでしょう。

考える技術がないのであれば、これも、効果的な考え方の「指導」として
『教える』ことが求められるはずです。
知らないのですから、知らせる必要がある、と。

考える能力が不十分なのであれば、今度はトレーニングが重要です。
効果的な考え方を使って、1つの事案について考える作業をしてもらう…
そのプロセスそのものがトレーニングになっている形です。

そして考えることに対してヤル気がないのだとしたら、
「考える」という作業そのものに精神的な報酬が得られる工夫が必要でしょう。

トレーニングとして考える練習をしてもらうときにも、
考えることへの自主性を育むときにも、
「本人に答えを見つけてもらう」ように促す作業をすることになります。

表面的には、どちらもコーチング的な質問をしているように見えますが、
その目的が異なっているわけです。

考えるトレーニングだとしたら、答えが得られるまでの時間は無関係です。
答えを急ぐのではなく、適切な考え方をしているかのチェックが重要。

一方、考えるモチベーションを高め、自主性を育むとしたら
答えの内容よりも、「自分で考えた意見を出した」という過程のほうが
大きな意味を持つことになります。

指導する側として、主にチェックして評価するポイントが違うということです。


このように『指導する』というのは、決して
”ティーチング”とか”アドバイス”とか”コーチング”とか
一口に片づけられるものではありません。

何を育むことを目的とした関りなのか?
それを念頭に置きながら、コミュニケーション技術を使い分ける必要があります。

指導する側の立場として、相手に欠けていると思える部分について
「できる」ようにサポートするために、
 ・相手が「できない」原因を特定して
 ・それに合わせた指導を行う
という技術を、指導者として身につける。

それが今回の講座のテーマです。

ほとんどの人が、ここで困るようです。
コミュニケーションの講師をしている人でも
他人に仕事をしてもらう場面となると、
期待通りに動いてもらえず不満を抱えていたりします。

皆がそうなのだから気にしなくていい、という考え方もあるかもしれません。
しかし、ここができれば大きな違いが生まれます。

それは指導する側が、その人に安心して任せられるからだけでなく、
その人自身が「自主的に成長する」方法を身につけることで
以降の人生すべてを上手く進んでいけるようになるからでもあります。

そして、その人がグングンと伸びていく様子を見られるのは
指導する側にとっても嬉しいことなのではないでしょうか。

誰かが自分の想定と違うことをしたとしたら、
腹を立てる代わりに
相手ができていないことを丁寧に分析して
自分が伝えるメッセージを振り返って修正する。

これは思い通りに動いてくれない相手を責めるものでもなければ、
上手くできない自分の不甲斐なさを自責するものでもありません。

相手と自分に不足している要素を平等に見つめ直し
具体的に実行可能なレベルで伝えていく、という
いたって現実的でニュートラルなアプローチです。

その心がけ1つで、
自分の期待の奥にある「相手に対する願い」が
より届きやすくなっていくことでしょう。

必要とされる方のご都合と合えば幸いです。
お越しをお待ちしています。


【講座の内容例】
●なぜ「できない」のか?のチェックポイント
●指導のターゲットの分類法
●ティーチングとコーチングの使い分け方
●分かってもらいやすい話の内容と順番
●モチベーションの原則とヤル気を高めるコミュニケーション技術
●自主性を育む質問


◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。






【講座の詳細】

≪コミュニケーション講座 〜人を育てる指導力〜≫

【日時】  2019年 6月16日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 北とぴあ 601会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅5番出口直結)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。









【最後に】

日本文化におけるコミュニケーションは
「受け取る側」の比重が高いのが特徴です。

分かってくれて当然。
空気を読める人ほど優秀。
言わなくても、これぐらいやって欲しい。
…そういう発想も生まれやすいんでしょう。

学校やスポーツの場面でも、できないのは生徒や選手のせいになります。

分かるように教えられない先生の責任や
できるように指導できないコーチの責任にはならないんです。

伝える側、指導する側の努力という発想が少ない。

また、日本文化は世界中でも圧倒的に他人への期待が高いようです。
期待が高いから不満が起こりやすく、クレームも多い。

その高い期待に応えようとしてサービスを向上させたからこそ
日本の製品・サービスは高品質になったと言える一方で、
95点を99点にするために過剰な労力を費やしているとも言えます。

だから「日本人の生産性は低い」と指摘されるんでしょう。
生産性が低い原因は、他人への期待の高さにあると考えられるわけです。

そして過剰な期待に応えようとして自分に負担をかけストレスが溜まる。
溜まったストレスが他人への不満で爆発しやすくなる。
それが理不尽なクレームの形になって噴出する、なんていうことも…。

つまり他人が自分の思い通りに動いてくれることを期待し過ぎなんです。
それが自分の首を絞め、社会をギスギスさせる要因にもなっている、と。

だからこそ、「これぐらいできて当然」という期待を見つめ直し、
「やって欲しいことを言葉にして伝える」ことへ
自分が責任意識を持つのが重要だと考えられるんです。

それが他人への負担を減らし、
期待外れによって自分が腹を立てる事態も減らし、
社会全体からストレスを軽減していける。

日本に入ってきているコミュニケーション技術は
アメリカで心理療法の流れから派生してきたものが主流です。

相手を主役として設定した、サポートの技術なんです。
プロの立場として、自分の期待は手放した状態で使う技術です。

しかし、誰かを指導する立場にある人は
相手に対して期待をかけるのが自然なことです。

特に日本文化では、期待は強くなりやすい。

その状態では、100%相手が主役なわけではありません。
自分の側にも「こうあって欲しい」という思いが含まれます。

現状で広まっているコミュニケーション技術の多くは、
こういう関係性を前提にしていないんです。

だから、別の角度からのコミュニケーション技術が必要になります。

そこには日本人の苦手な「伝える」要素が高い比率で含まれます。

これまで練習されてこなかった「伝える側」のコミュニケーション技術。
重要な課題ではないかと思います。

国際化みたいなことを言うのだとしたら、
英語よりも「伝える側」の技術を意識するほうが必要かもしれません。

どんなに翻訳機能が発達しても、
翻訳してくれるのは自分が日本語で発した言葉だけです。

日本語で適切に伝える努力をしていなければ
その部分は翻訳機には手の打ちようがありませんから。

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2019年05月01日

6月の講座予定

6月は久しぶりの講座を予定しています。

一回はセミナー(6/16)、
もう一回は瞑想(6/22)の形で。


6月16日(日) 10:00〜16:30

こちらはセミナー形式で行う『コミュニケーション講座』の予定です。

今のところの想定では、「教える・指導する」ということをテーマに
・「分かる」とは何か?
・どうしたら「分かりやすい」のか?
・「できる」ようにするには何が必要か?
・ヤル気を出してもらうにはどうすればいいのか?
などを技術的に扱っていくつもりです。

ほぼ全ての人が『学び方』を教わってません。
勉強の内容や、スポーツの技術、仕事のやり方を教わることはあっても
「どうやって学べばいいか」は教わらないわけです。

だから自分で学び方を工夫するしかない。

そこで
・どうすれば分かるか
・どうしたら覚えられるか
・どうしたらできるようになるのか
などのコツを自分で見つけられたらラッキーです。

しかし、そうではない人が沢山います。

場合によっては
 学校の勉強はできたけれど
 塾に通っているうちに自然とそうなっていた
人のように、
自分で学び方を自覚できていない人もいます。

言われるがままにやってきた、と。
なので社会人になっても自主性が低い。

あるいは、学生時代までに勉強やスポーツ、芸術や趣味などを通じて
「分かるための方法」や「できるようになる方法」を学ぶ前に、
指導者の教え方や人間関係のトラブルなどによって
継続的に取り組むことそのものを拒否してしまった人もいます。

『学び方』を学べていないのは不運だと思います。

だからこそ『学び方』を身につけられるようにするところから
「教える・指導する」ということができれば
かなり大きな意義があるはずです。

日本では「分からない」のは「教わる側の責任」とされがちです。

そこを「教える側」の原因に目を向けることで
もっと工夫できる余地が見えてきます。

そういったあたりを扱っていく講座で考えています。


瞑想のほうは、
6月22日(土) 13:30〜16:30と18:00〜21:00

こちらは瞑想をメインにするつもりですが、
ずっと黙って座りっぱなしというわけではありません。

ある程度の説明や、トレーニング的なものも含めます。

ポイントを複数おさえながら取り組む形です。


興味がありましたらご検討ください。

ご予定が合えばいいのですが。

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2019年03月17日

NLP的マインドフルネス

そもそもNLP的な側面が強い…、つまり
 汎用的に役立つようにポイントを形式化している
という性質がありそうなマインドフルネス。

だからこそ多くの人に役立つものとして広がったのでしょうし、
リラックスするとか集中力がつくとか生産性が上がるとか
様々な”効能”が調べられてきたんだと思います。

それはNLPがビジネスに役立つとか、人間関係に役立つとか、
コーチングやカウンセリングの幅を広げるのに役立つとか、
そういう現実的な側面の効果を謳っているのと対応しそうです。

一方で、実用面で実社会に役立つかどうかを抜きにして、単純に
そのものを深めていくという取り組み方もあります。

好奇心や興味、面白さなどが、その動機となる場合もあれば
自分の内面を見つめることそのものが動機になる場合なども。

これは「自分の悩みや苦しみを減らしたい」というのとは
少し違っているように感じられます。

必ずしも悩んでいるわけではないけれど、
なんとなく自分への優しさ・生き物への優しさとして
思いやりが向くような感じです。

喩えると、犬を飼っている人が寝ている犬を眺めているとき
そこで別に何の効果も期待していない、というようなものです。

ただ見ていたいから。
それだけ。

NLPを続けていくと、そのような気持ちから
人の内面を見ようとする側面が出てくるようです。

もちろん、この際の着眼点にはNLPのポイントが使われますが、
この段階で重要なのは、NLPそのものではなく
NLPを通して見ようとしている対象のほう。

つまり心そのものです。

ただ心を見つめる動機が生まれてくるんです。

NLPという形式化された技法や、考え方、心を理解するモデルが
入り口になって、そこから
NLPを通して見えてくる世界へと誘ってくれる。

そんなことが起こる人がいます。


おそらく同じようなことがマインドフルネスの実践者にも起こります。

入り口はマインドフルネスのもたらす効能や、
マインドフルネスという手法そのものへの興味だとしても、
ずっと実践していると、マインドフルネス瞑想を通して見える世界
つまり心そのもののほうへと視野が導かれていく、と。

実際、マインドフルネスという単語を英語圏に広めた
ティク・ナット・ハンは、
「マインドフルネスはトロイの木馬だ」
と言っていたそうです。

あくまで僕も伝聞でしかないのですが、
ティク・ナット・ハンの本の翻訳をしている人から聞きました。

マインドフルネスを入り口として、その実用的効能を目指して取り組むと
続けているうちに、その奥の方に進む人が出てくる。

そういうことを狙っていたのかもしれません。


もちろん、NLPをやって実生活に役立てるだけで十分な人も大勢いますし、
NLPのコースを体験して、知識を得るだけで満足する人も
コース受講中に自分の悩みが解決して満足する人もいます。

NLPを常日頃から心がけつつ生活を送らないとしても
少なくともNLPをやったことが役立つ人は沢山いるわけです。

また、NLPを常に心がけていない状態でも
体験的に学んだことは自然と日常に変化をもたらします。
知らないうちにNLP的な捉え方で人の心、自分の心と接して
NLPをやる以前とは違った生活が可能になっている人もいるでしょう。

当然、実用的な観点で一生懸命にNLPの手法を利用し続け
その恩恵を受けている人だっているはずです。

たとえ一時的にであっても、集中して何かに取り組めば
その経験は後々まで影響を及ぼしてくれる、ということです。

マインドフルネスにおいても同様だろうと思います。

1,2回体験してみただけでどうなるかは分かりませんが
重ねた経験の分だけ違いが出てくるのでしょう。

体験して実感できた成果だけで十分なのか、
やった分の影響がもたらしてくれた恩恵を感じながら
実践からは離れて自分の普段通りの日常に戻っていくのか、
それとも、その方法で得られる効果を求め続けて実践者となるのか。

さらには、実践を続けるうちに関心の方向がシフトしていくことになるのか。

何が起こるかは、人それぞれ。
どれが良いわけでも、正しいわけでもないんだろうと思います。

ですが、いずれにしても触れてみないことには何も起こりません。

その意味では、世間にマインドフルネスが流行したことは
多くの人に機会をもたらした点で有意義だったんでしょう。


実際、世の中にはマインドフルネス関係の本も
マインドフルネスを紹介する瞑想会も
マインドフルネスをベースにして応用した方法も、さらには
マインドフルネスと何かを組み合わせたという手法も…、
色々と見受けられます。

その中で、あえて「NLP的マインドフルネス」ということを考えると
何を工夫することになるのか?

1つの観点は、マインドフルネスが
 専門的で指導方法が複雑多岐にわたっていた仏教分野の瞑想を
 シンプルなポイントに絞って形式化したもの
という点で、
NLPでいうモデリングのような性質を持っているところになりそうです。

形式化してポイントを整理し、シンプルにする…
そうやってエッセンスを抽出するのがモデリングですが、
「何をエッセンスとして、どのポイントを選びとるのか?」には
必ずしも1つの正しいやり方があるわけではないはずです。

マインドフルネスを概念として捉えるときには
その基本的な発想は共通認識として整理しやすいでしょう。

ですが、そのマインドフルネスの基本的な発想を
「具体的にどのようなやり方で、どうやって実行するのか?」
という手法としてのポイントは、工夫のしようがあると考えられます。

実際、マインドフルネスの系統の瞑想にも
いくつかやり方のバリエーションがありますし。

つまり、Wikipediaにあるような説明
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」
がマインドフルネスの概念だとしたら、
「どういうことに気をつけて、何を心がければ
 ”マインドフルネス”になれるのか?」
が『マインドフルネス瞑想』の手法にあたる、と。

そして『マインドフルネス瞑想』の手法にはバリエーションがあって
それは、これまでに誰かがポイントを絞って作ってきた方法であり、
まだ他のポイントを心がける方法があるかもしれない。

ですから「NLP的マインドフルネス」というタイトルを
「NLP的に工夫したマインドフルネス瞑想」と捉えれば、
マインドフルネスになるためのポイントをNLP的な観点から整理し直して
具体的な方法に作り上げることができると思われます。

とはいえ、NLPの大部分は瞑想ではないので
方法として取り組む内容は瞑想そのものからは離れてきそうですが。


まとめると、”マインドフルネス”は、あくまで状態。
感情のようなステート(内的状態)の話ではなく、意識の状態の一形態。

なので「NLP的マインドフルネス」としては、
マインドフルネスという意識状態になることを目的として、
NLPの観点からポイントを整理し直し、
そのためのトレーニング方法や実践方法を取り扱う。

そういうのが妥当じゃないでしょうか。

よく知られている「マインドフルネス瞑想」の効果とは違う形で
もっとマインドフルネスになれるようなポイントを
NLPの用語や手法を応用しながら紹介する予定です。

逆に言えば、マインドフルネス瞑想そのものをやりたい人は
他のところを探していただく方が良さそうです。

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2019年03月14日

NLP的マインドフルネス

リクエストがあったので
マインドフルネスを講座で扱うことになりました。

詳細は>
  五感を研ぎ澄まし心に寄り添うベース
  NLP的マインドフルネス


僕自身が実践しているのは禅だと思っていますが
世間的にはマインドフルネスのほうが人気があるんでしょう。

とはいえ、もっとも一般的に紹介されているマインドフルネスを
そのまま紹介する形だとしたら、情報はかなり容易に手に入ります。

やり方においても、
もしコツを身につけないといけないようなものだとしたら
これほど広まってはいないような気がします。

何より、誰にでも実行できて、客観的に説明可能な基準があってこそ
「マインドフルネスをやっている」という状態を定義することができて、
それゆえに「マインドフルネスの効果」を検証することができます。

統計的エビデンスをとろうと思ったら
客観的に説明できないような内容や
誰にでもすぐできるものではない技術が必要なものは不適切なんです。

「やったら、こういう効果が得られました」とデータをとったとしても
「それは上手い人がやったからであって、個人差の問題なのでは?
 だとすると方法そのものの効果ではないのではないか?」
といった反論が可能になってしまいます。

「この方法は有効である」ということに統計的なデータをとるためには
方法が一般的に容易で、誰にでもすぐ実行できるものである必要があります。

誰が教えても同じようにできる。
高度なことが要求されない。
作業としての基準が明確である。

そういう種類の方法だと、
 ランダムに様々な人を連れてきて
 特に熟練した指導者ではない人が方法を説明して
 それで同じように決まった作業をしてもらう
ことが可能になります。

それで効果を統計的に検証する。

すると
 どんな人でも
 教え方や教える人の熟練度によらず
 基準に沿ったやり方をしさえすれば、
 こういう効果を得られる
というデータを取れるわけです。

マインドフルネスが瞑想そのものでの効果を検証されていたり
それをベースにした心理療法の効果が知られていたりするのは、
マインドフルネスという方法を形式化したところにポイントがあります。

そういう意味では、マインドフルネス自体が
瞑想の1つの狙いを形式化した、つまりモデリングしたものだ
とも言えるのではないでしょうか。


NLPは心理療法の達人のやり方を形式化したところが出発点です。

達人と全く同じようにできるには数えきれない高度なコツがあるとしても、
ある程度の効果を誰にでも得られるように形式化すれば
短時間でかなりの成果を得やすくなるといえます。

長時間のトレーニングを通じて自ら技術を磨かなくても、
すでに主なコツがポイントとして整理されているから
それを実行に移すだけで十分な効果が得られる、と。

そういうスタンスが、そもそもNLPにはあるんです。

本当に心理療法を本格的に身につけようとしたら
ハッキリ言ってしまえば、NLPの資格取得コースだけでは不十分でしょう。

NLPにはエッセンスは含まれていますが
そこで得られるのはダイジェスト版です。

しかし、いきなり心理療法だけを地道に学んで技術を磨くより
NLPを一通りやってしまうと、習得が効率的になります。

とりわけ、心に関して幅広く性質を理解して
応用範囲の広い基礎技術を身につけることができるので、
1つに特化した心理療法だけを学ぶよりも柔軟性は得られやすいと思います。

たとえるなら、お寿司の専門学校みたいなものでしょうか。

古くからの寿司の修行は、弟子入りして、洗い物から始まって
何年もかけて少しずつ技術を学ばせてもらえるスタイルだったそうです。

しかも弟子は自ら親方の技を盗まないといけなかった。
コツは教えてもらえない世界。

それが専門学校では、半年程度の間に一通りの作業を練習して
とりあえず形として、お寿司が作れるようには教えてもらえます。
やり方のポイントを整理して教えてくれる。

だから身につくのが早い。

じゃあ、専門学校だけで超一流になれるか?というと…。
それには超一流の店で修行したほうがいいのかもしれません。

到達点の高さを目指すなら特化した修行をしながら
達人の下で自ら学び取っていく必要があるんでしょう。

一方で、ポイントを掴んで、ある程度の結果を早く出すとしたら
すでに誰かがコツを体系化してくれたものをやるほうが都合がいい。

そんな区別があるように思えます。


NLPはそもそもポイントを絞って体系化したものです。

そのポイントを身につけて、すぐに実践可能な技術として
実用的に活かしていく…というのも一つのスタンス。

そのポイントを元に人の心をひたすら調べていけば
それまで見えていなかった世界が見えるようになってきます。
そうしてどこまでも追求することもできます。

その意味では、あくまで入り口であって
そこを起点に自ら先を調べるかどうかは人それぞれ。

体系化して、誰にでもすぐ役に立つように整理したものは
入り口として興味を持ってもらう上で
とても効果的なんでしょう。

誰もがプロのミュージシャンを目指すわけではないとしても
音楽の楽しさを知ってもらうチャンスは広く提供する。

そんな立ち位置は、どの分野でも重要なんだと感じます。

NLPもマインドフルネスも、そんな入り口のようです。

いわば、最初からマインドフルネスはNLP的なんでしょう。
ポイントを絞った、誰にでもできる入り口として。

それを踏まえて、どういう講座内容にするか。
それはまた今度の話にします。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!

2019年02月14日

【セミナー】NLPブラッシュアップ研修会

日本コミュニケーショントレーナー協会主催で
定期的に『NLPブラッシュアップ研修会』というのをやっています。

日程や内容については、こちら>>

東京の次の日程は3月30日(土)と3月31日(日)。
それぞれ違った内容ですので個別のお申し込みとなります。


基本的にNLPの内容です。
コミュニケーションにも応用は効きますが、
NLPの手法そのものを丁寧に見つめなおす形としています。

逆にいうと、「NLPって何?」のような関心には残念ながら沿えません。
むしろNLPをやったことのある方を対象としています。

なので用語の解説などは省略します。

一方、NLPにはプラクティショナーコースだけでは
時間やカリキュラムの関係で扱いきれていない部分が沢山あります。

「もっとここを丁寧にやったら身につきやすい」という部分を中心に
通常の資格取得コースでは紹介されない内容を取り扱うのが特徴です。

NLPの復習をしつつ、かつ丁寧に、より本質的な部分を深める。
一通りをザッと体験した後だからこそ、
それぞれの手法の位置づけや意味、狙いが見えやすくなるはずです。

「これって、こういうことだったんだ!」
というような再発見をしてもらいつつ、
NLPの観点から『心』を見つめる時間としてもらえたら…
と願っています。


プラクティショナーコースの中で行うのが困難なら
その次の段階で扱ってもよさそうなものですが、
次の段階にあたるマスタープラクティショナーコースには
それはそれで多くのカリキュラムが予定されていて時間が限られます。

マスタープラクティショナーコースは応用手法とプレゼンが中心。
実用的な手法や、効果の大きい方法が集まっているといえます。

となるとNLPの基本の部分をキッチリまとめて扱う機会は
資格取得コースの中には含まれなくなってしまう…
そんな事情もあるんです。

「一通りやったけど、バラバラとした点になっている」のような
印象になりがちなNLPを、1つのまとまりとして
繋いでいくような内容を考えています。

その意味でも、どこでNLPをやったかという背景は問いません。

大げさなセミナーというより、NLPを身近なものにしていく目的ですから
告知目的で集合写真をとったりするようなものではありませんし、
むしろ、いかにご自身のために活用していただけるかを意図しています。

少しでも有意義な時間を過ごしていただけたら幸いです。


お申込みはこのブログからはできませんので
リンク先のホームページからお願いします。

仕組み上のお問い合わせの場合にも、協会の事務局のほうへご連絡ください。

3月より先の日程は、東京以外も含め
7月以降の年後半に集まっています。

気になった方は日程をチェックしてみてください。

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2019年02月04日

仕方のない事情

セミナーのスケジュールが立て込んで
かなりゲッソリしていました。

指摘されて計ってみたところ、体重も減っていたようです。
思いのほかエネルギーを使うみたいです。

厄介なのは、ヘロヘロになると体の強張りも自覚できなくなるところ。

一区切りついて、睡眠時間を確保して、
それからジムに行って身体を動かして、
ようやく全身が固まっていることを感じられるようになりました。

「疲れた」という印象から、
「重い」「ダルい」「凝っている」「痛い」という体験に変わるまでに
ある程度の回復とリフレッシュの作業が必要になる、と。

そのあとに、重さやダルさ、痛みをケアして
ようやく日常に戻れるんだろうと思われます。

ここ数年は、新年から4月初旬ぐらいまでが
かなりハードなセミナーのスケジュールになっていて
身体的な負荷が大きくなる傾向があります。

そういえば去年も、書道教室で他の生徒の人たちから
やたらと体調を気遣われることがありました。

みるみるやつれていく様子が週一回だけ顔を合わせる人たちには
ちょうどタイミングよく見てとれたのかもしれません。

何より書道教室は月曜日で、
週末のセミナー疲労を一番引きずっている曜日ですから。

なんでも去年は「病気じゃないか?」という噂が立っていたんだとか。

10年前にはこんなことなかったんですが…。

週4で終日のセミナーをやって、
そこに夜間のセミナーも追加されることもしばしば。

若かったというか、鈍感だったのか…?
それとも今とは違うやり方をしていたのか?

まぁ、当時もセミナーの最中から偏頭痛が酷くて
苦痛に耐えながら講座をやっていたこともあったので、
無理はしていたんでしょう。

それ以上に大きそうなのは、自分のスタンスかもしれません。

10年前は、ほぼ確実に僕が講座の8割以上を担当していました。
全部で10日間のNLPの資格取得コース(プラクティショナーコース)に
大部分の日程で顔を出して直接関わることができていたんです。

しかも、当時は1つ上のマスタープラクティショナーコースまで
かなりの比率の方が来ていましたから、僕の中での認識も、
半ば「両方合わせて完結」みたいな発想があった気がします。

なのでセミナーの時間を通して皆さんが楽になっていく過程を
かなり長いスパンで捉えていたところがありました。

最終的に楽になって、問題が解決して…という発想に近く
プラクティショナーコースの間であれば、
少しずつジワジワと心が緩んでいけば十分ぐらいのつもりだったんです。

実際、それでも最終的には効果を実感して頂けていたと想像しています。

それと比べると、最近は
プラクティショナーコースだけでしか関わらない方が多数派ですし、
そのプラクティショナーコースも、僕が担当できる日数は
多くて4日、少なければ2日です。

場合によっては、プラクティショナーコースで担当しなかった方が
マスタープラクティショナーコースに参加されて、
そこで初対面となるケースさえあります。

とにかく関われる日数が少なく、
心が緩んで、ほぐれるような体験をしてもらえるように
工夫して接することができる時間が限られているんです。

以前は「長期間でジワジワと」という想定でいられたのが
最近は「限られた機会で最大限に」という想定になります。

その意味で、毎回が目一杯で、
余裕をもって気長に捉えるところは減っている気がします。

このスタンスの違いが、
毎回の消費エネルギーを大きくしているのかもしれません。

とはいえ僕にできることは限られているので
今は体調管理を工夫しながら目の前のことに集中しようと思います。

cozyharada at 23:29|Permalinkclip!

2018年12月14日

札幌開催の一日講座

宣伝です。

札幌で年明けに一日講座が予定されています。
主催は日本コミュニケーショントレーナー協会。

詳しい内容は、そちらのページをご覧ください。

→1/12(土)『奇跡の一言』

→1/13(日)


『奇跡の一言』というタイトルがついているほうの一日講座は
技術的には”ねぎらい”や”リフレーミング”を中心にトレーニングします。

しかし、重要なのは「何を言うか」ではありません。
奇跡的にエレガントな言葉を言おうなんて心がけたら
その瞬間に自分の関心は、自分の思考のほうに向いてしまいます。

技術に目を向けると、相手から関心が離れるんです。

こういうコミュニケーションの問題は実に多いようです。
一生懸命に学んだ人ほど、技術や理論に目が向いてしまって
目の前の相手への関心がなくなる。

そうすると敏感な人が相手の場合、その相手は
「勉強してきた技術を使って自分をコントロールしようとしている。
 結局、思い通りにすること以外には興味が無いんだ。
 こっちの気持ちなんて全く気にしてくれない。」
のように考えて、余計に関係が悪化する、と。

こうした本末転倒なケースが起きるのは
技術トレーニングの中身が、技そのものに意識を向けているからです。

ねぎらいやリフレーミングを徹底的に練習しようとすると
相手に合った言葉を考えるようになります。

できるだけ相手の気持ちに沿った言葉を編み出そうとしたら
相手を観察して、相手に共感して、相手の背景を想像して…
というプロセスが欠かせません。

このプロセスが大事なんです。

これによって相手に気持ちを向けられます。
相手に関心が生まれます。

相手の気持ちに、相手の苦しみに関心が持てるようになる。
自分の言葉や技術ではなく、相手その人に関心が向きます。

相手の問題の原因分析だとか、人格形成の理論だとか、
問題解決や介入の手法だとか、解決に向けた行動プランだとか、
そういった知的な作業ではなくて
目の前の相手の、その瞬間の苦しさに意識が集まるんです。

そうなったとき、自然に優しい気持ちになります。

その優しい気持ちが非言語メッセージに表れます。
これが敏感な相手ほど、切実に伝わるんです。

だから大事なのは「何を言うか」という行動ではなく、
「自分がどんな気持ちになるか」という内面の部分なんです。

この講座でトレーニングするのは、内面のほう。
自然と他人への優しさが滲み出るようなトレーニングです。

ねぎらいやリフレーミングといった技術は
技術そのものの効果もありますが、
徹底的にトレーニングしようとすると、自動的に
相手の気持ちに目を向けることが求められる性質があります。

なので、ねぎらいとリフレーミングのトレーニングを積み重ねると
自然と他者に対しての優しさという『内面』のほうが変わってきます。

そこを意図した講座です。

地道に何度でも繰り返してこそ、本当の意味で効果が出始めるはずです。

ご興味があれば。


一方、OB勉強会のほうは、日によってテーマを変えて設定しています。
札幌の第一回目は、問題を整理する『焦点化』の方法を扱います。

焦点化とは、あくまで「絞り込む」作業のことをいいます。
「このことについて進めていく」という意味での絞り込みです。

あちこちに話が散らかったり、一日に色々と手を出して混乱したり、
多くを望み過ぎて手に負えるサイズではなくなってしまったり…、
そういうことのないように、1つのテーマに絞りましょう、と。

特にNLPの特徴は「プログラムを変える」というところにありますから
焦点化という意味では、
 「どのプログラムを扱うか」を絞り込む
作業を練習することになります。

NLPの多くの手法は、プログラムを効果的に変えられるようになっています。

ですが、どのプログラムを変えたらいいか、までは示してくれません。

一般的なNLPのスタンスは、
「手法は紹介したから、好きなように使って
 気になったプログラムを変えてみてください。
 変えてみて、人生に好影響が出なかったら
 また他のプログラムも変えてみましょう。
 だんだん良くなっていくはずです。」
といった雰囲気を持っているように見えます。

僕はそうやってきたのに近いと思います。

本当に困っていることから問題を解決してきたものも多々ありますが、
数の比率でいえば、気になったプログラムを片っ端から扱った
というケースの方が遥かに多いですから。

ところが多くの人は、そんなに一生懸命にやらないようです。
やはり効率的に、自分の人生に活かしたい。

一方で、NLPをやったけれど、色々とバラバラに紹介されていて
何をどうしたらいいのかも見当がつかない、ともなりがち。

動き出す”手がかり”、”とっかかり”が必要なんだと思われます。

そのためには、まず自分の現状を整理するのがオススメです。

困りごとや悩みの程度は関係ありません。
大きなトラブルでも、小さなトラブルでも、
まずは”とっかかり”として整理してみる。

「今の状況の中で、
 自分のプログラムのどれを
 変えたら効果的か?」

そうやって変えたいプログラムを絞り込むわけです。
これが焦点化の作業です。

扱うプログラムが決まったら、あとはNLPの手法を使うだけ、と。

この焦点化の作業に役立つフレームワークを紹介して
実例を踏まえて練習する、というのがこのOB勉強会のテーマです。

整理するためのポイントを身につけるということです。

もちろん他人の問題を整理するのにも使えますが、
自分ひとりでできるようにするのが趣旨です。

簡単で、効果的。
そう感じてもらえたら何よりなんですが。


いずれも開催地が札幌ですが、
ご予定の合う方、近郊の方はご検討ください。

以上、宣伝でした。

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2018年12月01日

【セミナー】育むコミュニケーション

ご案内: 12月23日(日)

   コミュニケーション講座 〜育むコミュニケーション〜



年末の慌ただしい時期かもしれませんが
コミュニケーションの講座を開催します。

テーマは『育むコミュニケーション』。

上司として、リーダーとして、教育者として、講師として、
コーチとして、カウンセラーとして、トレーナーとして…。

人に何かを教えたり、人の能力や技術を伸ばすお手伝いをしたり、
相手の行動が変わるように働きかけたりする立場の方には
非常に重要な部分を扱います。

(※親子関係は注意が必要です。→後述)

相手に言語的な理解力があることを前提にして
『伝え方』を中心にトレーニングをしますので、
相手の年齢には対象となる範囲があるはずです。

相手との関係性を「育み」
かつ
相手の技術や能力を「育む」。

そういう意味での『育むコミュニケーション』です。

とりわけ
 相手の行動が変わる
ことを目標とします。

もちろん行動には、そのベースとなる考え方と
行動をしようと思えるだけの気持ち(感情)も関わりますから、
考慮すべき範囲はかなり広いものになります。

行動を最終目標として設定しているのは、
考え方が変わっても行動に活かされなかったり、
考え方が変わっても気持ちが乗らずに行動に繋がらなかったり、
気持ちはあっても行動の内容が適切でなかったりすると、
自分の期待している行動には至らないからです。

その行動のパフォーマンスまで視野に入れるともいえます。
「やるか、やらないか」だけでなく
「どのようにやるか」の部分まで。

つまり上手くやれるようにする、という観点です。


だからといって、結果までコントロールするのは困難です。
ベストなパフォーマンスを発揮しても
周りの状況によっては結果が出るとは限りません。

営業で売れるかとか、ミスなく仕事がこなせるかとか、
効果的なアイデアを出せるかとか、
伝えた技術が実際の場面で役に立っているかとか、
心の問題解決のための努力が実を結んでいるかとか。

こうした結果は、本人が上手くやっても
期待したようなところには結びつかない場合があります。

営業で売れるかどうかは、相手先のニーズと合うかどうか、
景気や競合先との兼ね合い、世間的な流行などによっても変動します。
上手くやっても売れないことがあるし、
上手くやらなくても売れてしまうこともある、と。

業務をミスなくこなすことに関しても、
予想外の事態が含まれてきたら処理できない場合もあるかもしれません。

一生懸命に考えたアイデアが時代に合わないこともあるでしょうし、
もっといいアイデアを他の人から提案されたら目立たなくなりがちです。

教わった内容を実践してみても、成果が出るまでには
慣れが必要なケースだってあります。

心の問題解決の努力をどんなに適切にやっていても
厄介な出来事が重なれば、その時期の苦しみは大きくなってしまいます。
上手くやっているのに落ち込んでしまうときもあるんです。

そのように本人の範囲ではない原因で
期待したような結果に結びつかないことはあります。

だからこそ、
 ・適切な行動ができているか
 ・うまくやっているか
という行動面までに焦点を当てます。

相手の出した結果が望むものではなかったとしても
プロセスが期待に沿っていれば許容できる人も多いのではないでしょうか。

むしろ上司のような立場であれば、結果が出ないことよりも
「ちゃんとやっていない」ことで不満を抱くことも多いかもしれません。

「もっとこうしてくれれば…」
「もっとこうしたら上手くいくのに…」
のように、改善する方向性で関わるときには、
結果を出してもらおうとして躍起になるよりも、あくまで
『行動の内容』までに絞り込むのがポイントになる、という話です。


ですから、この講座では
 自分がどのように相手に関われば
 相手の行動が改善されるか

といった内容を詳しく見ていきます。

そのためには、そもそも自分の期待を理解するのが欠かせないでしょう。
そしてそれを適切に言語化して伝える技術も求められます。

多くの場合、この「言葉にして伝える」の部分が課題になりそうです。

実際、コーチやカウンセラー、講師業をしている知り合いを見ていても
業務上で指示を出すときのコミュニケーションが空回りするケースは
数えきれないほどあります。

聞き役としての技術や、専門技能の指導が得意でも
「自分の考えを適切に言葉にして伝える」のは
トレーニングされていないことが多いようです。

もっと正確にいうと、
「相手に分かってもらいたいことが何か」自分で分かっていない
のです。

自分の期待していることを正確に自覚しないまま
普段の癖のまま言葉を発する。
例えば「これをやっておいてください」などと。

それで後から、相手が自分の想定とは違うことをしたのを知って
「なんでこれをやっていないんだ!」
「これぐらい少し考えれば分かるだろう!」
のように腹を立てる、とか。

確かに、それで分かってくれる人もいます。
しかし少数派でしょう。

言わなくてもやってくれる人は珍しい。
言ったら言った通りにやってくれるだけでも多くありません。
言っても、言った通りにしないのが多数派でしょう。
言ったのに、やろうともしないということだって多いはずです。

だからこそ伝える側の技術として工夫するのが役立つんです。

・やろうと思ってもらえるような言い方をする。
・言った通りにやってもらえるように誤解の少ない表現をする。
・やって欲しいことを全てやってもらえるように
 期待していることは言葉にして伝える。


そのためには、自分の『意図』を自覚するのが第一歩です。
ここから丁寧にトレーニングを始めます。


一部の内容を先取りしておくと、
 意図=期待している結果+自分の価値観
ということになりますが、
『期待』もさらに詳しく区別できます。

「起きてくれたら望ましい結果」と
「これだけは起こってもらいたくない結果」とです。

起きてくれたら望ましい結果も、
目的と手段とに区別すると分かりやすく表現できるようになります。

目的というのは、自分が望んでいる重要な要素です。
この要素さえ満たされていれば、他は違っていても構わない、というもの。
例えば、”朗らかな職場の雰囲気”などです。

手段は、目的を果たすためのもの。
1つの目的でも、複数の手段があるというのがポイントです。
”朗らかな職場の雰囲気”という目的を果たす手段には
”笑顔で挨拶が交わされる”、
”お互い頻繁に話しかけられる”、
”ときどき笑い声が聞こえる”、
”皆がリラックスした表情をしている”
などが考えられます。

価値観と価値基準とに区別するのと似ています。
(価値観=大切にしたいことは何か?
 価値基準=どうなったら、それが大切にできたといえるか?)

多くの場合、自分が思いつく期待、
望む結果として自覚されるものは、手段のほうなんです。

だから”朗らかな職場の雰囲気”を期待している人の場合、
”部下の一人がブスッと黙り込んでいて雰囲気を悪くしている”
のように判断をして、手段としての解決策
 「もっと笑顔で、元気よく挨拶してくれ」
などと言いたくなるわけです。

しかし、相手本人の個性を考えると、
それがベストな手段とは限りません。

物静かな人で、照れ屋だけど可愛らしいところもあるかもしれない。
だとすると、無理やり笑顔にしたり、元気な声を出させるのは
難しいかもしれませんし、その必要もない可能性だってあります。

むしろ、”朗らかな職場”の要件である
”頻繁に話しかけられる”ことを成立させる工夫として、
自分から積極的に話しかけることもできるかもしれません。
相手に期待する部分としては”小さな声でも返事をしてもらう”とか。

そうすると相手に伝える内容が全く別物になってきます。


「これだけは起こってもらいたくない結果」についても同様です。
絶対に避けたいこと(損なわれたくない価値観)を明確にしたうえで
それに当てはまるケースの例(価値基準)を挙げていく。

そして、それを避けてもらうには、どんな伝え方をしたらいいか?

そういう段階的な考え方をしてから伝えるようにすれば
期待外れで不満を感じる頻度は減っていくはずです。

自分の側で意図がハッキリしているからこそ
そのための工夫を色々と試せるようになるんです。

期待外れのことが起こってから不満を感じる代わりに、
期待していることを先取りして自ら工夫できるようになるわけです。

ここが今回の講座の趣旨といえるでしょう。


【具体的な内容例】

●不満をもとに、自分の期待に気づくコツ
●無自覚だった期待の内容を明確に言語化するポイント
●期待の種類と区別の仕方
●言語化すべき期待の内容と、その表現方法
●指示、伝達、連絡、依頼、指導、フィードバックなど
 目的別のコミュニケーションのポイント
●行動を起こしやすくする動機づけ
●相手が理解しやすい伝え方の順番
●上手くいかなかったときの理由を探るフレームワークと
 各ステップに対しての対処法


【効果が期待できる関係性】


どんな関係にでも使える技術ではありません。

そもそも相手が行動しようという必然性があるのが前提になります。

必然性というのは、例えば
・上司部下の関係において、組織として
 上司の指示や依頼には応えるのが決まりごととして定着している
・会社の価値観を受け入れてもらう代わりに
 給与や待遇面での対価が発生している
・顧客との契約内容としてサポートの方向性やゴールが決まっていて
 そのための手段を示すことが期待されている
・教育という場面において、指導される側が
 指導者の言うことに沿って行動するのが両者に了解されている
などです。

関係性として、自分の側から相手に対して
「もっとこういう風に行動を変えてもらうことが望まれる」
という内容を伝えることが当然になっていて、
相手のほうも、
「言われたことに応えるのが(ある程度は)当然だ」
と思っている状態だといえます。

これが例えば電話営業だったりすると
相手が電話で話をし続けてくれるかどうかさえ当然ではありません。
嫌だったら電話を切られても仕方ない関係性です。

駅前で募金の声掛けをするのも、立ち止まってくれなくて当然。
「募金をするように行動を変えてもらう」ことが自分の期待だとしても
相手がそれに応えるのが前提にはなっていないわけです。

接客でも同様です。
自分から声をかけても無視される可能性があります。
相手が接客を期待していないときです。

こういうケースでいくら商品の魅力を説明しても
”その商品を購買する”ほうに行動を変えてもらうのは
相手が望むことではありませんから、
関係性として相手が行動を変える前提ではない、といえます。

一方、お客様のほうから商品について質問されたとか
販売員が「何かお探しですか?」と聞いて、
「○○を探しているんですけど…」のように答えが返ってきた場合は
購入を検討する方向で合意が取れていることになります。

条件によっては「商品を購買する」という行動に変える可能性がある。
行動を変える心の準備はあるわけです。
こういうのが前提という話になります。

ですから、今回の『育むコミュニケーション』というテーマでいえば、
教育とか指導とかサポートとかトレーニングとかの場面は
相手本人の目標のために、相手が行動を変える前提があることになります。

組織において指示や依頼をする場面では
お互いの共通の目標のために、相手が行動を変える前提があるといえます。

そういう意味で、相手がこちらの言うことに応えてくれる可能性が
お互いの共通認識として成立している関係をベースにしています。

もちろん、だからといって相手が必ず期待に応えてくれるわけではない。
それこそが『”育む”伝え方の技術』をトレーニングする必要がある理由です。

こちらの期待に応えようとして行動を起こしてくれる。
こちらの期待した行動になるように努力をしてくれる。
こちらの期待した結果に結び付きやすい適切な行動をしてくれる。

そういう方向性に近づくように、
自分のコミュニケーションの仕方を工夫することができます。
ここが伝え方の技術としてのトレーニングになる、ということです。


※身内との関係性において

家族をはじめとする身近な人とのコミュニケーション(友人も含む)では
上記のようなポイントに当てはまるかどうかが重要です。

当てはまるケースもあれば、そうでないケースもあるはずです。
つまり相手が「やろう」と思ってくれているか。

協力しようとしてくれる場合は、「やろう」としてくれるでしょう。

そういう動機があれば今回紹介する技術が役立つ可能性があります。

一方、親が子供に何かを「させよう」という場合、
本人が「やりたくない」可能性があります。

このときも「やりたくないけど、協力はしてもいい」ことはありえます。
それだったら「やろう」という動機があるといえます。

あるいは、「やれと言われたら、やる」習慣が身についている場合。
このときも言うことを聞いてくれるあります。
よりスムーズに事を進めるために技術が役立ちます。

本人が自主的にやりたいことへの助言にも役立ちます。
もっと伸ばせるようなサポートに使える伝え方の技術です。

本人の目標のために必要のあることであれば
伝え方次第で「やろう」としてもらえる可能性はあります。

ですが、本人がやりたいものではなく
親の側の考えで「やらせたい」ことだとすると、
親のために協力するものでもありませんし
本人のメリットにも結びつきませんから、
この場合だと「やろう」という動機がないことになります。

そこを強制するまでの伝え方の技術ではありません。
ここは対象外と考えてもらったほうがシンプルでしょう。

本人が「やろう」と思える動機がある場面を想定して
やろうとしている行動を『育む』のが今回のテーマとなります。

親子の関係はこの点が繊細なので、ご注意ください。
(詳しい注意点が気になる方は、当日にご質問ください)


また、今回の内容は『言葉を通じた伝え方』のトレーニングです。

その点では、子供との関わりでいうと、
 子供の発達段階(年齢)による言語的な理解力の度合い
を考慮する必要があります。

言葉の理解力が不足している時期には使えません。

また一般的に親しい関係ほど、言葉の内容以外、つまり
 非言語コミュニケーションの比重が高い
ものです。

この意味でも、言葉の技術だけにフォーカスしてしまうのは危険です。
根底にある大切な気持ちが伝わりにくくなります。

あとは、どれぐらい自立を促すか。
 発達段階に応じた自立とサポートのバランス
を考慮するのも重要です。

日本文化はポジティブなメッセージを直接的に表現しませんから
自立を促すコーチング的な関わり方が多くなりすぎると
突き放したような印象が生まれるリスクもありえます。

このあたりも注意点とお考え下さい。



◆録音に関しまして
ワークショップ中の内容は、ICレコーダーや
スマートフォンなどで記録いただいても構いませんが、
あくまで個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。



※内容の密度の関係で定員を設けています。
もしかすると逆に、最少決行人数へ届かない場合もあるかもしれません。
いずれの際も改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。




【最後に】

日本文化におけるコミュニケーションは
「受け取る側」の比重が高いのが特徴です。

そのあたりのことは典型的に
「空気を読む」
「行間を読む」
「気持ちを汲み取る」
「相手の気持ちになって考える」
といったことが重視されるのでもお分かりでしょう。

国語の授業なんて読解がほとんどです。
皆が同じ文章を読んで、同じように筆者の意図を「読みとれる」ように
国語のテストが作られているんです。

一方、自分の気持ちを表現するトレーニングの度合いは極端に低い。
誰が聞いても誤解のないように、自分の気持ちを分かってもらえるように
「伝える側」が努力をする比重が低いんです。

理解しあえないときは、「受け取る側」「聞く側」の問題になりがち。

西洋文化とは真逆です。
西洋のほうが「伝える側」「話す側」の責任が大きいとされます。

ですから、日本で生まれ育った人、日本語を母国語とする人は
自分の気持ちを適切に言葉にして伝えるのが苦手で当然なんです。

むしろそういう努力すらしようとしていないほうが一般的。

実際に、コミュニケーション技術の講師をしている人でも
一人称としての自分の気持ちを表現する訓練はしていない、
というのも見受けられる話なんです。

二人称として相手の話を聞く練習と、
三人称として知識や情報を説明する練習はしていても、
一人称としての自分の気持ちを表現するところは別物です。

ここは日本でもっと、工夫していける領域だと思われます。
工夫できる余地が大きいところのはずです。

12月末という一年の振り返りのタイミングに合わせて
ご自身の他者との関わり方について見つめ直していただくのにも
この講座がいい機会になるのではないかと思います。

興味とご都合が合いましたら、どうぞ積極的にお越しください。





【講座の詳細】

≪コミュニケーション講座 〜育むコミュニケーション〜≫

【日時】  2018年 12月23日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。







この技術は、かなりトレーニングのし甲斐があるものだと感じます。
しかも効果として大きいはずです。

経営者やリーダー、上司になる段階で
『相手の行動・能力を育む伝え方』をトレーニングしておくと、
その組織のパフォーマンスが上がるだけでなく
お互いの協力関係も促進されるでしょう。

他者への不満が理由で生まれてくるストレスも減らせますし
雰囲気も居心地のいいものになりやすいと考えられます。

そしてリーダーや上司がこの技術を身につけていると
同じ伝え方を組織のメンバーにも指導することも可能になります。

後進を育てられるだけでなく、組織全体として
伝わりやすいコミュニケーションが浸透していくわけです。

リーダーシップやマネジメントとは違う観点で
組織に影響を及ぼせる領域だと感じています。


この技術のベースにあるのは、
家族療法的なコミュニケーションの方法です。

シンプルにいえば、家族の問題を扱うコミュニケーション技術。
どうやって問題を解決するのか、というと
それはコミュニケーションの質を改善するところにあるんです。

量の問題ではありません。

どんなに話し合ってもゴタゴタしてしまうのは
コミュニケーションが足りないからではなく、
そのやり方が空回りしていることのほうが多いんです。

だから空回りにならないよう
質的な改善のために家族療法家が介入をする。
そういう技術が用いられるケースがあります。

お互いに自分の気持ちを適切に表現できていないから伝わりにくく、
伝わらない”もどかしさ”があるから、分かってもらおうと必死になる。

分かってもらうことに一生懸命になると、
相手の気持ちを理解しようとする余裕なんてなくなってしまいます。

だから汲み取る技術も、聞く技術も空回りしやすい。
汲み取ろう、理解しようという気持ちさえ奥に追いやられ
「自分のことを分かってくれないなら、
 分かってあげるつもりなんてない!」
という頑なな状態で、
必死に自分の気持ちを分からせようとすることにもなりかねません。

ですが、自分の気持ちを適切に表現する技術を磨いていないので
思いつくままに癖で言葉を発してしまい、
相手が分かるような言い方にならないまま
ひたすら感情のアウトプットだけが続いてしまう…。

そもそも、本人が自分の気持ちを自覚できていないから
分かってもらうように言葉にすることも困難なんです。

こういう状態では「本気で話せば分かる」なんてことは起きにくい。

すれ違いを減らして、お互いの気持ちが相手に分かるようにサポートする。
それが家族療法でやることの1つなんです。

ヴァージニア・サティアは実際、こういうサポートをしつつ、
相手が分かるように表現する方法を指導したりもしていたようです。

つまり、気持ちを表現する技術を磨くのが
コミュニケーションの質を向上させる重要なポイントだということです。


組織の人間関係でも同様です。

昨今の風潮では、「職場のコミュニケーションを改善」といった場合、
量の側面に目を向けることが多いように見受けられます。

あるいはコーチングや傾聴を踏まえた「受け取る側」の技術。

コミュニケーションの質として、自分の気持ちを適切に表現する…
つまり『伝える』側の技術に目を向けたものが少ないようです。

家族の例で分かるように、コミュニケーションが上手くいっていないとき
改善すべきポイントは量よりも質のほうなんです。

伝える側の質。
ここに大きな可能性がありそうです。

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2018年11月22日

12/23 コミュニケーション講座

変な時期ですが12/23(日)に
コミュニケーション講座をやります。

正式なご案内は近日中に出すつもりです。


どうも周りを見ていると
もっとコミュニケーションのレベルで工夫できるところが
多いように感じます。

特にメッセージの伝え方。
表現の仕方。

自分がどのように相手へ届けるか、という部分です。

ここで随分と損をしている人が多いのではないでしょうか。

しかも技術や理論を学んだがあまりに、
という残念なケースまで…。


アメリカ由来のコミュニケーション技術の中には
あまりにアメリカ文化で自然で当然なことを前提としていて、
そのせいで、その前提を強調していないことがあります。

例えば、
ポジティブなメッセージを身体的なコンタクトで示す
などです。

これは自然に行われること。
誰もがやる。

日本で言えば、
相手の言葉の行間を想像する
といった感じ。


これは当然やることなので、
日本人同士のコミュニケーションでは
相手の話が論理的に飛躍していたり、省略が多かったりしたら
聞く側が補いながら理解することになっています。

むしろ一字一句丁寧に質問して明確するほうが嫌がられる。
飛躍のない丁寧な説明は、逆にクドイとされる。

アメリカ人からすると、
「それ、どういうこと?」という話も
日本人同士なら聞く側が補って成立するんです。

このやり方が問題なのではありません。
あくまで文化の違いです。

問題は、文化として当然すぎて
その部分をわざわざ「大事なこと」として誰も説明しない、
ということなんです。

日本人がコミュニケーションを教えるときに
「相手の話に自分のわからないことがあったら
自分の経験や知識を利用して、想像しながら補いましょう」
という説明は出てきません。

技術にするのは、それ以外の部分ですし、
この背景だからこそ役に立つ技術が紹介されやすいわけです。

例えば、気持ちを汲み取って代弁するように「ねぎらう」とか。

「どんな気持ちでしたか?」と直接的に質問するのは
アメリカ由来の技術としては自然でも日本文化では、
「汲み取れていない」ことの表明にさえなりかねません。

明らかに悲しそうな様子を示している相手に
「どんな気持ちでしたか?」
ー「悲しかったんです」
「悲しかったんですね」
というのは、
日本文化からすると野暮に受け取られるリスクもあります。

質問することもなく
「それは悲しかったですね」
と気持ちを代弁してもらったほうが
分かってもらえた気持ちが強く感じられやすいのは、
そういう交流が文化に根づいているからでしょう。

あえて自立を促す目的で質問するスタンスもありますが、
分かってもらえる安心感を意図するのだとしたら
汲み取るほうが日本文化には自然かもしれない、
という話です。


同様にアメリカ文化では、愛情や信頼、思いやりを
身体的な接触で示すことがある。

これはわざわざ言わなくても自然とされているので
技術の中には含まれないわけです。

なので、
アメリカからコミュニケーション技術が輸入されるとき
こうしたポジティブなメッセージの示し方は含まれません。

むしろこういうポジティブなメッセージが行われている前提で
自立を促すような言語的メッセージの表現方法が
技術として紹介されるようです。

つまり普段からポジティブなメッセージが多いから
自立を促す言語メッセージがあっても
自立とサポートのバランスが取れる、
という実態が表に出てこない、と。

この前提なしで、
ポジティブなメッセージが少なめの日本文化の中で
自立を促す言語メッセージだけを使うと、
ポジティブなメッセージがないだけに
なんだか「突き離された感じ」が出てしまったり…。


このように文化的な前提を考慮せずに
技術だけを急に使おうとすると
日常では合わないケースも出てきかねません。

だからこそ使いどころの工夫が求められるはずなんです。


この辺りの表現方法の工夫を今回のテーマにする予定です。
適切に伝える方法。

自分の想いを過不足なく表し、
かつ
相手への影響も考慮したメッセージの作り方です。

これができると、揉め事が起きにくくなります。
趣旨に沿ってスムーズに物事が進行しやすくなる。

人に依頼をしたり、指示をしたり、教育したりする場合は
とくに役に立つはずです。


ということで、
相手の技術や能力を育成し
かつ
相手との関係性を向上させる
コミュニケーションの方法、
『育むコミュニケーション』
をテーマとしようと思います。

詳しくはまた後日。

興味があれば12/23をご検討ください。

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2018年11月16日

もう一度ご案内:札幌セミナー【怒りの取り扱いマニュアル】

もう一か月を切っていますが、
補足としてお知らせをしておきます。

12月8日、9日の土日で
「怒りの取り扱い」をテーマとした講座を札幌で行います。

詳しくはこちらをご覧ください。


内容としては、「怒り」というものの性質を
しっかりと理解し直すところから始める予定です。

これは他人の怒りと関わるうえでも注意すべきポイントになります。

怒りが出ているということは、いったい
心の中で何が起きているからなのか?

それを知っておくだけでも、
 何に気をつけて怒っている人と関わればいいか
の方針が見つかります。

また、多くの人は怒りと、その他の類似した感情も
あまり明確に区別していません。

怒りと不満、憤り、苛立ち、敵意などは、どのように違うのか?

性質に違いがあるのですから、対処の仕方にも違いが生まれます。
そのあたりも扱っていく予定です。


さらに、怒りの対処と関連して重要なテーマとして
「ゆるし」も2日目に取り扱います。

実のところ、「ゆるす」ということを実感的に
また知的に、適切な理解をしている人は極めて少ないようです。

例えば、ドラマとか映画とかで登場人物が
「ゆるさないぞ!」なんて言う場面がありますが、
これは「ゆるす」ということについての一般的な理解を
象徴的に示していると思われます。

つまり「ゆるさない」が1つの行為なんです。
「ゆるさない」=「ただでは済まさない、仕返しする」
「ゆるさない」=「償わせる」
といった内容が想定されている、と。

こうした具体的な内容と結びついた「ゆるさない」という動詞に
反対語として「ゆるす」が設定されがちなようです。

つまり「ゆるさない」という動詞が肯定形の表現で存在して
「仕返しする」、「償わせる」と同義になっている。
そして、「ゆるさない」の否定形として「”ゆるさない”をしない」ことが
「ゆるす」となる、と。

ですから「仕返しをしたい気持ちを抑える」とか
「償いを求める気持ちを抑える」といったことが
「ゆるす」という行為として理解されがちなんです。

言い換えると、
 表面上に見てとれる具体的な行為として
 相手に対して何かを働きかけるのを制止する
ということです。

裏を返せば、行動としては表現していなくても
心の内側には怒りの状態が残っていることが多い、ともいえます。

むしろ「大目に見る」に近い感じ。


これは「手放す」とか「あきらめる」にも言えることですが。
「手放します」という宣言とか、「あきらめよう」といった考えは、
まだ「手放し」や「あきらめ」には辿り着いていない段階に起こります。

「手放せた」「あきらめた」という過去形になったとき
ようやく「手放し」「あきらめ」が起こったと言えますが、
本当にそうなると、そのことは一切気にならなくなるので
今度は「手放し」とか「あきらめ」といったフレーズは使われなくなります。

自分にとって『どうでもいいもの』についてだとしたら
わざわざ意識に上がることさえなくなるはずです。

本当に『どうでもいい』『どっちでもいい』と実感できた状態が
「手放し」「あきらめ」、さらには「ゆるし」だといえます。

ですから「手放し」も「あきらめ」も「ゆるし」も
辿り着いた段階の状態を説明する単語であって、
行為として「手放す」「あきらめる」「ゆるす」ことを行うのは
実際には、まずあり得ません。

むしろ何らかの経験を通って、最終的に
「手放し」「あきらめ」「ゆるし」の境地に辿り着く、
という性質ものです。

ですから「手放し」「あきらめ」「ゆるし」のために作業としてできるのは
 その境地に辿り着くためのルートとして、必要な体験を進める
ということになります。

日常生活では偶然の要素を伴いながら、
たまたま起こる体験を重ねるうちに
仕方なく、その境地に辿り着いてしまうことがあります。

それだと、かなり偶然に頼ることになる。

なので「ゆるしの技法」では、イメージワークを使って
「ゆるし」の境地に辿り着くまでの”過程”を体験する作業をするわけです。

これは日常的にやられる作業ではなく、
心理療法的なアプローチの中でもかなり特別な方法でしょう。

そのあたりを体験していただく予定で講座を計画しています。


札幌にまで来るのは大変だという方もいらっしゃることでしょうが
ご興味とご都合が合いましたら、ご一考ください。

https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2

cozyharada at 23:06|Permalinkclip!
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  2019年6月16日(日)
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【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
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詳細は後日


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


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     7月7日(日)
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【場所】 
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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